Archive for category 菅野沖彦

Date: 4月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その16)

(その14)で引用した保柳健氏の発言に、
菅野先生はこう返されている。
     *
菅野 自信というか、自信を意識しない、自分なりにこうありたいという、むしろ願望でしょう。
保柳 私は主観を怖れるというか、いや、片寄りを怖れるんですね。
菅野 客観、主観の問題ですけれど、これは今までに古今東西で論じられていますが、私の考えでは、一人の人間が、自分以外の宇宙になり切れない。客観というものは主観に比べると弱いもので、それこそ存在理由が弱い。主観というのは悪い意味で使われることが多いんです。主観を主張するときは、ある普遍性を持った主観であるかないかが問題になるわけで、結果的には一番重要な問題になってきます。立派な作品が残っている作家は、皆、強烈な主観を持つが故に強烈な個性を持つといえます。それがまた、洋の東西を問わず普遍性を持っています。主観というのは、ある優れたレベルに達したときは、必ず普遍性を持つものでしょう。
保柳 ある意味では、あなたは非常に非常に衝動的に動けるんです。だから、作るものが短期間にできる。ところが、こちらは、ネッチリ型で、録音すると、その瞬間こわくて出せないときがある。これには客観的なものがないわけです。
菅野 それでいて、人が録音すると、それはいい、あまり考えないでやった方がなんておっしゃる。今でも覚えているのでずか、清水高師のヴァイオリンのレコード。どうも私は気になって仕方がなかった。あの時、あなたは、そんなことないといってね。
保柳 それは私の中にないものが、あなたの中にあって、それが燃えるのは、私にとって全く素晴らしいことなのです。
菅野 だから私の中にもいやだとおもうことはあるのです。つまり、そこまで無我夢中というわけでもないんですよ、私は。
保柳 でもね、私にとっては、菅野さんみたいな行き方は羨しいと思いますよ。飛行機のレコードのことになりますが、あんなにたくさん出たわけです。一番最初に何を見たか、録音日を見ました。全部最近になって、一日か二日で録音しているんです。これはね、感性豊かな人間がパッとやるんなら認めるんです。そうじゃなくて思いつきが行動と短絡している。これは大事なことだと思うんですが、あなたの場合、時に瞬間的にやられるにしても、バックが長いんですよ。ピアノなら、ピアノに対するバックが長いわけです。
菅野 仕事というものは、そういうものですね。それが一分の仕事であっても、四十何才と何ヵ月の一分ですから。
     *
このあとに(その11)で引用した対話に続いていくわけだが、
「そこで聴いた音」とは、「そこで聴きたい音」でもある。
そして(その10)での青山ホールについてのことにつながっていく。

「そこで鳴っている音」を録ろうとした青山ホールでの録音は、だから失敗している、といえよう。
「そこで聴いた音」、「そこで聴きたい音」を録るのであれば、
青山ホールでの録音はうまくいくのであろう。

Date: 4月 19th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その15)

菅野先生と保柳健氏との対談、
「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」を読み返しているわけだが、
ほんとうにおもしろい、と思って読んでいるところだ。

40年前の記事である。
当時も、興味深い記事だとは感じていたが、
すんなり理解できていたわけではなかった。

読みながら、いろんなところがひっかかってくるんだけれど、
だから何度か読み返しもした。
それでもすんなりと理解はできなかった。

理解するには時間が必要だ、ということだけはわかった。

40年経つと、よくわかる。
そういうことだったのか、とも頷ける。

こんなことを書くと、また嫌味なことを……、と思われるだろうが、
それでも書いておく。

いまのステレオサウンドに載っている記事で、
40年後(そこまでいかなくてもいいが)に読み返して、
古さを感じさせないどころか、ほんとうにおもしろいと思えるのがあるのか。

もっといえば40年後に読み返す人が、はたしているだろうか。

その意味で、40年後に読み返させて、しかもおもしろいと読み手に思わせる人こそが、
オーディオ評論家(職能家)であり、
それ以外のオーディオ評論家は、オーディオ評論家(商売屋)でしかない。

