Archive for category 名器

Date: 8月 14th, 2023
Cate: 名器

名器、その解釈(幻の名器)

名器だ、という表現を使いたがる人はけっこういる。
こういう人にかかると、かなりの数の製品が名器ということになる。

世の中、そんなに名器が数多く存在するのであれば、
名器とわざわざいうことはないんじゃなかろうか──、
そんなことをいいたくなるほど、名器という言葉が好きな人がいる。

そういう人は、幻の名器という表現も好きなようだ。
これまた軽い使われ方で、この製品が幻の名器(?)、
と心の中で思ってしまうオーディオ機器であっても、そういう人には幻の名器である。

幻の名器。
私が心からそうおもっているのは、ほんのわずかだ。
そのほんのわずかな幻の名器に、少し前に出逢えた。

その製品のことは、知識では知っていた。
写真は見たことがある。
それでも実物を見たことはなかった。
もう見ることはないだろう、と思っていた──、というよりも、
その製品のことをおもうのもなくなっていたところに、
あるところで偶然にも、その製品を見つけた。

無造作に置かれてあった。
だから、この製品が目に留った時、
オーディオに興味をもってから四十数年。
まだまだ、こういう驚きの出逢いがあるのか、とおもっていた。

詳細は、いまのところ書かない。
製品名をいっても、いまではどういう製品なのか知らない人の方が多いだろう。

日本にいくつ存在しているのか。
存在しているなかで、きちんと動作しているのかはどれだけなのか。
この製品は、もう六十年以上経つ。

その音を聴きたい──、というよりも、
まずは整備である、と考えた。

ある人に相談して、修理・整備ができそうなところに預ってもらって、
約一ヵ月。ようやく仕上がってきた。

おそらく、この状態まで整備されたモノは、ほとんど存在しないのではないか。
その意味でも、幻の名器といえる。

まだ音は聴いていない。

持ち主のところでも、すぐには音出しとはならない。
いいかげな環境で鳴らそうと思えばできるのだけれども、
きちんとした環境で鳴らしたい。

聴けるようになるのは、もう少し先になる。

Date: 5月 1st, 2023
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7・その2)

昨日は、Aさんの友人のOさんのところに伺っていた。
Oさんのところにも、マランツのModel 7があった。

3月、あるところでModel 7の音を聴いている。
どちらも他のコントロールアンプと比較試聴したわけではないから、
Model 7の音だけを聴いたとはいえないわけだが、
Model 7の音を続けて聴いたことは、これまでなかった。

どちらのお宅も、パワーアンプはマランツではなかった。
他社製の管球式パワーアンプとの組合せだった。

スピーカーは、どちらもラッパと呼びたくなるモノで、能率も高め。
そういう状況でModel 7の音を聴いていて思い出したのは、
その1)で書いているクラシックスタンダードということだった。

Date: 8月 2nd, 2022
Cate: 名器
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ヴィンテージとなっていくモノ(人もなのか)

ヴィンテージ・ピアニストの魅力」という本が、
9月26日に発売になる、とのこと。

一ヵ月以上先の発売なのだから、読んでいるわけではない。
本の内容についてあれこれ書くわけではない。

タイトルへの違和感をおぼえたからである。
この本で取り上げられている「ヴィンテージ・ピアニスト」は、現役のピアニストである。

誰について書いていて、誰について書いていないかではなく、
現役、つまり生きている人に「ヴィンテージ」とつけていることに、
私は違和感しかない。

ヴィンテージという言葉を、そもそも人につけるのだろうか。
少なくとも私は、今日初めて目にした。

それでもすでに物故した演奏家、
しかも数十年前にこの世を去った演奏家にもかかわらず、
いまなお多くの聴き手に聴かれていて、
しかも新しい聴き手を呼び起こしている人たちに、ヴィンテージとつけるのであれば、
まだなんとなくではあっても納得できなくもないが、
生きている(現役の)人につけることに、編集部は何も思わなかったのか。

それとも、これがいまの感覚なのか。
違和感を持つ私の感覚が古い、といわれればそれまでだけど、
それでも、人にヴィンテージとつけるのは、おかしい。

Date: 5月 24th, 2022
Cate: ハイエンドオーディオ, 名器

名器、その解釈(とハイエンド・オーディオ)

この項でも書いているように、
名器ということばも安っぽくなってしまっている。
特にオーディオにおいて、十数年前からそんな感じである。

少しでも話題になった製品をすぐに名器という人が増えてきている。
えっ、これが名器なの? そういいたくなる製品も名器と呼ばれるようになってきている。

それからインターネットの普及で、
オーディオマニア同士の交流は広がっていっているわけだが、
そうやって知りあった相手が使っている機器に対しても、
名器ですね、という人もいたりする。

