Date: 9月 22nd, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(美味しさと味の良さ・その2)

「五味オーディオ教室」に書いてあったことも思い出している。
     *
 ヨーロッパの(英国をふくめて)音響技術者は、こんなベテランの板前だろうと思う。腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と同じ材料を使っても、味を変える。家庭で一家団欒して食べる味に作るのである。それがプロだ。ぼくらが家でレコードを聴くのは、いわば家庭料理を味わうのである。アンプはマルチでなければならぬ、スピーカーは何ウェイで、コンクリート・ホーンに……なぞとしきりにおっしゃる某先生は、言うなら宴会料理を家庭で食えと言われるわけか。
 見事な宴席料理をこしらえる板前ほど、重ねて言うが、小人数の家庭では味をどう加減すべきかを知っている。プロ用高級機をやたらに家庭に持ち込む音キチは、私も含めて、宴会料理だけがうまいと思いたがる、しょせんは田舎者であると、ヨーロッパを旅行して、しみじみさとったことがあった。
     *
昨晩、Aさんと一緒に行った中華料理店、
そして三十数年前に行ったことのある、やはりこれも中華料理店、
この二つの店の料理の味の良さみたいなものは、
五味先生が書かれているようなことなのかもしれない。

もちろん、どちらの中華料理店で出てきた料理は、
完全な意味での家庭料理ではないのはわかっていても、
私たち以外の客層を眺めていても、そういうことなのかなぁ、と思ってしまう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は、
KEFのModel 303、サンスイのAU-D607、デンオンのDL103Dの組合せについて、
本筋の音と表現されていたことも、昨晩の料理の味に関係してくることとして思い出す。

本筋の音について、56号ではそれ以上の説明はされていない。

五味先生は
《腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と同じ材料を使っても、味を変える。家庭で一家団欒して食べる味に作るのである》
とされている。

これこそが本筋の音なのだろう。
「五味オーディオ教室」を読んで四十年以上が経つ。
その四十年間は、結局のところ、
「五味オーディオ教室」にある答に向ってのプロセスだったのだろう。

Date: 9月 21st, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(美味しさと味の良さ・その1)

三十数年前、ある中華料理店に行った。
池波正太郎氏が贔屓にしている、という店だった。

東京には、そういう店がいくつもあったし、
いまもGoogleで「池波正太郎 グルメ 東京」とかで検索すれば、
それらの飲食店がヒットする。

三十数年前は、20代前半だった。
美味しいといえば美味しいけれど……、と感じていた。

もう一度来よう、とは思わなかったから、
その店の前を通ることは幾度となくあったけれど、それきり行っていない。

その店も昨年末に、一旦閉店している。
再開するのかは知らない。

ここまで書けば、その店がどこなのかわかるだろうから、
店の名前は出さない。

今日、さきほどまで、友人のAさんと食事をしていた。
中華料理店であり、ここも池波正太郎氏のお気に入りの一つだ、と昔からいわれている。

食べていて、そしてAさんと味について話していて、ふと気づいた。
この歳になって、この店の美味しさ、というより、味の良さがわかるようになったのか、と。

三十数年前に一度だけ行ったきりの中華料理店にいま行けば、
きっと、美味しさうんぬんより、その良さに気づいたかもしれない。

どちらの中華料理店も、際立った美味しさはない。
けれど、なんといおうか、どちらにも、美味しさを含めての共通した良さがあるように感じた。

Aさんと帰り際に、今度は、これを食べましょう、と話したぐらいである。

Date: 9月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その4)

No.1のオーディオ雑誌とは、影響力の大きさで決るのか。
この影響力はわかりやすいようでいて、そうでない面もある。

それに影響力といっても、
それは読者に対しての影響力なのか、
クライアント(広告主)に対しての影響力なのか、ということもある。

もちろん読者に対しての影響力があれば、
それだけクライアントに対しての影響力も大きいはず、ではある。

けれど、それぞれのオーディオ雑誌の読者層は同じなわけではない。

以前、別項「598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その3)」で、
1980年代のオーディオ評論家の、国産メーカーによるランク付け的なことを書いている。

