Archive for 3月, 2015

Date: 3月 31st, 2015
Cate: audio wednesday

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

今日で三月も終る。
東京は桜が満開だ。

五味先生と桜で思い出すのは、きまってこの文章だ。
1972年発行の「ミセス」に載った「花の乱舞」を、毎年この時期に思い出す。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
40年以上前に五味先生がご覧になった落花の桜ふぶきは、いまも見れるのだろうか。

明日は、とにかく五味先生について話すだけである。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 31st, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その2)

わかるは、漢字で書けば分る、判る、解る、である。
それをあえてひらがなで「わかる」と書くと、
「わかる」は「かわる」と似ていると、いつも思う。

一文字目と二文字目をいれかえれば「わかる」は「かわる」になり、
「かわる」は「わかる」になる。

「わかる」から「かわる」のかもしれない、
「かわる」から「わかる」のかもしれない。

Date: 3月 30th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その9)

デ・ローザのオレンジ色のフレームの自転車(ロードバイク)を買った。
デ・ローザというイタリアのフレーム・ビルダーのことは、おおまかなことぐらいは知っていた。
けれど、私がいわば一目惚れして自分のモノとしたフレームに関しては、ほとんど何も知らなかった。

こういうモデルがあったのか、と後で知ったくらいで、
フレームにはCOLUMBUS(イタリアのパイプメーカー)の、
どのパイプが使われているのかを示すシールが貼られているので、
SLXという当時スタンダードなパイプだということがわかったくらいである。

いまならば気になるフレームについてはインターネットで検索すれば、
インプレッション記事が見つかることが多い。
いまでは自転車雑誌もインプレッション記事が増えているけれど、
1995年当時の自転車雑誌には、インプレッション記事はさほど多くはなかった。

私が買ったフレームについての情報は何もなかったに等しい。
一台の自転車として完成され展示したのを見て、衝動買いに近いかたちで自分のモノとした。

この時の買い方で私が選択したのは、芝大門にあるシミズサイクルという自転車店だけといえる。
どのフレームにするのか、それ以外のコンポーネントはどうするのか、
ほとんど決めていなかった。
予算をある程度決めていただけで、それすらも四割ちかくオーバーしてしまった。

買うと決めたのは確かに私なのだが、私がデ・ローザのオレンジ色のフレームを選んだ、といえるだろうか。

後日シミズサイクルの方にきいた話だが、
私が購入して一週間後ぐらいに、地方の方から問合せがあったそうだ。
その人は、東京に住んでいる友人がシミズサイクルで、デ・ローザのオレンジ色のフレームを見て、
その人に連絡したそうである。

シミズサイクルには同じフレームのサイズ違いの在庫はあった。
けれどそれは私には大きすぎたし、その人にとっても大きなフレームだった。

私があの時、もし、もう少しこのフレームの情報を集めて、
それからじっくり購入するかどうかを判断していたら、ほぼ間違いなくその人のモノになっていたであろう。
そうなっていたらきっと後悔していたことも間違いない。

間違いのない選択のために情報を集め判断するわけだが、
そのための時間で後悔することだってあるのは、自転車だけではない、オーディオも同じだ。

Date: 3月 29th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その8)

自転車店めぐりの最初の店であり、私がロードバイクを購入した店は、
東京・芝大門にあるシミズサイクルだ。

20年前はいまのような自転車ブームではなかった。
自転車店はずっと少なかった。それでもシミズサイクルよりも大きな店はいくつかあったし、
同じモノがもっと安く買える店もあったし。
それでもシミズサイクルで買おう(何を買おうとは決めてなかった)と思ったのは、
この店が、自転車を差別しない店であったからだった。

ある大型店でのことだった。年輩の人が調子の悪くなった自転車の修理を店員に依頼していた。
その店の店頭には、当店はプロショップだから、一般自転車は販売していないし修理しない、と貼紙があった。

若い店員は口もきかずに、その貼紙を指さすだけだった。
年輩の人はよく事情がわからず、何度か頼んでいたし、どこか修理できるところはないかときいてもいた。
それでも若い店員は貼紙を指さすだけだった。

