第24回audio sharing例会のお知らせ
1月のaudio sharing例会は、1月2日(水曜日)です。
時間はいつもより1時間早めて夜6時、です。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
1月のaudio sharing例会は、1月2日(水曜日)です。
時間はいつもより1時間早めて夜6時、です。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
2012年、音楽の書籍、オーディオの書籍はどれだけ出版されたのか、
正確な数は知らない。すべてに目を通すこともできない。
出版されていることに気がつかずに、いい本との出合いを逃しているのかもしれない。
6月に黒田先生の著書「音楽への礼状」が復刊された。
マガジンハウスから出ていて「音楽への礼状」はながいこと絶版だった。
今回の復刊は小学館文庫として、である。
黒田先生の本の中で「音楽への礼状」が、私はいちばん好きである。
今回の復刊は、音楽の本、オーディオの本に関することで、私にとってはいちばんのうれしい出来事だった。
未読の方に、ぜひ! と押しつけがましいと思われようがつよく推めたい。
以前読んでいる方にも、もう一度手もとにある「音楽の礼状」を読み返してほしい、とも思う。
私にスピーカー端子の交換についてきいてきたAさんは、
JBLの4300シリーズに惚れ込んでいる。おそらくこれから先も鳴らし続けられる、と私は勝手に思っている。
でもAさんは、あるところで聴いた音によって、すこし心が揺らいでいるように、傍からはみえる。
新しいスピーカーシステムに換えられることはたぶんないとおもうけれど、
4300シリーズが、いまのところ苦手とする音の良さを、
あるところで聴かれた音に感じとられての迷いであり、
そういうときに愛用のJBLのスピーカー端子がこわれた。
そんなのはたまたまであって、30年以上使ってきたスピーカーなんだから、端子の寿命が来ただけ。
事実としてはそうであっても、
Aさんの心に迷いが出た時に端子がこわれてしまったことに、
なにかJBLのスピーカーがAさんに訴えかけようとしているのではないか、と、
Aさんと別れた後、夜道をひとり歩きながらそんなことを思っていた。
4300シリーズに採用されているスピーカーユニットは、
いまみても良くできている。
もちろんまったく欠点がないわけではない。
それでもアメリカならではの物量を投入した、実にしっかりしたつくりで、
このスピーカーユニットならば信頼できる──、そう使い手に思い込ませる(信じ込ませる)だけの魅力をはなつ。
けれど4300シリーズにしても、スピーカーユニットの能力がフルに発揮されているかとなると、
そうとはいえないところが、やはりある。
4300シリーズのシステムそのものにもそういうところがいくつもあるし、
それだけでなくスピーカーユニットにも、バネ式の端子は使われていて、
若干なのではあろうが、JBLのプロ用ユニットの能力を抑える要因となっている。
つまり、この時機に端子にこわれてしまったのは、
JBLのスピーカーがAさんに対して、細部をもう少しリファインしてくれれば、
Aさんの心を迷わせた音だってかなり出せる。それだけの実力はもっている。
そのためにもこことあそこをどうにかしてほしい──、
そう訴えるためである、と想像してしまう。
「JBLのスピーカー端子がこわれたんですけど、宮﨑さんだったらどうします?」ときかれた。
きいてきた人が使っているのは4300シリーズのモニタースピーカーだから、
もう30年以上が経っている。
この時代のJBLのスピーカー端子は、いまのJBLに使われている端子ではなくバネ式の、
それほど太いケーブル、というより、細いケーブルしか受けつけないタイプのものである。
スピーカーユニットの他の部分にかけられている物量投入ぶりからすると、
なんとも貧弱な感じのスピーカー端子である。
けれど、これが、この時代のJBLのスピーカーユニット、スピーカーシステムに使われていた端子であり、
これをオリジナルとすれば、他の、もっと太いケーブルを確実に接続できる端子に変えることは、
オリジナルの姿を変更する、ということにもなる。
いまの状態でも音は出る。
それでも先のことを考えるとなんとかしなければならない。
もともとついているタイプの端子に交換するのか、
それとも別の、確実な端子に交換するのか、
悩むところだと思う。
このことにはついては、オリジナルをどう定義するかによって答は変ってくる。
でも、それについては、ここでは書かない。
