Archive for category オーディオ入門

Date: 11月 11th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その4)

「初心者ですよ」という大人がいる。
ずっといい続けている大人がいる。

そういう人を大人と呼んでいいのかとも思うが、
中年と呼ばれる年代、その上の年代ということで大人としておくが、
「初心者ですよ」と、オーディオのキャリアが長いにも関らずいい続けている人が、
私ははっきりと嫌いだ。

きわめてずるい態度と感じてしまう。
「初心者ですよ」という言葉の裏には、自身の弱さを放置してしまているようにも感じる。
「初心者ですよ」といっておけば、なんでも許される、とでも思っているのだろうか。

そんな臭いがしてくるものだから、ずるい態度と、私はおもう。

つまりは、そんなことをいい続けするということは、
オーディオマニアとしての死を迎えている。

Date: 10月 31st, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(子供の質問)

駅からの帰り道。
前を歩いている女の子(幼稚園児くらい)が、お母さんにしきりに訊いていた。
「お化けはどうしてこわいの? お化けはどうやって怖がらせるの?」と。

お母さんは、うまく答えられずに困っていたようだった。
それでも女の子は、何度も同じことをいっている。

子供の質問。
たとえば、空はどうして青いの?とか、
飛行機はどうして飛ぶの?とかだったら、
いまではスマートフォンがあるから、パッと調べてなんとなくではあっても、答えられる。

けれど、今日の女の子の質問に答えるのは、難しい。
女の子がいうお化けとは、どうも幽霊のことのようだった。

幽霊を見たことがない。
いるという人もいれば、いないという人もいる。

お母さんが、どちらなのかはわからない。
いるのかいないのか、それすらはっきりしない幽霊が、
どうやって人を怖がらせるのか。

幽霊は怖いものだという認識があるだけで、
ただ目の前に現われただけの幽霊は、ほんとうに怖いのだろうか。

こちらに害を及ばさなければ、ただ見えているだけともいえる。
考えても答は出そうにない。

けれど、オーディオにも似たようなこと、同じようなことがいえるのではないのか。
そんなことをぼんやり考えながら、帰宅していた。

Date: 8月 29th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その3)

「初心者ですよ」とか「まだまだ初心者ですから」と口にするオーディオマニアは、
いったいどういう人なのだろうか。

一方で、自身のことをオーディオのプロフェッショナル、玄人ぶる人もいる。

こういった人たちは、実のところ少数派なのかもしれないが、
インターネットとSNSの普及は、こういった人たちの方が多数のように思わせる。

どちらの人も、オーディオを仕事としている人はまずいない、といっていい。
オーディオ以外の仕事をしている人、
もしくはオーディオ以外の仕事をしてきて、いまは退職されている人であろう。

ほとんどの人が、なんらかの仕事をしている。
つまり、その仕事においては、その人たちはプロフェッショナルである(あった)わけだ。

世の中には多くの仕事がある。
職種がある。
それぞれにおいて、それぞれがプロフェッショナルであるのが、仕事であろう。

けれど、たいした実力もないのに、
オーディオの玄人ぶっている人をみると、
この人は、就いている(いた)仕事において、プロフェッショナルではなかったんだなぁ……、
そんなふうに思うようにしている。

その仕事で給料をもらっているのだから、本来はプロフェッショナルであるべきなのだが、
そうでない人が、どうもいるようだ。

そういう人は、本当のプロフェッショナルを、甘くみているのではないのか。
自身が何のプロフェッショナルでもないのだから、
その程度の見方しかできない。

プロフェッショナルの凄さもわかっていない。
わかっていないから、簡単に自身のことをオーディオのプロフェッショナルとか、
玄人だ、とか、そんなことを口にして、
自分よりキャリアの短い人、安いシステムを使っている人を、
アマチュアだとか、素人だとか、そんなふうに小馬鹿にする。

