Archive for category 価値・付加価値

Date: 7月 8th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その4)

「このアンプはデザインで損している」とか「このスピーカーはデザインで得している」とか、
そういった評価にもならないことを聞くことがままある。

こんなことをいう人は、デザインを理解していない、と言えるし、
デザインを付加価値としてしか捉えていない。

「付加価値が……」男も、そう捉えている。
だから、損している、得している、といったことをいうのだろう。

つまり「付加価値が……」男は、得している、損しているといった次元で、
付加価値を捉えている(考えている)ともいえる。

そう考えると、秋葉原のヘッドフォン、イヤフォン専門店で、
二時間も試聴して、気に入ったモデルを見つけたにもかかわらず、
より安く買えるamazonでの購入を選んだ男も、
得した、損した、という次元でのものの考え方の範疇から抜け出せないのかもしれない。

損とか得とか、付加価値とは本来そういうものではないはずだ。
今回のイヤフォン購入の件で思うのは、この人はおそらく若い人であろう。

twitterは匿名だし、年齢があわけでもないけれど、
いくつかのこの人のツイートを読めば、若い人だと思う。

若者は経済的余裕がない、
だから少しでも安いところから買う──、
そのことがわからないわけではないが、
それにしても……、と思うわけだ。

店で二時間も試聴しても、気に入ったモデルが見つからなかったのであれば、
買わずに店を出てもいい。

けれどそうではない。
目先の損得で、買わずに店を出ている。
しかもamazonで買ったことを、ツイートする。

イヤフォン、ヘッドフォンの専門店の店員が、そのツイートを偶然見つけたら、
あぁ、あの人か……、ということになろう。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その3)

二言目には「付加価値が……」というオーディオマニアを知っている。
この「付加価値が……」男は、
差別化のためには「付加価値が……」というし、
デザインも付加価値だ、という。

こんな男と付加価値について話し合う気はまったくなくて、
「付加価値が……」男の考える付加価値とは、いったいどういうものなのか、
私は理解していないし、理解する気はまったくない。

それでも思うのは、「付加価値が……」男は、
おそらく付加価値とは、多くの人に共通するものだと考えているのではないか、である。

けれど付加価値とは、一人ひとり違う、と私は考える。
付加(附加)とは、読んで字の通りである。
つけ加えることである。

何を、誰がつけ加えるのか。
「付加価値が……」男は、メーカーがつけ加えるものとして考えているのではないか。

そうではない。
付加価値とは、一人ひとり違うものと考える私には、
それを手にした人によって、手にした状況によって、
そこにつけ加わるものである。

その2)で書いている買い方をした人にとっては、
付加価値よりも、少しでも安く買えることが優先されることなのだろう。

二時間もの試聴につきあってくれた店員は、
客(?)の顔を憶えていることだろう。

amazonで買わずに、この店で購入していれば、
その店員との関係が、なんらかの形で生れてきたはずだ。

このことが付加価値につながっていくはずだ。

Date: 7月 6th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その2)

amazonの日本語サイトが公開されたのが2000年。
一、二年経ったころ、インターネットで見かけるようになったのは、
書店で立ち読みして欲しい本を見つけたら、amazonで買う、というものだった。

そのころのamazonは書籍のみだったが、取り扱い品目は増えていった。
いまや何でも売っている。

そうなってくると、オーディオに限っても、
量販店や専門店で試聴して、インターネットで価格のいちばん安いところ調べ、そこで買う──、
そういう人が登場してきた。

今日、twitterを眺めていたら、フォローしている人がリツィートしている投稿が目に留った。

秋葉原にあるヘッドフォン、イヤフォン専門店で、
約二時間試聴して、気になったイヤフォンを見つけた。
それは三千円のイヤフォンであった。

気に入ったイヤフォンがいくらであってもかまわない。
試聴の二時間、一人の店員がつきっきりだったそうだ。

店員の心境はわからない。
気に入るイヤフォンが見つかってよかった、
その役に立てた、と喜んでいたかもしれない。

けれど、それはその人がその店が買ってくれれば、の話だろう。
二時間試聴した人は、そこでは買わずamazonで買った、そうである。

そんなことをツイートしているわけである。
少しでも安いところで買いたい、という気持はわからないわけではない。
それでも三千円が、どんなに安いところで買ったとしても、
半額になることはまずない。