彼は雇われの身であるから、店の方針には逆らえないのはわかる。
けれど、問題はその対応だ。
きちんと言葉で説明すればいいだろうし、
その店で修理は受け入れられないのなら、他の店を教えるくらいのことはできたはずなのに、
貼紙を指さすだけなのをみて、この店で買うのは絶対にしない、と思った。

私はそう思ったけれど、その店はいまも繁盛しているようだ。
そんなことがあったから、最初の店、シミズサイクルにしようと決めた。

シミズサイクルに展示してあるフレーム中から、サイズと予算に合うモノを選ぶつもりで、
再度この店を訪れた。
そして、完成車として展示されていたデ・ローザのフレームともう一度出逢ったわけだ。

フレーム単体でみていた時よりも、ずっと映えてみえる。
細部の仕上げは、もっとていねいな仕事をしているフレームがある。
それでも、これにしよう、と決めた。サイズもぴったりだった。

いい買物をした、と思う。
そして、デ・ローザを選んだとは思っていない、運良く出合えたと思っている。

Date: 3月 29th, 2015
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その7)

1995年の5月に、はじめてのロードバイクを買った。
買う前には、当然いろんな情報を収集した。
当時はまだインターネットをやっていなかったし、
やっていたとしてもいまのようにブログやSNSが普及していたわけではないから、
結局は自転車雑誌が情報収集のメインとなる。

自転車店もいくつも廻った。
何かを買うかも重要なことだけど、それと同等かそれ以上にどこで買うかも重要だと考えてのことだった。
そのために自転車雑誌の記事だけではなく、広告も丹念に見ていた。

予算はそれほどなかったし、初めてのロードバイクだから、
いきなり最高級のモノを手にしようとは考えていなかった。
候補はいくつかに絞られた。

ただ自転車のフレームが、オーディオのスピーカー選びと異るのは、
サイズの問題がある。
どんなに優れたフレームでもサイズが合わなければ、その人にとっていいフレームとはいえない。
自分の欲しいフレームで、自分に合ったフレームのサイズでなければならないこともあって、
とにかく東京都内、神奈川、埼玉の自転車店をいくつも廻ったものだった。

そんな数ヵ月を過ごして購入したのはデ・ローザ(DE ROSA)のオレンジ色のフレームだった。
このフレームは、自転車店めぐりをはじめた最初の店にあったモノだった。
目にはついていた。
けれどオレンジ色がそんなに好きではなかったし、デ・ローザのこの時代のフレームは武骨だった。
もっと洗練されたフレームが欲しいと思っていたから、まったく気にも留めなかった。

いろんな店を廻って数ヵ月後、再び最初の店を訪れた。
そのとき、オレンジ色のフレームは、完成車として展示されていた。
「これだ!」と感じた。

Date: 3月 28th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その1)

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号に、
瀬川先生が「私とタンノイ」を書かれている。
その冒頭に、次のように書かれている。
     *
 日本酒やウイスキィの味が、何となく「わかる」ような気に、ようやく近頃なってきた。そう、ある友人に話をしたら、それが齢をとったということさ、と一言で片づけられた。なるほど、若い頃はただもう、飲むという行為に没入しているだけで、酒の量が次第に減ってくるにつれて、ようやく、その微妙な味わいの違いを楽しむ余裕ができる――といえば聞こえはいいがその実、もはや量を過ごすほどの体力が失われかけているからこそ、仕方なしに味そのものに注意が向けられるようになる――のだそうだ。実をいえばこれはもう三年ほど前の話なのだが、つい先夜のこと、連れて行かれた小さな、しかしとても気持の良い小料理屋で、品書に出ている四つの銘柄とも初めて目にする酒だったので、試みに銚子の代るたびに酒を変えてもらったところ、酒の違いが何とも微妙によくわかった気がして、ふと、先の友人の話が頭に浮かんで、そうか、俺はまた齢をとったのか、と、変に淋しいような妙な気分に襲われた。それにしても、あの晩の、「窓の梅」という名の佐賀の酒は、さっぱりした口あたりで、なかなかのものだった。

