Archive for category 名器

Date: 2月 17th, 2025
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7・その3)

2023年5月の(その2)で、マランツのModel 7を続けて聴く機会があった、と書いている。
2024年もそうだった。
今年もそうなりそうだ。

去年と今年、聴くのは野口晴哉氏のModel 7である。

Model 7ほどよく知られるモデルだと、
オーディオマニアのところで聴く機会は、割とある。
じっくり聴いたことはないけれど、聴いたことはある、とか、
実物を見たことはある、という人はけっこういよう。
そういう存在でもある。

私もこれまでに何度も聴いてきている。
それでもその音は、持ち主が操作しての音だった。

去年と今年、自分でModel 7に触れながら音を出していると、
それまで気がつかなかったことがあった。

各入力間のクロストークが意外に大きいことだ。
アナログディスクを聴いている時に、ライン入力に信号が加わっていると、盛大にもれて聴こえてくる。

最近のハイエンドのコントロールアンプがどうなのかは触ったことがないので知らないが、
音質が高く評価されているアンプでも、
入力間のクロストークは意外に大きかったりする。

このことは覿面、音に影響する。

私が触ってきて確認した中で、このクロストークをほぼ完璧といえるレベルまで抑えているのは、
ソニーのTA-ER1だけである。

TA-ER1が、だからコントロールアンプとして完璧な存在なのかというと、
そうとはいえないのだが、それでもコントロールアンプに求められている性能とは、
本来どういうことで、どうあるべきかを正面から取り組んだ製品だとは言える。

そんなことよりも肝心なのは音だろう、
入力間のクロストークなんて使い手が注意していれば、
問題ないのだから──、
そんな声があるのはわかっている。

世の中には完璧なモノはないのだから、
使い手がうまく補ってやればいいのだとしても、
Model 7を触っていて、TA-ER1のことを思い出していたのは事実だ。

Date: 2月 6th, 2025
Cate: 名器

名器、その解釈(幻の名器・2025年2月5日で鳴らしたモノ)

昨晩のaudio wednesdayの後半で鳴らした「幻の名器」とは、
ウェストレックスの10Aである。

2023年夏に、野口晴哉氏のコレクションの中に10Aを見つけた。
まさかあるとは思ってなかったし、10Aは写真と記事でしか知らなかった。

しかも無造作にプレーヤーの周辺にあった。
立派な箱に収められていたわけではなかったから、
余計に驚きは大きかった。

この10Aがきちんと動作するのかどうか、
いきなりトーンアームに装着して鳴らそうとは思わなかった。
まず、信頼できる技術を持っているところでチェックしてもらい、
整備が済んでから、と考え、ある人にお願いして、
ある会社でやってもらっている。

2023年秋には戻ってきていたけれど、鳴らすことはしなかった。
昨晩、初めて鳴らす。初めて10Aの音を聴いた。

Date: 2月 5th, 2025
Cate: audio wednesday, 名器

名器、その解釈(幻の名器・2025年2月5日)

2023年夏に、このタイトルで書いている。
それがなんなのかは触れなかった。

今日のaudio wednesdayで、最後の方で鳴らそうと考えている。
きちんとした技術を持つところでメンテナンスされているので、
そこに関しては問題はないのだが、周辺環境を整えることに少しばかり気を使う。

私も、その音は聴いていない。
うまく鳴ってくれた音は、いかばかりだろうか。

Date: 12月 2nd, 2024
Cate: 名器

名器、その解釈(JBL 4343の場合・その1)

先月のaudio wednesdayでのJBL 4343の音を聴き終ってからも、
あれこれ考えることがある。

ソーシャルメディアを眺めていると、
このスピーカー(アンプ)は名器だ、という投稿が、よくある。

こちらからすると、それもあれも名器? といった感じだし、
名器も安っぽくなってしまった、としか言いようがない。

愛用するオーディオ機器は名器と呼ばれるモノであってほしいのか。
そんなことも思ったりする。

ステレオサウンド 50号では、
「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」をやっている。
旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞である。

