Archive for category オーディオマニア

Date: 12月 13th, 2017
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その38)

つきあいの長い音に映るのは、ひとりで音楽を聴く行為ゆえの何かなのだろうか。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その12)

リスニングルームは、男の城だ、
昔のオーディオ雑誌には、そんなことが書いてあった。

レコード(録音物)をひとりで聴くための空間をリスニングルームだとすれば、
借家住まいであっても、どんなに狭い部屋であっても、リスニングルームを持てる。

けれど借家住まいでは持てないリスニングルームがあるのも事実である。
増改築もしくは新築することでしか持てない空間としてのリスニングルームがある。

その意味でのリスニングルームは、男の城と呼べるものだろう。
城だ、と思う一方で、
借家住まいであっても、その空間はオーディオマニアにとっては聖域であるはずだ、
とも思う。

城を建てることはたいへんなことだし、
城を建てられる人もいれば建てられない人もいる。

建てられなくとも、聖域は持てる。
けれど城ということにこだわっていると、聖域ということを見失ってしまうかもしれない。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その11)

昭和31年(1956年)に、「新版 アマチュアオーディオハンドブック」が出ている。
日本オーディオ協会によるもので、オーム社から出ていた。

 第1章:音の物理と生理
 第2章:リスニングルーム
 第3章:マイクロホン
 第4章:レコード
 第5章:ピックアップ
 第6章:レコードプレーヤ
 第7章:テープとテープレコーダ
 第8章:レコーデッドテープとプレーヤ
 第9章:チューナ
 第10章:真空管とトランジスタ
 第11章:プリアンプとメインアンプ
 第12章:スピーカシステム
 第13章:ステレオ再生装置
から成り、それぞれの章はこまかい項目に分けられている。

第13章:ステレオ再生装置は、池田圭氏が担当されている。
ここに「経済性の問題」という項目があり、短期的に、長期的に、ついて書かれている。

長期的に、のところから引用しておく。
     *
一生を賭けて
 ハイファイのために、再生音響に一生を賭ける人はきわめて少ない、と断言して過言ではないであろう。
 大体、ハイファイなどの好きになるのは若い頃で、青春の熱情凝ってステレオに血道を上げるのは、この時期に属する。多くは学生時代にである。やがて社会人となる頃から熱は冷め始めるそして結婚生活、出産……この時期に至ってもなおレコードやテープいじりをやっているくらいであると、一生を賭ける見込みがある。ほとんどはこの時期に『ハイファイよさらば』というのが一般的なコースである。経済的な不如意と多忙のためにハイファイなどやっていられないのである。子供の成長はいよいよこれに拍車を加える。……やがて生活の安定、中年頃に到って返り咲くこともある。
 なかにはハイファイと職業が結びつくこともある。けれども、それはそれなりに真のハイファイと結びつかないことも多い。
 かくて、やがて死が訪れる。
 けれども、一生を、地位も名誉も金も望まず、ただ再生音響のハイファイ化に一生を賭けて悔なき人があるならば、以下のようなコースをとってはどうであろうか。
     *
もう一度いう、60年前に、これは書かれている。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その10)

こんなことは、50年ほど前のステレオサウンドに載っている。
1969年秋に出た12号、
この号はカートリッジ40機種のブラインドフォールドテストを行っている。
その半年前の10号ではスピーカーシステムのブラインドフォールドテストも行っている。

瀬川先生が「テストを終えて」にこう書かれている。
     *
 実際の話、10号のスピーカー、今回のカートリッジと二回のブラインド・テストを経験してみてわたくし自身は、目かくしテストそのものに、疑いを抱かざるをえなくなった(本誌のメンバーも同意見とのことだ)。目かくしテストは、一対比較のようなときには、先入観をとり除くによいかもしれないが、何十個というそれぞれに個性を持った商品を評価するには、決して最良の手段とはいい難い。むろん音を聴くことがオーディオパーツの目的である以上、音が悪くては話にならないが、逆に音さえ良ければそれでよいというわけのものでは決してありえなくてカートリッジに限っていってもいくら採点の点数が良かろうが、実際の製品を手にとってみれば、まかりまちがってもこんなツラがまえのカートリッジに、自分の大事なディスクを引掻いてもらいたくない、と思う製品が必ずあるもので、そういうところがオーディオ道楽の大切なところなのだ。少なくとも、ひとつの「もの」は、形や色や大きさや重さや、手ざわりや匂いや音すべてを内包して存在し、人間はそのすべてを一瞬に感知して「もの」の良否を判断しているので、その一面の特性だけを切離して評価すべきものでは決してありえない。あらゆる特性を総合的に感知できるのが人間の能力なので、それがなければ測定器と同じだろう。そういう総合能力を最高に発揮できるもののひとつがオーディオという道楽にほかならない。
     *
まったくそのとおりであって、特につけ加えることもない。
総合的に感知できない人にとっては、ブラインドフォールドテストのみが……、ということでしかない。

オーディオ機器という「モノ」を判断できない人がオーディオマニアであるわけがない。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その9)

