Archive for 11月, 2010

Date: 11月 30th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その31)

もし、当時、男性的、とか、女性的な音、という表現が使われてなかったら、
そしてアンプジラ、とか、GAS、という名前でなかったら、
そしてアンプジラの筐体の恰好が、まったく違ったものだったら、
私ももっと早くから、GASのアンプ、つまりボンジョルノに対して、素直な関心を抱いていたかもしれない。

Ampzillaに、Son of Ampzilla、 Grandsonと、パワーアンプの型番に、
これまた男性を意識させる名前をつけるボンジョルノのセンス。
実を言うと、嫌いではない。むしろ好きといってもいいかもしれない。
でも、この項の最初のところに書いているように、このころは私にとって、
クラシックと同じくらい(すこしオーバーな表現だけれど)、
女性ヴォーカルが、たまらなく魅力的に鳴ってくれるということは重要なことだった。

女性ヴォーカルがしっとり、しんみりと目の前で、私ひとりのために歌ってくれるような情景が再現できれば、
少なくともクラシックにおいても、ヴァイオリンはうまく鳴る。
そんなふうにも考えていた10代のころだった。

だからアンプジラに、その息子、さらに孫息子、というアンプの名前は、もうはっきりと男性的である。

ただ屁理屈をこねさせてもらうと、アンプジラはアンプのゴジラなのだから、実のところ女性的な型番でもある。
映画の中のゴジラには、ミニラという息子がいる。
ほかに家族はいないようだから、少なくともゴジラを子供を生めるわけだからオスではない……。

とにかく、当時、アンプジラ・ファミリーに対して、姉妹機、という言葉は使わなかった。
スレッショルドになると、800A、4000、400の一連のラインナップには、姉妹機という言葉がしっくりくる。

こんなささいなことにおいても、GASのアンプには女性的な要素を、あの時点では感じられなかった。

Date: 11月 30th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

続々・瀬川冬樹氏の「本」

瀬川先生の「本」つくるにあたって考え続けてきたことのひとつに、
川崎先生のことば「いのち・きもち・かたち」がある。

瀬川先生の「いのち・きもち・かたち」について考えてきた──、というよりいまも考え続けている。

瀬川冬樹の「かたち」
瀬川冬樹の「きもち」
瀬川冬樹の「いのち」

考えるために毎日の入力作業を続けているようなものかもしれない。

そして「本」の構成をどうするか。
そのまま「いのち・きもち・かたち」を使うわけにはいかない。

考えたのは、
「かたち」を……
「きもち」を……
「いのち」を……
として、……のところに、ことばをあてはめる。

そして「かたち」から「きもち」「いのち」へとたどっていくということ。

瀬川先生の「かたち」は、まず、その音がある。
瀬川先生とともにその「音」はもう存在しなくなった。
残された「かたち」は、書かれたものだ。

第一弾は、瀬川先生の、いわば「かたち」をまとめたものだ。
それは「読む」ものである。

だから「かたち」の……は、「読む」にした。

第一弾のタイトルを、「瀬川冬樹」を読む、にしたのはそういう理由からだ。
「瀬川冬樹」もまた「かたち」である。

「きもち」「いのち」の……についても考えている。
「きもち」の……は決った。

けれど「いのち」の……についてはまだ迷っている。

Date: 11月 29th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その27・補足)

スレッショルドの4000は、結局800Aの代りとなる存在ではなかった。
もちろん優れたパワーアンプだとは思っていても、それはどこか私にとっては他人事に近いものであって、
800Aとは違い、惚れ込むことのできる音では、決してなかった。

スレッショルドの回路図は、数年前にPASS LABのサイトで公開されていた(いまは削除されているようだ)。
おかげで、800A、4000 (400)、STASIS1、STASIS2 (3) の回路図をここから入手できた。
4000 (400)、STASIS2 (3) というふうに表記したのは、
回路図は、4000と400、STASIS2とSATSIS3はそれぞれ一枚にまとめられているからだ。
つまり4000と400の違い、STASIS2とSTASIS3の違いは、出力段のトランジスターの数である。

800AとSTASIS1はどうなのかというと、基本的にはそれぞれ4000、STASIS2と基本は同じだが、
出力段の規模が異なる。単にパワートランジスターのパラレル数が多いという違いではない。

言葉だけではかなり説明しづらいので、ひじょうに大ざっぱに書けば、
STASIS回路の特徴は、とうぜん出力段にあり、この出力段がSTASIS2 (3) は2ブロック構成なのに対して、
STASIS1は3ブロック構成となっている。そしてパワートランジスターのパラレル数も一気に増えている。
このブロックは、NPN、PNPトランジスターで構成されている。

