Archive for category オーディオマニア

Date: 9月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その5)

「オーディオ愛好家の五条件」、
ひとつひとつの項目について書くつもりは最初からない。

五条件を、どう読み、どう解釈するかは、その人次第であり、
私がどう読み、とう解釈したかを書きたいから、
このテーマで書き始めたわけではない。

「孤独な鳥の条件」という詩と、偶然出逢ったからだ。
     *
孤独な鳥の条件は五つある

第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
     *
16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルスの詩である。
検索すれば、他の日本語訳も見つかる。
微妙にニュアンスが違う。

どれがいいとは書かない。
上に引用した訳は、たまたま私が最初に見た訳というだけである。

「孤独な鳥の条件」と出逢って、
「オーディオ愛好家の五条件」とは、そういうことだったか、と、
はじめて気づいたことがあった。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その4)

「オーディオ愛好家の五条件」における五味先生の言葉使いは、
人によっては不快、不愉快、さらには怒りをおぼえるという人もいよう。

五味先生はあらためていうまでもなく、プロの物書きだ。
物書き(職能家)だから、書いたこと(活字になって発表したこと)は、
すべて自分に返ってくることは百も承知で書かれている、と私は思っている。

その上で、あそこでの表現をされている。
五条件とあるし、一読わかりやすい内容のようにも思える。

けれど、この五条件について、これまで何人ものオーディオマニアと話してみると、
解釈は実に人さまざまだった。

「④真空管を愛すること。」でも、
どこをどう読めば、そんなふうに受け止められるのか、と不思議になるほど、
人はどこまでも独善的に読めるものだと感心できるほどの人もいた。

「⑤金のない口惜しさを痛感していること。」は、
五味先生自身、《少々、説明が舌たらず》と書かれている。
説明は舌たらずだが、ここにそういった説明はもういらないはずだ。

でも、そのためか、そうじゃないだろう、と声を大にしていいたくなることが何度かあった。
この人は、所詮、こういう読み方なのか、と思った。

この「金のない口惜しさを痛感していること」、
もうこの意味すら通じないのか、と落胆もした。
だから、その人との縁は切った(ともいえるし切れてしまった、ともいえる)。

そういうお前の解釈こそ、ずれているのではないか、
独りよがりなのではないか、そういわれてもいい。

私は私の読み方で読んできた、いまも読んでいる。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その3)

オーディオ愛好家の五条件の冒頭は、こうである。
     *
 オーディオ愛好家──たとえば本誌を購読する人たち──をそうでない人より私は信用する。〝信じる〟というのが誇大に過ぎるなら、好きである。しかし究極のところ、そうした不特定多数の音楽愛好家が喋々する〝音〟というものを私はいっさい信用しない。音について私が隔意なく語れる相手は、いま二人しかいない。その人とは、例えばハルモニア・ムンディ盤で聴くヘンデルの、こんどの〝コンチェルト・グロッソ〟(作品三)のオーボーの音はちょっと気にくわぬ、と言われれば、それがバロック当時の古楽器を使っている所為であるとか、コレギウム・アウレウムの演奏にしては弦の録音にいやな誇張が感じられるとか(コレギウム・アウレウム合奏団の弦楽器は、すべてガット弦を、古い調弦法で調弦して使っている)、そんな説明は何ひとつ聞かずとも私は納得するし、多分百人の批評家がコレギウム・アウレウム合奏団のこのレコードは素晴しい、と激賞しても「ちょっと気にくわぬ」その人の耳のほうを私は信じるだろう。
 もちろん、彼と私とは音楽の聴き方もちがうし、感性もちがう。それが彼の印象を有無なく信じられるのは、つづめて言えば人間を信じるからだ。彼がレコード音楽に、オーディオに注いだ苦渋に満ちた愛と歳月の歴史を私は知っている。
     *
《人間を信じるからだ》とある。
これにつきる。

信じられぬ相手に、オーディオの、音楽の何を語れるというのだろうか。
SNSの普及、そこでのオーディオについてのやりとりをながめていると、
この人たちは、五味先生のオーディオ愛好家の五条件を読んでいないのか、とおもう。

私が勝手にそうおもっているだけだ。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その2)

五味先生のオーディオ愛好家の五条件。

「①メーカー・ブランドを信用しないこと」では、
《音を出すのは器械ではなくその人のキャラクターだ。してみれば、メーカーブランドなど当てにはならない。各自のオーディオ愛好ぶりを推量する一資料にそれはすぎぬ、ということを痛切に経験したことのない人と私はオーディオを語ろうとは思わない。》
と書かれている。

