Archive for category 「ネットワーク」

Date: 10月 18th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その17)

昨日のインターナショナルオーディオショウ、今井商事での是枝重治氏の講演で、
ヴァイタヴォックスのCN191のネットワークがらみで、JBLのハーツフィールドについても、少し話された。

ハーツフィールドがうまく鳴らないのであれば、ヴァイタヴォックスのネットワーク、NW500を試してみるといい、ということだった。

ハーツフィールドのネットワークはN500で、NW500と同じくクロスオーバー周波数は500Hz。
使用ユニットのインピーダンスもほぼ同じなので確かに使える。

N500は一般的な並列型、 NW500はくり返しになるが直列型。
使用部品の違いもあるが、この並列型か直列型かの違いの方が、そこで鳴ってくる音への影響は大きいと私は考えている。

どういう結果になるのかはなんともいえないが、NW500の中古を探して試してみる価値はある。

Date: 10月 17th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その16)

四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていた時、
アルテックのスピーカーユニットによるスピーカーシステムのネットワークは、
途中から私が作った直列型になった。

コーン型ウーファーとホーン型トゥイーターといった、上と下で構造の違うユニットを組み合わせるとき、
直列型ネットワークの方がうまくまとまるような感じを持つようになった。

コーン型ウーファー、コーン型トゥイーターもしくはドーム型トゥイーターといった、どちらもダイレクトラジエーター型ならば、
ネットワークはどちらがいいのかは、その結果は変ってくるかもしれないが、
コーン型とホーン型の組合せにおいては、直列型ネットワークが優位性が高いような気さえする。

今日、インターナショナルオーディオショウに行き、今井商事のブースで是枝重治氏の話を聞いて、
ヴァイタヴォックスのネットワークNW500も、直列型であったことを知る。

Date: 7月 16th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その5)

ソーシャルメディアとのつき合い方は、特にfilteringだ。
誰をフォローするのか。

読みたいことのみをフォローしているようで、
読みたくないことを拒絶している。
自分と同じ意見、考えを持つ人、その投稿ばかりを追いかけて、
そのことだけで世界観を構築してしまう。

そういう使い方をしている人ばかりでないことはわかっているが、
そういう使い方をしている人も少なくないようだし、
知人の一人も残念なことにそうである。

そして凝り固まっていき、余計に拗らせているように見える。
本人は真理に迫りつつある──、という認識のようだ。

filteringとは、そういうことでは、本来ないわけなのに、そうなっていってしまう。
ソーシャルメディアがなければ袋小路にぶち当って、
そこで考えを改める機会にもなるだろうが、
ソーシャルメディアはそうじゃない。

どこまでもどこまでも、悪い意味でつき進める。

Date: 3月 18th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その25)

《いまは、恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代である。》

ステレオサウンド 61号(1981年12月発売)、
「さらに聴きとるものとの対話を 内藤忠行の音」で、黒田先生が書かれている。

1981年は四十年以上前。
恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代が、いまも続いているどころか、
ひどくなっている。

恥じらいが失われつつあるからなのか。
だとしたら、なぜそんなふうになっていったのか。

そして、このことは人に限ったことでもない。
オーディオ機器、それもハイエンドオーディオ機器の中には、
そう感じてしまうモノがないわけではない。

音のためだったら──、なんでもやっていいのだろうか。

Date: 2月 22nd, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その9)

内輪だけの関係を、どう捉えるのかは人によって違ってきて当然だし、
ネガティヴに捉える人もいるだろうが、
この内輪だけの関係は、同じ志をもつ人たちが、少人数だからこそ、
互いに精進、切磋琢磨していく関係性でもある、と私は捉えている。

そして、この内輪だけの関係は、とてもオーディオと相性がいい、とも思っている。

けれどそれがオーディオ雑誌の取材、
そしていまではインターネット、ソーシャルメディアによって、
内輪だけの関係に留まることに、かなりの無理を生じさせているのではないか。

多くのオーディオマニアの音を聴いてまわること。
多くのオーディオマニアと知り合うこと。
さらに、その輪を広げていくこと。

悪いこととまでは言わないが、本当にいいことなのだろうか。

内輪だけの関係を大切にしたままであればいい。
けれど、どうもそうではないように、私の目にはうつる。

Date: 2月 19th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その8)

『オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その6)』で、
オーディオクラブのことにちょっとだけ触れた。

