Archive for category 「ネットワーク」

Date: 10月 14th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その2)

ヤフオク!が、すすめてきたアナログプレーヤーは、Collaroだった。
コラーロの、古いアナログプレーヤーだった。

どこかのオーディオ店ではCollaroをコーラルと表記していた。
とにかく古いメーカーである。

私もコラーロのことはほとんど知らない。
なんとなく知っているくらいで、
いまもイギリスにはCollaro Audioがある。

古さを感じさせるロゴからして、同じコラーロなのだろう。
ただコラーロという会社は一度なくなっていると記憶している。

なのでブランドだけの復活なのかもしれない。
いまのところ、ターンテーブルマットを売っている。

そのコラーロの古いアナログプレーヤーが、ヤフオク!でおすすめとして表示された。
私が検索してきたものと、どういう関連付けから、このプレーヤーを表示してきたのか、
まったく理解できない。

私はコラーロのプレーヤーを欲しい、と思っていたわけではなかった。
ふつうだったら、ヘンなモノを表示してきたな、で終ってしまう。

でもコラーロのプレーヤーだけは違っていた。
コラーロのプレーヤーは、ごく初期のデッカのデコラに採用されていた。

一般的にデコラにはガラードの301が使われている、と思われがちだ。
私もデコラの存在を知ったばかりのころは、301がそうだ、と思い込んでいた。

初期のデコラは違っていた、ということを知ったのは、数年経っていた。

ヤフオク!で、コラーロが出てくるのは、過去にどれくらいあっただろうか。
しかも動くコラーロが出品されるのは、かなり稀なのではないだろうか。

私にしてもコラーロのプレーヤーを見たのは、
デコラについているモノと、数年前にオーディオ店に中古として入荷していたモノぐらいだ。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その1)

現在の人工知能と呼ばれているものの実態は、
ディープラーニングだ、といわれている。
処理速度が劇的に向上したからこそのディープラーニングである、とも。

そうなのだろう、となんとなく理解していても、
人工知能と呼びたくなるような機能が、すでにあるような気もしている。

別項「ダイレクトドライヴへの疑問(その34)」で、こんなことを書いている。
     *
ヤフオク!は、「お探しの商品からのおすすめ」をしてくれる。
PL30Lや50Lを眺めていたときに、そこにテクニクスのSL01が表示された。

SL01を検索してもいないのに、それまでの履歴からSL01を表示する。
なんなんだろう、この機能は? と感心するとともに、
少しばかり空恐ろしくなるところでもある。
     *
この時は、パイオニアにしてもテクニクスにしても、
どちらも近い時期に発売されていたダイレクトドライヴ型のアナログプレーヤーである。
価格的にも近い。

なので「お探しの商品からのおすすめ」として、SL01が表示されるのは、
わからないわけではない。
それでも驚いたし、感心もした。

9月、iPhoneにインストールしているヤフオク!を眺めていたら、
「お探しの商品からのおすすめ」に、あるアナログプレーヤーが表示された。

イギリスの、とても古いモデルである。
例えば私が、ガラードのプレーヤーをヤフオク!で検索していたら、
このプレーヤーが表示されても、不思議ではない。

パイオニアのプレーヤーを検索していて、
テクニクスが「お探しの商品からのおすすめ」として表示されるのと同じであろうから。

けれど、私がヤフオク!で、
ここ数ヵ月検索していたのは、
ステレオサウンド 56号での瀬川先生の組合せに関係してくるものばかりである。

なのに、ヤフオク!は、
そのイギリス製のプレーヤーを「お探しの商品からのおすすめ」と表示してきた。

Date: 10月 8th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(人脈力・その3)

この項の(その1)は、2014年12月8日に書いている。
出たばかりのステレオサウンド 193号に、人脈力が載っていたから、である。

(その3)はもう少し早く書く予定だった。
なのに放ったらかしにしていたのは、
その後のステレオサウンドに人脈力が登場しなくなったことも関係している。

「難条件を克服するマイシステムの作り方」という記事に、
人脈力は、本文にも見出しにも登場している。

それに、この記事には若い読者も登場していた。
なんとなく、この人たちを、将来の筆者に育てようとしているのか……、
そんなふうに勘ぐりもしたけれど、
そこで終ってしまって、それからは登場していないはずだ。