そんなオーディオマニア(オーディオマニアとはいいたくないけれど)がいる。

そんなオーディオマニアと似た臭いを、
いつまでもいつまでも「初心者ですよ」とか「まだまだ初心者ですから」、
そんなことを口にするオーディオマニアにも感じてしまう。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その9)

駅からの帰り道。
すれ違った小学中学年くらいの女の子とそのお母さん、それにお母さんの友だち、
と思われる三人組とすれ違った。

女の子が主張していた。
「映画館って、映画観るだけでしょ。何が楽しいの。観る以外何もないでしょ」と。

お母さんも、その友だちも苦笑いしているように見えた。
映画館は、女の子のいうように映画を観るところであり、
映画を観る以外の何かは、ほとんどない。

パンフレットを買ったり、上映中の映画の関連グッズが少し販売しているくらい。
あとは、おきまりのポップコーンくらいか(私は嫌いなので買わないけれど)。

私が、その女の子と同じくらいのころ、
映画はけっこうな娯楽だった。
近所の歩いて行ける名画座でもそうだったし、
バスに一時間ほど乗って、熊本市内のロードショー館でみる新作映画は、
もっともっと楽しい娯楽であった。

映画を観るだけ、であった。
それが、たまらなく楽しかった。

いまは、どうも違うのか。
それとも、その女の子だけが特別なのか。
その女の子と同世代の子たちも、同じように映画館をつまらない場所だと思っているのか。

この女の子は、映画館を、ディズニーランドとかのテーマパークと比較して、
そんなことを言っていたのか。

Date: 5月 26th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その2)

その分野に関するすべてのことを知っているような人であっても、
その分野に入ってきたばかりの人が話すことから教わる・学ぶことは、確かにある。

子供のいうことからも教わる・学ぶこともある。
それゆえ初心者と、自らのことをいう──、
そのことも承知している。

それであっても……、だ。
そのことと初心者と名乗ることは、別のことのはずだ。

初心者とことわっておくことで、
逃げるところを用意しているだけではないのか。
そんなふうにも思えてくる「初心者ですよ」の使い方が、
SNSの普及とともに目につくようになってきている。

そんな年老いたオーディオマニアを見て、若い人がオーディオの世界に興味をもつだろうか、
入ってくるだろうか。

Date: 5月 26th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その1)

オーディオだけに限らないのだが、
その趣味のキャリアが長くても、己のことを「初心者ですよ」という人がいる。

そんな人を「謙虚な人だ」と思う人もいるだろうが、
私などは、「いつまで初心者でいるつもりですか」と訊きかえしたくなる。

実際にはそんてことはしないし、
おそらく「初心者ですよ」という言葉には、
「初心を忘れないようにしています」が込められているのはわかっている。

それでも、「いつまで初心者でいるつもりですか」といいたくなるのは、
初心を忘れていないベテランもいるし、
初心をとっくに忘れてしまった(キャリアの長い)初心者もいるからだ。

忘れないよう心がける初心とは、
オーディオに真剣に取り組もうと決心したときの純粋な気持のはずだ。

ならばいつまでも初心者と名乗っているわけにはいかない──、
私はそう考えるオーディオマニアだ。

Date: 5月 23rd, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その8)

オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)の違いは、
もうひとつはっきりしていることがある。

オーディオ評論家(職能家)は、読み手を持っている、といえるし、
読み手を生み、育てている。

オーディオ評論家(商売屋)の文章を読んでいる人はいるわけだから、
その人たちは、読み手であるはず──。
そう思われるだろうが、ほんとうに読み手といえる人たちだろうか。
単なる観客なのではなかろうか。

この十年ほど、よくいわれることがある。
CDが売れない、と。
でもライヴには人が入る、と。

音楽好きであれば、ライヴにも行くだろうし、CDも買う。
なのにCDは売れない(買わない人が多い)。

結局、ライヴに行くだけの人(CDを買わない人)は、
音楽の聴き手というより、観客でしかない。

観客であっても、その場にいて音楽を聴いているのだから、
それは十分、聴き手といえるはず──。
もちろんそうであれ、観客と聴き手との境界は、はっきりしているわけでもないし、
こんなことを書いている私も、はっきりとこうだ、と書ける自信はあまりない。

