好きという感情の表現(その8)
この項を書き進めていると、瀬川先生の、この文章が浮んでくる。
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どういう訳か、近ごろオーディオを少しばかり難しく考えたり言ったりしすぎはしないか。これはむろん私自身への反省を含めた言い方だが、ほんらい、オーディオは難しいものでもしかつめらしいものでもなく、もっと楽しいものの筈である。旨いものを食べれば、それはただ旨くて嬉しくて何とも幸せな気分に浸ることができるのと同じに、いい音楽を聴くことは理屈ぬきで楽しく、ましてそれが良い音で鳴ってくれればなおさら楽しい。
(虚構世界の狩人・「素朴で本ものの良い音質を」より)
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オーディオは科学技術の産物ゆえに、技術的なことを語ろうとすれは、
際限なく語れるところがある。
しかも難しく語ろうと思えば、そうすることも際限なくできるし、
しかつめらしい顔をして深刻ぶることもたやすい。
菅野先生がいわれていたネアカ重厚の反対で、
ネクラ軽薄な人ほど、深刻ぶるのが得意なようだし、好きなようだ。
オーディオを介して音楽を聴くということは、
瀬川先生がずっと以前に書かれているように、《もっと楽しい》ものだ。
深刻ぶってしまったら、幸せな気分に浸ることは、もうできなくなる。