Archive for category 「ネットワーク」

Date: 8月 27th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その4)

その多少の誇張は、どこから来るものだろうか──、
そんなことを続けて考える。

弱さから来る多少の誇張なのか、
強さから来る多少の誇張なのか。

まず、この二つを思い浮べた。
この二つは思いついただけにすぎない。

深い考えがあって、弱さから来る、強さから来るを思い浮べたわけではない。
それでも、(その3)での「この人」たちは、
こんなことを意識せずに書いているのかもしれない。

弱さから来る多少の誇張には、怖さがひそんでいるように感じる。
強さから来る多少の誇張にも、別の怖さがひそんでいるようにも感じる。

こんなことを意識せずに書いている多少の誇張は、どうだろうか。
やはり、なんらかの怖さがひそんでいるように感じているし、
その怖さは、弱さから来る、強さから来るものよりも、
なんとなくではあるが、こういうものではないか、という姿がぼんやりと見えている(気がする)。

映画、ドラマでヒーロー(もしくはスーパーヒーロー)が活躍する。
一本だけで完結するのであれば、そんなことは生じないのだが、
人気が出て、何作も映画がつくられたり、ドラマも何シリーズも続くようになると、
ヒーローの強さが回を追うごとに増していく、
いわゆる強さのインフレーションが問題となってくる。

この強さのインフレーションと同じことが起りうるのではないだろうか。
つまり表現のインフレーションとでもいおうか。

SNSは、表現のインフレーションを加速していくのかもしれない。

Date: 8月 26th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その3)

SNSを眺めていて、
特にこの一年感じていることは、この人は、いったいどういう音を鳴らしているのか、である。

ここでの「この人」とは、一人のことではない、複数の人である。

オーディオのシステムのどこかを変える。
そのことで音が変化する、良くなる。
どんなふうに良くなったのかを書いている人がいる。

その人が何かを変えたのは一度だけではない。
何度も、いろんなところをやっている。
その度に、音は良くなっていっている(ようだ)。

それらの投稿を読むと、この人の、いま出している音は、
そうとうなレベルにあるんじゃないか、と思えないこともない。

その人は、前に鳴っていた音との相対評価で、そんなふうに書いているのはわかっていても、
それでも、読んでいくうちに、相対評価ではなく、絶対評価のように思えてきてしまう。

また別の人は、細かな音の違いを聴き分けていることを書いてたりする。
ほんとうに、そんな領域の違いを、そこまではっきりと聴き分けられるのか、
と驚くほどの耳の鋭敏さ、耳の良さを持っている人のようだ。

そこまでの耳を持つ人を満足させるだけの音というのも、
またすごいレベルにあるんだろうな、と上記の人の同じように感じもする。

音を言葉で表現するのは、あらためていうまでもなく難しい。
共通体験がある相手に対してであってもそうであって、
まして共通体験があるのないのか、そさすらはっきりとしない相手に対して書くのであれば、
なおさら難しさは増していく。

増していくから、表現には多少の誇張が加わることがある。
この、多少の誇張が、実は怖い、ということを「この人」たちは実感しているのか。

Date: 8月 26th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その2)

その1)へのコメントがfacebookにあった。
SNSには、ミュート機能、フォロー解除などができるようになっている。

いわゆるマルチポストを読みたくなければ、そういう機能をうまく使えば済むことである。
ミュート機能は、特定の人の投稿をミューとしていることは、相手側にはわからない。
なので、マルチポストを頻繁にする人の投稿に対してミュートすればいいだけの話だ。

見たいもの、読みたいものだけを読む、
見たくないもの、読みたくないものは読まない、
そうすることが可能なのもSNSである。

わかっているから、マルチポストをする人がいても、どうでもいい、という気持がある。
けれど、それが音楽、オーディオに関することとなると、
私の場合、話は違ってくる。

思っていること、考えていることを書く、という行為、
それを誰かに読んでもらうために公開するという行為は、
選択から始まっている、と考える。

最初の選択から始まって、次から次へと選択していく。
特に意識していない人もいるかもしれないが、
何かを書いて公開する、ということはそういうことだ、と私は考えている。

これは私の考えだし、誰かに押しつけようとは思っていない。
その人の考えで書いて公開すればいい。

マルチポストしたい人はすればいい。
マルチポストするということは、どういうことなのかを、
「選択」ということで考えてほしい。

そこで選択を放棄している、と私は見る。
いや、多くの人に読んでもらいたいから、という選択からのマルチポストだ──、
そんな反論が返ってきそうだが、それは、もう選択ではない、と私は思っている。