それでも、なんとなく感じている。

Date: 5月 16th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その7)

こうやって毎日オーディオのことを書いていて実感しているのは、
オーディオの底知れぬおもしろさである。
同時に、オーディオ評論のおもしろさも、である。

読んだ時に気づいていたこともある。
数年後に気づいたことこともある。
十年後に、ということだってある。
さらにもっと時間がかかって(歳をとって)気づいたことがある。

そうやっていくつものことがリンクしていく。
そのことに気づくおもしろさこそが、オーディオ評論の読み方(楽しみ方)ではないのか。

瀬川先生は47歳で亡くなられている。
いまステレオサウンドに書いている人たちは、
すべての人の年齢を把握しているわけではないけれど、ほとんどが瀬川先生の年齢をこえている。

年齢だけでなく、オーディオ雑誌に書いている年月も、
書いた文章の量も、瀬川先生をこえている、であろう。

それらの人たちが書いてきたそれらの文章から、
私が瀬川先生(だけに限らない、職能家といえるオーディオ評論家)の文章を、
読み返すことで気づきリンクしていっていることが、行えるだろうか。

私には無理だけれど、
私が職能家として認めないオーディオ評論家、
つまりオーディオ評論家(商売屋)をオーディオ評論家として認めている読み手は、
そういうことができるのか。

できない、と私は思っている。
それは読み手のしての能力の違いということよりも、
書かれたものが、すでに違うからだ。

ここにオーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)の違いが、
はっきりとある。

Date: 5月 15th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その6)

「正しい」と「ほんとう」について考えていて、
ここに関係してくる瀬川先生の文章として思い浮かぶのは、
KEFのLS5/1Aについて書かれたものだ。

ステレオサウンド 29号「良い音とは、良いスピーカーとは?(6)」での文章だ。
     *
 BBCモニターの音は違っていた。第一にいかにも自然で柔らかい。耳を刺激するような粗い音は少しも出さず、それでいてプログラムソースに激しい音が含まれていればそのまま激しくも鳴らせるし、擦る音は擦るように、叩く音は叩くように、あたりまえの話だが、つまり全く当り前にそのまま鳴る。すべての音がそれぞれ所を得たように見事にバランスして安定に収まり、抑制を利かせすぎているように思えるほどおとなしい音なのに全く自然に弾み、よく唱う。この音に身をまかせておけばもう安心だという気持にさせてしまう。寛ぐことのできる、あるいは疲れた心を癒してくれる音けなのである。陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音である。この店が、アメリカのスピーカーには殆ど望めないイギリス独特の鳴り方ともいえる。
     *
《陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音》、
こここそが、「正しい(正確)」と「ほんとう」の違いを的確に表現していることに気づく。

29号は1973年12月だし、
「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年。

瀬川先生に、そういう意図はなかったのかもしれないが、
私には、このふたつの文章がリンクしているように思える。
50を過ぎて、そのことに気づけた。

Date: 5月 14th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その5)

セレッションのDitton 66、Ditton 25について、
瀬川先生が「続コンポーネントステレオのすすめ」で書かれていることが、
実に印象深いとともに、考えさせられる。
     *
 そういう考え方をはっきりと打ち出したイギリス人の作るスピーカーの中でも、セレッションという老舗のメーカーの、〝ディットン〟と名づけられたシリーズ、中でも66と25という、ややタテ長のいわゆるトールボーイ型(背高のっぽの意味)のスピーカーは、同じイギリスのスピーカーでも、15項のKEF105などと比較すると、KEFが隅々までピンとのよく合った写真のように、クールな響きを聴かせるのに対して、ディットンは暖色を基調にして美しく描かれた写実画、という印象で音を聴かせる。厳密な意味での正確さとは違うが、しかし、この暖かさに満ちた音の魅力にはふしぎな説得力がある。ことに声の再生の暖かさは格別で、オペラや声楽はもむろん、ポピュラーから歌謡曲に至るまで声の楽しさが満喫できる。別に音楽の枠を限定することはない。家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうがほんとうではないかとさえ、思わせる。
 こまかいことをいえば、同じディットンでも、66よりも25のほうがいっそう、そうした色あいの濃い音がする。創られた音。しかし、ある日たしかにそういう音を聴いたことがあるような懐かしい印象。その意味でやや古めかしいといえるものの、こういう音の世界もまた、スピーカーの鳴らすひとつの魅力にちがいない。
     *
そういう考えとは、
ハイフィデリティ・リプロダクション(忠実な音の再生)に対して、
グッド・リプロダクション(快い、良い音の再生)であり、
セレッションのスピーカーシステムに限っても、
Dittonシリーズはあきらかにグッド・リプロダクションであり、
SL6以降の、SL600、SL700はハイフィデリティ・リプロダクションとなる。

