Date: 9月 20th, 2017
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その19)

コントロールアンプ、パワーアンプ、プリメインアンプにメーターをつける。
なぜ、メーカーはつけるのか。

1970年代には、メーターをつけたほうが売れるから、という理由があったようだ。
そんなことがオーディオ雑誌に書いてあった。

そうかもしれないが、それだけがメーターをつける理由ではないはずだ。
メーターをつけるということは、
透明の素材をフロントパネルに採用することである。

アンプのメーターでも、アナログテスターでも、
針を保護する意味でも、針の前面には、ガラスもしくはアクリルが使われる。

透明な素材で、硬質であっても、金属の硬質さとは違う。
そういう素材が、フロントパネルに部分的に使われることになる。

このことは、アンプのデザインするさいに、
デザイナーにとっては、どうなんだろうか。

ただ単にフロントパネルにメーターをつける、というふうに、
中学生のころの私は、そんなふうに捉えていたが、
いまはそんなふうには思っていない。

メーターをつけるということは、フロントパネルに金属以外のなにかが、加わる。
場合によってはかなりの面積を占めることにもなるわけだ。

しかもメーターのガラス(もしくはアクリル)は、
フロントパネルと面一(ツライチ)のこともあれば、
少し奥に引っ込んでいる、反対に前に出ていることもある。

くわえてメーターの照明がある。
メーターの文字盤も、金属とは違う素材である。

これらのことに留意してメーターつきのアンプのふり返ってみる。
できれば写真だけでなく、実物(それも電源をいれた状態)をみたい。

10代、20代のころには気づかなかったことが、いまなら気づくはずだ。

Date: 9月 20th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その9)

空洞ができてしまった。
しかも埋まっていない。

いまだ空洞のままであっても、
空洞があることを意識している人もいる、
空洞があることを、すでに感じなくなっている人もいる。

そういうものかとおもい、
コワイナ、ともおもう。

Date: 9月 20th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(KEF 107の場合)

KEFのModel 107の取り扱い説明書とカタログも、手元にある。
どちらも英文である。

107の取り扱い説明書(INSTALLATION MANUAL)に、
SPEAKER CONNECTIONSという項目がある。

そこには、次のように書いてある。
     *
The choice of cable to use with Model 107 is less critical than with most other loudspeakers owing to the resistive nature of load it presents to the amplifier. The total resistance, however, should not 0.2 ohms.
     *
107は、他のスピーカーほどケーブルについてクリティカルではないが、
スピーカーケーブルの直流抵抗が0.2Ω以下であるように、と書いてある。

そして表があり、ケーブルの太さと、1m当りの直流抵抗、
それから0.2Ωとなる長さが記載されている。

この表によれば、AWG18の太さであれば、4.7mまで使える。
AWG8となると太くなる分、48.8mで0.2Ωとなる。

これを厳密に守らなければならないわけではないが、
こうやってひとつの指針を示しているのは、
KEFらしい、というか、レイモンド・クックしらい、というべきか、
それとイギリスのメーカーらしい、と感じる。

もっとも最近のKEFの取り扱い説明書は、どうなのだろうか。
こういう項目は、すでにないのか。
それともまだあるのか。
あるとすれば、どんなことが書かれているのか。

Date: 9月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その5)

「オーディオ愛好家の五条件」、
ひとつひとつの項目について書くつもりは最初からない。

五条件を、どう読み、どう解釈するかは、その人次第であり、
私がどう読み、とう解釈したかを書きたいから、
このテーマで書き始めたわけではない。

「孤独な鳥の条件」という詩と、偶然出逢ったからだ。
     *
孤独な鳥の条件は五つある

第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
     *
16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルスの詩である。
検索すれば、他の日本語訳も見つかる。
微妙にニュアンスが違う。

どれがいいとは書かない。
上に引用した訳は、たまたま私が最初に見た訳というだけである。

「孤独な鳥の条件」と出逢って、
「オーディオ愛好家の五条件」とは、そういうことだったか、と、
はじめて気づいたことがあった。

Date: 9月 19th, 2017
Cate: KEF

KEFがやって来た(その11)

