2020年の最後に
母方の祖母は、毎日、
変りありませんように、と仏壇の前で手を合せていた。
祖母は私が小学生のときに亡くなっている。
当時は、そんなこと……、と思っていた。
20代、30代のころは、
変りありませんように、が無意味なこととと思っていた。
終息どころか収束の気配すらない新型コロナの一年を過ごして、
祖母の心情が、少しはわかってきたような気がする。
母方の祖母は、毎日、
変りありませんように、と仏壇の前で手を合せていた。
祖母は私が小学生のときに亡くなっている。
当時は、そんなこと……、と思っていた。
20代、30代のころは、
変りありませんように、が無意味なこととと思っていた。
終息どころか収束の気配すらない新型コロナの一年を過ごして、
祖母の心情が、少しはわかってきたような気がする。
雑誌は、知らない世界(分野)への扉でもある。
だから、書店の雑誌コーナーを観るのは楽しい。
まったく知らない世界の雑誌は数多くある。
そのなかで手にとるきっかけとなるのは、表紙だ。
ステレオサウンド 217号の表紙をみていると、
ステレオサウンドは、もう新しい読者をもとめていないのか、とも思う。
定期購読している人ならば、217号の表紙であろうと買う。
その人たちだけを相手に商売をしていくのであれば、それでもいい。
でもそれではいつか尻すぼみに終りを迎えることになる。
新しい読者、これからオーディオに関心をもってくれる人たちを、
書店でとらえるのに、217号の表紙は役に立たないどころか、
逆効果ではないだろうか。
私が最初に手にしたステレオサウンドは41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
「五味オーディオ教室」で出逢って、オーディオに興味をもっていたから、
ステレオサウンドを手にとった、ということもあるが、
41号の表紙、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の表紙は、よかった。
「五味オーディオ教室」とまだ出逢ってなかったとしても、
表紙だけでステレオサウンドを手にとっていたはずだ。
6月にヤフオク!で落札したタンノイ・コーネッタ。
7月からのaudio wednesdayは、このコーネッタを鳴らしてきた。
半年、喫茶茶会記に置いたままだった。
今日、ようやく引き取ってきた。
狭い部屋にコーネッタ。
スピーカーがこれだけならば、まだいいが、
他にもスピーカーがいくつかあるので、
このブログも縮こまって書いている。
今日のところはとりあえず搬入しただけ、でしかない。
正月休みは、部屋の片づけ、レイアウト変更で過ぎ去ってしまいそう。
コロナ禍ということもあって、書店に足を運ぶ回数がめっきり減ってしまっている。
十日前ほど前に発売になっていたようだが、今日まで気がつかなかった。
佐伯多門氏の「スピーカー技術の100年」の第三弾、
「スピーカー技術の100年III ステレオ時代と日本製システムの変遷」が出ている。
無線と実験に連載されていた記事をまとめたものである。
無線と実験には、いいたいことがないわけではない。
けれど、「スピーカーの技術の100年」をこうやって出してくれる。
この種の本を出してくれる。
このレベルで出してくれている。
だから、文句めいたことはいわずにおこう。
書店に手にとって、高い、と思う人もいるだろう。
でも、こういった本は、あとで買おう、と思っていると、
いつのまにか市場から消えてしまうことが多い。
手にとって興味をもったならば、早めに買っておいた方がいい。
ステレオサウンドは四冊、オーディオアクセサリーも四冊。
管球王国、アナログもそうである。
ステレオ、無線と実験、ラジオ技術は十二冊。
一年間で五十冊をこえるオーディオ雑誌が出版されている。
それぞれに表紙がある。
2020年、いちばん印象に残ったのは、
いま書店に並んでいるステレオサウンド 217号の表紙である。
ステレオサウンドの表紙は、