どちらかのスピーカーがプログラムソースに入っている音を、
どれだけ正確に再生してくれるか、ということでは、
ハイフィデリティ・リプロダクションのスピーカーであるのは明らかだし、
そのことがオーディオの進歩においては正しい、ともいえる。

それでも……、だ。
瀬川先生は
《家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうがほんとうではないかとさえ、思わせる》
と書かれている。
《家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうが正しいのではないかとさえ、思わせる》
と書かれているわけではない。

「正しい」と「ほんとう」。
このふたつの使い分け、違い──、
そういったことを忘れている人が少なくないように感じられる。

Date: 5月 13th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その4)

その2)で引用した瀬川先生の文章に文章について、
facebookでコメントがあった。

読んでいてワクワクした、と。
そしてこんなふうにワクワクする文章が、いまのオーディオ雑誌からなくなってしまっている、とも。

こんなことを書くと、
いや、いまのオーディオ雑誌にもワクワクするような文章が載っている──、
そう思う人もいるであろう。

でも、そのワクワクと、コメントをしてくれた人のワクワクは、同じとは私には思えない。
少なくとも私も、いまのオーディオ雑誌にはワクワクしない。
ワクワクする文章は、そこにはまったく載っていないからだ。

瀬川先生の文章にワクワクしない人で、
いまのオーディオ雑誌に載っている文章にワクワクする人は、
勝手な想像ではあるが、おそらく自分の持っているオーディオ機器、
欲しいと思っているオーディオ機器について、称賛されている文章が載っていれば、
それだけでワクワクできる人なのかもしれない。

瀬川先生の文章はそれだけではない。
瀬川先生の書かれるものには、俯瞰という視点がはっきりとある。

オーディオ評論家(商売屋)の人たちには、その視点がまずない。
現在のオーディオを広く見廻しての俯瞰もあれば、
オーディオの歴史を見ての俯瞰もある。

それらの俯瞰という視点を持たない人の書くものには、深みも広がりもない。
そんな文章にワクワクすることは、絶対にない。

そんな文章しかかけない人たちが何人いても、
オーディオ入門にふさわしい本は出来てこない。

Date: 5月 12th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その3)

セレッションのこれまでのスピーカーシステムのなかで、
Ditoonシリーズがベスト、などというつもりはない。

それに私自身、SL600を鳴らしていた。
欠点はあれどユニークなスピーカーであったし、
巷でいわれるほど駆動力の高いアンプを要求するスピーカーでもない。

SL600、SL700について語られるとき、決って「アンプの駆動力が……」的なことが出てくる。
駆動力の高いアンプとはいったいどういうものか、
そこから話をしていくつもりはないが、
SL600が特別に駆動力の高いアンプを必要としているわけではない。

SUMOのThe GoldでSL600を鳴らしていた。
けれどその前はアキュフェーズのP300Lだった。
The Goldが故障して修理に出しているあいだは、国産のプリメインアンプでも鳴らしていたことがある。

