五条件(その11)
特定のオーディオ・ブランドの信者の、その精神(姿勢)は、けっして探究心ではなく、
ゆえに視野狭窄に陥り、いわゆる教祖に従おうとする──、
そういう見方もできる。
特定のオーディオ・ブランドの信者の、その精神(姿勢)は、けっして探究心ではなく、
ゆえに視野狭窄に陥り、いわゆる教祖に従おうとする──、
そういう見方もできる。
信者、それも熱心な信者ほど視野狭窄になるようだ。少なくともオーディオに限って、そう言える。
視野狭窄になって、信じる、そのブランドの製品しかいいモノとは思えなくなるのは、信者にとってはシアワセなことだろう。
だから、よけいに自然と視野狭窄に進んでなっていくのか。
これも本人だけのことであれば、何も言うことはないのだが、そのブランドの製品を周りにも薦める。
しかも完璧、もしくは完璧に近いモノのように薦めてくる。
本当に完璧、完璧に近いモノであれば、新型や改良型が、そのブランドから登場するはずもないのに──、そんなことにも気づかないくらいに陥っている。
周りの人は、冷静に信者が薦める製品を見ている。良さもあれば、そうでないところもあるのを感じている。
けれど信者は違う。
視野狭窄になってしまっているために、逆に、そのブランドの製品の全てが見える(聴けている)とはいえない。
視野狭窄ゆえにいいところだけ、しかもそれもかなり狭い範囲でしか聴けなくなっていることを自覚していない。
それでは説得力を持たない言葉を力説するだけになる。
そして、誰もわかってくれない。
このブランドの良さがわかるのは私だけ、となるのかもしれない。
そうなった時に、同じく信者に出会えば意気投合する。固く結ばれる。
今はソーシャルメディアがあるから、昔と違って信者同士が繋がりやすい。一人が二人、三人、四人……、と増えていく。
そして彼らが集まれる「教会」を手に入れようとする。
オーディオ・ブランドには、多かれ少なかれファンがつく。
古くからのブランドだと、けっこうな数のファンがいて、その人たちだけを相手にしても商売が成り立つのかもしれないし、
また、そのブランドのファンが広報の役割を果たしてくれたりするものだろう。
マッキントッシュも、そういうオーディオ・ブランドの一つであって、
ファンの中には、(その8)で書いているような人も生まれてくる。
ファンを超えて信者となってしまう。そうなると、そのブランドの製品は全て素晴らしいと、その人の中ではなってしまう。
それが、その人の中だけのことであれば、何も言わないのだが、信者も熱心な信者になるほど、周りの人たちを信者にしようとする。
新興宗教の信者と同じと言っていいのかもしれない。
どうして周りを巻き込もうとするのか。
彼らは善意ゆえの行動と思っているのかもしれないが、常軌を逸しているのでは──、と感じてしまうことがないわけではない。
ソーシャルメディアを眺めていると、そんな信者の投稿が、時に表示される。
自分たちだけがわかっている──、そういう位置からの投稿のようにも感じる。
彼らは何を最終的に求めているのか。
いい音ではなく、彼らにとっての「教会」なのではないか、と思えてならない。
JBLの4343をひさしぶりに聴いたのは、2005年ごろだった。数年ぶりに会って頻繁に会うようになった早瀬文雄(舘 一男)さんのリスニングルームだった。
4343は1976年に登場しているから、この時点でほぼ三十年が経っている。
おそらくウーファーの2231Aとミッドバスの2121のエッジは張り替えられていたはず。
舘さんはずっと以前、鳴らされていたはずだが、その時の4343の音は聴いていない。聴いたのは4344だった。
二人して、やっぱり4343ですよね、と語っていた。
別項でも書いているように、あの時代、4343はスターというよりスーパースターだった。
だからアンチもかなりいた。
いかなスーパースターであっても、オーディオ機器はいずれ製造中止になって消えていく。
4343も消えていった(製造中止になった)。
代わりに4344が登場したわけだが、4344から4343に感じていたスーパースターのオーラのようなものは感じ取れなかった。
