Archive for category 世代

Date: 11月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408Sを見ながら・その2)

目の前にあるSE408Sを、どうメインテナンスするのか。
それを考えるのは、実に愉しい。

電解コンデンサーは、電源部の平滑コンデンサーを含めてすべて交換する予定だ。
アンプ部のプリント基板には、チューブラ型のコンデンサーが使われている。

修理といって、よく見かけるのは、このコンデンサーをラジアル型に交換している例だ。
これは、個人的に絶対やりたくない。

SE408Sは外装がないだけに、コンデンサーの形状の違いは、
そのまま見た目の大きな違いとなってくるからだ。

耐圧、容量が同じで、品質的にも同じがより良いコンデンサーであれば、
形状の違いは気にしない──、そういう考えで修理されているJBLのアンプは少なくない。

そういう修理のアンプを、完全メインテナンス済みと謳われていても、
私は信用しないし、そういうオーディオ店も信用しない。

ただチューブラ型であっても、SE408S当時(ほぼ50年ほど前)のコンデンサーと、
現在のコンデンサーでは耐圧、容量が同じならば、サイズはちいさくなる。

私としては、容量は同じにして、耐圧が高いチューブラ型を選択して、
極力サイズが変らないようにする。

問題は色である。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408Sを見ながら・その1)

いま手元にJBLのSE408Sがある。
これも預かりモノである。
預かりモノのJBLの数が増えていっている。

預かりモノであっても、JBLが集まってくるのはやっぱりうれしい。

SE408Sはずっと以前にも見ているし、聴いたこともある(正確にはSE400S)。
SE408Sは、(その13)で書いているSE408Sそのものである。

SE408Sだから外装ケースはない。
内部はじっくり、常に見ることができる。

手元にあると、回路図と照らし合せて見ることができる。
十分に見た、と思っていても、ふと、あそこは? と気になってもすぐに見られる。

JBLのプリメインアンプSA600のパワーアンプ部は、SE408Sそのままといっていい。
けれとSA600の回路図と内部写真を見ながらだと、こういう変更点があるのかと気づく。

JBLのこの時代のパワーアンプはエナジャイザーを特徴としていた。
SE408Sもそうだ。

けれど、回路図だけを見ているよりも、実物を見ていると、
このエナジャイザー実現のための配線の引き回しは、
想像以上に複雑なことに気づく。

そして、そういえば……、と思い出すこともある。
     *
 たしかに、永い時間をかけて、じわりと本ものに接した満足感を味わったという実感を与えてくれた製品は、ほかにもっとあるし、本ものという意味では、たとえばJBLのスピーカーは言うに及ばず、BBCのモニタースピーカーや、EMTのプレーヤーシステムなどのほうが、本格派であるだろう。そして、SA600に遭遇したのが、たまたまオーディオに火がついたまっ最中であったために、印象が強かったのかもしれないが、少なくとも、そのときまでスピーカー第一義で来た私のオーディオ体験の中で、アンプにもまたここまでスピーカーに働きかける力のあることを驚きと共に教えてくれたのが、SA600であったということになる。
 結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
     *
瀬川先の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
1981年夏、読んだ時は、簡潔といえばそうなのだろうけど……、と半信半疑だった。

でも、いまこうしてSE408Sをじっくりと見ていると、
エナジャイザーまわりがないSA600は、確かに簡潔といえるし、
そのことによる音質面でのメリットは小さくないし、
むしろ昔よりもアンプを取り囲む状況が悪くなっている現在の方が、
SA600の簡潔さのメリットは、より大きいといえるだろう。

SE408Sのエナジャイザーまわりの配線をパスした例をインターネットで見たことがある。

エナジャイザーの機能を使うことはない。
イコライザーカードはフラットのカードがついているし、
ハークネス用のカードが見つかるかどうかもなんともいえないからだ。

それでも本来の機能を活かしたままで、使うことを常に心掛けている。
時には手を加えることをためらわないけれど、
それでもすべての機能を活かしたまま、というのは絶対に守っている。

手元にあるSE408Sは、多少ハムが出ている。
いくつか部品の交換はしなければならないが、
エナジャイザーの機能をパスするようなことはしない。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408S・その16)

あらゆることのくり返しを、前野時代のことを知らない人は、新しいことだと思ってしまう。
オーディオに限っても、そうだ。

以前に話題になったことがしばらくすると当り前になりすぎてか忘れられていくようだ。
ある程度の年月が経ったころに、
同じことを、さも新技術のように謳うメーカーがあらわれると、
少なからぬ人が、それを新しい技術だと受け止めてしまう。

