Archive for category Cornetta

Date: 10月 18th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY, バスレフ(bass reflex)

TANNOY Cornetta(バスレフ型エンクロージュア・その2)

1979年にステレオサウンドから出たHIGH-TECHNIC SERIES 4、
「魅力のフルレンジスピーカーその選び方使い方」に、
瀬川先生の「フルレンジスピーカーユニットを生かすスピーカーシステム構成法」がある。

いくつかの項かあって、その一つに「位相反転型の教科書に反抗する」というのがある。
     *
 位相反転型は、いまも書いたように、古くから多くの参考書、教科書で、難しい方式といわれてきた。だがそれは、あまりにもこのタイプの古い観念にとらわれすぎた考え方だ。こんにちでは、スピーカーユニットの作り方や特性が、それらの教科書の書かれた時代からみて大きく変っている。だいいち、メーカー製でこんにち定評のある位相反転型のスピーカーシステムの中に、旧来の教科書どおりに作られているものなど、探さなくてはならないほどいまや数少ない。位相反転型の実物は、大きく転換しているのだ。
 さて、ここで位相反転型エンクロージュアの特性を、多少乱暴だが概念的に大づかみにとらえていただくために、図1から6までをご覧頂く。あくまでも概念図だから、ユニットの設計が大きく異なったりすればこのような特性にはならないこともあるが、一応の目やすにはなる。
 古くからの教科書では、エンクロージュア、ポート、ダクトにはクリティカルな寸法があり、ユニットの特性に正しく合わせなくては、特性が劣化する、とされていた。そして、右の三要素がそれぞれ小さい方にズレると低音の再生限界が高くなりピークができて、低音のボンボンといういわゆる「バスレフの音」になる。また、三要素が大きい方にズレると、f0附近で特性に凹みができて、低音館が不足する……といわれていた。
 意図的に低音の共振を強調して作られた有名な例に、JBLのL26がある。明らかに低音にピークが出ているが、この音を「バスレフ音」とけなした人はあまり知らない。むしろ、とくにポップス系における低音のよく弾む明るい音は、多くの人から支持されている。
 反対に、エンクロージュアを思い切って大きくしたという例は、商品化が難しいために製品での例は知らないが、前に述べたオンキョー・オーディオセンターでの実験で、おもしろいデータが出ているのでご紹介する。
 図7は、同社のFRX20ユニットをもとに、内容積がそれぞれ65リッター、85リッターおよび150リッターという三種類の箱を作り、それを密閉箱から次第にダクト(ポート)を長さを増していったときの特性の変化で、前出の図1や3、4に示した傾向はほぼ同様に出ている。
 これを実際に、約50名のアマチュア立会いでヒアリングテストしたところ、箱を最大にすると共にポートを最も長くして、旧来のバスレフの理論からは最適同調点を最もはずしたポイントが、聴感上では音に深味と幅が増してスケール感が豊かで、とうてい20センチのシングルコーンとは思えないという結果が得られた。
 ヒアリングテストをする以前、無響室内での測定データをみた段階では、測定をしてくださったエンジニア側からは、図7(C)の点線などは、ミスチューニングで好ましくない、という意見がついてきた。しかし、これはあくまでも無響室内での特性で、実際のリスニングルーム内に設置したときは、すべてのエンクロージュアは、壁や床の影響で、概して低音が上昇することを忘れてはいけない(例=図8)。この例にように、エンクローシュア自体では共振のできることを意図的に避けることが、聴感上の低音を自然にするひとつの手段ではないかと思う。とくに、バスレフの二つの共振の山のうち、高い方をできるだけおさえ、低い方を可聴周波限界近くまでさげるという考え方が、わたしくの実験では(この例にかぎらず)概して好ましかった。
 ともかく、バスレフは難しく考えなくてよい。それよりも、むしろ積極的にミスチューニングしよう(本当は、いったい何がミスなんだ? と聞きかえしたいのだが)。
 参考までに、G・A・ブリッグスが名著「ラウドスピーカー」の巻末に載せていたバスレフのポートと共振周波数の一覧表をご紹介しておく(図9)。この本はもともと、一般の計算などにが手の愛好家向けの本だから、なるべつ簡単に説明しようという意図があるにしても、日本の教科書のようにユニットのQだのmだのに一切ふれていないところが何ともあっけらかんとしていておもしろい。そして現実にこれで十分に役に立ち、音の良い箱ができ上るのである。
     *
図について簡単に説明しておくと、
図1は、位相反転型エンクロージュアの箱の容積の大小
図2は、位相反転型エンクロージュアの開口の大きさを変えた場合の傾向
図3は、位相反転型エンクロージュアのダクトの長さの変化と特性器傾向
図4は、位相反転型エンクロージュアのインピーダンス特性
図5は、ドロンコーンの質量の大小と特性の傾向
図6は、吸音材の量と低域特性
図7は、エンクロージュア容積と低域特性の関係
である。
図1から6までは、スピーカーの教科書にも載っていることが多い。
図7は、実測データのグラフである。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その6)

