Archive for category 菅野沖彦

Date: 11月 21st, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉

18日に出たのはわかっていながら、書店に寄ったのは今日だった。
菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」を買った。

最初は買うつもりはなかった。
選集だから、というのが理由だ。
この選集に載っているレコード演奏家訪問が掲載された号は持っている。

それを読めばいい──、
そんなふうに思っていたところがあった。

でも書店で手にしてパラパラめくっているうちに、
こみあげてくるものを感じていた。

おそらく菅野先生と会われた方はみなそうではないのか。
亡くなられて一年が経つ。

この本を手にして、ふたたびそのことを強く意識していた。
もう菅野先生とは会えない、どうやってもあえない。
そう感じない人がいると思えない。

菅野先生と話す機会のあった人、
幸運にも菅野先生のリスニングルームで音を聴かれた人、
その人たちは、この本を手にして何かを感じているはず、と信じている。

選集だから、初めて見る・読む記事は一本もない。
それでも、こうやって一冊にまとまっていると、
菅野先生の存在と不在を、強く感じざるをえない。

これまでも菅野先生について触れてきている。
これからもそうである。

それでも書いていることよりも書いていなことの方が多い。
これから書いていくこともあれば、書かないこともある。

誰か親しい人と、菅野先生について語ることがあれば、その時は話すかもしれないが、
そういうことは書かない。

そしてあれはどういう意味だったのか、と思い出すこともある。

「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」は、よい本だ。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦著作集(できることならば)

1989年春、朝日ジャーナル増刊として「手塚治虫の世界」が出た。
手塚治虫は1989年2月9日に亡くなっているから二ヵ月ほどで出ている。

短期間で編集されたとは思えないほど素敵な本である。
いまも手離さずに持っている。

菅野沖彦著作集だけでなく、
「手塚治虫の世界」のような「菅野沖彦の世界」を出してほしい、と思う。

Date: 11月 15th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦著作集

菅野沖彦著作集」が、ステレオサウンドから11月18日に発売になる。
あわせて、「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」も出る。

「菅野沖彦著作集」はステレオサウンドのウェブサイトをみればわかるように、
今回は上巻であり、下巻の発売も予定されている。

せっかくの著作集なのだから、
ステレオサウンドに掲載された内容だけでなく、
スイングジャーナルに掲載されたものも読みたい、と思う人は多いはずだ。

スイングジャーナル社がいまもあれば、
スイングジャーナル版菅野沖彦著作集が出るのを期待できるが、
スイングジャーナル社はすでにない。

下巻のあとに、スイングジャーナルだけでなく、
他のオーディオ雑誌、レコード雑誌に書かれた文章をおさめた著作集を出してほしい。

菅野先生の本が、こうやって出るのはいいことだと思う。
それでも、こうやって一冊の本にまとめられて、
それを手にして読むことで、いまのステレオサウンドをはじめ、
オーディオ界からなくなってしまったものに、読み手は気づくのではないだろうか。

すべての読み手が気づくとは思っていないが、少なからぬ人たちが気づくであろう。
この読み手のなかには、ステレオサウンドだけでなく、
オーディオ雑誌の編集者、それにオーディオ評論家と呼ばれている人も含まれる。

気づく人はどれだけいるのか、何に気づくのか。
それがはっきりとしてくるのは、どのくらい経ってからなのだろうか。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 菅野沖彦

10月13日

一年が経った。
短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない。

今日は、とあるところにデッカのデコラを聴きに行っていた。
予定では昨日(12日)だったが、台風による今日になった。

偶然によって、10月13日に、デコラをじっくりと聴けた。
じっくりと聴いたのは、今回が初めてである。

項をあらためて、デコラについては書くつもりだが、
いろいろなことを考えさせられた。

だからこそこの一年、
何が変ったのか、とよけいに考えてしまう。

Date: 6月 23rd, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その6)

五味康祐という存在がなかったら、
ステレオサウンドは創刊されていなかっただろうし、
創刊されていたとしても、ずいぶん違ったものになっていたはずだ。

ステレオサウンドを創刊した原田勲氏にとっての五味先生の存在、
そこを無視してステレオサウンドは語れない。

五味先生が、ステレオサウンドの精神的支柱だった──、
と以前書いた。

そのことによって、ステレオサウンドにはストーリーをベースにしていた──、
ストーリーの共有、もっといえばストーリーによる対話が、
つくり手(オーディオ評論家、編集者)と読者とのあいだにあった。

