Archive for category 菅野沖彦

Date: 10月 13th, 2023
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2023年)

五年が経った。
一年前に、四年が経った、
二年前には、三年が経った、
三年前には、二年が経った、
四年前には、一年が経った、
と書いている。

結局、今年もこうやって書いている。

この五年間は、人によって受けとめ方はかなり違ってこよう。
皆が同じように受けとめることこそ、おかしい。

もう五年経つのか……、
そう思う人もいれば、まだ五年間なのか、という人もいる。

五年のながさも、人によって違う──、
こんなことを思いつつ書いていると、ある人のことを思い浮べる。

この春に亡くなっている。
音楽好き、オーディオ好きと知られている人であったけれど、
私の目には、菅野沖彦マニアとして映っていた。

菅野沖彦マニアであったからこその、
音楽好き、オーディオ好きであったようにも思えてならない。

ほんとうのところはわからない。
本人もわからなかったのではないだろうか。

菅野沖彦マニアだった人にとっての五年間は、どれだけのながさだったのだろうか。

Date: 10月 13th, 2022
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2022年)

四年が経った。
一年前に、三年が経った、
二年前には、二年が経った、と、
三年前には、一年が経った、と書いている。

ここまで書いて、来年(2023年)の1月で、このブログも終るのだから、
「五年が経った」と書くことはないのに気づいた。

私がステレオサウンドにいたころ、つまり1980年代なのだが、
菅野先生は何度か「若さはバカさ」といわれていた。

最近、この菅野先生のことばを思い出す。
「若さはバカさ」ならば、「バカさは若さ」ではないのか、と続けて思うようになった。

Date: 10月 4th, 2022
Cate: 菅野沖彦

Sugano 90(その2)

菅野先生生誕90年だから、たぶん無理なのはわかっていても、
つい期待したくなるのが、菅野先生録音のルドルフ・フィルクシュニーの再発である。

1983年に、菅野先生にとって初のデジタル録音で、
フィルクシュニーの来日にあわせて石橋メモリアルホールで収録されている。

レーベルは、オーディオ・ラボではなく、スガノ・ディスクだった。
マイクロフォンには三研製が使われた。
レコーダーは、ソニーのBVU200Bである。

Uマチックの器材だ。
マスターテープがきちんと保管されていたとしても、
きちんとした再生は器材の関係でかなり難しい。

それでもマスターテープが残っていて、
器材の条件が揃えば、MQAで再発してほしい、と思う。

Date: 9月 27th, 2022
Cate: 菅野沖彦

Sugano 90(その1)

今日(9月27日)は、菅野先生の誕生日だ。
グレン・グールドと二日違いの誕生日で、グールドと同じ1932年生れである。

このことを以前、菅野先生に話したことがある。
菅野先生も、このことに特別な親近感、つながりを感じている──、
そういったことを話してくださった。

グールドも菅野先生も天秤座である。
占星術ではバランス感覚に優れる星座である。

占星術をまったく信じない人もいるだろうが、
グールドと菅野先生、どちらもバランス感覚に優れた人であり、
そのバランス感覚は、いわゆるちまちましたバランス感覚ではなく、
一方に大きく振り切ったら、その反対にも大きく振り切ることのできるバランス感覚である。

そんなこと、私だってできる──、
そんなことをいう人は、往々にして一方に振り切ることはできても、
その反対方向に振り切れるわけではなかったりする。

本人は反対方向に振り切っているつもりであっても、
最初に振り切った方向とたいして違わないところでの振り切りであったりする。

正しく反対方向を見定めることができなければ、
ここでいうバランス感覚をもつことはできない。

Date: 10月 13th, 2021
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2021年)

三年が経った。
一年前に、二年が経った、と、
二年前には、一年が経った、と書いている。

二年前には、
短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない──、と書いた。

一年前には、
インターナショナルオーディオショウの前身、輸入オーディオショウは、
菅野先生の提案から始まっている。

いまでは、そのことを知らないオーディオ関係者も多いことだろう──、と書いた。

この一年は──、
何を書こうかと、少し考えた。
いくつかのことが浮んできたけれど、結局、これを書くことにした。

別項で書いている「不遜な人たちがいる」である。
不遜な人たちが目立つようになってきた、と感じている。

菅野先生の不在が、不遜な人たちの野放しにつながっている。
もう誰も、そんな人たちに何かをいうことをしなくなったのではないか。

ここでいうところの不遜な人たちは、いわばクライアントである。
メーカーの人間である。だからだろう……。

Date: 9月 28th, 2021
Cate: 菅野沖彦

9月27日(ひっかかっていること)