喫茶茶会記のアルテックならば、そんなことを心配する必要はない。
能率にしても、コーネッタよりも7dBか8dBほど高い。
音量に関しては余裕で鳴らしきってくれる。

それでもコーネッタで鳴らしてよかった、と思うのは、
聴き手としての冒険だけでなく、鳴らし手としての冒険が、
10月7日の夜にはあったからだ。

アルテックを鳴らしても、鳴らし手としての冒険はあっただろうが、
アルテックは喫茶茶会記のスピーカーであって、
コーネッタは私のスピーカーであるということも違う。

それ以上にスピーカーとしての性格が、これほど違うのだから、
鳴らし手としての冒険の意味は違ってくる。

この違いを、こまかく説明しようかなとおもったが、
言葉を尽くしても、こればかりは自分で鳴らしてみないと理解してもらえないような気がする。
それに私の独りよがりな冒険なのかもしれないから、
舌足らずなのはわかっているが、ばっさりと省く。

とにかく10月7日は、野上さんと赤塚さんの選曲で、私は私だけの冒険ができた。
二人には感謝している。

赤塚さんは、
「細胞が生れ変わるようなスゴい音体験だった!!」という感想を、facebookに寄せてくれた。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その5)

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その6)」で書いているように、
9月のaudio wednesdayの時に、HPD295Aのマグネットカバーを外している。

今回外していてよかった、と実感したのは、音質面のことよりも、
音量に関することだ。

10月のaudio wednesdayでは、鳴らす曲ほぼすべて、けっこうな音量だった。
鳴らしている本人が、この音量で、
これだけ危なげない音を、タンノイが鳴らすのか、と感心してしまうくらいの音量だった。

おそらくHPD295Aの前のモデル、IIILZだったら、これだけの音量で鳴らすのは無理があったろう。
HPD295Aを搭載していても、小型ブックシェルフのイートンでも、ここまでは鳴らなかったはずだ。

私のところからは、今回はマッキントッシュのパワーメーターが見えなかったが、
見えていた人によると、かなり振れていた、とのこと。

そうだろう。
HPD295Aは、能率が低い。
それでもいまどきのスピーカーとしては、高能率ということになるようだが、
私の世代の感覚では、低能率のスピーカーであり、
どれだけのパワーが必要なのかは、これまで三回鳴らしているので、おおよそはわかる。ら、

しかも、これまでの三回よりも平均音圧は高かったのだから、
そうとうにパワーが入っていたはずだ。

だからこそ、マグネットカバーを外していてよかった。
カバーをつけた状態では、磁気回路の熱がこもるばかりである。
そうなってしまうと、ボイスコイルの温度はさらに上昇することになり、
上昇すれば、それに比例してボイスコイルの直流抵抗が増えていく。

そうなると、よけいにロスが増えてしまい、
どんなにパワーを入力しても、音圧が上昇しにくくなる、という現象がおこる。

四時間、かなりの音量で鳴らしていたのだから、
マグネットカバーがついていたら、途中で音が弛れてきたことだろう。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その4)

