Archive for category ロマン

Date: 2月 21st, 2024
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その15)

その14)で書いている、
聴いたオーディオ機器の数をあからさまに水増しする当人には、
そういう意識はなかったのかもしれない。

私の考えでは、比較試聴をした場合か、自分でじっくり鳴らしてみたオーディオ機器は、
聴いた、といえるし、聴いたことのあるオーディオ機器として数える。

アンプでもスピーカーでもいいのだが、
スピーカーを二機種、同条件で比較試聴する機会があったとしよう。
この場合は、二機種聴いた、といえるし、誰もが納得するはずだ。

けれどどちらか片方だけのスピーカーを、オーディオ店の店頭でただ聴いただけでは、
どうだろうか。

そのオーディオ店に頻繁に通っていて、
そこで鳴っている音を熟知しているのであれば、
いつもの同じラインナップで、スピーカーだけがいつもの違うモノが鳴っていたとしたら、
これはこれで一機種聴いた、といえる。

けれどそういえないところで、スピーカーを一機種聴いた場合は、
そこで鳴っているシステム・トータルの音を聴いただけであって、
他のスピーカーの音を聴かない限り、スピーカーを一機種聴いたとはいえない。

それでも、聴いた、と主張するオーディオマニアがいるのは事実だ。
この人は、そうやって増えていく(彼が聴いたと主張するオーディオ機器の)数を、
どう捉えているのか。

自分は同年代で、もっとも多くのオーディオ機器を聴いている者だ、と自負したいのか。
さらには、世代をこえて、世界一多くのオーディオ機器を聴いた者として認められたいのか。

その数を増えしていくことが、彼にとってのロマンなのか。
それはギネスブックに掲載されることを目的とする人と近いのだろうか。

Date: 11月 17th, 2022
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その11)

火曜日(11月15日)の夜、四人の集まりだった。
あれこれ楽しい会話が続いた。

そこで、好きということについてが話題になり、一つ思い出したことがあった。
いまから二十年以上昔の話だ。
まだスマートフォンは存在していなかった。

インターネットも普及しているとは、まだいえないような、そんな時代のころだ。

夜、電車に乗っていた。
私の近くに、二十代と思われる男女のカップルがいた。
男が、「キューブリック監督のファンなんだ」と女に話した。
女は「キューブリックって、どんな監督? どんな作品が好きなの?」と訊く。
それに対して男は「フルメタル・ジャケット」と答える。
女は「フルメタル・ジャケット?」「他にはどの作品が好きなの?」と。

男は少し間をおいてふたたび「フルメタル・ジャケット」という。
女はさらに「他には?」と。
男は、また「フルメタル・ジャケット」と答えていた。

キューブリック監督のファンとはいえない私でも、
他の作品はもちろんいくつか知っている。

それでも二人は見つめ合っていた。
女があきれた、とか、蔑むように男を見ていたのではなかった。
なんら二人の仲に変化はなかったように見受けられた。

男は、おそらく「フルメタル・ジャケット」しか、
キューブリック監督の作品は観ていないのだろう。
もしかすると、「フルメタル・ジャケット」も観ていないのかもしれない。
「フルメタル・ジャケット」について、何かを話していたわけでもなかったからだ。

笑い話でもあるわけだが、これでもいいようにも、いまは思うことがある。
当人同士が惚れ合っているのだから、それでいいのだろう。

「フルメタル・ジャケット」しか挙げられようでは、
キューブリック監督のファンとはいえない──、そう言うのはできるけれど、
本人が好きだ、というのであれば、周りがとやかくいうことではない。

まして好きということは、比較するようなことではない。
キューブリック監督の作品をすべていえる人は、
そしてすべての作品を観ている人は、電車の男よりも、
一般的にはキューブリック監督のファンということになる。

私も、そう思う。
それでも当人同士がしあわせなのだから、それでいいじゃないか、
本人(男)がキューブリック監督のファンだといい、相手(女)は疑わないのだから。

Date: 10月 9th, 2022
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その10)

