Archive for category ロマン

Date: 2月 5th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その7)

昨晩は音楽好きの人たちとの新年会だった。
こういう状況下だから、五人だけで、個人の広いリスニングルームでの新年会だった。

大きなスクリーンに、
モロッコ、インドの音楽フェスティヴァルを、
現地に行って録画したものが映し出されていた。

そこに、リスニングルームの主が踊っているシーンがあった。
楽しそう、というより心底楽しんでいる様子が映し出されていたのを見ていて、
音楽に限らず、何かが好き、ということは、こういうことなのか、と改めて思っていた。

気づかれている方もいると思うが、
(その2)で触れているAさんは、
10月のaudio wednesdayでDJをやってくれた赤塚りえ子さんである。
リスニングルームの主も赤塚さんである。

赤塚さんが好きなものについて語っている表情は、
見習わねばと思うけれど、マネできないな、とも思ってしまう。

そして、私はほんとうに音楽が好きなのか、オーディオが好きなのか、といったことまで、
つい考えてしまう。

そんなことを考えてしまうこと自体が、
赤塚さんのようにストレートに好きという感情を表現できないところにつながっている──、
そう思いながらも、もっと単純に捉えてしまえればいいのに──、
とまた別の方向へと考え込んでしまう。

私のことはどうでもいいのだが、
これまで知り合うことのできたオーディオ好き、音楽好きの人、
つまり男性で、赤塚さんのような人がいたか、とふり返っても、
誰一人として思い浮んでこない。

そういう人と出会ったことがないから、この項を書き始めたわけだし、
書いていて、またひとつ思い出したことがある。

Date: 1月 4th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(余談)

昨年の大晦日の帰り道、
私の頭のなかに浮んでいたのは、
アン・ルイスの「女はそれを我慢できない」、
映画「女はそれを我慢できない」、
この二つのタイトルだった。

大晦日の「それ」とは、
いい音である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その6)

昨晩、「戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)」で、
冒険と逃避は違う、と書いた。

レコード(録音物)を携えて旅に出たとしても、冒険と逃避は違う。
それに井の中の蛙を決め込んでいる人もいるけれど、これも逃避である。

逃避している人(オーディオマニア)が、
オーディオに関心をもってもらおうとして、
「オーディオは素晴らしい」、
「いい音で音楽を聴くことを体験してみて」とか、いったところで、
相手のこころに届くのだろうか。

音楽好きの人は多い。
その何分の一かでも、いい音で聴くことに目覚めてくれれば、
オーディオの世界は活性化する──、
そう考えている人は、オーディオ業界の人のなかにも、
オーディオマニアのなかにも少なからずいる。

どうすれば、そういう人が振り向いてくれるのかを、SNSに書く人もいる。
それらのなかには、音楽好きの女性にオーディオに関心を持ってもらいたい──、
というのもけっこう多い。

気持はわかる。
私も20代のころは、そんなことを考えていたし、
その後も、なぜ、女性の音楽好きはオーディオに関心を持たないのか、ということで、
仲間内で意見を交わしたこともある。

オーディオマニア(男)は、そこでオーディオの素晴らしさ、
いい音で音楽を聴くことの素晴らしさを訴えているだけではないのだろうか。
さらにはオーディオの知識や持っているオーディオ機器をひけらかすだけかもしれない。

そんなことよりも、
オーディオが好き、という感情をストレートに相手に伝えたほうがいいように思うようになった。

ここで男は──、とか、女は──、といったことを書くと、
そんなことはない、個人差のほうが大きい、とかいわれそうだし、
そうだと思うところは私にもあるのだが、
それでも好きという感情をストレートに伝えることが上手なのは、女性であると感じている。

私自身もオーディオが好きという感情を、どれだけ相手に伝えてきたのだろうか。

Date: 9月 9th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その2)