コーネッタは、ずっと以前に聴いている。
それだけでなくタンノイのスピーカーは、かなり数聴いている。
タンノイに関するいろんな文章も読んでいる。

そうやって、タンノイのスピーカーというものに対するイメージが、
なんとなくではあっても私の中にあった。

ほとんどのオーディオマニアがそうであろう、と思う。
そのイメージは人それぞれであるから、
共通するところもあれば、そうでないところもある。

そういうイメージがあるからこそ、最初に鳴らす曲を選ぶ(選べる)わけだ。
そして、その時鳴ってきた音から、次にかける曲を選んでいく。

「コーネッタとケイト・ブッシュの相性」で書いているように、
コーネッタがそれほどうまくケイト・ブッシュが鳴ってくれるとは期待していなかった。
けれど鳴らしてみると、そうではなかった。

それどころか発見があった。
とはいえ思い切って、最初からケイト・ブッシュを鳴らしたわけではない。
コーネッタから鳴ってくる音を慎重に聴きながらのケイト・ブッシュだった。

音が鳴ってくると、すっかり忘れてしまうことであっても、
曲を選ぶ際には、さまざまな知識が頭を擡げてくることがある。

選曲の段階で、完全に頭をカラッポにすることは、いまはまだできないでいる。
けれど、今回のmusic wednesdayでは、私の選曲は一曲もない。

すべて、野上さんと赤塚さんの選曲である。
野上さんと赤塚さんが、私と同じようなオーディオマニアであれば、
その選曲は読めるところもある。

けれど違う。特に赤塚さんは違う。
コーネッタがどういうスピーカーなのか、タンノイがどうなのかは、
赤塚さんの頭のなかにはなかったはずだ。

それでも、最初に「EDMとか、大丈夫ですか」といわれた。
選曲に遠慮はなくしてほしかったので、大丈夫と答えた。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その3)

選曲という冒険。
このことを実感した10月7日の、四時間の夜だった。

音の世界は茫洋だ。
音の世界だけにかぎったことではないのだろうが、
音の世界は茫漠だ。

茫洋か、茫漠か。
どちらにしても、その音の世界を渡っていくためには、
乗り物が必要となる。

ここでは乗り物とは、オーディオ機器である。

乗り物だけでは、行き先を示してくれる、そして照らしてくれる存在がなければ、
人は先に進めないだろうし、
たとえ進んだとしても、同じところをぐるぐるまわっているだけだったり、
正反対の方向に歩み出したりする。

行き先を示してくれる、照らしてくれるのは、音楽。
ここでの音楽とは、録音された音楽である。

別項『戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」)』で書こうとしているのは、
そういうことである。

オーディオ機器がある、レコード(録音物)もある。
これらが揃えば冒険ができるのか。

何度もしつこいぐらい書いているが、「音は人なり」である。
オーディオからの音が、往々にして聴く音楽の傾向に影響する。

その音は、それを鳴らす人そのものだ。
ここにオーディオのジレンマがあるように感じている。

冒険しているつもりなのではなく、
音の世界を冒険していくために、野上さんと赤塚さんにDJをお願いした、ともいえる。

8月下旬に、二人にお願いした。
その時は、音の冒険ということなんて、まったく考えていなかった。

それに昨晩のスピーカーをコーネッタではなく、
アルテックにしていたら、音の冒険に必要なこととして、
信頼できる、尊敬できる音楽の聴き手の存在について考えることはなかっただろう。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その2)

7月からの三ヵ月、audio wednesdayではコーネッタを鳴らしていた。
今回は、私が選曲するわけではない。

野上さんと赤塚さんの選曲であり、
そこでの選曲しだいでは、コーネッタでは無理を強いることになるのでは──、
と思うところもあった。

ひさしぶりに喫茶茶会記のアルテックを鳴らそうか、とも思いながらも、
コーネッタとどちらにしようかと迷ってもいた。

迷っていることはすでに書いているから、
読まれた方のなかに、なぜ迷うのか? と思った人もいよう。

どちらにしたか、というと、タイトルからわかるようにコーネッタである。
10月7日は雨だった。
それから赤塚さんの好きな音楽に、モロッコの音楽がある。

モロッコとイギリス(タンノイ)、モロッコとアメリカ(アルテック)。
どちらが近いかといえばモロッコとイギリス。

傍からすれば理由にならなような理由で、コーネッタを選んだ。
コーネッタでどうしても対応できないようなことが生じたら、
アルテックに替えよう、とも考えていたけれど、
コーネッタのmusic wednesdayでの音は、
タンノイ号での井上先生のオートグラフの組合せの音は、
こういうことだったのか、と思わせてくれた。