安齊吉三郎氏の時代ではなくなって、ずいぶん経つ。
いまの人が撮るようになって、感心したことはない。
有名な人なのだろうが、表紙のインパクトがずいぶん薄れてしまっている。
そう感じていたし、それが当り前になっていたところに、217号の表紙である。
美しさのかけらもない表紙だ、と思って書店で眺めていた。
ひどく安っぽいのだ。
おまけに季節感も、そこにはまったく感じられない。
(その15)の続きとしての(その16)ではなく、
2021年1月12日発売のラジオ技術2月号に掲載される、
「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」という記事について、である。
ラジオ技術の筆者、九氏によるアンケート形式の記事である。
ラジオ技術は、この形式の記事を以前から不定期でやっている。
私は、楽しみにしている記事の形式でもある。
1月発売なのだから、どんなことが載っているのかはまったく知らない。
それでも、企画として、他のオーディオ雑誌もぜひやってほしい、と思う。
こういう企画は、一つのオーディオ雑誌だけでなく、
同時にすべてのオーディオ雑誌でやってくれれば、非常に面白い記事となるはずだ。
それぞれのオーディオ雑誌の色が明確になるはずだし、
そこに書いている人たちの色も、ほかの記事よりも濃く出るであろう。
年末には、どのオーディオ雑誌も賞をやる。
申し合わせたようにやる。
賞ばかりでなく、こういう記事(アンケート)もやってほしい、というより、
やったほうがいい、ともいいたいし、やるべきだ、とも思っている。
「これからオーディオを始める方」を、どう捉えるのか。
10代の世代なのか、社会人になったばかりの世代なのか、
それとも子育てが一段落して自分の時間が持てるようになった世代、
仕事を退職して、という世代、
どの世代にも、これからオーディオを始める人はいるはずだ。
このへんのことも含めて、それぞれの筆者がどう答えるのか。
そのことを含めて楽しみにしている記事である。
今日、ホームシアターで「マトリックス リローデッド」を観ていた。
スピーカーは田口スピーカーのトールボーイ型。
このスピーカーで、この空間で音楽を聴いたことはあったけれど、映画を観たのは初めてだった。
「マトリックス リローデッド」は劇場で観ている。
十七年前のことだから、記憶も少しあやしくなっているのはわかっているが、
それでも劇場で観た時よりもずっと音楽に耳が向いていることに気づいた。
本格的なホームシアターで映画を観たことはないので、なんともいえないのだが、
こういうホームシアターの在り方は、いいな、と思っていた。
今日までは観に行くつもりはなかったのだが、TOHOシネマズ日比谷のサウンドシステムのチューニングが、
より音楽を聴く方向になった、というニュースが最近あった。
大晦日に「ボヘミアン・ラプソディ」を上映する。
こういう状況下ではあるが、混み具合をみてどうしようかな、と思っている。
映画「ワンダーウーマン1984」では、
「猿の手」のことが出てくる。
「猿の手」とは、ジェイコブズの短編小説のことだ。
「猿の手」の内容については、調べればすぐに出てくるので省略する。
願いの成就には、高い代償を伴うわけだ。
「ワンダーウーマン1984」でも、そうである。
観終って、オーディオ評論家(商売屋)も、そうなのかもなぁ、と思った。
オーディオ評論家として喰っていけるようになりたい、
一流のオーディオ評論家と呼ばれるようになりたい、
人気のあるオーディオ評論家になりたい、
そんな願いをもっていた人もいるのではないのか。
その願いはかなった、といえるだろう。
オーディオ評論家として、その名前を広く知られるようになったし、
オーディオ雑誌の年末の賞の選考委員になっている。
傍から見れば、オーディオ評論家として成功した人であろう。
けれど、願いの成就の代償として何かを失っていないだろうか。
本音を失っていないだろうか。
2020年の大半は、コロナ禍である。