このことは舘さんも同じだったはず。だからこそ2005年に再び4343を、中古で手に入れられている。
4344を中古で買うことは頭になかったはずだ。
それから数年して、舘さんは京都に開業するために引っ越された。その京都ではDD66000を鳴らされていた。
京都のあと、ほんのわずな期間、東京に戻って、また、京都。それから沖縄。
沖縄でも4343を手に入れて鳴らされていた。沖縄は遠い。
遊びに来ませんか、と誘われていたけど、行くことはなかった。
父は、長いこと中学校の英語の教師だった。
キャリアの終りには小学校に移り、教頭、校長をつとめていた。
生徒から慕われていたと思う。
年に一回か二回ほど、教え子が数人で遊びにくることが、
ほぼ毎年あった。
そういうことが当たり前だと思っていた。
東京で暮らすようになって、知り合った同年代の人たちにその話をすると、
先生の家に遊びに行くなんてしなかった、という返事ばかりだった。
そういうものなのか、たまたま私が話をした人たちだけがそうだったのか。
母は、嫌な顔ひとつせず生徒たちをもてなしていた。
母からは、以前、教師になって欲しかった、と言われたことがある。
私もそんな父を見ていたから、中学の頃までは先生になりたい、と思っていた。
長男だし、実家から出ることなく、中学校の理科の先生になって──、
人生設計みたいなことをまじめに考えていた。
五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢った。
最初のころは、趣味としてオーディオを楽しむことを、あれこれ思っていた。
住む家はあるし、稼ぐようになったら、リスニングルームを作って、スピーカーはJBLの4343にして──、
そんなことを夢想していた。
オーディオにのめり込まなかったら、そんな人生をおくっていたことだろう。
「五味オーディオ教室」を暗記するほど読んで、そこから外れていった。
たぶん父も、私に教師になって欲しかったように思う。
でも父の口から、聞いてはいない。
オーディオにのめり込むほどに、学校の成績は落ちていっても、
父はオーディオに関しては、何も言わなかった。母もそうだった。
私とオーディオのことを父がどう思っていたのかは、もう訊けない。
去年の11月、父は90になった。その数日後に倒れ、救急車で運ばれ、そのまま入院することになった。
5月22日朝、母からの電話があった。
この時間に電話ということは、父の死を伝えることだった。
昨年末に、父と会って話をしなさい、と母から言われていて、1月に帰省しようかと考えていたが、
今年になってコロナ禍がひどくなり、家族でも面会禁止になったため、
母と弟も、死に目には会えなかった。
家では黙って本をよく読んでいた父だった。部落問題に対しても活動していた。地元では有名な教師だったようで、
私が中学、高校に入学した時は「彼が宮﨑先生の息子か」的な視線があった。
これは家庭訪問の時に担任から言われたこと。
その「宮﨑先生の息子」は、オーディオにますますのめり込んで、成績を落としていっていたのに、父は何も言わなかった。
当時は、そのことに対して何も思わなかったけれど、いまは感謝している。
小学生のころ、なんとなく交通センターよりも熊本駅周辺が活気があるものだ、と、思い込んでいたから、
初めて熊本駅に着いた時は、寂れているとしか感じなかった。
熊本駅は、1981年に行ったきりだった。東京に戻るのには飛行機だったから、交通センターからバスで空港に向かう。
熊本駅周辺も、少し変っている、とは聞いていたけれど、今回、久しぶりの熊本駅はずいぶん変っていた。
新幹線が通るようになったこともあって、こんなに変ったのか、と驚きだった。
その熊本駅から桜町バスターミナル(旧交通センター)に行って、もっと驚く。
違うところに着いたのかも、とGoogle Mapで現在地を確認したほど。
そんなところからバスに乗って75分。
桜町バスターミナルから10分ほど経つと、周りは暗くなる。
もう21時ごろだったからというよりも、中心部から離れると、暗い。
30分ほど乗っていると、満員だった車内は空いている。
久しぶりの帰省だから、車窓を眺めるのだけれど、暗すぎるので、