 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
「世界のオーディオ」タンノイ号は1979年春に出ているから、この時瀬川先生は46歳。
私が「私とタンノイ」を読んだのは16歳。
そういうものかと思いながら読んでいた。
老いていく、ということがどういうことなのか、
頭でどんなに想像してもまったく実感がわく年齢ではなかったのだから、
そういうものか……、で留まってしまう。

けれど40を過ぎたころから、同じように考えるようになっていたことに気づき、
この「私とタンノイ」の冒頭を思い出すようになっていた。

以前も書いているけれど、齢を重ねなければ出せない音があることに気づいたのも、40ぐらいだった。
齢を重ねなければ出せない音があるのは、結局のところ、音が「わかる」ようになるのに、
ある年齢に達することが必要になるからだ、とも思うようになってきた。

そしてもうひとつ気づいたことがある。
音の違いがわかる、ということが、音が「わかる」ことではないということだ。

このことに気づくのに30年以上かかってしまった。

Date: 3月 27th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その6)

グラフィックイコライザーは、その評価がほかのオーディオ機器よりもはるかに難しいところをもつ。

グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人がいる。
その人が書く文章を読んで、グラフィックイコライザーに興味をもつ人がいる。
数人だが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人のところに連れていったことがある。

みんな期待していた。
使いこなしは難しいかもしれないが、
きちんと使いこなすことで、どれだけのものが得られるのか。
それを知りたがっていたし、自分の耳で確認したかったのだと思う。

グラフィックイコライザーにはON/OFF機能があるから、
簡単にグラフィックイコライザーを調整した音とそうでない音を切り替えられる。
当然のことだが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、
自信をもって切り替え操作を行ってくれる。

帰途、彼らは「グラフィックイコライザーの使いこなしって、ほんとうに難しいんですね……」といった。
あれだけ積極的にグラフィックイコライザーを使ってきた人でも、あのレベルなのか、という落胆からであった。

私が連れていった数人は、彼のところではグラフィックイコライザーなしの方がいい音だと感じていた。

このことはグラフィックイコライザーの調整が難しいということとともに、
グラフィックイコライザーの使い方に関する問題も含んでいる。

私はグラフィックイコライザーにこれから取り組もうという人には、
楽器の音色の違いがより自然に再現されることを目指して調整したほうがいい、という。

私がこれがグラフィックイコライザーの使い方だと考えているからだ。
だがグラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、そうではなかった。
彼好みの音にするための道具としてのグラフィックイコライザーの使い方だった。

そんなふうに使うのはまったく認めないわけではないが、
誰かにグラフィックイコライザーの使用を薦めるのであれば、そうではないだろう、とひとこといいたくなる。

Date: 3月 27th, 2015
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(あるツイートを知って)

奈良県奈良市にジャンゴレコードがあるのを知った。
このレコード店が三月いっぱいで、新譜CDの店頭陳列販売を終了することも知った。

正直、ここまで厳しくなっているのかと驚いてしまった。
詳しくはリンク先を読んでほしい。

日本は世界でいちばんCDが売れている国だといわれている。
それは誇っていいことなのか、とも、ジャンゴレコードの今回の件は考えさせられる。

豊かになっているのだろうか。

Date: 3月 26th, 2015
Cate: 原論

オーディオ原論(その1)

原論とは、その分野で最も根本的な理論。また,それを論じた著作、と辞書に書いてある。

オーディオで最も根本的な理論、またはそれを論じた著作とはなんだろうか。
オルソン博士の音響工学がそれにあたるのか。
他にあるのか、それともまだないのだろうか……。

こう考えていくと、オーディオの何を知っているのだろうか(わかっているのだろうか)、
そして、原音。

いわゆる原音ではなく、最も根本的な音という意味での原音。
そういう音とは、いったいどういうものなのか。

最も根本的な音、
それは正弦波なのか、パルス波なのか。
そういったこととも違う根本的な音とは。

その最も根本的な音を鳴らすスピーカーはあるのか、
あるとしたらどういうスピーカーなのか。

いつか、「あっ」とわかる日が来るのだろうか。

Date: 3月 26th, 2015
Cate: audio wednesday

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

すでに書いているように、今回のテーマは五味先生、そして五味オーディオ教室のこと、である。
話すこと、話したいことはいくつもある。
五味オーディオ教室だけに絞ってもかなりあるし、
瀬川先生のこと、300B(カンノアンプをお使いだった、マークレビンソンのJC2との組合せだった)のこと、
その他にもあれこれ思いつく。

