憶音という、ひとつの仮説(その9)
水は循環している。
音はどうだろうか。
音も循環しているのだろうか。
循環している、と仮定しよう。
そのうえで、循環から外れてしまった音があるように、思う。
なにか根拠があって、そうおもうのではなく、憶音について考えていると、
そうおもえてならない。
水は循環している。
音はどうだろうか。
音も循環しているのだろうか。
循環している、と仮定しよう。
そのうえで、循環から外れてしまった音があるように、思う。
なにか根拠があって、そうおもうのではなく、憶音について考えていると、
そうおもえてならない。
瀬川先生の「虚構世界の狩人」を読んだことも、
憶音について考えるきっかけに なっている。
*
「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるか、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついてゐた時、突然、このト短調シンフォニィの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。」
「モオツアルト」の中でも最も有名な一節である。なに、小林秀雄でなくなって、俺の頭の中でも突然音楽が鳴る。問題は鳴った音楽のうけとめかただが、それを論じるのが目的ではない。
だいたいレコードのコレクションというやつは、ひと月に二〜三枚のペースで、欲しいレコードを選びに選び抜いて、やっと百枚ほどたまったころが、実はいちばん楽しいものだ。なぜかといって、百枚という文量はほんとうに自分の判断で選んだ枚数であるかぎり、ふと頭の中で鳴るメロディはたいていコレクションの中に収められるし、百枚という分量はまた、一晩に二〜三枚の割りで聴けば、まんべんなく聴いたとして三〜四カ月でひとまわりする数量だから、くりかえして聴き込むうちにこのレコードのここのところにキズがあってパチンという、ぐらいまで憶えてしまう。こうなると、やがておもしろい現象がおきる。さて今夜はこれを聴こうかと、レコード棚から引き出してジャケットが半分ほどみえると、もう頭の中でその曲が一斉に鳴り出して、しかもその鳴りかたときたら、モーツァルトが頭の中に曲想が浮かぶとまるで一幅の絵のように曲のぜんたいが一目で見渡せる、と言っているのと同じように、一瞬のうちに、曲ぜんたいが、演奏者のくせやちょっとしたミスから——ああ、針音の出るところまで! そっくり頭の中で鳴ってしまう。するともう、ジャケットをそのまま元のところへ収めて、ああ、今夜はもういいやといった、何となく満ち足りた気持になってしまう。こういう体験を持たないレコード・ファンは不幸だなあ。
しかし悲しいことに、やがて一千枚になんなんとするレコードが目の前に並ぶようになってしまうと、こういう幸せな状態は、もはや限られた少数のレコードにしか求めることができなくなってしまう。人は失ってからそのことの大切さに気がつく、とはよくぞ言ったものだ。
*
レコードのジャケットを半分みえただけで、
そのレコードおさめられている音楽が、一瞬のうちに頭のなかで鳴ってしまう、という経験は、
音楽好きの人ならば、きっとあったはずだ。
でも、いまでは《ひと月に二〜三枚のペースで、欲しいレコードを選びに選び抜いて、
やっと百枚ほどたまった》というような聴き方は、とおい昔のことになっているかもしれない。
瀬川先生が、この文章を書かれたころからすると、レコード(録音物)の価格は、
相対的に安くなってきている。
それにいまではインターネットにアクセスできる環境があれば、
ほぼ聴き放題の状態を簡単に得られる。
月に二〜三枚のペースで、百枚ということは三年から四年ほどかかる。
いまでは百枚(それだけの曲数)は、聴く時間さえ確保できれば、それで済む時代だ。
三年から四年かかる、なんてことは、いまでは悠長すぎるのかもしれない。
けれど、それだけの時間をかけながら、音楽を聴いてきたからこそ、
一瞬のうちに頭のなかで音楽が鳴ってくる、はずだ。
この経験は憶音に関係してくることのように感じているけれど、
そういう経験をもたない人も現れ始めていても、不思議とはおもわない。
別項で、コーネッタについて書いている。
いつかはタンノイ……、いつかはコーネッタ……、というおもいはずっと持ち続けていたけれど、
いまさらコーネッタなのか……、というおもいもないわけではない。
なのにコーネッタなのは、ここでのテーマである憶音という仮説について、
検証してみたいから、という気持もあるのだろう。
