「複雑な幼稚性」(その15)
大事なことを混同している人たちは、
自分たちの聴き方が新しくて、
JBLやタンノイといった、古くからあるメーカーのスピーカーを選択する人たちの聴き方をも古いとしてしまう。
音の聴き方に古いとか新しいといったことが、はたしていえるのだろうか。
自分の音の聴き方は新しい、という人の多くは、音場の再現こそが大事だという。
音場とは、音楽再生における場であることだから、
音場の再現は大切なことである、ということには反論はしないし、同意する。
聴感上のS/N比を重視するのも、この音楽の演奏される場を整えていくことであるからだ。
それでも音場の再現が音色の再現よりも上位だ、とか、
音色の再現よりも音場の再現を重視することこそが新しい音の聴き方である、
こんなことをいう人は、ほんとうに「音場」ということを認識しているのだろうか、と問いたくなる。
音場の再現と音色の再現(ここでいう音色とは楽器の音色のことである)は、
深く関わり合っていること、というよりも、同じことを違うことばで表していることに気づけば、
音場の再現がほんとうに良くなっていけば、楽器の音色の再現もそれにつれて良くなっていく。
もし楽器の音色の再現に、どこか不備があるのならば、
そこで鳴っている音場にも、どこか不備がある、といえる。
(ここでいう楽器とはアクースティック楽器のことであり、人の声のことである)