熊本市内のオーディオ店の店主が言っていたことなのだが、
オーディオ評論家でSクラスは長岡鉄男氏ひとり、
Aクラスが菅野沖彦氏と瀬川冬樹氏のふたり、
他の人たちはBクラス、Cクラスにランクされている、ということだった。

このランクづけを行っているのは、そのオーディオ店店主ではなく、
オーディオ業界、もっといえば国内メーカーということだった。
さらにいえば、おそらく営業関係者によるランクづけであろう。

つまり、この時代、国産のオーディオメーカー、
それも598のスピーカーシステムを売っているメーカーにとって、
長岡鉄男氏の存在は大きかったし、
長岡鉄男氏の影響力、
つまり598のスピーカーシステムを買う層に対しての影響力は、
他のオーディオ評論家よりもそうとうに大きかったわけである。

ならば、それだけ影響力のある長岡鉄男氏をメインの書き手として、
必ず毎号、長岡鉄男氏の記事が載っているオーディオ雑誌が、
影響力が大きいといえるかというと、そうとは言い切れない。

Date: 9月 20th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その4)

鐘の音といえば、ベルリオーズの幻想交響曲の第五楽章で鳴る。
とはいえ、実際のコンサートで鐘を鳴らすこともあるようだが、
チューブラーベルで代用されることも多い。

録音では、古いものだとチューブラーベルが大半だが、
1980年代ごろからか、実際の鐘を使った録音が増えてきているようだ。

広島の平和の鐘を使ったのが、アバドの幻想交響曲である。
デジタルで信号処理をして、ピッチを変えている。

幻想交響曲をそれほど聴いているわけではないが、
アバドの演奏での鐘の音は、聴き手のこちらが日本人だからということではなしに、
いいと思う。

アバドがなぜ広島の平和の鐘にこだわったのか、その理由までは知らない。
それでも、アバドの演奏での、広島の平和の鐘の響きは、美しいと感じる。

幻想交響曲での鐘の音と、ヨッフムのレクィエムにおける鐘の音は別ものである。
幻想交響曲では、スコアにそれが書かれている。

レクィエムには、そんなことは書かれていない。
ヨッフムのレクィエムでは、あくまでも始まりをつげる鐘でしかない。

にも関らず、その鐘の音に身の凍るような思いがするのは、どうしてなのか。

アバドの幻想交響曲はデジタル録音で、当時優秀録音ということで話題にもなったし、
ステレオサウンドの試聴でも、けっこうな回数、使われている。

ヨッフムのレクィエムは1955年のライヴ録音で、しかもモノーラルである。
優秀録音というわけでもない。

それでも、冒頭の鐘の音が、うまく鳴ってくれる(響いてくれる)と、
もうそれだけでぞくぞくする、そして身の凍るような思いがする。

幻想交響曲の鐘の音には、音楽性がある、といえよう。
ヨッフムのレクィエムでの鐘の音には、音楽性はない、といえよう。

なのに、私が聴きたい(うまく鳴らしたい、響かせたい)のは、
ヨッフムのレクィエムでの鐘の音である。

考えれば考えるほど、おかしな話ではないか。

Date: 9月 19th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その3)

瀬川先生が「夢の中のレクイエム」で書かれている。
     *
 最後にどうしても「レクイエム」について書かないわけにはゆかないが、誰に何と言われても私は、カラヤンのあの、悪魔的に妖しい官能美に魅せられ放しでいることを告白せずにはいられない。この演奏にはそして、ぞっとするような深淵が隠されている。ただし私はふつう、ラクリモサまでしか、つまり第一面の終りまでしか聴かないのだが。
 そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     *
私はCDで聴いている。
瀬川先生が書かれているように《冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのする》モーツァルトだ。
この鐘の音は、始まりをつげる音である。

