Archive for category 「ネットワーク」

Date: 9月 5th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続々・明白なことでさえ……)

三年前に書いたことと同じことをまた書くのか、と私も思う。
思うけれど、三年前よりもいまのほうが良くなっていると感じるのであれば、
くり返し書きはしない。良くなっていると感じないどころか、むしろひどくなっているように感じる。

だから、また書いている。

三年前は個人のサイトやブログで、明白な間違いが書かれてあっても、
それがある程度のオーディオのキャリアのある人が書いてたりすると、
その間違いが広まってしまうことがある。

アマチュアといえど、不特定多数の人が読むインターネットで、
間違ったことを思い込みで書いてしまうことを、
書いた本人は、なんとも思っていないのかもしれないのが、問題だと思う。

今回、くり返し書いているのは、
そうやって間違ったことを思い込みで書いてしまっているブログやサイトを、
SNS(facebook)でシェアして、「いいね!」をクリックしている人が少なくないからだ。

明白な間違いとは、発売時期の順序とか、そういったことである。
少し調べればすぐにわかることを、思い込みだけで書いているブログを、
facebookを通じて知った。

誰も、その人の思い込み(間違い)を指摘しないのか、と思う。
むしろ、「いいね!」をして間違いの拡散に手を貸している人たちがいる。

そうやって間違いが定着していく……

Date: 9月 4th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(価格表示について)

オーディオ機器の価格。
このアンプの価格はいくらだったかな、と調べようとして、
そのメーカーのサイトにアクセスする。

製品情報はある。
けれどいちばん知りたかった価格がどこにも表示されていない。
数年前までは表示されていたはずなのに、いまはなくなっている。

ある輸入元のサイトでは、製品を紹介しているページには価格は、ない。
価格一覧表が別に用意されていて、それを見ろ、というわけだ。

それからオープンプライスというものを増えてきている。

なぜ価格を表示しないのか。
もしくはわかりにくくするのか。
その必要性はあるのだろうか。

価格を表示しなくなったのは、ドイツでも人気の高いアンプメーカーだ。
ドイツのオーディオマニアが、そのメーカーのサイトにアクセスする。
日本での販売価格がわかる。

日本では、この値段なのに、ドイツでは……、というクレームが、
ドイツの輸入元へ来た、ときいている。
日本とドイツでは販売価格に差が生じて、当然である。

でも、これに納得してないマニアが、どうにも少なくないようなのだ。
ドイツの輸入元から、
そのメーカーに、サイトに価格を表示しないでくれ、という要望があった、らしい。

わからなくはない理由だが、
それでも日本での価格は、調べようとすれば、キーワードを追加すればすぐにわかることだ。
どれだけの意味があるだろうか、と疑問に思うのだが、
日本のオーディオマニアに不便を感じさせても、そのメーカーは価格表示をしない。

些細なことといえば、そうである。
けれど、その価格に自信をもって決めたのであれば、堂々としてればいいはずだ。
むしろ堂々としているべきである。

高い価格であっても、それに見合うだけの内容を備えたモノであれば、
わかりやすいところに、きちんと価格は表示しておくべき情報である。

Date: 8月 9th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その2)

知人はインターネットに何を求めていたのか。
おそらく答なのだろう。

コワイな、とも、この件について考えるとそう思う。
インターネットに限らず、世の中にはさまざまな情報が流れている。
その情報は答ではない。

答を自分で見つけていくためのきっかけ、手がかりである。

けれど知人は答が得られると思い込んでいたのかもしれない。
けれど、知人は間違ったことを答と信じた。

コワイな、と思うのは、間違った選択をしたことよりも、
知人が安易に答を求めようとしていることである。

こういう人が、一時期とはいえオーディオ雑誌に寄稿していた。
インターネットの情報に答を求めようとする人は、
読み手にも答を与えようとするのではないか。
そのことがコワイ、と思う。

オーディオ雑誌の作り手も、またそうなのかもしれない。
だから、そういう書き手を選択してしまう、ともいえよう。

よく、あのオーディオ評論家は信用できない、という。
私も、いまのオーディオ雑誌に書いているオーディオ評論家と呼ばれている人たちを、
信用しているかといえば、誰も信用していない。

同じ信用していないでも、理由まで同じわけではない。
「あのオーディオ評論家は信用できない」という人の中には、
答を求めてオーディオ雑誌を読んでいる人がいる。

どのスピーカーがいちばんいいのか、
どのアンプが自分が使っているスピーカーに会うのか、
そういった答(便宜的に答としているが、ほんとうの意味での答ではない)、
それしか求めてない人は、自分の好みと反対の人の書くものは役に立たない、
そんなことを書く人は信用できない、となるようだが、
私は読み手に考えることを放棄させるようなことしか書けない人を、
私は信用していない。

