Archive for category ジャーナリズム

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかんてくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その35)

オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その34)

オーディオの想像力の欠如した人は、前に進めない。
貫けないからだ。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その33)

オーディオの想像力の欠如した人は、貫くことができない。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その32)

オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。

Date: 10月 11th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その31)

オーディオの想像力の欠如した耳には、スピーカーの音は聞こえても、
スピーカーの「声」は聴こえないのかもしれない。

Date: 9月 23rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その30)

オーディオの想像力の欠如のままでは、空洞ゆえの重さを感じることはないのだろう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その29)

オーディオの想像力の欠如がしているから、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。

Date: 9月 13th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その28)

オーディオの想像力の欠如のままでは、わがままになることはできない。
わがままを貫き通すこともできない。

Date: 9月 12th, 2017
Cate: ジャーナリズム, 組合せ

組合せという試聴(その9)

昔のステレオサウンドにはあったアンケートハガキ。
ベストバイ特集号の前号には、
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの投票用紙といえるハガキだった。

アナログプレーヤー、カートリッジ、トーンアームから
アンプ、チューナー、デッキ、スピーカーにいたるまで、
現用機種とともに記入されていた。

その8)で書いているように、
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの集計をやっていると、
ほんとうにそこに記入されている機種を組み合わせて音を出したら……、と思うものが少なくなかった。

意外性でおもしろいかも、と思う組合せ的ハガキもあった。
読者みなが組合せを意識して記入しているとはかぎらないのはわかっている。

それでも集計をする者からすれば、それぞれの項目だけを見て集計していても、
ハガキのすべての項目をまず見ることを忘れているわけではない。

返ってきたハガキを見ていると、
それまでのステレオサウンドの特集(総テスト)で評価の高かった機種が、
それぞれのジャンルで並んでいる、というものも少なくなかった。

その3)で書いた受動的試聴と能動的試聴。
組合せを考慮していないと感じるハガキからは、
受動的試聴での評価の高いモノが並んでいるだけの印象を感じていた。

実際のところはわからない。
私がそう感じたハガキであっても、記入した人は、組合せを考慮しての記入だったのかもしれない。

私がそのハガキから、そこのところを読みとれていなかった、という見方もできる。
それにすべての読者が、ステレオサウンドで取り上げた機種すべてを聴いているわけでもない。
どこに住んでいるのか、東京に住んでいても積極的に出掛ける人もいればそうでない人もいる。

オーディオ店での試聴は、単に聴いた、という程度と受け止めている人もいる。
ハガキを書いた人が、どの機種を聴いていて、それもどういう環境で、どの程度しっかり聴いているのか、
また聴いていない機種はどれなのか、
そういったことはまったくわからない。

聴ける機種よりも聴けない機種の方が多い人が多かったのではないか。
ならば受動的試聴の結果(試聴記)を参考にハガキを記入する。

Date: 9月 9th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その27)

オーディオの想像力の欠如をそのままにしていたら、冒険はできない。

Date: 8月 14th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオ雑誌に望むこと(その2)

別項「日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その5)」で、余韻が短くなってきた、と書いた。

アサヒグラフ、毎日グラフといった写真誌が、
特別なイベント(たとえばオリンピック)を扱ったときには、
書店のよく目立つところに置いてあった──、
そういう時代は、まだ家庭用ビデオデッキがほとんと普及していなかったころである。

それにテレビの走査線は525本。
実際に画面表示に使われていたのは480本で、これが有効走査線だった。

ハイビジョンでは走査線数は1080本になり、
4Kテレビでは2160本、8Kテレビでは4320本。

昔のテレビは、粗かった。
オリンピックの結果を伝える新聞の写真は、もっと粗かったし、モノクロの時代でもあった。
当時リアルタイムで見ることのできたのは、いまの基準からすればずいぶんと粗いクォリティだった。

オリンピックが終り、興奮も薄れてきたころに、
アサヒグラフや毎日グラフが書店に並ぶ。
そこに掲載されている写真は、クォリティの高いものだった。

写真だから動きはしないものの、鮮明さにおいては、
新聞の写真はもちろんテレビよりもずっと鮮明に、
そこでの出来事を鮮明なまま切り取った状態で伝えてくれていた。

書店に並ぶまで時間はかかるが、それだけのクォリティがあった。
周りが低かった、ということもあるが、
薄れてきた記憶、興奮を甦らせるだけのクォリティがあった。
だから余韻がその分持続していた。

だからこそ売れていたのだと思う。

いまは違う。
4Kテレビの普及、
2020年の東京オリンピックまでには8Kの本放送も始まる。

リアルタイムで、当時では考えられなかったクォリティで見ることができる。
しかも録画もでき、くり返し見ることまても可能になっている時代だ。

Date: 8月 13th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオ雑誌に望むこと(その1)

岩崎千明という「点」があった。
瀬川冬樹という「点」があった。

人を点として捉えれば、点の大きさ、重さは違ってくる。

岩崎千明という「点」が書き残してきたものも、やはり「点」である。
瀬川冬樹という「点」が書き残してきたものも、同じく「点」である。

他の人たちが書いてきたものも点であり、これまでにオーディオの世界には無数といえる点がある。

点はどれだけ無数にあろうともそのままでは点でしかない。
点と点がつながって線になる。

このときの点と点は、なにも自分が書いてきた、残してきた点でなくともよい。
誰かが残してきた点と自分の点とをつなげてもいい。

点を線にしていくことは、書き手だけに求められるのではない。
編集者にも強く求められることであり、むしろ編集者のほうに強く求められることでもある。

点を線にしていく作業、
その先には線を面へとしていく作業がある。
さらにその先には、面と面とを組み合わせていく。

面と面とをどう組み合わせていくのか。
ただ平面に並べていくだけなのか、それとも立体へと構築していくのか。

なにか、ある事柄(オーディオ、音楽)について継続して書いていくとは、
こういうことだと私はおもっている。
編集という仕事はこういうことだと私はおもっている。
     *
四年前に「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(はっきり書いておこう)」をそのままコピーした。
点を線にしていく、
線を面へとしていく、
面と面を、どう並べるのか。

雑誌は、面だと思う、本来は。
そうでないと感じる雑誌も多いけれど。

雑誌は定期的に出版される。
創刊号から最新号までの「面」をどう並べるのか。

ただただ順番に横一列に並べているだけにしか感じられない雑誌もある。
本来雑誌は、それまで出してきたバックナンバーという面によって、
立体を構築していくものではないのか。

Date: 8月 10th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その26)

オーディオの想像力の欠如のままでは、問いを発することができない。
問いを発せられなければ知識の体系化は無理である。

Date: 7月 31st, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その25)

オーディオの想像力の欠如が、迎合へと向わせる。