Archive for category オーディオマニア

Date: 5月 27th, 2025
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その7)

父は、長いこと中学校の英語の教師だった。
キャリアの終りには小学校に移り、教頭、校長をつとめていた。

生徒から慕われていたと思う。
年に一回か二回ほど、教え子が数人で遊びにくることが、
ほぼ毎年あった。
そういうことが当たり前だと思っていた。

東京で暮らすようになって、知り合った同年代の人たちにその話をすると、
先生の家に遊びに行くなんてしなかった、という返事ばかりだった。
そういうものなのか、たまたま私が話をした人たちだけがそうだったのか。

母は、嫌な顔ひとつせず生徒たちをもてなしていた。
母からは、以前、教師になって欲しかった、と言われたことがある。

私もそんな父を見ていたから、中学の頃までは先生になりたい、と思っていた。
長男だし、実家から出ることなく、中学校の理科の先生になって──、
人生設計みたいなことをまじめに考えていた。

五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢った。
最初のころは、趣味としてオーディオを楽しむことを、あれこれ思っていた。
住む家はあるし、稼ぐようになったら、リスニングルームを作って、スピーカーはJBLの4343にして──、
そんなことを夢想していた。

オーディオにのめり込まなかったら、そんな人生をおくっていたことだろう。

「五味オーディオ教室」を暗記するほど読んで、そこから外れていった。

たぶん父も、私に教師になって欲しかったように思う。
でも父の口から、聞いてはいない。

オーディオにのめり込むほどに、学校の成績は落ちていっても、
父はオーディオに関しては、何も言わなかった。母もそうだった。

私とオーディオのことを父がどう思っていたのかは、もう訊けない。

去年の11月、父は90になった。その数日後に倒れ、救急車で運ばれ、そのまま入院することになった。

5月22日朝、母からの電話があった。
この時間に電話ということは、父の死を伝えることだった。

昨年末に、父と会って話をしなさい、と母から言われていて、1月に帰省しようかと考えていたが、
今年になってコロナ禍がひどくなり、家族でも面会禁止になったため、
母と弟も、死に目には会えなかった。

家では黙って本をよく読んでいた父だった。部落問題に対しても活動していた。地元では有名な教師だったようで、
私が中学、高校に入学した時は「彼が宮﨑先生の息子か」的な視線があった。

これは家庭訪問の時に担任から言われたこと。
その「宮﨑先生の息子」は、オーディオにますますのめり込んで、成績を落としていっていたのに、父は何も言わなかった。

当時は、そのことに対して何も思わなかったけれど、いまは感謝している。

Date: 5月 26th, 2025
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その6)

小学生のころ、なんとなく交通センターよりも熊本駅周辺が活気があるものだ、と、思い込んでいたから、
初めて熊本駅に着いた時は、寂れているとしか感じなかった。

熊本駅は、1981年に行ったきりだった。東京に戻るのには飛行機だったから、交通センターからバスで空港に向かう。

熊本駅周辺も、少し変っている、とは聞いていたけれど、今回、久しぶりの熊本駅はずいぶん変っていた。
新幹線が通るようになったこともあって、こんなに変ったのか、と驚きだった。

その熊本駅から桜町バスターミナル(旧交通センター)に行って、もっと驚く。
違うところに着いたのかも、とGoogle Mapで現在地を確認したほど。

そんなところからバスに乗って75分。
桜町バスターミナルから10分ほど経つと、周りは暗くなる。
もう21時ごろだったからというよりも、中心部から離れると、暗い。

30分ほど乗っていると、満員だった車内は空いている。
久しぶりの帰省だから、車窓を眺めるのだけれど、暗すぎるので、
Google Mapで、いま、このあたりを走っているのかと、そんなことをやっていた。

終点までの乗客は、私ともう一人だけ。22時少し前だった。
国道3号線沿いに終点はあるけれど、人は歩いていない。

私が実家にいたころは、ここと熊本までのバス路線は、ドル箱路線と言われていて、
三路線があったのが、いまでは二路線になり、本数もかなり減っていた。
そして、以前だと日に数本だった路線がメインになり、二番目に本数があった路線が廃止。

いろいろ変っている──、そんなことを感じながら歩く。
目的地は実家ではなく、斎場を目指して歩く。

Date: 5月 25th, 2025
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その5)

しばらく実家に帰っていなかった。
今年の年末には久しぶりに帰省しようかな、と思ったのは2020年。
新型コロナ禍で、この年の年末も帰省しなかった。兵庫に住む妹一家も、
コロナ禍のため、帰省しなかった。

そんな数年があった。
妹は帰省を再開したけれど、私はそのままずるずると帰省しないままだった。

先週後半、ほんとうに久しぶりに帰省した。
少し時間が空いたので、ぶらぶら歩いていた。夜遅くにも歩いた。明るい時間帯も歩いた。

小学校、中学校への通学路も歩いてみた。
どの路も、記憶にあるよりもずっと狭く感じていた。

東京で暮らすようになってからも、何度も帰省していたけれど、
今回ほど、そのギャップを感じたことはなかった。
何か、自分の身体が大きくなったかのようにも感じていた。