ここで書きたいのは、なぜ、この時機に4300シリーズのスピーカー端子がこわれてしまったのか、
そのことについてどう考えるかについて書きたい。
ステレオサウンド別冊「いまだからフルレンジ 1939-1997」の巻頭にある「フルレンジの魅力」は、
19ページにわたっている。
単にフルレンジ型ユニットの魅力について書かれているのではなく、
井上先生ならではの解説と使い方へのアドバイスもあり、
この記事を初心者向けのものととらえる人もいるだろうが、
読めばそうでないことは、キャリアのある人ほど実感できるはずである。
「フルレンジの魅力」の冒頭には、こう書かれている。
*
フルレンジユニットの魅力は、まず第一に、音源が一点に絞られ、いわゆる点音源的になるために、音像定位のクリアーさや安定度の高さが、何といっても最大のポイントだ。また、シングルコーン型や、ダブルコーン型に代表される複合振動板採用のユニットでは、デヴァイディング・ネットワークが不要なため、これによる音の色づけや能率低下がないことも魅力だ。さらに、振動板材料の違いによる音質、音色の差もきわめて少ないため、音の均質性に優れ、何らかの違和感も生じることがなく、結果として反応が速く、鮮度感の高い生き生きとした躍動感のある音を楽しめる点が、かけがえのない魅力である。
*
「いまだからフルレンジ 1939-1997」は誌名からわかるように1997年に出ている。
「いまだからフルレンジ 1939-1997」にこまかな不満がないわけではないが、
その程度の不満はどの本に対しても感じることであり、特にここで書こうとは思っていない。
でも、ひとつだけ不満というか注文をつけるとしたら、
本の最後に、筆者後記が欲しかった、と思う。
つまり、なぜ1997年にフルレンジ型ユニットの別冊を企画されたことの意図についての、
井上先生の文章が読みたかったからである。
でも、井上先生のことだから、あえて書かれなかったのだとも思っている。
1997年に、井上先生がフルレンジ型ユニットの本を監修されたのかは、
「いまだからフルレンジ 1939-1997」の読み手が、ひとりひとり考えることであり、
そのことを考えずに「いまだからフルレンジ 1939-1997」を読んだところで、
この本の面白さは半分も汲み取れないのではないだろうか。
大事なことを混同している人たちは、
自分たちの聴き方が新しくて、
JBLやタンノイといった、古くからあるメーカーのスピーカーを選択する人たちの聴き方をも古いとしてしまう。
音の聴き方に古いとか新しいといったことが、はたしていえるのだろうか。
自分の音の聴き方は新しい、という人の多くは、音場の再現こそが大事だという。
音場とは、音楽再生における場であることだから、
音場の再現は大切なことである、ということには反論はしないし、同意する。
聴感上のS/N比を重視するのも、この音楽の演奏される場を整えていくことであるからだ。
それでも音場の再現が音色の再現よりも上位だ、とか、
音色の再現よりも音場の再現を重視することこそが新しい音の聴き方である、
こんなことをいう人は、ほんとうに「音場」ということを認識しているのだろうか、と問いたくなる。
音場の再現と音色の再現(ここでいう音色とは楽器の音色のことである)は、
深く関わり合っていること、というよりも、同じことを違うことばで表していることに気づけば、
音場の再現がほんとうに良くなっていけば、楽器の音色の再現もそれにつれて良くなっていく。
もし楽器の音色の再現に、どこか不備があるのならば、
そこで鳴っている音場にも、どこか不備がある、といえる。
(ここでいう楽器とはアクースティック楽器のことであり、人の声のことである)
またか、と思われようと、また引用するのが、
岩崎先生のジャズについて文章の一節である。
*
アドリブを重視するジャズにおいて、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
*
そろそろ暗誦できるほど読み返しているし、何度かここで引用もしている。
これも何度か書いていることだが、私が主に聴くのはクラシックであり、
ジャズを聴く、といっても、ジャズ好きの人からすれば、お前のジャズを聴く、なんてのは
ジャズを聴いているうちに入らない、といわれてもしかたないくらいの、
ジャズのディスクの枚数だし、聴いてきた時間もクラシックを聴いてきた時間と比較すれば、本当に短い。
そんな私でも、引用した岩崎先生の文章が、オーディオとジャズの本質をついていることは直感としてわかる。
だからこそ何度も読み返し、何度か引用してきた。