それでも思うのは、MQAを聴いていなければ、実行にうつすことはしなかっただろう、ということ。
MQAで音楽を聴いていると、確かめたいことが次々と出てくる。
こんな仮説を、誰かがかわりに検証してくれることはないのだから、
自分でやるしかない。
人はどうやって音を聴いているのか。
特にオーディオマニアは、どうやって音を聴いているのか、
そしてどうして音が比較できるのか。
そんなことを考えて思いついたのが、憶音である。
別項「50年(その9)」で書いたことが、憶音の発想のきっかけである。
根拠は特にない。
ただ、これまでさまざまな機会で音を聴いてきて、
その時々で感じたなぜ? に答を見出そうとして思いついたことである。
なので妄想じみた考えなのは自覚している。
それでも思うのは、人はその場で鳴っている音を聴いているのではなく、
実のところ、いったん脳に記憶にされた音を聴いているのではないだろうか。
ようするに3ヘッドのテープデッキのような仕組みである。
録音ヘッドがテープに記録した磁気変化を、すぐ隣りにある再生ヘッドが読み取り電気信号へと変換する。
テープが脳にあたる。
耳から入ってきた音(信号)を、脳が記憶する。
この記憶の仕方・性能は、人によって違ってくるだろうし、
同じ人であっても、その日の体調やその他によって左右されるのかもしれない。
そうやって記憶した音(信号)をなんらかの方法で再生して、
その音(信号)を聴いている。
しかもテープのトラック数は一つとは限らない。
これも人によって違ってくるように感じている。
それにトラックによって、記憶の性能にバラツキもあるのかもしれない。
ただひとつ違うのは、テープには「記録」されるのであって、脳には「記憶」されることだ。
少なくとも音楽に関しては、
そして、これもなぜなのかはまったくわからないが、
オーディオを介して鳴ってくる音楽に関しては、少なくともそうなのではないのか。
(その2)で、「氷点下の三ツ矢サイダー」のことを書いた。
四年前のことである。
当時山梨のセブン・イレブンのレジ横の専用ケースで冷やされていた。
それ以降、山梨に夏に行くことはなかったし、都内のセブン・イレブンで見かけたことはなかった。
今日、新宿・歌舞伎町を歩いていたら、自動販売機で「氷点下の三ツ矢サイダー」が売られていた。
VR ZONE SHINJUKUの建物の裏に設置されていた自動販売機の一台で売られていた。
自動販売機から取り出したら、すぐに開蓋して飲んでください、と注意書きがある。
製品の性質上、買ってすぐに飲むものである。
四年前とまったく同じとは感じなかったけれど、
確かに「氷点下の三ツ矢サイダー」であった。
ジェラルド・モーリス・エデルマンは「記憶された現在」といっている。
味覚にしても聴覚、嗅覚、視覚など知覚のすべては、
その瞬間瞬間だけのものではなく、
過去の経験に頼っているという意味での「記憶された現在」である。
味覚だけに限っても、(その3)で書いている菅野先生のコカ・コーラの件、
(その2)で書いた、私の三ツ矢サイダーの件、
どちらも「記憶された現在」だと思える。
エデルマンの「記憶された現在」も仮説なのだろうと思う。
「記憶された現在」を否定する仮説も、とうぜんあるように思う。
それでも、いまのところ「記憶された現在」には、感覚的に納得できる。
同じ場で同じ音を聴いているにもかかわらず、
まるで正反対の音の印象が出ることは、決して珍しいことではない。
聴く人が二人以上いれば、こんなことはよくある。
これも「記憶された現在」として捉えれば、なるほど、と思えるわけだ。
ケーブルで音は変らないと言い張る人がいることも、
「記憶された現在」という観点からみれば、違う側面が見えてくるのではないだろうか。
これまで聴いてきた記憶、
さまざまなオーディオ機器を比較試聴してきた記憶、
どこか、誰かの部屋で聴いた音の記憶、
そういった音の記憶の蓄積が、いつ音を聴いている瞬間瞬間に呼び起こされ、
いまそこで聴いている音に関係してくる、
もしくはひとつになって聴こえてくる。
そして、いま聴いた音もまた記憶になっていく。
駅の改札を出ると、その奥に書店がある。
ふだんは帰り道にある別の書店に寄ることが多い。
この書店には数えるほどしか寄っていない。
今日はふと寄ってみた。
さほど広い書店ではない。
一周するのにも時間はかからない。
そのまま出ようと思っていたが、
レジの近くに平積みになっているコーナーを見てから帰ろう、と思い直した。
目に留った装丁の本があった。
なんだろう、と手にとった本は、吉野朔実の、今日発売になったばかりのものだった。
