ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その28)
この時代、つまりマークレビンソンが登場して以降、アメリカの新しい世代がつくり出してくるアンプには、
凄味みをもったものがいくつか、すでにあった。
なにもスレッショルドの800Aばかりではなかった。
でも、瀬川先生の表現にもあるような「清楚でありながら底力のある凄味を秘めた音」となると、
800Aがまっさきに思い浮ぶ。
マークレビンソンのML2Lも凄みをもっていた。
でも、清楚、とはいえなかった。
それにもうすこし凄みをはっきりと表に出している。
他のアンプ、たとえばボンジョルノの手によるGASのアンプジラ、SAEのMark2500あたりになると、
さらにその凄みははっきりとしてくる。
そして清楚な印象はなくなってくる。
組み合わせるスピーカーがPM510、つまりイギリスのスピーカーシステムでなければ、
800A以外の凄みを持つパワーアンプを選択したことだろう。
でもPM510、それに当時求めていた要素を出してくれる可能性が高いアンプとして、
800Aにずっと惹かれていたわけだ。
この「凄み」を、家庭でのレコード鑑賞に求めない人もおられるだろう。
でも、この「凄み」こそオーディオによる音楽鑑賞の醍醐味のひとつ、とまだハタチそこそこの私は強く思っていた。