モーツァルトのレクィエムに、鐘の音が含まれているわけではない。
その意味では、音楽とは無関係といおうとおもえば、いえなくもない。

それでも、初めてヨッフムのレクィエムを聴いたとき、
この鐘の音に、身の凍るような思いがした。

瀬川先生の文章の読みすぎだ──、といわれようが、
確かにそういう思いがした。

めったに聴く演奏ではないが、聴く度に、同じ思いがする。
以前に、鐘の音が含まれていない、
純粋に演奏だけを収録したCDが廉価盤で出ていた。

モーツァルトのレクィエムを、音楽だけで聴きたければ、廉価盤のほうだろう。
けれど、どちらかを残すとなれば、迷うことなく鐘の音が入っている盤である。

この鐘の音は、いったい何なのか。

Date: 9月 19th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その2)

駅のアナウンス、
それも特別なアナウンスではなく、ごく日常的なアナウンスを録音している人がいる。

写真を撮る鉄道マニアを撮り鉄というらしいが、
同じとりてつでも、こちらは録り鉄なのか。

けっこういい録音器材を使っている人もみかける。
録音しながらヘッドフォンでモニターしている。

録音が終り、帰宅してから、もう一度再生しているはずである。
駅での録音だから、どうしてもさまざまな雑音がまじっていることだろう。

だからこそ、雑音がほとんどなく、うまく録音できたのであれば、
相当に嬉しいはずだ。

でも、駅のアナウンスは、音楽はまったく関係ない。
あくまでも駅のアナウンスとして、であり、
録音している人たちも、音楽性なんてことはまったく考えていないはずだ。

うまく録れたときほど、何度も再生しては聴いて、にんまりするのだろう。
でも、それらの録音は、コレクションの一部と化してしまうのではないのか。

誰かに自慢するために、鳴らすことはある。
けれど、録音してから一年、五年、十年……、と経って、
どれだけの人がどれだけ以前の、そういった録音を聴き直すのか。

私の周りには、そういう録り鉄は一人もいない。
友人の知人にもいないようである。

なので、実際のところどうなのかはわからない。
あくまでも想像で書いているにすぎない。

そうなると、(その1)での放尿の録音と同じく忘れられていくのか。

放尿の音は趣味としての録音ではないはず。
駅のアナウンスの録音は、鉄道という趣味がバックグラウンドにある。

その違いがあるのはわかったうえで、これを書いている。

Date: 9月 19th, 2019
Cate: イコライザー

トーンコントロール(その7)

メリディアンの218はDSPを搭載している。
このDSP内で信号処理をすることで、
218のアナログ出力を固定か可変かを選択できる。

つまりデジタルボリュウムの機能をもつ。
さらに2バンド(低音と高音)のトーンコントロール機能ももっている。

これまでにもデジタル信号領域でレベルコントロールを行なうモデルは、いくつもあった。
それらのほとんどの機種が、劣化は生じない、と謳っていた。

素直に信じたい気持はあるし、
ほんとうにそうなってくれれば素晴らしいことではある。

けれど実際には、それほど悪くはない、という機種もあれば、
あまり使いたくない、というレベルの機種もあった。

まだまだ発展途上という感じであったのが、いまから十年以上前のことだ。

十年以上が経った。
メリディアンの218の同じ機能をすぐには試そうとは思わなかった。
これといった理由はないが、やはり以前の印象が残っていたことも関係していよう。

それでも十年以上が経っているわけだ。
ずいぶん進歩しているはずである。

それでも半信半疑だったことは認める。
コントロールアンプをパスして、パワーアンプと218を接続する。

この程度の音が鳴ってくるのか、どきどきした。
いい感じだ。

十年以上が経っていることを実感できた、とでもいおうか。
そうなると218のトーンコントロール機能も試してみたくなる。

iPhoneに、Meridian IP Controlをインストールしていれば、簡単に操作できる。
ここでのトーンコントロールの効き方に、驚いた。

このくらいかな、と適当に目安をつけて低音をブーストした。
これまでのアナログ式のトーンコントロールでは、100%狙い通りには、まずならない。

なのに218のトーンコントロールは、すんなり狙い通りといおうか、
それ以上のようにも思えた。

こんなふうに低音がブーストされるのか。
聴いていて心地よい。

Date: 9月 18th, 2019
Cate: イコライザー

トーンコントロール(その6)