この手の人にかかると、世の中には数え切れないほど多くの名器が、
オーディオにおいては存在することになる。

同じようにハイエンド・オーディオも、そんな使われ方をされはじめたように感じている。
ハイエンド・オーディオの明確な定義がないこともあろうが、
それにしても、これもハイエンド・オーディオと呼ぶの?、
そういいたくなる製品も、なぜかいまではハイエンド・オーディオと呼ばれてたりする。

ソーシャルメディアを眺めていると、
名器とハイエンド・オーディオは、上級機と同じ意味程度で使われていることがある。

どんなオーディオ機器であっても、誰かが使っているオーディオ機器である。
誰かが使っているオーディオ機器を批判したくない、という気持は理解できるが、
だからといって、名器とかハイエンド・オーディオとか、安易に持ちあげることもなかろう。

そういえば来月早々に発売予定のステレオサウンドの特集は、
「オーディオの殿堂」のはずである。

この特集が、いまの傾向に拍車をかけるのか、ブレーキをかけるのか。

Date: 6月 11th, 2021
Cate: 名器

名器、その解釈(その8)

指揮者にかぎらなくてもいい、ピアニストでもヴァイオリニストでもいい。
大ピアニストと名ピアニスト、大ヴァイオリニストと名ヴァイオリニスト。

どちらが優れた演奏家ということは、あまり関係ないように感じている。
それでもなお名指揮者、名ピアニストとはいえても、
大指揮者、大ピアニストと呼ぶことが、ちょっとためらわれる指揮者、ピアニストがいる。

その違いが、わかっているようでいて、よくわかっていない。
ただただ感覚的に大と名を使い分けているような気もしている。

大指揮者と呼ばれる人の演奏が常に名演とは限らない。
それは名指揮者と呼ばれている人の演奏にも同じことがいえる。

名演のときもあれば、さほどでもないときもある。
それでも名演とはいっても、大指揮者による名演を、大演とは呼ばない。
大名演とはいう。

このことから考えれば、大指揮者は大名指揮者なのか。
そんなことも思いつくわけだが、大指揮者は、やはり大指揮者である。

ここに深く関係しているのが、「スケール」なのだろう。
となると、大指揮者は必ずしも名指揮者とは限らないのか。

そんなこともまた考えてしまう。

オーディオはどうだろうか。
名器もあれば、大器と呼ばれるモノもある。

それに大器の場合、未完の大器という使われ方もある。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その6)

マッキントッシュの最初のステレオパワーアンプは、1960年登場のMC240である。
いうまでもなくMC275と同じスタイルを、この時からすでに採用している。

MC240以前のパワーアンプはモノーラル機のMC30、MC60があった。
それ以前にはA116、50W2などがあるが、
黒塗装のシャーシーの前面に大きく”McIntosh”が入り、
両端を少し折り曲げたクロームメッキの天板が、その上に嵌め込まれているスタイルは、
MC30から始まっている。

マッキントッシュのモノーラルアンプで、いいな、と思うのは、
このMC30とMC60である。
MC40、MC75とはシャーシーの形が違う。

「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号で、岩崎先生が書かれている。
     *
 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
(中略)
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
     *
もしもMC30が、MC40のスタイルで登場していたら、
岩崎先生は、山中先生はMC30をはっきりと意識したアンプを自作されただろうか。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その5)

ステレオサウンドが以前出していた「世界のオーディオ」シリーズの一冊、
マッキントッシュ号で、各オーディオ評論家の「私のマッキントッシュ観」がある。

瀬川先生が書かれている。
     *
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
 すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。
     *
このシーンをイメージしていただきたい。
《おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた》、
ここをイメージしてほしいのだ。

これはMC275だからこそ、このシーンが映える。
もしMC75だったら……。

音はMC275よりも良くなった可能性がある。
けれど、MC75を二台抱えてくることは先ず無理。
一台ずつであっても、
MC275は30.4kg、MC75は19.8kgで、
両者のアンプとしての見た目の量感は、実際の重量差以上に感じる。

MC275だから、原田編集長のその姿が様になっているわけだし、
実際に鳴った音と相俟って、瀬川先生のこころに強く焼きついたのだろう。

MC75では、そうはいかなかった(と私は思っている)。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その4)

MC275に限らないのだが、
マッキントッシュの真空管アンプのステレオ仕様では、
三つのトランスの配置は、
手前から左チャンネルの出力トランス、右チャンネルの出力トランス、電源トランス、
である。