その都度、意味を考えてきた。
「その一瞬をくまなく再現することが、ジャズの再生の決め手となってくる」とある。
「その一瞬をくまなく再現すること」とは、いったいどういうことなのだろうか。
そのことを考えていたわけである。
「その一瞬をくまなく再現すること」とは、その一瞬を結晶化させることだ、と思えるようになってきた。
だから別項「ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって)」の(その1)、(その3)で、
ジャズを「いろ」、クラシックを「かたち」とした、
「いろ(ジャズ)」とは、この一瞬の結晶化による「いろ」なのかもしれないし、
(その2)で岩崎先生の音を聴かれた菅野先生の表現、
「火花」も、また、この一瞬の結晶化なのではなかろうか。
一瞬の結晶化こそが、ジャズの再生の決め手だ、と、
クラシックばかりを聴いてきた私は、そうおもう。
BL積のBは磁束密度のことで、Lはボイスコイルの長さのことである。
Lは長さなので、技術書ではBL積ではなくBl積と表記されているが、
見難いのでBL積と、ここでは表記していく。
BL積は、磁束密度が高くボイスコイル長が長いほど高くなるわけだ。
そして動電型(つまりダイナミック型)スピーカーにおける駆動力とは、
このBL積にボイスコイルに流れる電流値IをかけたBLIとなり、
磁束密度が同じ磁気回路のスピーカーユニットではボイスコイル長の長いほうが、
電流は少なくても同じ駆動力が得られることになる。
JBLの4インチ径ダイアフラムのコンプレッションドライバーでは、
8Ωよりも16Ωの方が聴感上の結果は良かったわけだが、
だからといって、どんなに場合にもBL積の値が高いほうが好ましい結果が得られるとは限らないだろう。
4インチ口径のコンプレッションドライバーでは高域が延びているといっても10数kHzまでだから、
16Ωの方が良かったのかもしれない。
スーパートゥイーターのように20kHz以上まで延びていると、結果は変ってくることも考えられる。
ボイスコイル長は同じで磁束密度を増してBL積を大きくするのであればいいのだが、
ボイスコイル長を長くした(16Ω仕様とした)場合、
ボイスコイルはその名の通りコイルであるためインダクタンスがその分増すことになる。
このことは高域のインピーダンスの上昇へとつながっていく。
これに関することで思い出すのは、オルトフォンのカートリッジのインピーダンスについてである。
いま挙げた例は、いわばスピーカーがアンプに寄り添っていったともいえることである。
たしかにトランジスターアンプで鳴らすのであれば、16Ωよりも8Ωのほうが効率がいい。
けれど効率がいいことが音の良さに必ずしもつながっていくわけではないことを、
オーディオマニアであれば体験上知っているはず。
もう4年ほど前のことだったか、
知人があるオーディオショップでJBLのコンプレッションドライバーの比較試聴を行う、と私に連絡してきた。
比較試聴といってもJBLのドライバーをいくつか用意して、ということではなく、
同一ユニットでインピーダンスの違いを聴き比べる、ということだった。
違いはダイアフラムだけである。
試聴条件はネットワークだと、
ドライバーのインピーダンスによってカットオフ周波数などが変化することを配慮して、
マルチアンプ駆動で行ったそうだ。
知人は連絡してきたときに、こういっていた。
「8Ωのダイアフラムの方がボイスコイルの巻数が少ない分、振動系の質量がわずかとはいえ軽量なので有利なはず」
それに対して私は「BL積が関係してくるから、16Ωの方がきっといいと思うよ」と答えておいた。
夜、もういちど知人から電話があった。
すこし興奮気味で「16Ωのほうが良かった」といっていた。
彼は8Ωのほうが軽量な分高域が伸びて、
大型コンプレッションドライバーを使った2ウェイのシステムを考えていただけに、
8Ω仕様に期待していたのが、実際には16Ωの方が、音が鳴りだした瞬間に、優っていたことを知らされた、と。
駆動力に直接関係するBL積は、
私がオーディオをやり始めたころはスピーカーユニットのスペックとして発表されることが多かった。
それがいつのまにか、それほど重要なスペックではない、ということになり、
スペック上から消えていっていた。
でも、私はどこかで、スピーカーの技術者による「BL積(BLファクター)は重要だ」、
という発言を読んでいた記憶がずっとあったため、
私自身は8Ωと16Ωのダイアフラムによる音の違いは実際には聴いたことはなかったけれども、