最初に使ったトーンコントロールは、ラジオについていたものだった。
ツマミは一つだけ。
時計回りで高音が、反時計回りで低音がブーストされる、という簡易的なものだ。

その次はラジカセのトーンコントロールだった。
こちらはツマミは二つあった。
つまり、一般的な低音・高音をそれぞれ調整できるタイプだ。

最初に使ったプリメインアンプのトーンコントロールも、
ラジカセのトーンコントロールと基本は同じだった。

二台目のプリメインアンプ(AU-D907 Limited)のトーンコントロールは、
ターンオーバー周波数の切替えが可能だった。

ステレオサウンドで働くようになって、
マークレビンソンのLNP2のトーンコントロールも触ってきたし、
CelloのAudio Paletteの6バンドのイコライザーも触っている。

他にもいくつかのイコライザーに触れてきた。
いまは、喫茶茶会記にあるマッキントッシュのMA7900のトーンコントロールも、
使うことがある。

これまでに使ってきたトーンコントロール(イコライザー)にも優劣はあるが、
それでも、触る前にある、
ここをこうしたい、というこちらの要求にぴったりと応えてくれるトーンコントロールはなかった。

このツマミをいじれば、こんなふうに変るだろう(というか、変ってほしい)という想像と、
実際に鳴ってくる音とは、どんな場合であっても少なからずズレがある。

そのズレを少しでも修正するために、しつこく使ってみるしかないわけだし、
そういうものであるという認識でもある。

ところが二日前の月曜日、必ずしもそうでないことを、初めて体験した。
メリディアンの218を使ってのトーンコントロールにおいて、である。

Date: 9月 18th, 2019
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その3)

9月17日の夜、
Amazon Music HDが開始になった。

数百万曲が、いわゆるハイレゾで聴けるわけだ。
6,500万曲以上を配信していて、そのうちの数百万曲という表示は、
なんとも曖昧すぎるが、まぁ、かなりの曲数がハイレゾで配信されている、ということのはず。

昨晩、だからfacebookのaudio sharingのグループに、
サービスが開始になったことを投稿したところ、コメントがあった。

その方は、TIDALを契約されている。
契約当初は、片っ端から、さまざまな音楽を聴き漁った、とある。
ところが、何時でも、ほとんどの曲が聴けるようになったという事実の前に、
BGMとしてのストリーミングになっていた──、ということだった。

TIDALが、どれだけの曲数を配信しているのか正確には知らない。
Amazonよりも多いのか少ないのか。
どちらでもいいように思う。

Amazonの6,500曲以上にしても、十分過ぎるというか、
おそらく、私が聴きたい、と思うのは、一割もないはずだし、
そうでなくとも、貪欲に、ありとあらゆる音楽を聴いていこうと決心したとして、
すべてを聴けるかというと、それだけの時間は、50をすぎてしまうと、ないのではないか。

《余生を娯しむには十二分のものがある》のをはるかに超えている。
「芋粥」的といえよう。

コメントを読みながら、そう思っていた。

Date: 9月 18th, 2019
Cate: アクセサリー

トーンアームリフターのこと(その3)

いまはさまざまな部品が小型化されている。
モーターも、かなり小型になっているし、
モーターを動かすのに必要なバッテリーの性能も向上し、小型になっている。
抵抗やコンデンサーといった部品も、かなり小型のモノがある。