Google Mapで、いま、このあたりを走っているのかと、そんなことをやっていた。
終点までの乗客は、私ともう一人だけ。22時少し前だった。
国道3号線沿いに終点はあるけれど、人は歩いていない。
私が実家にいたころは、ここと熊本までのバス路線は、ドル箱路線と言われていて、
三路線があったのが、いまでは二路線になり、本数もかなり減っていた。
そして、以前だと日に数本だった路線がメインになり、二番目に本数があった路線が廃止。
いろいろ変っている──、そんなことを感じながら歩く。
目的地は実家ではなく、斎場を目指して歩く。
しばらく実家に帰っていなかった。
今年の年末には久しぶりに帰省しようかな、と思ったのは2020年。
新型コロナ禍で、この年の年末も帰省しなかった。兵庫に住む妹一家も、
コロナ禍のため、帰省しなかった。
そんな数年があった。
妹は帰省を再開したけれど、私はそのままずるずると帰省しないままだった。
先週後半、ほんとうに久しぶりに帰省した。
少し時間が空いたので、ぶらぶら歩いていた。夜遅くにも歩いた。明るい時間帯も歩いた。
小学校、中学校への通学路も歩いてみた。
どの路も、記憶にあるよりもずっと狭く感じていた。
東京で暮らすようになってからも、何度も帰省していたけれど、
今回ほど、そのギャップを感じたことはなかった。
何か、自分の身体が大きくなったかのようにも感じていた。
それに夜が、こんなに暗かったか、とも思っていた。
田舎には街灯が少ない。小学生の頃は、夜道を歩くには懐中電灯を持っていた。
暗いのもわかっていた。にも関わらず、暗いと感じたのはなぜなのか。
そんなことをぼんやり考えて歩いていた。
目的地はなく、ただ歩いていた。
この路、あの路と歩いていた。そんなふうに歩いても、小さな町だから、大変ではない。
今回の帰省は、夜、熊本駅に着いた。
実家に帰るには、昔、交通センターと呼ばれていたバスターミナルに行かなければならない。
ここが桜町バスターミナルとなっていた。名称が変更になっただけでなく、大きく変っていた。
ちょうど台湾フェアをやっていて、眩しいほどに明るく活気がある。
熊本駅周辺も変っていた。
人は、好きなスピーカーを必ずしもうまく鳴らせるとは限らない。
こういう音がスピーカーから出てきてほしいと望んでいても、それが必ずしも鳴らせるとは限らない。
つまりオーディオマニアとして、できないことが常にある、と言っていい。
何が「できない」のかをはっきり見極めることは大事だし、その「できない」をしっかりと受け止めて、負けないことも大事である。
「できない」から目を逸らせてしまうと、腐っていくだけだ。
11月6日のaudio wednesdayでの4343を音を聴きながら、
これは、私にとって「つきあいの長い音」なんだろうな、と思っていた。
熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされる4343の音は、
何度か聴いている。
最後に聴くことができた音、
トーレンスのリファレンスとSUMOのThe Goldでの、
コリン・デイヴィスの「火の鳥」は、
いまもしっかりと私の裡で鳴り続けている、といえるほどだった。
ステレオサウンドで働くようになった頃は、
4344が登場したばかりで、試聴室には、まだ4343があった。
自分で鳴らした4343の音は、ステレオサウンドの試聴室が初めてだった。
しばらくして4343は4344へと交替した。
ステレオサウンドのリファレンススピーカーが、
4343から4344へと交替した時がきた。
それから4343を個人のリスニングルームで聴くことは、
数えるほどだったが、あった。
そういう機会もなくなり、しばらく4343を聴くことはなかった。
次に聴いたのは、2005年ごろだった。
いつのころからか、オーディオ界のブラック・ジャックになりたい──、
そう思うようになっていた。
オーディオ業界からは嫌われても構わない、
ブラック・ジャックのようになれるのならば──。
昨夜、野口晴哉記念音楽室 中秋会での、
ウェスターン・エレクトリックの594Aの音を聴いていて、少しはそうなれたなぁ、とひとり思っていた。