800Aと4000 (400) の違いも、同じである。
4000 (400) の出力段が2段重ねであるのに対して、800Aでは3段重ねになっている。

スレッショルドのパワーアンプのラインナップにおいて、800AとSTASIS1は別格ともいえる。

ここで空想してしまうことは、800Aの回路構成のままのモデル、STASIS1の回路のままのモデル、
それぞれに出力段のパワートランジスターの数を減らし、
それに見合った電源部にしたパワーアンプをつくってくれていたら……、ということ。
800Aと400の関係はスレッショルドが示したものでよかったと思うが、
4000に関しては400のパワーアップ版とせずに、800Aの回路をそっくり受けついたモデルであってほしかった。
いまごろ、こんなことを書いていてもまったくの意味のないことではあるけれども……。

Date: 11月 29th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その30)

いまではあまり使われなくなった表現だが、1970年代から80年にかけては、
男性的な音、女性的な音、というたとえがわりとあった。

スピーカーでいえば、アメリカ生まれのスピーカーは男性的、
イギリス系のスピーカーは女性的で、同じイギリスのスピーカーでも、BBCモニター系のモノよりも、
タンノイ、ヴァイタヴォックスといったスピーカーは、より年上的とも表現されることがあった。

アンプでいえば、国産のモノならば、瀬川先生はよくオンキョーのプリメインアンプに対して、
女性的、という言葉を使われている。
具体的にIntegra A5、A7、A722nIIなどがそうだ。

男性的なアンプの代表となると、当時はやはりGASだった。すくなくとも私にとっての印象は、そうだった。

この「男性的」ということばが、実はGASのアンプを意識的に遠ざけることに、私のなかではそうなっていった。

Date: 11月 28th, 2010
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その12)

ごまかしがない音、というのは、表現を変えれば、装飾のない(もしくは少ない)音かもしれない。
ごまかしたいところをなんとか飾り立てて誤魔化す、
またはごまかしている箇所から注意をそらすために別のところを過剰に装飾してそちらに向くようにする──、
そういうことをやっていないという意味で、そう言えるような気もする。

そんなことを考えていたら、たとえば録音における「素朴」とはなにか、と思った。

録音の技術・手法はほんとうに大きく変化している。
そんな変化のなかのひとつにマイクロフォンの数が一時期急激に増えたことがある。
マルチマイクロフォンの行き過ぎたもの、それと正反対にいたのがワンポイントマイクロフォンによる収録。

このワンポイント収録は、録音側における素朴な手法なのだろうか。

今夏、アンドレ・シャルラン録音が、ひさしぶりにCDとして登場した。
マニアの間では、シャルラン録音のマスターテープはすべて焼却されてしまったから、
CD復刻はサブマスターやLPを使ってのものだから、価値はほとんどなし、という声もあるけれど、
実際にCDを聴いてみると、噎せ返るくらい濃く分厚い響きが聴こえてきた。

シャルラン・レーベルのLPを聴いたことはない。
だからオリジナルLP(オープンリールでも発売されていた)の良さが、
どのていど今回のCDに生きているのかは判断できないものの、
少なくともシャルラン録音の特徴は、色濃く伝わってくる。

ワンポイント録音といっても、1980年代に話題になったデンオン・レーベルのそれとはずいぶん違うことに、
最初の音(というよりも響き)がスピーカーから聴こえてきたときに、正直一瞬とまどってしまった。

Date: 11月 27th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その6・補足)

この項の(その6)に、瀬川先生が、もうひとつ別のペンネームをもっておられたことを書いた。

今日、その「芳津翻人」で書かれた「やぶにらみ組み合わせ論」の(II)と(IV)を入力していた。
「やぶにらみ組み合わせ論」の二回目はステレオサウンド 13号(1970年冬号)に、
四回目の文章は別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」(1977年冬)に載っている。
ちなみに一回目は4号(1967年秋号)、三回目は17号(1971年冬号)だ。

「芳津翻人」のペンネームについて、誰かに話すとき、
上に書いているように「瀬川先生のもうひとつのペンネーム」だと言ってきた。

だけど、今日、とくに二回目の文章を入力していて感じたのは、
瀬川冬樹にとってのペンネームなのか、それとも大村一郎にとってのふたつめのペンネームなのか──、
そのどちらなのだろうか、ということ。

ささいなことかもしれないが、意外とこれは大事なことのように、いま感じている。
そして、どうも後者ではないのだろうか、とも……。

Date: 11月 26th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その76)

