Archive for 6月, 2015

Date: 6月 30th, 2015
Cate: オーディオの「美」

美事であること

素晴らしい、という。
素晴らしい音、素晴らしいスピーカー、そんな使い方をする。

これまで素晴らしいに関して、何の疑問も感じていなかった。
けれど別項の「素朴な音、素朴な組合せ」を書き始めて、
素朴、素晴らしいに共通する「素」の原意を辞書でひくと、
素晴らしいがなぜ、素晴らしいと書くのかがわからなくなってくる。

素晴らしいの意味は、どう書いてあるのか。
大辞林には、こう欠いてある。

(1)思わず感嘆するようなさまを表す。
 (ア)(客観的評価として)この上なくすぐれている。際立って立派だ。「—・い眺望」「—・いアイデア」
 (イ)(主観的評価として)きわめて好ましい。心が満たされる。「—・い日曜日」「—・いニュース」
(2)程度がはなはだしいさまをいう。
 (ア)現代語では,多く好ましい状態について用いられる。驚くほどだ。「—・く広い庭園」「—・く青い空」
 (イ)近世江戸語では,多く望ましくないさまをいうのに用いられる。ひどい。「此女故にやあ—・い苦労して/歌舞伎・与話情」

意外だったのは、近世江戸語では、多く望ましくないさまをいうのに用いられる、とあることだ。
それがいつしか誤解され、現在のような好ましい意味で使われるようになったらしい。

とはいえ、素晴らしいと使うのをやめるべきとは思わないけれど、
以前以上に、素晴らしいと使うことに抵抗を感じるようにはなっている。

となると、素晴らしいではなく、なんと表現するのか。
美事(みごと)を使おう。

みごとは見事と書く。
大辞林で「みごと」をひくと、見事・美事の両方が載っているが、
美事は当て字である、と書いてある。

この当て字がいつから使われるようになったのかは知らない。
けれど、オーディオこそ「美」であると考えれば、
私は、いまのところ素晴らしいよりも美事のほうが、オーディオがどういうものかを深く表していると思っている。

Date: 6月 30th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(その1)

友人からのメールに、
「2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドが伸びているぞ」とあった。

ステレオサウンドのスレッドがあるのは知っているけれど、
あまり書き込みがなされていないから一ヵ月に一度くらいのアクセスで十分だった。

それが今日は、友人のメールにあるように書き込みが多い。
ステレオサウンドの最新号は約一ヵ月前に出ているから、
そのことが話題になっているのではなく、ブラインドフォールドテストが話題になって伸びていた。

2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドでは、ブラインドテストとあるが、
正確にはブラインドフォールドテストと書くべきである。

一般的な試聴、つまり目の前に試聴機種を置くやり方は先入観がはいるため信用できない。
信用できる試聴はブラインドフォールドテストだけである、というのは、かなり以前からいわれていることだ。

今日、2ちゃんねるのステレオサウンドのスレッドを読んでいて気づいたことがある。
ステレオサウンドは2009年9月発売の172号で、ひさしぶりにアンプのブラインドフォールドテストを行っている。
これについての書き込みもいくつかあった。

このブラインドフォールドテストに参加したのは柳沢功力氏と和田博巳氏。
ブラインドフォールドテストのみを信用できると信じきっている人は、
だから、ステレオサウンドの筆者でこのふたりだけが信用でき、
ブラインドフォールドテストから逃げた小野寺弘滋氏は信用できない、とある。

それにしても……、と思ってしまう。
172号の編集長は小野寺弘滋氏である。
小野寺氏がオーディオ評論の活動を始めたのは2011年からである。

小野寺氏は逃げたわけではない。
編集者だったのだから。

こんな簡単なことを確認すらしない人が、
ブラインドフォールドテストこそが……、と主張することのおかしさを感じてしまう。

Date: 6月 29th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その5)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」での瀬川先生の提案が印象につよく残っている理由は、
ひとつではない。

四畳半という狭い空間でも、広い空間で味わえるスケール感のある堂々とした響きを、
なんとか再現したい、という瀬川先生の意図、
押入れを利用した平面バッフル、
それに取りつけられるアルテックの604-8Gと515B。

