Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その3)

四年ほど前に、200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない──、
別項で書いた。

語られることはなかった。
これから先も語られることはないと思っている。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
私が編集部にいたときも、オーディオのデザイン論はやってこなかった。

十年以上昔になるか、
ステレオサウンドに、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思って読んでいた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして笑いあった。

こんなことを四年前に書いた。
ある人の名前は四年前は明かさなかった。
ある人とは菅野先生である。

菅野先生とデザインについて話していたときに、
私がつい、ポロッと「そういえば、あのステレオサウンドの連載、ひどかったですね」と言った。
すると菅野先生も、お前もそう思うか、という感じで「デザインの素人による内容だよ」と言われた。

ひどい記事と口にしたときには、しまった、と思わなかったわけではない。
菅野先生がどう思われていたのかは知らなかったからだ。

けれど、こちらが本音で話せば、菅野先生はきちんと応えてくださった。
その菅野先生は、もういない。
瀬川先生もそうだ。

オーディオのデザイン論についてきちんと語れる人たちがいない。
なのに、ステレオサウンドは、川崎先生の連載をわずか五回で手離している。

川崎先生が、なぜ離れられたか──、
その理由は現編集長の染谷一氏がいちばんわかっているはずだ。
というより、わかっていなくてはならない。

Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その2)

これも続きを書くつもりはなかった。
けれどfacebookへのコメントを読んで続きを書こうと思ったし、タイトルも変更した。

コメントはデザイナーの坂野博行さんからだった。
「Air Force ZEROにはデザイン不在が明らか」とあった。

ここで気をつけてほしいのは、デザイナー不在ではなく、デザイン不在ということだ。
デザイナー不在とデザイン不在は、同じではない。

憶測にすぎないが、Air Force ZEROにもデザイナーがいるはずだ。
おそらく、あの人ではないだろうか、と思っているが、確証はないから名前は出さない。

デザイナーが関っているのに、デザイン不在。
そんな人をデザイナーと呼べるのか──、
そのことについてはここでは述べないが、
おそらく、本人はデザイナーだと思っているだろうし、
その人にデザインを依頼した側も、そんな人をデザイナーと思っているわけだ。

とにかくAir Force ZEROは、デザイン不在の四千万円のアナログプレーヤーである。

Air Force ZEROは、各オーディオ雑誌で絶賛されるであろう。
あれだけの内容のアナログプレーヤーだから、
これまでのプレーヤーからは聴けなかった世界を提示してくれることとは思う。

そうであれば音に関して絶賛されるのはいい。
けれど、中にはAir Force ZEROのデザインを褒める人も出てくるのではないだろうか。

本音で、Air Force ZEROのデザインが素晴らしいという人がいたら、
その人の感性はまったく信用できない。

褒めなくとも、Air Force ZEROのデザインに関して何も語らない人、
つまりオーディオ評論家がいよう。

オーディオ評論家(商売屋)ならば、褒めるか、黙っているかのどちらかのはずだ。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その8)

それにしても、ウェスターン・エレクトリックはこういう回路にするのだろうか。
ウェスターン・エレクトリックの機械は、映画館で使われる。
つまりお金を稼ぐ機械である。

だからこそ、音と同じくらいに信頼性の高さが求められる。
故障しにくいこと、故障したとしても修理がすばやく確実に行えること。
そういったことが求められている。

にも関らずのTA4767は部品点数を増やし、配線を複雑にする回路を選択している。
故障は部品点数が少なければ発生率は低くなるし、
簡単な回路で配線がシンプルであるほど、修理もしやすくなる。

なのにウェスターン・エレクトリックはそうしない。
そういう回路構成のアンプもある。
けれどそうでないアンプの方が多い。

私が初めてきいた伊藤先生製作のアンプ、
ウェスターン・エレクトリックの349Aのプッシュプルアンプは、
ウェストレックスのA10の回路をベースにしたもので、
位相反転にはオートパランスの一種といえる回路を採用している。