右チャンネルの出力トランスは、左チャンネルの出力トランスと電源トランスにはさまれている。
もうこれだけでも、左右チャンネルの条件は違ってくる。

トランス同士の磁気的、振動的、熱的などの干渉が、
左チャンネルと右チャンネルとでは、かなり違ってくる。

さらに出力管との配線の条件も、これほどではないにしても違ってくる。
ここでも左チャンネルが、右チャンネルよりも重視した配線となる。

これらの違いに加えて、先に述べた初段管と次段管との配線の違いがあるわけだ。
MC275は、左右チャンネルをできるだけ等しくするという観点からみれば、
時代遅れのアンプとみられても仕方ない点が、このようにいくつもある。

左右チャンネルをできるだけ等しくという点だけでも、
ステレオ仕様のMC275(MC240)よりも、モノーラル仕様のMC75(MC40)が、
圧倒的に、誰の目にも有利である。

MC275(MC240)の左右チャンネルのそういう違いが気になる人は、
モノーラル仕様のMC75(MC40)を買いましょう、といっているようにも思える。

実際にはMC275(MC240)はモノーラル使いもできる。
その場合には、出力は二倍になる。
より大出力を必要とする人のためのステレオ仕様であったのかもしれない。

そのへんははっきりとしないが、
少なくともMC275を、左チャンネルと右チャンネルの音を厳密に比較すると、
人によっては無視できないほどの違いは生じている。

くり返すが、それが気になる人は、モノーラル仕様を買えばいいのだ。

この点を井上先生は、ある意味理に適っているんだよ、といわれた。
クラシックのオーケストラの配置は、左にヴァイオリン群、右に低音弦群なのだから、と。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その3)

マッキントッシュの真空管パワーアンプで、
ステレオ仕様なのはMC225、MC240、MC275であり、
MC240とMC275にはモノーラル仕様のMC40、MC75がある。

音だけで比較するなら、モノーラル仕様のMC40、MC75が、
MC240、MC275よりもいいであろう。

それでも、私の場合、欲しいと思うのは、
ステレオ仕様のMC275である。
MC75を特に欲しい、と思ったことはない。

それは多分に五味先生の影響が大きいのだが、
そのことを念頭において両機を眺めても、MC75のスタイルに魅力を感じないわけで、
やっぱりMC275なのだと、あらためて思うわけだ。

MC275とMC75は、回路はほぼ同じである。
ただ電源部の整流回路が、MC275とMC75では違う点があるくらい。

けれど一つのシャーシーにまとめなければならないステレオ仕様では、
トランスの向きも90度違うし、外観だけでなく内部にも違うはある。

これはMC275の回路図をみれば記載してあるので気づいている人は多いことなのだが、
初段の12AX7から次段の12AU7への配線は、
左チャンネルは通常の配線材なのに、右チャンネルはシールド線が使われている。

回路図にも右チャンネルの、この部分にはシールド線のマークがついている。
これはMC275だけでなく、MC225、MC240でも同じになっている。

初段の12AX7は、どのモデルも入力端子のすぐそばにある。
この隣に左チャンネルの12AU7、12BH7、12AZ7と並び、
12AZ7の隣に、右チャンネルの12AU7が来て、12BH7、12AZ7となっている。

つまり初段の12AZ7は、内部の2ユニットを左右チャンネルに振り分けていて、
そこから左チャンネルの次段(12AU7)までは最短距離で結線されているのに対し、
右チャンネルは間に三本の真空管の分だけ配線距離が長い。

それゆえに右チャンネルはシールド線を使っているわけだ。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その12)

月曜日、中古ばかり扱っているオーディオ店を覗いてみたら、
テクニクスのSP10が並んでいた。

SP10MK2でも、MK3でもなく、最初のSP10だった。
珍しいなぁ、と思って眺めていたら、
昨晩日付が変るころの、SP10Rが発表になり2018年夏に発売される、というニュース。

やっぱりSP10なのか、とまず思った。
それから2019年には、あのジャケットサイズのSL10を出してくれるのか、と思った。

SL10の登場は1979年。
ちょうど40年後の2019年に復活させるのにタイミングがいい。

SP10R、型番末尾のRはreferenceを意味している。
ターンテーブルの標準原器ともいえるSP10の型番に、そのRをつけるということは、
SP10は、これで最後のモデルという決意のあらわれなのだろうか。

それとも数年後にはSP10R MK2となったりするのか。
そのへんはなんともいえないが、SP10Rの写真を見て、
デッキの形状が変更になり、
それまでのSP10の形状から受けていた土俵という印象がなくなっている。