オーディオ評論家の中にも、残念ながらそういう人は見受けられる。

自分の目でしっかりと製品を見ていれば、そういうことにはならないのに……。
結局、そんな勘違いをしてしまう人は、メーカー、輸入元の発表資料だけが頼りなのだろう。

文字で示されることには目が行くけれど、
文字で示されていないところには目が向かない。
そういう人は、オーディオの系譜を語ることができない。

オーディオの系譜を語れない人が増えてきている。
それでオーディオ評論家といえるだろうか。

Date: 11月 6th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その17)

オーディオ機器を家電製品という括りで捉えている人にとっては、
JBLブランドの製品が、昔では考えられなかったほどの低価格で買えるのは、
文句をいうことではないのかもしれないが、
オーディオは家電製品とは違う。

そういうと、日本では家電メーカーがオーディオをやっていたではないか、と返される。
そんなイメージが残っているようだが、
オーレックス(東芝)、Lo-D(日立)、ダイヤトーン(三菱電機)は、
家電も製造しているけれど、重電メーカーである。

テクニクス(松下電器)は家電メーカーといわれれば確かにそうだったが、
オーディオを家電製品として見られるのには、抵抗したくなる。

家電メーカーの製品として見る目には、
Control 1は身近なJBLブランドの商品なのだろうが、
4301が欲しくとも買えなかった時代を送った者にとっては、
羨ましいことだと全く思えない。

私もJBLのJBL Goは持っている。
Control 1よりさらに安いJBLであり、Bluetooth対応のスピーカーである。

でも、それは4301が欲しいと思ったのと同じ気持なわけではない。
JBLというロゴのステッカー、しかも音が出る立体的なステッカー、
そういう気持もあって買った。

なのでオレンジ色を買った。
ブログを書いているとき、常に視界に入ってくるところに置いている。

その15)で、4301にヴィンテージとつけて売る中古オーディオ店があることを書いた。
時代の軽量化だ、とも書いた。

時代の軽量化はControl 1から始まった。
さらに軽量化は進んでいる。

Date: 11月 6th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その16)

私の世代にとって、4301はもっとも身近な、
いいかえればどうにかすれば手が届きそうなところにいてくれている存在だった。

当時のJBLの輸入元サンスイからは、
LE8Tを搭載したSP-LE8Tもあったが、わずかとはいえ4301のほうが廉かった。
それにユニットはどちらもJBLとはいえ、
フロントバッフルにJBLのロゴがあるのとないとは、
10代の若者にとっては、大きな違いでもあった。

つい先日のヘッドフォン祭にもJBLの製品は展示されていた。
ヘッドフォンがあり、イヤフォン、Bluetooth対応のスピーカーなどがあった。
ずいぶん身近に(安く)なったものだ──、と思ってしまうのは、
歳をとったからだけが理由ではないはずだ。

1986年にControl 1が登場した時も、同じように思っていた。
憧れの存在といえたJBLが、こんなに身近なところまで降りてきたことを、
素直に喜べない自分は、オーディオマニアからそうなのか、
それともなにか釈然としない気持は、他のところに理由があるからなのか。

Control 1でも、JBLのスピーカーである。
それでもBOSEの101MMの登場と、あの売行きがなければ、
Control 1は登場してこなかったスピーカーともいえる。

Control 1は43,800円(ペア)だった。
暫くしたから円高ドル安のおかげで四万円を切っていた。

Control 1はロングセラー商品でもあった。
コンシューマー用のControl 1は製造中止になったが、
プロフェッショナル用のControl 1 Proは現行製品だ。

Date: 9月 5th, 2017
Cate: 世代, 瀬川冬樹

とんかつと昭和とオーディオ(瀬川冬樹氏のこと)

とんかつのことを書いている。
そういえば、おもい出す。
そういえば瀬川先生も、とんかつ、お好きだったのか、と。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。
     *
実際にとんかつ屋の看板があったのだろう。
そこに電話番号も書いてあったのだろう。
だから、ただ単に双眼鏡で見えたこと、思ったこと、考えたことを書かれただけかもしれない。

それでも、ここにもとんかつがでてきた、とおもい出す。
《出前をしてくれるのだろうか、と考える》くらいなのだから、
嫌いではなかったはずだ。

Date: 9月 4th, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その6)