だった、と過去形で書けないのが、現状である。
飲食店は大変だ、と耳にする。
飲食店だけではないはずだが、
飲食店の閉店をきいたりみたりする機会がけっこうあるだけに、
新型コロナのおよぼす影響の深さを実感することになる。
この項で書いている新宿珈琲屋は、私にとってはじめての馴染みの店だった。
二年程しか通えなかったけれど、
それでも新宿珈琲屋は、馴染みの店だった。
東京で暮すようになって、来春で四十年になる。
馴染みの店はいくつかできた。
けれど新宿珈琲屋のように、それらのほとんどがなくなってしまった。
それぞれの理由で終っている。
いま馴染みの店は、いくつもない。
その数少ない飲食店も、どうなるのかはなんともいえない。
馴染みの店ではないものの、よく行く店のいくつかは今年閉店してしまった。
それだから、よけいに新宿珈琲屋のことを思い浮べる。
新宿珈琲屋がなくなり、代りになる店を一時期探した。
都内の主だった珈琲店に行った。
いまほど情報があふれる時代ではなかっただけに、雑誌が頼りだった。
でも代りとなる店、
馴染みの店となる珈琲店はついに見つけられなかった。
いまだったら、どうだろうか……、とは思わない。
あのころステレオサウンドで働いていなかったら、
あれほど新宿珈琲屋に通えなかった。
一杯五百円の珈琲は、当時としては高いほうだった。
ステレオサウンドで働く前から新宿珈琲屋のことは知っていたけれど、
アルバイトもほとんどしてなかった学生にとって、
五百円の珈琲は高いだけでなく、私の住んでいた田舎では、
高校生が一人で喫茶店に入ることが禁じられていた。
いつかは行ってみたい、と思っていた珈琲店に、
週に何度も通えるようになったのは、ステレオサウンドで働いていたからだ。
新宿珈琲屋は、あのときの私にとって《恵まれた青春》のようだった。
(その1)には数人の方からのコメントが、facebookにあった。
読みながら思い出したことがいくつかある。
一つが、五味先生の文章である。
*
右の二例とも、死の恐怖に発している。恐怖が生み出した賢明さというべきかも知れぬが、私のように交通事故で人を死に至らしめ、死の恐怖を与える怖ろしさを味わった人間には、こんどの航空事故はよそごととは思えない。わけて機長のそのときの心底をおもう。乗客は恐怖を知らずに死んでいたかも知れないが機長だけは断じて知っていたはずだ。そうなら、一番残酷な死に方だろう。操縦ミスをあげつらう前に、彼はもうその恐怖で贖われていたのではないのか、そう思えてならなかった。
私の場合は、こちらは死ななかったから贖いようはない。私が死ぬまで、これは変るまい。と今はこんなふうに書いていられるが、当座は、いても立ってもおれず辛うじてレコードを聴くことで騒ぎ立つものを鎮めていた。私に音楽を聴く習慣がなかったら、事故の直後から現在にかけて、けっして、いまあるような状態にはなれていなかったろう。これだけは確実な、体験者の述懐と申してもそう不遜な言いざまになるまいと思う。
では何を聴いたか。音楽さえ聴いておれば胸の騒ぎは鎮まるわけのものではない。聴く習慣には、同時に選択のそれが含まれていたはずで、習慣が六百枚にあまるレコード・コレクションの中から限られた数枚を、私に抜き取らせたと思う。モーツァルトの『レクィエム』を聴いたのも、名曲、好きな曲であるからに相違はないが、それだけでああは聴けなかったろう。ほんとうに、何度、何十度私は聴いたろう。はじめは涙を流して聴いたが、ということは、茫然と、ただ事故の瞬間の光景や、私の車に飛ばされていった少年研治君の毬のようなあの軽さや、凝視、絶望感、悔い、血、そんなものが脳裏に甦って、かんじんの音楽は、何も聴いていなかったといっていい。レコードが終ると針をとめに立って行ったが、これこそ単なる習慣にすぎなかったろう。
(中略)