Date: 8月 8th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その1)

facebookを眺めていたら、
「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。
というタイトルがあった。

リンク先のコラムを読んでいて思い出したことがある。
十年近く前のことだ。
知人が、自身のサイトにCDとLPの比較について書いていた。
そこに知人は、CDは角速度一定、LPは線速度一定と書いていた。

知人が、その記事を公開してすぐに、私が見て気づいて連絡をとった。
なのですぐに、CDは線速度一定、LPは角速度一定と訂正された。

知人にきいてみると、この記事を書くにあたってインターネットであれこれ調べたそうだ。
いくつかのサイトの中で信頼できると判断したところに、そう書いてあった、という。

他のサイトでは、CDは線速度一定、LPは角速度一定と正しいことが書いてあるのに、
あえて間違っていることを書いているサイトを、知人は選んで信じてしまっていた。

まさに「知識を手に入れるための知識」が知人にはなかったわけだ。
事実、知人は線速度と角速度がどういことなのかも知らなかった。

この知人を責めたいわけではない。
少なくとも知人は知らないことが自分にはあるとわかっていて、
インターネットで調べようとした。
ただ間違った選択をしてしまった。

このことは、知人だけのことではないように思う。
私が知らないだけで、オーディオの世界でも、オーディオの世界以外でも、
かなり頻繁に起っているのかもしれない。

Googleの検索結果からの選択。
そこで少なからぬ人が間違った選択をしてしまっているのか。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その2)

分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)だ、
と一年ほど前に書いたことを、実感する。

ある音をいま聴いている、とする。
スピーカーから出てくる音すべてを受け止めているわけではない。

もちろん耳には入ってきている。
けれどそこから先のこととなると、人によって違ってくる。

聴く能力の違いがあろう。
訓練してきた耳もあればそうでない耳もある。

音を受け止めるということは、音を判断することでもある。
判断には、それまでの記憶が深く関わってくるはずだ。

その記憶とは、ある種のフィルターともいえる。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その5)

数日前のDeNAのキュレーションサイトの全面閉鎖。
このニュースを見て、(その3)に書いたような人は、
また「インターネットはくずだね」と声高に言うんだろうな、と思っていた。

閉鎖になったDeNAのキュレーションは、どれも見たことがなかったので、
そこで公開されていた記事について触れないが、
今回の問題はインターネットだけの問題なのだろうか。

DeNAのキュレーションサイトについて言及しているサイトのいくつかには、
編集者不在の問題が書かれてあった。
編集者がいないなから……、はあまりにも短絡的すぎる。

ならば編集者がいたら、今回の問題は発生しないと断言できるのだろうか。

インターネットの記事は、コピー&ペーストでできるから、こんなことになるわけではない。
いまや雑誌もDTPによってつくられている。
コピー&ペーストの問題は、インターネットにも紙の雑誌にも、
つまり編集者がいることになっている雑誌にもある。

今回の問題で考えなければならないのは、編集者の存在・不在ではなく、
情報の単一性のはずだ。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: 「ネットワーク」
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オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その4)

五味先生の「フランク《オルガン六曲集》」に、こう書いてある。
17の時に読んだ。
まだまだオーディオマニアとしての経験は足りないけれども、
なるほどそういうものか、と感心していた。
     *
 私に限らぬだろうと思う。他家で聴かせてもらい、いい音だとおもい、自分も余裕ができたら購入したいとおもう、そんな憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい。したがって、念願かない自分のものとした時には、こんなはずではないと耳を疑うほど、先ず期待通りには鳴らぬものだ。ハイ・ファイに血道をあげて三十年、幾度、この失望とかなしみを私は味わって来たろう。アンプもカートリッジも同じ、もちろんスピーカーも同じで同一のレコードをかけて、他家の音(実は記憶)に鳴っていた美しさを聴かせてくれない時の心理状態は、大げさに言えば美神を呪いたい程で、まさしく、『疑心暗鬼を生ず』である。さては毀れているから特別安くしてくれたのか、と思う。譲ってくれた(もしくは売ってくれた)相手の人格まで疑う。疑うことで一そう自分が不愉快になる。冷静に考えれば、そういうことがあるべきはずもなく、その証拠に次々他のレコードを掛けるうちに他家とは違った音の良さを必ず見出してゆく。そこで半信半疑のうちにひと先ず安堵し、翌日また同じレコードをかけ直して、結局のところ、悪くないと胸を撫でおろすのだが、こうした試行錯誤でついやされる時間は考えれば大変なものである。深夜の二時三時に及ぶこんな経験を持たぬオーディオ・マニアは、恐らくいないだろう。したがって、オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い——疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人なので、大変な精神修養、試煉を経た人である。だから人間がねれている。音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される一方で、精神修養の場を持つのだから、オーディオ愛好家に私の知る限り悪人はいない。おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる。これは知られざるオーディオ愛好家の美点ではないかと思う。
     *
オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い——疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人、
と書いてある。
おしなべて謙虚で、ひかえ目とも書いてある。
他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる、ともある。