なので、電子制御のトーンアームリフターは、
以前では考えられないほど小型にまとめあげられるはずである。

しかもいまはスマートフォンがあり、
そのアプリでトーンアームリフターのコントロールすることもできる。

カートリッジがレコード盤面に降りる時間をあらかじめ設定することもできる。
5秒後だったり、20秒後にしたり、というふうに。

またスマートフォンをリモコン代りにして、リスニングポジションに戻って、
スマートフォンの画面を操作してカートリッジを降ろすことも難しくないはず。

アナログディスク全盛時代には、ほぼ無理だったといえるトーンアームリフターが、
いまの時代では、実現できる環境が整っている。

トーンアームリフターは、音質には寄与しないアクセサリーである。
ヘッドシェル、シェルリード線のように、音質に直接関係してくるアクセサリーは、
いまでも、けっこうな数の製品が市場に出ている。

特にシェルリード線は、メジャーなところも、かなりマイナーなところも出してきている。
検索してみると、こんなメーカー(工房)もあったのか、と思うほどである。

けれどトーンアームリフターとなると、
いまの時代に、私が望むようなモノを開発してくれるところは、まずないだろう。

Date: 9月 17th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その4)

BBCモニター系列の音に惹かれてきたことは、これまでも書いてきている。
私がBBCモニター系列の音に惹かれる理由のひとつ、
それも大きな理由といえるのが、みずみずしい音であるからだ。

みずみずしいは、瑞々しい、水々しい、と書く。
辞書には、みずみずは、水気を含んで生気があり、新鮮なさま、とある。

私は乾ききった音は、たまに聴けば、いいな、と思うことはあっても、
乾ききった音で、常に好きな音楽を聴きたいとは思わない。

だからといって、湿った音が好きなわけではない。
あくまでもみずみしい音が好きなのであって、
湿って、重たく鈍くなった音を聴きたいわけではない。

みずみずしい音は、瑞々しいとして、オーディオ雑誌でも割と見かける。
見かけるたびに、
この試聴記を書いている人は、みずみずしい音とはどういうものなのか、
ほんとうに理解して、こう表現しているのだろうか、という疑問がわく。

そういう人による瑞々しい音が、私が感じているみずみずしい音であることはほとんどない。

みずみすしい音について、音の量感について書いている途中で持ち出してきたのは、
みずみずしい音を出すには充分な量感があってこそ、と考えているからだ。

高校生のころは、みずみすしい音だけを求めていた。
そのころは量感との関係には気づいていなかった。

30ぐらいになったころに、やっと気づいた。
音の量感なくして、みずみすしい音は得られない、ということに。

Date: 9月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その3)

MQAを聴く以前にも、
いわゆるハイレゾと呼ばれるプログラムソースは聴いてきている。

SACDが登場したばかりのころ、
たまたまあるところで通常のCDと比較試聴できる機会があった。

それほど厳密な比較試聴ではなかったけれど、
SACDの音には、ワクワクした。

まったく不満がなかったとはいわないが、
SACD(DSD)が、これからの主流になってくれれば──、と思った。

けれど現実は違っていた。

デジタルに、PCMとDSD、どちらもあっていい。
どちらが優れているわけではない。

どちらにもいいところもあれば、そうでないところもある。
ここ数年、PCMもDSDも、サンプリング周波数が高くなっている。

これらのフォーマットのすべてを、同一条件で聴いているわけではないが、
それでも、勇進のところ、オーディオショウ、販売店などで、
ハイレゾと呼ばれる音源を聴いて、音の量感が増した、と感じたことは一度もなかった。

部屋の空気が良くなっていくような感じは受けても、
音の量感に関して、なにかを感じたことはなかった。

自分のリスニングルームでじっくり聴けば、そのへんの印象も変ってくるのかもしれないが、
同じままの可能性もあるようにも感じている。

それだけにメリディアンのULTRA DACを聴いて、
音の量感が増した、と感じられて、驚いただけでなく嬉しくもなった。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その3)

No.1のオーディオ雑誌とは、いったいどういうものなのか。

発行部数(売上げ)が一番のオーディオ雑誌がNo.1なのか。
収益がNo.1なのが、そうなのか。

広告の量がもっとも多いのがNo.1という見方もできる。

変ったところでは、編集者の学歴(偏差値)の高さというものもできなくはない。
ステレオサウンドにいたころ、
オーディオ専門の広告代理店にKさんがいた。

私より年上だが、ほんとうにオーディオ好きな人で、
なんだかんだいってよくオーディオの話をすることがあった。

Kさんは広告代理店の人だから、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の会社にも行く。
編集者が、どういう人なのかもわかっている人だった。