それに夜が、こんなに暗かったか、とも思っていた。
田舎には街灯が少ない。小学生の頃は、夜道を歩くには懐中電灯を持っていた。
暗いのもわかっていた。にも関わらず、暗いと感じたのはなぜなのか。
そんなことをぼんやり考えて歩いていた。
目的地はなく、ただ歩いていた。

この路、あの路と歩いていた。そんなふうに歩いても、小さな町だから、大変ではない。

今回の帰省は、夜、熊本駅に着いた。
実家に帰るには、昔、交通センターと呼ばれていたバスターミナルに行かなければならない。

ここが桜町バスターミナルとなっていた。名称が変更になっただけでなく、大きく変っていた。
ちょうど台湾フェアをやっていて、眩しいほどに明るく活気がある。
熊本駅周辺も変っていた。

Date: 3月 27th, 2025
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その13)

人は、好きなスピーカーを必ずしもうまく鳴らせるとは限らない。
こういう音がスピーカーから出てきてほしいと望んでいても、それが必ずしも鳴らせるとは限らない。

つまりオーディオマニアとして、できないことが常にある、と言っていい。

何が「できない」のかをはっきり見極めることは大事だし、その「できない」をしっかりと受け止めて、負けないことも大事である。

「できない」から目を逸らせてしまうと、腐っていくだけだ。

Date: 11月 15th, 2024
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その47)

11月6日のaudio wednesdayでの4343を音を聴きながら、
これは、私にとって「つきあいの長い音」なんだろうな、と思っていた。

熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされる4343の音は、
何度か聴いている。
最後に聴くことができた音、
トーレンスのリファレンスとSUMOのThe Goldでの、
コリン・デイヴィスの「火の鳥」は、
いまもしっかりと私の裡で鳴り続けている、といえるほどだった。

ステレオサウンドで働くようになった頃は、
4344が登場したばかりで、試聴室には、まだ4343があった。

自分で鳴らした4343の音は、ステレオサウンドの試聴室が初めてだった。
しばらくして4343は4344へと交替した。
ステレオサウンドのリファレンススピーカーが、
4343から4344へと交替した時がきた。

それから4343を個人のリスニングルームで聴くことは、
数えるほどだったが、あった。

そういう機会もなくなり、しばらく4343を聴くことはなかった。
次に聴いたのは、2005年ごろだった。

Date: 10月 21st, 2024
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(ブラック・ジャックでありたいと……)  

いつのころからか、オーディオ界のブラック・ジャックになりたい──、
そう思うようになっていた。

オーディオ業界からは嫌われても構わない、
ブラック・ジャックのようになれるのならば──。

昨夜、野口晴哉記念音楽室 中秋会での、
ウェスターン・エレクトリックの594Aの音を聴いていて、少しはそうなれたなぁ、とひとり思っていた。

Date: 6月 20th, 2024
Cate: オーディオマニア

五条件(その8)

行間を読む前に、まずは活字になっているところをきちんと読む。
そのことがとても大事なことのはずなのに、
世の中は、行間を読むことが、
書いてある文字を読むことより高尚なことみたいに思われがちのようだし、
そう言われているように感じることがある。

行間を読んでいるから──、
なんと都合のよい言い訳だろう。

そういってしまえば、マウントがとれるとでも思っているのだろうか。

五味先生の「オーディオ愛好家の五条件」を読んで、
「真空管を愛すること」を「マッキントッシュを愛すること」に変換してしまった人は、
マッキントッシュ信者ともいえる人だった。

それはそれでいいのだが、怖いのは思い込みである。
思い込みの激しさである。

その人は、マッキントッシュというブランドを信じている(いた)。
おそらくマッキントッシュの製品ならば、どれも素晴らしいと思っていたに違いない。

信じることは、悪いことではない。
スピーカーの使いこなしにおいて、目の前にあるスピーカーを信じないことには、
何も始まらないといえるし、信じずにはじめたところで、中途半端な鳴らし方しかできない。
そして、そのスピーカーとながいつきあいもできない。

ゆえに、信じることは大事であっても、その人の場合は、何が違っていた。

五味先生は、「メーカー・ブランドを信用しないこと」を第一に挙げられている。

Date: 6月 18th, 2024
Cate: オーディオマニア

五条件(その7)

五味先生の「オーディオ愛好家の五条件」。

①メーカー・ブランドを信用しないこと。
②ヒゲのこわさを知ること。
③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
④真空管を愛すること。
⑤金のない口惜しさを痛感していること。

ここでは④の「真空管を愛すること」について書きたい。
もう三十年ちょっと前の話になるが、あるオーディオマニアと話していた。
その人は私よりも五つぐらい上の人で、有名私大を出ている。

なのに、この人は、唐突に「五味先生もマッキントッシュを愛すること」と、
「オーディオ愛好家の五条件」で書かれているでしょ、と言ってきた。

この人のいうマッキントッシュとは管球式アンプのマッキントッシュではなく、
トランジスター化されたマッキントッシュなのである。

開いた口がふさがらない、とはこういう時のためのものなのか。
ほんとうにそう思ってしまった。

言った本人は大真面目である。

「オーディオ愛好家の五条件」のなかに、マッキントッシュのMC275のことが出てくる。
けれど、だからといって、「真空管を愛すること」がどうすれば、その人のなかでは、
「マッキントッシュを愛すること」に変換されていくのか。