五味先生の周りの人たちはそうだったのであろう。
でも、ここまでインターネットが普及し、SNSを誰もがやっている時代を生きていると、
この点に関しては、「五味先生、どうも違うようです……」といわざるをえない。

facebookには、オーディオ関係のグループがいくつもある。
それのどれにも入っていない。
理由のひとつは、見たくないからだ。

それでも、友人、知人のタイムラインに、それらのグループでの話題が出たりする。
とんでもない人がやっぱりいるんだ、とその度に思う。

そのとんでもない人たちは、五味先生が書かれているオーディオマニア像とはまるで違う。
謙虚、ひかえ目の真逆である。
自説を主張するだけの我欲のかたまりのような人たちがいるようである。

自分の持っているオーディオ機器を最高だ、と思うのは悪いことではない。
けれど、その良さを強調するために、他のオーディオ機器をボロクソに貶してしまう。

完璧なオーディオ機器なんて、ひとつもないのだから、
どのオーディオ機器にも欠点といえるところはある。
にも関わらず、とんでもない人たちは、自分の機器だけは完璧で、
他は……、と思っているのだろうか。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その4)

私も声は大きい方だから気をつけなければならないのだが、
意外な人が話を聞いていたりする。

10年ほど前のインターナショナルオーディオショウでの、
業界関係者の会話も、いまだったらどうなるだろうか。

こんなことを話していた、と、すぐにtwitter、facebookで公開される可能性が高い。
場合によっては目線入りの写真付きでの公開かもしれない。

10年ほど前はスマートフォンはなかった。
いまは多くの人が持つようになったし、すぐに写真が撮れて加工もできて、
すぐさま公開することが、スマートフォン一台で可能になっている。

ある話を当事者の人から聞いた。
オーディオの関係者の人で、CESの取材にアメリカに行ったときのことである。
会場近くのホテルのバーで、アメリカのオーディオ関係者と飲んでいた。
アメリカのオーディオ関係者が、とあるメーカーのことを「あの会社はもう終りだ」、
そんなことを話したそうだ。これもまだスマートフォンがないころの話だ。

そのことを日本のオーディオ関係者は黙って聞いていた。
黙って聞いていたのは彼だけではなかった。
別の、アメリカのオーディオ関係者が近くの席で聞いていた。

その人によって、もう終りだといわれた会社の主宰者の耳に入った。
日本のオーディオ関係者は、「あの会社はもう終りだ」に同意していたわけではなかった。
だが否定もしなかった。

そのことがアメリカでは、肯定したと捉えられ、
その会社の主宰者と日本のオーディオ関係者との親しい仲は終ってしまった、と。

「そうは思わない」と一言発していれば、そうはならなかった。
まわりに別のオーディオ関係者がいなければ、そうはならなかった。
けれど不幸なことに、そこはアメリカであり、沈黙は肯定と捉えられるところであった。

黙っていたこと、はっきりと自分の意見を言わなかったことを後悔されている。

いまは同じことが、もっと簡単に起ってしまうかもしれない。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)

ハフィントンポスト日本語版に、鳥越俊太郎氏のインタヴュー記事が公開されている。

そこでの鳥越氏の発言に、こんなのがあった。
     *
あなたたち(ハフポスト日本版)には悪いんだけれど、ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている。メールは見ますけれど、いろんなネットは見ません。
     *
同じといえる会話を、
十年ほど前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことを思い出していた。

人を待っていたので、会場のB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
このふたりは、インターネットはくずだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。

Date: 7月 26th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その2)

実際にはやっていない人のほうが多いはずだけれども、
街に出ればやっている人の方が多いと思ってしまうほど、
いたるところでPokémon GOをやっている。

Pokémon GOに関してのいろんな記事がインターネットにはあるし、
ポジティヴな意見、ネガティヴな意見も当然ある。
危険視する意見も少なくない。

歩きながら、という危険性だけではなく、
個人データが送信されている、という危険性を訴える意見もけっこうある。
Googleが……、とか、CIAが……、といった記事・書き込みもある。
それらをすべて荒唐無稽とは考えていない。

Pokémon GOの配信開始とほぼ同時に、アメリカのドラマ”Billions“を観た。

主人公のひとり、ボビー・アクセルウッド(ダミアン・ルイスが演じている)が、
とある訪問者が帰った後に、壁の隠し金庫を開ける。
何を取り出すのかと思っていたら、携帯電話だった。
モトローラのStar Tacである。

auがIDOだったころ、私もこの携帯電話を使っていた。
1997年ごろの電話を取り出して、アクセルウッドは誰にも知られたくない電話をかける。

“Billions”は現在のドラマであり、登場人物はほぼ全員スマートフォンを使っている。
アクセルウッドも通常はiPhoneを使っているのにも関わらず、そういう時にはStar Tacを使う。
しかもふだんはもっていることを隠している。