16Ωのほうが有利ではないか、という推測ができただけである。
次回のaudio sharing例会は、1月2日(水曜日)です。
何も、年明け早々にやることもないだろうと思いましたし、
来てくださる方も少ないだろうとおもっていますけど、1月2日に行います。
時間はこれまでと同じ、夜7時からを予定していますが、1時間早めて夜6時からにしようかな、とも思っています。
時間は前日か前々日に、またお知らせします。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
たとえばアルテックの同軸型ユニットの604シリーズ。
604Eまではインピーダンスは16Ω、
604-8Gから、型番の末尾にアルファベットだけでなく数字の8が加わったことからもわかるように、
インピーダンスは8Ω仕様に変更されている。
これは604Eのころはまだまだ真空管アンプで鳴らされることが前提だったのが、
604-8Gが登場した1975年には真空管アンプは市場からほとんど消え去り、
トランジスターアンプで鳴らされることが多くなってきていたからである。
トランジスターアンプは真空管アンプのように出力トランスをしょっていないため、
スピーカーのインピーダンスによって出力が変る。
理論通りの動作をしているパワーアンプであれば、
16Ω負荷では8Ω負荷時の1/2の出力に、4Ω負荷では8Ω負荷時の2倍の出力となる。
真空管とくらべるとトランシスターは低電圧・大電流動作のため、
スピーカーのインピーダンスはある程度低いほうが出力を効率よく取り出せる。
アルテックの604シリーズを例に挙げたが、
他のメーカーのスピーカーでも、これは同じことであり、それまでは16Ωが主流で32Ωのユニットもあったのが、
1970年代にはいり、スピーカーのインピーダンスといえば標準で8Ωということになっていく。
トランジスターのパワーアンプが登場する前、
真空管アンプで出力トランスを省いたOTLアンプが一時的に流行ったころには、
16Ωでも真空管のOTLアンプにとってはインピーダンスが低すぎて、
効率よく出力を取り出せないために、
OTL専用のスピーカーユニットとしてインピーダンスが100Ωを越えるものが特注でつくられていた、と聞いている。
スピーカーのインピーダンスの変化をみていくと、
それはアンプの主流がなんであるかによって変っていっているわけだから、
アンプが、その意味では主ともいえなくもないわけだ。
コーン型スピーカーの始まりは、1925年に世界初のスピーカーとしてアメリカGEの、
C. W. RiceとE. W. Kellogの共同開発による6インチのサイズのものとなっている。
けれど以前にも書いているように、スピーカーの特許は、
エジソンがフォノグラフの公開実験を成功させた1877年に、アメリカとドイツで申請されている。
このときの特許が認められなかったのは、
スピーカーを鳴らすために必要不可欠なアンプが、まだ世の中に誕生していなかったからである。
ようするに真空管が開発されアンプが開発されるまでの約50年間の月日を、
スピーカーは待っていたことになる。
スピーカーはスピーカーだけでは、ほとんど役に立たない。
おそろしく高能率のスピーカーと、同程度に高出力のカートリッジがあれば、
カートリッジをスピーカーを直接接続して音を出すことはできるだろうが、
それは音が出る、というレベルにとどまるであろう。
現在のような水準にまで高められたのは、やはりアンプが誕生し、改良されてきたからである。
こんなふうに歴史を振り返ってみると、
オーディオの再生系においてスピーカーが主でアンプは従という関係は、
実のところスピーカーが従であり、アンプが主なのかもしれない──、
そんな見方もできなくはない。
そして、いまのスピーカーシステムは、
いまのパワーアンプ(定電圧駆動)でうまく鳴るようにつくられている。
そんなこと当然じゃないか、といわれるかもしれない。
でも、ほんとうに再生系においてスピーカーシステムが主であるならば、
主であるスピーカーシステムをうまく鳴らすようにつくられるのはアンプのほうであるべき、ともいえる。
このことは鶏卵前後論争に近いところがあって、
そう簡単にどちらが主でどちらが従といいきれることではない。
1980年にはいってからオーディオ雑誌に頻繁に登場するようになった言葉のひとつに、音場と音場感がある。
音場と音場感──、
語尾に「感」がつくかどうかの違いだけで、
意味にも大きな違いはないかのように使われているようにも感じている。
けれど音場と音場感は、決して同じ意味のことではない。
