Archive for category オーディオ入門

Date: 10月 19th, 2022
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(たまのテレビで感じること・その2)

テレビ好きの友人が、以前は東京に住んでいた。
とにかくテレビが好きで、しかも仕事をほとんどしていなかったので、
かなりの数の番組を見ていた。

そのなかから、私が気に入りそうな番組を教えてくれると同時に録画してくれていた。
なので、月に一回ほどその友人宅を訪ねてはテレビを見ていた。

その彼も十数年前に故郷に帰ってしまった。
それからはテレビを見る機会がさらに減っている。

その減ってしまった十数年のあいだに感じていることがある。
清楚系の女優として紹介されることが、わりとある。

テレビはさっぱり見なくなったので、雑誌とかインターネットの記事で、
そういうキャッチコピーとともに、女優の写真が載っているわけだが、
毎回、この女優が清楚? と感じることがほとんどである。

私がテレビを見ていたころ、清楚といわれる女優は、
確かに清楚と感じていた。

それがいつのまにか、清楚の基準が変ってしまったのか──、
そんなふうに思うほどに、ほんとうに皆、この女優を清楚なひとと思っているのか、
そんな疑問すらわいてくる。

この十数年間、ずっとテレビを見てきていたら、
いまの清楚の基準にも納得しているのかもしれない。

Date: 5月 28th, 2022
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その6)

「初心者ですよ」と、オーディオ歴がながいにもかかわらず、
ずっとそう言い続ける大人がいる。

謙虚なわけではない。
覚悟がないから、逃げているだけだ。

だから、一本の柱も持つことができないままだ。
ずっとこれまでも、これからも。

Date: 4月 29th, 2022
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカーのネットワーク)

別項「ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その13)」で、
セレッションのDitton 15のネットワークには、
トゥイーター側にたいてい挿入されるアッテネーターがないことを書いた。

アッテネーターがないのはDitton 15だけなのか。
Ditton 25やDitton 66はどうなのか。

インターネットがここまで普及していると、
ほんとうに便利になったと思う。

「ditton 66 crossover」で検索すれば、
すぐにDitton 66のネットワークの写真、回路図が見つかる。
Ditton 25に関してもそうだ。

Ditton 25にもDitton 66のネットワークにもアッテネーターはない。

いうまでもなくマルチウェイのスピーカーシステムで、
変換効率が低いのはたいていの場合ウーファーであり、
システムとして出力音圧レベルを揃えるために、
ウーファーよりも能率の高いスコーカー、トゥイーターにはアッテネーターが挿入される。

このアッテネーターをどう処理するのか。
連続可変型にするのか、固定型にするのか。
回路構成はどうするのか、どういう部品を使うのか。

それでもアッテネーターはないほうがいい。

ただこのへんはスピーカーの捉え方によっては、
ウーファーの能率にスコーカー、トゥイーターの能率を合わせて、
アッテネーターを省略するよりも、
スコーカー、トゥイーターの磁気回路をケチらずに、できるだけ高能率として、
アッテネーターで調整したほうがいい、という考え方もある。

どちらが正しい、というわけではなく、
そのスピーカーシステムの価格、ユニット構成、目指しているところなどによって、
どちらが好適なのかは違ってこよう。

Dittonシリーズを積極的に展開していったころのセレッション。
そのセレッションがDittoシリーズで目指していた音と、
アッテネーターが存在しないということは、
見落せないポイント(共通の鍵のようなもの)だと思う。

Date: 12月 28th, 2021
Cate: オーディオ入門

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その4)

選択と拒否は不可分である、とまでは思っていない。
それでも、選ばなかった途(選べなかった途)についておもうとき、
拒否した途があったのだろうか……。

拒否もいくつかあろう。
やりたくないからくる拒否、認めたくないからくる拒否、
許せないからくる拒否──、などがあろう。

なにを拒否してきたのだろうか。

Date: 5月 12th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・番外の追補)

吉祥寺のハードオフにあるセレッションのUL6は、
トゥイーターが別メーカーのモノに交換されている、という情報を、
ある方からいただいた。

つまりオリジナルそのままではない、ということだ。
トゥイーターが断線していた状態での買い取りだったのか。

セレッションの同型のトゥイーターの入手は、いまではそうとうに難しいだろうから、
単売されているトゥイーターから、使えそうなモノを選んでくる。
そうやって整備されたモノなのだろう。

オリジナル至上主義の人は、そんなこと絶対に許されることではない、というだろう。
人それぞれの主義主張があるから、それはそれでいい。

でも、実際にその音を聴いて、いいと感じたのであれば、
トゥイーターが、他社製のモノに交換されていようと、それはそれでいいじゃないか、
そんなふうに思えないのだろうか。