タンノイ号を読んでから41年。
こういうことだったのか、と納得がいった。

それだけでなく、井上先生、すごい! とも思っていた。
コーネッタはステレオサウンドの記事から生れたエンクロージュアである。
井上先生がいたからこそ、コーネッタは誕生した、といえる。

井上先生でなければ、コーネッタは誕生したとしても、
その出来は雲泥の差が生じていた、とも思う。

ここまでコーネッタは鳴るのか、というよりも、
こんなふうに鳴るのか、という驚きが、昨晩の音にはあった。

昨晩のプレイリストは、すでに公開している。
一般的にコーネッタに向いている曲はほとんどない。
むしろ向いていない、と思われる曲が並んでいる。

そういう曲を、なんとかがんばって鳴らしている、という感じではない。
持っている実力で鳴らしている、という感じだった。

昨晩のコーネッタの音を、井上先生に聴いてもらいたかった。
叶わぬことと承知している、それでも心底、そうおもっていた。
「なかなかうまく鳴らすじゃないか」、
そういってくださった、と勝手におもっている。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その1)

1979年にステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号が出た。
タンノイ号の終りのほうに、井上先生による組合せがあった。

いくつかの組合せ(もちろんスピーカーはすべてタンノイ)のなかに、
当然ながらオートグラフの組合せもあった。

このことは別項「井上卓也氏のこと」で書いているので、
こまかいことは省くが、井上先生のオートグラフの組合せの意図は、
ジャズであった。

タンノイ号を読んだ時、私は16歳。
その内容がウソとは思わなかったけれど、俄には信じられなかった。

「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に足を踏み入れた私にとって、
オートグラフはクラシックを鳴らす最上のスピーカーの、数少ない一つという認識があった。

井上先生の組合せに登場するオートグラフは、
タンノイによるエンクロージュアの生産が中止になったあとの、
輸入元のティアックによる日本製のエンクロージュアと、ユニットもHPD385Aであり、
同じオートグラフの名称であっても、
五味先生のオートグラフと、井上先生の組合せのオートグラフは、
音の上で同じところもあればそうでないところもある。

それでもオートグラフというエンクロージュアの、構造的なところにある音の本質は、
変化することはないわけで、ジャズが聴ける、という感じにはなっても、
ジャズを鳴らしきることができるとは思えなかった。

ステレオサウンドで働くようになって、井上先生に直接訊ねた。

「こまかいことを言うと、そりゃ、ベースの音は、バックロードホーンだから、
(最初の「ウ」のところにアクセントを置きながら)ウッ、ウーンと鳴る。
でも腰の強い低域で、表情のコントラストも豊かだし、聴いて気持いいから、いいんだよ」
(「ウーン」は、バックロードホーンを通って出てくる、遅れをともなう音を表されている)

楽しそうに話してくださった。
「あれは、ほんとうにいい音だった」とも言われたことも、思い出す。

井上先生は、試聴記にしても大袈裟に表現されることをされない。
そういう井上先生が、こんなふうに表現されているのだから、
タンノイ号でのオートグラフで聴くジャズは、ほんとうにいい音だった、はずだ。

昨晩のaudio wednesday、テーマはmusic wednesdayで、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん二人による選曲を聴いていて思い出したのが、
このことだった。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(CHET BAKER SINGS・その後)

9月2日発売予定だったチェット・ベイカーの「CHET BAKER SINGS」のMQA-CD。
当日手に入れることができずに、
9月のaudio wednesdayではかけることができなかった。

数日前、ユニバーサルミュージックのサイトを見ていたら、
「CHET BAKER SINGS」の発売日が、いつのまにか10月になっている。

売っていないわけだ。
渋谷のタワーレコードまで行かなくてよかった。

ユニバーサルミュージックのMQA-CDの発売日は、
これまでのいくつかのタイトルで延びているのがあるから、
「CHET BAKER SINGS」に関しても、待つしかない。