音場とは文字通り、音の場、つまり音の鳴っている場であり、
オーディオは録音された音楽を再生するものであるから、
ここでの音場とは、音楽の鳴っている(鳴っていた)場のことである。
つまり録音された場のことと定義できる。
スタジオであったりホールであったり、ときに個人の家ということもある。
とにかく録音された演奏がなされた場こそが音場であるし、
これはあくまでも「録音の音場」である。
録音に音場があれば、再生側にも音場が存在するわけで、
この再生側の音場の定義は、録音の音場の定義のように簡単ではないところがある。
私はD130を、いまいくつかの形式のアンプで鳴らしてみたい、と考えている。
市販のほぼすべてのパワーアンプでそうであることからも、
現代のアンプとして一般的な形式で定電圧駆動をひとつの基準としたうえで、
あえてD130が生れたころと同時代のアンプで鳴らすということ、
それから定電流駆動という選択も当然考えている。
定電圧駆動と定電流駆動の中間あたりに属するアンプもおもしろいと思う。
トランジスターアンプでも出力インピーダンスが高めで、ダンピングファクターが低めのもの。
市販されているアンプではファーストワットのSIT1が、これに相当する。
出力インピーダンスが4Ωだから、16ΩのD130に対してはダンピングファクターは4になる。
真空管のOTLアンプも考えられるが、
年々夏が暑くなっているように感じられる昨今では、
あの熱量の多さを考えると、やや消極的になってしまう。
それからヤマハのAST1で聴いた負性インピーダンス駆動とバスレフ型の組合せがもたらした、あの低音の見事さ。
ASt1を聴いた時から考えているのが、負性インピーダンス駆動とバックロードホーン型の組合せである。
AST1において負性インピーダンス駆動をON/OFFすると、低音の表情は大きく変化する。
この音の変化を聴いている者には、負性インピーダンス駆動とバックロードホーンの組合せが気になって仕方がない。
必ずしも、うまくいくとは思っていない。
失敗の確率もけっこう高そうではあると思いつつも、一度は試しておきたいパワーアンプの形式である。
どれがD130+バックロードホーンに最適となるのかは、
他の要素も絡んでくることだからなんともいえないことはわかっている。
それでも、実際にこんなことを試していく過程で、
これまで見落してきたこと、忘れてきたことを再発見できる可能性を、そこに感じてもいる。
D130はもともと高能率で、それをバックロードホーンにおさめるのであれば、
パワーアンプにはそれほどの出力を求めなくてもすむ。
これは、いくつもの形式のアンプを試していく上でも大きなメリットになる。
エアリーズに対しては、さほど関心をもつことはなかった。
私が読みはじめてからのステレオサウンドにはエアリーズは登場していないし、
ステレオサウンドにエアリーズが登場したのは22号だけのはず。
22号の特集は「中・小型フロアー・スピーカー・システム総まくり」で、
1972年3月発行の号だから、エアリーズが登場して約1年後だから、
エアリーズが22号で、どういう評価を得ているのか、いまごろになって関心をもっているのだけれど、
22号は手もとにない。
22号では岡先生、菅野先生、瀬川先生が試聴メンバーで岩崎先生の名前は、そこにはない。
エアリーズは高い評価を得たのか、それともほどほどの評価だったのか。
22号を大きな図書館に行って読めばわかることだが、
なんとなくではあるけれど、絶賛という評価ではなかったように思える。
22号で非常に高い評価を得ていたのであれば、
その後のステレオサウンドに、もう少し登場していてもおかしくないからだ。
私がエアリーズに対して関心が薄かったのは、ステレオサウンドでの扱われ方も大きく影響している。
私のなかではエアリーズの存在は小さかった。
それがここにきて、急に大きくなってきている。
ステレオサウンド 38号をみれば、岩崎先生はエアリーズを鳴らすために、
デュアルのプレーヤー1009にオルトフォンのM15E Superをとりつけて、
アンプはというとマランツの#7と#16のペアがあてがわれている。
エアリーズの価格からすれば、贅沢な組合せといえよう。
それに38号の写真をみればみるほど、
暖炉の両脇に置かれたエアリーズはスピーカーには見えない、家具の一種としてそこに存在している。
パラゴンの置かれていた部屋にはハークネスも620Aも、ヴェローナもあり、
アンプも幾段にも積み重ねられている。
エアリーズの部屋はスピーカーはエアリーズだけである。
だから、またあれこれ考えてしまう。