もちろんステレオサウンドの試聴室では、いくつものアンプで鳴らしたSL600の音を聴いてきている。
その経験からいわせてもらえれば、使い手の力量の不足を、
アンプの駆動力に転換していたのではないのか。

SL600にはサブウーファーを追加したSystem 6000が後に登場した。
これも興味深いシステムで、もう一台The Goldを持っていたら(入手できるのであったなら)、
System 6000に手を伸ばしていた。

このころのセレッションは、おもしろかった。
System 6000はそのコンセプトを基に新たに挑戦したいと、いまも思うくらいだが、
SL600、System 6000の時代から30年以上、
いまセレッションの数あるスピーカーシステムで無性に聴きたくなるのは、
Ditton 66、Ditton 25であり、DEDHAMだ。

菅野先生がいわれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》、
それはSL600、System 6000では稀薄になっている。
ゆえに高く評価し、Dittonなんて……、という人を生んだのかもしれない。

SL600、System 6000ではなく、Dittonを思い出すのは、そのためかもしれないし、
いまDittonのようなスピーカーがあるだろうか、とふり返ってみるわけだ。

Date: 5月 11th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その2)

ステレオサウンド 43号で、菅野先生が書かれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》。

このころのセレッションのスピーカーシステムはDittonシリーズが主力であり、
UL6という新しいスピーカーシステムが登場したころである。

UL6とだけ書いてしまったが、こちらもシリーズで、
UL6のうえにUL8、UL10があったが、
日本ではUL6がいちばんよく知られていて、評価も高かった。
それにUL6は見た目が魅力的でもあった。

菅野先生が書かれていることはおもにDittonシリーズを指している、と捉えてもいい。

私にとってのDittonシリーズは、トップ機種の66がまず浮ぶ。
その次は25である。

Ditton 25だけが、トゥイーターを二本パラレルで使っている。
しかも、そのトゥイーターはセレッションのHF1300/IIである。
HF1300は、BBCモニター系のスピーカーにひところよく使われていたトゥイーターであり、
LS5/1にも、スペンドールのBCII、BCIIIにも搭載されている。

このことからもわかるように、Dittonシリーズの中でも古くからある。
1969年発売のスピーカーである。

瀬川先生がステレオサウンド 17号に書かれた文章を読むと、
Ditton 25に興味を持つ人も出てこよう。
     *
 16号のテストの際、たったひとつだけ、おそろしく澄んだ、涼しいように透明な高音を再生するスピーカーがあった。弱々しくどこか腺病質的なか細い音なのに、中域から高域にかけての格調の高い美しさに、永いあいだ忘れていたAXIOM80の音の美しさと同質の鉱脈を見つけ出した。それがフィリップスで、テストが終るのを待ちかねて、一も二もなく買い込んでしまった。
 我家で鳴らしてみると、聴き込んでゆくにつれて、上記の判断があやまりでなかったばかりか、一見不足ぎみの低音も、トーンコントロールなどでバランスをとり直してみると、か細いくせに人の声など実に温かく血が通って、オーケストラも柔らかく広がって、ややおさえかげんの音量で鳴らすかぎり、音質について吟味しようなどという態度も忘れて、ただぽかんと音楽に聴きほれてしまえる安心感がある。
 むろんこの安心感とは、大型スピーカーのいかにもゆったりと鷹揚に鳴るゆとりとは全然別質の、いわば精巧なミニアチュールを眺めるような楽しさで、もともと一台二万円の、つまり欧州で買えば一万円そこそこのローコストのスピーカーに、大型の同質の音など、はじめから望んではいない。けれど、大型で忘れていたかげろうのようなはかないほどの繊細さに、大型への反動もあって、いっときのあいだ、我を忘れて他愛もなく聴き惚れてしまったという次第なのだ。
(フィリップスとはやや異なるがダイナコのA25も圧迫感のないさわやかな音質が印象的だったが、ご承知のようにこれはデンマークで作っているスピーカーだ。アメリカ製のスピーカーとは異質の音がして当然だが、最近コンシュマーリポートに上位にランクされて以来、飛ぶような売れゆきに目下大増産という噂で、品質が低下するようなことがなければよいがと、ちょっと心配している。)
 フィリップスを聴いてまもないころ、イギリス・ヴァイタヴォックスの〝クリプシュホーン〟システムを聴く機会を得た。タンノイ・オートグラフを枯淡の味とすれば、これはもう少し脂の乗った音だ。脆弱さのみじんもない、すわりの良い低音の上に、豊かに艶めいた中高域がぴたり収まっている。あえていえば、たいそう色っぽい。中年の色気を感じさせる音だ。人を溺れさせるシレネエの声音だ。広いヘヤが欲しいなあと、つくづく思う。
 さらに今回の組み合わせテストの、ブックシェルフから大型スピーカーまでを同じ部屋に集めて同一条件で鳴らすという前例のない実験に参加してみて、改めて、上記の各スピーカーに加えて、ディットン25やタンノイのレクタンギュラー・ヨーク、ヴァイタヴォックスのバイトーン・メイジァに、何か共通の鍵のようなものを見出したように思った。
 音色の上ではむろん、一つ一つみな違うのに、たとえばレクタンギュラー・ヨークはまるでディットン15の延長にあるような、あるいはディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせるほど、音楽の表現に共通の何かがある。そのことに思い当ったとき、音楽の伝統と音への感性という点で、ヨーロッパの良識に裏打ちされた音造りというものが、少しも衰えていないことに気づいた。
     *
《ディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせる》、
もうこれだけで私には充分だ。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その2)