アメリカではまだStar Tacが使えるのかという驚きと、
用心するということはこういうことなんだな、と感心していた。

つまるところスマートフォン使っている時点で、
あるシステムに組み込まれていると考えるべきではないだろうか。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その1)

SNS(Social Networking Service)は、
SES(Social Experiment System)のような気がしてきている。

SNS = SESだとすれば、
そこに参加する者は、実験する側でもあり、実験される側でもある。
意識していようがそうでなくても、だ。

だからSNSはこわい、とはいわない。
むしろ逆だ。

Date: 4月 6th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その19)

オーディオメーカーが新製品を開発しようとしている。
メーカーにはいくつかの部がある。

会社によって違いはあろうが、
たとえば商品企画部、設計開発部、デザイン部、製造部といったところだろう。

けれど、ほぼすべてのメーカーに、製品開発に関係する部としての編集部はないはずだ。
新製品が完成して売り出すには、広報資料やカタログをつくる必要があるから、
そこで編集部は必要となっても、それ以前の過程における編集部の存在はなかった。

いまこんなことを書いているが、ついこの間まではこんなことは考えてもみなかった。
製品開発に編集部なんてことは、まったく思いつきもしなかった。

それでも、いまは考えが変ってきている。
実は製品開発においても「編集」部は必要なのではなかろうか、と。

Date: 3月 22nd, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その18)

別項で、ステレオサウンドの幕の内弁当化は47号からはじまった、と書いた。
このことについては追々書いていくが、
雑誌は弁当に喩えられるのだろうか、このことを考えてみる必要はある。

雑誌を弁当に喩えたのは私ではなく、ステレオサウンドの原田勲氏である。
いまから30年ほど前に聞いている。

30年という時間が経っているから、
いまも原田勲氏が自社の雑誌を弁当として考えられているのかはなんともいえない。
いまもそうかもしれないし、まったく別の捉え方をされているかもしれない。

けれど現在のステレオサウンドを見ると、確実に幕の内弁当であることは事実である。

今週の金曜日(25日)は、KK塾の七回目である。
講師は松岡正剛氏。
編集工学研究所所長である。

編集工学という表現。
このことばを目にすると、オーディオにおける編輯について考える。
実際の本の編集だけではなく、オーディオそのものにも編集工学といえる面があるようも感じる。

録音側で行われている編集とは違う意味合いでの「編集」が、
再生側のオーディオにもある。

編集はもともと編輯と書いていた、と辞書にはある。

Date: 3月 10th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その1)

なにかがぐらついているように感じることがある。
いまのオーディオ界をみていると、歳月とともにしっかりとあるべき「なにか」がぐらついている。
そう感じることがある。

分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)から、
多くのシステムは成っている、と感じもする。

このことがぼんやりとなっているからなのだろうか。

Date: 9月 28th, 2015
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その3)

もう十年ほど前になるけれど、菅野先生と話していた時に、
このケーブルの這わせ方が話題になった。

菅野先生は多くのオーディオマニアのリスニングルームを訪問されている。
ステレオサウンドのベストオーディオファイルでの訪問、
レコード演奏家での訪問、
ステレオサウンドだけに限っても、このふたつの企画に登場されたオーディオマニアの数は非常に多い。

菅野先生が訪問されているのはステレオサウンドの取材だけではない。
他のオーディオ雑誌の企画でも訪問されているし、
それ以外での訪問はあったはずだ。

いったい何人のオーディオマニアのところに行かれたのだろうか。
私がよりも二桁は多いのではないだろうか。

菅野先生がいわれた。
「部屋の真ん中を大蛇のようなケーブルが這っているところでまともな音がしたためしはない」と。

大蛇のようなスピーカーケーブルとは、
非常に高価すぎるといえるケーブルのことである。

そんな這わせ方ができるのは、専用のリスニングルームであることが大半だろう。
リビングルームとリスニングルームを兼用していては、
そんなケーブルの這わせ方をしていたら、家族からクレームがきてしまう。

音のために専用のスペースを用意して、
音のために高価な装置を揃え、さらに高価なケーブルを買い求める。
それは生半可な気持ではできないことである。

だから茶化そうとは思っていない。
ただ問題としたいのは、そういうケーブルを使うことではなく、
そういうケーブルの這わせ方である。

菅野先生は、そういうケーブルを使っているところでまともな音がしたためしはない、
といわれたのではない。
あくまでも部屋の真ん中を這わせているところで……、である。

私が「おさなオーディオ」という造語を思いついたのは、この話を聞いてからである。