基本的にはSP10と変らない。
それでも土俵とは感じなかった。
発表された段階で、ターンテーブルシートなしの状態の写真。

シートを、どんな材質にして、どんな形状に仕上げてくるのかでも、
全体の印象はかなり変ってくる。

それからSP10にはなんらかのベース(キャビネット)が必要となる。
以前はSH10B3という専用ベースが用意されていた。
それ以外にも、他社からSP10に使えるベースがいくつも出ていた。

けれどSH10B3が、似合っていた。
今回もSH10B3に代るベースを用意してくるはず。
基本的にSH10B3と同じなのか、あえて変えてくるのか。

ただSP10Mk3が出たときにも思ったのは、
ターンテーブルプラッターをあれだけの重量(10kg、SP10Rは7kg)にしてしまうと、
ベースの重量は、それにも増して必要となってくるのが道理である。

それからサスペンションはどうするのか。
発売まであと一年。
細部を予想していく楽しみが、それまである。

Date: 1月 13th, 2017
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7・その1)

マランツのModel 7は、多くの人がヴィンテージアンプと認める存在だろう。

ヴィンテージという言葉を使うことにいささかの抵抗感がある私でも、
Model 7はヴィンテージアンプかと問われれば、そうだ、と答えそうになる。

ヴィンテージアンプ、ヴィンテージスピーカーなど、
オーディオの世界でヴィンテージが使われるようになる以前、
マランツのModel 7はどんなふうに呼ばれていたのか。

銘器、名器とは昔から云われていた。
そういうこととは別に、何と呼ばれていたのかと思っていたら、
山中先生がステレオサウンド 50号で、クラシックスタンダードという言葉を使われているのを見つけた。

たしかにModel 7はクラシックスタンダードといえる。
ヴィンテージと呼ばれるオーディオ機器のすべてが、クラシックスタンダードではない。
クラシックスタンダードといえるオーディオ機器の方が少ない。

「クラシックスタンダードといえるモノ」というタイトルでも書いていけそうである。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その13)

その4)でSL1200も標準原器だと書いた。
けれど、SP10他、テクニクスの標準原器として開発されたモデルとは、
標準原器として意味合いが違う。

SL1200はあくまでもディスクジョッキーにとっての標準原器であり、
標準原器として開発されたモノではなく、
ディスクジョッキーによって広く使われることによって標準原器となっていったモノだから、
テクニクスがSL1200を復活させるというニュースを聞いたとき、がっかりしたものだった。

昨年の音展では、テクニクスのダイレクトドライヴのプロトタイプが展示されていた。
アクリルのケースの中で回転していた。
それを見て、テクニクスはSP10に代るターンテーブルの標準原器を開発しようとしている、
そういう期待を勝手にもってしまった。

けれど実際に製品となって登場したのはSL1200である。
このニュースを聞いて、テクニクスの復活は本ものだとか、
さすがテクニクス、とか、そんなふうに喜んだ人がいる反面、
私のように、テクニクスに標準原器を求めてしまう者は、がっかりしていたはずだ。

テクニクスは名器をつくれるメーカーとは私は思っていない。
SL1200を名器と捉えている人もいるようだが、そうは思っていない。
最近では、なんでもかんでもすぐに「これは名器」という人が増えすぎている。

テクニクスは、そのフラッグシップモデルにおいて標準原器といえるモデルをつくれるメーカーである。
そう考えると、テクニクスというブランド名がぴったりくる。

だが新しいテクニクスは、以前のテクニクスとはそこがはっきりと違っている。
少なくともいまのところは。

テクニクス・ブランドの製品が充実してくれば、それでテクニクスは復活した、といえるのだろうか。
簡単に「これは名器」といってしまうような人であれば、
テクニクスは復活した、と捉えるだろうが、
以前のテクニクスを知り、テクニクスのフラッグシップモデルを知る者にとっては、
いまのテクニクスは、新生テクニクスかもしれないが、
テクニクスの復活とは思いたくとも思えない──のが、本音ではないだろうか。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その12)

名器ではなく標準原器を目指していたとしても、
アナログプレーヤー関連の製品においては、
ターンテーブルとカートリッジとでは少し違ってくる面がある。

テクニクスのEPC100Cは、MM型カートリッジの標準原器といえるモデル。
SP10はターンテーブルの標準原器といえる。

カートリッジは標準原器として存在していても、
その性能を提示するには、カートリッジ単体ではどうにもならない。
トーンアームが必要であり、ターンテーブルも必要とする。
もちろんアナログディスク(音楽が収録されたもの、測定用)を必要とする。