せいぜい数百円の違いではないだろうか。
それでも、その人は二時間もの試聴を快く許してくれた店では買わなかった。

この人は、二時間の試聴につきあってくれた店員になんといって店を出たのか。
しかも、そのことを恥ずかしげもなくツイートする。

この投稿をリツィートしていた人は、
エントリークラスの商品が先細った理由の一つか? とコメントされていた。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その8)

付加価値の彼は、付加価値だけでなく、
名器という言葉も頻繁に使う。

あのアンプは名器ですから、とか、
このスピーカーは名器ですよね、とか、よく使っている。

なるほど、確かに、それは名器だな、と同意できることは少ない。
なぜ、そのアンプ、そのスピーカーまで名器というのか、疑問に思うことが多かった。

自分が使っているオーディオ機器以外を、ボロクソに貶す人がいる。
なんでも名器としてしまう付加価値の彼は、そんな人よりはいいように見える。

けれど、付加価値の彼が名器とするモノを聞いていると、
それこそミソモクソモイッショにしているとしか思えない。

そういえば、付加価値の彼は、どんなオーディオ評論家に対しても、先生をつける。
私が先生と呼ぶ人も、私がオーディオ評論家(商売屋)としか見ていない人にも、
等しく先生とつけて呼ぶ。

ここでも、私はミソモクソモイッショにするな、と強くいいたくなるが、
安易に名器と呼んだり(本人はそうではないと反論しそうだが)、
すべてのオーディオ評論家(職能家、商売屋どちらも)を先生と呼ぶことは、
根っこは同じなのだろう、と勝手に思っている。

彼のそんなミソモクソモイッショにしてしまうところが、
付加価値を頻繁に使うことと深いところで絡んでいるのではないのか。

Date: 2月 5th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その7)

付加価値が口ぐせのようになっている人にも、
オーディオに夢をみていたことがあったのか──、
というコメントがfacebookであった。

そういうことを、その彼と話したことはない。
もう何年も会っていないし、これからも会うことはないはず。

オーディオのことを話したことは何度かあったけれど、
付加価値の彼とは、つっこんだことを話したことはない。
なのであくまでも憶測でしかないが、
彼は彼なりに、なんらかの夢はあった(ある)だろう。

いい音を出したい、という夢はあったはずだ。
けれど、ここからが憶測になるわけだが、
その「いい音」とは、周りから「いい音ですね」と言われたいがための「いい音」なのかもしれない。

昨年トロフィーオーディオということを書いている。
彼にとって、オーディオとはそういう側面をもっていたのかもしれない。

「A社の○○を鳴らされているですか、すごいですね」
そんなふうに周りからいわれたいのかもしれない。

彼は数度会ったぐらい、さほど親しくなっていない人に対して、
「スピーカーをは何を鳴らされているんですか」ときいてくるそうだ。

彼が鳴らしているスピーカーよりも、安い、もしくは世評の低いスピーカーだったりすると──、
あくまでもきいた話なので、このへんにしておこう。

一時の優越感に浸れる。
自分よりも高価なスピーカー、世評の高いスピーカーを相手が鳴らしていると、
その人たちの仲間になろうと積極的にくいこんでいく。

彼にとっての価値とは、そういうことなのかもしれない。

Date: 2月 4th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その6)

そういえば──、と思い出すのは、
付加価値を頻繁に口にするオーディオマニアの彼は、
製品の差別化のためにも付加価値は必要だ、的なこともいっていた。

出来上った製品が、他社製のモノとたいして代り映えしない。
そんなときに他社製のモノと区別するためにも、
もっといえば同じような製品であっても、自社製品のほうもをよくみせるためにも、
なんらかの付加価値が必要──、
おそらくそんな考えなのかもしれない。