ステレオサウンド 48号で、井上先生がサブウーファーの実験をやられている。
「超低音再生のための3D方式実験リポート」という記事だ。
この記事の冒頭、
音楽における低音の重要性を探る 低音再生のあゆみと話題のサブ・ウーファー方式について」、
そこには、こう書いてある。
     *
 オーディオの世界で、もっとも重要で、しかも困難なことは、いかにして音楽再生上のベーシックトーンである低音の再生能力を向上するかということである。
 実際にスピーカーシステムで音楽を再生してみると、たとえば3ウェイ構成のスピーカーシステムであれば、トゥイーター、スコーカー、ウーファーと受け持つ周波数帯域が下がるほど、エネルギー的に増大することが容易にわかる。どのように強力なトゥイーターを使っても、部屋の天井や床が振動するほどのエネルギーは得られないが、ウーファーでは、たとえ10cm程度の小口径ユニットでさえも、エンクロージュアを振動させるだけのエネルギーは得られる。
 低音は、音の波長からみても100Hzで3・4m程度と長く、エネルギーがあるだけに、大量の空気を振動させなければならない。そのためには、より大口径のウーファーが要求されることになる。
 ディスクが誕生して以来のオーディオの歴史は、主にこの低音再生能力の向上を、常にメインテーマとして繰りひろげられてきたといってもよい。最近、サブ・ウーファーシステムが台頭し、従来の3D方式をも含めた新しい方式として注目されてきている。現実に、その効果は目ざましいものがある。そこで、ここでは、オーディオにおける低音再生の歴史をふりかえるとともに、話題のサブ・ウーファーシステムの特徴や効果などについて述べてみたいと思う。
     *
低音再生能力の向上、というメインテーマ。
LS3/5Aを中心にして、このテーマを追求した場合の、
ひとつの模範解答、それもLS3/5の開発者自らの具体的な解答が、
KEFのModel 105だと、私は捉えている。

低音再生能力の向上のためには、
どうしてもある程度以上の口径のウーファーを必要とする。
400Hz以下を受け持つ30cm口径のウーファーが、Model 105の場合のそれだが、
これだけの口径のウーファーが追加されることにより、
当然ながら音源の面積は大きくなる。

点音源に近いといえるLS3/5Aであっても、
LS3/5Aの発展型といえる105のHEAD ASSEMBLYであっても、
30cm口径のウーファーがつけば、もはや点音源に近い、とはいえなくなる。

この点音源という言葉も、ある種のまやかし的要素が多分に含まれている、というか、
その使われ方はそうといえる。
そのことにはここでは触れずに先に進むが、
LS3/5の開発者ならば、できるだけ音源を小さくしながら、
低音再生能力の向上を実現したいと、考えるのではないだろうか。

このことはLS3/5Aの聴き方とも関係してくることだ。

Date: 9月 19th, 2017
Cate: KEF

KEFがやって来た(その10)

LS3/5Aをきちんとセッティングした音にまいってしまった人は、けっこういる。
至近距離で聴く、その音は、精巧な、と表現できるほどである。
しかも聴いた者には、しっかりと余韻を残していく。

けれど低音に関しては、無理がきかない。多くは望めない。
だからLS3/5Aにウーファーをつけて……、と考えた人は少なくないはずだ。

瀬川先生もステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
LS3/5A(チャートウェル製)に、サブウーファーを追加するという組合せをやられている。

ここではJBLの136Aを、サンスイのエンクロージュアEC10に収めたモノを使われている。
クロスオーバー周波数は300Hzである。

このころ、ロジャースからは、L35Bという型番をもつサブウーファー、
専用のデヴァイダーとパワーアンプを同一筐体におさめたXA75から成るシステムを、
Reference Systemとして発売していた。

L35Bに収められているウーファーの口径は33cmだった。
クロスオーバー周波数は150Hzである。
L35Bのエンクロージュア上部にはLS3/5Aの設置位置がマーキングされていた。
ロジャースは、その後AB1というモデルも出している。