BRUTUS 852号のとんかつ特集「とんかつに、明治からの歴史あり。」によれば、
とんかつの元祖といえるポークカツレツは、
銀座の洋食店・煉瓦亭の創業者の木田元次郎氏が、
ヨーロッパで食べられていた仔牛肉のコートレットにヒントを得たもの、とのこと。

明治32年に、ポークカツレツが誕生している。
当初のポークカツレツは、温野菜を添えていて、デミグラスソースだったそうだ。
日露戦争の時期に入手不足になったこともあり、
キャベツのぶつ切りに、その後、千切りへとなっている。

そのころデミグラスソースがウスターソースへ、となり、
パンではなく白い飯を出すようになり、それが現在のポークカツレツである。

BRUTUS 852号には「あの町の、とんかつ」で、
神戸のとんかつも紹介している。
ここに登場するのは、デミグラスソースがかかっている。
添えてあるのは、甘藍の千切りのところもあれば、そうでないところもある。

神戸のとんかつ、と書いてしまったが、
神戸のは、日露戦争以前のポークカツレツであり、
いまのとんかつの元祖となる日露戦争後のポークカツレツではない。

伊藤先生は、この事実を何といわれただろうか。

デミグラスソースのポークカツレツは、これまで何度か、
美味しいといわれている店のいくつかで食べたことはある。

不味いとは思わないけれど、とんかつに似ているけれど、
とんかつとは明らかに違う食べもののように感じた。

伊藤先生が《ラーメンと共に日本人に好かれる食いもの》とされるとんかつは、
甘藍の千切りとウスターソースがよく合うものこそ、である。

Date: 9月 4th, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その5)

伊藤先生は、ステレオサウンド 42号「真贋物語」で、
とんかつについて、こう書かれている。
     *
 とんかつぐらいラーメンと共に日本人に好かれる食いものはない。何処へ行っても繁昌している。生の甘藍(きゃべつ)がこれほどよく合う料理もないし、飯に合うことは抜群である。甘藍とウースターソースの香りを嗅ぐととんかつを連想して食欲が沸く。ビフカツには生のが合わないで甘藍を人参の細切りと茹でてビネガーを加えたものが最高によく合う。逆に之がとんかつと合わないから不思議である。豚も牛もよい肉の場合であることは断っておく。
 鴨と葱のような因縁が、誰が創(はじ)めたのか見事な配合として残されている。
 小さいレストランだと歓喜が悪い為か、入った途端に調理場の臭いがする。これを嗅げば其所のの料理の程度の大方は推察できる。バターの香りとスープ・ストックの香りが漂っていれば大丈夫である。
 とんかつやも然りで、ここの場合は本もののラードの香りがしていれば占めたもの、甘藍も肉も上質なものに決まっている。
 嗅ぐと頭痛がして嘔吐を模様するような油をつかっている家が沢山あるが、その店の前を通っただけで鼻をついてくれるからよく解る。そんな店でもひれかつを出しているから、恐れ入る。ひれは余程よい店のでないと臭くてまずいから中以下の店ではロースの方がよい。それも並の方がうまく高い上の方は厚みがあるだけである。
 脂身があると起って残す人がいるが、程度にもよるけれど油のないロースのかつなど食わない方がよい。
 とんかつソースなんて得体の知れないものを発明してから、どんかつは下落したのである。
 劣悪な肉料理を食うための効能は認めるが、良質な肉と高度な調理に対する害毒と侮辱の外の何ものでもない。
 ウースターソースでさえ、当節日本人の口に合わせたとか称して本物の味のするものが殆どない。国産品で唯一つ納得できるものが有るが儲からぬのか製品が少ないのか、仲仲手に入らない。市場から消えないように祈っているがその中に大手の企業に併合されて、劣悪なものになり下るであろう。
 先日テレビで演歌師の老人が大正時代を顧て「むかしは浅草のパウリスタでとんかつが十銭で食えたもんだが今のよりずっとうまかった。何しろいまとちがってソースだって舶来の本ものだったから。」と気焰を上げていたのを見聞して我意を得たと喜んだものの、この演歌師ほどの老人(私自身を棚にあげて)でなくてはもう忘れられていくのか、と悲しく憶った。
 改悪を重ねて大衆の舌を劣化させていく食品、本物が遠く霞んで消えていくのを見ていると、生き甲斐を失う。
     *
何度も読んだ、この伊藤先生のとんかつの文章こそが、
私のとんかつの基準と、いまもなっている。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その4)