一年ほど前、
別項「オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その8)」で、
音元出版のanalogが良くなっていることに気づいた、と書いた。

不満がないわけではないが、期待もしている。
そのanalogの最新号、vol.77に赤塚りえ子さんが登場されている。

「レコード悦楽人Special 赤塚りえ子さん」という記事だ。
「レコード悦楽人」は連載記事で、今回の赤塚さん登場の記事には、specialがつく。

赤塚りえ子さんが登場しているからなのか、
vol.77からの田中伊佐資氏の新連載のタイトルは、
「レ・レ・レ・トーク」である。

レコ好きのレコ好きによるレコ好きのための、とあるから、
それゆえのレ・レ・レなのだろうが、
私くらいの世代だと、やはり「レレレのレー」であり、レレレのおじさんが、
まっさきに浮んでくる。

文藝春秋から「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」のという本が出ているくらい、
レレレ・イコール・赤塚不二夫とレレレのおじさんである。

9月29日から、
フジオプロ旧社屋をこわすのだ!!」展がやっている。
10月30日までの開催予定だったのだが、早くもチケットが完売になったため、
11月3日から11月20日まで会期延長される。

チケット販売開始は10月17日、午前0時から。
詳細は上記のリンク先をご覧いただきたい。

私は10月7日に行ってきた。
最寄りの駅は西武新宿線の下落合。
初めて降りる駅だな、と思いながら、下落合の改札を出て、
あれっ? と感じていた。
来たことある、何度か来ている、と思い出した。

私がステレオサウンドにいたころ、エレクトリは下落合にあった。
フジオプロ(旧社屋)はエレクトリの近くにある。

Date: 1月 17th, 2022
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その9)

「好きだから……」と「好きなのに……」。
この二つの狭間で揺れ動いたことがなければ、
好きという感情の表現はできないのかもしれない。

Date: 1月 1st, 2022
Cate: ロマン

2022年の最初に

今日は1月1日だから、四週間後には一つ歳をとる。
一年と四週間後には、さらに一つ歳をとって、六十になる。
還暦か……、と自分でも驚く。

それだけ生きてきても、いままでやってこなかったことはいくつもある。
山ほどある、といってもよい。
誰だってそうである。

未体験・未経験のことのほうが、体験・経験したことよりもずっと多いはずだ。
なので嘆くことではないと思っているのだが、
意外にも、初めてだったのか、と気づいたことがあった。

昨年の12月31日に日付が変ったころ、深夜に、手紙を書いていた。
書いていた、といっても手書きではなく、iPhoneで入力していた。

ある人に想いを伝える手紙だから、
ラヴレターと呼ばれる類である。

書き始めてすぐに気づいたことがある。
生れて初めてのラヴレターであることに、気づいた。

これまでの人生で、想いを寄せた人に告白したことはもちろんあるが、
ラヴレターでの告白ということは一度もしてこなかった。

自分でも意外だった。
この歳になって、初めて書いている。

ならば便箋を選んで、きちんと手書きにしろよ、と自分でも思ったりしたわけだが、
でも、もしそうしていたら、手が震えて、何回も書き直していただろうし、
そうしているうちに書くのをやめてしまっていたかもしれない。

初めてのラヴレターなのに、iPhoneで書いて、書き終ったらすぐに送信。
味気ないといわれれば否定しないけれど、
だからこそ相手に送れた、という面もある。

いまの若い人たちは、ラヴレターを書いているのだろうか。
そんなことも思っていたし、
私と同じ世代、上の世代の人たちは、やはり書いていたのだろう、とも思っていた。

どれだけの人が書いていたのか、わからない。
親しい人との会話でも、そのことが話題になったことはない。

みんな書いていたのだろうか。

とにかく、私は六十をほぼ一年後に迎えるいま、初めて書いた。
新しい経験だったわけだ。

ここからがオーディオのことだ。
ラヴレターでもそうだったわけだから、
オーディオに関しても、同じことがあるはずだ。

やっていたつもりなのに、まだ経験してこなかったことがきっとある。
六十までの一年と四週間、
その間に、オーディオに関しての、そういうことを見つけ出していこう、と思っている。