このふたつだけでも非常に興味深い記事である。

けれど、瀬川先生の提案はそれで終っているわけではない。
組合せも提示されている。

アルテック604-8Gを平面バッフルに取りつけ、
それを鳴らすアンプはコントロールアンプがアキュフェーズのC240、
パワーアンプはルボックスのA740である。

アナログプレーヤーはリンのLP12にSMRのトーンアーム3009 SeriesIIIにオルトフォンのMC30。

このアンプとアナログプレーヤーの選択は、ジャズを604-8G+平面バッフルで聴くためのモノではなく、
明らかにクラシックを聴くための選択である。

記事中では音楽についてはまったく触れられていない。
それでも、瀬川先生の組合せをつぶさにみてきた者には、
書かれてなくともクラシックを、四畳半でスケール感のある堂々とした響きで聴くためのモノであることは、
すぐにわかる。

そうか、クラシックを聴くための組合せなのか……、とおもう。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記では、こう語られている。
     *
このような大きなプレーンバッフルに付けて抑え込まないで鳴らしてみると、明るさがいい意味で生きてきて朗々と鳴り響き、大変に心地よいサウンドとして聴けるわけですね。ただ、クラシックに関しては、ぼくにはどうしてもスペクタクルサウンド風に聴こえてしまって、一種の気持ちよさはあるんだけれども、自己主張が強すぎるという感じもします。
     *
同じことはUREIのModel 813についても書かれている。
にも関わらず、ここでのこの組合せである。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その5)

オーディオの想像力の欠如が硬直化を生むのは、
それぞれの役割を正しく認識していないせいで、化学変化がおこらないからだろう。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その4)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」という別冊が、
1979年秋、ステレオサウンドから出ている。

夢のような住空間の提案もあれば、現実に即した提案もあった。
編集経験を経て読み返せば、この本をつくる労力がどのくらいであったのかがわかる。

ブームにのっただけの、体裁をととのえただけのムックを何冊も出すよりも、
これだけの内容のムックを、数年に一冊でいいから出してほしい、と思うわけだが、
同時にもう無理なことであることも承知している。

52の提案の中に、瀬川先生による提案がいくつもある。
その中のひとつに、
「空間拡大のアイデア〝マッシュルーム・サウンド〟」がある。

見かけは四畳半という狭い空間でも、屋根裏の、いわばデッドスペースとなっている空間を利用することで、
小空間でも堂々とした響きを得たいとテーマに対しての瀬川先生の提案である。

その本文には、こうある。
     *
 そもそも、スケール感のある堂々とした響きというのは、どういう音のことなのでしょうか。それは第一に、その音楽が演奏された空間のスケールを感じさせる、豊かな残響感の美しさにあります。そして次に、その音楽を下からしっかりと支える中低域から低域にかけての充実した響きが大切です。この目的を実現するための再生側の条件として、瀬川氏は空間ボリュウムのスケールと大型の再生装置(特にスピーカー)が必要だとされます。
     *
スケール感のある堂々とした響きを得るための大型の再生装置──。、
この提案で瀬川先生が選ばれたスピーカーはJBLの4343、4350、
他社の大型フロアー型スピーカーシステムではなく、
アルテックの604-8Gを平面バッフルにとりつけたモノだった。

つまり四畳半に平面バッフルを、いわば押し込む。
四畳半だから2.1m×2.1mのサイズでは、物理的に入らない。
ここでの提案では、幅1.3m・高さ1.75mの平面バッフルである。

2.1m×2.1mのサイズの約半分とはいえ、かなり大型の平面バッフルに604-8G、
さらに低域の量感を充実をはかるために515Bウーファーをパラレルにドライヴすることも提案されている。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(モディファイという行為・その4)

CDプレーヤーのヘッドフォン端子への配線を取り外すのは可逆的ではあるが、
これも誰がやっても必ず可逆的であるかというと、決してそうとはいえない。

ヘッドフォン端子への配線を取り外すことで音が変化するのは、
CDプレーヤーの筐体内には、さまざまな高周波ノイズが飛び交っている。

井上先生はデジタル機器では、ひとつひとつのIC(LSI)が小さな放送局だといわれていた。
消費電力の大きいLSIは、出力の大きな放送局ともいえるわけで、
それだけ不要輻射も大きくなると考えていい。