「②ヒゲのこわさを知ること。」では、
《三百枚余の大事なレコードを私は所持するが、今、その一枚だってヒゲはないのをここに断言できる。レコードを、つまりは音楽をいかに大切に扱い、考えるかを端的に示すこれは一条項だろう。
 したがって、一枚に何万円を投じてレコードを買おうとその人の勝手だが、ヒゲだらけの盤でパハマンやシュナーベルやカペーがいいとほざく手合いを、私は信用しないのだ。》
と書かれている。

「③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。」では、
《テストで比較できるのは、音の差なのである。和ではない。だが和を抜きにしてぼくらの耳は音の美を享受はできない。何にせよ、測定結果やヒアリング・テストを盲信する手合いとオーディオを語ろうとは私は思わないものだ。》
と書かれている。

「④真空管を愛すること。」では、
《真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わない。》
と書かれている。

「⑤金のない口惜しさを痛感していること。」では、
《この時ほど、金がほしいと思ったことはない。金さえあれば四十九番のレコードが買える、それをいい音で聴ける……そんな意味からではない。どう言えばいいか、ハイドンの味わった貧しさが無性にこの時、私には応えたのだ。ハイドンの立場で金が欲しいと思った。矛盾しているようだが、彼が教えてくれた贅美のうちにある悲しみは、つまりは過去の彼の貧しさにつながっている。だからこそ美しく響くのだろうと私はおもう。
 少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?》
と書かれている。

Date: 9月 7th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その1)

オーディオ愛好家の五条件を、五味先生があげられている。
「オーディオ巡礼」でも読めるが、私は「五味オーディオ教室」で先に読んでいた。

①メーカー・ブランドを信用しないこと。
②ヒゲのこわさを知ること。
③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
④真空管を愛すること。
⑤金のない口惜しさを痛感していること。

これはすぐに憶えた。
そこに書いてあった内容を含めて、憶えた。

②はLPに関することであっても、CDでも同じだ、と思っている。
CDプレーヤーにはアナログプレーヤーのようなスピンドルがないから、
ディスクにヒゲがつくことはない。

それでもトレイにディスクをセットする際、
ぞんざいに置けば、なんとなく音場がきれいに広がらなくなることがときおりある。
CD登場後、しばらくしていわれはじめたディスクの二回かけである。

CDプレーヤーのトレイのディスクを置く個所の形状、
クランパーの仕方、構造によって、二回かけしてもさほど変らないモデルも増えてきているが、
それでもゼロになっているとは思っていない。

同じディスクなのに、さきほどまでの鳴り方と微妙に何かが違うと感じることがなくなってはいない。
そういう時は、トレイを出してもう一度プレイボタンを押してみる。
100%、二回かけしたほうがいいと限らないが、それでも改善されることがあるのも事実だ。

私は、この二回かけがどちらかといえば嫌いで、そんなことをやりたくないから、
トレイにディスクを置く際は、LPにヒゲをつけないのと同じような感覚で扱っている。

Date: 8月 22nd, 2017
Cate: オーディオマニア

8月16日(商売屋か職能家か)

17歳のときに、オーディオを仕事としよう、と決めた、と前回書いた。
実際にオーディオを仕事としていた時期がある。

けれどいまは、オーディオで収入を得ているわけではない。
なのに「仕事は?」ときかれると、
「オーディオマニア」とこたえるのが私だ。

川崎先生のことばを借りれば、商売屋か職能家であるか、だ。
オーディオで収入を得ていないから、商売屋ではない。
オーディオの商売屋ではない。

「仕事は?」ときかれ、「オーディオマニア」とこたえていたのは、
無意識のうちに、オーディオの職能家とおもわれたかったからなのだろう。

オーディオで収入を得ていた時期があり、そこから離れてずいぶん経つことで、
商売屋と職能家の違いについて、正しく捉えられるようになってきたのだろうか。

これから先「仕事は?」ときかれたら、
「(職能家としての)オーディオマニア」とこたえよう。
もちろん(職能家としての)のところは、口には出さなくとも、そうこたえよう。

Date: 7月 31st, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(もっといえば……)

オーディオは男の趣味、
さらにいえば迎合しない男の趣味である。

Date: 6月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(アルテック604・余談)

世田谷・砧に建てられた瀬川先生のリスニングルームにあったテーブルは、
EMTの930stの専用インシュレーター930-900の上にガラスの天板が置かれたものだった。

930-900を知らない人は、ちょっと変ったテーブルとしか思わないだろう。
930-900を知っている人は、その値段も知っているわけで、ニヤッとされるだろう。

マネしたいな、と思ったことがある。
トーレンスの101 Limitedを使っていたから、
930-900も持っていたけれど、テーブルの脚として使うわけにはいかなかった。