「いつか緑の花束に」だった。
帯には「吉野朔実から、あなたへ。」とある。
おそらく、これが吉野朔実の最後の本なのだろう。
これだけだったら、ここで書くつもりはなかった。
「いつか緑の花束に」には、未公開ネームが収録されている。
ネームとは、マンガになる前のいわばスケッチ的なもので、
コマやセリフの割振りが割に描かれている。
本は印刷されたものだから、それは肉筆ではない。
でも収録されているネームを読んでいると、どこか肉筆に近いといいたくなるものを感じる。
この肉筆とは、録音・再生の系では何になるのか。
そんなことを考えていた。
2002年10月から2003年12月いっぱいまで、渋谷区富ケ谷に住んでいた。
最寄りの駅は小田急線の代々木八幡だった。
まだ高架になっていない。
踏み切りがある。駅も古いつくりのままである。
私鉄沿線のローカル駅の風情が残っている、ともいえる。
電車が通りすぎるのを待つ。
踏み切りが開く。視界の向うには階段がある。
山手通りへと続いている階段だ。
この風景、どこかが見ている。
どこで見たんだろう……、と記憶をたどったり、
手元にある本を片っ端から開いていったことがある。
ここで見ていたのだ、とわかったのは数ヵ月後だったか。
吉野朔実の「いたいけな瞳」の、この踏み切りがそのまま登場しているシーンがある。
一ページを一コマとしていた。(はずだ)。
印象に残っているシーン(コマ)だった。
「いたいけな瞳」は最初に読んだ吉野朔実の作品であり、
最初に買った吉野朔実の単行本だった。
あの風景は現実にあるのか。
記憶と毎日見ている踏み切りと階段の風景が一致したときに、そう思った。
今日ひさしぶりに小田急線に乗っていた。
代々木八幡駅を通りすぎるとき、この風景は目に入ってきた。
そうだった、吉野朔実はもう亡くなったんだ……、と思い出していた。
オーディオとは直接関係のないことのように思えても、
記録、記憶、録音、それから別項のテーマにしている憶音などが、
この風景と吉野朔実とに関係していくような気がした。
小学校のころ飲んでいたコカ・コーラはガラス瓶に入っていた。
それからコカ・コーラをケースで買うと、コップがついてきた。
このコップに注いで飲んでいた。
小学生だと一気に飲めない。
しかも氷を入れていた。
しばらくすると氷は溶け、炭酸も抜けてしまう。
そんなコカ・コーラをストローで吸って飲んでいた。
そうなってしまったコカ・コーラに、あまり薬っぽい味はしなかった。
そして思うのは、いまコカ・コーラを買ってきて、炭酸が抜けた状態で飲んだ味は、
実のところ、昔とそう違っていないのではないか、ということだ。
私が小学生のころは炭酸飲料はそう多くはなかった。
いまはかなりの数があり、ハタチをこえれば炭酸入りのアルコールも飲むようになる。
そうやって炭酸という刺戟になれてきてしまっている。
炭酸への耐性が、小学生のころはほとんどなく、いまはしっかりとある、といえるだろう。
とすれば、コカ・コーラの味、初めて飲んだ時のコカ・コーラの味は、
炭酸という刺戟があってこそのものではないのか。
氷点下の三ツ矢サイダーは、通常の三ツ矢サイダーよりも炭酸がきめ細かく強い。
だから、はじめて飲んだ三ツ矢サイダーの味を思い出せたのかもしれない。
菅野先生が麦茶と思って口にしたコカ・コーラの味が、初体験のコカ・コーラの味をよみがえらせたのは、
炭酸飲料ということを知らずに飲まれたからではないのか。
麦茶と思ってだったから、炭酸は予期せぬ刺戟だったわけだ。
「氷点下の三ツ矢サイダー」を飲みながら思い出したことはいくつかある。
菅野先生がコカ・コーラの味について書かれた文章だ。
菅野先生の著作集「音の素描」をお持ちの方ならば思い出されるだろう。
*
先日、ちょっと面白い体験をした。他愛のないことなのだが、ご紹介させていただく。喉が乾いたので、麦茶の冷たいのを一杯所望した。物事に夢中になっていたので、娘が持ってきてくれたグラスを確かめないでゴクンと一口やって驚いた。まったく予期せぬ味と香りが私の口の中に拡がったのである。それは、一瞬、私に大きなショックを与えたがそれが何であるかは次の瞬間判明した。コカ・コーラだったのである。しかし、その時のコカ・コーラの味は、私が、ここ長年の間味わっているコカ・コーラの味ではなかった。その味は、今から何年前になるだろう……? そう十五年も前だろうか? 生まれて初めて、アメリカ製の一風変わったコカ・コーラという飲物を味わった時の、あの、いとも奇妙な味、香り、喉薬〝ルゴール〟に似たような薬品臭いそれであった。まさに新奇としかいいようのないその味を、その後、飲み馴れたコカ・コーラからは絶えて久しく味わったことのないものだった。実に驚いたが、次の瞬間、とても懐しかった。麦茶という私の注文を、娘が勝手にコカ・コーラに変えて持ってきたわけだが、私はそれをなじる前に、その懐しい味に大きな興味をもった。なぜ、あの時の初体験のコカ・コーラの味がよみがえったのだろう……と。