そんなこともあって、
それに他に書きたいこともあって、(その3)を書かずに四年近く経ってしまった。

思い出したように書いているのは、
SNSへの接し方を眺めていると、
言葉にしていわないけれど、
この人は人脈力を目的としているのか、と思うことがあったためだ。

Date: 10月 6th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その5)

自己責任という言葉が頻繁に使われるようになって、
もう十年程が経つのだろうか。

なんとなくでしかないが、自己責任という言葉が登場し、
使われるようになったのと、インターネットの普及はどこかに関係があるのかもしれない。

自己責任という言葉は、はっきりと嫌いである。
使いたい人は使えばいい。それだけのことである。

その自己責任について、ここで取り上げているのは、
自己責任が使われるようになって、
個人の責任という言葉が代りに使われなくなってきたように感じているからだ。

そして個人の責任から逃避する人が増えてきたようにも感じている。
逃避する、という表現が行き過ぎているのならば、
個人の責任を曖昧にする人が増えてきている、といいなおそう。

自己責任と個人の責任の違いについて、
うまく言い表せないままで書いていくのだが、
結局のところ、(その4)で書いた表現のインフレーションは、
こういうところにもどこかで関係しているような気がしてならない。

その2)でも書いているように、
音楽のこと、オーディオのことを平気でマルチポストする人とは、
音楽、オーディオについて語らないようにしている。

このことも、私にとっては同じことなのかもしれない、と思っているところだ。
個人の責任から逃避している、曖昧にしようとしている人と、
音楽のこと、オーディオのことを平気でマルチポストする人とが、どうしても重なってしまう。

Date: 8月 27th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その4)

その多少の誇張は、どこから来るものだろうか──、
そんなことを続けて考える。

弱さから来る多少の誇張なのか、
強さから来る多少の誇張なのか。

まず、この二つを思い浮べた。
この二つは思いついただけにすぎない。

深い考えがあって、弱さから来る、強さから来るを思い浮べたわけではない。
それでも、(その3)での「この人」たちは、
こんなことを意識せずに書いているのかもしれない。

弱さから来る多少の誇張には、怖さがひそんでいるように感じる。
強さから来る多少の誇張にも、別の怖さがひそんでいるようにも感じる。

こんなことを意識せずに書いている多少の誇張は、どうだろうか。
やはり、なんらかの怖さがひそんでいるように感じているし、
その怖さは、弱さから来る、強さから来るものよりも、
なんとなくではあるが、こういうものではないか、という姿がぼんやりと見えている(気がする)。

映画、ドラマでヒーロー(もしくはスーパーヒーロー)が活躍する。
一本だけで完結するのであれば、そんなことは生じないのだが、
人気が出て、何作も映画がつくられたり、ドラマも何シリーズも続くようになると、
ヒーローの強さが回を追うごとに増していく、
いわゆる強さのインフレーションが問題となってくる。

この強さのインフレーションと同じことが起りうるのではないだろうか。
つまり表現のインフレーションとでもいおうか。

SNSは、表現のインフレーションを加速していくのかもしれない。

Date: 8月 26th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その3)

SNSを眺めていて、
特にこの一年感じていることは、この人は、いったいどういう音を鳴らしているのか、である。

ここでの「この人」とは、一人のことではない、複数の人である。

オーディオのシステムのどこかを変える。
そのことで音が変化する、良くなる。
どんなふうに良くなったのかを書いている人がいる。

その人が何かを変えたのは一度だけではない。
何度も、いろんなところをやっている。
その度に、音は良くなっていっている(ようだ)。

それらの投稿を読むと、この人の、いま出している音は、
そうとうなレベルにあるんじゃないか、と思えないこともない。

その人は、前に鳴っていた音との相対評価で、そんなふうに書いているのはわかっていても、
それでも、読んでいくうちに、相対評価ではなく、絶対評価のように思えてきてしまう。

また別の人は、細かな音の違いを聴き分けていることを書いてたりする。
ほんとうに、そんな領域の違いを、そこまではっきりと聴き分けられるのか、
と驚くほどの耳の鋭敏さ、耳の良さを持っている人のようだ。