こんなことを書いていて思い出すのは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」サンスイ号の、
永井潤氏の「サンスイ論」の冒頭である。
     *
 サンスイの社内誌(さんすい)に目を通しているうちに、「山水の社風を考える」という座談会に出会い、そしてつぎのような言葉を見つけた。「個性の商品化を考えなければいけない。商品は山水らしい個性を持ったものでなければいかんということです。」サンスイの創設者、前社長菊池幸作氏の言葉であるが、この種の発言は随所にみられ、しかも繰り返し強調されている。私は直感的にサンスイ像に迫る手がかりがここにあると思った。
 ここでまず私の注意を引いたのは、商品の個性化でなく、個性の商品化という点である。要するに「山水」という個性があって、商品はその反映であり表現である、ということになっている。
     *
付加価値、付加価値とバカのひとつ憶えのようにいう彼は、
結局のところ、商品の個性化しか考えていないのかもしれない。
そういう見方でしかオーディオ機器を捉えるしかできないのだろう。

彼には個性の商品化ということが見えていないのかもしれない。
私の勝手な憶測でしかないが、こう考えるとすっきりと彼のことが見えてくる感じはある。

そうだったのか、と思いあたることがいくつか思い出されもする。

Date: 10月 11th, 2018
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その1)

昨晩公開した「Cinema Songs」で、
黒田先生が《なんとなくモジモジしながら》薬師丸ひろ子の「花図鑑」を買われたことを書いた。

この《なんとなくモジモジしながら》という気持は、付加価値かもしれない──、
書き終って、ふと思った。

黒田先生は、以前ベイシティ・ローラーズのレコードを買ったときのことも書かれていた。
レコード店の店員に、「贈り物ですか」ときかれた、と書いてあった。

以前は、レコード(LPにしてもCDにしても)は、そうやって買うしかなかった。
クラシックのレコードなら、
作曲家別だったり、演奏家別だったりする分け方をされた多くのレコードを一枚一枚、
ジャケットを見て、手にとって、レジまで持っていく。

レジにはとうぜん店員という人がいる。
馴染みのレコード店なら、顔なじみの店員がいるし、
初めてのレコード店、めったに行かないレコード店ならば、
見知らぬ人が店員としてレジにいる。

人がいるから、《なんとなくモジモジしながら》「花図鑑」を買うことになる。
誰もいないレジで、客が自分でバーコードを読み込ませて──、という、
無人レジであったならば、《なんとなくモジモジしながら》ということはない。

インターネットでの購入でも、それはない。
宅急便で届くわけだが、配達する人は、そのダンボール箱の中身が、何なのかは知りようがない。
顔を合わせる人には、何も知られることなく買物ができるのがいまの時代であり、
顔を合せずには買うことができなかった時代を生きてきた。

だから《なんとなくモジモジしながら》という黒田先生の気持はわかる。
そういう気持だけではない。

イタリア・チェトラから、
フルトヴェングラーとミラノ・スカラ座による「ニーベルングの指環」が出た。
私にとって、初めての「ニーベルングの指環」の全曲盤だった。

銀座の山野楽器で買ったときは、少し誇らしい気持があった。
いまみたいにCDボックスの一枚あたりの値段の安さなんてことは、
そのころは考えられないほどに、レコード一枚の値段は、決して安くはなかった。

「ニーベルングの指環」全曲盤ともなると、枚数も多いし、重いし、高かった。
やっと買える(買えた)という気持があったのは、いまも忘れない。

顔を合わせて買うからこそ生じる買い手の気持、
これは、個人的な意味での付加価値かも、とおもう。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その5)

付加価値という単語を頻繁に使うオーディオマニアを知っている。
彼がSNSに書くものにもよく付加価値が登場するし、
オーディオの話をしていても、付加価値、付加価値といっていた。

ここ数年つきあいはなくなったけれど、いまでも彼は付加価値といっているのだろうか。

それにしても、彼はなぜそこまで付加価値というのだろうか。
彼が一度メモをとっているところを見たことがある。
なかなかのスピードだったし、かなり集中しての行為のように見えた。