11月のaudio wednesdayではかけられる。

Date: 9月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(CHET BAKER SINGS)

audio wednesdayの告知で、
チェット・ベイカーの「CHET BAKER SINGS」のMQA-CDをもっていく、と書いた。

audio wednesdayの当日(9月2日)が、ちょうど発売日だった。
喫茶茶会記に向う途中、新宿のタワーレコードで買うつもりでいた。

新宿のタワーレコードだけではないが、
クラシック、ジャズの売場は以前よりもかなり狭くなってしまっている。
渋谷のタワーレコードもそうである。

それでも発売日なのだから、買えるもの、と思いこんでいた。
私が新宿のタワーレコードに着いたのは、16時くらいだった。

ジャズの売場は、いまやほんとうに狭い。
なのに見つけられない。

「CHET BAKER SINGS」と同時発売の他のタイトルのMQA-CDはあるのに、
肝心の「CHET BAKER SINGS」のMQA-CDだけがない。

なので買えずにタワーレコードをあとにした。
渋谷に行こうかとも思ったけれど、暑さに負けてしまった。

コーネッタで「CHET BAKER SINGS」は、だからまだ鳴らしていない。

Date: 9月 5th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その28)

コーネッタで、カラヤンの「パルジファル」を聴いたのであれば、
やはり黒田先生の文章も思い出すことになる。
     *
 きっとおぼえていてくれていると思いますが、あの日、ぼくは、「パルシファル」の新しいレコードを、かけさせてもらいました。カラヤンの指揮したレコードです。かけさせてもらったのは、ディジタル録音のドイツ・グラモフォン盤でしたが、あのレコードに、ぼくは、このところしばらく、こだわりつづけていました。あのレコードできける演奏は、最近のカラヤンのレコードできける演奏の中でも、とびぬけてすばらしいものだと思います。一九〇八年生れのカラヤンがいまになってやっと可能な演奏ということもできるでしょうが、ともかく演奏録音の両面でとびぬけたレコードだと思います。
 つまり、そのレコードにすくなからぬこだわりを感じていたものですから、いわゆる一種のテストレコードとして、あのときにかけさせてもらったというわけです。そのほかにもいくつかのレコードをかけさせてもらいましたが、実はほかのレコードはどうでもよかった。なにぶんにも、カートリッジからスピーカーまでのラインで、そのときちがっていたのは、コントロールアンプだけでしたから、「パルシファル」のきこえ方のちがいで、あれはああであろう、これはこうであろうと、ほかのレコードに対しても一応の推測が可能で、その確認をしただけでしたから。はたせるかな、ほかのレコードでも考えた通りの音でした。
 そして、肝腎の「パルシファル」ですが、きかせていただいたのは、前奏曲の部分でした。「パルシファル」の前奏曲というのは、なんともはやすばらしい音楽で、静けさそのものが音楽になったとでもいうより表現のしようのない音楽です。
 かつてぼくは、ノイシュヴァンシュタインという城をみるために、フュッセンという小さな村に泊ったことがあります。朝、目をさましてみたら、丘の中腹にあった宿の庭から雲海がひろがっていて、雲海のむこうにノイシュヴァンシュタインの城がみえました。まことに感動的なながめでしたが、「パルシファル」の前奏曲をきくと、いつでも、そのときみた雲海を思いだします。太陽が昇るにしたがって、雲海は、微妙に色調を変化させました。むろん、ノイシュヴァンシュタインの城を建てたのがワーグナーとゆかりのあるあのバイエルンの狂王であったということもイメージとしてつながっているのでしょうが、「パルシファル」の前奏曲には、そのときの雲海の色調の変化を思いださせる、まさに微妙きわまりない色調の変化があります。
 カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して、そういうところを、みごとにあきらかにしています。こだわったのは、そこです。ほんのちょっとでもぎすぎすしたら、せっかくのカラヤンのとびきりの演奏を充分にあじわえないことになる。そして、いまつかっているコントロールアンプできいているかぎり、どうしても、こうではなくと思ってしまうわけです。こうではなくと思うのは、音楽にこだわり、音にこだわるかぎり、不幸なことです。
     *
ステレオサウンド 59号掲載の「ML7についてのM君への手紙」からの引用だ。
M君とは、黛健司氏である。