オリジナル至上主義の人のなかには、転売で儲けるのが目的の人もいる、ときく。
そんな人にとっては、資産価値が落ちた、というふうにみるのだろう。

昨晩、書いているようにじっくり聴いているわけではない。
いわゆるちょい聴き程度でしかない。

それでも、トゥイーターが交換されたであろうUL6は、
心地よい音で鳴っていた、と感じた。

このことは、トゥイーターを適切に選べば、
こういう結果を得られる可能性がある、そういうことである。

これはこれで、おもしろいな、と受け止めている。

Date: 5月 11th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・番外)

夕刻、バスに乗っていた。
吉祥寺行きのバスで、緊急事態宣言が出ているのだから、
どこにも寄らずまっすぐ帰るつもりだったので、途中下車はまったく考えていなかった。

けれど、吉祥寺にあるハードオフの真ん前の停留所でバスが止まった。
しばらく行ってなかったハードオフ、たまには寄ってみるか、と結局途中下車。

オーディオコーナーの三階にあがると、心地よい音が流れているのが耳にはいってきた。
なにかおもしろいモノがないかとくるっと見回ったあとに、
どのスピーカーが鳴っているのか確認したら、セレッションのUL6だった。

10代のころに、やはりオーディオ店で鳴っているのをきいたきりだから、
ほぼ四十年ぶりに聴くUL6だった。

聴いた、といっても前回も今回もじっくり、というわけではない。
それでもあらためてUL6は、いいスピーカーだな、と思いながら聴いていた。

昔聴いた音は、美化されがちである。
だから、ずいぶん時間が経ったあとに聴くと、がっかりすることもままある。
けれど今回はむしろ逆で、UL6の心地よい音が、ほんとうに魅力的でもあった。

家庭で音楽を聴くために必要充分な音とは──、ということを考えさせる音でもある。

しかもついていた値段も、割と安く感じられるものだった。
もう少し聴いていたい、と思いながらも、聴き続けていると、
絶対に欲しくなるから、ぱっときりあげて、店をあとにした。

こまかな採点表をつくって、スピーカーの音をチェックして点数をつけていく──、
そんな聴き方をするのであれば、UL6よりも優秀なスピーカーはいくつもあろう。

でもくり返すが、家庭で音楽を聴くということは、
家庭で音楽を美しく響かせることだと思うから、UL6の音を聴くと、
UL6からここまでの約40年間に得られた音と失われた音、
音といようりも音楽の表情といったほうがいいかもしれないが、
そんなことをどうしても考えてしまう。

セレッションにしてもUL6の数年後に、SL6を発表する。
SL6は、SL600へと発展して、SL700を生み出していった。

SL6の音に驚き、SL600を買って鳴らしていた時期がある。
オーディオ評論家のなかには、SLシリーズ以前のセレッションを、
ひどく低い評価しかしない人がいた。
Dittonシリーズ、ULシリーズを前時代のスピーカーとでもいいたげであった。

でも、ほんとうにそうなのか。

Date: 2月 23rd, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(あらためて感じていること・その2)

どの世代にも、自称オーディオに詳しい、という人はいる。
だから「誰かオーディオに詳しい人、知らない?」と周りにきけば、
「オレ、詳しいよ」という人がいたり、
「○○さんは詳しかったはず」となったりするであろう。

そういう人に相談したとして、答が得られるのだろうか。
たとえばアンプを買いたい、と相談したとしよう。

自称オーディオに詳しい人は、自分が買うんだったら、と判断しがちのところがある。
自分で欲しくないモノを人にすすめることはできない──、
それは確かにそうなのだが、自分の好きなモノ、使いたいモノだけをすすめて、
相談している人にとって、いい結果となるのだろうか。

自称オーディオに詳しい人と相談している人の違いがあるにもかかわらず、
このアンプがいいよ、と、海外製の個性的なアンプをすすめたりする例を、
いくつか知っている。

そのアンプをすすめたくなる気持はわからないでもない。
でも、そのアンプを使う人がどういう人なのかを、ほんとうに考えての推薦機種なのか。

故障した場合のことを考えての機種なのか、と思うことがけっこうあった。
アンプを複数台持っている人にすすめるのであれば、そういうアンプでもかまわないことがある。

そのアンプが故障したとしても、代用のアンプがあるのだから。
しかし、相談している人は、これからアンプを買おうとしている。
ほかのアンプなんて持っていない。

そういう人に海外製のアンプをすすめることは、私はよほどのことがないかぎりしない。
故障した際のアフターサービスの体制の違いが、
国産アンプと海外アンプでは、やはりあるからだ。

海外製のアフターサービスのすべてが国産のそれよりも劣っているわけでなはい。
それでも時間がかかることが多いケースを知っているからだ。

それに輸入元がなくなってしまったらどうするのか。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(あらためて感じていること・その1)