A10も、上側の信号経路と下側の信号経路とでは、信号が徹真空管の数が違う。
もちろんA10も入力トランスを備えている。

こうなるとウェスターン・エレクトリックは意図的に、
上側と下側の信号経路が、いわばアンバランス的になるようにしているとしか考えられない。

あえて、そんなことをするのか。
本当のところは設計者に訊くしかないけれど、もうそれは無理なこと。
想像するしかないことだが、結局のところ、音のはずだ。

伊藤先生はTA4767型の300Bプッシュプルアンプを、《作って見て納得した》と書かれている。
頭で考えれば、V69a型300Bプッシュプルアンプのほうが、
特性的にも音的にも、TA4767型よりも優秀である、ということになる。

けれど、音は理屈で推し量れるとは限らない。
だから私が作りたい300Bプッシュプルアンプは、そういうアンプである。

348Aも310Aも、いまではいい球が入手し難い。
だから私はウェストレックスのA10型の300Bプッシュプルアンプを構想している。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: 930st, EMT, MERIDIAN, ULTRA DAC

オーディオの唯一無二のあり方(その3)

私がEMTの製品の音を聴いたのは、カートリッジのXSD15が最初だった。
熊本のオーディオ店に定期的に来られていた瀬川先生の試聴会で、XSD15を聴いた。

その時はいくつかのカートリッジの比較試聴がテーマだった。
MM型、MC型、いくつものカートリッジを聴くことができた。
瀬川先生のプレーヤーの使いこなしをたっぷり見ることができた。

プレーヤーは、だから930stではなく、
ラックスのPD121にトーンアームはオーディオクラフトだったと記憶している。

瀬川先生も五味先生も書かれている、
EMTのカートリッジは単体で聴かれるから、誤解が生じるのだ、と。
EMTのカートリッジはEMTのプレーヤーの構成するパーツの一つである、ということ。

EMTの音は、EMTのプレーヤーの音を聴いてこそ──、
それはわかっていたけれど、熊本ではついにその機会はなかった。

それでも熊本のオーディオ店では、トーレンスのReferenceでのTSD15の音を聴くことができた。
PD121+オーディオクラフトで聴いたXSD15のときと、
アンプもスピーカーも違うから正確な比較試聴なわけではないが、
それでもそんな差は問題にならないくらいに、
ReferenceでのTSD15の音は圧倒的だった。

しかも、このReferenceを聴くことができた回が、
瀬川先生が熊本に来られた最後に、結果的になってしまった。
よけいに、このときの音は耳に強く刻んでいる。

ようするに、私が聴いたトータルでのEMTの音というのは、
トーレンスの101 Limitedでの音が最初ということになる。

このころのステレオサウンドの誌面に掲載されている写真は、
私のモノとなったシリアルナンバー102の101 Limitedである。

近々引っ越しをすることになっていたし、記事のためにも撮影が必要ということで、
購入してすぐに持って帰ったわけではなく、しばらくステレオサウンドに置いていた。

そのおかげでノイマンのDSTとDST62を聴くこともできた。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その1)

オーディオ関係のサイトでニュースになっているので、ご存知の方が多いだろう。
テクダスからAir Force ZEROが発表になった。

価格はまだ未定とのことだが、四千万円前後だそうだ。
この価格については、いわない。

テクダスの西川英章氏の、マイクロ時代からの信念の結実といえるプレーヤーであり、
この時代に、これだけのモノを世に送り出してくれた、ということは、やはりすごいと思う。

Air Force ZEROの仕様が、理想のアナログプレーヤーの具現化なのか、については、
必ずしもそうとは考えないが、それでもくり返しになるが、
西川英章氏が長年追求してきた手法であるから、ここについてもこれ以上は書かない。

けれど一つだけ書きたい。
それはAir Force ZEROのデザインである。

四千万円あれば、ランボルギーニ、フェラリーのスーパーカーが買える。
免許をもっていない私でも、ランボルギーニのアヴェンタドールは憧れである。

Air Force ZEROには、そういうかっこよさをまったく感じない。
四千万円するのであれば、もう五百万円くらい高くなっても、
写真を見ただけで、一瞬にして憧れてしまう、そんなかっこよさを持ってほしい。

そして実物をみて、惚れ惚れしてしまうほどのかっこよさであってほしい。

残念なことに、Air Force ZEROには、
スーパーカーならぬスーパーアナログプレーヤーのオーラのようなものを感じない。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その7)