行間を読む前に、まずは活字になっているところをきちんと読む。
そのことがとても大事なことのはずなのに、
世の中は、行間を読むことが、
書いてある文字を読むことより高尚なことみたいに思われがちのようだし、
そう言われているように感じることがある。
行間を読んでいるから──、
なんと都合のよい言い訳だろう。
そういってしまえば、マウントがとれるとでも思っているのだろうか。
五味先生の「オーディオ愛好家の五条件」を読んで、
「真空管を愛すること」を「マッキントッシュを愛すること」に変換してしまった人は、
マッキントッシュ信者ともいえる人だった。
それはそれでいいのだが、怖いのは思い込みである。
思い込みの激しさである。
その人は、マッキントッシュというブランドを信じている(いた)。
おそらくマッキントッシュの製品ならば、どれも素晴らしいと思っていたに違いない。
信じることは、悪いことではない。
スピーカーの使いこなしにおいて、目の前にあるスピーカーを信じないことには、
何も始まらないといえるし、信じずにはじめたところで、中途半端な鳴らし方しかできない。
そして、そのスピーカーとながいつきあいもできない。
ゆえに、信じることは大事であっても、その人の場合は、何が違っていた。
五味先生は、「メーカー・ブランドを信用しないこと」を第一に挙げられている。
五味先生の「オーディオ愛好家の五条件」。
①メーカー・ブランドを信用しないこと。
②ヒゲのこわさを知ること。
③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
④真空管を愛すること。
⑤金のない口惜しさを痛感していること。
ここでは④の「真空管を愛すること」について書きたい。
もう三十年ちょっと前の話になるが、あるオーディオマニアと話していた。
その人は私よりも五つぐらい上の人で、有名私大を出ている。
なのに、この人は、唐突に「五味先生もマッキントッシュを愛すること」と、
「オーディオ愛好家の五条件」で書かれているでしょ、と言ってきた。
この人のいうマッキントッシュとは管球式アンプのマッキントッシュではなく、
トランジスター化されたマッキントッシュなのである。
開いた口がふさがらない、とはこういう時のためのものなのか。
ほんとうにそう思ってしまった。
言った本人は大真面目である。
「オーディオ愛好家の五条件」のなかに、マッキントッシュのMC275のことが出てくる。
けれど、だからといって、「真空管を愛すること」がどうすれば、その人のなかでは、
「マッキントッシュを愛すること」に変換されていくのか。
あまりにもアホすぎて、何も言わなかったが、
仮にそうしたら、その人はどう返してきただろうか。
行間を、私は読んでいる──、おそらくそう言ってきただろう。
どんなに何度も読み返しても、
行間から「マッキントッシュを愛すること」を読みとるのは無理である。
先週の土曜日に、audio sharingの忘年会を行った。
参加された方の一人、Kさんが「孤独な鳥の条件」のことを話された。
この項の(その5)で、「孤独な鳥の条件」を引用している。
*
孤独な鳥の条件は五つある
第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
*
16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルスの詩である。
(その5)は、2017年9月に公開している。
書いている私は、もちろん憶えているけれど、
そんなこと書いてあったっけ? と読み手側はそんな感じだろう。
それでも、Kさんははっきりと憶えてくれている。
そして、孤独な鳥をめざしている、ともいわれた。
孤独な鳥になんてなりたくない──、
そう思うオーディオマニアもいていい。
ただ、いまのステレオサウンドは孤独な鳥のための雑誌では、とっくになくなっている。
オーディオの力を信じることに圧倒的であれ──、とおもっている。
つきあいの長い音とは、自分にとって理想の音、最高の音よりも、
ぴったりの音のことなのかもしれない。