これらはうまくいったのだろうか。
私はどちらのモデルも聴く機会はなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’79」で瀬川先生が興味深いことをいわれている。
     *
 じつはぼく自身が、かつてマルチアンプをさんざん実験していたころ、たとえばウーファーに15インチぐらいの口径のものをもってきて、その上に小口径のコーン型ユニットを組合わせた場合、理論的にはその小口径のコーンだって100Hz以下の、70とか60Hzのところまで出せるはずです。特性をみても実際に単独で聴いてみても、100Hzが十分に出ています。
 したがって、たとえば100Hzぐらいのクロスオーバーでつながるはずですが、実際にはうまくいかない。ぼくにはどうしてなのかじつはよく分らないんだけれど、15インチ口径のウーファーで出した低音と、LS3/5Aのような10センチぐらいの小口径、あるいはそれ以上の20センチ口径ぐらいまでのものから出てくる中低音とが、聴感上のエネルギーでバランスがとれるポイントというのは、意外に高いところにあるんですね。
 いいかえると、100Hzとか200Hzあたりでクロスオーバーさせていると、ウーファーから出てくるエネルギーと、それ以上のエネルギーと、バランスがとれなくてうまくつながらないわけです。
 そしてぼくの経験では、エネルギーとして聴感上、あるいは感覚的にうまくクロスオーバーするポイントというのは、どんな組合せの場合でも、だいたい250Hzから350Hzあたりにあるわけです。それ以上に上げると、こんどはウーファーの高いほうの音質が悪くなるし、それより下げると、こんどはミドルバスのウーファーに対するエネルギーが、どうしてもつながらない。とういことで、この場合でも、300Hzでいいんですね。
 もちろん、そうしたことを確認するなり実験するなりしたい方には、クロスオーバーをもっと下げられたほうが面白いわけで、そういう意味でほかの、100Hzまで下げられるデバイダーをお使いになるのは、まったくご自由ですよ、ということですね。
     *
この瀬川説があてはまるのならば、
ロジャースのReference Systemのクロスオーバー周波数は、低すぎる、ということになる。
KEFのModel 105は、この瀬川説が証明しているのかのように400Hzであり、
ウーファーの口径は30cmである。

Date: 9月 19th, 2017
Cate: KEF

KEFがやって来た(その9)

BBCモニターで、日本でもっとも人気があり知名度も抜群にあるのはLS3/5Aである。
これは断言していい。

ロジャースからLS3/5Aが登場したのは1975年。
40年以上前のモデルが、いまも人気があり、
数社から復刻モデルが出ているだけでなく、中古の相場も値崩れすることはないようだ。

このLS3/5A(正確にはLS3/5)の開発は、レイモンド・クックだった、といわれている。
彼ひとりでの開発だったのか、それとも何人かでの共同だったのか、
そこまでは知らないが、クックがLS3/5に関っていたことは事実である。

LS3/5AのユニットはKEF製である。
LS3/5AのウーファーB110は、Model 105のスコーカーにも使われている。
トゥイーターはLS3/5A採用のT27の1ランク上のT52で、クロスオーバー周波数は2.5kHz。

LS3/5Aのクロスオーバー周波数は3kHz。
トゥイーターの口径の違いが、クロスオーバー周波数にあらわれているが、
105のHEAD ASSEMBLY(ダルマ状の中高域)は、LS3/5Aを、
もう一度レイモンド・クックが設計したように、昔から感じていた。

しかも105のHEAD ASSEMBLYはトゥイーターとスコーカーの音源の位置合せも行われているし、
フロントバッフルの横幅も極力狭めてあるし、
コーナーは角張ることなく丸められている。

LS3/5AのサイズよりもHEAD ASSEMBLYは少し大きいが、
105のみるたびに、開発過程においては、
LS3/5AがそのままHEAD ASSEMBLYとして使われていた可能性を考えてしまう。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: KEF

KEFがやって来た(その8)

ステレオサウンド 87号のKEFジャパンの広告で始めた見た107。
中高域は105と同じでも、低音部は大きく違っていた。
ウーファーは見えない。

広告に詳しい説明はなくとも、この形状から推測できるのは、
低音部は、いわゆるケルトン型であること。

KEFも、路線変更したのか、
こういうモノを作るようになったのか、とがっかりした。
KEFらしくないキワモノ的な感じを、たった一枚の写真から勝手に思っていた。

この時インターネットがあれば、
Model 107の詳しい情報が得られただろうが、
たった一枚の写真だけである。

トールボーイのエンクロージュアの中には、
ウーファーが一発もしくは二発おさめられていて、
開口部はエンクロージュア底部にあるのだと、勝手に決めつけていた。

1988年、この時点でKEFのModel 107への興味がわくことはなかった。
実物をみることもきくこともなかった107のことは、記憶の片隅に追いやられてしまっていた。