ほんとうの音楽好きは、いい音で聴きたがっている。
このことは以前からそのはずだと、思っていたし、
やっぱりそうだった、とつい最近強く感じた。

いい音で聴きたがってはいても、どうやればいいのかがわからない。
オーディオ機器というモノが必要になるのだから、
ある程度の予算が必要なのはわかる。

けれど、ではいったい何を買えばいいのか。

そのためにオーディオ雑誌がある、と答えたいのだが、
そういう人がオーディオ雑誌(どれでもいい)を買って、熟読したところで、
何を得ることができようか。

何を買えばいいのか。
それぞれのオーディオ雑誌が年末の号で、賞を発表している。
ステレオサウンドだと、ステレオサウンド・グランプリとベストバイが、
冬号の特集になって久しい。

ベストバイの特集を読めば、何を買えばいいのかがわかるのか。
何にもわからない。

とりあえず、多くの人が点数を入れている機種を揃えれば、それでいいのか。
それでほんとうの音楽好きの人を納得させられる音が出てくるのであれば、
一応の答をオーディオ雑誌は提示している、といえそうなのだが、
実際のところ、オーディオ雑誌は何も答えてくれない。

昔のオーディオ雑誌には、読者相談コーナーがあった。
そこで取り上げてくれたら、答が得られるのか、といえば、
答にはなっていない回答があるだけだ。

となると、周りにオーディオに詳しい人がいるかどうかだ。

Date: 2月 18th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ラジオ技術 2021年3月号)

ラジオ技術 3月号を買ってきた。
2月号に続き、「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」が載っていて、
そこに五十嵐一郎氏の名前があったからだ。

五十嵐一郎氏の章には「オーディオから得たこと、伝えたいこと」とついている。

数年前、五十嵐一郎氏が病で倒れられた──、ということはきいていた。
はっきりとしたことは知らなかった。
ひどい人になると、もう亡くなったのでは……、といってたりしていた。

五十嵐一郎氏は、小林秀雄氏の三つのことばを挙げられている。

「君は君自身でいたまえ」
「我は聞けり死鎖の音」
「君は僕にdonneé(与件)ということを教えてくれた人なんだ」

それぞれについて、どんなことを書かれているのかは、
ラジオ技術 3月号を買って読んでほしい。

Date: 1月 28th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(続・問と聞のあいだに)

入門の門(もんがまえ)に口がつくと問、耳がつくと聞になる。

ここでの口と耳はひとりの人物の口と耳ではないはず。
ある人の口から問いが発せられる。
それを別の誰かの耳が受けとめる(聞く)。

ならば問と聞のあいだにあるのは、音である。
門(もんがまえ)と音で、闇になる。

問・闇・聞なのか。

上記のことを六年前に書いている。
いま読み返していた。

聞が音楽のききてとすれば、
問は音楽を発しているのだから、演奏家でもあり、
オーディオの世界に限定すれば、スピーカーとなるのか。

問がスピーカーだとすれば、闇はオーディオの音ということになる。
問が演奏家ならば、闇はオーディオという録音と再生の系となる。

闇は、やみである。

「五味オーディオ教室」に《音の歇んだ沈黙》とあった。
音の歇(や)んだ沈黙、である。

(やみ)は、止みでもある。
ならば歇み、でもあるのか。

闇は《音の歇んだ沈黙》なのだろうか。

Date: 10月 16th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その4)

今日は原宿で、
「音の未来・音を知ること、音をつくることについて」というテーマの、
林信行氏と畑中正人氏によるトークイベントが行われた。

定員50名、入場無料ということもあってか、満員だった。
どういう人が、このトークイベントを聞きに来るのだろうか、という興味もあった。

女性が多いのに驚いた。
30代から40代くらいの女性が多かったように思う。

音にまったく関心がない人は来ないイベントのはずだ。

50分という、少々短いかな、と思われるイベントだったが、
いくつか収穫はあったし、音に関心をもつ人が増えてくれることこそ、
世の中がよくなっていくことにつながっていく、という確信が、より強くなった。

オーディオがこれからブームになるのかどうかはわからないし、
ブームにならなくてもいい、と思うところもある。

けれど、音に関心をもつ人が増え、
関心をもたない人よりもはっきりと多くなった時、
オーディオはブームではなく、はっきりと定着するはずだ。

Date: 9月 29th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その3)