さすがは有名私大卒業だな、と妙な感心をしたくなるくらい、
彼の知識欲は強い。そうとうに強いと感じている。

彼を知る人も同じように感じていたから、私の独りよがりの感じ方ではないようだ。
そんな彼が、付加価値をよく口にするのは、興味深いことのように感じている。

彼にとっては、そうやって得ている知識もまた付加価値なのだろうか。
オーディオの知識だけでなく音楽の知識も相当な量、溜め込んでいる。

優秀といえば優秀なのだろうが、どうもそんなふうには感じない。
彼の態度をみていると、誰かに尻尾を振っているかのように映る。
その尻尾を振るための知識欲のように感じたからだ。

ほんとうのところはわからない。
そんなこと本人に訊くことはしないし、本音が返ってくるとは思っていない。

彼がそうやって得た多くの人とのつきあいも、
彼にとっては付加価値なのだろうか。

Date: 9月 2nd, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その4)

別項「オーディオ・アクセサリーとデザイン(その5)」で引用した伊藤先生の「絢爛な混淆」、
ここで伊藤先生が書かれていることも、趣向を凝らすを勘違いした例である。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その3)

1980年代にフィリップス・レーベルからでていた小澤征爾/ボストン交響楽団によるマーラー。
二番を、井上先生が試聴によく使われていた。

ピアニッシモのレベルは低かった、と記憶している。
そこが聴こえるぎりぎりで音量を設定すると、
フォルティシモではそうとうな音量になって、最初聴いた時は少々驚いた。

何度か聴いていても、
このダイナミックレンジは家庭で聴くには広すぎるな、と感じたし、
ちょっとボリュウムを大きめにしただけで、フォルティシモでは大きい、と感じていた。

岡先生が小澤征爾の「ローマの松」で、
ピアニッシモが物理的に小さな音、といわれている、
まさにマーラーにおいてもそうであって、
「ローマの松」を聴いていないから断言できないものの、
おそらく、マーラーのピアニッシモのほうが、物理的により小さな音であり、
フォルティシモは物理的により大きな音なのだろう。

ステレオサウンド 52号は1979年、
カラヤン盤も小澤盤も「ローマの松」はアナログ録音で、
小澤/ボストンのマーラーはデジタル録音、
しかも52号のころ、岡先生も黒田先生もLPで聴かれている。
小澤のマーラーはCDである。

優秀録音盤ということに、小澤のマーラーはなるわけだが、
私は、このマーラーを自分のリスニングルームで聴きたいとは思わなかった。

カラヤンのマーラーの二番はない。
もしカラヤンが二番をデジタル録音で残していたとしたら、
「ローマの松」と同じことがいえたのではないだろうか。

カラヤンはデジタル録音になっても、
ただ物理的に小さな音であるだけでなく、
心理的な意味でのピアニッシモであったと思う。

これはカラヤンの、さりげない趣向が凝らしかたといえるし、
カラヤンのピアニッシモは見事ともいえる。

岡先生は、こうもいわれている。
     *
 六〇年代後半から、レコードそしてレコーディングのクォリティが、年々急上昇してきているわけですが、そういった物理量で裏づけられている向上ぶりに対して、カラヤンは音楽の表現でこういうデリケートなところまで出せるぞと、身をもって範をたれてきている。指揮者は数多くいるけれど、そごて注意深く、計算されつくした演奏ができるひとは、ほかには見当りませんね。ぼくがカラヤンの録音は優れていると書いたり発言したりすると、オーディオマニアからよく不思議な顔をされるんだけど、フォルテでシンバルがとう鳴ったかというようなことばかりに気をとられて、デリカシーにみちた弱音といった面にあまり関心をしめさないんですね。これはたいへん残念に思います。
     *
さりげない趣向であっても、他の指揮者ができることでもない。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その2)