私はそう感じていた。
だからこそ、ある時期までのステレオサウンドはおもしろかったし、
毎号わくわくしながら読んでいた。

それは、いつのころからか薄れていった。
稀薄になっていった。
そして菅野先生の死によって、
完全にステレオサウンドに、そのことを期待できなくなった(少なくとも私にとっては)。

ステレオサウンド 210号、211号の黛さんの文章は、
そのことを語っているとも、私は受け止めている。

Date: 6月 10th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その5)

昨晩の(その4)の最後に、
その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、と書いた。

ここで「気持」という単語を使ったのは、なんとなくだった。
なんとなくだったけれど、翌朝(つまり今日)になって気づいた。

ここでの「気持」は、川崎先生がいわれる「いのち・きもち・かたち」であることに。
ステレオサウンド 210号と211号に載った「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅」は、
黛さんの「かたち」である。

Date: 6月 9th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その4)

私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月の終り近くだった。
ちょうどステレオサウンド 62号の編集作業の真っ只中だった。

ステレオサウンド 62号、63号には、
「音を描く詩人の死」が載っている。
瀬川先生に関する記事である。

この記事を執筆されたのは、編集顧問のYさん(Kさんでもある)だった。

ステレオサウンド 62号、63号が出たとき私は19だった。
黛さんは1953年9月生れだから、28歳だった。
編集次長という立場だった(当時の編集長は原田勲氏)。

あのころは編集という仕事になれることに精一杯のところもあったから気づかなかったけれど、
62号と63号の「音を描く詩人の死」の文章を、
黛さんは自身で書きたかったのではないのか──、
このことに今回気づいた。

黛さん本人に確認したわけではない。
でも、きっとそうであったに違いない、と信じている。

そして、その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、ということだ。

Date: 6月 4th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その3)

今日(6月4日)は、ステレオサウンド 211号の発売日。
発売日に書店に行き手にする──、
ここ数年、そんなことすらしなくなっているけれど、今回はさきほど購入してきた。

黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」を読みたかったからである。
タイトルは、その2ではなく、後編に変更になっている。

先週公開されたステレオサウンド 211号の告知をみて、
今回も黛健司氏が書かれるんだ、とまず思った。

先月末の日曜日、友人のAさんと会っていた。
私と同じ1963年生まれのAさんも、
「ステレオサウンドの前号(210号)でおもしろかったのは、
黛さんの記事だけだった」といっていた。

「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」を読みながら、
Aさんが20代のころ読んでいたステレオサウンドを思い出しながら読んでいた、とのこと。

そのときも、「その2は誰が書くんだろうね、黛さんなのかな、他の人なのかな」と話していた。
その数日後に、黛さんが書かれることがわかった。

読み終えた。
そしておもうことがある──、
ほんとうのことをいえば、黛さんが書くということがわかったときからおもっていることが、
ひとつあった。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その2)

ステレオサウンド 210号、
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」。

ステレオサウンドのウェブサイトの告知で、その1とあったから、
短期連載になることはわかったし、
だからそれほどページ数を割いているわけではないだろうなぁ──、
そんなふうに勝手に思っていた。

そう思ったのは、209号掲載の柳沢功力氏の追悼文にもある。
209号には、原田勲氏の弔辞も掲載されていた。

けれど追悼文は柳沢功力氏だけだった。
柳沢功力氏の追悼文を読んで、これで終りなの?……、とおもっていた。

私と同じように感じていた人は、周りに少なからずいる。
210号以降で、菅野先生のなんらかの形で掲載されるだろうことは、予想できていた。

それでも追悼文があのくらいだったから……、
そう感じていたから、さほど期待していなかったところもある。

なので、黛健司氏の
「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」には驚いた。

「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」はサブタイトルである。
おそらく「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」では、
黛健司氏ではなく、他の方が書かれるのだろうか。

私個人としては、その2も黛健司氏に書いてほしい、と思っている。
どちらになるのかはわからない。

その2以降、書き手が変っていくのであれば、
誰であろうと、大変だろうな、と思う。

Date: 3月 5th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その1)