手塚治虫のブラックジャックは、掲載誌・少年チャンピオンを毎号買って読んでいた。

1973年からの連載開始だから、10歳の時から読んでいる。
二週にわたっての回もあったが、
ほとんどが一話完結であり、掲載誌が少年誌ということもあって、
10歳の小学生が読んでも面白かった。

少年チャンピオンで読み、単行本も買っては、また読んでいた。
何度も読み返した。
なので、ほとんどの話は、冒頭の二、三ページ読めば、思い出せる。
どういう最後なのかも思い出せる。

ブラック・ジャックは、成人してからも何度か読んでいる。
一年ほど前にも読み返している。

これだけ何度も読んでいるのだから、もう感動することはない──、
そんなことはまったくなく、むしろ逆である。

小学生のころは、さらっと読んだだけでわかったつもりになっていた。
十分楽しんだつもりでいた。

けれど、いま読み返すと、小学生のころ、さほど感動しなかった話が、
重みをまして、読み手のこちらに迫ってくる。

子供向けのマンガだから──、という手抜きはない。
それでもブラック・ジャックは、いまどきのマンガと比較すると、
一見、絵も話も単純なようにみえなくもない。
細部にこだわりぬいたマンガではない。

いまどきのマンガになれてしまった読み手には、どことなくものたりないのかもしれないが、
そうみえるだけである。

大人になって、いい歳になって……、といわれるような年齢になっても読み返している。
ブラック・ジャックに感じているのと同じものを、
9月のaudio wednesdayは感じていた。

Date: 9月 4th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その1)

これまで電車の中、公園だったり、友人の仕事場、
それから忘年会の途中など、日付が変るまでブログを書けない時は、
とにかく書けるところで書いてきた。

今日は、audio wednesdayの途中で書いている。
昼間、書く時間がとれなかったために、
それにどうやっても日付が変る前には帰りつかないのは確実なため。

今日のaudio wednesdayのテーマは、ここでのタイトルそのままである。
こういうテーマだから、テーマにそうCDを持ってこられる方は、もしかするとゼロかもしれない……、
そんなことも、少しは心配していた。

今回、二回目のIさんが、ぴったりのCDを三枚、
常連のHさんが一枚、持ってこられた。

その中の一枚、
「山下毅雄を斬る~大友良英プレイズ・ミュージック・オブ・山下毅雄」、
このディスクに収められている音楽と、
ジャケットのギャップが、すごいというか、楽しい。

どんなジャケットなのかは、Googleででも検索してほしい。
このCDを、オーディオショウに持参して、どこかのブースで、かけてください、と手渡したら、
怪訝な顔をされるかもしれない。

それでも、このディスクに収められている音楽は、
昭和男なら、必ず楽しめるはずだし、
そうでなくとも音楽に妙な偏見を持っていない聴き手であれば、
昭和男のバックグラウンドを持たずとも楽しめる。

ジャケットだけで判断して、関心すら持たないというのが、
音楽の聴き手としては、絶対にやってはいけない行為だ。

今回集まったCD(音楽)をまとめて聴いて、あらためて感じたのは、
昭和の、この種の音楽のストレートであること、
多彩で贅沢であること、
これらの音楽をテレビについていた小さなスピーカーで、昭和男は聴いてきた、ということである。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その5)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)」で書いている知人。
彼も、自身をオーディオマニアという。

けれど、私から見れば、
知人はオーディオ機器を頻繁に買い替えるのが趣味の人である。

オーディオに関心も理解もない人からすれば、
知人も立派なオーディオマニアとして映っていることだろう。

むしろ、それだけ頻繁に買い替える、
つまりそれだけお金を、人よりも多くかけているわけだから、
そうとうなオーディオマニアということになろう。

いやいや、彼は買い替えるのが趣味の人だから……、と、
そんなことを私がいったところで、「それでもオーディオマニアでしょ」と返ってくるか、
もしかすると「それこそがオーディオマニアでしょ」といわれるかもしれない。