趣向を凝らす、とはいったいどういうことなのか。

ステレオサウンド 52号で、
岡先生と黒田先生が「レコードからみたカラヤン」というテーマで対談されている。
     *
黒田 そういったことを考えあわすと、ぼくはカラヤンの新しいレコードというのは、音の面からいえば、前衛にあるとはいいがたいんですね。少し前までは、レコードの一種の前衛だろうと思っていたんだけど、最近ではどうもそうは思えなくなったわけです。むろん後衛とはいいませんから、中衛かな(笑い)。
 いつ前衛というへき仕事は、たとえばライナー・ブロックとクラウス・ヒーマンのコンビの録音なんかでしょう。
 そこのところでは、黒田さんと多少意見が分かれるかもしれませんね。去年、カラヤンの「ローマの松」と「ローマの泉」が出て、これはびっくりするほどいい演奏でいい録音だった。ところがごく最近、同じDGGで小沢/ボストン響の同企画のレコードができましたね。これはいま黒田さんがいわれた、プロデューサーがブロンク、エンジニアがヒーマンというチームが録音を担当しているわけです。
 この2枚のレコードのダイナミックレンジを調べると、ピアニッシモは小沢盤のほうが3dB低い。そしてフォルティシモは同じ音量です。したがって全体の幅でいうと、ピアニッシモが3dB低いぶんだけ小沢盤のほうがダイナミックレンジの幅が広いことになります。物理的に比較すると、そういうことになるんだけれど、カラヤン盤のピアニッシモのありかたというか、音のとりかたと、小沢盤のそれとを、音響心理学的に比較するとひじょうにちがうんです。
黒田 キャラクターとして、その両者はまったくちがうピアニッシモですね。
 ええ。つまりカラヤン盤では、雰囲気とかひびきというニュアンスを含んだピアニッシモだが、小沢盤では物理的に小さい音、ということなんですね。物理的に小さな音は、ボリュウムを上げないと音楽がはっきりとひびかないんです。小沢盤の録音レベルが3dB低いということは、聴感的にいえば6dB低くきこえることになる。そこで6dB上げると、フォルテがずっと大きな音量になってしまうから聴感上のダイナミックレンジは圧倒的に小沢盤の方が大きくきこえてくるわけです。
 いいかえると、カラヤンのピアニッシモで感心するのは、きこえるかきこえないかというところを、心理的な意味でとらえていることです。つまり音楽が音楽になった状態での小さい音、それをオーケストラにも録音スタッフにも要求しているんですね。これはカラヤンがレコーディングを大切にしている指揮者であることの、ひとつの好例だと思います。
 それから、これはカラヤンがどんな指示をあたえたのかは知らないけれど、「ローマの松」でびっくりしたところがあるんです。第三部〈ジャニロコの松〉の終わりで、ナイチンゲールの声が入り、それが終わるとすぐに低音楽器のリズムが入って行進曲ふうに第四部〈アッピア街道の松〉になる。ここで低音リズムのうえに、第一と第二ヴァイオリンが交互に音をのせるんですが、それがじつに低い音なんだけど、きれいにのっかってでてくる。小沢盤ではそういう鳴りかたになっていないんですね。
 つまりPがひとつぐらいしかつかないパッセージなんだけれど、そこにあるピアニッシモみたいな雰囲気を、じつにみごとにテクスチュアとして出してくる。録音スタッフに対する要求がどんなものであったかは知らないけれど、それがレコードに収められるように演奏させるカラヤンの考えかたに感嘆したわけです。
黒田 そのへんは、むかしからレコードに本気に取り組んできた指揮者ならではのみごとさ、といってもいいでしょうね。
     *
カラヤンの「ローマの松」も小澤の「ローマの松」、どちらも持っていないけれど、
このことはわかる。
デジタル録音になってからの小澤征爾の、フィリップス・レーベルのマーラー。
ステレオサウンドの試聴で何度となく聴いている。

ここでのマーラーでも、小澤のピアニッシモは、岡先生が指摘されたとおりのピアニッシモだった。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その1)

何らかの趣向を凝らさないと聴き手にアピールできない世の中になったのか、と思うのは、
facebookのタイムラインに表示されるクラシックの演奏会の動画を見ていた時だった。