私は、この文章を読んで、
黒田先生はカラヤンの「パルジファル」に挑発されたのかも……、とおもった。

黒田先生は、それまでのメニーのTA-E88からマークレビンソンのML7に、
コントロールアンプをかえられた。

黒田先生は、
《あのフュッセンの雲海をみつづけるためには、ぼくにとって少額とはいいかねる出費を覚悟しなければなりません》
とも続けて書かれている。

カラヤンの「パルジファル」の前奏曲がうまくなってくれると、
まさにそのとおりの情景が浮んでくるように感じる。

だからこそ、静であることが、とにかく大事なこととなる。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その27)

コーネッタで「パルジファル」をきいた夜の帰り道、
電車のなかで、一人で思い出していたのは、ステレオサウンド 52号で、
岡先生と黒田先生の「レコードからみたカラヤン」というテーマの対談だった。
     *
黒田 そういったことを考えあわすと、ぼくはカラヤンの新しいレコードというのは、音の面からいえば、前衛にあるとはいいがたいんですね。少し前までは、レコードの一種の前衛だろうと思っていたんだけど、最近ではどうもそうは思えなくなったわけです。むろん後衛とはいいませんから、中衛かな(笑い)。
 いま前衛というべき仕事は、たとえばライナー・ブロックとクラウス・ヒーマンのコンビの録音なんかでしょう。
 そこのところでは、黒田さんと多少意見が分かれるかもしれませんね。去年、カラヤンの「ローマの松」と「ローマの泉」が出て、これはびっくりするほどいい演奏でいい録音だった。ところがごく最近、同じDGGで小沢/ボストン響の同企画のレコードができましたね。これはいま黒田さんがいわれた、プロデューサーがブロック、エンジニアがヒーマンというチームが録音を担当しているわけです。
 この2枚のレコードのダイナミックレンジを調べると、ピアニッシモは小沢盤のほうが3dB低い。そしてフォルティシモは同じ音量です。したがって全体の幅でいうと、ピアニッシモが3dB低いぶんだけ小沢盤のほうがダイナミックレンジの幅が広いことになります。物理的に比較すると、そういうことになるんだけれど、カラヤン盤のピアニッシモのありかたというか、音のとりかたと、小沢盤のそれとを、音響心理学的に比較するとひじょうにちがうんです。
黒田 キャラクターとして、その両者はまったくちがうピアニッシモですね。
 ええ。つまりカラヤン盤では、雰囲気とかひびきというニュアンスを含んだピアニッシモだが、小沢盤では物理的に小さい音、ということなんですね。物理的に小さな音は、ボリュウムを上げないと音楽がはっきりとひびかないんです。小沢盤の録音レベルが3dB低いということは、聴感的にいえば6dB低くきこえることになる。そこで6dB上げると、フォルテがずっと大きな音量になってしまうから聴感上のダイナミックレンジは圧倒的に小沢盤の方が大きくきこえてくるわけです。
 いいかえると、カラヤンのピアニッシモで感心するのは、きこえるかきこえないかというところを、心理的な意味でとらえていることです。つまり音楽が音楽になった状態での小さい音、それをオーケストラにも録音スタッフにも要求しているんですね。これはカラヤンがレコーディングを大切にしている指揮者であることの、ひとつの好例だと思います。
 それから、これはカラヤンがどんな指示をあたえたのかは知らないけれど、「ローマの松」でびっくりしたところがあるんです。第三部〈ジャニロコの松〉の終わりで、ナイチンゲールの声が入り、それが終わるとすぐに低音楽器のリズムが入って行進曲ふうに第四部〈アッピア街道の松〉になる。ここで低音リズムのうえに、第一と第二ヴァイオリンが交互に音をのせるんですが、それがじつに低い音なんだけど、きれいにのっかってでてくる。小沢盤ではそういう鳴りかたになっていないんですね。
 つまりPがひとつぐらいしかつかないパッセージなんだけれど、そこにあるピアニッシモみたいな雰囲気を、じつにみごとにテクスチュアとして出してくる。録音スタッフに対する要求がどんなものであったかは知らないけれど、それがレコードに収められるように演奏させるカラヤンの考えかたに感嘆したわけです。
黒田 そのへんは、むかしからレコードに本気に取り組んできた指揮者ならではのみごとさ、といってもいいでしょうね。
     *
カラヤンの「パルジファル」が、レコード音楽として美しいのは、
こういうところに理由があるはずだ。

