Archive for category 「ネットワーク」

Date: 5月 23rd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その5)

オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人、
そこからはるか遠いところにいる人たちが、自身のことをオーディオマニアという。

このことは、ある世代に共通していえることなのか、
それともすべての世代に、こういう人がいるのか。

どうもすべての世代に、少しずついるように感じている。
その人たちの割合が多いのか少ないのかまではわからないが、
そういう人たちが老いていくほどに、ますます遠いところへ向っていく。

若いころは、己れとの闘いの体験も少なかったりするから、
未熟であってもいい──というか、未熟でないほうが逆におかしい。

最初から老成ぶっている若いオーディオマニアがいる。
いつの時代にいる。

老成ぶることをかっこいい、と思っているのだろうか。
この種の人たちも、己れとの闘いの体験も少なかったりするような気がする──よりも、
もうそこから逃げてしまっている、目を逸らしているのかもしれない。

この種の人たちは、一生、老成ぶったオーディオマニアでいるつもりなのだろうか。
若いころから老成ぶっていた人は、老成することはないだろう。

この人たちも、また「おさなオーディオ」である。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その14)

インターネット以前の、互いの音を聴くという行為は、
自分の音をみつめなおすことであった。

そこには、自分の音を認めてほしい、という気持もあったはずだが、
一部の人の、いまほどには大きくなかったのではないか。
それをインターネットが肥大させてしまった。

肥大だけではなく、目覚めさせてしまったところもあるように思える。

オーディオは外に持ち出せるわけではない。
劫かなクルマ、時計、バッグなどは外に持ち出せる。
不特定多数の人の目にふれる。
見せびらかすつもりがなくても、そうすることができる。

オーディオは、それは無理だった。
誰かにリスニングルームに来てもらってこそのところがあった。

いまもそのことはまったく変らないけれど、
オーディオ雑誌に掲載されることなく、多くの人の目にふれるようになった。

アクセス数の多い個人サイトをやっている人に来てもらえば、
ほぼ必ずオフ会の様子が公開される。

世間に広く知らしめてほしい、という欲求がある人にとっては、
インターネットはまさしく、その願いをかなえてくれる。

ひどい音であったとしても、ひどい音でした、と書く人は、ほとんどいない。
それは礼儀といえるのか。

五味先生はステレオサウンドの「オーディオ巡礼」で、
ひどい音の場合、一刀両断といえるほどの斬りかたをされる。

それは五味先生ほどの人だからできる、ということではなく、
五味先生自身、斬りかえされることを覚悟してのことだから、と思う。

悪くいった相手から斬りかえされることよりも、
そうでないところからの斬り返しはある──、
そう思っていた方がいい。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その13)

まったくよさのない音は、ないのかもしれない。
だからAさんによるBさんの音についての表現は、まったくの創作というわけではない。

それにしても、僅かな美点をそうとうにふくらませての表現であり、
そうでないところにはまったくふれていない。

これはいったい何になるのか。
Bさんにとって励みになるのか、といえばそうだろう。
自分のやってきた音は間違っていないどころか、正しかったとすら思うはずだ。
誇らしげに思っても不思議ではない。

AさんとBさんは親しい関係だ。
BさんはAさんを、人生の先輩、オーディオの先輩として尊敬しているところもある。
それはけっこうなことではあるが、
BさんはAさんの本音を知らないままだ。

知らないまま、その道をつきすすむ。
その結果の音を私は聴いて、絶句した。
それは別項で書いている「間違っている音」であった。

オーディオは自分自身の世界に閉じこもろうとすれば、どこまで閉じこもれるものかもしれない。
だから、昔から人に聴いてもらえ、とか、人の音を聴け、的なことがいわれている。

否定はしない。
しなけれど、そのことはインターネットの登場・普及によって変質してしまった。

以前ならば、聴きにいったり聴きに来てもらったりしたことは、
その二人のあいだのことに留まっていただろう。

それが不特定多数の人に向けて発信できるようになった。
そうなることで変ってしまった。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その12)

ある人(Aさんとしておこう)が、ある人(Bさん)のところに行った。
ずいぶん前のことだ。

もちろん二人ともオーディオマニアで、そのころはどちらも自分のサイトを持っていた。
Aさんが、Bさんの音について、自身のサイトで、オフ会の様子を公開した。
ずいぶん褒めているな、と感じた。