約一年前に、モノ・マガジン(2017年2月16日号)が、
オーディオを特集していることを書いている。

いま書店に並んでいるモノ・マガジン(5月16日号)も、
特集の一本はオーディオである。

表紙には、「趣味な男の4大特集! コーヒー、オーディオ、文房具、ロレックス」とある。
コーヒー、オーディオ、文房具ときて腕時計ではなく、ロレックスとあるのが、
別格扱いですごい、と思うのだが、このことには触れない。
とにかくオーディオがコーヒー、文房具、ロレックスに交じっている。

書店で手にとって見た(ようするに立ち読みだ)。
買う気にはならなかったけど、モノ・マガジン的取り上げ方ではある。

もう少しボリュウムのある記事だったら……、
もう少しつっこんだ内容だったら……、
そんなふうに感じるけれども、
オーディオがこうして取り上げられていると、つい手にとってみたくなるし、
オーディオマニアのひとりとして嬉しい。

それにしても、ほんとうにブームなのだろうか。

Date: 3月 20th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その1)

昨年11月と12月に、
オーディオを特集した「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」とSWITCH Vol.36を紹介した。

この二冊には、何人かのリスニングルームが紹介されている。
その人たちのシステムを見ながら、
セレッションのDittonシリーズを、いまも使っている人がいるのを見つけて、
やっぱりセレッションはDittonシリーズなんだよね、と思っていた。

セレッションからSL6が登場し、
アルミハニカムエンクロージュアのSL600、SL700が続いて、
これらのスピーカーを高く評価する人の中には、
それ以前のセレッション、つまりDittonシリーズが主力だったころのセレッションを、
終ってしまったメーカーのように書いている人がいた。

SL6の開発リーダーのグラハム・バンク、
彼がいなかったころのセレッションは、絞り切った雑巾のようだ、という表現もあった。

SL6は優れたスピーカーではあったし、SL6の音には驚くこともあった。
そしてSL600が登場して、私は買った。

けれど、私の心のなかでは、Dittonシリーズも、いいスピーカーなのに……、という気持がつねにあった。
古くさい音と、SL6以降のセレッションの音を高く評価する人は、そういっていた。

ほんとうにそうだったのだろうか。

「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」、SWITCH Vol.36を見て、
Dittonシリーズに興味をもった人がいるのかいないのか──、
それは知りようがないが、
Dittonシリーズと同系統の音を聴かせてくれるスピーカーは、
いまやなくなってしまっていることも気づかせてくれる。