誠文堂新光社から1987年に出た伊藤先生の「音響道中膝栗毛」の巻末に、
300Bのプッシュプルアンプの回路図が二つ載っている。

一つはウェスターン・エレクトリックのTA4767をベースにしたモノ、
もう一つはテレフンケンのV69aをベースにしていて、
どちも真空管は前段に348A、出力段に300B、整流管には274Bを使っている。
真空管の本数も348A、300Bが二本ずつ(片チャンネル)で、274Bが一本と同じ。

さらにどちらも入力トランスを搭載している。
けれど前段(348A)の使い方が、この二つの300Bプッシュプルアンプでは違う。

V69aをベースにしたアンプは、
入力トランスからの信号を348Aにそのまま渡している。
つまり前段、出力段ともにプッシュプル動作となっていて、
位相反転回路はない。

入力トランスを使うからこそ、これ以上真空管の本数を減らせないといえる回路で、
伊藤先生は《回路が簡単で安定性が良好であるから》と書かれている。

以前、別項で書いているように、私は349Aのプッシュプルアンプを製作しようとしていた。
その時、V69aと同じ回路構成で作ろうと考えてもいた。
348Aもメッシュタイプも手に入れていた。

プッシュプルアンプならば、こういう回路がいちばん理に適っている、ともいえる。
なのに、考え直した。

伊藤先生の、TA4767をベースにした300Bプッシュプルは、
348Aの前段で位相反転を行っている。
しかもここでの位相反転回路はカソード結合型ではなく、
オートバランス型と呼ばれる回路の一種である。

入力トランスからの信号を上側の348Aが受け増幅する。
この348Aの出力は二つに分岐され、一つは300Bへ、
もう一つは抵抗分割回路を経て、下側の348Aに渡される。
下側の348Aの出力が下側の300Bへと行く。

つまり上側の信号経路は348A→300Bなのに対し、
下側は348A→抵抗アッテネーター→348A→300Bとなる。

そのため部品数はV69a型アンプよりも多くなる。
当然配線もその分複雑になる。

Date: 3月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その5)

早とちりしないでほしいのだが、
ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”を聴くのに、アルテックのスピーカーが最適だとは思っていない。

3月6日のaudio wednesdayでの“THE DREAMING”に点数をつけるとすれば、
60点くらいだと自分では思っている。

厳しい点数をつけようとは思っていないし、
“THE DREAMING”をこれまで鳴らしてきての感覚からいえば、
まだまだ、というのが本音である。

アルテックのスピーカーの特質と、
“THE DREAMING”の世界(私が勝手に求めている世界)とには、ズレを感じなくもない。

それでも60点の“THE DREAMING”は、聴いていて楽しかった。
最初から最後の曲まで、数曲飛ばしたけれど、かけていた。

うんざりしたり、退屈する人も出てくるかもしれない、と思いつつも、
鳴らしたいディスクは、こんなふうに鳴らしたい。

鳴らし終って、誰かがぼそっと「かっこよかった」といってくれた。
嬉しい一言である。

ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”はを、そういうふうに受け止めてくれたのが嬉しいし、
結局、自慢話、自惚れやろうかよ、といわれても、
3月6日の“THE DREAMING”の音(つまり私が鳴らした音)も、ある程度はかっこよかった、と思っている。

久しぶりに“THE DREAMING”を、ほぼ通しで聴いた。
“THE DREAMING”は愛聴盤だったのかは、いまでもなんともいえないが、
“THE DREAMING”は、私にとって(こんな表現は使いたくないが)青春の一枚だった。

Date: 3月 17th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、録音のこと

2017年をふりかえって(その10)」でも指摘しているが、
ハイレゾリューション(High Resolution)というよりも、
ハイアーレゾリューション(Higher Resolution)といえる録音には、
どこかドキュメンタリー的になりつつあるように感じることがある。

もちろんすべてのハイアーレゾリューションといいたくなる録音を聴いているわけではないし、
いままで聴いたその種の録音のすべてがそうだとはいわないが、
それでも録音が、スタジオプロダクトからドキュメンタリー色を強めていくのか──、
そんな危惧がある。

