いま、空気が無形のピアノを……(その3)
どれほどつきあいがながくても、その人が出している音に対して、
ほんとうに感じたことを話してはいけない、という体験を私もしている。
彼とは20年以上のつきあいだった。
彼の音はことあるごとに聴いている。
彼がどういう音を好むのかも知っている。
ある時、自信たっぷりに聴いてほしい、と連絡があった。
だが、そこで鳴っていた音は、彼自身の好みを知っている私が聴いても、間違っている音であった。
いくつかのディスクを聴いた。
彼が自信たっぷりに鳴らすディスクも聴いた。
持参したディスクも聴いた。
あきらかに間違っている音だった。
とはいえ、さすがに「間違っている音ですよ」とはいわなかった。
彼は遠慮なく言ってくれ、という。
だからそうとうオブラートに包んだつもりで、「ちょっとおかしい」と答えた。
これが彼のプライドをそうとうに傷つけたようで、
彼は後日、自身のブログで、私のことを書いていた。
どんなことを書いていたのかは、ここではどうでもいい。
ただ、どんなにつきあいが長かろうと、かなり遠慮気味に言ったとしても、
ネガティヴな表現を使ってしまうと、相手を傷つけてしまう。
そんなことはわかりきったことだろう──、
たしかにそうなのだが、彼は悪いところはそういってくれ、と日頃から私にいっていた。
そういう人でも、そうではなかった、というだけの話である。
そういうこともあって、聴かせていただいても、音の形については、聴かせてくれた人に言ったことはなかった。