世代とオーディオ(老害、独断と分断・その4)
老害と若害。
最近、そんなことを考える。
若害というのは私の勝手な造語だ。
けれど若害がないといえるだろうか。
ことオーディオにかぎってのことでも若害はあるように感じている。
オーディオにおいての老害については、
インターネットの普及、ソーシャルメディアの普及によって、
ひどいものだな、と感じることを目にすることがある。
けれどなかにはあまりにも短絡的に老害だ、
と切って捨てている人がいるのも見かける。
匿名の掲示板などには、聴力の衰える高齢者はオーディオは無理──、
そんなことすら目にしたことがある。
そんなことを書いている本人も、いずれ高齢者になってゆくのに──、
と思うわけだが、たしかに歳をとれば高い音は聞き取り難くなる。
ただし、これは正弦波に関して、である。
このことはここでは触れないが、老害も若害も対称的であり対照的な事象のような気がする。
老害は独断と分断へとつながっていくが、
若害もまた同じだ。独断と分断へとつながっていく。
怒ると叱る。
怒られると叱られる。
この違いがわからない人もまた増えてきているように感じる。
そのこともまた老害と若害を生んでいるのではないだろうか。
老害も若害も、一部のオーディオマニアのことだけだろうけれど、
そういう人の方が声高に叫ぶし、目立つ。