そこまでの耳を持つ人を満足させるだけの音というのも、
またすごいレベルにあるんだろうな、と上記の人の同じように感じもする。

音を言葉で表現するのは、あらためていうまでもなく難しい。
共通体験がある相手に対してであってもそうであって、
まして共通体験があるのないのか、そさすらはっきりとしない相手に対して書くのであれば、
なおさら難しさは増していく。

増していくから、表現には多少の誇張が加わることがある。
この、多少の誇張が、実は怖い、ということを「この人」たちは実感しているのか。

Date: 8月 26th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その2)

その1)へのコメントがfacebookにあった。
SNSには、ミュート機能、フォロー解除などができるようになっている。

いわゆるマルチポストを読みたくなければ、そういう機能をうまく使えば済むことである。
ミュート機能は、特定の人の投稿をミューとしていることは、相手側にはわからない。
なので、マルチポストを頻繁にする人の投稿に対してミュートすればいいだけの話だ。

見たいもの、読みたいものだけを読む、
見たくないもの、読みたくないものは読まない、
そうすることが可能なのもSNSである。

わかっているから、マルチポストをする人がいても、どうでもいい、という気持がある。
けれど、それが音楽、オーディオに関することとなると、
私の場合、話は違ってくる。

思っていること、考えていることを書く、という行為、
それを誰かに読んでもらうために公開するという行為は、
選択から始まっている、と考える。

最初の選択から始まって、次から次へと選択していく。
特に意識していない人もいるかもしれないが、
何かを書いて公開する、ということはそういうことだ、と私は考えている。

これは私の考えだし、誰かに押しつけようとは思っていない。
その人の考えで書いて公開すればいい。

マルチポストしたい人はすればいい。
マルチポストするということは、どういうことなのかを、
「選択」ということで考えてほしい。

そこで選択を放棄している、と私は見る。
いや、多くの人に読んでもらいたいから、という選択からのマルチポストだ──、
そんな反論が返ってきそうだが、それは、もう選択ではない、と私は思っている。

マルチポストをする人は、こういうことはどうでもいいことなのだろう。

それでも、音楽をオーディオを介して、しかも少しでもいい音で聴きたい、と願うことは──、
それをかなえていくためにはやらなければならないことは──、
こういうことを考えていけば、選択のもつ意味の重さが実感できるはずなのに……、と思う。

結局のところ、マルチポストをする人は、これからもしていくだろう。
それを止めようとは思っていない。
好きにやればいい。

私は、というと、(その1)で書いているように、
音楽のこと、オーディオのことを平気でマルチポストする人とは、
音楽、オーディオについて語らないようにするだけだ。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その1)

私もそうだが、twitterとfacebook、
この二つのSNSのアカウントをつくっている人は多いだろう。

イベントなどの告知をしたいのであれば、twitter、facebookのどちらにも、
同じ内容を投稿するのはわかる。

けれど、思っていること、考えていることを、
twitterにもfacebookにも、同じことを投稿する人が少なからずいる。

多くの人に読んでほしい、という気持のあらわれなのだと一応頭では理解しても、
どちらにも投稿する人をみると、この人は選択することを放棄している(しかかっている)、
そんなふうに見えてしまう。

twitter、facebook、どちらか片方しかアカウントをつくっていないという人もいる。
だから、どちらにも投稿する──、とその人はいうかもしれない。

それでも、あえて「選択しよう」といいたくなる。

なぜ、選択しなければならない──、
そう思うのであれば、それはそれでいい。
その人とオーディオについて語ろうとは、私は思わない、
ただそれだけである。

Date: 2月 2nd, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その6)

情報量は、さまざまなところで増していっている。
映画は、代表的な列のひとつといえる。
特にCGを多用した映画は、まさにそうだといえるし、
この手の映画に、内容がない、と否定的な人も増えてきているように感じている。

この手の映画を、
できるだけ最新の映画館で、しかも音響もよくスクリーンも大きいところで観る。
CGが多用されたアクションシーンでは、
映画によってはこちらの目が追いつかない、と感じることだってある。