「107? そういえば、そんなモデルがあったな」と思いだすきっかけは二年前、
2015年8月28日だった。

友人のAさんからのSNSのメッセージに、KEFの107を、興味のある人にゆずりたい、とあった。
それからだ、107のことをインターネットで検索し調べはじめたのは。

インターネットには写真、図も含めて、意外にも多くの検索結果が表示された。
日本では知っている人すらほとんどいないモデルであっても、
海外ではなかなか高い評価を得ていたようである。

構造図もあった。
ウーファーは内部に二発ある。
そして開口部は、エンクロージュアの底ではなく、
どうも上部にあるような感じなこともわかった。

実物をみると、たしかにエンクロージュア上部、それも前寄りにある。
ここから低音が鳴るわけだ。
160Hz以上をうけもつHEAD ASSEMBLYは、
このダクト後半分をやや覆うような位置にある。

この位置関係を実際に確かめて思ったのは、
バイロイト祝祭劇場のようだ、である。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その4)

「オーディオ愛好家の五条件」における五味先生の言葉使いは、
人によっては不快、不愉快、さらには怒りをおぼえるという人もいよう。

五味先生はあらためていうまでもなく、プロの物書きだ。
物書き(職能家)だから、書いたこと(活字になって発表したこと)は、
すべて自分に返ってくることは百も承知で書かれている、と私は思っている。

その上で、あそこでの表現をされている。
五条件とあるし、一読わかりやすい内容のようにも思える。

けれど、この五条件について、これまで何人ものオーディオマニアと話してみると、
解釈は実に人さまざまだった。

「④真空管を愛すること。」でも、
どこをどう読めば、そんなふうに受け止められるのか、と不思議になるほど、
人はどこまでも独善的に読めるものだと感心できるほどの人もいた。

「⑤金のない口惜しさを痛感していること。」は、
五味先生自身、《少々、説明が舌たらず》と書かれている。
説明は舌たらずだが、ここにそういった説明はもういらないはずだ。

でも、そのためか、そうじゃないだろう、と声を大にしていいたくなることが何度かあった。
この人は、所詮、こういう読み方なのか、と思った。

この「金のない口惜しさを痛感していること」、
もうこの意味すら通じないのか、と落胆もした。
だから、その人との縁は切った(ともいえるし切れてしまった、ともいえる)。

そういうお前の解釈こそ、ずれているのではないか、
独りよがりなのではないか、そういわれてもいい。

私は私の読み方で読んできた、いまも読んでいる。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: 対称性

対称性(その10)

瀬川先生の指摘にあるように、
B&Oのアナログプレーヤーは、
レコードを真上から掬いとるような形で持っていくような状態でレコードをかけかえるようになる。

EMTの930stも、プレーヤーとしての形状はB&Oと大きく違っていても、
実際に使ってみると、同じレコードのかけかたを、使い手に要求する。

国産のアナログプレーヤーに多いのは、
プレーヤーの正面からほとんど手を前に並えするような形でレコードをかけかえる方法である。

五味先生が、オーディオ愛好家の五条件で、
ヒゲのこわさを知ること、を挙げられている。

ヒゲとは、レコードをプレーヤーにかける際に、
スピンドルの先端でレーベルをこすってしまった線状のあとのことだ。
一発でレコードのセンター孔にスピンドルを通せば、ヒゲがつくことはない。

漫然とレコードを扱っているからついてしまい、
しかも消せないのがヒゲである。
どんなに盤面がきれいにクリーニングされていようと、
ヒゲがついていては、その人のレコードの扱いがどんなものか知れよう。

B&O、EMTがレコードを真上から掬いとるような形でかけかえさせるようにしているのは、
ヒゲをつけないような配慮のようにも思える。

プレーヤーの正面からほとんど手を前に並えするような形でレコードをかけかえるから、
ヒゲがつきやすいレコードの扱いになってしまう。
そういうプレーヤーでも、真上に掬いとるような形でかけかえれば、
ヒゲがつくような扱いをすることはなくなるはずだ。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その8)