カラヤンのピアニッシモは、「パルジファル」においても、
音楽が音楽になった状態での小さい音であって、
心理的な意味でとらえられたピアニッシモである。

カラヤンの「パルジファル」よりも新しい録音の「パルジファルを、
私はどれも聴いていない。
「パルジファル」に関しては、カラヤンで私はとまったままでいる。

新しい録音の「パルジファル」は、カラヤンの「パルジファル」よりも、
ダイナミックレンジは、物理的には広いはずだ。

「パルジファル」に限らない。
オーケストラものの録音は、物理的なダイナミックレンジは、
カラヤンの「パルジファル」よりも広くなってきている。

このことはほんとうに望ましいことなのだろうか。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その6)

その3)で、コーネッタに搭載されているHPD295Aの低音について触れた。
過大な期待をしているわけではないが、もう少し良くなってくれれば、とやっぱり思う。

HPD295Aの低音への不満は、どこに起因しているのか。
心当たりは、コーネッタを鳴らす前からあった。

HPD295Aにはじめて触れたのは、ステレオサウンドだった。
なぜか一本だけあった。

それまでEatonにおさまっている状態、
つまりユニットの正面はみたことはあっても、
ユニットを手にとってすみずみまで見ることはなかった。

HPD295Aで、まずびっくりしたのは、マグネットカバーの材質だった。
それまで、なんとなく金属製なのかな、と思っていた。
実際は、プラスチック製だった。

このマグネットカバーは、フェライト化されたときからなくなっている。
カンタベリー15で、アルニコマグネットを復活したが、
マグネットカバーはなしのままだった。

ユニット単体を眺めているだけならば、マグネットカバーはあったほうがいい。
けれど、音を鳴らすとなると、このカバーは邪魔ものでしかない。

たとえ材質が金属で、しっかりとした造りであっても、
磁気回路はカバーのあいだには空間がある。
ここが、やっかいなのだ。

コーネッタを手に入れたときから、
マグネットカバーを外して鳴らそうと思っていた。

7月、8月のaudio wednesdayでは、
とにかくコーネッタの音を聴きたい、という気持が強かった。

三回目となる9月のaudio wednesdayでは、
最初からカバーを外すつもりでいた。

作業そのものは特に難しいことではない。
けれど、コーネッタの裏板は、けっこうな数のビスで固定されている。

ユニットがバッフル板についている状態では、
カバーを取り付けているネジは外せない。

一般的な四角いエンクロージュアであれば、その状態でもなんなく外せることがあるが、
コーナー型ゆえに、ドライバーが奥まで入らない。

ユニットを一旦取り外してカバーを取り、またユニットを取り付け、
裏板のネジをしめていく。

エンクロージュア内部の吸音材はグラスウールで、
作業しているときも、作業後も腕がチクチクしていた。

それでも、出てきた音を聴けば、そんなことはどうでもよくなる。
低音の輪郭が明瞭になる。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その26)

昨晩のaudio wednesdayは、三回目のコーネッタだった。
一回目、二回目とは鳴らし方のアプローチを変えた。

結果を先に書いてしまうと、うまくいった。
人には都合があるからしか。たないことなのだが、
一回目、二回目に来てくれた人に聴いてもらいたかった、と思っている。

昨晩は、途中から喫茶茶会記の常連の方が参加された。
オーディオマニアではない方だ。

こういうことはいままでも何度かあったが、昨晩の方は、最後まで聴かれていた。
それに一曲鳴らし終ると、小さな拍手をそのたびにしてくれた。

昨晩は、ディスクをけっこうな枚数持っていった。
そのなかで、私がいちばん印象に残っているのは、
カラヤンの「パルジファル」だった。

五味先生の、この文章を引用するのは、今回で三度目となるが、
それでも、また読んでほしい、と思うから書き写しておく。
     *
 JBLのうしろに、タンノイIIILZをステレオ・サウンド社特製の箱におさめたエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器である──の再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たく即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめタンノイのスピーカーから出る人の声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳に快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を持たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ。しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
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《前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する》、
これまでも「パルジファル」は聴いてきている。
クナッパーツブッシュのバイロイト盤を聴いている。