この企画で取り上げられている機器は、
確かに名器といえるものばかりだ。

この50号を高校生の時に読んでいるのだから、
名器の基準ともなっている。

こういうモノが名器だ、と素直に思える。
そういう私からすると、いまの名器の使われ方は、
ただただ安っぽい。

こういうことを書くと、趣味の世界なのだから、
好き勝手でいいじゃないか、という人がいる。

逆ではないのか。
趣味の世界だからこそ──、と私は言いたいわけだが、
本題は、では4343は名器なのか、と問われれば、
多くの人は、名器というだろう。

でも私にとってはちょっと違う。
優れたスピーカーだと思っているし、
オーディオ機器として一流品とも思う。

そしてなによりも、いまでも欲しい。

それでも名器なのか、と問われれば、
少し違う、というのが私の本音だ。

Date: 9月 11th, 2024
Cate: audio wednesday, 名器

名器、その解釈(幻の名器・その後)

昨夏、同じタイトルで、ある幻の幻の名器について少しだけ書いた。

この名器があるのなら、もう一つの名器があってもおかしくない。
詳細はまだ明かさないが、やはりあった。

それを見つけた時、やっぱりあった、と思った。
古いオーディオ機器だから、仰々しく飾ってあれば、何か凄そうなモノかも──、と思うだろうが、
あまりにも無雑作に、しかも別の場所に置かれていると、
何の知識もない人ならば、そのままだったはず。

今回もある、と思ってさがしていたわけではない。
そのオーディオ機器の、ほんの一部が目に入った。
薄暗いところだったから、前にまわって確かめたら、
確かに、あの名器である。

あるところにはある、
けれどそれだけでは終らないわけで、来年を楽しみにしてほしい。

Date: 8月 14th, 2023
Cate: 名器

名器、その解釈(幻の名器)

名器だ、という表現を使いたがる人はけっこういる。
こういう人にかかると、かなりの数の製品が名器ということになる。

世の中、そんなに名器が数多く存在するのであれば、
名器とわざわざいうことはないんじゃなかろうか──、
そんなことをいいたくなるほど、名器という言葉が好きな人がいる。

そういう人は、幻の名器という表現も好きなようだ。
これまた軽い使われ方で、この製品が幻の名器(?)、
と心の中で思ってしまうオーディオ機器であっても、そういう人には幻の名器である。

幻の名器。
私が心からそうおもっているのは、ほんのわずかだ。
そのほんのわずかな幻の名器に、少し前に出逢えた。

その製品のことは、知識では知っていた。
写真は見たことがある。
それでも実物を見たことはなかった。
もう見ることはないだろう、と思っていた──、というよりも、
その製品のことをおもうのもなくなっていたところに、
あるところで偶然にも、その製品を見つけた。

無造作に置かれてあった。
だから、この製品が目に留った時、
オーディオに興味をもってから四十数年。
まだまだ、こういう驚きの出逢いがあるのか、とおもっていた。

詳細は、いまのところ書かない。
製品名をいっても、いまではどういう製品なのか知らない人の方が多いだろう。

日本にいくつ存在しているのか。
存在しているなかで、きちんと動作しているのかはどれだけなのか。
この製品は、もう六十年以上経つ。

その音を聴きたい──、というよりも、
まずは整備である、と考えた。

ある人に相談して、修理・整備ができそうなところに預ってもらって、
約一ヵ月。ようやく仕上がってきた。

おそらく、この状態まで整備されたモノは、ほとんど存在しないのではないか。
その意味でも、幻の名器といえる。

まだ音は聴いていない。

持ち主のところでも、すぐには音出しとはならない。
いいかげな環境で鳴らそうと思えばできるのだけれども、
きちんとした環境で鳴らしたい。

聴けるようになるのは、もう少し先になる。

Date: 5月 1st, 2023
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7・その2)

昨日は、Aさんの友人のOさんのところに伺っていた。
Oさんのところにも、マランツのModel 7があった。

3月、あるところでModel 7の音を聴いている。
どちらも他のコントロールアンプと比較試聴したわけではないから、
Model 7の音だけを聴いたとはいえないわけだが、
Model 7の音を続けて聴いたことは、これまでなかった。