一時間ほど残業していた日だった。
終ってそろそろ帰ろうとしていたら、となりの編集部、
そのころOさんはサウンドボーイの編集長だった。
伊藤先生の記事を作っていたのはOさんが「メシに行くぞ」と声をかけてくれた。

それまでも六本木にあるいくつかの店に連れていってもらっていた。
今日はどこなんだろう、と会社を出たら、裏にある駐車場に歩いていく。
会社の車に乗り、向ったのが浅草の河金だった。

しかも行き先は到着するまで教えてくれなかった。
浅草に来たのも初めてだった。
店に着いて、ここが、あの編集後記に書かれていた洋食やKなのか、とわかった。

メニューは豊富だった(と記憶している)。
何にしようかと迷っていたら、Oさんが勝手に注文してくれた。

編集後記にあるコロッケ二個とメンチカツ二個のニコニコ、
それにオムライス(それも大盛りで)、豚汁、
それにトンカツだった。

河金のトンカツはサイズで選べる。
Oさんは「お前は大食いだから、このぐらいいけるだろう」と言って、
私の分は二百匁のトンカツを頼む。

そのころの私は匁という単位を知らなかった。
二百匁がどの程度の大きさなのか想像がつかなかった。
ただ大きいんだろうな、ぐらいに思っていたら、ケーブルに置かれたとんかつのサイズは、
いままでみたことのない大きさだった。

一匁は3.75g、二百匁だから750gのトンカツである。
Oさんは五十匁だった。

この大きなトンカツ、コロッケ、メンチカツにかけたのは、もちろんウスターソースである。
Uソースのウスターである。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その3)

ステレオサウンド 52号のOさんの編集後記。
     *
 新ジャガのウマい季節がやってきた。毎年旭川の知人に頼んで、メイクインを一箱送ってもらっている。今年の出来はどうだろうか。
 レストランやビストロで出すクロケットも悪くはないけれど、なぜかボクはイモコロッケの方に強い執着をおぼえてしまう。
 もう何年前になるだろうか。I先生に連れていっていただいてから、すっかり気に入ってしまったKという洋食やが、浅草にある。最初に食べたのはニコニコライスというもので、何と、コロッケが2個、メンチカツが2個なのでそう呼んでいるのだ。ここには上コロッケと並コロッケがあり、もちろんボクは挽肉の少ない並の方に、いつもウスターソースをたっぷりかけて食べる。ソースはUソースがいちばんうまい。ところが、この頼みの綱のUソースから、トンカツソースが売り出されて、この店でも2つ容器を置くようになってしまった。最近は容器を振ってたしかめてからかけなければならない。
 ここの調理場はとても広く、客席の方がずっと狭いくらいだ。あまり上品な店ではないけれど、だいいち清潔だし、従業員のサービスも痒いところに手が届くようだ。
 こういう店で食べるだけで、ボクは本当に嬉しくなってしまう。それにしても、アンパンだのコロッケだのは日本の大発明なのではないだろうか。
     *
I先生とは、伊藤先生のこと。
浅草の洋食やKとは、河金のことである。

いまはホテルになってしまっているが、以前はそこに国際劇場があったところのすぐ側に河金はあった。
BRUTUS 852号によると国際劇場で公演したルイ・アムースとロングも訪れた、とのこと。

残念ながら、この辺一帯の再開発で昭和末に閉店してしまった。
いまも河金は入谷と千束にあるし、つい最近大阪にも出来た、ときく。

入谷と千束の河金にも行った。
浅草の河金が閉店してからだ。

でも私にとって河金は、浅草の河金であり、
ここに連れていってくれたのが、Oさんだった。

Date: 8月 19th, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その2)

伊藤先生の「真贋物語(その一)」は、
「くらえども」に続いて、
「(一)名物にうまいものなし」、「(二)目黒のさんま」、「(三)さしみ」、
「(四)ビフテキ」、「(五)とんかつ」とつづく。

それぞれについて書いていきたいところだが、
そうすればいつまでたってもとんかつのことにたどりつかなくなるから、
「(五)とんかつ」について書こう。

私は14歳のときに、「真贋物語(その一)を読んだ。
二冊目のステレオサウンドだから、伊藤喜多男という人がどういう人なのか、
まったく予備知識はなかった。

「真贋物語(その一)」を読んでいくと、
どうも明治生れの人だということはわかってくる。

そういう人が、ステレオサウンドというオーディオオ雑誌に、
食べもののことを書かれている。
しかも真贋物語である。

なにか独特の説得力を感じていた。

伊藤先生が書かれているのは、それぞれの料理のことであり、
外食で味わうそれである。

14歳といえば親と暮している人が大半だろう。
外食することはあまりなかった。
ほとんど家で、母がつくる料理を食べていた。

とんかつを外で食べたのは、東京に出てきてから、と記憶している。
そんな14歳の私が、真贋物語を、くり返し読んでいたわけだ。

Date: 8月 17th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その10)