Aさん、Bさんとも知人だった。
どちらの音も聴いている。
だからBさんの音を、Aさんは、こんなふうに評価するのか、と不思議に思った。

それからしばらくしてAさんと話すことがあった。
Aさんいわく「 Bさんの音、あれじゃダメだね」と。

サイトで公開したこととずいぶん違うじゃないか、とはいわなかった。
Bさんの音は、確かに、そういう面を多分にもっているからなのだが、
それにしても、この人(Aさん)は、彼のサイトを読んでいる人に対して、
どういう気持で、オフ会のこと、Bさんの音について書いたのだろうか。

親しき仲にも礼儀あり、ということなのかもしれない。
いくらひどいと感じても、そのまま相手に伝えたり、
サイトで、その音について書いたりするのは憚りがある──、と考えてのことだろうか。

ならば黙っておけばいいじゃないか、と私は思う。
社交辞令的な美辞麗句を、自身のサイトで公開する。

Aさんの、その文章をとうぜんだがBさんも読む。
Bさんは嬉しく思ったはずだ。

Bさんを直接知らない、Bさんの音を聴いたことのない、
Aさんのサイトを読んだ人は、Bさんの音は、なるほど素晴らしいのか、と思う。

それは読み手の勘違いではなく、書き手がそう書いているからだ。

これは私が知っている一例なのたが、
ほんとうに一例にすぎないのだろうか。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その11)

5月19日発売のステレオの特集は「巣ごもりオーディオ」とのこと。
こういう状況下ゆえの特集と考えていいだろう。

とはいえオーディオという趣味は、本来巣ごもりではないか、とも思うから、
あえて巣ごもりとつけなくてもいいのだが、
インターネットの登場・普及、SNSの登場・普及によって、
そのあたりも変化してきたとも感じているから、巣ごもりとつけるのもわかる。

それから、いまではインターネットのおかげで、家から一歩も出ずとも、
いろんなモノを買えるし、商品が届く。

たしかに巣ごもりな面は強化されつつある。

インターネットが普及し、個人のオーディオサイトがいくつも登場したころから、
オフ会が、オーディオという趣味の世界でも活発になっていった。

それ以前も、親しいオーディオマニア同士で、互いの音を聴きにいくことはあった。
それがインターネットによって、一気に拡大してしまった。

あのころ(二十年くらい前になるか)は、
オーディオのオフ会花盛り、といえた。

オフ会をやった、オフ会に行った、素晴らしい音だった──、
そんなことがあふれていた。

読んでいると、こんなにも素晴らしい音が世の中にあふれているのか、と疑いたくなる。
社交辞令なのか、それとも本音だったのかは読んだだけではなんともいえないが、
もしかすると書いている本人も、そのへんのところが曖昧になっていたのかもしれない。

オフ会自慢、どれだけ多くのオフ会に参加したのかを自慢気に語る人もいた。

いまはこういう状況下だけに、オフ会も自粛気味らしい。
寂しがる人もいるようだが、むしろいいことだ、と思う。

Date: 2月 23rd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その8)

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その4)」で、
情報というよりメディアがBGM化していると捉えるならば、
background mediaだから、もうひとつのBGMとなる──、と書いた。

同じく(その3)では、情報の垂れ流しについて書いた。

私がSNSへのマルチポスト、
そしてマルチポストを平気でする人に対して嫌悪感をいだくのは、
ここである。

それは情報の垂れ流しであり、BGM(background media)であるからだ。

垂れ流しとは、辞書には、未処理の廃棄物などをたれ流すこと、とある。
未処理の情報もどきも、未処理の老廃物と同じように感じるからだ。

Date: 2月 20th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その7)

表現のインフレーションとSNSへのマルチポスト。
ここに共通してくるのは、殊更という感覚なのではないだろうか。

殊更は、2月のaudio wednesdayに来られたデザイナーの坂野さんが、
facebbokにくれたコメントにあったことばだ。

『殊更』とあった。
ふだん、ほとんど意識せずに使っている「ことさら」ではあるが、
『殊更』を見て、今年一年の私にとってのキーワードになっていく予感がした。

オーディオのアクセサリー類を、
屋上屋を重ねるような使い方をしている人はけっこう多い。
私もハタチぐらいのころは、似たようなことをしてきた。

屋上屋を重ねることをやっていたときは、
音がよくなった、と思っていた。

なのにしばらくして、屋上屋を重ねる的なことをすべて取っ払ってしまった音を聴くと、
何をしていたのだろうか、何を聴いていたんだろうか、というおもいにとらわれることもしばしばしあった。