どちらのお宅も、パワーアンプはマランツではなかった。
他社製の管球式パワーアンプとの組合せだった。

スピーカーは、どちらもラッパと呼びたくなるモノで、能率も高め。
そういう状況でModel 7の音を聴いていて思い出したのは、
その1)で書いているクラシックスタンダードということだった。

Date: 8月 2nd, 2022
Cate: 名器
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ヴィンテージとなっていくモノ(人もなのか)

ヴィンテージ・ピアニストの魅力」という本が、
9月26日に発売になる、とのこと。

一ヵ月以上先の発売なのだから、読んでいるわけではない。
本の内容についてあれこれ書くわけではない。

タイトルへの違和感をおぼえたからである。
この本で取り上げられている「ヴィンテージ・ピアニスト」は、現役のピアニストである。

誰について書いていて、誰について書いていないかではなく、
現役、つまり生きている人に「ヴィンテージ」とつけていることに、
私は違和感しかない。

ヴィンテージという言葉を、そもそも人につけるのだろうか。
少なくとも私は、今日初めて目にした。

それでもすでに物故した演奏家、
しかも数十年前にこの世を去った演奏家にもかかわらず、
いまなお多くの聴き手に聴かれていて、
しかも新しい聴き手を呼び起こしている人たちに、ヴィンテージとつけるのであれば、
まだなんとなくではあっても納得できなくもないが、
生きている(現役の)人につけることに、編集部は何も思わなかったのか。

それとも、これがいまの感覚なのか。
違和感を持つ私の感覚が古い、といわれればそれまでだけど、
それでも、人にヴィンテージとつけるのは、おかしい。

Date: 5月 24th, 2022
Cate: ハイエンドオーディオ, 名器

名器、その解釈(とハイエンド・オーディオ)

この項でも書いているように、
名器ということばも安っぽくなってしまっている。
特にオーディオにおいて、十数年前からそんな感じである。

少しでも話題になった製品をすぐに名器という人が増えてきている。
えっ、これが名器なの? そういいたくなる製品も名器と呼ばれるようになってきている。

それからインターネットの普及で、
オーディオマニア同士の交流は広がっていっているわけだが、
そうやって知りあった相手が使っている機器に対しても、
名器ですね、という人もいたりする。

この手の人にかかると、世の中には数え切れないほど多くの名器が、
オーディオにおいては存在することになる。

同じようにハイエンド・オーディオも、そんな使われ方をされはじめたように感じている。
ハイエンド・オーディオの明確な定義がないこともあろうが、
それにしても、これもハイエンド・オーディオと呼ぶの?、
そういいたくなる製品も、なぜかいまではハイエンド・オーディオと呼ばれてたりする。

ソーシャルメディアを眺めていると、
名器とハイエンド・オーディオは、上級機と同じ意味程度で使われていることがある。

どんなオーディオ機器であっても、誰かが使っているオーディオ機器である。
誰かが使っているオーディオ機器を批判したくない、という気持は理解できるが、
だからといって、名器とかハイエンド・オーディオとか、安易に持ちあげることもなかろう。

そういえば来月早々に発売予定のステレオサウンドの特集は、
「オーディオの殿堂」のはずである。

この特集が、いまの傾向に拍車をかけるのか、ブレーキをかけるのか。

Date: 6月 11th, 2021
Cate: 名器

名器、その解釈(その8)

指揮者にかぎらなくてもいい、ピアニストでもヴァイオリニストでもいい。
大ピアニストと名ピアニスト、大ヴァイオリニストと名ヴァイオリニスト。

どちらが優れた演奏家ということは、あまり関係ないように感じている。
それでもなお名指揮者、名ピアニストとはいえても、
大指揮者、大ピアニストと呼ぶことが、ちょっとためらわれる指揮者、ピアニストがいる。