どれかに絞って話すかもしれないし、
思いつくままに話していくことになるかもしれない。

とにかく五味先生について話すだけである。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その27)

ガイ・R・ファウンテン氏にとってのオートグラフとイートン。
その関係性について考えていると、まったく同一視はできないことはわかっていても、
ネルソン・パスのことも思い浮べてしまう。

スレッショルド、パス・ラボラトリーズでの大がかりなパワーアンプを生み出す一方で、
いわば実験的な要素の強いパワーアンプを別ブランド、First Wattから出し、世に問うている(ともいえる)。

パス・ラボラトリーズのパワーアンプに使われるトランジスターの数と、
First Wattの、中でもSIT1に使われているトランジスター(正確にはFET)の数を比較しても、
このふたつのブランドのパワーアンプの性格は、それこそオートグラフとイートンほど、
もしくはそれ以上の差がある。

それでもどちらもネルソン・パスの生み出したパワーアンプであることに違いはない。

いわば、これは二重螺旋なのかもしれない。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: TANNOY, 型番

タンノイの型番(その1)

別項「程々の音」でふれたタンノイのイートン。
この時代のタンノイはハーマンインターナショナルの傘下にあったころで、
オートグラフ、GRFは輸入元ティアックによる国産エンクロージュアという形で残っていたものの、
主力製品は、いわゆるABCシリーズと呼ばれる、
Arden(アーデン)、Berkley(バークレー)、Cheviot(チェビオット)、
Devon(デボン)、Eaton(イートン)で、
アーデンとバークレーが38cm口径のHPD385A、チェビオットとデボンが30cm口径のHPD315A、
イートンが25cm口径のHPD295Aを搭載していて、デボンとイートンがブックシェルフ型だった。

ちなみにこれらはすべてイギリスの地名である。

これらのタンノイの型番について瀬川先生がおもしろい話をされたことがあった。
五機種の中で、型番(名称)がいちばん落ち着いた感じがするのはアーデンであり、
アーデンの音も、アーデンという型番がイメージするような音で、
バークレーはアーデンよりもちょっと辛口のところがあり、
デボンは、そんな感じの低音がするし、イートンはかわいらしい印象があって、
型番と音の印象が割とよく合っている、ということだった(チェビオットに関しては、はっきりと憶えていない)。

なるほどなぁ、と感心しながら聞いていたことを思い出した。

バークレーの音は聴いたことはないが、
アーデンと同じユニットであってもエンクロージュアのサイズがひとまわり小さくなっている。
ということは同じ板厚であれば、エンクロージュアの剛性は高くなっている。
ともすればふくらみすぎといわれるアーデンの低音に対して、
バークレーの低音はそういうことはあまりなかったのではないか、と推測できる。

少し締った低音という意味での、アーデンよりも辛口の音ということなのかもしれない。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その26)

