Archive for category ジャーナリズム

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その5)

貧すれば鈍する、という。
出版不況といわれて、もう何年目なのか。
あとどのくらい続くのか。

オーディオ雑誌も、そんなに売れていないのは書店に行けばわかる。
電車に乗っていてもわかる。
私が東京に出て来たばかりのころ、
電車でステレオサウンドや、オーディオ雑誌を読んでいる人はいた。

いまではまったく見かけなくなった。
まだ読者だったころ、電車に乗ったら買ったばかりのステレオサウンドをすぐさま開いて読んでいた。
ステレオサウンドだけではなかった、他のオーディオ雑誌もそうだった。

いまはそういう人をまったく見かけなくなった。
売れていないのは事実だ。

売れないから貧する。
貧するから鈍する。
だから個人サイトにあるカタログや広告のデータをそのままいただいて、記事に使う。

これこそ鈍する、だ。
ならば好況へと向いていけば、そんなこともなくなるのか。
どうだろうか……、と正直思う。

結局、鈍すれば貧する、なのだ、と思うからだ。
そして二年前に書いた『オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)』を思い出した。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その4)

いまではカタログも広告も、パソコンで制作されるのだから、
紙の状態で保管しておく必要はなく、デジタルデータのまま保存しておけばよく、
保管場所の問題も発生しないのだから、どのメーカーも輸入商社も持っていることだろう。

でも、それはいつごろからなのか。
早いところでは2000年前後からかもしれないし、
遅いところは数年遅れてなのかもしれない。

どちらにしろ、それ以前のカタログ、広告に関しては、
実際のカタログや広告をスキャンしてデジタルデータにしないかぎり、
紙のままでの保管となり、それを見たい人がいても叶わないだろうし、
保管されたままでは資料としての価値も、ほとんどない。

パソコンで制作される以前のカタログや広告のデジタルデータ化は、
個人がやることなのだろうか。

メーカーや輸入商社、もしくはオーディオ協会などの団体が旗振り役を買って出て、
オーディオ業界に従事している人たちがやることではないのか。

お金にならないことは、どうもやりそうにない。
誰もやらないから、結局個人がやるしかない。
カタログ、広告の資料価値に気づいた人が、やるしかない。

カタログを公開されているHideさん、広告を公開している私にしても、
つまりはそういうおもいでやっている。
Hideさんがどういう方なのかまったく知らないが、そうだと思っている。

目の前の利益しか見ていていのか(見えていないのか)と、
オーディオ雑誌の編集者、その出版社に悪態をつきたくなる気持がないわけではない。

それでいて、平気で無断流用する。
本来ならば、その広告が載っているオーディオ雑誌のバックナンバーを探し購入して、
スキャン、レタッチ作業などを編集部でやっての雑誌掲載のところを、
ひとことのことわりもなしに、バレないと思ってやっている(としか思えない)。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その3)

今回と同じデジタルデータの流用は、
オーディオ雑誌だけに限ったことではない。

facebookやtwitterといったSNSに、事件や事故、その他の写真や動画が公開される。
その場にいた人がスマートフォンで撮影したものである。
それをテレビ局が無断で放送してしまうことが、以前度々あって、
そのことでSNSで炎上したこともあって、最近では使用許諾をとっているようである。

テレビとオーディオ雑誌とでは、見る(読む)人の数が大きく違う。
テレビ局がいまもそんなことをやっていたら、SNSで叩かれる(炎上する)。

今回の件は、それとはちょっと違うところがある。
スマートフォンで撮影した写真や動画と、オーディオのカタログや広告とは同じには語れない。

カタログ、広告の著作権はどこにあるのかといえば、
広告制作会社、カタログ制作会社なのか、それともメーカー、輸入商社なのか。

私がthe re:View (in the past)で、
そういった古い広告を公開しているのは、だからグレーゾーンだということは認識している。
それでも、こうやってスキャンしてデジタルデータとしておかないと、いずれ消失してしまう。

広告が掲載されている雑誌そのものが処分されてしまうだろうし、
広告の原版が、メーカーや輸入商社に、いまも保管されているかといえば、
必ずしもそうではない。

(その1)で書いている、ある会を主宰される人が問い合せされたオーディオメーカーは、
オーディオだけのメーカーではなく、大企業である。
でも、そこにも40年前の広告に関するものは残っていないわけだ。

カタログも同じなことを知っている。
すべてを保管しているメーカーはどのくらいあるだろうか。

それに残っていたとしても、ただ保管されているだけでは死蔵でしかない。
カタログも広告も、貴重な資料ということを、
メーカー、輸入商社の人たちは理解しているのだろうか。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その2)

その1)を書いたとき、
タイトルに(その1)とはつけていなかった。

(その2)(その3)……、と続きを書く気はなかった。
もっといいたいことはあったが、ここで留めておこう、と思っていた。

今日、(その1)にコメントがあった。
Hide様からのコメントを読んで、(その2)を書くことにした。
(その1)は二つ前の記事だけど、こう書いていてもコメントを読む人は、
そう多くないのがわかっているから、ここでも引用しておく。
     *
あるサイトを運営していますが、同じ事を経験しました。
私の場合は広告ではなくカタログでしたが、雑に文字消しをした際の跡がそのまま載っていて気づきました。
今のオーディオ雑誌の編集者のレベルはその程度なんだと思います。
     *
あるサイトとは、オーディオ関係のサイトなのは、読めばわかる。
そこで公開されているカタログを、どこかのオーディオ雑誌に無断で掲載されたわけだ。