Date: 6月 10th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その8)

この項を書き進めていると、瀬川先生の、この文章が浮んでくる。
     *
 どういう訳か、近ごろオーディオを少しばかり難しく考えたり言ったりしすぎはしないか。これはむろん私自身への反省を含めた言い方だが、ほんらい、オーディオは難しいものでもしかつめらしいものでもなく、もっと楽しいものの筈である。旨いものを食べれば、それはただ旨くて嬉しくて何とも幸せな気分に浸ることができるのと同じに、いい音楽を聴くことは理屈ぬきで楽しく、ましてそれが良い音で鳴ってくれればなおさら楽しい。
(虚構世界の狩人・「素朴で本ものの良い音質を」より)
     *
オーディオは科学技術の産物ゆえに、技術的なことを語ろうとすれは、
際限なく語れるところがある。
しかも難しく語ろうと思えば、そうすることも際限なくできるし、
しかつめらしい顔をして深刻ぶることもたやすい。

菅野先生がいわれていたネアカ重厚の反対で、
ネクラ軽薄な人ほど、深刻ぶるのが得意なようだし、好きなようだ。

オーディオを介して音楽を聴くということは、
瀬川先生がずっと以前に書かれているように、《もっと楽しい》ものだ。

深刻ぶってしまったら、幸せな気分に浸ることは、もうできなくなる。

Date: 2月 5th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その7)

昨晩は音楽好きの人たちとの新年会だった。
こういう状況下だから、五人だけで、個人の広いリスニングルームでの新年会だった。

大きなスクリーンに、
モロッコ、インドの音楽フェスティヴァルを、
現地に行って録画したものが映し出されていた。

そこに、リスニングルームの主が踊っているシーンがあった。
楽しそう、というより心底楽しんでいる様子が映し出されていたのを見ていて、
音楽に限らず、何かが好き、ということは、こういうことなのか、と改めて思っていた。

気づかれている方もいると思うが、
その2)で触れているAさんは、
10月のaudio wednesdayでDJをやってくれた赤塚りえ子さんである。
リスニングルームの主も赤塚さんである。

赤塚さんが好きなものについて語っている表情は、
見習わねばと思うけれど、マネできないな、とも思ってしまう。

そして、私はほんとうに音楽が好きなのか、オーディオが好きなのか、といったことまで、
つい考えてしまう。

そんなことを考えてしまうこと自体が、
赤塚さんのようにストレートに好きという感情を表現できないところにつながっている──、
そう思いながらも、もっと単純に捉えてしまえればいいのに──、
とまた別の方向へと考え込んでしまう。

私のことはどうでもいいのだが、
これまで知り合うことのできたオーディオ好き、音楽好きの人、
つまり男性で、赤塚さんのような人がいたか、とふり返っても、
誰一人として思い浮んでこない。

そういう人と出会ったことがないから、この項を書き始めたわけだし、
書いていて、またひとつ思い出したことがある。

Date: 1月 4th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(余談)

昨年の大晦日の帰り道、
私の頭のなかに浮んでいたのは、
アン・ルイスの「女はそれを我慢できない」、
映画「女はそれを我慢できない」、
この二つのタイトルだった。

大晦日の「それ」とは、
いい音である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その6)

昨晩、「戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)」で、
冒険と逃避は違う、と書いた。

レコード(録音物)を携えて旅に出たとしても、冒険と逃避は違う。
それに井の中の蛙を決め込んでいる人もいるけれど、これも逃避である。

逃避している人(オーディオマニア)が、
オーディオに関心をもってもらおうとして、
「オーディオは素晴らしい」、
「いい音で音楽を聴くことを体験してみて」とか、いったところで、
相手のこころに届くのだろうか。