そんな彼でも、オーディオにそれだけのお金をかけているわけだから、
オーディオが好きなことに違いない、とは思う。

でも、その「好き」と、
私がおもっている「好き」とでは、オーディオに限っても大きく違っている。

「好き」に関しても、人それぞれと(その4)に書いたばかりだから、
知人の「好き」にも理解を示さなくてはならないだろうが、
やはり、どこかで知人の「好き」に関しても、
女性のオーディオマニアの「好き」に関しても、
疑ってしまうところが、私にはある。

つまり「好き」という感情が、こちらに伝わってこないからだ。
この伝え方も、人それぞれであり、
うまく伝えられる人、そうでない人もいるし、
初対面の人に対して、そうそううまく伝えられる人のほうが少ないであろう。

そんなことはわかっている。
けれど、(その1)で紹介した魯珈のカレー、
(その2)のAさんの話からは、この「好き」という感情が、
ストレートにこちらに伝わってくる。

しかも、そのストレートぶりは、女性だからこそできることなのかもしれない、
そんなふうにもおもえるからこそ、この項を書いている。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(コメントを読んで・その2)

女性のオーディオマニアが登場したスイングジャーナルは、もちろん読んでいる。
スイングジャーナルの記事として、いつもの内容だった、と記憶している。

ひどい記事だな、と感じたら、それなりに記憶しているものだから、
決してひどくはなかったはずだ。

それでも、その女性のオーディオマニアは、気にくわなかったようだ。
つまり彼女が話したことを、うまく編集部がまとめられなかった、ということだろう。

話したことをそのまま文字に起して、細部を手直ししたくらいで、
雑誌にのせられる内容になることは、まずない。

菅野先生ぐらいである。
菅野先生が一人で話されたことは、テープ起しして、
少しだけ細部を手直しすれば、全体の構成といい、問題なく掲載できる内容に仕上がる。

けれど、私がいたころ、このレベルの人は菅野先生だけだった。
たいてい構成も変えて、かなり言葉も追加して、という作業が必要になる。

スイングジャーナルに、女性のオーディオマニアが話されたことを、
直接聞いたわけではないし、どの程度のことが活字になったのはなんともいえないが、
少なくとも、彼女が、彼女自身が思っているほどにはきちんと話せていなかったのではないだろうか。

彼女のなかでは、こんなふうに話したつもりであっても、
それはあくまでもつもりであって、未熟なものだった気もする。

なにも、このことは、この女性のオーディオマニアの話のレベルが……、ということではない。
たいていの人がそうなのだ、ということをいいたいだけである。

これはセルフイメージと現実とのズレであり、
彼女自身、自分が話したことを冷静に聞き直して、
できれはテープ起ししてそれを読んでみれば、
スイングジャーナルの記事に対して、少しは好意的になれた──、とはおもう。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(コメントを読んで・その1)

(その4)にfacebookでコメントがあった。

そこには、セルフイメージのコントロールに関して、
その時代では、女性の方が意識的であった、ということなのかも……と。

セルフイメージのコントロールという表現は考えていなかったけれど、
似たようなことは、この項を書いていて感じていた。

2014年11月の「うつ・し、うつ・す(その4)」で、
小林悟朗さんがいわれたことを取り上げている。

女性は毎日鏡を見る。その時間も男性よりもずっと長い。
つまり小林悟朗さんは、オーディオから鳴ってくる音を鏡として捉えられていて、
オーディオマニアにとって音を良くしていく行為は、
鏡を見て化粧することで、女性が自分自身を美しくしていく行為に近いのではないか──、
という考えを話してくれた。