Hideさんもそうだが、自分でレタッチした画像は、すぐに気づくものである。
無断拝借のオーディオ雑誌の編集者は、自分でそういう作業もやらないのだろう。
やっていれば、こんなことをやっていたら、すぐにバレる、ということに気づくはずだ。

とにかく私だけではなかった。
他の人も、イヤな思いをされている。
だから、こうやって(その2)を書いている。

Date: 6月 9th, 2018
Cate: ジャーナリズム
1 msg

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その1)

the re:View (in the past)で、オーディオ雑誌に掲載された広告を公開している。

国内メーカー、輸入商社の広告を、
昔のオーディオ雑誌をバラして、一枚一枚スキャンして、
見開きの広告であれば左右ページを合成してレタッチして公開している。

300dpiでスキャンしているから、雑誌の記事にも使えるクォリティはある(はずだ)。
だからといって、ひとことのことわりもなしに、
オーディオ雑誌の記事に、それらの広告の画像が使われていることがある。

今日もあった。
少し前にもあった。

数年前には、audio sharingで公開しているウェスターン・エレクトリックのアンプの回路図、
これもあるオーディオ雑誌で公開されていた。

回路図などは、他でも公開されているのに、
なぜaudio sharingで公開している画像だとわかったのかといえば、
レタッチでやり残しているところがあって、それがそのまま残っていたからだ。

公開しているからといって、私になんらかの権利があるわけではない。
the re:View (in the past)には、引用についてなにかを書いているわけでもない。

それにサイト全体の名称がaudio sharingだから、
共有について、こまかなことはいいたくない。

それでもこんなことを書いているのは、
先月、見知らぬ方からメールがあった。
ある会で、the re:View (in the past)で公開している広告画像を使いたい、ということだった。

私の前に、そのメーカーにも問い合せされたけれど、
メーカーにも何もデータが残っていない、ということだった。

もちろん、お使いください、と返信した。

その数ヵ月前に、あるオーディオ店からも、同じようなメールが届いた。
そのオーディオ店のブログに、あるオーディオメーカーの広告の画像を使いたい、ということだった。

こちらに対しても、お使いください、と返信した。

そうやって何かの役に立てれば、やはり嬉しい。
けれど一方で、何の連絡もなしに、記事中にも何の注釈もなしに、
オーディオ雑誌の編集者は、使う。

バレない、と思っているのだろうか。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その11)

株式会社ファーストリテイリングの単独スポンサーによって「考える人」は、
新潮社から出ていた。

単独スポンサーゆえに、その会社が降りてしまえば、
そして次のスポンサーが見つからなければ、それで終りとなる面ももつが、
「考える人」のオーディオ版は、やはり無理なのか、とずっと思っていた。

「考える人」だから単独スポンサーがついた、ともいえる。
オーディオ雑誌に、単独スポンサーがつくだろうか。

オーディオメーカーが単独スポンサーについたのでは、意味がない。
オーディオと関係のない会社で、オーディオ雑誌の単独スポンサーになるところ、
そんな会社、あるわけがない──、と思い込んでいた。

先月のKK適塾が終って、数日後、ふと思いついた。
もう完全に妄想の領域であるし、可能性としてはゼロではないだろうが、
限りなく近いこともわかっている。

わかったうえで書いている。
川崎先生が編集人・発行人としてのオーディオとデザインの雑誌ならば、
DNPが単独スポンサーになることだって、可能性としてはまったくゼロではないはずだ。

Date: 4月 3rd, 2018
Cate: ジャーナリズム

ステレオ時代 vol.11

ステレオ時代というオーディオ雑誌がある。
1970年代、1980年代にオーディオに夢中になっていた世代をターゲットにしている、といえる。
だから、私もターゲットのひとりなのだが、
私は、ステレオ時代を面白いとは思っていなかったし、
記事の内容についても、なにかいいたくなることのほうが多い。

もう書店でみかけても手にとることもなくなっていた。
でも今日は違った。
いま書店に並んでいるステレオ時代 vol.11の表紙に「ありがとう中島平太郎先生」とあったからだ。

雑誌も人も、すべてが変っていく──、
そのことはわかっていても、
どうもそれはネガティヴな方向へ変っていくことが多過ぎるためか、
なかなかポジティヴな方向へ変っていくとは思いにくい──、
そうおもっているのは私だけなのか。

「ありがとう中島平太郎先生」という記事のタイトルは、ストレートすぎるな、と感じる。
でも、妙に凝りすぎたタイトルよりは、好感がもてる。

他のオーディオ雑誌は、どこもやらなかった。
ステレオ時代だけが「ありがとう中島平太郎先生」をやった。
広告にはまったく結びつかない内容の記事をつくっている。

「ありがとう中島平太郎先生」で、私はステレオ時代への認識を少し改めた。

Date: 1月 5th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その41)

オーディオの想像力の欠如は、音で遊ぶことしかできず、アクセサリーに拘泥する。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その40)

オーディオの想像力の欠如は、「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いが理解できない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その39)

オーディオの想像力の欠如とは、甘えそのものだ。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その38)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音を聴くために、
聴く音楽があることにも気づかない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その37)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その36)

オーディオの想像力の欠如を放っていては、音楽の追体験にとどまる。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかんてくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その35)

オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。