世の中には、ブラインドフォールドテストだけが信用できる試聴方だと、
バカのひとつ憶えのようにくり返す人たちがいる。

ブラインドフォールドテストは、有効な試聴方法のひとつであることは確かだが、
それはすべての試聴において有効なわけではなく、限られた条件での試聴で有効であり、
むしろそうでないことの方が多い試聴方法であり、
試聴テストを行う側の力量は、つねに試聴者の力量を上回っていなければ、
とんでもない結果が出る可能性もある。

それに音だけの判断で、ブラインドフォールドテストのみが……、といっている人たちは、
オーディオ機器を選ぶのだろうか。

音さえよければ、あとはどうでもよい。
そういうオーディオ機器の選び方をする人は、たしかにいる。
さらに安ければ、もっといい、ということになる。

見るからに安っぽい外観、
有名なオーディオ機器をパクった外観、
感触のひどいスイッチやボリュウム、
とにかく使う喜びをまったく感じさせないモノであっても、
ブラインドフォールドテストでいい音に聞こえたなら、
それがイチバンいいに決っている……、
そう思える人たちはそれでいいし、
そう思って、そういうモノをなんの抵抗もなく使える人は、
オーディオマニアではない、といいきれる。

オーディオは男の趣味であるから、徹底して、オーディオ機器というモノにこだわる。
自分の間隔すべてを満足させてくれるモノ(きわめて少ないけれど)、
そういうモノを目指してこそのオーディオという趣味である。

ただ音さえよければ(その音の判断そのものもきわめてあやしいが)、
それでいい──、それは趣味でもなんでもない。
どんなにいい音で聴きたい、と本人が思っていようと、
その彼はオーディオマニアでもなんでもない。

Date: 12月 1st, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その8)

五味先生の「私の好きな演奏家たち」に、こうある。
     ※
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     *
《いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい》

そのとおりなのだろう、とおもう。
ほっとけ、ほっとけ、と思う。

でも、それでいいのか、と一方でおもう。
《才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中》をほっといていいのか、と自問する。

まだ《自分の死期を想うこと》がない私は、
ほっとけばいい、とすっぱりとおもうことはできずにいる。

Date: 11月 30th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その7)

オーディオの聖域とは──、と考える。
同時にオーディオこそが聖域なのだ、とも思っている。

Date: 11月 30th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その6)

つまらぬ意地の張り合い。

オーディオマニアでない人からすれば、ほんとどうでもいいこと、
もっといえばアホなこと。

それでも、この「つまらぬ意地の張り合い」は、
オーディオマニアの聖域かもしれない。

なんらかの聖域をもつからこそ、オーディオは男の趣味。

Date: 11月 30th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その5)

五味先生が「不運なタンノイ」で書かれていること。
オーディオは、まさしく男の趣味だな、と思わせる。
     *
 さてテレフンケンの音の輝きに恍惚とし、満足し、そのうちステレオが盛んとなるにつれ高音部に不満を見出すようになって、昨秋のヨーロッパ旅行でSABAを得た。
 ミュンヘンに世界的に有名な博物館がある。エジソンの発明になる初期の蓄音機から最新のステレオ装置までが進歩の順次に展覧されている。その最新のステレオはテレフンケンではなくSABAだった。私は勇気と喜びをあらたにして日本へ着くであろうSABAへの期待に夢をふくらませた。
 さて昨年暮にはるばる海を渡ってSABAはわが家に運び込まれた。それを聴いて、どんなに絶望したか。もう一つの新しいテレフンケンの装置は、工場のほうから、不備の点を発見して製造を中止した旨の連絡があった。私は怏々とたのしまなかった。いまひとつロンドンで聴いたデッカ《デコラ》は、テレフンケンがベンツならロールスロイスではあろう、しかし、これはS氏のもので、今さら同じものを取り寄せることは日本オーディオ界のパイオニアを自負する私の気持がゆるさない。人さまはいい音で満悦至極であるのに、私だけがなんでこうも不運なのか。私がどんな悪いことをしてきたというのか? 私は天を怨んだなあ。
     *
デッカのデコラをの素晴らしさを知り、認めながらも、それを購えることができても、
デコラは、すでに新潮社のS氏の愛器であるために、《気持がゆるさない》と。

求める音がデコラで得られるならば、それを買えるだけの財力があるのならば、
素直に買えばいいのに……、と思う人は、オーディオマニアではない。

傍からみれば、つまらぬ意地を張っているだけ──、
きっとそう見えるはずだ。

五味先生だけではない。
他の人も、そのはすだ。

瀬川先生は、これを《オーディオ・マニアに共通の心理だろう》と書かれている(「私とタンノイ」より)。
ほんとうにそうである。
意地の張り合いなんてしなければ、ずっと楽になれるのはわかっていても、
それでもオーディオは男の趣味だから……、やってしまう。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その6)