その違いが、わかっているようでいて、よくわかっていない。
ただただ感覚的に大と名を使い分けているような気もしている。

大指揮者と呼ばれる人の演奏が常に名演とは限らない。
それは名指揮者と呼ばれている人の演奏にも同じことがいえる。

名演のときもあれば、さほどでもないときもある。
それでも名演とはいっても、大指揮者による名演を、大演とは呼ばない。
大名演とはいう。

このことから考えれば、大指揮者は大名指揮者なのか。
そんなことも思いつくわけだが、大指揮者は、やはり大指揮者である。

ここに深く関係しているのが、「スケール」なのだろう。
となると、大指揮者は必ずしも名指揮者とは限らないのか。

そんなこともまた考えてしまう。

オーディオはどうだろうか。
名器もあれば、大器と呼ばれるモノもある。

それに大器の場合、未完の大器という使われ方もある。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その6)

マッキントッシュの最初のステレオパワーアンプは、1960年登場のMC240である。
いうまでもなくMC275と同じスタイルを、この時からすでに採用している。

MC240以前のパワーアンプはモノーラル機のMC30、MC60があった。
それ以前にはA116、50W2などがあるが、
黒塗装のシャーシーの前面に大きく”McIntosh”が入り、
両端を少し折り曲げたクロームメッキの天板が、その上に嵌め込まれているスタイルは、
MC30から始まっている。

マッキントッシュのモノーラルアンプで、いいな、と思うのは、
このMC30とMC60である。
MC40、MC75とはシャーシーの形が違う。

「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号で、岩崎先生が書かれている。
     *
 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
(中略)
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
     *
もしもMC30が、MC40のスタイルで登場していたら、
岩崎先生は、山中先生はMC30をはっきりと意識したアンプを自作されただろうか。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その5)

ステレオサウンドが以前出していた「世界のオーディオ」シリーズの一冊、
マッキントッシュ号で、各オーディオ評論家の「私のマッキントッシュ観」がある。

瀬川先生が書かれている。
     *
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
 すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。
     *
このシーンをイメージしていただきたい。
《おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた》、
ここをイメージしてほしいのだ。

これはMC275だからこそ、このシーンが映える。
もしMC75だったら……。

音はMC275よりも良くなった可能性がある。
けれど、MC75を二台抱えてくることは先ず無理。
一台ずつであっても、
MC275は30.4kg、MC75は19.8kgで、
両者のアンプとしての見た目の量感は、実際の重量差以上に感じる。

MC275だから、原田編集長のその姿が様になっているわけだし、
実際に鳴った音と相俟って、瀬川先生のこころに強く焼きついたのだろう。

MC75では、そうはいかなかった(と私は思っている)。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その4)

MC275に限らないのだが、
マッキントッシュの真空管アンプのステレオ仕様では、
三つのトランスの配置は、
手前から左チャンネルの出力トランス、右チャンネルの出力トランス、電源トランス、
である。

右チャンネルの出力トランスは、左チャンネルの出力トランスと電源トランスにはさまれている。
もうこれだけでも、左右チャンネルの条件は違ってくる。

トランス同士の磁気的、振動的、熱的などの干渉が、
左チャンネルと右チャンネルとでは、かなり違ってくる。

さらに出力管との配線の条件も、これほどではないにしても違ってくる。
ここでも左チャンネルが、右チャンネルよりも重視した配線となる。

これらの違いに加えて、先に述べた初段管と次段管との配線の違いがあるわけだ。
MC275は、左右チャンネルをできるだけ等しくするという観点からみれば、
時代遅れのアンプとみられても仕方ない点が、このようにいくつもある。

左右チャンネルをできるだけ等しくという点だけでも、
ステレオ仕様のMC275(MC240)よりも、モノーラル仕様のMC75(MC40)が、
圧倒的に、誰の目にも有利である。

MC275(MC240)の左右チャンネルのそういう違いが気になる人は、
モノーラル仕様のMC75(MC40)を買いましょう、といっているようにも思える。

実際にはMC275(MC240)はモノーラル使いもできる。
その場合には、出力は二倍になる。
より大出力を必要とする人のためのステレオ仕様であったのかもしれない。