物分りのいい人ぶっている知人も、チャールス・ミンガスを聴いている。
チャールス・ミンガスは素晴らしい、
チャールス・ミンガスの音楽は人類の宝だ、ともいっている。

黒田先生はチャールス・ミンガスの音楽は、
「怒る勇気を思い出し、怒るという感情の輝きを再確認」する音楽であった。

物分りのいい人ぶっている知人が聴いている、というチャールス・ミンガスと、
黒田先生が聴いてきたチャールス・ミンガスとは同じ人物なのに、
まるで違う音楽の人のようにも感じる。

「怒る勇気を思い出し、怒るという感情の輝きを再確認」する音楽を、
どういう音で、物分りのいい人ぶっている知人は、きいているのだろうか。

Date: 8月 15th, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その1)

BRUTUS 852号の特集、
「とんかつ好き。」を読んでいると、思い出すことがいくつかあった。

ステレオサウンド 42号(私にとって二冊目のステレオサウンド)に、
伊藤先生の真贋物語が載っていた。連載の一回目である。

食べものについて書かれている。
くらえども、という見出しから始まる。
     *
 美食家だの通人だのという人に会ってみると、「あんな廉いものは食えませんな。」とか「お値段が張るだけあって甚だ美味です。」と、自分の口のいい加減なことをその口で説明して金を費っていることをひけらかしているのが多い。未だ未だ修業の段階である。
 食い倒れといって散散食うために贅沢をしつくして貧乏してしまった者でないと味なんてわかるものではない。
 頂上まで辿りついて、ほっとしたときは高みにいることの実感は沸かないが、下って来て翻ってみて、高かったことを沁沁思うものだ。それはどんな事情にしろ別れた女に会いたくなるのと似ている。
(中略)
 当節食品衛生法とかいうものがあって腐敗することを極度に恐れて薬品を用い、黴の生えない味噌醤油などが珍重されたり、幾日店頭に並べて置いても変質しないバターなどが販売されている。その為か腐ったものに対する恐怖も防御も喪失してしまい、動物の最も大切な感覚をなくした植物のような人種が増えて来た。こうした嗅覚の鈍くなった者に味のわかるわけがない。
「食らへどもその味わいを知らず。」というのは勿体ない話だが、「耳、聞けどその音色を知らず」に相似ている。
    *
書き写しながら、ここ数年いわれている草食系の元は、
意外にもこのあたりにあるのかもしれない、と思っていた。

腐ったものに対して恐怖も防御も喪失してしまうという鈍感状態が、
現在の草食系といわれるところにつながっているのかもしれない。

42号は1977年春号である。
40年のあいだに、コンビニエンスストアがものすごく増えた。
いまも増えている。

そこで売られている食べものは、腐敗ということを心配することなく、いつでも買える。

Date: 8月 6th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その9)

誰かと一時間一緒に過すと、その何倍かの時間だけ独りになる必要がある。
孤独は人間の幸福に書かせない要素だ。

グレン・グールドが、そんなことをいっていたと記憶している。
グールドが、ここでいっている人間の幸福とは、
美を知ることのような気がする。

美を知る者は孤独──、
そう捉えるのは間違いだろうか。

物分りのいい人ぶって徒党を組みたければ組めばいい。
そうやって美から遠ざかり、音をきいていればいい。

Date: 8月 6th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その8)

facebookへのコメントに、
ブルーノ・ワルターの「不寛容に寛容であってはならない」とあった。

思い出した。
「たいていのことは寛容であれば解決するが、不寛容に対してだけは寛容であってはならない」
たしかにブルーノ・ワルターはそういっている。

ワルターは1876年にドイツで生れている。
父親はドイツ系ユダヤ人、母親はユダヤ人である。
これ以上は書く必要はないだろう。

ワルターがいうところの不寛容とは、そのことであろう。
でも、それだけではない、と、その時代から70年以上が経ってもそう思う。

コメントに、今日は8月6日だ、とあった。
1945年の8月6日と9日、
この日のことに寛容であってはならない。