マルチポストをする人は、こういうことはどうでもいいことなのだろう。

それでも、音楽をオーディオを介して、しかも少しでもいい音で聴きたい、と願うことは──、
それをかなえていくためにはやらなければならないことは──、
こういうことを考えていけば、選択のもつ意味の重さが実感できるはずなのに……、と思う。

結局のところ、マルチポストをする人は、これからもしていくだろう。
それを止めようとは思っていない。
好きにやればいい。

私は、というと、(その1)で書いているように、
音楽のこと、オーディオのことを平気でマルチポストする人とは、
音楽、オーディオについて語らないようにするだけだ。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その1)

私もそうだが、twitterとfacebook、
この二つのSNSのアカウントをつくっている人は多いだろう。

イベントなどの告知をしたいのであれば、twitter、facebookのどちらにも、
同じ内容を投稿するのはわかる。

けれど、思っていること、考えていることを、
twitterにもfacebookにも、同じことを投稿する人が少なからずいる。

多くの人に読んでほしい、という気持のあらわれなのだと一応頭では理解しても、
どちらにも投稿する人をみると、この人は選択することを放棄している(しかかっている)、
そんなふうに見えてしまう。

twitter、facebook、どちらか片方しかアカウントをつくっていないという人もいる。
だから、どちらにも投稿する──、とその人はいうかもしれない。

それでも、あえて「選択しよう」といいたくなる。

なぜ、選択しなければならない──、
そう思うのであれば、それはそれでいい。
その人とオーディオについて語ろうとは、私は思わない、
ただそれだけである。

Date: 2月 2nd, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その6)

情報量は、さまざまなところで増していっている。
映画は、代表的な列のひとつといえる。
特にCGを多用した映画は、まさにそうだといえるし、
この手の映画に、内容がない、と否定的な人も増えてきているように感じている。

この手の映画を、
できるだけ最新の映画館で、しかも音響もよくスクリーンも大きいところで観る。
CGが多用されたアクションシーンでは、
映画によってはこちらの目が追いつかない、と感じることだってある。

だからといって、そのシーンでの情報量の圧倒的な多さを否定する気はまったくない。
むしろ、こういうシーンを積極的に、映画館で観たい、と思う方である。

そういうシーンが始まると、最初の数分は情報量の多さと、その処理に圧倒される。
それでも暗い映画館で集中していれば、追いつけるようになる。

ここがとても大事なことだと考えている。
情報量の多さは、自分を鍛えるという意味で重要なことである。

処理できない情報量の多さを、
人は自分の処理能力に合わせて単純化(省略化)してしまう、
そういう内容の記事をなにかで読んだことがある。

どこまで事実なのかはわからないが、そうかもしれないとは思う。
脳がオーバーヒートしないように、そうしてしまうのかもしれない。
それに、その方が楽である。

その楽なことを選択してしまえば、老いていくだけだ。
それでもいいという人がいる、
それに抗う人もいる。

情報量があふれている映画を、できるだけ損うことなく観るために、
最新の映画館で、いい音響と大きなスクリーンを求める。
しかも私は前寄りの席が好きである。

追いつくのがたいへんと感じた映画も、そう感じなくなる。
同程度の情報量の映画を次に観ても、たいへんとは感じなくなる。

私の感覚では数年に一本、
明らかにそれまでの映画とは情報量が多いと感じられる映画が登場する。

情報量の多さに否定的であることのすべてを否定はしない。
けれど、否定的である態度の何割かは、受け手側の老いではないだろうか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その3)

2003年から数年間、audio sharingのメーリングリストをやっていた。
そのころ使っていたレンタルサーバーの会社が倒産してしまい、
次のレンタルサーバーの会社にはメーリングリストの機能がなかったので、やめてしまった。

菅野先生には、メーリングリストを始める前から相談して参加していただいた。

菅野先生はメーリングリストには投稿されたことはなかったが、
ステレオサウンドから「新・レコード演奏家論」が出た時に、
何人かの方が、メーリングリストに読まれた感想を投稿された。

菅野先生は、その人たちに返事を直接メールされている。
コピー&ペーストの返信ではなく、
それぞれの人たちの感想を読んだ上での返信である。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その2)

すべてに功罪があるからこそ、検証はないがしろにするべきではない、と思っている。
けれど、そのことと誰かの死を、
匿名で不特定多数に向って、喜ぶという行為は、おかしい。