つまりCDプレーヤーは自家中毒を起しているとも考えられる。
自分が輻射しているノイズに影響を受けているわけだから。

そんな不要輻射を、ヘッドフォン端子への配線がアンテナとなって拾ってしまう。
ヘッドフォン端子への配線を取り外すことは、CDプレーヤー内部のアンテナ、
それももっとも長いアンテナをなくすことにつながる。

ヘッドフォン端子への配線が最少限の長さであれば、
取り外した後無造作に元に戻したとしても、
元の状態と配線の引き回しの仕方が大きく変化することはない。

けれどある程度余裕のある長さであれば、
元と同じ引き回しの状態に戻さなければ(戻せなければ)、可逆的とはいえなくなる。

可逆的な非可逆的かは、既製品に手を加える人によって、その境界が変動するものであり、
絶対的な可逆的な、既製品への手の加えるという行為はそう多くはない。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その3)

瀬川先生が、サンスイのショールームでかけられた二枚のシェフィールドのダイレクトカッティング盤は、
《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》と《デイブ・グルーシン/ディスカバード・アゲイン》。

記事には、《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》を聴き終ったところで拍手がおこった、とある。
しかも、誰かが「おみごと!」と口走ったとも書いてある。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤をきちんと鳴らした音を一度でも聴いたことのある人ならば、
どういう音が、この時鳴っていたのかが伝わってくる。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤の音は、
604-8Gを平面バッフルに取りつけた音を最高に活かしてくれる(発揮してくれる)。

良質のダイレクトカッティング盤のもつ爽快さは、
他ではなかなかというよりも、まず得られない良さである。

いまアナログディスク・ブームといわれているし、
もうブームではない、完全な復活だ、ともいわれているが、
ダイレクトカッティング盤の音を聴いたことのない人たちが、いまでは多いように思う。

私は、アナログディスク・ブーム、アナログディスクの復活には異論があるが、
それでもこれから先、ダイレクトカッティング盤全盛時代の、
シェフィールドやその他のレーベルから登場した良質のダイレクトカッティング盤に匹敵する、
そういうレベルのダイレクトカッティング盤が登場してくるのであれば、
アナログディスクの復活はホンモノだといえよう。

サンスイのショールームで、
2.1m×2.1mの平面バッフルに取りつけられた604-8Gで、
シェフィールドのダイレクトカッティング盤を聴けた人たちは幸運といえる。

HIGH-TECHNIC SERIES 4の「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」は、
当日に参加された50数名の人たち全員に感想をきいて、その一部が記事になっている。

それを読んでも、604-8Gの音が圧倒的であったことがうかがえる。
記事にもアルテックに《よほど強い印象を受けられたのだろう》とある。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その4)

オーディオの想像力の欠如も、
タキトゥスの言葉がいまも通用する理由のひとつになっている。

Date: 6月 27th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(タキトゥスの時代から……)

《真実は調査に時間をかける事によって正しさが確認され、
偽りは不確かな情報を性急に信じる事によって鵜呑みにされる。》

タキトゥスの言葉だ。
タキトゥスが生きていた時代からずっとそうだったのか、と思ってしまう。

《新たな情報を得たときには、確認という聖なる儀式が済むまで鵜呑みにしてはならない。》
ヴォルテールも同じことを言っている。

いつの時代も、どの国でも変っていない。

タキトゥスの時代よりもヴォルテールの時代の方が情報の伝達は速かった。
ヴォルテールの時代よりも現代はもっともっと速くなっている。

速くなればなるほど比例して量も増えていく。

現代はヴォルテールの時代よりも、タキトゥスの時代よりも、
鵜呑みにしてしまう時代ともいえる。

オーディオ雑誌、つまり出版物は、
どんなにがんばってもインターネットのレスポンスには到底かなわない。
だからこそ、時間をかけ正しさを確認していくことが、その役目といえるのだが……。

