純度と熟度(ディープエンドオーディオ)
ハイエンドオーディオという言葉が、昔から嫌いだった。
こんなことを書くと、 ハイエンドオーディオ機器を買えないことからの僻みだろう、と言われようが、
ハイエンドオーディオと呼ばれているオーディオ機器が嫌いとか認めないとかではなく、
ハイエンドオーディオという言葉そのものが嫌いなのだ。
ハイエンドオーディオって、高域まで伸びているオーディオのことですね──、そんなふうに言ったりしていたことも二十代のころはあった。
ハイエンドオーディオという言葉を、たぶんこれから先も好意的に使うことはない、すらいえる。
もちろん他人がハイエンドオーディオという言葉を、有り難かったり、
自分自身を大きく見せるために使うのは、ご自由に、と思う。
少し前からディープエンドオーディオと書くようになった。
もうひとつ言葉としての響きがよくないと自分でも感じているが、
深みを目指していくのだから、いまのところ、かわりのいい感じの言葉が思いつかない限りは、
ディープエンドオーディオを使っていくことになるが、
ディープエンドオーディオには高能率のスピーカーが絶対的に欠かせない存在である。