『レクィエム』は、むろん、こんなことばかりを私に語りかけてきはしない。私は自分のためでしかレコードは聴かない。私の轢いてしまった二人の霊をどうすれば弔うことができるのか。それを、私はモーツァルトに聴く。明らかに救われたいのは私自身だ。人間のこのエゴイズムをどうしたら私から払拭できるか、私はそれをモーツァルトに聴いてみる。何も答えてはくれない。カタルシスといった、いい音楽が果してくれる役割以上のことは『レクィエム』だってしてはくれない。しかし、カタルシスの時間を持てるという、このことは重大だ。間違いもなく私は音楽の恩恵に浴し、亡き人の四十九日をむかえ、百ヵ日をむかえ、裁判をうけた。
こんどの連続した航空事故は、私の痛みを甦らせた。私は自分のためではなく、はじめて死者のためのレクィエムというものを聴いた。私の轢いてしまった二人と同様、あのジェット機の乗客たちは、まったく、何ひとつミスのない状態で死に追いやられてしまった。なんとも腹立たしい仕儀だと、生きていれば口走ることもできよう。今となってはかえらない。一切がかえらない。私は、知っているから、乗客の死をとむらう『レクィエム』をかけずにいられなかった。毎晩それで、きまった時間になると書斎に入ってモーツァルトの『レクィエム』を鳴らした。カール・リヒターの指揮したテレフンケン盤である。もう一枚、カラヤンのドイツ・グラモフォンがあるが、この演奏はひどい。『レクィエム』を純粋に音楽として鑑賞する人にはどうか知らぬが、私の耳には、腹立たしいくらい穢ない『レクィエム』だった。カラヤンという指揮者の近ごろのつまらなさは、『レクィエム』一枚に限らぬが、もう少し別な心境で私は今度の『レクィエム』をかけたつもりでいる。
もちろん、こうは誹っても、カラヤンの振る棒にうっとりする聴衆が世界にゴマンといるのだから、この事実をそしることはできない。カラヤンがわるいのではなく私の聴き方のせいだろう。が、ほかに、私にどんな『レクィエム』の聴きようがあるだろう。
*
「死と音楽」からの引用だ。
五味先生は、誰かに許してもらいたかったわけではないはずだ。
いかなる名曲であろうと、空前絶後の名演奏であろうと、
その行いを許してくれるわけではない。
五味先生が《轢いてしまった二人の霊》を弔うためのモーツァルトであり、
モーツァルトの『レクィエム』とともに、マーラーの交響曲、
そしてビバルディを聴いた──、と続けられている。
映画「ワンダーウーマン」の主演女優のガル・ガドットは、
映画のなかで、眉間に皺をよせている。
かなり頻繁によせている。
監督が同じでも、皺の似合わない女優がワンダーウーマンを演じていたら、
こんなに夢中になっただろうか。
(その22)を書いたのは3月だった。
そのころは三ヵ月後にコーネッタを手に入れることになろうとは、まったく思っていなかった。
でも、皺のことを書いていた。
皺が似合うスピーカーとそうでないスピーカーがあるような気がする、
と書いている。
このとき、私の頭になかにあったのは、間違いなくタンノイも含まれていたはずだ。
特定のスピーカーを思い浮べていたわけではなかったけれど、
私のなかでは、ヴァイタヴォックスとともにタンノイも、皺の似合うスピーカーである。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
井上先生が菅野先生との対談で、こんなことを語られている。
*
井上 ただ、いまのHPDはだいぶ柔和になりましたけれども、それだけに妥協を許さないラティチュードの狭さがありますから、安直に使ってすぐに鳴るようなものではない。現実に今日鳴らす場合でも、JBLとかアルテックなどとは全然逆のアプローチをしています。つまり、JBLとかアルテックの場合、いかに増幅段数を減らしクリアーにひずみのないものを出していくかという方向で、不要なものはできるだけカットしてゆく方向です。ところが、今日の試聴ではLNP2Lのトーンコントロールを付け加えましたからね。いろいろなものをどんどん付けて、それである音に近づけていく。
*
コーネッタを鳴らしていて、そういったところがあるのを感じていた。
