2025年ショウ雑感(その16)
dCSのVarèseは、どうだったのかというと、ありきたりになるが凄かった。
CDトランスポートを加えると全体で六筐体。縦型のラックに収められているのを見て、
壮観だな、と思うか、なんと大袈裟な、と思うか。音を聴くまでは、人それぞれだっただろうが、
その音を聴いてしまうと、この規模があっての音なのか、と納得するはず。
土方久明氏の選曲は、ケルテス指揮ウィーンフィルハーモニーによる「新世界より」。
古い録音なのだが、見事だった。
聴いていて、五味先生のことを思い出していた。
ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」での南口重治氏の4350Aの音について書かれていたことを思い出していた。
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プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
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さらに五味先生は《仮りに私が指揮を勉強する人間なら、何を措いてもこの再生装置を入手する必要がある、と本気で考えていたことを告白する。》
とまで書かれている。
五味先生が南口氏の音を聴いての衝撃は、これと同じか、きわめて近いのでは──、
そんなふうに思いながらも、では昂奮していたのかというと、割と冷静だった。