回数的には少ないけれど、カラヤンの録音も聴いている。
それでも、今回ほど、五味先生の精神状態を追体験できたと感じたことはなかった。

アンチ・カラヤンとまではいわないものの、五味先生の影響もあって、
私は、熱心なカラヤンの聴き手ではない。

そんな私でも、カラヤンのワーグナーは、美しいと、これまでも感じていた。
それでも今回ほどではなかった。

Date: 8月 11th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その5)

こういうふうに聴こえる(感じとれる)というのは、
コーネッタでのケイト・ブッシュの再生が理想に近い、ということではない。

むしろ、コーネッタというスピーカーの演出によるものだ、と理解した方がいい。
同軸型ユニット、
それもアルテックとは違い、ウーファーのコーン紙が中高域のホーンの延長となっている、
そしてフロントショートホーン付きのエンクロージュアという、
現在の精確な音をめざしているスピーカーからすれば、古い形態のスピーカー、
むしろラッパと呼んだほうがぴったりくるものである。

そういうラッパ(スピーカー)で聴いての感じ方なのだから、
こういう聴こえ方でなければだめだ、とはまったく思っていない。

それでも、こういう聴こえ方が体験できる、ということに、
オーディオを長年やってきてよかった、と思う。

8月のaudio wednesdayの翌日に、
音を表現するということ(間違っている音・その11)」を書いたのは、
こういう音を聴いたからである。

もしかすると、こういう聴こえ方は、これっきりかもしれない。
それでもいい、と思っている。
とにかく私にとって、得難い体験であった。

Date: 8月 10th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その4)

8月のaudio wednesdayでは、
“Hounds of Love”と“Big Sky”の二曲を聴いた。
どちらもMQAで、12インチ・シングルヴァージョンである。

最初は“Hounds of Love”だけのつもりだった。
12インチ・シングルヴァージョンの“Hounds of Love”は、
通常のヴァージョンと比較してドラムスの鳴り方が違う。
ずっと迫真的に鳴ってくれる。

といっても、それはあくまでも12インチ・シングルを鳴らしての印象であり、
同じ曲であっても、CDで聴くと、そこは少しばかり後退する印象でもあった。

つまりコーネッタの低音の鳴り方にとって、やや意地の悪い曲である。
無理は承知で鳴らしたわけだ。

ここに関しては、予想通りもう一息だった。
悪くはなかったけれど、そこまで求めるのはコーネッタには酷でもあろう。

そのかわりというか、“Hounds of Love”で、
目をつむって聴いていると、舞台がそこにあるように感じられた。
まったく変な表現になるが、
そこでケイト・ブッシュが音楽によるパントマイムをやっているかようだった。

舞台があって、ケイト・ブッシュの演出がしっかりと感じられた。
ただ単に音がよく鳴っていた、というのとは違う。

コーネッタよりも、ずっと、音の良さという意味ではうまく再生するスピーカーはある。
それでも、そういうスピーカーでも一度も感じたことのない舞台が、そこにある。

なんとも奇妙な感じだった。
音を聴いているというよりも、舞台がまぶたの奥に浮んでくる感じだった。

この不思議な感じを確かめたくて、続けて“Big Sky”も聴いた。
まったく同じ印象だった。

7月に続いて、そうか、ケイト・ブッシュはイギリス人なんだ、と思っていた。
シェークスピアの国、演劇の国の人なんだ、と。

8月のaudio wednesdayで一緒に聴いて人たちが、どう感じていたのかは知らない。
私と同じように感じていたのか、まったく違うのか。

たぶん、こんなふうに聴こえたのは、私のひとりよがりなのだろう。
それでもいいのだ。
いままでにない聴こえ方で、ケイト・ブッシュが聴けた、ということ。

これだけで、コーネッタを手に入れた価値があったというものだ。