いくつかのレコード会社をフォローしていると、
そのレコード会社がアピールしたい演奏家の動画が流れることがある。

そうやってなんとなく目に入ってきた演奏会の動画、
そこに映っていたのは肌の露出の多い衣装でのピアノ演奏だった。

肌の露出が多いのが下品といいたいのではなく、その衣装がまたひどかった。
こんな衣装(もうそう呼べない)で演奏するのか。

これが趣向を凝らすということではないだろうに……、と思いながらも、
音をあえて流さずに眺めていると、滑稽でしかなかった。

趣向を凝らす、とはこういうことではないけれど、
こういうことが趣向を凝らすことだというふうになりつつあるのは、
なにもクラシックの演奏会におけることだけでなく、
オーディオ機器においても、
どこかズレたところで趣向を凝らすことが行われているとも感じることが出てきている。

特にそれを強く感じるのは、ヘッドフォン、イヤフォンの世界である。
どう考えても納得のいかないことを持て囃す風潮がある。
それにのっかるメーカーが少なからずある。

物分りのいい人(ぶっている)は、それが差別化だよ、というのだろう、
もしくは、ここでも付加価値なんだよ、というのか。

Date: 10月 1st, 2016
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その4)

オーディオ機器の付加価値にはどういうものがあるのだろうか。

ついこのあいだ話に聞いたのだが、
ハイエンドオーディオ機器を購入する人の中には、
このスピーカー(アンプ)は、日本に輸入された一号機なんです、
という人がいるそうだ。

「日本に輸入された一号機」には、自慢が込められている。
ハイエンドオーディオ機器だから、かなり高価である。
それだけのモノを、日本で最初に買えるということは、
それだけの財力があるわけだし、自分にはモノを見る目があって、
それも人よりもいち早く、そのモノの真価を見極められるからこそ、
一号機を購入できる、という自慢。

あとは輸入元、およびオーディオ店の人たちと懇意な間柄であることも、
自慢したいのかもしれない。

でも、自慢するようなことなのだろうか。
本人にとっては自慢であっても、
周りの人はどう思っているのかはわからない。

一号機だから、何か特別な価値が、そのオーディオ機器にあるのだろうか。
一号機ということは、オーディオ機器にとって付加価値といえるのだろうか。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(ステレオサウンド 38号・その2)

私の手元にある二冊のステレオサウンド 38号のことを書いている。
一冊は岩崎先生が読まれていたもので、かなりボロボロの38号であり、
もう一冊はある方から譲ってもらったもので、キレイな38号である。

38号は1976年3月に出ているから、約40年前のステレオサウンドである。
これだけ経てば、雑誌は資料としての価値が出てきて古書店での買い取りも高くなる。

友人が10年程前だったか、大量にファッション雑誌を処分した。
買い取りに来ていた古書店のスタッフの話によれば、
雑誌はほとんど値がつかない、ということだった。

けれど20年以上前の雑誌となると、値が付いてくる。
もっと古くなるとさらに値がつく、ということだった。

雑誌は古くなればなるほど資料としての価値が出てくるために、そういうことになる、ということだった。
それは記事だけでなく、広告も資料としての価値が出てくる、ともつけ加えられた。

そうなると、ここでの資料としての価値は、
雑誌にとっては時代が経ったことによって生じた付加価値ということになるのだろうか。

その付加価値によって買い取り価格が高くなる。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(余談)

別項でふれたステレオサウンドのPDF
ファイル名がstereosound_mediaguide_140401となっているから、
これからはステレオサウンド・メディアガイド(PDF)と表記していく。

ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)にも「付加価値」が登場している。
読者プロフィールの説明文に「高付加価値への千里眼」とある。

この読者プロフィールの説明文は、誰が書いたのだろうかとつい詮索したくなる文章である。
それにしても高付加価値とは、いったいなんなのだろうか。

説明文には、高付加価値のあとに、こう続いている。
《商品の歴史や伝統、デザイン、質感、実用性にもこだわりをもつ。》と。
ということは商品の歴史や伝統、デザインを、ここでは高付加価値と定義しているのか。
だとしたら、甚だしい認識不足とひどい勘違いとしかいいようがない。

いったい、いまのステレオサウンド編集部は、付加価値をどう捉えているのだろうか、と心配になってくる。