人によっては、そのことを危惧とは捉えないかもしれないが、
私は別項「録音は未来/recoding = studio product」を書いているように、
録音は、はっきりとスタジオプロダクト(studio product)と考える。

スタジオプロダクトとしての録音は、主観的、音響心理的方法といえる色合いがある。
誤解しないでほしいのは、スタジオプロダクトといえる録音が、
100%主観的であり、音響心理的方法だけから成り立っている、というわけではない。

それでもドキュメンタリーとしての録音が、客観的、物理的な方法といえる色合いが濃いのに対して、
スタジオプロダクトはそうではない、と私は捉えている。

これについては別項で書いていくので、ここではこれ以上深くは触れないが、
MQAをとにかく否定している人たち(すべてとはいわないが)は、
どこか録音をスタジオプロダクトというよりもドキュメンタリーとして捕えているのではないか。

そのことすら意識していないのかもしれないが。

Date: 3月 16th, 2019
Cate: ディスク/ブック

un pugno di stelle

オルネッラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)というイタリアの女性歌手を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の「イタリア音楽の魅力」であった。
黒田恭一、坂清也、河合秀朋(キングレコード第二制作室プロデューサー)三氏の座談会で、
この記事がきっかけで、オルネッラ・ヴァノーニを聴くようになった。
(オルネラ・ヴァノーニが、日本では一般的な表記だが、
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニとされていたので、ここてもそれに倣う。)

といっても熱心に聴いていたとは、とうていいえない聴き方だった。
気まぐれに、レコード店で、ふとオルネッラ・ヴァノーニの名前を思い出しては探し、
その店にたまたまオルネッラ・ヴァノーニのレコードがあったならば手にして、
買おうかどうか迷って買うこともあったし、そうでないこともあった。

2000年をこえたころに、数枚まとめてCDを買ったこともある。
オルネッラ・ヴァノーニは、1934年生れ。

黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニがお好きだった。
ステレオサウンド別冊High-Technic Seriesの三冊目、
トゥイーターの号でも、巻末にオルネッラ・ヴァノーニのレコードを、
トゥイーターの比較試聴に向いている、ということで、
それもあくまでもオルネッラ・ヴァノーニが好きだから、ということで挙げられていた。

黒田先生によると、オルネッラ・ヴァノーニは一度も来日していない。
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニのコンサートを聴いてみたい、とも書かれていた。

一度NHKでオルネッラ・ヴァノーニのイタリアでのコンサートを録画したものが放送された。
私は見ていないのだが、そこではオルネッラ・ヴァノーニの歌のところでは、
字幕が省かれていた、そうだ。

そんな NHKのやり方を、黒田先生は、無謀で投げやりで、愛情のない所業とまで、
何かか書かれていたのを読んだ記憶がある。

大好きなオルネッラ・ヴァノーニが、粗雑に扱われていたように感じ、腹が立った、とも。

私は黒田先生ほど、オルネッラ・ヴァノーニの歌を好きにはなれなかった。
それでもふと聴きたくなることはある。

さきほど、特にきっかけらしいことはなかったのに、
そういえばオルネッラ・ヴァノーニは? と思った。
もう亡くなっているのかも……、と思いながら検索してみたら、
なんといまだ現役の歌手である。

2018年2月には新譜も出ている。
“un pugno di stelle“である。
直訳すれば、一握りの星である。

聴いてみたい。
同じイタリアの歌手でも、ミルバとオルネッラ・ヴァノーニとでは歌い方が大きく違う。
ミルバのように熱唱することは、オルネッラ・ヴァノーニはない。
かといって情感を込めて、という歌い方でもない。

だから、私はのめり込んで聴くようにはならなかったともいえるのだが、
それでも聴いてみたい、とおもわせるオルネッラ・ヴァノーニである。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その4)

だからといって10cmのフルレンジに戻すのは、
オーディオマニアとして癪である。

それに“THE DREAMING”においても、
スタティックの印象が残っている点を除けば、SL600で聴く方をとる。

それでもSL600をThe Goldで鳴らしたときの音を想像しながら、
“THE DREAMING”を10cmフルレンジで聴いていた。
そこで期待は、どうしても膨らんでいく。