菅野先生の誕生日に関することで、ひっかかっていることが一つある。
ステレオサウンド 206号(2018年春号)の特集。
97ページに、こうある。
     *
たとえば『ザ・ダイアローグ』。猪俣猛(ドラムス)が、荒川康男(ベース)や増田一郎(ヴィブラフォン)、西条考之介(テナーサックス)など、7人のミュージシャンと楽器で対話する楽しいアルバムで、77年11月、菅野沖彦先生46歳のとき、イイノホールでの収録だ。
     *
菅野先生は、何度も書いているように1932年9月27日生れだ。
1977年11月の時点では、1977-1932で45歳である。

黛 健司氏の文章だ。

黛氏のミスなのか。
多くの人はそう捉えるだろう。

それにしても編集部は、誰一人として、菅野先生の誕生日を知らなかったのか。
文章校正で誰も気づかなかったのは、そのためなのか。

でも、ほんとうにそうなのだろうか、と私は思う。
黛氏は原稿で45歳と、間違わずに書かれていたのかもしれない。
それを編集部が勘違いで46歳としてしまった──。

そんなことまずありえないだろう、と多くの人はいうだろうが、
私は後者の可能性を捨て切れずにいるのは、
黛 健司氏の誕生日も9月27日だからである。

それに1932年9月は、長島先生、山中先生の誕生月でもある。

私には、黛氏が1932年と1931年を取り違えていたとはどうしても思えないのだ。

Date: 9月 27th, 2021
Cate: 菅野沖彦

9月27日

1932年9月27日は、菅野先生の誕生日である。

菅野先生の80代の音、90代の音というのを想像してしまう。
どんな音を出されたのだろうか。

2008年だったか。
菅野先生が「痴呆症になった時の音に興味がある」といわれた。
老人性痴呆症になったときに、自分はどういう音を出すのか。
それにいちばん興味がある、ということだった。

それは空(カラ)になった音なのだろうか、といまは思う。
オーディオの勉強をして、いろんな音を聴いて、
いろんな工夫をして音を出していく。

そういう行為を、何十年も重ねていけば、
経験が、知識が、ノウハウが、その人のなかに積み上っていく。

だから「音は人なり」なのか、というと、
実のところ、そういったものすべてを捨て去って、
つまり空っぽになって出てくる音こそが、ほんとうの「音は人なり」なのではないか。

ここ数年、そう考えるようになってきたし、
菅野先生がいわれたことを思い出している。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2020年)

二年が経った。
一年前に、一年が経った、と書き出した。

短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた──、と書いた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない──、とも書いた。

それからさらに一年である。
一年前にはコロナ禍はなかった。
オーディオショウが、ほぼすべて中止になった。

インターナショナルオーディオショウも、である。
インターナショナルオーディオショウの前身、輸入オーディオショウは、
菅野先生の提案から始まっている。

いまでは、そのことを知らないオーディオ関係者も多いことだろう。

来年の10月13日には、三年が経った、との書き出しで、なにかを書くだろう。
四年が経った、五年が経った……、と書いていくはずだ。

Date: 1月 31st, 2020
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(味も人なり、か・その2)

私は、同世代の友人と二人で、その吉祥寺の中華屋に行った。
夜からしかやっていない店だった。

二人ともお酒は飲まないから、チャーハンだけを注文した。
(その1)で書いているように、味は最高だった。

店のオヤジは、痩せていて無愛想だった。
でも、そんなことは気になるほどのことではなく、
二人で、チャーハンの美味しさに驚いていた。

店を出てからも、美味しかったな、と話すぐらいだった。

菅野先生が「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれたのをきいて、
まず思ったのは、店が汚いからなのか、だった。

(その1)で書いているが、確かに汚い。
カウンターで食べていたけれど、小さなゴキブリが一匹這っていた。

でも、汚い店だということは事前に伝えてあった。
菅野先生は奥さまとお嬢さまと三人で行かれた。

菅野先生もお酒は飲まれない。
家族三人で行って、チャーハンが目的とはいえ、
チャーハンだけというのは失礼だ、と思い、ほかの料理も注文されたそうだ。

にもかかわらずオヤジの機嫌を損ねてしまった、ときいた。
おそらく、われわれがお酒をのまなかったからだろう、と菅野先生はいわれた。

汚い店である。
場末の中華屋という感じの店である。

けれど店主は、きちんとした中華料理店という意識なのだろう、
そこに家族三人で行って、お酒を頼まずに料理だけ、というのが、
機嫌をそこねた理由なのだろう、とのことだった。

それでも料理に手を抜かれたわけではなく、
チャーハンは絶品だった、といわれた。
また食べたいけれど、もう二度と行きたくない、とも。

Date: 11月 21st, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉

18日に出たのはわかっていながら、書店に寄ったのは今日だった。
菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」を買った。