これは、殊更感を増すためにやっていたのではないだろうか。

別項で「時代の軽量化」を書いている。
殊更感が増すほどに、時代の軽量化も進んでいくような気もしている。

その3)で、SNSを眺めていると、
この人は、いったいどういう音を鳴らしているのか、と思ってしまうことを書いた。

オーディオマニアならば、スピーカーとかアンプを交換したときの音の違い、
それもたいていはグレードアップなのだから、音が良くなっているはずなのだから、
そこでの音の良さについて誰かに伝えたくなる気持はある。

そういう文章を読んで、素直に喜びが伝わってくる、と感じるよりも、
最近では、この人は、いったい、どんなにすごい音を出しているのか──、
そんな疑問が先にたつことが増えてきた。

つい先日もtwitterを眺めていて、そうだった。

Date: 2月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その10)

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(続×五・編集者の存在とは)」で書いたこと、
「同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!! そういう相手と一緒につくっていかないと面白い本はつくれない」、
当時、ステレオサウンドの編集顧問だったKさんのことばだ。

三十数年前にきいた。
そのころは、そういうものだろうか……、ぐらいに受け止めていた。
けれどステレオサウンドを離れて、たしかに本をつくっていくということ、
それも趣味の本をつくっていくということは、そうだ、と実感している。

そんな考え、古すぎる、といわれれば、
「そうかもしれない」といちおうは返事をするだろう。
でも、本音は、このことばをきいたとき以上に、そう思っている。

仲良しクラブ的にやっていきたい人たちにとっては、
頭のおかしい人たちがおかしいこと、悪い冗談を言っている──、
そんなふうにしか受けとらないであろう。

同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!!──、そういう人とどうやって仕事をしていくというのか。
その段階で戸惑ってしまうのか。

いまのステレオサウンド編集部が、そうなのか、違うのか。
まったく知らないけれど、誌面から伝わってくる空気からは、
Kさんのことばとは違っていることだろう。

編集部だけでなく、ステレオサウンドに書いている人たちも、そうなのではないのか。
みな仲良しクラブ的にやっているようにみえる。

でも、仲良しクラブ的に、ということは、表面的には、ということであるように感じもしている。

Date: 2月 4th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その9)

ステレオサウンドが、全国のオーディオクラブを取材していたころは、
SNSなんてものは存在していなかった。

SNSはやらない、とはいわない。
やっているし、便利だと感じているところもある。
しばらくは、続けていく。

でも距離はある程度はいつもとっておきたい、とも思う。
SNSで感じられる、距離をとっておきたい、と思うのは、
仲良しクラブ的雰囲気が、どことなく漂ってくるからだ。

仲良きことは美しき哉、
武者小路実篤の、名言といわれているものだ。

けれど、私がSNSから感じている仲良しクラブ的雰囲気は、
美しい、とはとうてい感じられない。

それは仲良しごっこなためなのかもしれない。

オーディオの関係者の仲がいいことは、ほんとうに望ましいことなのか。
オーディオの関係者には、いろんな人たちが含まれる。

オーディオ関係の出版社の人たち。
この人たちも、編集者もいるし、営業・広告の人たちもいる。
広告代理店の人もいる。

オーディオ雑誌になにか書いている人たちもいる。

メーカーの人たちのなかには、開発の人、営業・広報の人がいる。
輸入代理店の人もいる。

販売店の人たちも大勢いる。

そういう人たちが、みな仲良しクラブ的にやっていく──、
それはほんとうに望ましいことなのか。

オーディオの関係者のなかには、
オーディオに関係する人たちみなが仲良くやっていくことはよいことだ──、
そんなことをいっている人がいる、と聞く。

誰なのかは知らないから、どんな人がいっているのか、
どういう意図なのかもわからない。

そこに、わずかな気持悪ささえ感じていないのか。
感じながらも、あえてそんなことを言っているのと、
まったく感じずにいっているのとでは、まるで違う。

Date: 12月 11th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その6)