膨らんでいったからこその少々の期待外れなのかも……、と思い込もうとした。
それでも10cmフルレンジの音は、強く耳に残っていた。

もう一度10cmフルレンジにして、徹底的に比較試聴することはしなかった。
あくまでもSL600のままで、10cmフルレンジで感じた良さも鳴らしていきたい。

そこから先は、けっこういろんなことをやった。
ずいぶんと音は変っていった。
けれど、スタティックな印象は,どこかに残っている。

これはもう録音に起因するものだ──、
そう思い込めればシアワセなのだが、10cmフルレンジの音をすでに聴いている。

2019年3月6日、
audio wednesdayではじめてケイト・ブッシュをかけた。
まったく鳴らしてこなかったわけではない。
ピーター・ガブリエルの”Don’t Give Up”は鳴らしている。

”Don’t Give Up”でケイト・ブッシュの歌声は聴いていた。
それ以上、ケイト・ブッシュをかけようとは、まだ思わなかった。

ここにきて、ようやく鳴らしてみようか、という気がおきてきていた。
2018年にはリマスター盤が登場した。

期待は半分という気持で、喫茶茶会記のアルテックで“THE DREAMING”を鳴らした。
そこで鳴っていた音を聴いて、
以前どうしても払拭できなかったスタティックな印象(スタティックなアクセント)が、
もうそこにはまったくといっていいほど感じなかった。

そういえば10cmのフルレンジもアルテックだった。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その3)

The Goldを購入したころに鳴らしていたスピーカーは、セレッションのSL600だった。
いくら分解クリーニングをしたとはいえ、いきなりSL600を接ぐ度胸はなかった。

まずはこわれてもいい、と思えるスピーカーを接いで鳴らした。
10cm口径のフルレンジである。
とにかくこのスピーカーで一週間、まったく不安を感じさせない動作と音であれば、
SL600を鳴らそう、と決めた。

凝ったエンクロージュアに入っていたわけではないし、
床に直置きで鳴らした小口径のフルレンジからは、
やっぱり The Goldと思える音が鳴ってきた。

高価でもないフルレンジがよく鳴る。
こんなにも鳴ってくれるのか、と思えるほどに鳴ってくれた。

二時間ほど聴いて、SL600にしたかった。
けれど我慢した。
三日ほど聴いて、ますますSl600にしたかった。
それでも我慢した。

とにかく一週間は様子をみようと決めたのだから。

五日あたりで“THE DREAMING”をかけてみた。
ここでまた驚いた。
こんなふうに鳴るのか、という驚きがあった。

ここでSL600にしようと、そうとうに心が動いた。
もう五日間、安定して鳴っている。

ここでSL600にしても、何の問題も発生しないはず。
それでも我慢して、六日目も“THE DREAMING”を聴いて、
七日目も“THE DREAMING”を聴いて、
ようやく八日目にSL600に接ぎかえた。

期待以上の音でSL600は鳴ってくれた。
数枚のディスクをかけてから、“THE DREAMING”をかける。

こちらの期待は、かなり大きくなっている。
10cmのフルレンジで、あれだけ鳴ってくれたのだから──、という期待があった。

SL600のほうが、10cmフルレンジよりもほぼすべての点でよかった。
けれど“THE DREAMING”では、
10cmフルレンジではスタティックな印象が消えてしまっていたのに、
SL600では残っている。

完全に払拭されていたわけではなかった。
これには少々落ち込んだ。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その2)