Date: 6月 26th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その2)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテック620Bの組合せ。
そこで、瀬川先生は述べられている。
     *
(UREIの♯813は)アメリカのプロ用のモニターのひとつで、たいへん優秀なスピーカーです。このUREI♯813の成功に刺激されて、アルテックは620Bモニターを製作したのではないか、と思えるふしがあるくらいなのです。
     *
瀬川先生の、この推測がどの程度確度が高いのか、はっきりしたことはわからない。
でもたしかに、620Bを見て聴けば、そう思えるところがあるのも確かだ。

たったこれだけの発言だが、私にとっていくつものことを結びつけてくれる。

「続コンポーネントステレオのすすめ」で、UREI 813のことを、こう書かれている。
     *
 このスピーカーの基本はアルテックの604-8Gというモニター用のユニットだが、UREIの技術によって、アルテックの音がなんと現代ふうに蘇ったことかと思う。同じ604-8Gを収めた620Aシステムでは、こういう鳴り方はしない。この813に匹敵しあるいはこれを凌ぐのは、604-8Gを超特大の平面(プレイン)バッフルにとりつけたとき、ぐらいのものだろう。
     *
813の評価としてこれ以上のものはない。
少なくとも私にとってはそうであるし、HIGH-TECHNIC SERIES 4を熱心に読み、
超特大の平面(プレイン)バッフルに憧れた者、なんとか部屋に押し込めないかと考えた者も同じはずだ。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記もそうだが、
それ以上に巻末にある「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」での瀬川先生の発言が強く印象に残っている。

この記事はHIGH-TECHNIC SERIES 4の試聴で使用した2.1m×2.1mの平面バッフルを、
当時、西新宿にあったサンスイのショールームに持ち込んだ様子をリポートしたものだ。
     *
瀬川 わたし自身は正直いってアルテックの音はあまり好きではないのですが、この音を聴いたら考え方が変わりましたね。しびれました。近頃忘れていた音だと思います。
(中略、瀬川先生はアルテックと同じカリフォルニアのシェフィールドのダイレクトカッティング盤を二枚かけられている)
こういう音を聴くと、新しいアメリカのサウンドの魅力が実感できるでしょう。あまり素晴らしい音なのでまだまだ聴きたいところですが、タンノイも控えていますのでこの辺にしましょう。
     *
2.1m×2.1mの平面バッフルに604-8Gを取りつけた音に匹敵する音を、UREIの813は聴かせてくれる──、
813は家庭での設置がやや難しいスピーカーではあるが、
2.1m×2.1mの平面バッフルの導入に較べれば、その難易度はずっと低い。

昂奮せずにいられようか。

Date: 6月 25th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その1)

ステレオサウンド 46号は1978年3月に、
HIGH-TECHNIC SERIES 4は1979年春に、
「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年秋に出ている。

46号の特集は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」で、
17機種のモニタースピーカーが取り上げられている。

17機種の中でひときわ印象に残ったのは、K+HのOL10UREIのModel 813である。
瀬川先生は、どちらも推薦機種にされている。

試聴記を読めばわかるが、このふたつのモニタースピーカーの性格は、かなり違っている。

HIGH-TECHNIC SERIES 4は「魅力のフルレンジスピーカー その選び方使い方」で、
国内外のフルレンジユニット37機種を、
32mm厚の米松合板による2.1m×2.1mの平面バッフルでの試聴を行っている。
ここにアルテックの604-8Gが登場している。

46号の特集にもアルテックのモニタースピーカーは、612C620Aが登場している。

UREI 813にもアルテック 612C、620Aにも、アルテックの604-8Gが搭載されている。

「続コンポーネントステレオのすすめ」では、JBLの4343、KEFのModel 105、スペンドールのBCII、
ダイヤトーンの2S305、セレッションのDitton 66、ヤマハのNS1000M、テクニクスのSB8000、
ヴァイタヴォックスのCN191、アルテックのA7X、BOSEの901SeriesIV、QUADのESL、
そしてUREIのModel 813の組合せをつくられている。

これらの記事をもとめて読む。
その後に「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテックの620Bの、
瀬川先生の組合せを読むと、すべてがつながっていくような気がしてくる。