マルチポストをする人は、どこまでいっても変らないのだろう。
ずっとマルチポストを続けていくのだろう。

そういう人とは、もう音楽、オーディオの話はしないのだから、
どうでもいいことなのだが、
それでも、なぜマルチポストをする人はするのか(続けるのか)には興味がある。

直接、本人になぜマルチポストをするのか(続けるのか)を訊いたところで、
要領をえた答が返ってくるとは思っていないし、
極力話をしたくないのだから、やらないわけだ。

ただ思うのは、facebookにしてtwitterにしても、
投稿にタイトルをつけることは、まずない。

基本的にタイトル欄がない。
なくてもつけようと思えば、つけられる。

でも、SNSでタイトルをつけて投稿している人は、
私がフォローしている範囲では見たことがない。

それにタイトルをつけずに投稿できるからこその気軽さがSNSのよさでもあるのだから、
私だってSNSに投稿するに、タイトルをつけることはしない。

ブログは、そこが決定的に違う。
タイトルをつけなければならない。

些細なことなのだが、
タイトルをつけるかつけないのか、
このことがマルチポストをしないのかするのかに関係している気はする。

Date: 12月 10th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その8)

1970年代終りから1980年代なかばにかけてのステレオサウンドは、
全国のオーディオクラブのいくつかを訪問して記事にしている。

そこに登場している集まりは、確かにオーディオクラブだな、と思う。
そう思うのはなぜだろうか、
そしてSNSにあるいくつかのオーディオ関係のグループを、そう思わないのはなぜだろうか。

はっきりとした答を見出したわけではないが、
一つは偏愛ではないだろうか。

オーディオクラブには、偏愛がある。
その偏愛が強いほど、そのオーディオクラブの色は、
記事で読んでもはっきりと伝わってくる。

SNS(facebook)にあるオーディオ関係のグループで、
参加人数が多いところほど、偏愛からは遠いところにある、といえる。

SNSの普及は、
別項の「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」を増やしてきているのではないのだろうか。

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」たちには、
純粋な偏愛はないような気さえする。

偏愛をもっているのかもしれないが、物分りのいい人ぶることを優先するあまり、
認めようとしないのではないのか。

そんなふうに考えみると、
昔のオーディオクラブは、やはり偏愛の人たちの集まりであり、
偏愛の純度を高めたいがために集まっていたのかもしれない。

Date: 12月 9th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その8)

その7)へのコメントがfacebookであった。
そこには、ヴィンテージオーディオで聴かせるジャズ喫茶での音が、
自然で浸透力が高かった──、
なぜ、オーディオは、この方向に進まなかったのか──。

このことは、別項「うつ・し、うつ・す(その13)」で書き始めた描写力ということと、
深く関係してくることと考えている。

いまヴィンテージオーディオと呼ばれているモノのすべて、とはいわないが、
少なくとも私が名器と感じているオーディオ機器、
特にスピーカーシステムにおいては、描写力に秀でていると感じることが多い。

オーディオは科学技術の産物である。
これは否定できない。
ゆえに技術の進歩としては、描写力という、
人の感性でしか判断できない領域ではなく、写実性という領域を追求することが、
いわば本道であろうし、誤解を招くことになろうが、その方が容易である。

容易である、と書いているが、あくまでも比較してのことである。

同じことではあるが、思い出すことがある。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号。
巻末に「マッキントッシュ対マランツ」という試聴記事が載っている。

そこで菅野先生の発言を思い出す。
     *
菅野 ほんと、そういう感じですよね。この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないが、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。
     *
岡先生は《うまい例えだな。これ、ひっくり返したら全然だめだからね》と返されている。

マッキントッシュ号は1976年に出ている。
ここから四十年以上が経っている。
クラシックのピアニストを眺めてみて、コルトーのような演奏家は登場してきただろうか。

Date: 12月 4th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その7)