なにかのきっかけがあってなのか、ふと以前観た映画のシーンを部分的に思い出すことがある。
つい数日前も、そうだった。

思い出したのは(というよりも突然頭に浮んできたのは)、
「カールじいさんの空飛ぶ家」(原題:Up)である。
2009年の映画だ。

邦題は、アニメーション映画ということもあってのものか。
映画を観終れば、原題がUpであることが理解できる。

亡き妻との思い出がつまった家を風船で浮上させて旅に出る。
荒唐無稽な話と思われるだろうが、家ごとだから主人公のカールじいさんは旅に出る。

まだ観ていない人もいるだろうから、ストーリーについては触れないが、
クライマックス、ふたたび家ごと浮上するシーンがある。

グッと胸に来るものがある。
まさしく「Up」である。そこには別れもある。

数週間前からぼんやり考えているのは、
オーディオマニアの私にとっての「武器」はなんだろうか。
古い武器、新しい武器……。

新しい武器を手にするには、古い武器を捨て去ることが必要となるのなら、
その見極めが……。

そんなことを考えながら、映画「Up」がリンクしていくのでは、と感じている。

Date: 11月 20th, 2017
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その37)

つきあいの長い音は、つきあいの長い音楽が生む心象があってこそ。

Date: 11月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その36)

つきあいの長い音──、私にとってそれは、意外にもJBLなのかもしれない。

Date: 9月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その5)

「オーディオ愛好家の五条件」、
ひとつひとつの項目について書くつもりは最初からない。

五条件を、どう読み、どう解釈するかは、その人次第であり、
私がどう読み、とう解釈したかを書きたいから、
このテーマで書き始めたわけではない。

「孤独な鳥の条件」という詩と、偶然出逢ったからだ。
     *
孤独な鳥の条件は五つある

第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
     *
16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルスの詩である。
検索すれば、他の日本語訳も見つかる。
微妙にニュアンスが違う。

どれがいいとは書かない。
上に引用した訳は、たまたま私が最初に見た訳というだけである。

「孤独な鳥の条件」と出逢って、
「オーディオ愛好家の五条件」とは、そういうことだったか、と、
はじめて気づいたことがあった。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その4)

「オーディオ愛好家の五条件」における五味先生の言葉使いは、
人によっては不快、不愉快、さらには怒りをおぼえるという人もいよう。

五味先生はあらためていうまでもなく、プロの物書きだ。
物書き(職能家)だから、書いたこと(活字になって発表したこと)は、
すべて自分に返ってくることは百も承知で書かれている、と私は思っている。

その上で、あそこでの表現をされている。
五条件とあるし、一読わかりやすい内容のようにも思える。

けれど、この五条件について、これまで何人ものオーディオマニアと話してみると、
解釈は実に人さまざまだった。

「④真空管を愛すること。」でも、
どこをどう読めば、そんなふうに受け止められるのか、と不思議になるほど、
人はどこまでも独善的に読めるものだと感心できるほどの人もいた。

「⑤金のない口惜しさを痛感していること。」は、
五味先生自身、《少々、説明が舌たらず》と書かれている。
説明は舌たらずだが、ここにそういった説明はもういらないはずだ。

でも、そのためか、そうじゃないだろう、と声を大にしていいたくなることが何度かあった。
この人は、所詮、こういう読み方なのか、と思った。

この「金のない口惜しさを痛感していること」、
もうこの意味すら通じないのか、と落胆もした。
だから、その人との縁は切った(ともいえるし切れてしまった、ともいえる)。

そういうお前の解釈こそ、ずれているのではないか、
独りよがりなのではないか、そういわれてもいい。

私は私の読み方で読んできた、いまも読んでいる。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その3)

オーディオ愛好家の五条件の冒頭は、こうである。
     *
 オーディオ愛好家──たとえば本誌を購読する人たち──をそうでない人より私は信用する。〝信じる〟というのが誇大に過ぎるなら、好きである。しかし究極のところ、そうした不特定多数の音楽愛好家が喋々する〝音〟というものを私はいっさい信用しない。音について私が隔意なく語れる相手は、いま二人しかいない。その人とは、例えばハルモニア・ムンディ盤で聴くヘンデルの、こんどの〝コンチェルト・グロッソ〟(作品三)のオーボーの音はちょっと気にくわぬ、と言われれば、それがバロック当時の古楽器を使っている所為であるとか、コレギウム・アウレウムの演奏にしては弦の録音にいやな誇張が感じられるとか(コレギウム・アウレウム合奏団の弦楽器は、すべてガット弦を、古い調弦法で調弦して使っている)、そんな説明は何ひとつ聞かずとも私は納得するし、多分百人の批評家がコレギウム・アウレウム合奏団のこのレコードは素晴しい、と激賞しても「ちょっと気にくわぬ」その人の耳のほうを私は信じるだろう。
 もちろん、彼と私とは音楽の聴き方もちがうし、感性もちがう。それが彼の印象を有無なく信じられるのは、つづめて言えば人間を信じるからだ。彼がレコード音楽に、オーディオに注いだ苦渋に満ちた愛と歳月の歴史を私は知っている。
     *
《人間を信じるからだ》とある。
これにつきる。

信じられぬ相手に、オーディオの、音楽の何を語れるというのだろうか。
SNSの普及、そこでのオーディオについてのやりとりをながめていると、
この人たちは、五味先生のオーディオ愛好家の五条件を読んでいないのか、とおもう。

私が勝手にそうおもっているだけだ。