Date: 6月 24th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(マクソニックの同軸型ユニット)

同軸型ユニットは古くから存在している。
けれどウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置を揃えたユニットとなると、
KEFのUni-Qの登場を待たなければならなかった──、
そうだとずっと思っていた。

同軸型ユニットにはメリットもあればデメリットもある。
トゥイーターにホーン型を採用した場合、メリットとデメリットが表裏一体となる。
構造上、どうしてもトゥイーターのダイアフラムは、ウーファーのコーン紙よりも奥まった位置にくる。

タンノイもアルテックもジェンセンもRCAも、
ホーン型とコーン型の同軸型ユニットいずれもそうだった。

この構造上のデメリットを排除するためにUREIは内蔵ネットワークに工夫をこらしている。
これも解決方法のひとつであるが、
スピーカーユニットを開発するエンジニアであれば、構造そのもので解決する方法を選ぶだろう。

いまごろ気づいたのか、遅すぎるという指摘を受けそうだが、
マクソニックの同軸型ユニット、DS405は、
トゥイーターがホーン型であるにもかかわらず、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置が揃っている。

DS405は1978年5月に登場している。KEFのUni-Qよりも約10年も早い。
なぜ、このことにいままで気づかなかったのだろうか、と自分でも不思議に思う。

DS405の広告はステレオサウンド 46号に載っている。
そこに《同位相を実現した同軸型超デュアルスピーカ。》とある。
構造図もある。

確かにウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置は揃っている。
この広告は見た記憶はある。
けれど、当時はよく理解していなかったわけだ。

DS405は割と長く販売されていたように記憶している。
いまは製造中止になっているが、マクソニックには同軸型ユニットがふたつラインナップされている。
そのうちのひとつ、DS701はDS405を受け継ぐモノで、同位相同軸型ユニットであることを謳っている。

それにしても……、と反省している。
見ていたにも関わらず気づいていなかった。
おそらく他にも気づいていなかったことはあるだろう。

それでも、まだ気づいているだけ、いいのかもしれない。
そして気づくことで、日本のオーディオが過小評価されていたことをあらためて感じている。

いまこそ、日本のオーディオを再検証すべきだと思う。

Date: 6月 24th, 2015
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その4)

JBLの4315は、ステレオサウンドに登場したという記憶はない。
けれど別冊には登場というほどの扱いではないが、瀬川先生がコメントを残されている。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、予算200万円の組合せをつくられている。
選ばれたスピーカーはアルテックの620Bだが、
候補は他にもあって、ひとつはUREIの813、もうひとつがJBLの4315である。

813は耳の高さに604のユニットの位置がくるようにするためには、
かなり高い台に乗せる必要があり、ここが一般家庭ではちょっと使いにくくなるということで、
候補から外されている。

4315は、ちょっと捨てがたい感じはあるけれど、アルテックの620Bに決められている。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の瀬川先生の発言でわかるのは、
4315を開発したのはゲイリー・マルゴリスということ。
マルゴリスは、彼が手がけたモニタースピーカーの中でいちばん好きで自宅でも使っているのが、
どちらかといえば地味な存在の4315とのこと。

この話をマルゴリス本人から聞いて、
《いっそう興味がでて、最近の新しい♯4315を聴きなおして見よう》と思われたそうだ。

つまりそれ以前の4315は、瀬川先生にとってそれほどいい音のスピーカーシステムであったわけではない。
こんなことを話されている。
     *
この♯4315は4ウェイですが、ウーファー、ミドルバス、ミドルハイ、トゥイーターという構成のなかの、ミドルは医に5インチつまり13cmのコーン型が使われていることです。JBLの13cmのコーン型のミドルレンジ・スピーカーというのは、JBLのなかでいちばん駄作だという印象を、ぼくはもっています。事実、これがついているシステムは、どれを聴いてもこの音域に不満がのこるんですね。
ところが、詳しいことはわかりませんけれど、この1年ほどのあいだに、JBLではこのユニットに改良を加えたらしいのです。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’80」は1979年暮に出ているから、
1978年ごろからの4315の音は音が良くなっている可能性が高い。