リビングストンのインタヴューは続く。
     *
これ(オートグラフではなくイートン)はファウンテン氏の人柄を示すよい例だと思うのですが、彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。そのかわり、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、そのためにある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時はタンノイの最小のスピーカーをつかったりしました。つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にしなかったようです。
 もう一つ、これは率直そのものの人でした。10年前、小型の通信設備をある会社のスペアパーツの貯蔵所に入れる仕事をした後、毎月200ポンドの請求書をずっと送り続けてきました。ある会社とは英国フォードのことで、フォードにとってみれば200ポンドの金額など、それこそ微々たるものだったでしょう。ところが1年経ったのちに、ファウンテン氏は毎日毎日売上げの数字を見ている人ですから、フォード社は200ポンドの代金を1年間未払いの状態になっていることがわかりました。そこで彼は英国フォード社の社長がサー・パトリック・ヘネシーという人だとわかると、このヘネシー卿を個人名で、200ポンドの滞納をしたといって訴えたわけです。ヘネシー卿からはもちろんファウンテン氏にすぐ電話がかかってきました。「あなたは私が英国フォード社の社長だと知って200ポンドの訴えを起こすわけですね」とヘネシー卿がいうと、ファウンテン氏は「滞納すればイエス・キリストだって訴えますよ」といって、さっさと電話を切ったんです。
 実はそのあとで非常におもしろいことが起こったのです。もちろん200ポンドはすぐフォード社から払われましたし、それどころか、フォードが英国に三つの工場を建設した時には、その中の通信設備はことごとくタンノイ社に発注され、額からいうと数十万ポンドの大きな仕事になったわけです。
 このことでもわかるように、ファウンテン氏というのは妥協をすることを好みませんでした。そして、よりよいものに挑戦することを忘れなかったのです。スピーカーについても耐入力100Wができたら今度は150Wができないものかと、常に可能性を追求してやみませんでした。この気質は彼が70歳になっても、74歳になっても衰えず、英国人特有の「ネバー・ギブ・アップ」、常に前進あるのみ、という性格を持ちつづけたのだと思います。
     *
ステータスシンボル的なものをけっして愛さなかったファウンテン氏が、
タンノイにとってのステータスシンボル的なモノ、つまりオートグラフを生み出している。

矛盾しているようであるけれども、リビングストンが語っているように、
妥協を好まず、よりよいものに挑戦することを忘れなかったファウンテン氏だからこその「オートグラフ」、
つまりautograph(自署)であり、
家庭で音楽を楽しむスピーカーシステムとしてのイートンという選択だったように思える。

Date: 3月 24th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その25)

タンノイ・コーネッタは、どんな音を響かせていたのか。
五味先生が「ピアニスト」の中で書かれている。
     *
待て待てと、IIILZのエンクロージュアで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏が、しかも静謐感をともなった。何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージュアを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。
     *
こういうのを読むと、ますますコーネッタが欲しくなる。
これまでに何度もコーネッタでいいではないか、
これ以上何を求めるのか。

コーネッタよりも上の世界があるのはわかっているし知っている。
ふところが許す限り、どこまでも上の世界を追い求めたくなるのはマニアの心根からくるものであろうが、
そうでない心根からくるものがコーネッタを欲しがっている。

タンノイの同軸型ユニット、それも25cm口径。
大きくも小さくもないサイズのユニットは、時として中途半端に見えてしまうけれど、
家庭用のスピーカーのサイズとしてはちょうどいいような気もしてくる。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
瀬川先生がタンノイのリビングストンにインタヴューされている。
リビングストンが、ガイ・R・ファウンテン氏のことを語っている。
     *
彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。ロックにはあまり興味がなかったように思います。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それにティアックのカセットです。
     *
誰もが(瀬川先生も含めて)、ファウンテン氏はオートグラフを使われていたと思っていたはず。
私もそう思っていた。けれど違っていた。
イートンだった、25cm口径の同軸型ユニットをおさめたブックシェルフだったのだ。

Date: 3月 23rd, 2015
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(アナログディスクの扱い・その2)

(その1)を書いている時は、続きを書くつもりはなかった。
なので昨夜公開したときのタイトルには(その1)とはつけていなかった。

けれどfacebookでのコメントを読んで、続きを書くことにした。
同時に思いだしたことがあった。
二年前のaudio sharing例会で、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」をテーマにした時に出た話だった。

西川さんが話してくださったと記憶している。
靴の話だった。

ステレオサウンド 38号に載っている岩崎先生のリスニングルーム(家)は、
周りに竹やぶがあった、ときいている。
38号のあとに引越しをされている。

だから当時岩崎先生のリスニングルームを訪れたことのある人同士では、
「どっち?」「竹やぶの方?」という会話が出る。

岩崎先生は新しい靴を手に入れられると、
その竹やぶの中を歩かれる、と聞いた。

新品のまっさらな靴で竹やぶを歩く。
当然靴は泥で汚れる。

ほとんどの人は、こんなことはやらない。
新品の靴であれば、汚さないようにふつうは気を使うものだ。
けれど岩崎先生は違っていた。

あえて汚されるのである。