菅野先生に否定的、批判的な人がいるのはわかっている。
私にしても、長岡鉄男氏には、はっきりと否定的、批判的である。

長岡教の信者からすれば、
私などは長岡鉄男氏のことを全く理解していないヤツ、ということのはずだ。

それに長岡教の信者にとって功と認識していることが、
私にとっては罪と認識していたりすることだろう。

そんな私でも、長岡鉄男氏が亡くなったのを喜びはしなかった。
これは誇ることでもなんでもない。
人としてあたりまえのことでしかない。

にも関らず、真逆の人(救いようのない人)がオーディオの世界には少なからずいる。
そんな人(人といっていいだろうか)は、どんな音でどんな音楽をきいてきたのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その1)

岩崎先生、五味先生、瀬川先生が亡くなられたころと、
いまとではインターネットの普及、それにSNSの普及、スマートフォンの普及がある。

井上先生は2000年12月だった。
インターネットは普及していたけれど、SNSは……、スマートフォンは……だった。
いまは誰でもが手軽に、感じたこと、思ったことを公開できる世の中だ。

菅野先生が亡くなられたことで、多くの人がブログ、SNS、掲示板に書いていることだろう。
中には喜ぶ人もいるだろうから、私は検索することはしなかった。

なので、どんなことが書かれているのかは、ほとんど知らない。
ただおもうのは、菅野先生と会ったことのある人、
さらには菅野先生の音を聴くことができた人は、きっと書いている、と思う。

それは傍から見れば、自慢にしかうつらないかもしれない。
私も書いている。

けれど自慢したいわけではない。
菅野先生の音を聴いている人ならばわかってもらえようが、
菅野先生の音を菊子とが出来た人は、オーディオマニア全体からすれば、
割合としてごくわずかであろう。

幸運にして聴けた、と書いている人もいるかもしれない。
たしかに幸運といっていい。

だからこそ、聴くことがかなわなかった人のためにも、書かなければ──、とおもう。
そうおもって書いている人は多い、とおもう。

Date: 10月 10th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・ある誘い)

facebookの友達申請。
私は、オーディオ好き、音楽好きということがわかれば、
面識のない方からの友達申請であっても、メッセージがなくとも承認している。

面識のある人のみ、としている人、
顔写真がプロフィールにあって、メッセージを送ってくること、など、
承認するかどうか、人によって違う。

SNS(Social Networking Service)を、
SES(Social Experiment System)ぐらいに捉えている私は、
そんなこまかなことはいわずに、ほぼ全員承認するようにしている。

なので、まだ一度も会ったことのない人のほうが多い。
そういう人は多い、と思う。

今日、facebookでつながっている人(面識はない)から、
facebookの機能を介しての電話があった。

あるお誘いの電話だった。
たいへん興味深い誘いであった。

SESと思っているくらいだから、本格的な冬が来る前に大阪に行くことにした。

Date: 10月 2nd, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その7)

facebookで、毎月第一水曜日にやっているaudio wednesdayは、オーディオクラブか、というコメントがあった。

私はそう思っていない。
けれど、私自身、どこかのオーディオクラブに属していたことがない。
なんとなく、こんな感じなのか、と、オーディオクラブのこと想像しているにすぎない。

その想像するところと違うから、そう思っていない、と答えたけれど、
質問された方にしてみれば、納得のいく答ではなかったかもしれない。

facebookにいくつも出来ているオーディオ関係のグループは、
特に、オーディオとかオーディオマニアと名乗っているグループは、
オーディオクラブとははっきりと違う。

まず参加している人の数が多い。
多いところは二千人を超えている。
そこに参加している人の中には、直接会ったことのある人もいるはずだが、
大半はfacebook(SNS)上でのつきあいではなかろうか。

そういうのを、オーディオクラブとは呼ばない。
facebookでのオーディオ関係のグループで、比較的クラブ的といえるのは、
小口径のフルレンジユニット関係のグループとか、
ヴィンテージJBLとか、対象を絞ったグループの方だろう。

それでもオーディオクラブだ、とは私は思っていない。

audio wednesdayは、どうなのか。
毎月定期的に集まっている。
ときおり初めての方も参加されるが、常連の人たちがいる。
といっても大勢の集まりではない。
こぢんまりした集まりであり、
その点は、オーディオクラブ的に、外からは見えるかもしれない。