新しい4315の音はどうだったのか。
     *
かつての製品は、ミドルハイに粗さがあって、それが全体の音の印象をそこなっていたわけですが、最近のものはなめらかさがでてきているのです。ごく大ざっぱにいえば、♯4343の弟分とでもいった印象で、スペースファクターのよさもあって、なかなか魅力的なスピーカーになったと思います。
     *
瀬川先生は予算400万円の組合せで4343を選ばれている。
4343を400万円の組合せで使われていなければ、200万円の組合せのスピーカーは4315になっていたかもしれない。

Date: 6月 23rd, 2015
Cate:

音を生み育てるもの(その1)

別項「BBCモニター、復権か(音の品位)」の中で、
ステレオサウンド 60号での瀬川先生の発言を書き写しながら、
そういえばオルトフォンのSPUとEMTのTSD15の音の違いにも、同じことがあてはまる、と思っていた。

EMTのプレーヤーにはずっと以前はオルトフォンのトーンアームがついていた。
カートリッジはオルトフォンだった。
EMTのカートリッジの初期はオルトフォンが製造していた。

そんなこともあってEMTのカートリッジはSPUと共通しているところが多い。
もちろん細部を比較していくと違う点もいくつもある。

音も共通しているところもあるし、そうでないところもある。
EMTのカートリッジとのつきあいが長い私には、
SPUの音は、特にSPU-Goldが登場する以前のSPUの音は、
地味ともいえるし渋いともいえる。

SPUにはEMTのカートリッジで同じレコードをかけた時に感じとれる艶が、あまりないように感じてしまう。
私はEMTのカートリッジの音になじんでいるからそう感じるのであって、
SPUを選びSPUの音になじんでいる人からすれば、EMTのカートリッジは派手とか過剰気味ということになる。

瀬川先生が語られていた
《そのシャープさから生まれてくる一種の輝き、それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分》、
これと近い性質がEMTのカートリッジにある。

なぜこんなことを書いているからというと、
今日twitterでデンマークの風土について書かれたものを読んだからだ。

北緯55度、そういうところにあるデンマークでは真昼でも太陽は地を這うようだ、とあった。
年によって快晴の日が一日もないこともある、とデンマークに住んだ経験のある人が書いていた。

これを読んで私はSPUの音のことを思い出していた。
デンマークはそういう風土の国だからこそ、SPUの音が生れてきたのだ、とひとり合点した。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(違う意味での原音・その2)

UREIの813の音を、瀬川先生は《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と表現されているが、
これが岡先生となるとどうなるのか。

瀬川先生と岡先生の音の聴き方はずいぶん違っているところがあるのは、
ステレオサウンドを熱心に読んできた読み手であれば承知のこと。

UREI 813が登場したステレオサウンド 46号の特集記事に岡先生も参加されている。
解説と試聴記を担当されている。

その試聴記には音の色合いに関しては、特に書かれていなかった。
46号は1978年3月に出ている。この年暮に出た「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
岡先生は813を使った組合せをつくられている。

そこでは、こう述べられている。
     *
UREIモデル813というスピーカーは、かなりコントラストのついた音をもっています。たとえていえば、カラー写真のコントラストというよりも、黒と白のシャープなコントラストをもった写真のような、そんな感じの再生音を出してくるんです。
     *
《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と《黒と白のシャープなコントラスト》、
瀬川先生の評価と岡先生の評価、
それぞれをどう受けとめるか。

私は、というと、実のところ813は聴く機会がなかった。
ステレオサウンドの試聴室で聴いた813は813Bになっていた。
輸入元も河村電気研究所からオタリテックに変っていた。

メインとなるユニットもアルテックの604-8Gから、
PAS社製ウーファーとJBLの2425Hを組み合わせた同軸型に変っていた。

オリジナルの813の音は聴けなかった。
いまも、ぜひとも聴いてみたいスピーカーのひとつである。

おそらく私の耳には、《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と聴こえるだろう。
だからといって、《黒と白のシャープなコントラスト》と聴こえる人の耳を疑ったりはしない。

ここに音の色の、人によっての感じ方の違いがあるからだ。