情報量ということでいえば、
オーディオの世界だけでなく、社会全体で増えていっていることだけは確かである。

電車に乗れば、周りの人のほとんど、といっていいほどに多くの人が、
スマートフォンで何かしら見ている。

ドアの上部には液晶画面がついていて、なんからの映像が常に流れている。
目的地につけば、自動改札機にも広告が貼られていることが増えている。

いろんなところにいろんな情報が氾濫している。
情報の波(渦)に、大都市になればなるほど晒されている、といっていい。

それからテレビにしても、従来の走査線とは比較にならないほど増しているということは、
それだけ情報量が増えているということである。

新聞の写真にしても、昔はモノクロの粗いものでしかなかったのが、
カラーになり粗さも減っている。

こんなふうにいろんなところで情報量は確実に増していっている。
オーディオの世界では、ハイレゾリューションの登場がまさにそうである。

その一方で、カセットテープのブームもある。
カセットテープの音を聴くと、ほっとする、という記事も複数みかけている。

この、ほっとするは、もしかすると情報量が適度に少ないからなのではないのか。
情報量の多さに、知らず知らずのうちに疲弊しているのかもしれない。

そこに昔馴染んでいたころの適度な情報量で、
音楽を聴けるのがカセットテープという捉え方もできる。

Date: 10月 14th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その2)

ヤフオク!が、すすめてきたアナログプレーヤーは、Collaroだった。
コラーロの、古いアナログプレーヤーだった。

どこかのオーディオ店ではCollaroをコーラルと表記していた。
とにかく古いメーカーである。

私もコラーロのことはほとんど知らない。
なんとなく知っているくらいで、
いまもイギリスにはCollaro Audioがある。

古さを感じさせるロゴからして、同じコラーロなのだろう。
ただコラーロという会社は一度なくなっていると記憶している。

なのでブランドだけの復活なのかもしれない。
いまのところ、ターンテーブルマットを売っている。

そのコラーロの古いアナログプレーヤーが、ヤフオク!でおすすめとして表示された。
私が検索してきたものと、どういう関連付けから、このプレーヤーを表示してきたのか、
まったく理解できない。

私はコラーロのプレーヤーを欲しい、と思っていたわけではなかった。
ふつうだったら、ヘンなモノを表示してきたな、で終ってしまう。

でもコラーロのプレーヤーだけは違っていた。
コラーロのプレーヤーは、ごく初期のデッカのデコラに採用されていた。

一般的にデコラにはガラードの301が使われている、と思われがちだ。
私もデコラの存在を知ったばかりのころは、301がそうだ、と思い込んでいた。

初期のデコラは違っていた、ということを知ったのは、数年経っていた。

ヤフオク!で、コラーロが出てくるのは、過去にどれくらいあっただろうか。
しかも動くコラーロが出品されるのは、かなり稀なのではないだろうか。

私にしてもコラーロのプレーヤーを見たのは、
デコラについているモノと、数年前にオーディオ店に中古として入荷していたモノぐらいだ。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その1)

現在の人工知能と呼ばれているものの実態は、
ディープラーニングだ、といわれている。
処理速度が劇的に向上したからこそのディープラーニングである、とも。

そうなのだろう、となんとなく理解していても、
人工知能と呼びたくなるような機能が、すでにあるような気もしている。

別項「ダイレクトドライヴへの疑問(その34)」で、こんなことを書いている。
     *
ヤフオク!は、「お探しの商品からのおすすめ」をしてくれる。
PL30Lや50Lを眺めていたときに、そこにテクニクスのSL01が表示された。

SL01を検索してもいないのに、それまでの履歴からSL01を表示する。
なんなんだろう、この機能は? と感心するとともに、
少しばかり空恐ろしくなるところでもある。
     *
この時は、パイオニアにしてもテクニクスにしても、
どちらも近い時期に発売されていたダイレクトドライヴ型のアナログプレーヤーである。
価格的にも近い。

なので「お探しの商品からのおすすめ」として、SL01が表示されるのは、
わからないわけではない。
それでも驚いたし、感心もした。

9月、iPhoneにインストールしているヤフオク!を眺めていたら、
「お探しの商品からのおすすめ」に、あるアナログプレーヤーが表示された。

イギリスの、とても古いモデルである。
例えば私が、ガラードのプレーヤーをヤフオク!で検索していたら、
このプレーヤーが表示されても、不思議ではない。

パイオニアのプレーヤーを検索していて、
テクニクスが「お探しの商品からのおすすめ」として表示されるのと同じであろうから。

けれど、私がヤフオク!で、
ここ数ヵ月検索していたのは、
ステレオサウンド 56号での瀬川先生の組合せに関係してくるものばかりである。

なのに、ヤフオク!は、
そのイギリス製のプレーヤーを「お探しの商品からのおすすめ」と表示してきた。