きちんとした定電流点火の音を聴くと、
三端子レギュレーターによる安易な直流点火に疑問を抱く。

定電圧点火にすれば、真空管の寿命も短くなる。
しかも音もいいとはいえない。ハムをわりと簡単におさえられる、という以上のメリットは感じられない。

そんな点火回路を、「遅れてきたガレージメーカー」のつくる真空管アンプの多くは採用していた。
増幅回路には工夫を凝らしたものでも、ヒーターの点火に関しては、じつに安易というアンバランスを感じていた。

真空管アンプを作ったことのない方は、ヒーターの点火方法によって、
それほど大きく音が変化するものだろうか、と思われるかもしれない。
こればかりは実際に音を聴いていただくしかないし、その手間がかなりめんどうなのが、もどかしい。

たとえば伊藤先生のコントロールアンプは電源トランスを2つ搭載している。
ひとつは高圧用のもの、もうひとつはヒーター用のトランスである。
真空管のプレートにかかる電源は高圧・低電流、一方ヒーターは低電圧・高電流、と正反対である。
しかも実際に消費電力を計算してみるとわかるが、ヒーターの消費電力の方が大きいからだ。

真空管アンプの回路を勉強したてのころは、どうしても増幅回路のほうにばかり目が行きがちだが、
あるレベルになればヒーター回路にも注意が向く、というか、
むしろ、こちらのほうに先に興味が向くようになるかもしれなくなる。

マランツ、マッキントッシュの真空管アンプが全盛だった時代、
TL431はもちろん、三端子レギュレーターもなかった。
#7やC22はどうしていたのか。同時代のQUADの22はどうだったのか。

Date: 11月 26th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その75)

結論を書こう。
ただ、この結論は私が実際に耳にした範囲においての、私にとっての結論であり、
私と違う考え、私と違う音の聴き方・捉え方をする人にとってはまったくあてにならないことにもなろう。

ずっと以前に真空管の単段の無帰還のラインアンプ(つまり反転アンプ)、
それもシャーシにおさめることなくバラックの状態という、完全な実験用のアンプで、
三端子レギュレーターによる定電圧回路、TL431を使った定電流回路、交流点火、
非安定化の直流点火の4つの方式を聴いたことがある。

私にとって、最も音が冴えなかったのは三端子レギュレーターによる定電圧点火だった。
頭でわかっていても、実際にその音を聴くと、
ヒーターの点火方法でこんなにも音が変化するものか、と驚いてしまう。

驚くほど大きな差が、三端子レギュレーターの定電圧点火とTL431による定電流点火のあいだにはあった。
このふたつのあいだに、交流点火と非安定化の直流点火が、
中間よりもやや定電流寄りにあると感じた(もう20年ほど昔の記憶なのでこのへんはすこし曖昧なところも……)。

パワーアンプの出力管も定電流点火にしてみたら……、と思わず夢想してしまうほど、定電流点火の音は良かった。

定電流点火といっても、私は新氏が発表された三端子レギュレーターによる回路の音は聴いたことがない。
というよりも、定電流点火に関心をもち、試してみようと思われる方は、安易に三端子レギュレーターにたよらずに、
TL431を使った回路で実験してみてほしい。

Date: 11月 25th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その29)

ステレオサウンド 56号に、PM510は、瀬川先生の文章によって登場している。
これによって、PM510を知ることになり、読み進むにつれてPM510をとにかく一日でも早く聴きたい、
と思うようになり、このときの瀬川先生と同じように、いつかはJBLの4343とPM510──、
このふたつのスピーカーシステムを鳴らしたい、と思っていた。

この記事で、瀬川先生は、EMTの927Dst、マークレビンソンLNP2L、スチューダーのA68という組合せで、
一応のまとまりをみせた、と書かれている。
     *
とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
ぼんやり聴きふけることのできる音、でもそれだけでは満足できないような気持があった。

PM510を聴く機会はすぐにはなかったから、何度も何度もくり返し読む。
読めば読むほど、瀬川先生には4343という、PM510とは対極の性格のスピーカーシステムがある。
それをマークレビンソンのアンプで鳴らされている。
プレーヤーはマイクロの糸ドライブに、オーディオクラフトのトーンアーム、
それにオルトフォンのMC30、そういうシステムで鳴っている音があるからこそ、
PM510を、ぼんやり聴きふけることのできる音にもっていくことができるのではないんだろうか。