あまりにもアホすぎて、何も言わなかったが、
仮にそうしたら、その人はどう返してきただろうか。

行間を、私は読んでいる──、おそらくそう言ってきただろう。

どんなに何度も読み返しても、
行間から「マッキントッシュを愛すること」を読みとるのは無理である。

Date: 12月 19th, 2023
Cate: オーディオマニア

五条件(その6)

先週の土曜日に、audio sharingの忘年会を行った。
参加された方の一人、Kさんが「孤独な鳥の条件」のことを話された。

この項の(その5)で、「孤独な鳥の条件」を引用している。
     *
孤独な鳥の条件は五つある

第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
     *
16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルスの詩である。

(その5)は、2017年9月に公開している。
書いている私は、もちろん憶えているけれど、
そんなこと書いてあったっけ? と読み手側はそんな感じだろう。

それでも、Kさんははっきりと憶えてくれている。
そして、孤独な鳥をめざしている、ともいわれた。

孤独な鳥になんてなりたくない──、
そう思うオーディオマニアもいていい。

ただ、いまのステレオサウンドは孤独な鳥のための雑誌では、とっくになくなっている。

Date: 5月 11th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その12)

オーディオの力を信じることに圧倒的であれ──、とおもっている。

Date: 5月 11th, 2023
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その46)

つきあいの長い音とは、自分にとって理想の音、最高の音よりも、
ぴったりの音のことなのかもしれない。

Date: 5月 11th, 2023
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その45)

つきあいの長い音があれば、つきあいが長すぎる音も、
つきあいが長すぎた音もあろう。

Date: 1月 18th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その11)

その10)で触れている知人。

この人に私は近寄らないようにしている。
向うは私のことを嫌ってくれているようなので、会うことはまずないのだけれども、
それでも関わりは持たないようにしている。

特別扱いを暗に要求している(私はそう感じている)知人は、
被害者意識も強いように感じてもいる。

自分の望むことがかなわないと、被害者意識をすぐに持つ。
このことは、特別扱いをしてほしいということだろうし、
自分は特別扱いされるオーディオマニアという意識が、どこかにあるからなのだろう。

この人ほどではないにしても、同じような傾向のオーディオマニアは、
ソーシャルメディアを眺めていると、少なくないようにも感じる。

けれど、そんな態度だから、いろんなことがこじれてしまう。
本人がこじらせているだけなのだが、孤立していくことで、ますます悪化もするようだ。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの「役目」、そして「役割」

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』というタイトルで、
別項で書いてきている。

元日に、「毎日書くということ(今日決めたこと)」にコメントがあった。

そのコメントに、こう書いてある。
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』を書いていて思ったことが、これである。
『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』というタイトルで書こうと思いながらも、
これまで書いてこなかったのは、趣味のことなのに……、そんなふうに思う人のほうが多いだろうし、
あえて書くことでもないのかも──、そんなふうに思ったからだ。

けれどCelloのFさんのように、
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》
と思う人がやはりいてくれる。

Date: 10月 15th, 2022
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(アルテック604の現在)

Great Plains Audio(グレート・プレーンズ・オーディオ)は、
1998年にアルテックの資産を受け継いで創業している。

一時期、活動を停止した、というウワサも耳にしたけれど、
いまはまた活動しているようである。

グレート・プレーンズ・オーディオ(GPA)のサイトを見ると、604の最新版がある。
604-8E IIと604-8H IIとがある。

604-8E IIがアルニコ仕様で、604-8H IIがフェライトである。
フレームの形状からいえば、604Eではなく、
604-8Gもしくは604-8Hの後継機となるのだが、そのところはまぁどうでもいい。

私が気になるのは、というか、アルテック時代の604シリーズと大きく違うのは、
ホーンである。

GPAのサイトには604-8E IIと604-8H IIの真横からの写真がある。
ホーンがフレームよりも前面に突き出している。

アルテックの604のホーンはフレームよりも前に出ていない。
だからユニットを下に向けて伏せて置くことができる。

新しい604は、もうできない。
音のため、なんだろう、とは誰だって思う。

音が良ければ、突き出している方がいい、という捉え方もできる。

ホーンがフレームよりも前に張り出している同軸型ユニットは、
604-8E IIと604-8H II以前にも存在していた。

それだから、どうでもいいことじゃないか、と割り切れればいいのだが、
どうも私は、この点が気になる。

GPAの同軸型ユニットのホーンがフレームよりも前に突き出ていてもいいのだけれど、
ならば604という型番ではなく、違う型番にしてほしかった。

八年前、別項で、
美は結論である。
己の結論に節制をもつことが、オーディオマニアとしての「美」である、
と書いた。

いまもそう思っている。
アルテックの604にあって、GPAの604にはないもの、
それに気がついてほしい。