Archive for category ジャーナリズム

Date: 1月 5th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その41)

オーディオの想像力の欠如は、音で遊ぶことしかできず、アクセサリーに拘泥する。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その40)

オーディオの想像力の欠如は、「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いが理解できない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その39)

オーディオの想像力の欠如とは、甘えそのものだ。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その38)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音を聴くために、
聴く音楽があることにも気づかない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その37)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その36)

オーディオの想像力の欠如を放っていては、音楽の追体験にとどまる。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかんてくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その35)

オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その34)

オーディオの想像力の欠如した人は、前に進めない。
貫けないからだ。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その33)

オーディオの想像力の欠如した人は、貫くことができない。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その32)

オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。

Date: 10月 11th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その31)

オーディオの想像力の欠如した耳には、スピーカーの音は聞こえても、
スピーカーの「声」は聴こえないのかもしれない。

Date: 9月 23rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その30)

オーディオの想像力の欠如のままでは、空洞ゆえの重さを感じることはないのだろう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その29)

オーディオの想像力の欠如がしているから、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。

Date: 9月 13th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その28)

オーディオの想像力の欠如のままでは、わがままになることはできない。
わがままを貫き通すこともできない。