オーディオ機器をそろえることを最優先にした生活を送ったとしても、
そうたやすく4343とPM510の両方を所有することなんてできないことはわかっている。
どちらかを手にいれるのだって、
さらにそれを鳴らすにふさわしい組合せを構築していくのだって大変なことなのに、
それにもしふたつのスピーカーシステムを手にすることができたとしても、
それをふさわしい組合せを持てたとしても、
これだけ性格の異るふたつのスピーカーシステムをきちんと鳴らし込む能力が、まず、そのときの私にはない。

……おそらく購入できるとしたら、価格的なことを含めてPM510であろう、
そのPM510から、4343のもつ良さを、ほんのすこしでも鳴らすことはできないものだろうか、と考えていた。

それが「凄さ、凄み」であった……。

Date: 11月 24th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その28)

この時代、つまりマークレビンソンが登場して以降、アメリカの新しい世代がつくり出してくるアンプには、
凄味みをもったものがいくつか、すでにあった。
なにもスレッショルドの800Aばかりではなかった。

でも、瀬川先生の表現にもあるような「清楚でありながら底力のある凄味を秘めた音」となると、
800Aがまっさきに思い浮ぶ。

マークレビンソンのML2Lも凄みをもっていた。
でも、清楚、とはいえなかった。
それにもうすこし凄みをはっきりと表に出している。

他のアンプ、たとえばボンジョルノの手によるGASのアンプジラ、SAEのMark2500あたりになると、
さらにその凄みははっきりとしてくる。

そして清楚な印象はなくなってくる。

組み合わせるスピーカーがPM510、つまりイギリスのスピーカーシステムでなければ、
800A以外の凄みを持つパワーアンプを選択したことだろう。

でもPM510、それに当時求めていた要素を出してくれる可能性が高いアンプとして、
800Aにずっと惹かれていたわけだ。

この「凄み」を、家庭でのレコード鑑賞に求めない人もおられるだろう。
でも、この「凄み」こそオーディオによる音楽鑑賞の醍醐味のひとつ、とまだハタチそこそこの私は強く思っていた。

Date: 11月 23rd, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その27)

もう30年ちかく前のことだから、かなり記憶が曖昧だけれども、
とにかくSG520をつないではじめて、
それまで試したどんなコントロールアンプからも出しえなかった低音の凄み──、
そういうものがパトリシアン800から鳴ってきた、そんなふうに私の中に刻まれた。

この「凄み」のところに、じつはとらわれていたように、いまは思う。

PM510は、いま新品同様のものがあれば、
いまいちど真剣に鳴らしてみたい、と心のどこかにそういう気持ちがある。
その一方で、当時もいまも、スピーカーから鳴ってくる音に、
どこか「凄み」を内包していてほしい、という想いがある。

PM510の一方に、当時の私の中にはJBLの4343があった。
PM510には、JBLの、アメリカのオーディオ機器のもつ物量を投入したことによる凄みは、かけらもない。
そこがPM510の良さでもあるけれど、やはり昔は若かった。
PM510を鳴らすにしても、どこかに凄みがあってほしい。

だからこそ、スチューダーのA68、ルボックスのA740という選択ではなく、
スレッショルドの800Aを組み合わせたいと思っていたように、いまははっきりといえる。

1978年暮に出た「コンポーネントステレオの世界’79」の巻頭に、
1978年のオーディオ界の動向をふりかえって、瀬川先生がこんなことを書かれている。
     *
パワーアンプ単体では、これといった収穫はなかったが、スレッショルドが、製造中止してしまった800Aに代るハイパワー機として4000Cを発表したのが、久々の高級機として注目されそうだ。800Aのあの独特の、清楚でありながら底力のある凄みを秘めた音の魅力が忘れられなかっただけに、大いに期待している。
     *
「凄み」をもったパワーアンプは、この当時も他にもあった。
でも瀬川先生の文章にあるように、清楚でありながら底力のある凄みを秘めたものは、そうなかったはずだ。

だから、800Aだったのだ。そしてSG520なのだ、と感じていた。

Date: 11月 22nd, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その74)

定電流点火を否定していたサイトでは、定電圧点火よりも交流点火を勧めていたような気がする。
ただし通常の交流点火ではなく、たしか400Hzくらいの周波数による交流点火である。

ヒーターが常に一定温度で保たれていればいいということで、
ヒーターの熱慣性を考慮すれば400Hzかそれ以上の周波数による交流点火であれば、十分だということだった。

これも面白い方法だと思ったのはほんの少しの間。
定電流回路を実際に組むのもめんどうだけれど、400Hzの交流点火用の回路を組むのも、かなり面倒というか、
こちらのほうが大変なような気がしてきたからだ。