音楽好きの人は多い。
その何分の一かでも、いい音で聴くことに目覚めてくれれば、
オーディオの世界は活性化する──、
そう考えている人は、オーディオ業界の人のなかにも、
オーディオマニアのなかにも少なからずいる。

どうすれば、そういう人が振り向いてくれるのかを、SNSに書く人もいる。
それらのなかには、音楽好きの女性にオーディオに関心を持ってもらいたい──、
というのもけっこう多い。

気持はわかる。
私も20代のころは、そんなことを考えていたし、
その後も、なぜ、女性の音楽好きはオーディオに関心を持たないのか、ということで、
仲間内で意見を交わしたこともある。

オーディオマニア(男)は、そこでオーディオの素晴らしさ、
いい音で音楽を聴くことの素晴らしさを訴えているだけではないのだろうか。
さらにはオーディオの知識や持っているオーディオ機器をひけらかすだけかもしれない。

そんなことよりも、
オーディオが好き、という感情をストレートに相手に伝えたほうがいいように思うようになった。

ここで男は──、とか、女は──、といったことを書くと、
そんなことはない、個人差のほうが大きい、とかいわれそうだし、
そうだと思うところは私にもあるのだが、
それでも好きという感情をストレートに伝えることが上手なのは、女性であると感じている。

私自身もオーディオが好きという感情を、どれだけ相手に伝えてきたのだろうか。

Date: 9月 9th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その2)

手塚治虫のブラックジャックは、掲載誌・少年チャンピオンを毎号買って読んでいた。

1973年からの連載開始だから、10歳の時から読んでいる。
二週にわたっての回もあったが、
ほとんどが一話完結であり、掲載誌が少年誌ということもあって、
10歳の小学生が読んでも面白かった。

少年チャンピオンで読み、単行本も買っては、また読んでいた。
何度も読み返した。
なので、ほとんどの話は、冒頭の二、三ページ読めば、思い出せる。
どういう最後なのかも思い出せる。

ブラック・ジャックは、成人してからも何度か読んでいる。
一年ほど前にも読み返している。

これだけ何度も読んでいるのだから、もう感動することはない──、
そんなことはまったくなく、むしろ逆である。

小学生のころは、さらっと読んだだけでわかったつもりになっていた。
十分楽しんだつもりでいた。

けれど、いま読み返すと、小学生のころ、さほど感動しなかった話が、
重みをまして、読み手のこちらに迫ってくる。

子供向けのマンガだから──、という手抜きはない。
それでもブラック・ジャックは、いまどきのマンガと比較すると、
一見、絵も話も単純なようにみえなくもない。
細部にこだわりぬいたマンガではない。

いまどきのマンガになれてしまった読み手には、どことなくものたりないのかもしれないが、
そうみえるだけである。

大人になって、いい歳になって……、といわれるような年齢になっても読み返している。
ブラック・ジャックに感じているのと同じものを、
9月のaudio wednesdayは感じていた。

Date: 9月 4th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その1)

これまで電車の中、公園だったり、友人の仕事場、
それから忘年会の途中など、日付が変るまでブログを書けない時は、
とにかく書けるところで書いてきた。

今日は、audio wednesdayの途中で書いている。
昼間、書く時間がとれなかったために、
それにどうやっても日付が変る前には帰りつかないのは確実なため。

今日のaudio wednesdayのテーマは、ここでのタイトルそのままである。
こういうテーマだから、テーマにそうCDを持ってこられる方は、もしかするとゼロかもしれない……、
そんなことも、少しは心配していた。

今回、二回目のIさんが、ぴったりのCDを三枚、
常連のHさんが一枚、持ってこられた。

その中の一枚、
「山下毅雄を斬る~大友良英プレイズ・ミュージック・オブ・山下毅雄」、
このディスクに収められている音楽と、
ジャケットのギャップが、すごいというか、楽しい。