なぜそうなるのか、その理由を特定しようとは思っていないけれど、
皺の似合うスピーカーだからなのだろう、と思うところもある。
もちろん、だからといって、タンノイのスピーカーを鳴らしていくうえで、
井上先生が語られている方向だけが絶対というわけではない。
いままで皺の似合わないスピーカーばかりを鳴らしてきた人が、
皺の似合うスピーカーを鳴らすことになったら、これも手の一つである、ということだ。
今年きいたディスク(配信も含めて)で、
いちばん印象深かったのは何か。
それも新譜について書こうとしたのだが、すぐには何も浮ばなかった。
新譜は買って聴いている。
今年は、別項で書いているように落穂拾い的なディスクの買い方をしてきた。
なので新譜のCDはそれほど買っていないとはいえ、まったく買っていないわけではない。
なのに、浮んでこない。
結局浮んできたのは、カザルスのベートーヴェンとモーツァルトの交響曲だった。
新譜でもなんでもない。
ずいぶん前の録音だし、これまで数えきれないほど聴いてきた。
特にベートーヴェンの七番は、聴いている。
そのカザルスのベートーヴェンとモーツァルトを、今年は無性に聴きたくなったから、
夏以降、何度かくり返し聴いてきた。
11月のaudio wednesdayでは、カザルスのモーツァルトをかけた。
12月のaudio wednesdayでは、カザルスのベートーヴェンをかけた。
どちらもコーネッタで聴いた。
カザルスのモーツァルトとベートーヴェン、
タンノイで聴いたのは今回が初めてだった。
コーネッタを鳴らすKT88のプッシュプルのプリメインアンプについて、
具体的に考えてみる。
出力はどれだけ欲しいのか、となると、50Wは欲しい。
コーネッタは、さほど高能率スピーカーではない。
これは、あくまでも昔の基準でのことであって、
いま市販されているスピーカーシステムとの比較では高能率となる。
それでも私の感覚としては、能率はやや低め、ということになる。
アンプの出力は音場の再現と大きく関っている。
オペラを聴くとよくわかる。
歌手がソロで歌っている。
さほど大きくない音量では、出力の低いアンプであっても、
クォリティの高いアンプであれば、気持よく鳴ってくれるのだが、
そこに合唱が加わって、クレッシェンドしていくと、音場がぐしゃっとくずれることがある。
出力に余裕のないアンプに起りがちな現象である。
だからコーネッタに50Wの出力というのは、最低限といってもいい。
私の部屋はさほど音量が出せるわけではない。
それでも50Wは欲しい、と考えている。
もっと音量を出せる環境であれば、出力はもっと欲しいところだ。
75Wの出力といえば、マッキントッシュのMC275がそうである。
規模としては、一つの目安となる。
MC275をベースに、ラインアンプ(これも管球式)で、
トーンコントロールを装備したプリメインアンプとなると、かなり大型になる。
自家用として使いたくない大きさになるはずだ。
そこまでなるならば、セパレート形式のほうが、
パワーアンプを目につかないところに設置すれば、ずっとすっきりする。
2018年9月に始めた、このブログも干支をひとまわりしたことになる。
始めた時からの目標であった10,000本も、2019年に超えた。
一つの目標をこえてからの一年(2020年)は、書くペースは少し落ちている。
書きたいことは以前と変らぬほどあるけれど、
コロナ禍で出歩かないことが極端に増えたのも関係しているのだろうか。
毎日書く、ということは、それなりの時間に帰宅しなければならない。
これまで親しい人たちと食事や飲んでたりしていても、
ブログを書くために途中で帰ったこともある。
映画を観終ってから、ゆっくり食事をして、と思っても、
ブログを書かなければならないので、さっさと帰る。
そろそろ終りにしようかな、と考えている。
ブログを終りにするのではない。
毎日書くことを終りにしようか、と考えている。
来年からは少し自分のオーディオの時間を確保したい、ということも理由の一つだ。