だとしたら、毎日長い時間鏡の前にいる女性には、もうひとつの鏡であるオーディオは必要としないのではないか。

女性のオーディオマニアが極端に少なく理由についての、
小林悟朗さんの考察を、この項を書いていて思い出していた。

そのことに触れるつもりはなかった。
書き始めると、またテーマから逸れてしまうことになるからだ。

でもコメントを読んで、少しだけ書こう、という気になった。

化粧も、セルフイメージのコントロールといえよう。
確かに、女性はセルフイメージのコントロールに関しては、意識的であろう。

1985年当時は、男性で化粧する人は珍しかったけれど、
最近では、男性でもセルフイメージのコントロールに関しては、
そうとうに意識的な人が増えているんだろうなぁ、と思いつつも、
スイングジャーナルとステレオサウンドに登場した女性のオーディオマニアは、
どんなセルフイメージを抱いていたのだろうか、その当時は。

Date: 5月 19th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その4)

なんでもスイングジャーナルに掲載された内容に満足していないから、らしかった。
スイングジャーナルの記事は、その女性のオーディオマニアの書き原稿ではなく、
彼女が話したことを編集部がまとめてのものだった。

そのまとめが気にくわなかったか、
ステレオサウンドに対しても、そんなことにならないように事前にチェックしたい、と。

私のまとめに満足していただけたようで、問題ない、との返事だった。

スイングジャーナルの記事よりも、だから私にとって、
この女性のオーディオマニアの第一印象は、このことが大きく関係している。

彼女はその後、読者代表ということで、
井上先生の使いこなしの記事にも登場している。
この記事の担当も私である。

その数ヵ月後に、井上先生の記事に一緒に登場した、もう一人の読者代表の人と二人で、
彼女のリスニングルームに行き、音も聴いている。
何度か、それからも会っている。

このブログで、何度も、人それぞれだ、と書いてきている。
ほんとうに、人それぞれだと思っている。

オーディオマニアに限っても、人それぞれであり、
同世代、世代が近くても、人それぞれだなぁ、と深い溜息をつきたくなることもある。

いい意味でも悪い意味でも、人それぞれであることを、
歳を重ねされば重ねるほど実感してきているわけだから、
彼女一人を例に挙げて、女性のオーディオマニアは……、ということはいえないのは承知している。

それでも、この女性のオーディオマニアの「好き」という感情を、
どこかで疑ってしまいたくなる。

ほんとうに彼女はオーディオが好きなのか。
この「好き」に関しても人それぞれなのはわかっていても、そう感じてしまう。

Date: 5月 19th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その3)

女性のオーディオマニアは少ない。
音楽好きの女性は多いのに、
オーディオに凝っている人となると、極端に少なくなってしまうのはなぜか、
ということは、ずっと以前から語られ続けられていることだ。

その理由について、いろんな人がそれぞれに語っているけれど、
なぜだか極端に少ない、としかいいようがない。

そのせいか、女性のオーディオマニアは珍しがられる。
オーディオ雑誌に登場すれば、注目を集める。

1985年のスイングジャーナルに、一人の女性のオーディオマニアが登場した。
数ヵ月後、ステレオサウンドのベストオーディオファイルに、その女性が登場した。

菅野先生のベストオーディオファイルが始まったとき、
そのまとめは編集顧問のYさんだった。
その次が編集部のNさんだった、と記憶している。

1985年ごろは私がまとめをやっていた。
菅野先生と取材に行くのは、編集次長だった黛さんだった。

カセットテープに録音された菅野先生とオーディオマニアとの会話を文字起し、
規定の文字数にまとめる編集作業を、1985年ごろから辞めるまでは私がやっていた。

その女性のオーディオマニアの回も、私がまとめていた。
こんなことを書いているのは、その女性のオーディオマニアだけが、
掲載前に原稿をチェックしたい、と言ってきたからだ。

私がまとめをやっていた約四年間で、こんなことを言ってきたのは、
彼女が初めてだった。
それ以前にもいなかったし、それ以降もいない。
少なくとも1988年まではいなかった。

Date: 5月 19th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その2)