どんなジャケットなのかは、Googleででも検索してほしい。
このCDを、オーディオショウに持参して、どこかのブースで、かけてください、と手渡したら、
怪訝な顔をされるかもしれない。

それでも、このディスクに収められている音楽は、
昭和男なら、必ず楽しめるはずだし、
そうでなくとも音楽に妙な偏見を持っていない聴き手であれば、
昭和男のバックグラウンドを持たずとも楽しめる。

ジャケットだけで判断して、関心すら持たないというのが、
音楽の聴き手としては、絶対にやってはいけない行為だ。

今回集まったCD(音楽)をまとめて聴いて、あらためて感じたのは、
昭和の、この種の音楽のストレートであること、
多彩で贅沢であること、
これらの音楽をテレビについていた小さなスピーカーで、昭和男は聴いてきた、ということである。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その5)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)」で書いている知人。
彼も、自身をオーディオマニアという。

けれど、私から見れば、
知人はオーディオ機器を頻繁に買い替えるのが趣味の人である。

オーディオに関心も理解もない人からすれば、
知人も立派なオーディオマニアとして映っていることだろう。

むしろ、それだけ頻繁に買い替える、
つまりそれだけお金を、人よりも多くかけているわけだから、
そうとうなオーディオマニアということになろう。

いやいや、彼は買い替えるのが趣味の人だから……、と、
そんなことを私がいったところで、「それでもオーディオマニアでしょ」と返ってくるか、
もしかすると「それこそがオーディオマニアでしょ」といわれるかもしれない。

そんな彼でも、オーディオにそれだけのお金をかけているわけだから、
オーディオが好きなことに違いない、とは思う。

でも、その「好き」と、
私がおもっている「好き」とでは、オーディオに限っても大きく違っている。

「好き」に関しても、人それぞれと(その4)に書いたばかりだから、
知人の「好き」にも理解を示さなくてはならないだろうが、
やはり、どこかで知人の「好き」に関しても、
女性のオーディオマニアの「好き」に関しても、
疑ってしまうところが、私にはある。

つまり「好き」という感情が、こちらに伝わってこないからだ。
この伝え方も、人それぞれであり、
うまく伝えられる人、そうでない人もいるし、
初対面の人に対して、そうそううまく伝えられる人のほうが少ないであろう。

そんなことはわかっている。
けれど、(その1)で紹介した魯珈のカレー、
その2)のAさんの話からは、この「好き」という感情が、
ストレートにこちらに伝わってくる。

しかも、そのストレートぶりは、女性だからこそできることなのかもしれない、
そんなふうにもおもえるからこそ、この項を書いている。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(コメントを読んで・その2)

女性のオーディオマニアが登場したスイングジャーナルは、もちろん読んでいる。
スイングジャーナルの記事として、いつもの内容だった、と記憶している。

ひどい記事だな、と感じたら、それなりに記憶しているものだから、
決してひどくはなかったはずだ。

それでも、その女性のオーディオマニアは、気にくわなかったようだ。
つまり彼女が話したことを、うまく編集部がまとめられなかった、ということだろう。

話したことをそのまま文字に起して、細部を手直ししたくらいで、
雑誌にのせられる内容になることは、まずない。

菅野先生ぐらいである。
菅野先生が一人で話されたことは、テープ起しして、
少しだけ細部を手直しすれば、全体の構成といい、問題なく掲載できる内容に仕上がる。

けれど、私がいたころ、このレベルの人は菅野先生だけだった。
たいてい構成も変えて、かなり言葉も追加して、という作業が必要になる。

スイングジャーナルに、女性のオーディオマニアが話されたことを、
直接聞いたわけではないし、どの程度のことが活字になったのはなんともいえないが、
少なくとも、彼女が、彼女自身が思っているほどにはきちんと話せていなかったのではないだろうか。

