Archive for category 無形の空気

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その4)

ハイエンドオーディオのスピーカーシステム、
つまりは音場再生に優れているといわれているスピーカーであれば、
ふたつのスピーカーのあいだに、歌のディスクであればそこに歌手が出現する。

そんなふうにいわれている。
このことにはいくつかいいたいことがある。
まずは音場再生と音場感再生の違いについてと、
そこに出現する歌手のイメージは「空気が無形のピアノを……」と同じことなのか、である。

30年ほど前のことだ。
ステレオサウンドの取材であるオーディオマニアのリスニングルームに行った。
古き佳き時代のスピーカーシステムが、そこにはあった。
高能率型のスピーカー、ラッパと呼びたくなるスピーカーである。

その日は写真撮影で伺っていた。
撮影しているときに主がレコードをかけてくれていた。
ジャズのレコードだった。

撮影がメインのため、スピーカーに背を向けていた。
音量は、だからあまり大きくはなかった。
曲の途中でサックスのソロになった。

この瞬間、後に誰かいる気配がした。
サックス奏者が背後にいる、まさにそんな気配が感じられて、
いるはずもないのに、思わずふり返った。

曲のはじまりではベース、ドラムも鳴っていた(はずだ)。
そのときもサックスは鳴っていた。
正直、そこで鳴っていた音は、これだけのシステムであれば、もっといい音で鳴ってくるはず、
と思わせてしまうレベルではあった。
そのためかいくつもの楽器がなっているところでは、
ふり返らせるほどの気配は醸し出していなかった。

それがサックスのソロになったとたんに、別物のような鳴り方になった。

Date: 12月 9th, 2014
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その3)

どれほどつきあいがながくても、その人が出している音に対して、
ほんとうに感じたことを話してはいけない、という体験を私もしている。

彼とは20年以上のつきあいだった。
彼の音はことあるごとに聴いている。
彼がどういう音を好むのかも知っている。

ある時、自信たっぷりに聴いてほしい、と連絡があった。
だが、そこで鳴っていた音は、彼自身の好みを知っている私が聴いても、間違っている音であった。

いくつかのディスクを聴いた。
彼が自信たっぷりに鳴らすディスクも聴いた。
持参したディスクも聴いた。

あきらかに間違っている音だった。
とはいえ、さすがに「間違っている音ですよ」とはいわなかった。
彼は遠慮なく言ってくれ、という。

だからそうとうオブラートに包んだつもりで、「ちょっとおかしい」と答えた。
これが彼のプライドをそうとうに傷つけたようで、
彼は後日、自身のブログで、私のことを書いていた。

どんなことを書いていたのかは、ここではどうでもいい。
ただ、どんなにつきあいが長かろうと、かなり遠慮気味に言ったとしても、
ネガティヴな表現を使ってしまうと、相手を傷つけてしまう。

そんなことはわかりきったことだろう──、
たしかにそうなのだが、彼は悪いところはそういってくれ、と日頃から私にいっていた。
そういう人でも、そうではなかった、というだけの話である。

そういうこともあって、聴かせていただいても、音の形については、聴かせてくれた人に言ったことはなかった。

Date: 12月 9th, 2014
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その2)

音を聴きに来ませんか、と誘いがあれば、時間の都合がつくかぎりは行くようにしている。
一ヶ月前から決められているよりも、前日、当日に誘いがあったほうが都合がつきやすいことが多いので、
当日でも行けるのであれば行く。

そんなふうにして、決して多くはないけれど、オーディオマニアの方たちの音を聴かせてもらっている。
聴いたあとには、どうでしたか、ときかれることが多い。

そんなとき、感じていながらもいままで言わなかったことがある。
それは、音の形のことだ。

意外にも、というか、ほとんどの人が、音の形ということに無関心・無頓着なように感じている。
これは音像定位が悪い、といったことではない。

そこでピアノが鳴っているとする。
どんなにいい音で鳴っていたとしても、
目をつぶれば、すぐそこにグランドピアノがあり、そこから音が発せられているという感じがない。

これは音場感がよく再現されている、といったことともまた違う。

私は「五味オーディオ教室」からオーディオに入ってきた人間だから、
そこに書かれていた「いま、空気が無形のピアノを……」ということがまず気になる。

そう書いているけれど、私もまだまだではある。
けれど、音の形に、他のことよりも重きをおいている。

重きがおかれていない音に出あうと、
音の形について語りたくなるけれど、いままでは黙っていた。
それは失望を語ることに近いわけで、そうとうに親しい人であっても、そんなことをいえば角が立つ。

よく、忌憚なき意見を聞きたい、といわれる。
けれど、実際はそうではない。

Date: 9月 5th, 2008
Cate: 五味康祐, 無形の空気, 菅野沖彦

いま、空気が無形のピアノを……(その1)

オーディオに関心をもつきっかけは、 五味康祐氏の「五味オーディオ教室」で、
多くのマニアの方のように、どこが素晴らしい音楽(音)に触れたのがきっかけというのではなく、
一冊の本との出会いが、私のオーディオの出発点になっている。 

「五味オーディオ教室」が、私にとって最初のオーディオの本であり、 
この本と最初に出合ったこと、原点となったことは、 とても幸運だったと、いまでも思っている。 

買ってきたその日から、毎日読んだ。 
学校に持っていては休み時間に読み、 帰宅してからも、ずーっと読む。 
何回も何回も頭から最後まで読み返して、 また興味深いところだけを、これまた何回も読み直して、 
何度読んだかは、もうわからないくらい読み返した。 
何度も読みながら、
「オーディオという趣味はなんと奥深いものなんだろう……、 
音楽を聴くという行為の難しさ、素晴らしさ──、これは一生続けられる趣味だ」と思うとともに、 
当時ステレオを持っていなかった私は、この本を読むことで、 
オーディオの本当の音は、こういうものなんだ、 と勝手に想像(妄想)したものである。 

いくつも強烈に印象にのこっている言葉がある。 

そのなかのひとつが、 
「いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 
これこそは真にレコード音楽というものであろう」のフレーズ。 

空気が無形のピアノを目の前に形作って、そのピアノから音(音楽)が響いてくる──、 
中学二年の私は、それがオーディオの在りかただと思い込む。
しかし、五味先生は、 
「実際に、空気全体が(キャビネットや、 ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを 
私はいまだかつて聴いたことがない」とも書かれている。 

2005年5月19日、菅野先生のリスニングルーム。 

菅野先生が「第三世代」と呼ばれている 
ジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムで、 
プレトニョフのピアノ(シューマンの交響的練習曲)で、 
「五味オーディオ教室」を初めて読んだときから29年、
「空気が無形のピアノを鳴らす」のを、 はじめて耳にした。