マネはしなかった、というよりマネできなかった。
それでも他のモノで同じことができないものか、と考えたことがある。

アルテックの604のことが浮んだ。すぐに浮んだ。
604の正面を上に向けて立てる。

604を安定させるために台座のようなモノは必要になると思うが、
604の上にガラスの天板を置く。
一本脚のガラスのテーブルになる。

Date: 5月 26th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その4)

心にかなった遊びのことを、勝遊ということを、
漢詩にうとい私はさきごろ知った。

名前に勝の字がつく私は、
オーディオはまさしく勝遊だと思ったし、
オーディオはまさしく男の趣味であることを、この勝遊があらわしているともおもった。

Date: 5月 9th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その3)

瀬川先生の「コンポーネントステレオをすすめ」は1970年代の本であり、
そこに書かれていることは、そのころの話であるわけだ。

約40年前のオープンリールデッキ、
それも30万円というのはたしかにかなりのぜいたくなテープデッキである。

HI-FI STEREO GUIDEの’74-’75年度版で、2トラ38の30万円くらいの製品となると、
アカイのGX400D PRO(275,000円)、ソニーのTC9000F-2(250,000円)、
ティアックのA7400(298,000円)、ルボックスのHS77 MKIII(320,000円)ぐらいしかなかった。

国産のオープンリールデッキの高級機でも15万円前後が主流である。
’76-’77年度版をみると、30万円くらいの2トラ38機は増えている。
それでも30万円のモデルは、ぜいたくなテープデッキであることにかわりはない。

スピーカーもなければアンプもアナログプレーヤーもなく、
オープンリールデッキとヘッドフォンだけ、というスタイル(スタート)は、
現在では、ポータブルオーディオにヘッドフォン(イヤフォン)が近いようにみえる。

ポータブルオーディオもヘッドフォン(イヤフォン)も、そうとうに高価なモノがある。
スピーカーをあえて持たず、ヘッドフォン(イヤフォン)だけで楽しむ人たちがいる。

40年前のオープンリールデッキが、ポータブルオーディオにかわっただけには、
私の目には見えない。

40年前のオープンリールデッキとヘッドフォンの大学生は、
次にアンプ、それからスピーカー、アナログプレーヤーと買い足していったはずだからだ。

アンプもスピーカーもアナログプレーヤーも、
約40年前の30万円のオープンリールデッキと同等のモノを選び、
それを目標にアルバイトでかせいでいったはずだ。

オープンリールデッキとヘッドフォンの世帯だけで完結していない。

Date: 5月 9th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その2)

5月8日の川崎先生のブログ「ヘッドホンはまだワイヤード、そのコードも問題」、
冒頭の数行、
《美大入学直後のオーディオ装置は、
2chのオープンテープデッキと手に入れたあるメーカーのヘッドホンだけ。
オープン用の選び抜いたテープだけ10本も無く、ひたすら聴いていました。》
ここを読んで「あれっ、あのことは川崎先生のことなのか」と思った。

瀬川先生の「コンポーネントステレオのすすめ」の第二章、
「コンポーネントステレオを構成する」の中に、こんなことが書いてあった。
     *
 ある販売店にどこかの大学生が30万円ほどのお金を持ってやってきた。そして、38センチ2トラックの、つまり相当にぜいたくなテープデッキを買ったのだそうだ。大学生は店員に、ヘッドフォンを一個、おまけにサービスしてくれと頼んだ。
 こんなデッキを買う客だから、アンプやスピーカーもさぞかし高級品を持っているだろうと店員が質問すると、大学生は、いや、このデッキが僕の最初の買い物なんだ、アンプやスピーカーやチューナーは、この次の休暇のアルバイトでかせぐんだ、と答えたそうだ。それまでは、友人たちにテープをダビングしてもらって、このヘッドフォンで楽しむのさ……と。
 30万円あれば、ローコストのコンポーネントを一揃い揃えることもできるのに、彼は遠大な計画をたてて、建て増し式で高い水準の装置を揃えようとしている。一式30万円の装置でも、部分的に少しずつ入れ換えしながら、成長させることができなくはないが、しかしそれでは最初から低い水準のパーツでがまんしなくてはならないし、成長の完成したときに最初のパーツはほとんど姿を消してしまうだろう。右の実話のように、一度に完結しなくとも、大きな目標に向かって計画を少しずつ実現させるという考えを、私は好きだ。
     *
どこかの大学生は、川崎先生のことなのかもしれないし、
まったく別の人のことなのかもしれない。