最初は買うつもりはなかった。
選集だから、というのが理由だ。
この選集に載っているレコード演奏家訪問が掲載された号は持っている。

それを読めばいい──、
そんなふうに思っていたところがあった。

でも書店で手にしてパラパラめくっているうちに、
こみあげてくるものを感じていた。

おそらく菅野先生と会われた方はみなそうではないのか。
亡くなられて一年が経つ。

この本を手にして、ふたたびそのことを強く意識していた。
もう菅野先生とは会えない、どうやってもあえない。
そう感じない人がいると思えない。

菅野先生と話す機会のあった人、
幸運にも菅野先生のリスニングルームで音を聴かれた人、
その人たちは、この本を手にして何かを感じているはず、と信じている。

選集だから、初めて見る・読む記事は一本もない。
それでも、こうやって一冊にまとまっていると、
菅野先生の存在と不在を、強く感じざるをえない。

これまでも菅野先生について触れてきている。
これからもそうである。

それでも書いていることよりも書いていなことの方が多い。
これから書いていくこともあれば、書かないこともある。

誰か親しい人と、菅野先生について語ることがあれば、その時は話すかもしれないが、
そういうことは書かない。

そしてあれはどういう意味だったのか、と思い出すこともある。

「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」は、よい本だ。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦著作集(できることならば)

1989年春、朝日ジャーナル増刊として「手塚治虫の世界」が出た。
手塚治虫は1989年2月9日に亡くなっているから二ヵ月ほどで出ている。

短期間で編集されたとは思えないほど素敵な本である。
いまも手離さずに持っている。

菅野沖彦著作集だけでなく、
「手塚治虫の世界」のような「菅野沖彦の世界」を出してほしい、と思う。

Date: 11月 15th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦著作集

菅野沖彦著作集」が、ステレオサウンドから11月18日に発売になる。
あわせて、「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」も出る。

「菅野沖彦著作集」はステレオサウンドのウェブサイトをみればわかるように、
今回は上巻であり、下巻の発売も予定されている。

せっかくの著作集なのだから、
ステレオサウンドに掲載された内容だけでなく、
スイングジャーナルに掲載されたものも読みたい、と思う人は多いはずだ。

スイングジャーナル社がいまもあれば、
スイングジャーナル版菅野沖彦著作集が出るのを期待できるが、
スイングジャーナル社はすでにない。

下巻のあとに、スイングジャーナルだけでなく、
他のオーディオ雑誌、レコード雑誌に書かれた文章をおさめた著作集を出してほしい。

菅野先生の本が、こうやって出るのはいいことだと思う。
それでも、こうやって一冊の本にまとめられて、
それを手にして読むことで、いまのステレオサウンドをはじめ、
オーディオ界からなくなってしまったものに、読み手は気づくのではないだろうか。

すべての読み手が気づくとは思っていないが、少なからぬ人たちが気づくであろう。
この読み手のなかには、ステレオサウンドだけでなく、
オーディオ雑誌の編集者、それにオーディオ評論家と呼ばれている人も含まれる。

気づく人はどれだけいるのか、何に気づくのか。
それがはっきりとしてくるのは、どのくらい経ってからなのだろうか。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2019年)

一年が経った。
短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない。

今日は、とあるところにデッカのデコラを聴きに行っていた。
予定では昨日(12日)だったが、台風による今日になった。

偶然によって、10月13日に、デコラをじっくりと聴けた。
じっくりと聴いたのは、今回が初めてである。

項をあらためて、デコラについては書くつもりだが、
いろいろなことを考えさせられた。

だからこそこの一年、
何が変ったのか、とよけいに考えてしまう。

Date: 6月 23rd, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その6)

五味康祐という存在がなかったら、
ステレオサウンドは創刊されていなかっただろうし、
創刊されていたとしても、ずいぶん違ったものになっていたはずだ。

ステレオサウンドを創刊した原田勲氏にとっての五味先生の存在、
そこを無視してステレオサウンドは語れない。

五味先生が、ステレオサウンドの精神的支柱だった──、
と以前書いた。

そのことによって、ステレオサウンドにはストーリーをベースにしていた──、
ストーリーの共有、もっといえばストーリーによる対話が、
つくり手(オーディオ評論家、編集者)と読者とのあいだにあった。

私はそう感じていた。
だからこそ、ある時期までのステレオサウンドはおもしろかったし、
毎号わくわくしながら読んでいた。

それは、いつのころからか薄れていった。
稀薄になっていった。
そして菅野先生の死によって、
完全にステレオサウンドに、そのことを期待できなくなった(少なくとも私にとっては)。

ステレオサウンド 210号、211号の黛さんの文章は、
そのことを語っているとも、私は受け止めている。

Date: 6月 10th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その5)

昨晩の(その4)の最後に、
その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、と書いた。

ここで「気持」という単語を使ったのは、なんとなくだった。
なんとなくだったけれど、翌朝(つまり今日)になって気づいた。

ここでの「気持」は、川崎先生がいわれる「いのち・きもち・かたち」であることに。
ステレオサウンド 210号と211号に載った「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅」は、
黛さんの「かたち」である。