いまはどうなのかわからないが、以前、フランスのジャディスのコントロールアンプは、
航空機用の電源トランス(400Hz用)を採用し、
発振器で400Hzをつくり増幅し、トランスの一次側に供給していた。

屋上屋を重ねる的なところはあるものの、これならば、真空管のヒーターを400Hzの交流で点火できる。
とはいうものの、肝心の音がどうなるのかはわからない。
意外にいい点火方法かもしれないし、面倒な割には……、ということにもなるかもしれない。

誰かが400Hzの交流点火用の回路を作ってくれれば、いちどは聴いてみたいけれど、
自分で実際に試してみるか、となると、たぶんやらない。

私は、TL431を使った定電流回路をとる。

Date: 11月 22nd, 2010
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その5)

Twitterには、140文字という制約がある。
でも、1バイト文字でも2バイト文字でも同じ140文字なので、
英語よりも日本語のほうがしっかりと書ける分量である。

ちなみに140文字は、ステレオサウンド 43号のベストバイの、
各機種へのコメントがほぼ140文字である(特選機種のみ200文字)。
どうでもいいことをただ書き連ねていくと、すぐに文字数がなくなってしまうけれど、
しっかり書きこまれた文章だと、140文字は決して少ない文字数ではないことが伝わってくる。

瀬川先生の「本」に、43号の文章をおさめてあるので読んでみていただきたい。

それにしても、この43号のベストバイは、読みごたえがあった。
そこに掲載されている機種には、かならずコメントがついていた。
瀬川先生は、43号では188機種について書かれている。
他の筆者の方は多少少ない機種数だが、全体としての分量はかなりのもので、
ここ20年以上のステレオサウンドのベストバイとはずいぶん印象が異る。

とにかく140文字でも、真剣に書いてゆけば、かなりのことが表現できる。
もっともすべてのTwitterへの書込みを、そんなふうにしているわけではないし、
140文字という制約は、小さくはない。

このブログで書いていることを、Twitterで代用することはできない。

ちょうど10年前にaudio sharingをはじめて、2年前にこのブログ、
そして今年になってTwitterをやってきて、
それぞれにウーファー、スコーカー、トゥイーターという感じがしてくる。

私にとってはaudio sharingというウェブサイトが基本となるものだけに、
そしてネットワークの帯域幅も、広いものを要求する。だからウーファー、もしくはフルレンジという印象。
そのうえにスコーカー(ブログ)がのっていて、さらにトゥイーター(Twitter)がある。

ウェブサイト(フルレンジ)だけでもスピーカーは作れる。
けれどさらに発展させようとしたときに、帯域を分割してスピーカーユニットの数を増やしてゆくことになる。

インターネットも、すくなくとも私が個人でやっていることは、
いま3ウェイの形になって先に進めたように思うし、ひとつの形になってきたようにも思っている。

Date: 11月 21st, 2010
Cate: 境界線

境界線(その6)

目の前に、いまCDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
スピーカーシステムというシステムがあるとする。

それぞれの機器の受持範囲はどこまでなのだろうか。
いいかえれば、どこにそれぞれの機器と機器との境界線があるのか。

ほとんどの方が、CDプレーヤーならば、CDプレーヤーの出力端子までがその受持範囲である、と捉えられるだろう。
コントロールアンプならば、入力端子から出慮端子まで、パワーアンプにしても同じ、
スピーカーシステムもスピーカー端子から先がスピーカーシステム、ということになる、と。

ならば、CDプレーヤーとコントロールアンプを接ぐケーブル、コントロールアンプとパワーアンプを接ぐケーブル、
パワーアンプとスピーカーシステムを接ぐケーブルは、それぞれどこに属するのか。

境界線をどこに引くのか。
それぞれの入力端子、出力端子すべてに境界線を引くならば、ケーブルは独立したコンポーネントとなる。
けれど、CDプレーヤーの役割、コントロールアンプの役割、パワーアンプの役割を考え直してみると、
いくつかの境界線は消えていくはずだ。

Date: 11月 20th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹
2 msgs

瀬川冬樹氏の「本」(続・余談)

瀬川先生の本をiPadで読むことを前提としたものにつくるために、
iPadとは、いったい何だろう? ということをはっきりさせてたくて、考えたことがある。
8月の頃だった。
結論は、「鏡」だった。わりと即、自分の中で返ってきた答だった。

それから三ヵ月経ち、瀬川先生の「本」をつくり、もう一冊つくって思っていることは、
「鏡」であるからこそ、
iPadは、私にとって音を出す道具ではないけれども、オーディオ機器であるといえる、ということ。