だからといって、そのシーンでの情報量の圧倒的な多さを否定する気はまったくない。
むしろ、こういうシーンを積極的に、映画館で観たい、と思う方である。

そういうシーンが始まると、最初の数分は情報量の多さと、その処理に圧倒される。
それでも暗い映画館で集中していれば、追いつけるようになる。

ここがとても大事なことだと考えている。
情報量の多さは、自分を鍛えるという意味で重要なことである。

処理できない情報量の多さを、
人は自分の処理能力に合わせて単純化(省略化)してしまう、
そういう内容の記事をなにかで読んだことがある。

どこまで事実なのかはわからないが、そうかもしれないとは思う。
脳がオーバーヒートしないように、そうしてしまうのかもしれない。
それに、その方が楽である。

その楽なことを選択してしまえば、老いていくだけだ。
それでもいいという人がいる、
それに抗う人もいる。

情報量があふれている映画を、できるだけ損うことなく観るために、
最新の映画館で、いい音響と大きなスクリーンを求める。
しかも私は前寄りの席が好きである。

追いつくのがたいへんと感じた映画も、そう感じなくなる。
同程度の情報量の映画を次に観ても、たいへんとは感じなくなる。

私の感覚では数年に一本、
明らかにそれまでの映画とは情報量が多いと感じられる映画が登場する。

情報量の多さに否定的であることのすべてを否定はしない。
けれど、否定的である態度の何割かは、受け手側の老いではないだろうか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その3)

2003年から数年間、audio sharingのメーリングリストをやっていた。
そのころ使っていたレンタルサーバーの会社が倒産してしまい、
次のレンタルサーバーの会社にはメーリングリストの機能がなかったので、やめてしまった。

菅野先生には、メーリングリストを始める前から相談して参加していただいた。

菅野先生はメーリングリストには投稿されたことはなかったが、
ステレオサウンドから「新・レコード演奏家論」が出た時に、
何人かの方が、メーリングリストに読まれた感想を投稿された。

菅野先生は、その人たちに返事を直接メールされている。
コピー&ペーストの返信ではなく、
それぞれの人たちの感想を読んだ上での返信である。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その2)

すべてに功罪があるからこそ、検証はないがしろにするべきではない、と思っている。
けれど、そのことと誰かの死を、
匿名で不特定多数に向って、喜ぶという行為は、おかしい。

菅野先生に否定的、批判的な人がいるのはわかっている。
私にしても、長岡鉄男氏には、はっきりと否定的、批判的である。

長岡教の信者からすれば、
私などは長岡鉄男氏のことを全く理解していないヤツ、ということのはずだ。

それに長岡教の信者にとって功と認識していることが、
私にとっては罪と認識していたりすることだろう。

そんな私でも、長岡鉄男氏が亡くなったのを喜びはしなかった。
これは誇ることでもなんでもない。
人としてあたりまえのことでしかない。

にも関らず、真逆の人(救いようのない人)がオーディオの世界には少なからずいる。
そんな人(人といっていいだろうか)は、どんな音でどんな音楽をきいてきたのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その1)

岩崎先生、五味先生、瀬川先生が亡くなられたころと、
いまとではインターネットの普及、それにSNSの普及、スマートフォンの普及がある。

井上先生は2000年12月だった。
インターネットは普及していたけれど、SNSは……、スマートフォンは……だった。
いまは誰でもが手軽に、感じたこと、思ったことを公開できる世の中だ。

菅野先生が亡くなられたことで、多くの人がブログ、SNS、掲示板に書いていることだろう。
中には喜ぶ人もいるだろうから、私は検索することはしなかった。

なので、どんなことが書かれているのかは、ほとんど知らない。
ただおもうのは、菅野先生と会ったことのある人、
さらには菅野先生の音を聴くことができた人は、きっと書いている、と思う。

それは傍から見れば、自慢にしかうつらないかもしれない。
私も書いている。

けれど自慢したいわけではない。
菅野先生の音を聴いている人ならばわかってもらえようが、
菅野先生の音を聴くことが出来た人は、オーディオマニア全体からすれば、
割合としてごくわずかであろう。

幸運にして聴けた、と書いている人もいるかもしれない。
たしかに幸運といっていい。

だからこそ、聴くことがかなわなかった人のためにも、書かなければ──、とおもう。
そうおもって書いている人は多い、とおもう。

Date: 10月 10th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・ある誘い)

facebookの友達申請。
私は、オーディオ好き、音楽好きということがわかれば、
面識のない方からの友達申請であっても、メッセージがなくとも承認している。

面識のある人のみ、としている人、
顔写真がプロフィールにあって、メッセージを送ってくること、など、
承認するかどうか、人によって違う。

SNS(Social Networking Service)を、
SES(Social Experiment System)ぐらいに捉えている私は、
そんなこまかなことはいわずに、ほぼ全員承認するようにしている。