20代のころ、
私のオーディオはケイト・ブッシュの“THE DREAMING”をどう鳴らすかが、
大きなテーマの一つとして、ずっとあった。

LPが発売されたとき、イギリス盤の他にも日本盤も買っている。
音の点ではイギリス盤なのだが、
どうしても日本語訳が欲しくて、日本盤も買っていた。

イギリス盤の“THE DREAMING”を聴いての不満は、
日本盤で解消されることはなかった(当り前のことだが)。

CDが登場してからも、三枚ほど買っている。
リマスターとか、そういうことではなく、
当時ヨーロッパのCDは入荷時期によってプレス工場が違っていることが多かった。

“THE DREAMING”も最初に買ったCDは西ドイツプレス、
二枚目と三枚目はイギリスプレスだったが、工場が違っていた。

それぞれに音の違いは、確かにある。
それでもスタティックな印象は,常にあった。

ならば、そういうものだと諦められるといいのだが、
オーディオのおもしろい、そして不思議なことは、
意外なところで、そうでない音を聴かせてくれることがある。

“THE DREAMING”に関しても、そういえることがあった。
1985年12月、SUMOのTHE Goldの中古を、秋葉原で見つけた。

欲しい、と思っていたアンプだっただけに、その場で購入を決めた。
とはいえ、THE Gold(にかぎらずボン所る設計のアンプ)は、
故障率200%と冗談めいて語られていた。

そういうアンプだから、The Goldが届いてまずやったことは、
分解して、各部のクリーニングだった。

プリント基板も、パワートランジスターを固定しているネジまで、
クリーニングできるところはすべてやった。
そして組み立てての音出しである。

Date: 3月 14th, 2019
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その26)

100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。

ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。

70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。

当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。

ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。

そこのところを引用しておく。
     *
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
 一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
     *
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。

Date: 3月 13th, 2019
Cate: audio wednesday

第99回audio wednesdayのお知らせ(三度ULTRA DAC)

audio wednesdayは、毎月第一水曜日だから、
次回までは四週間か五週間となる。

3月は6日、次回4月は3日。
四週間である。

あと三週間で、メリディアンのULTRA DACが聴ける。
これが、あと四週間でないのが、嬉しい。
わずか一週間の違いであっても、
待ち遠しい楽しみがある場合の一週間は長い、とても長く感じる。

三度(みたび)ULTRA DACまで、あと三週間だ。
ULTRA DACを聴くのは三度目になるから、
今回は少し実験的なことをしてみたい、と思っているけれど、
実際に三週間後、ULTRA DACの音を聴いていると、
そんなこと後回しでいいや、と思えてくる。

とにかく聴きたいディスクをじっくり聴きたい気持になってしまうからだ。
愛聴盤をぜひ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 3月 13th, 2019
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(デザインの強度・その2)

その1)は、さっきまで「簡潔だから完結するのか(番外)というタイトルだった。

(その2)を書くつもりはなかった。
けれど先週読んだ、ある対談に「強度が高いデザイン」という表現が登場した。
この表現に刺戟され、続きを書く気になったし、
(番外・その2)とするのも、ちょっとアレだな、と思い変更した。

その対談とは、賀来ゆうじ・三浦建太郎、二人のマンガ家によるものだ。

その伍)に、強度の高いデザインという表現は出てくる。

賀来ゆうじ氏の発言に出てくる。
     *
賀来:自分が描いている作品の中でも、楽しい部分でもあり気を遣う部分でもあるんですけど、三浦先生のキャラクターデザインがとても気になっているんです。たとえば自分が好きな作品に永井豪先生の『デビルマン』がありまして、永井豪先生の描かれるデザインって、自分なりの言葉になるんですが“強度が高い”と感じるんですよね。誰が描こうと『デビルマン』の怖くてかっこいい永井先生の要素が出てくるんです。もし少女漫画家さんが描いたとしても、怖くてかっこいい、崇めそうになってしまう感じがデザインに埋め込まれていると思うんですよ。僕はそれを“強度が高い”デザインと呼んでいて、そこを目指しているんです。
     *
強度が高いデザインの一例としてのデビルマン。
永井豪氏の他のマンガのキャラクター、
たとえばマジンガーZも強度が高いデザインといえる。

強度が高いデザイン──、
このことを基準にいろんなキャラクターをふり返えれば、
ミッキーマウスは、三つの円のシルエットだけで、それとわかるわけで、
相当に強度が高いデザインということになるのか。

円のシルエットをもつキャラクターで日本で有名なドラえもん。
意外にも、ドラえもんを何も見ずに描くとなると、
けっこうデタラメなドラえもんになったりする例を、けっこう見ている。

となると、意外にもドラえもんは、強度がそれほど高くないデザインとなるのか。