魯珈のことを書く気になったのは、
別項「会って話すと云うこと(その24)」でのことがきっかけになっている。

一次会のお終りまぎわに、オーディオという単語に反応した人がいた。
十一人の参加者中、女性は三人。
オーディオに反応した人は、女性(Aさん)だった。

田口スピーカーを、知っています?」という反応だった。
反応があったことも意外だったけれど、
田口スピーカーを鳴らしている、ということも意外だった。

一次会では、その女性と私が坐っていた席は、けっこう離れていた。
音楽好きな人だということは、聞こえてくる会話でわかっていた。
それでも、音に強い関心があるとは、一次会ではわからなかった。

二次会では、たまたま隣の席だった。
Aさんは、iPhoneに収められている写真を見せてくれた。

「これなんですよ」と言いながら見せてくれた写真に写っていたのは、
私が勝手に想像していたスピーカーよりも、ずっと大型というか、
そうとうに大型のフロアー型だった。

しかも専用のリスニングルームといえる空間に、
写真だけ見せられれば、
そうとうなオーディオマニアの部屋だと思ってしまうほどの雰囲気であった。

隣に坐っているAさんは、私よりも二つ下。
小柄であり、そんなふうには見えなかっただけに驚いただけでなく、
Aさんは、写真をいくつか見せてくれながら、楽しそうに語ってくれる。

Aさんは、女性のオーディオマニアなわけではない。

音楽がとても好きで、何かのきっかけで田口スピーカーと出逢い、
衝動買いしてしまった、とのこと。

田口スピーカーのラインナップには、けっこう数がある。
比較的小型のスピーカーがあるのは知っていたから、てっきりそれだと思っていた。

写真にあったのは、オーダーメイドに近いモノのようだった。

Date: 5月 6th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その1)

大久保に、spicy curry 魯珈(ろか)という店がある。
カレー店である。

私が、魯珈を知ったのは、たまたま前を通ったときで、開店してそう経っていない時だった。
この時は並ぶことなくすんなり食べられた。

でも、その直後にテレビで紹介されたようで、行列ができるようになった。
食べれば、行列ができるのも納得する。

二回目も、運が良かったのかすんなり食べられた。
でも三回目は行列(といってもそれほど長くはなかった)だった。

これが2017年のことだ。
2018年は一度も食べていない。

2018年1月に、テレビ番組の情熱大陸で店主が登場してからは、行列はすごくなった。
並ぶ気も失せるほどに長くなっていた。

2018年は一度も行っていないのでどうなのか知らないが、
2017年は、店主(女性)一人でやっていた。
店も狭い。大勢が一度に入れる店ではない。

期間限定のカレーもあるから、また行きたい(食べたい)と思っていても、
2019年も難しそうである。

魯珈のカレーは美味しい。
東京都内にどれだけのカレー店があるのか知らない。
魯珈と同じくらい美味しい店もあるだろうし、
魯珈も美味しい店かあっても不思議ではない。

それでも魯珈のカレーをまた食べたいとおもうのは、
食べてみればわかることなのだが、
店主のカレーが大好きという感情が伝わってくるようなところがあるからだ。

美味しいだけではない、
食べていて、変な表現だが嬉しくもなってくる。

これはなんだろう、なぜなんだろう、と思っていた。
ここで魯珈のことを書こうと一年くらい思っていた。

Date: 12月 14th, 2018
Cate: ロマン

オーディオのロマン(魔法の箱)

ひとつ前に、メリディアンのULTRA DACは魔法の箱のようだ、と書いた。
オーディオ機器は、たいてい箱である。
アンプもD/Aコンバーターも箱といえるし、
スピーカーシステムも、最近では四角い箱の方が珍しくなりつつあるけれど、やはり箱といえる。

ULTRA DACは私にとっては魔法の箱のような存在であっても、
私とまるで違う音楽の聴き方をする人には、魔法の箱でもなんでもなく、
単なる箱、木箱くらいの存在でしかないだろう。