1980年代のステレオサウンドで、いくつかのオーディオクラブを取材して記事にしている。

これらのオーディオクラブのいくつかは、
記事で紹介されてしばらくしたら、解散してしまった、と聞いている。

その原因も少しだけ聞いているけれど、どこまで本当なのかは、確認していない。

ただ記事になってから解散したという事実だけである。

オーディオ雑誌では昔からマニア訪問記があった。
オーディオクラブを紹介したのは、あまりなかったはずだ。

思うに、オーディオクラブは、元々内輪だけの世界を大切にした人間関係だったはずだ。
それがオーディオ雑誌で取り上げられる。
しかもステレオサウンドで、カラーで取り上げられる。

こうなると、もう内輪だけのことでは済まなくなってきたはず。
ぜひ聴かせてほしい、という人もけっこういただろう。
私も、そのクラブに加わりたい、という人もいたことだろう。
記事になって最初のころは、その反響に驚いていたはずだ。

けれど、その反響は内輪だけの関係を毀していったのではないのか。
それまでクラブ内の序列なんてものはなかったのに、一度記事になってしまうと、
徐々に内からも外からも序列のようなものが形成されていく──、
そんな気がしてならないし、それが解散の原因になっていったのか。

ソーシャルメディアを頭から否定はしないけれど、
当時のオーディオクラブがオーディオ雑誌に取り上げられなくて、
内輪だけの関係を大事にしていったとしても、
ソーシャルメディアにオーディオクラブのまま、一歩でも踏み入ってしまえば、
同じことになってしまうだろう。

Date: 2月 15th, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その7)

人は誰しも弱さがある。
なに一つ弱さなんてもったいないと豪語できる人はいるのかもしれないが、
だからと言って、本当にそうなのかは誰にもわからないことだろう。

その弱さを誰かに見られる(見せられる)のは、悪いこととも何とも思わないが、
インターネットの普及、ソーシャルメディアの普及、
スマートフォンの普及、
これらによって増えてきたと感じているのは、
自分の弱さを誰かに見せつける人である。

世間一般で、そんなふうに感じるようになってきているが、
オーディオに限っても、同じに感じている。

弱さを誰かに見せつけているとしか思えない人は、慰めて欲しいのか。
特別扱いして欲しいのか。

いい歳した大人のオーディオマニアがそうだったりすると、
これもおさなオーディオなんだなぁ……、と思うだけでなく、オーディオは元々内輪だけの世界だったところに、
外向きといえるインターネットが登場したことに、
いまだうまく対応できていない人が多いのかもしれない──、
そんなふうに思料したところで、
何が変って良くなっていくことがあるのか。

Date: 1月 21st, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その24)

兵庫県で、ここ一年ほどのあいだに起こっている事象は、
悪意をベースにしたSES(Social Experiment System)のように思えてしかたない。

SNS(Social Networking Service)を中心とした実験場で、
何かが浮き彫りになるのだろうか。

Date: 12月 30th, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その23)

ソーシャルメディアを眺めていると、フォローしていない人の投稿でも、
ソーシャルメディア側のおせっかいで表示される。

オーディオのことに関しても、そんなふうにほぼ毎日、何かしらの投稿が表示される。

そんな投稿とコメントを読んでいると、この人は何も確認しないのか──、と思うことがしばしばある。

具体的にどういうコメントだったのかを挙げるのはやめておくが、
製品知識として広く知られていることですら、
そこではなかったことのように語られていて、
おかしな方向に話が進むことが少なくない。

しかもコメントしている人の誰も、そのことを指摘しない。
ならばお前がコメントしろ、と言われだろう。
しようかな、と思いつつも、もういいや、という気持もあって、
何もせずに、ここで触れているだけだ。

これも集合知である。

Date: 11月 21st, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その22)

インターネットでの検索に熱心な人がいる。
関心のあることをインターネットでずっと検索している。

彼は何を検索しているのか。
真実を追求しているのだ、と彼は答えるだろう。
そう思い込んでいるのだから、
彼に対して、いえることは何もない。

彼は真実だと思い込んでいる。
けれど、それは真実ではなく、彼が信じている事であって、
それは真実というよりも信実でしかない。

そのことに彼が気づく日が来るのかは、わからないし、
インターネットにも、その答は存在しない。

Date: 7月 25th, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その21)

不気味の谷。
この言葉を目にするたびに最近おもうのは、
不寛容の谷である。

不気味の谷の横軸は写実性だが、
不寛容の谷の横軸は、利便性ではないだろうか。

Date: 4月 9th, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その20)