そのグラスにコカ・コーラが入っていることを確認した私は、もう一度、その味を味わおうと再びグラスを傾けた。しかし、しかし、二度とその味を味わうことはできなかったのである。二口目以降のコカ・コーラは、まさしく、私の飲み馴れたコカ・コーラであるに過ぎなかったのである。飲み馴れた味のコカ・コーラは、たしかに私にとって、初めて飲んだ時のコカ・コーラよりうまくなったように思う。しかし、初めて飲んだ時の味が、こんなシチュエーションでよみがえろうとは思ってもみなかった。こんなことは、心理学者にとっては当り前のことかもしれないが、私にとっては、多くの興味深い問題を連想させることになったのである。
*
菅野先生が、麦茶だと思い込んで飲まれたコカ・コーラが、
「初体験のコカ・コーラ「の味だったのが、
同じコップに入っているにも関わらず、麦茶ではなくコカ・コーラだと認識したあとの二口目以降は、
「飲み馴れたコカ・コーラ」の味に過ぎなかったことを、
「氷点下の三ツ矢サイダー」飲んでいて思い出していた。
私の場合、新商品の「氷点下の三ツ矢サイダー」が初体験の三ツ矢サイダーの味をよみがえらせてくれた。
先日、山梨に行ってきた。
梅雨明けの暑い日だったので、冷たいものが飲みたくなって、近くにあったセブン・イレブンに入った。
入ってすぐの目につくところに専用の冷蔵庫をおいてあり、
その中には「氷点下の三ツ矢サイダー」が冷やされていた。
「氷点下の三ツ矢サイダー」が出ていたこと、セブン・イレブンで限定販売していることは知っていた。
でもこれまで見かけたことがなかった。さっそく買ってみる。
ペットボトルのフタをあけると、謳い文句通りにシャーベット状にフリージングしていく。
炭酸も普通の三ツ矢サイダーよりも強くなっているらしい。
飲んだ瞬間、三ツ矢サイダーを初めて飲んだときのおいしさがよみがえってきた。
最初に飲んだ三ツ矢サイダーは、たしかガラス瓶だったはず。
キンキンに冷えていて、炭酸が効いていた記憶がある。
いまペットボトルに入って売られている三ツ矢サイダーを飲んでも、
ずいぶん味が変ったな、としか思えない。
ある人にいわせると、昔の三ツ矢サイダーはサッカリンを使っていて、
いまは使えなくなったから同じ味にはならない、らしい。
どこまでほんとうなのかはわからない。
私が初めて飲んだのは熊本。いまは東京。
当然製造している工場が違うし、工場が違えば水も違う。
それに容れ物がガラス瓶とペットボトルという違いもある。
違って当然なのかもしれない。
でも山梨で飲んだ「氷点下の三ツ矢サイダー」は、遠い昔に飲んだ三ツ矢サイダーの記憶そのままのように感じた。
もちろん、そんなことはないのだが、
これが三ツ矢サイダーだよ、この三ツ矢サイダーが飲みたかったんだ、と思い、
数時間後に、また買って飲んでいた。
2年ほど前に「50年(その10)」で「憶音」という造語を使った。
こんな造語を思いついた理由のひとつは、「50年(その9)」ですこし触れている。
理由というか、こんなことを考えるきっかけは他にもあった。
そのひとつが、なぜ人は音を比較できるか、だった。
スピーカーから出た音はわずかの時間で消失する。
音に、映像のようにポーズ(休止・pause)はかけられない。
だから音を比較するのは、聴いた人の頭の中でのみ行われる。
いま聴いている音と以前聴いた音を比較する。
このとき片方はいま鳴っている音であり、比較対象となる音は記憶の中にある音。
このふたつの音は、音といっても同じとは言い難い。
例えば写真の比較なら二枚の写真を並べて比較できる。
この二枚の写真は同じ条件におかれている。
けれど音は違う。
ふたつの音の条件はまったくといっていいほど異っている。
なのに、われわれは音を比較できる。
もちろん人によって比較の能力に差はあるし、
ひとりの人でも訓練を積むことで、より正確に比較できるようになる。
それでも、比較する音の条件が違うことには変りはない。
ここで考えたのは、比較できるということは、
いま聴いている音も、いま聴いていると思っているだけであって、
実はいったん脳に記憶され、すぐさまその記憶から再生しているからこそ、
比較できる(つまり同じ条件で)のではなかろうか、ということだった。