彼女のなかでは、こんなふうに話したつもりであっても、
それはあくまでもつもりであって、未熟なものだった気もする。

なにも、このことは、この女性のオーディオマニアの話のレベルが……、ということではない。
たいていの人がそうなのだ、ということをいいたいだけである。

これはセルフイメージと現実とのズレであり、
彼女自身、自分が話したことを冷静に聞き直して、
できればテープ起ししてそれを読んでみれば、
スイングジャーナルの記事に対して、少しは好意的になれた──、とはおもう。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(コメントを読んで・その1)

(その4)にfacebookでコメントがあった。

そこには、セルフイメージのコントロールに関して、
その時代では、女性の方が意識的であった、ということなのかも……と。

セルフイメージのコントロールという表現は考えていなかったけれど、
似たようなことは、この項を書いていて感じていた。

2014年11月の「うつ・し、うつ・す(その4)」で、
小林悟朗さんがいわれたことを取り上げている。

女性は毎日鏡を見る。その時間も男性よりもずっと長い。
つまり小林悟朗さんは、オーディオから鳴ってくる音を鏡として捉えられていて、
オーディオマニアにとって音を良くしていく行為は、
鏡を見て化粧することで、女性が自分自身を美しくしていく行為に近いのではないか──、
という考えを話してくれた。

だとしたら、毎日長い時間鏡の前にいる女性には、もうひとつの鏡であるオーディオは必要としないのではないか。

女性のオーディオマニアが極端に少なく理由についての、
小林悟朗さんの考察を、この項を書いていて思い出していた。

そのことに触れるつもりはなかった。
書き始めると、またテーマから逸れてしまうことになるからだ。

でもコメントを読んで、少しだけ書こう、という気になった。

化粧も、セルフイメージのコントロールといえよう。
確かに、女性はセルフイメージのコントロールに関しては、意識的であろう。

1985年当時は、男性で化粧する人は珍しかったけれど、
最近では、男性でもセルフイメージのコントロールに関しては、
そうとうに意識的な人が増えているんだろうなぁ、と思いつつも、
スイングジャーナルとステレオサウンドに登場した女性のオーディオマニアは、
どんなセルフイメージを抱いていたのだろうか、その当時は。

Date: 5月 19th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その4)

なんでもスイングジャーナルに掲載された内容に満足していないから、らしかった。
スイングジャーナルの記事は、その女性のオーディオマニアの書き原稿ではなく、
彼女が話したことを編集部がまとめてのものだった。

そのまとめが気にくわなかったか、
ステレオサウンドに対しても、そんなことにならないように事前にチェックしたい、と。

私のまとめに満足していただけたようで、問題ない、との返事だった。

スイングジャーナルの記事よりも、だから私にとって、
この女性のオーディオマニアの第一印象は、このことが大きく関係している。

彼女はその後、読者代表ということで、
井上先生の使いこなしの記事にも登場している。
この記事の担当も私である。

その数ヵ月後に、井上先生の記事に一緒に登場した、もう一人の読者代表の人と二人で、
彼女のリスニングルームに行き、音も聴いている。
何度か、それからも会っている。

このブログで、何度も、人それぞれだ、と書いてきている。
ほんとうに、人それぞれだと思っている。

オーディオマニアに限っても、人それぞれであり、
同世代、世代が近くても、人それぞれだなぁ、と深い溜息をつきたくなることもある。

いい意味でも悪い意味でも、人それぞれであることを、
歳を重ねされば重ねるほど実感してきているわけだから、
彼女一人を例に挙げて、女性のオーディオマニアは……、ということはいえないのは承知している。

それでも、この女性のオーディオマニアの「好き」という感情を、
どこかで疑ってしまいたくなる。

ほんとうに彼女はオーディオが好きなのか。
この「好き」に関しても人それぞれなのはわかっていても、そう感じてしまう。