ステレオサウンド 210号で、ひとつだけ読みたいと思う記事がある。
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」である。

まだ読んでいない。
書店にも寄っていない。

にも関らず、この記事は210号で、ただひとつ読むべき記事だと思っている。
いい記事のはずだ。

ここにだけは、まだ残っているはずだ。

Date: 12月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド、アナログ)

12月にはいり11日にステレオサウンド、15日にアナログの最新号が発売になった。

主だったオーディオ関係の雑誌すべてに菅野先生の追悼記事が載ったことになる。
11月に発売されたステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー、
どれがよかったかなどというようなことではない。

それでもいいたいのは、前回も書いているのと同じことである。
オーディオアクセサリー掲載の追悼記事だけは読んでほしい。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(ピアノ)

ステレオサウンドのベストオーディオファイル、そしてレコード演奏家訪問。
菅野先生が全国のオーディオマニアを訪問された連載記事である。

菅野先生が来られるということで、多くの方が、菅野先生の録音、
おもにオーディオラボのディスクを再生される。

菅野先生によると、ひとつとして同じ音はなかった、とのこと。
菅野先生の録音の意図をはっきりと再生している音もあれば、
まったく意図しない音で鳴っていることもあった、ときいている。

ほんとうにさまざまな表情で、菅野先生の録音が鳴っている。
それでも、世の中にでは、菅野録音ということで、ある共通認識はできているようでもある。

何をもってして、菅野録音といえるのか。
これもまた人によって違うことなのだろう。

それでも、私はひとつだけいえることがある、と思っている。
ピアノの音である。

菅野先生の録音によるピアノの音をきいて、どう思うのか。
ほんとうに、菅野先生はピアノという楽器がお好きなんだなぁ、
そうおもえるかどうかである。

ピアノがいい音で鳴っている、と感じるだけでは不十分で、
菅野先生のピアノという楽器へのおもいが感じられなければ、
菅野録音はうまく鳴っていない、といえる。

Date: 11月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

としつき(26年後)

2007年11月7日に、神楽坂のとある店で、
瀬川先生の二十七回忌の集まりをやった。

その時のことは別項「瀬川冬樹氏のこと(その17)」で書いている。
菅野先生も来てくださった。

会の終りに、菅野先生がいわれた。
「オレの27回忌もやってくれよ」と。

その時、私は81歳になっている。
生きているかどうかはわからない。
生きていたとしても、もう呼ぶ人がいなくなっているんじゃないか……、
そのことに気づいた。

Date: 11月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー)

19日にステレオ、20日にレコード芸術、
今日(21日)、オーディオアクセサリーの最新号が発売になっている。

それぞれに菅野先生の追悼記事が載っている。
オーディオアクセサリー 171号の追悼記事は、多くの人に読んでほしい、とおもう。

Date: 11月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(味も人なり、か・その1)

1987年ごろだったか、試聴のあいまに、
菅野先生がチャーハンの話をされたことがある。

昔、有楽町のガード下に、ミルクワンタンという店があって……、から話は始まった。
菅野先生によると、そこで食べたチャーハンが、
これまで食べたなかでいちばんおいしかった、ということだった。

けれど、その店もなくなって、
なかなかおいしいチャーハンに出合わない、と。

最近食べたなかでは、荻窪にある徳大のチャーハンがよかった。
それでもミルクワンタンのチャーハンと較べてしまうと……、ともいわれた。

ちょうどそのころ吉祥寺にある中華屋で、おいしいチャーハンに出合っていた。
汚い店である。
雑居ビルの上の階にあった。

店の名前とビルの名前が同じだったから、店主はビルのオーナーでもあったのか。
そのへんはわからないし、いまその店はない。

チャーハンといっても、高級中華料理店に行けば、
豪華な食材を使った、高価なチャーハンはある。
それはそれでおいしいけれど、ここでのチャーハンは、そういう類のチャーハンではない。

それこそ具材はチャーシュー、卵……といった、ごくシンプルなチャーハンのことだ。

なので、その吉祥寺の中華屋のことを話した。
かなり興味をもたれたようで、次の試聴のときに、その中華屋のことが話題になった。

開口一番「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれながらも、
「あのチャーハンは絶品だよ、でも、あの店主はひどいね」と続けられた。