アナログプレーヤー一式が揃わないと、標準原器としての性能は提示できない。
一方ターンテーブルはといえば、
トーンアームもカートリッジがなければどうにもならないモノでもない。

粛々とターンテーブルプラッターが回転していれば、それである程度は提示できる。
SP10の場合であれば、キャビネット取り付けることなく水平な台の上に置いて、
回転させていればいい、といえる。
ターンテーブルプラッターに手を触れたりスタートボタンを操作することができれば、
単体で提示できる性能は増える。

測定には測定用レコード、カートリッジ、トーンアームなど一式が必要となる項目もあるが、
ターンテーブル単体でも測定できる項目もある。

ターンテーブルは単体で動作(回転)することのできる機器である。
アンプは電源を入れただけでは動作しているとはいえない。
やはり入力信号を必要とする。

スピーカーもそうだ。単体でどうにもならない。
入力信号があってはじめて振動板が動き、動作している状態といえる。
しかもターンテーブルは、プレーヤーシステムを構成する一部(パーツ)にも関わらず、
単体で動作できる。

スピーカーシステムを構成する一部(ユニット、エンクロージュア、ホーンなど)で、
単体で動作できるものはない。

こういうターンテーブルならではのある種の特異性が、
SP10のデザインを生んだとすれば、
テクニクスがどんなにあのデザインを酷評されようと細部の変更を除き、
まったくといっていいほど変更しなかった理由がはっきりしてくる。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(その5)

シーメンスのオイロダインというスピーカー。

スピーカーシステムとは呼びにくい、このモデルは鉄製のフレームに、
外磁型の38cm口径のウーファーと大型のコンプレッションドライバーとホーンが、
がっちりと固定されている。

いわゆるエンクロージュアとよばれる箱はない。
2m×2mの平面バッフルか大型の後面開放型エンクロージュアを用意する必要がある。
いわゆるスピーカーシステムではなく、2ウェイのスピーカーユニットの一種といえる。

出力音圧レベルは104dB/W/mと高い。
周波数レンジは狭い。
トーキー用スピーカーと呼ばれるモノであり、
アメリカのウェスターン・エレクトリックでさえ、
とっくに製造を中止してしまった古典的な劇場用スピーカーを、長いこと製造していた。

1980年ごろにウーファーが38cmから25cmの三発に変更になったが、その後もしばらく製造された。
こういうスピーカーは珍しい。
シーメンスという会社の体質が、他の利益追求型の会社とは違っていたのかもしれない。

ヴィンテージといえるのは、ほぼすべてが製造中止になったモノである。
でも、このオイロダインだけは現役だったころ、
すでにヴィンテージとためらいなくいえたスピーカーである。

Date: 6月 25th, 2016
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(その4)

何をもってして、ヴィンテージというのか。
これを考えていると、なかなか答が出なかった。
これといった定義が見つけられなかった。

ヴィンテージ(vintage)の意味は辞書を引けば載っている。
けれど、英単語としての意味ではなく、
オーディオにおけるヴィンテージとはどういうことなのか、
もしくはヴィンテージオーディオとは、どういうものなのか。

だから一度ステレオサウンドの特集で、
一流品(41号)やState of the Art(49号、50号、53号……)などを開いては、
そこに登場するオーディオ機器をパッと見ては、
これはヴィンテージと呼べる、これは呼べない、これは保留。
そんなふうに続けざまに見ていった。

定義づけがはっきりとしないままで、
むしろそんなことを考えずに、とにかく見て感じたままで、そんな振分けをした。

やっていて気づいたことは、
私がヴィンテージとして選んだモノは、オーディオの古典といえるものばかりであった。

名器と呼べるモノと重なってはいるけれど、
私の中では名器と古典は少し違ってくるところがある。
その意味では、名器をヴィンテージと捉えているわけではないことを確認したともいえる。

アンプでいえば、マランツのModel 7はヴィンテージである(私にとっては、である)。
Model 2、Model 9もヴィンテージといえる。
マッキントッシュのC22、MC275もそうだ。

ではJBLのSA600、SG520、SE400Sはどうかというと、保留だった。
私の中では、これらのアンプは名器として位置づけられている。
けれどヴィンテージかというと、ヴィンテージだ、とすぐさまそう思えたわけではないし、
だからといってヴィンテージではない、とすぐに感じたわけでもなかった。

この三機種の中では、SA600はヴィンテージに近い気もするし、
別の視点から捉えようとすればSG520の方が近いのではないか……、という気もしてくる。

パワーアンプのSE400Sこそ、回路的に見れば古典といえるわけだし、
ならばヴィンテージかというと、必ずしもそうは感じない。