毎月第一水曜日に集まって、音を四時間ほど聴く。
何が、私が想像しているオーディオクラブと違うのだろうか。

Date: 10月 1st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その6)

昔は(といっても30年くらい前か)、オーディオクラブというものが、
全国にいくつもあった。

ステレオサウンドにも、52号のスーパーマニアに、郡山のワイドレンジクラブが登場している。
64号からの連載「素晴らしき仲間たち」は、そういうオーディオクラブを取材している。

私の周りにはそういうオーディオクラブはなかったので想像で書くのだが、
オーディオ店の常連の人たちが集まってのオーディオクラブなのだろう。

一つのオーディオ店に一つのオーディオクラブというわけでもなかったかもしれない。
そのオーディオ店でも、JBLのスピーカーを好む人たちもいれば、
イギリスのBBCモニター系列を好む人たちもいただろうから、
いくつかのオーディオクラブができあがっても不思議ではない。

1975年のダイヤトーンの広告には、
ダイヤトーンの故郷 郡山へご招待!
ダイヤトーン 1日ブレーン募集、というのをやっていた。

応募方法に、所属しているオーディオクラブ名、とあり、
各オーディオクラブから二名の5クラブで計十名を、十回にわたって百名を招待する企画だった。

いまオーディオクラブというのはあるのだろうか。
この時代からずっと続いているオーディオクラブはあるのだろうか。

別項でも書いているように、ステレオサウンドに登場したオーディオクラブのいくつかは、
1980年代に解散してしまっている。

新しいオーディオクラブが生れなければ、数は減っていくだけだ。

いまはSNSがある。
facebookには、グループ機能というのがあり、同好の士が集まれる。
オーディオ関係のグループは、いくつかあるんだろうか。
オーディオとかオーディオマニアという名のグループもあれば、
アナログディスクに絞ったグループ、真空管、JBLの古いモデル、
ウェスターン・エレクトリック……、とにかく細分化されたグループも増えてきている。

私は、audio sharingというグループをやっているし、
あとは海外のDIYのグループには参加しているが、
それ以外のオーディオ関係のグループには参加していない。

かなりの人が参加しているオーディオグループはある。
けれど、それが以前のオーディオグループにあたる集まりかといえば、
そうではないはずだ。

Date: 9月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その15)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っているaudio wednesdayでは、
ネットワークは、私が作った直列型6dBスロープである。
この日以外は、コイズミ無線製の12dBスロープ(並列型)で鳴っている。

ここ数回、この自作ネットワークで鳴らしてきて、いい感じだと思っている。
それでも、9月のaudio wednesdayは、まったく不安がないわけでもなかった。

メリディアンのULTRA DACを持ってきたら、どうなるのか。
たぶん、自作ネットワークがいいとは思っていても、
音ばかりは実際に聴いてみないことにはわからないところがある。

ULTRA DACを組み込んだシステムは、一点豪華主義となる。
ULTRA DACの価格と、喫茶茶会記のシステムのトータル価格は、前者の方が高い。

いわゆる情報量において、ULTRA DACは優れている。
メリディアンはDSP内蔵のアクティヴ型スピーカーシステムの開発にも積極的である。

そこにホーン型、直列型ネットワークといった組合せのスピーカーである。
予測できないことが起きても不思議ではない。

こればかりは、最初の音が鳴ってくるまで、内心ドキドキしている。
結果は別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた」で書いている。
(その13)で書いているように、一部を銀線にしていることもよかったのかもしれない。
少なくとも、入力機器を最新のモノとしても、直列型ネットワークの良さは活きている。

むしろULTRA DACの前に、直列型にしておいてよかった、とさえ思いはじめている。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その14)

かなり以前からいわれているノウハウ的なことので、
古くからスピーカーユニットを組み合わせてシステムの自作に苦労してきた方ならば、
それもコーン型ウーファーとホーン型のトゥイーター、スコーカーという組合せならば、
私が書くことは、いわば常識といえることである。

それでも、いまでは知らない方も少なくないようだから書いておく。
このことはステレオサウンドでも、菅野先生、井上先生が発言されたり書かれている。

例えばウーファーもスコーカーもトゥイーター、すべてコーン型で、
振動板の素材も同じというのであれば、
ネットワークの苦労はかなり減る、といえる。

ところがコーン型とホーン型とでは、そうはいかない。
それぞれのユニットからの音色に違いがありすぎる。

結局、クロスオーバー付近の音を、いかにうまく抜くか、である。
つまりウーファーのカットオフ周波数と、
トゥイーター(スコーカー)のカットオフ周波数を、離すわけだ。