そのKさんが、ある日、こんなことを言っていた。
オーディオ雑誌を出版している会社のなかでは、
音楽之友社が学歴は一番だよ、と。

Kさんによると、最低でも○○大(有名私大)だし、
○大(旧帝大)卒もあたりまえのようにいる、とのことだった。

音楽之友社と比べると、ステレオサウンドは……、と二人で笑ったことがある。
現在の音楽之友社がそうなのか、それは知らないが、
1980年代は、そうだ、と聞いている。

こういう尺度でみれば、音楽之友社のステレオがNo.1という見方もできよう。

なにをもってNo.1なのか。
誰もが納得するNo.1とは、どういうものなのか。

そして、腐っても鯛は、オーディオ雑誌にもいえることなのか。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その5)

オーディオの世界に若い人を──、
ということが今年のOTOTENのテーマとなっていた。

そして、こういうテーマになると、老害についてSNSにて発言する人が増える。

オーディオの世界における老害について、こまかく書いていこうとは考えていない。
ただ、ここでのテーマに沿って書けば、ないわけではない、と思っている。

その1)で、世代による略称の違いについて触れた。
マークレビンソンを、以前は略すならばレビンソンだった。
いまではマクレビである。

オーディオテクニカはテクニカだった。
いまではオーテクである。

こんなふうに略すのが、いまの若い人のセンスなのか。
私や私の周りでは、センスのない略のしかただな、と思っているわけだが、
ここで、私が老害と考えるのは、
そんな若者にすんなり迎合してしまう人たちである。

老害といわれなくないのか、
若者に、妙な理解を示す人たちが少なからずいる。

でも、これは理解なのか、と思う。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: audio wednesday

第105回audio wednesdayのお知らせ(40年前のシステムの鳴らす音)

10月2日のaudio wednesdayでは、
瀬川先生によるKEFのModel 303の組合せを鳴らす。

プリメインアンプはサンスイのAU-D607、
アナログプレーヤーはテクニクスSL01、カートリッジはデンオンのDL103Dという組合せである。
これまでに書いてきているように、ステレオサウンド 56号での組合せが元になっている。

56号での瀬川先生の記事中にはないが、
瀬川先生ならば、
この組合せでのヘッドシェルはオーディオクラフトのAS4PLを使われた、と確信している。

56号(1980年)のころ、まだCDは登場していなかった。
アナログプレーヤー全盛時代だけに、
ヘッドシェルも各社からさまざまなモデルが市場にあった。

AS4PLは、当時4,300円だった。
ヘッドシェルの価格としては、激戦の価格帯にあった。
飛び抜けて高価なわけではなかったし、特に安価なわけでもなかった。

この価格ならば、当時高校生だった私にもなんとか買えた。
瀬川先生が、熊本のオーディオ店で定期的に行われていた試聴会で、
カートリッジをいくつもの持ってこられたことがあった。

その時も、AS4PLだったし、AS4PLをすすめられていた。
なので、他のヘッドシェルには見向きもせず、AS4PLを使っていた。

AS4PLが、今回の組合せで最後になった。
これが意外にも、というか、当然とでもいおうか、
ヤフオク!でみかけても、当時の定価よりも高い。

故障するわけでもないし、落札する側にとっても特にリスクはないわけだから、
値崩れしない理由はわからなくはない。

でも、意外に高いな、と思いながら、落札せずにいた。
とはいえ、10月に鳴らすことが決ったわけだから、なんとかしなければならない。

現行製品のヘッドシェルも見渡したけれど、
やっぱりオーディオクラフトの、AS4PL以降のヘッドシェルにしたい、という気持は、
弱まるどころか、むしろ強くなっていく。

結局、AS12Kを、当時の価格とほぼ同じで落札した。