ぽっかりと大きな空洞ができた。
1977年3月(岩崎千明)、
1980年4月(五味康祐)、
1981年11月(瀬川冬樹)、
空洞は大きくなるばかりだった。

1981年、18だった私は、その空洞がいつの日か埋まるのか……、とおもった。
その日から40年ちかく経った。
いまでは空洞は空洞のまま残っていていい、とおもうようになっている。

いつからそうおもうようになったのかは、おぼえていない。
その空洞を、どうでもいいことでいっぱいにしたところで、何になるのか、とおもう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: audio wednesday

plain sounding, high thinking(その4)

2016年の1月のaudio wednesdayから音を鳴らすようになった。
昨年は九回の音出し。
今年はいまのところ毎月行っている(11月は音出しはなし)から、九回。

十八回の音出し、すべてを聴いているのは私ひとり。
2015年秋に、いまのエンクロージュアが喫茶茶会記に入り、約二年。
ユニットの配置が変り、その他さまざまなところが変った(というか変えてきた)。

そうとうに音は変ってきている。
毎月一回の音出し。
その度にセッティングして、会が終ればセッティングを崩すことになる。

毎回のセッティングにかける時間は一時間ほど。
毎回少しずつセッティングを変えている。
常連の方でも、気づかないほどに少しずつ変えている。

audio wednesdayでの音出しは、私自身の好みを聴いてもらおうとは考えていない。
目の前にあるスピーカーが鳴りたいように鳴らす方向での音出しを考えているだけである。

そのために必要なのは、スピーカーの出してくる音とのコミュニケーションだと思う。
そうやって出していく音が、”plain sounding”となっていくような気がしている。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その29)

オーディオの想像力の欠如がしていては、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その7)

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代を、
少しでも知っている・体験している者と、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代しか知らない者との違いは、空洞である。

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきている者は、
心のなかに埋めようのない空洞ができてしまったことを感じた。

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきた者すべてが、
そうであるとはいわない。

古くからのオーディオマニアであっても、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代の方がいまや長いのだから、
あの時空洞ができたことう感じても、いまではそうでないのかもしれない。

それだけの月日が経っている。

空洞をいまだ感じている者もいればそうでない者もいる。
ほんとうにそれだけの月日が経っているのだ。

空洞はできたのだろうか、
それともうまれたのだろうか、ともおもう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: オーディオマニア

五条件(その3)

オーディオ愛好家の五条件の冒頭は、こうである。
     *
 オーディオ愛好家──たとえば本誌を購読する人たち──をそうでない人より私は信用する。〝信じる〟というのが誇大に過ぎるなら、好きである。しかし究極のところ、そうした不特定多数の音楽愛好家が喋々する〝音〟というものを私はいっさい信用しない。音について私が隔意なく語れる相手は、いま二人しかいない。その人とは、例えばハルモニア・ムンディ盤で聴くヘンデルの、こんどの〝コンチェルト・グロッソ〟(作品三)のオーボーの音はちょっと気にくわぬ、と言われれば、それがバロック当時の古楽器を使っている所為であるとか、コレギウム・アウレウムの演奏にしては弦の録音にいやな誇張が感じられるとか(コレギウム・アウレウム合奏団の弦楽器は、すべてガット弦を、古い調弦法で調弦して使っている)、そんな説明は何ひとつ聞かずとも私は納得するし、多分百人の批評家がコレギウム・アウレウム合奏団のこのレコードは素晴しい、と激賞しても「ちょっと気にくわぬ」その人の耳のほうを私は信じるだろう。
 もちろん、彼と私とは音楽の聴き方もちがうし、感性もちがう。それが彼の印象を有無なく信じられるのは、つづめて言えば人間を信じるからだ。彼がレコード音楽に、オーディオに注いだ苦渋に満ちた愛と歳月の歴史を私は知っている。
     *
《人間を信じるからだ》とある。
これにつきる。

信じられぬ相手に、オーディオの、音楽の何を語れるというのだろうか。
SNSの普及、そこでのオーディオについてのやりとりをながめていると、
この人たちは、五味先生のオーディオ愛好家の五条件を読んでいないのか、とおもう。

私が勝手にそうおもっているだけだ。