うまく抜くことで、それぞれのユニットの音色がうまく混じり合ってくれることがある。

以前試した直列型ネットワークでは、このことはやっていなかった。
まずは喫茶茶会記のシステムでの直列型ネットワークの音を確かめたかったからで、
コイズミ無線製のネットワークとの比較、
さらにコイズミ無線製のネットワークに手を加えた音との比較を元に、
今回(というか今年になって)の直列型ネットワークは、あいだを抜いている。

抜く(離す)といっても、どのくらいにするのかは、音を聴いて判断することであり、
一概にこのくらいとはいえない。

それにスロープ特性も関係してくることだし、その他の要因も無視できない。
無責任のようだが、カット&トライしかない。

今回は直観で決めている。
うまくいっているようだ。

もちろん、もっといいコイルの値、コンデンサーの値はあろう。
でも、いまはそれを追求する前に、いくつかやっておくことがある。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その13)

その8)で書いたことを、先日のaudio wednesdayでは試した。
audio wednesdayでは、6dBスロープの直列型ネットワークを使っている。
audio wednesday以外では、コイズミ無線製の12dBスロープのネットワークである。

スロープ特性も違うし、並列型と直列型の違いもあり、パーツも違う。
それに直列型であっても、スピーカーの教科書に載っている結線とは、また少し違う。

これだけ違うのだから、二つのネットワークの音はずいぶん違う。
audio wednesdayでは、もうコイズミ無線のネットワークに戻すことはない。
いま使っている直列型ネットワークには、それだけの手応えを感じている。

自宅のシステムなら、音を聴いて駒かな変更も加えていけるが、
なにしろ自分のシステムではなく、月一回だけの音出しだから、
いわば一発勝負で、コイル、コンデンサーの値は決定している。

これらパーツの配置にしても、これでいこう、という感じで決めている。
ほんとうは、これらを含めて、音を聴きながらじっくり検討を加えたいところだが、
一発決めにしては、まぁ、うまく鳴っている、と感じている。

それでもあれこれいじりたいわけで、
8月のaudio wednesdayで、少し変更を加えた。
直列型ネットワークではトゥイーターとウーファーを一本のワイヤーで結ぶ。

具体的にいえばアルテックのドライバーのマイナス端子とウーファーのプラス端子を結線する。
ユニットを、このように直列接続するから直列型ネットワークである。

ここを銀の単線に変更したのが、先日のaudio wednesdayでの音である。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その16)

この二人が主宰するメーカーは、どちらも規模は小さい。
社員が大勢いる大企業ではなく、それぞれの人のいうことが、
そのメーカーの主張するところである。

この二人のメーカーの人は、オーディオ評論家を、
自分たちの代弁者であってほしい、と思っているのではないか。
だから、あれほど喜んだとしか思えない。

その意味で、そのオーディオ評論家はオーディオ評論家(商売屋)としてプロであった、ともいえる。
けれど読者が求めているオーディオ評論家は、
オーディオ評論家(職能家)ではないのか。
少なくとも私はオーディオ評論家(職能家)がいてほしい、と常々思っている。

けれど、オーディオ評論家(商売屋)のほうかわかりやすいと思っている読み手もいるようだし、
メーカー側の人たちが、少なくともこの二人はそうである。

メーカーにとってオーディオ評論家(商売屋)はそれでいいが、
オーディオ評論家(職能家)は、
メーカーの人たちが気づいていないところを指摘するのも仕事である。

それは欠点でもあるし、製品がメーカーの試聴室から市場に出た時に生じる魅力、
メーカーの人が気づいていない価値を指摘するのも仕事だ、と私は考えている。
そこに気づいたメーカーの製品だけが商品となっていくのではないのか。

二人のメーカーの人は、自分の賛同者、代弁者が欲しかった。
それはオーディオ評論家(商売屋)こそが得意とするところでもある。

今回のモニター機に関するいざこざは、個人ブロガー(オーディオマニア)に、
そんなオーディオ評論家(商売屋)と同じことをメーカー側が求めていたことも、
原因のひとつなのではないか。

メーカーと個人ブロガー、どちらか一方にだけ非があるようには思えない。
自分にとって都合のいいことしか求めなくなっている──、
そんな空気が、いまのオーディオ界の現状のような気もする。