オーディオは、男の趣味だとおもう。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その1)

ずっと以前、とあるところから、
あるオーディオ機器の取り扱い説明書を書いてくれないか、という依頼があった。

ことわる理由もなかったし、取り扱い説明書を書くのも、何かの勉強だと思い受けたことがある。
とはいうものの、これまでオーディオ機器の取り扱い説明書を読んだことはほとんどない。
かなり多くのオーディオマニアが、私と同じではなかろうか。

なのでいくつかの取り扱い説明書を取り寄せて、読んだことがある。
オーディオ機器の取り扱い説明書も、各社さまざまなのを知った。
こういう機会でもないかぎり、取り扱い説明書をじっくり読むことはなかった。

基本的に、オーディオ機器であれば取り扱い説明書はなくとも使える。
そういう自信を持っていた。
けれど先日のaudio wednesdayでは取り扱い説明書を読むことになった。
オーディオ機器の取り扱い説明書を読むのは二十年以上なかった。

喫茶茶会記の新しいアンプ、マッキントッシュのMA7900のフロントパネルには、
それほど多くのツマミがあるわけではない。
最初MA7900を前にして、あれっ? と思った。

モードセレクターが見当たらなかったからだ。
MA2275にはついていた。
モードセレクターなんて要らない、と考える人もいるが、
モードセレクターの有用性を知らない(気づいていない)人は、
そういう調整の仕方をしているわけとなる。

マッキントッシュもついになくしたのか……、と思っていた。
途中でMA7900の内蔵D/Aコンバーターの音を聴こう、ということになった。

私は単純に、入力セレクターをまわしていけば、
デジタル入力がディスプレイに表示されるのだと思っていた。

Date: 5月 5th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(「瑣事」より)

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
 人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
 人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
     *
芥川龍之介の「瑣事」からの引用である。
まさしくそういうことである。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

最後のオーディオマニア(その2)

昨晩の「最後のオーディオマニア」は、続きを書くつもりはまったくなかった。
昨晩は、audio wednesdayだった。

4月のaudio wednesdayでは手抜きの鳴らし方だったことは、以前書いた通り。
今回は手抜きをせずにセッティングした。

喫茶茶会記のスピーカーは、いわゆる自作スピーカーの範疇にはいる。
15インチ口径のウーファーを収めたエンクロージュアの上に、
中域のドライバーとホーン、高域のドーム型のユニットがのる。

それゆえいじろうと思えば、ずっといじっていられるほど、あれこれ試せる。
三つのユニットの位置関係はいじらなくとも、
中域と高域のユニットの置き方をいじっていくだけでも、音はころころ変っていく。

スピーカーとは、そういうモノである。
ただ、そのことを面倒に思う人がいるのも事実である。
いまでは、そう思う人のほうが多いのではないだろうか。

それから、自作スピーカーを未完成品、
既製品スピーカーを完成品と捉えてる人も、また多いのかもしれない。

いつのころからか、オーディオ機器がブラックボックス化している。
いやむしろオーディオマニアがブラックボックスとして捉えているようでもある。

デジタル機器はそういうところを感じさせがちだが、
アンプもブラックボックス化していたといえるし、スピーカーもブラックボックス化している。

メーカーにその気がなくとも、オーディオマニアがブラックボックスとして見ている、
受けとめている、という傾向は増しているように感じている。

それがいいことなのか悪いことなのかについて、ここでは触れないが、
傾向としては、そうなりつつあるし、
このことは、好きな音楽をいい音で聴きたい、と思い行動する人が増えたとしても、
オーディオマニアは減っていくのではないだろうか。

Date: 5月 3rd, 2017
Cate: オーディオマニア

最後のオーディオマニア(その1)

あれこれ考えしまうから、このブログを書いているといえるけれど、
毎日ブログを書くためにあれこれ考えているともいえるところもある。
だからなのか、このブログを書きはじめる前には考えたことのない範囲まで、あれこれ考えるようになったのか。

ふと思いつくことがある。
「最後のオーディオマニア」ということもふと思いついた。

私はオーディオマニアだ、と自認している。私の周りにもオーディオマニアがいる。
私が生きている間は、最後のオーディオマニアということは起りえないであろうが、
いつの日か、そういう日が来ないとはいえないのではないか。

オーディオマニアが減りはじめる。
言いかえれば、若い世代からオーディオマニアが誕生しなくなる日が来て、
それまで生きてきたオーディオマニアがいなくなっていけば、
最後のオーディオマニアといわれる人が出てこよう。

オーディオマニアが誕生しなくなった日から、
最後のオーディオマニアまでのカウントダウンが始まる。