Audeum Audio Museum
昨晩、ソーシャルメディアを眺めていたら、
驚くしかない動画が表示された。
韓国にあるAudeum Audio Museumである。
説明は不要だろう。
とにかくリンク先をクリックしてほしい。
驚かれるはずだ。
私は驚くとともに、負けた、と感じていた。
日本には、ないからだ。
「韓国 オーディオミュージアム」で検索すると、
オーディオとはまったく関係ないところに記事があった。
この記事を読んで、また負けた、と感じていた。
昨晩、ソーシャルメディアを眺めていたら、
驚くしかない動画が表示された。
韓国にあるAudeum Audio Museumである。
説明は不要だろう。
とにかくリンク先をクリックしてほしい。
驚かれるはずだ。
私は驚くとともに、負けた、と感じていた。
日本には、ないからだ。
「韓国 オーディオミュージアム」で検索すると、
オーディオとはまったく関係ないところに記事があった。
この記事を読んで、また負けた、と感じていた。
四日前の5月9日、
『ノイズキャンセリングできる「遮音カーテン」が登場』というニュースが目についた。
詳しいことはリンク先を参照していただきたいが、
やっとこういうモノが実用になる時代が来た、と思いながら読んでいた。
このノイズキャンセリングが可能な遮音カーテンの性能が向上すれば、
外から入ってくるノイズをキャンセリングするだけでなく、
部屋の中の音までもキャンセリングしてくれるようになる。
つまり疑似的な無響室が作れるようになるだろう。
そして私がいちばん期待していることは、その一歩先であり、
遮音カーテンが新たな残響を作り出してほしい、ということだ。
疑似的な無響室が可能になれば、
その空間は疑似的には広くできるはずでもある。
そう錯覚させることはできるだろう。
その上で、残響を遮音カーテンが作り出すことで、
理想的な音響特性を作り出せる可能性を感じている。
残響時間、そのスペクトラムなどこまかなパラメータを調整することで、
文字通り、部屋をコンサートホールへと変えることが夢ではなくなる。
個人的にはリスニングルームをコンサートホールにしたいわけではないが、
この遮音カーテンのもつ可能性をあれこれ考えてみるのは楽しいだけでなく、
オーディオがこれから先、趣味としてずっと続いていくためにも、必要だと思う。
オーディオの究極のかたち、
もしくはオーディオの行き着くところとして、
直接脳に信号を送るということが、昔から語られている。
いまもそうらしい。
けれど考えてみてほしい。
スピーカーからの音を聴くという行為は、
肌感覚もともなってのことである、と。
脳に直接音楽信号を送れば、
いろんなことに悩まされずにすむけれど、
それですべてが解決する、というよりも満足できるようになるのだろうか。
ヘッドフォン、イヤフォンでしか音楽を聴かない(聴いたことがない)人は、
肌感覚はむしろ煩わしいのかもしれない。
そういう人は、脳に音楽信号を送るのを、理想として捉えているのかもしれないが、
スピーカーで聴くことをながいこと続けてきて、
しかもそれに飽きない人もいて、そういう人はもしそういうことが可能になったとしても、
スピーカーからの音で音楽を聴いていることだろう。
昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。
audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
*
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
*
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。
私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。
長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。
長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。
リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。
おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。
それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。
コンサートホールは、音楽が生まれる場である。
もっといえば音楽が生まれる現場である。
録音スタジオもそうである。
コンサートホール、録音スタジオで生まれた音楽をマイクロフォンがとらえ、
なんらかの媒体に記録(録音)される。
その音楽を、聴き手は自分の部屋で、自分のシステムで再生する。
ということは、リスニングルームは音楽を再生する場なのか、と思うのだが、
生まれたものはすべて死んでいくのだから、
リスニングルームは、音楽が死んでいく場である。
コンサートホールでも、録音スタジオでも、そこで生まれた音楽は、
そのままそこに残っているわけではない。
自然と消えてゆく。
それは音楽の死ととらえるか、ただ消えていった、ととらえるか。
リスニングルームでの音楽も消えてゆくだけではないか。
そうとらえてもかまわない。
けれど、私はリスニングルームは、音楽が死んでゆく場、
死んでゆく現場だととらえる。
ここで書いていることで具体的なことは何ひとつない、ともいえる。
私が頭のなかで描いていてる唯一の具体的なカタチがある。
といっても、そこに何ら技術的な根拠や裏づけがあるわけではない。
なんだ、ただの直感かよ、といわれようが、
私としては、それこそがatmosphere designに必要なカタチだという確たる直感である。
別項「2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その3)」で最後に書いている。
つまりトーラスである。
空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくるというのは、私の予感であり、
(その5)で書いている「空間のレイヤー化」とは、ノイズのレイヤー化とも思っている。
そしてディフューザーである。
川崎先生が書かれている「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」。
これが「空気のデザイン(atmosphere design)」と深く関ってくる、
というのが私の直感である。
「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(atmosphere design)」で、
リスニングルーム内の空気のデザインを考えていく必要がある──、
と書いたのが四年前。
四年経ったからといって、何か具体的なことを考えついたわけではないが、
空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくることのはずだ。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
ここで、糸川英夫氏が語られている「空間のマルチ化」とは違う意味で、
この「空間のマルチ化」を捉えると、それは「空間のレイヤー化」ではないかと思う。
とはいっても「空間のレイヤー化」を説明できるわけではない。
それでも「空間のレイヤー化」こそが、
「空間のマルチ化」につながっていくと確信はしている。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に掲載されていた瀬川先生の文章を、
別項で引用した。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」そのものをひっぱり出してこなくとも、
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている瀬川先生の文章はテキスト化しているから、
このブログを書いているMacのハードディスクに記録されている。
それでも「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」をひっぱり出してきた。
ひっぱり出して、実際にページをめくることで気づくことがあるのを知っているからだ。
巻末に「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」という記事がある。
インタヴュー形式で、聞き手は相沢昭八郎氏。
糸川英夫氏についての説明はいらないだろう。
ばっさりと省かせてもらう。
知らない人は、Googleで検索していただきたい。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」は1978年に出ている。
ほぼ40年前の本であり、「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」は40年前のインタヴュー記事である。
タイトルになっている未来学の「未来」とは、すでに過ぎ去った時代のことだろうか、
それともまだ来ていない時代のことなのだろうか。
こんなことをあえて書いたのは、昨夜読み返していて、実におもしろいと感じたからである。
正直にいえば、1978年にも、この記事は読んでいた。
でも当時は、15歳の私は、それほどおもしろさがわからなかった。
この記事に「空間のマルチ化」という表現が出てくる。
それから伝声管のことも出てくる。
こんなにおもしろい記事だったのか、といまごろワクワクして読んだ。
「色即是空、空即是色」なのかと思う。
「空なる実装空間」
川崎先生のコメントには、そう書いてあった。
オーディオのデザイン、オーディオとデザインについて考えていると、
オーディオ機器のデザインだけにとどまらず、
もうそろそろ空気のデザインということを考えていく時期に来ているように感じてしまう。
空気のデザイン、
つまりはリスニングルーム内の空気、
特定の空気であるから、アトモスフィア(atmosphere)のデザインとなる。
それはリスニングルームに、音響パネル、その類のモノを置くことも含まれはするが、
それだけのことにとどまらず、
リスニングルーム内の空気をどうデザインするかの領域を含んでの考えである。