別の人には銅の箱、また別の人には銀の箱、金の箱かもしれない。
銅や銀の箱といえるオーディオ機器とは巡りあえよう。
金の箱といえるオーディオ機器との出逢いもまれではあるだろうが、ないわけではない。

けれど魔法の箱といいたくなるオーディオ機器との出逢いは、
単に、そのオーディオ機器が優れているだけでは無理である。

使い手との相性、使い手の実力があってこその魔法の箱のはずだ。

一時(いっとき)でもいい、
魔法と箱と信じられるオーディオ機器と出逢えた人はロマンを信じられる人のはずだ。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: ロマン

オーディオのロマン(ふとおもったこと)

EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』も、
昨晩のaudio wednesdayでは、だから聴けなかった(鳴らせなかった)。

店主の福地さんに頼んで、喫茶室のスピーカーで鳴らしてもらった。
こちらの部屋に漏れてくる歌を聴いていて、ふとおもったことがある。

JBLで音楽を聴いている人は、ロマンティストなんだ、と。
もちろんJBLで聴いている人すべてがそうだとはいわないし、
現在のJBLのラインナップのすべてを、ここに含める気もさらさらないが、
私がJBLときいてイメージするスピーカーシステムで聴いている人は、
やはりロマンティストだ。

Date: 3月 18th, 2018
Cate: ロマン

オーディオのロマン(ソニー SS-R10・その1)

1996年だったか、ソニーからコンデンサー型スピーカーシステムSS-R10が登場した。
ペアで300万円という価格もそうだったが、それ以上にソニーからコンデンサー型、ということでも、
驚いた記憶があるし、ながくオーディオをやっている人ならば、
ソニーとコンデンサー型スピーカーとが結びつきにくかっただろう。

唐突に登場してきた感があった。
ソニーはコンデンサー型マイクロフォンは、それ以前から手がけていたのだから、
それほど唐突でもないだろう、といわれるかもしれないが、
ソニーのスピーカーの流れを知っていれば、唐突といえたし、
SS-R10の技術を活かした普及クラスの製品や、後継機種が登場したわけでもない。

唐突だな、は、いつしか唐突だったな……、に私の中では変っていた。

2010年秋、瀬川先生の文章を集中的に入力していた数ヵ月がある。
そのとき気づいた。
ステレオサウンド 5号、瀬川先生の「スピーカーシステムの選び方まとめ方」、
その中に、こう書いてあった。
     *
 コンデンサー型スピーカーについては、中〜高域の透明な美しさにくらべて、低音域の厚みが不足したり、力強さがないなどという意見がよく聞かれる。その当否は別として、QUADのスピーカーを中域から上で使うようにして、低域をふつうのコーン型のウーファーに分担させるという、ソニーの大賀氏のアイデアを実際に聴かせて頂いて仲々よい音質だったので、使いこなしのひとつのヒントとしてご紹介させて頂く。
     *
聴かせて頂いて、とあるから、大賀典雄氏のシステムだったのだろう。
つまり大賀氏は、この時期(1967年ごろ)、QUADのESLを鳴らされていたことになる。

これがSS-R10と結びついた。
私のなかでむすびついただけであって、事実かどうかはわからない。
けれど、SS-R10開発のゴーサインは、大賀氏が出されたのではないだろうか。

SS-R10はコンデンサー型とは思えない重量である。
スピーカー本体が78kg、別筐体のネットワークが18kg、100kg近い。
QUADのESLはネットワークは内蔵されていて、18kg。
ずいぶんと違う。
どちらも3ウェイである。

ソニーという会社とQUADという会社の規模の違いともいえそうな、
この重量の違い、いいかえれば物量投入の違いは、
QUADのESLを鳴らしながらも、
低音をコーン型ウーファーで補っていた大賀氏の不満から生じたもののような気もする。