Date: 3月 25th, 2015
Cate: 程々の音
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程々の音(その26)

リビングストンのインタヴューは続く。
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これ(オートグラフではなくイートン)はファウンテン氏の人柄を示すよい例だと思うのですが、彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。そのかわり、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、そのためにある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時はタンノイの最小のスピーカーをつかったりしました。つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にしなかったようです。
 もう一つ、これは率直そのものの人でした。10年前、小型の通信設備をある会社のスペアパーツの貯蔵所に入れる仕事をした後、毎月200ポンドの請求書をずっと送り続けてきました。ある会社とは英国フォードのことで、フォードにとってみれば200ポンドの金額など、それこそ微々たるものだったでしょう。ところが1年経ったのちに、ファウンテン氏は毎日毎日売上げの数字を見ている人ですから、フォード社は200ポンドの代金を1年間未払いの状態になっていることがわかりました。そこで彼は英国フォード社の社長がサー・パトリック・ヘネシーという人だとわかると、このヘネシー卿を個人名で、200ポンドの滞納をしたといって訴えたわけです。ヘネシー卿からはもちろんファウンテン氏にすぐ電話がかかってきました。「あなたは私が英国フォード社の社長だと知って200ポンドの訴えを起こすわけですね」とヘネシー卿がいうと、ファウンテン氏は「滞納すればイエス・キリストだって訴えますよ」といって、さっさと電話を切ったんです。
 実はそのあとで非常におもしろいことが起こったのです。もちろん200ポンドはすぐフォード社から払われましたし、それどころか、フォードが英国に三つの工場を建設した時には、その中の通信設備はことごとくタンノイ社に発注され、額からいうと数十万ポンドの大きな仕事になったわけです。
 このことでもわかるように、ファウンテン氏というのは妥協をすることを好みませんでした。そして、よりよいものに挑戦することを忘れなかったのです。スピーカーについても耐入力100Wができたら今度は150Wができないものかと、常に可能性を追求してやみませんでした。この気質は彼が70歳になっても、74歳になっても衰えず、英国人特有の「ネバー・ギブ・アップ」、常に前進あるのみ、という性格を持ちつづけたのだと思います。
     *
ステータスシンボル的なものをけっして愛さなかったファウンテン氏が、
タンノイにとってのステータスシンボル的なモノ、つまりオートグラフを生み出している。

矛盾しているようであるけれども、リビングストンが語っているように、
妥協を好まず、よりよいものに挑戦することを忘れなかったファウンテン氏だからこその「オートグラフ」、
つまりautograph(自署)であり、
家庭で音楽を楽しむスピーカーシステムとしてのイートンという選択だったように思える。

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