なので、まだ一度も会ったことのない人のほうが多い。
そういう人は多い、と思う。

今日、facebookでつながっている人(面識はない)から、
facebookの機能を介しての電話があった。

あるお誘いの電話だった。
たいへん興味深い誘いであった。

SESと思っているくらいだから、本格的な冬が来る前に大阪に行くことにした。

Date: 10月 2nd, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その7)

facebookで、毎月第一水曜日にやっているaudio wednesdayは、オーディオクラブか、というコメントがあった。

私はそう思っていない。
けれど、私自身、どこかのオーディオクラブに属していたことがない。
なんとなく、こんな感じなのか、と、オーディオクラブのこと想像しているにすぎない。

その想像するところと違うから、そう思っていない、と答えたけれど、
質問された方にしてみれば、納得のいく答ではなかったかもしれない。

facebookにいくつも出来ているオーディオ関係のグループは、
特に、オーディオとかオーディオマニアと名乗っているグループは、
オーディオクラブとははっきりと違う。

まず参加している人の数が多い。
多いところは二千人を超えている。
そこに参加している人の中には、直接会ったことのある人もいるはずだが、
大半はfacebook(SNS)上でのつきあいではなかろうか。

そういうのを、オーディオクラブとは呼ばない。
facebookでのオーディオ関係のグループで、比較的クラブ的といえるのは、
小口径のフルレンジユニット関係のグループとか、
ヴィンテージJBLとか、対象を絞ったグループの方だろう。

それでもオーディオクラブだ、とは私は思っていない。

audio wednesdayは、どうなのか。
毎月定期的に集まっている。
ときおり初めての方も参加されるが、常連の人たちがいる。
といっても大勢の集まりではない。
こぢんまりした集まりであり、
その点は、オーディオクラブ的に、外からは見えるかもしれない。

毎月第一水曜日に集まって、音を四時間ほど聴く。
何が、私が想像しているオーディオクラブと違うのだろうか。

Date: 10月 1st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その6)

昔は(といっても30年くらい前か)、オーディオクラブというものが、
全国にいくつもあった。

ステレオサウンドにも、52号のスーパーマニアに、郡山のワイドレンジクラブが登場している。
64号からの連載「素晴らしき仲間たち」は、そういうオーディオクラブを取材している。

私の周りにはそういうオーディオクラブはなかったので想像で書くのだが、
オーディオ店の常連の人たちが集まってのオーディオクラブなのだろう。

一つのオーディオ店に一つのオーディオクラブというわけでもなかったかもしれない。
そのオーディオ店でも、JBLのスピーカーを好む人たちもいれば、
イギリスのBBCモニター系列を好む人たちもいただろうから、
いくつかのオーディオクラブができあがっても不思議ではない。

1975年のダイヤトーンの広告には、
ダイヤトーンの故郷 郡山へご招待!
ダイヤトーン 1日ブレーン募集、というのをやっていた。

応募方法に、所属しているオーディオクラブ名、とあり、
各オーディオクラブから二名の5クラブで計十名を、十回にわたって百名を招待する企画だった。

いまオーディオクラブというのはあるのだろうか。
この時代からずっと続いているオーディオクラブはあるのだろうか。

別項でも書いているように、ステレオサウンドに登場したオーディオクラブのいくつかは、
1980年代に解散してしまっている。

新しいオーディオクラブが生れなければ、数は減っていくだけだ。

いまはSNSがある。
facebookには、グループ機能というのがあり、同好の士が集まれる。
オーディオ関係のグループは、いくつかあるんだろうか。
オーディオとかオーディオマニアという名のグループもあれば、
アナログディスクに絞ったグループ、真空管、JBLの古いモデル、
ウェスターン・エレクトリック……、とにかく細分化されたグループも増えてきている。

私は、audio sharingというグループをやっているし、
あとは海外のDIYのグループには参加しているが、
それ以外のオーディオ関係のグループには参加していない。

かなりの人が参加しているオーディオグループはある。
けれど、それが以前のオーディオグループにあたる集まりかといえば、
そうではないはずだ。