名器、その解釈(幻の名器)
名器だ、という表現を使いたがる人はけっこういる。
こういう人にかかると、かなりの数の製品が名器ということになる。
世の中、そんなに名器が数多く存在するのであれば、
名器とわざわざいうことはないんじゃなかろうか──、
そんなことをいいたくなるほど、名器という言葉が好きな人がいる。
そういう人は、幻の名器という表現も好きなようだ。
これまた軽い使われ方で、この製品が幻の名器(?)、
と心の中で思ってしまうオーディオ機器であっても、そういう人には幻の名器である。
幻の名器。
私が心からそうおもっているのは、ほんのわずかだ。
そのほんのわずかな幻の名器に、少し前に出逢えた。
その製品のことは、知識では知っていた。
写真は見たことがある。
それでも実物を見たことはなかった。
もう見ることはないだろう、と思っていた──、というよりも、
その製品のことをおもうのもなくなっていたところに、
あるところで偶然にも、その製品を見つけた。
無造作に置かれてあった。
だから、この製品が目に留った時、
オーディオに興味をもってから四十数年。
まだまだ、こういう驚きの出逢いがあるのか、とおもっていた。
詳細は、いまのところ書かない。
製品名をいっても、いまではどういう製品なのか知らない人の方が多いだろう。
日本にいくつ存在しているのか。
存在しているなかで、きちんと動作しているのかはどれだけなのか。
この製品は、もう六十年以上経つ。
その音を聴きたい──、というよりも、
まずは整備である、と考えた。
ある人に相談して、修理・整備ができそうなところに預ってもらって、
約一ヵ月。ようやく仕上がってきた。
おそらく、この状態まで整備されたモノは、ほとんど存在しないのではないか。
その意味でも、幻の名器といえる。
まだ音は聴いていない。
持ち主のところでも、すぐには音出しとはならない。
いいかげな環境で鳴らそうと思えばできるのだけれども、
きちんとした環境で鳴らしたい。
聴けるようになるのは、もう少し先になる。