 ひとは誤った見解を得るために戦い、論争しているようなものだ。そして世界は、その間じっと沈黙していて、これらの見解に一瞥すらあたえない。言い換えれば、ひとは戦いの身がまえに執着してはならない。あらゆる論争はとどのつまり非生産的であり、また非生産的にする。
     *
「フルトヴェングラー 音楽ノート」に、そう書いてある。
フルトヴェングラーの時代に、もちろんソーシャルメディアはなかった、
インターネットもなかった。

フルトヴェングラーは、いまの時代を、どう見るのだろうか──、
と問う必要はないだろう。

Date: 2月 16th, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その6)

(その4)で引用している五味先生の文章。
ここでもう一度引用しておく。
     *
 私に限らぬだろうと思う。他家で聴かせてもらい、いい音だとおもい、自分も余裕ができたら購入したいとおもう、そんな憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい。したがって、念願かない自分のものとした時には、こんなはずではないと耳を疑うほど、先ず期待通りには鳴らぬものだ。ハイ・ファイに血道をあげて三十年、幾度、この失望とかなしみを私は味わって来たろう。アンプもカートリッジも同じ、もちろんスピーカーも同じで同一のレコードをかけて、他家の音(実は記憶)に鳴っていた美しさを聴かせてくれない時の心理状態は、大げさに言えば美神を呪いたい程で、まさしく、『疑心暗鬼を生ず』である。さては毀れているから特別安くしてくれたのか、と思う。譲ってくれた(もしくは売ってくれた)相手の人格まで疑う。疑うことで──そう自分が不愉快になる。冷静に考えれば、そういうことがあるべきはずもなく、その証拠に次々他のレコードを掛けるうちに他家とは違った音の良さを必ず見出してゆく。そこで半信半疑のうちにひと先ず安堵し、翌日また同じレコードをかけ直して、結局のところ、悪くないと胸を撫でおろすのだが、こうした試行錯誤でついやされる時間は考えれば大変なものである。深夜の二時三時に及ぶこんな経験を持たぬオーディオ・マニアは、恐らくいないだろう。したがって、オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人なので、大変な精神修養、試煉を経た人である。だから人間がねれている。音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される一方で、精神修養の場を持つのだから、オーディオ愛好家に私の知る限り悪人はいない。おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる。これは知られざるオーディオ愛好家の美点ではないかと思う。
(「フランク《オルガン六曲集》より」
     *
《おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる》、
けれど、ソーシャルメディアを眺めていると、
現実はずいぶんと違うようだ、と思わざるをえない。

どうしてなのか。
我欲のかたまりの人は、おそらく心に近い音を聴いていない、
知らない、そんな音を求めていないのではないのか。

いつまでも耳に近い音だけを求めている。
おさなオーディオの域に居続けている人たちなのだろう。

Date: 3月 24th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その19)

○○○の△△△とあったら、
それがオーディオについてのことだったら、
○○○はブランド(メーカー)、△△△には型番が入るとも、ふつうは思う。

JBLの4343とかジャーマン・フィジックスのTroubadour 40といったふうにだ。

ところが、数日前にソーシャルメディアに表示された投稿を見ていたら、
△△△のところが価格になっていた。

○○○の百万円のアンプとか、○○○の百五十万円のCDプレーヤー、
そんな書き方だった。

○○○の百万円のアンプでも、それがどの製品なのかはわかる。
過去の製品も含めると、百万円のアンプは数機種がそこにあてはまったするが、
現行製品もしくは近年の製品となると、どの製品なのかはわかる。

型番を書いていることと同じことといえば、そうなのだが、
ならばなぜ、この投稿者はこんな書き方をするのだろうか、と思う。

素直に型番を書けばすむところを、型番ではなく価格を書くのはどうしてなのか。
それだけ高価なオーディオ機器をいくつも、自分は所有していると自慢したいのか。

それならば、素直に型番を書けばいいことだ。
ブランド名と型番が書いてあれば、その製品がいくらなのかは、
たいていのオーディオマニアはすぐにわかることなのだから。

高価なオーディオ機器を購入するのは、本人の努力の証しともいえる。
なのだから、自分はこんなオーディオ機器を持っている、
それらのオーディオ機器で聴いていることを自慢したい気持はわかるし、
そのことをとやかくいうつもりはない。

くどいようだが、なぜ型番ではなく価格を、そこに書くのか。
どんな理由が、どんな意味があるのだろうか。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その18)

その17)で書いたことは、
別項『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』と、
私のなかでは深く関係していることだ。