「オーディオって、結局、部屋でしょ」
「オーディオは、いい部屋がなきゃダメなんでしょ」
「オーディオって、部屋込みの趣味でしょ」

言い方は他にもいくつかあるけれど、こういうことをいわれる(訊かれる)ことがある。

こちらがオーディオマニアだとわかると、
音楽は好きだけれども、オーディオには特に関心がないという人から、そういわれる。
今年も、数人の方から、そういわれた。

部屋の重要性は、確かに大きい。
けれど部屋がすべてではない。

私に、そう訊いてきた人たちは、
いい部屋がなければ、いいオーディオ(高価なオーディオ)を揃えても意味がない──、
そんなふうに捉えているようだ。

そういうふうに思い込ませたのは、誰なのか、
と、いつも思う。

一部のオーディオマニアなんだ、と、これまたいつも思うことだ。

音楽好きな人は多い。
できれば、いい音で聴きたい、と思っている人もけっこう多いように感じている。

いい音で聴きたい(聴いてみたい)と少しでも思っている人たちを、
オーディオの世界に引き込むにはどうすればいいかについて、
SNSやブログで書いている人たちがいる。

そういう人のなかには、現在考えられる最高のオーディオ機器を揃えて、
価格は無視しての意味も含まれているわけだが、
とにかく最高の音で、好きな音楽を聴いてもらえば、
何割かの人たちは、オーディオに関心を持つようになるのでは──、
そんなことを見かけたこともある。

私は、これには懐疑的である。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: オーディオ入門

TSURUYA CLASSIC SALON

出身地・熊本のオーディオ事情には疎い。
たまに帰省しても実家でごろごろしているだけで、熊本市内にでかけることもしないから、
熊本のオーディオ事情は疎い、というよりまったく知らない。

PHILE WEBの記事
百貨店でレコードが楽しめる - 熊本の老舗百貨店「鶴屋」クラシックサロンを訪ねる」を
読んだところだ。

私が小学生のころは、熊本には三つのデパートがあった。
この鶴屋の他に、大洋デパートがあった。
当時は大洋デパートのほうが繁盛していたイメージがある。
大洋デパートは、1973年に火災を出し閉店した。

それから岩田屋伊勢丹というのもあった。
福岡の岩田屋と東京の伊勢丹によるデパート(ショッピングセンターか)だったが、
大洋デパート閉店後、鶴屋の躍進に押されてしまったのか、
伊勢丹が撤退し、岩田屋になってしまい、それも閉店してしまった(はずだ)。

熊本では鶴屋の一人勝ちになっているようだ。
その鶴屋に、クラシックサロン(TSURUYA CLASSIC SALON)がオープンしている、
しかも五年前のことである。まったく知らなかった。
嬉しいニュースである。

クラシックサロンだから、オーディオ店ではない。
これが、また嬉しく思うところだ。

今度帰省した時に行ってみよう。

Date: 8月 7th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その10)

その9)で書いた女の子。
このような子供たちは大勢いるのだろうか。

大勢いるとして、大きくなっても、同じことをいうのだろうか。
「映画館って、映画観るだけでしょ。何が楽しいの。観る以外何もないでしょ」と。

ライヴには行っても、CDは買わないという人たちが増えている、ということは、
数年前から耳にするようになった。

「CDを買っても、音楽が聴けるだけでしょ。何が楽しいの。聴く以外何もないでしょ」
こんなことを思っているのか。

握手券がついているCDは、聴くだけではない。
好きなアイドルに会いに行ける、握手ができるという楽しみ・特典がついている。
もうすでに、上記の女の子のような人は、すでに大人の中にもいるのだろう。

オーディオブームはもうこない、ともいえるし、
ホームシアターという趣味にしても、
音だけでなく映像もついているとはいえ、
上記の女の子にとっては、映画と同じだとしたら、
観る以外何もないでしょ、ということになるはずだ。

けれどオーディオが、単なるブームではなく、
その世界の深さと広さがほんとうに広まっていけば、
聴く以外何もないでしょ──、そんなことはいわなくなるはずである。

Date: 3月 30th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その5)

瀬川先生のオーディオ評論家としての活動の柱となっているものは4つある。
これは本のタイトルでいったほうがわかりやすい。

「コンポーネントステレオのすすめ」(ステレオサウンド)
「虚構世界の狩人」(共同通信社)
「オーディオABC」(共同通信社)
「オーディオの系譜」(酣燈社)

それぞれのタイトルが本の内容をそのまま表わしている。

確信していること(その20)」で、こう書いた。
2011年11月だから、七年以上経っている。
昨年も、この四つの柱について、少しだけある人に話した。

この四つの柱は、オーディオ評論家としての活動だけにあてはまることではない。
オーディオ雑誌の編集にも、そのままいえることである。
(このことについては、別項で改めて書きたい。)

オーディオマニアにも、そしていえることである。
「初心者ですよ」という大人がいる。
ずっといい続けているいい歳した大人がいる。

一本の柱すら持たない人なのだろう。