そのへんははっきりとしないが、
少なくともMC275を、左チャンネルと右チャンネルの音を厳密に比較すると、
人によっては無視できないほどの違いは生じている。

くり返すが、それが気になる人は、モノーラル仕様を買えばいいのだ。

この点を井上先生は、ある意味理に適っているんだよ、といわれた。
クラシックのオーケストラの配置は、左にヴァイオリン群、右に低音弦群なのだから、と。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その3)

マッキントッシュの真空管パワーアンプで、
ステレオ仕様なのはMC225、MC240、MC275であり、
MC240とMC275にはモノーラル仕様のMC40、MC75がある。

音だけで比較するなら、モノーラル仕様のMC40、MC75が、
MC240、MC275よりもいいであろう。

それでも、私の場合、欲しいと思うのは、
ステレオ仕様のMC275である。
MC75を特に欲しい、と思ったことはない。

それは多分に五味先生の影響が大きいのだが、
そのことを念頭において両機を眺めても、MC75のスタイルに魅力を感じないわけで、
やっぱりMC275なのだと、あらためて思うわけだ。

MC275とMC75は、回路はほぼ同じである。
ただ電源部の整流回路が、MC275とMC75では違う点があるくらい。

けれど一つのシャーシーにまとめなければならないステレオ仕様では、
トランスの向きも90度違うし、外観だけでなく内部にも違うはある。

これはMC275の回路図をみれば記載してあるので気づいている人は多いことなのだが、
初段の12AX7から次段の12AU7への配線は、
左チャンネルは通常の配線材なのに、右チャンネルはシールド線が使われている。

回路図にも右チャンネルの、この部分にはシールド線のマークがついている。
これはMC275だけでなく、MC225、MC240でも同じになっている。

初段の12AX7は、どのモデルも入力端子のすぐそばにある。
この隣に左チャンネルの12AU7、12BH7、12AZ7と並び、
12AZ7の隣に、右チャンネルの12AU7が来て、12BH7、12AZ7となっている。

つまり初段の12AZ7は、内部の2ユニットを左右チャンネルに振り分けていて、
そこから左チャンネルの次段(12AU7)までは最短距離で結線されているのに対し、
右チャンネルは間に三本の真空管の分だけ配線距離が長い。

それゆえに右チャンネルはシールド線を使っているわけだ。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その12)

月曜日、中古ばかり扱っているオーディオ店を覗いてみたら、
テクニクスのSP10が並んでいた。

SP10MK2でも、MK3でもなく、最初のSP10だった。
珍しいなぁ、と思って眺めていたら、
昨晩日付が変るころの、SP10Rが発表になり2018年夏に発売される、というニュース。

やっぱりSP10なのか、とまず思った。
それから2019年には、あのジャケットサイズのSL10を出してくれるのか、と思った。

SL10の登場は1979年。
ちょうど40年後の2019年に復活させるのにタイミングがいい。

SP10R、型番末尾のRはreferenceを意味している。
ターンテーブルの標準原器ともいえるSP10の型番に、そのRをつけるということは、
SP10は、これで最後のモデルという決意のあらわれなのだろうか。

それとも数年後にはSP10R MK2となったりするのか。
そのへんはなんともいえないが、SP10Rの写真を見て、
デッキの形状が変更になり、
それまでのSP10の形状から受けていた土俵という印象がなくなっている。

基本的にはSP10と変らない。
それでも土俵とは感じなかった。
発表された段階で、ターンテーブルシートなしの状態の写真。

シートを、どんな材質にして、どんな形状に仕上げてくるのかでも、
全体の印象はかなり変ってくる。

それからSP10にはなんらかのベース(キャビネット)が必要となる。
以前はSH10B3という専用ベースが用意されていた。
それ以外にも、他社からSP10に使えるベースがいくつも出ていた。

けれどSH10B3が、似合っていた。
今回もSH10B3に代るベースを用意してくるはず。
基本的にSH10B3と同じなのか、あえて変えてくるのか。

ただSP10Mk3が出たときにも思ったのは、
ターンテーブルプラッターをあれだけの重量(10kg、SP10Rは7kg)にしてしまうと、
ベースの重量は、それにも増して必要となってくるのが道理である。

それからサスペンションはどうするのか。
発売まであと一年。
細部を予想していく楽しみが、それまである。