「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」から、もうすこし引用していきたい。

Date: 4月 17th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その14)

私は「THE DIALOGUE」での音量の基準はドラムスで決めている。
それもドラムスの実際の音量というよりも、
エネルギーの再現ということでボリュウム位置を決めていることは、
以前「Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その2)」で書いているとおりだ。

私はそれが正しいと思っているし、自信をもってやっている。
けれどベースの音を基準として、音量を考える(設定する)人にとっては、
そうとうに大きな音量と受け止められるであろうし、
大きすぎるというより間違った音量ととらえられるかもしれない。

おそらく「THE DIALOGUE」を鳴らしている人のなかには、
ベースを基準に音量を決めている人もいるはずだ。

再生側の、全体の音量設定ひとつでも、こういう違いがある。
録音では、楽器ごとに音量を変えることも可能だ。
違いは、多岐にわたり大きい。

保柳健氏は、こう発言されている。
     *
保柳 まず、そこにある音が基準となる。あなたがいうように、ベースが実際にはほとんど聴こえない状態だったら、ブーストするでしょう。それは、あくまでもその場の雰囲気を伝えるためのブーストであって、どちらというと従ですね。つまり、主観的にブーストするとなると、音楽に絶対の自信を持っていないとできない。
     *
菅野録音におけるブーストは、だから主観的なブーストである。
ここでの主観的の「主」は、客観的に対しての「主」でもあり、
従に対しての主でもある。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その13)

菅野先生がピアニストを目指されたことは、
古くからの読み手であればご存知のはず。
ピアニストへの途を諦められたり理由についても書かれている。

ここに関係してくる発言が、ステレオサウンド 47号にある。
     *
菅野 そうですね。私はできれば一次表現をしたいんですが、自分の仕事は一次表現をする仕事ではない。一次表現をする演奏家が厳然として存在するわけです。そこで録音を通じての橋渡しをする。いってみれば、「録音再生」という二次表現かもしれません。その時、私は聴き手の代表である。
     *
この菅野先生の発言に対して、保柳健氏は「そこが違うんです」と返されている。
「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」を読めばわかることだが、
録音という仕事をされているふたりであっても、その立場、考えかたは、
共通するところもありながらも、大きく違うところもある。

どちらが録音家として優れているのか、
すぐに優劣をつけたがる人がオーディオマニアのなかには少なからずいるが、
そういう次元のことではなく、録音はたんなる記録ではないし、
録音家もたんなる記録係ではない、ということだ。

菅野先生はつづけてこう発言されている。
     *
菅野 そこで演奏されるものを、自分でこう聴いたということを盛りこんで、たとえば、よくいわれることですけど、ジャズの、大きなホールでの演奏会も盛んになっちゃって、楽器のPAが進んでしまったから、ちょっとピンと来ないかもしれないんですが、ジャズの演奏の場合、本来ならウッドベースの音は非常に小さいわけです。もし、ステージで、ピーターソンでもエバンスでも、ピアノ・トリオの演奏を忠実に捉えるならば、当然そこで鳴っている音量バランスが基準になって、見謹慎具されるわけですね。ところが、私の場合は全くそうではなくて、ピアノ、ベース、ドラムスを対等の音量でとってこないと、もし自分が、ピアニスト、ベーシスト、ドラマーを率いてプロデュースするとしたら、聴衆に聴かせないと思うのが対等の音量で響かせることだから、自分の考える録音表現にならないわけです。
     *
このことは「THE DIALOGUE」もそうだ。
一曲目のドラムスとベースとの対話での、両者の音量は対等だ。
本来ならば、ベースがあれほどの音量で鳴るわけがない。

だからベースで、音出しの音量を決めてしまうと、
かなり低い再生音量になってしまう。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その12)

実は、この奇妙なピアノの録音については、別項「耳はふたつある(その4)」で触れている。

そこに、マイクロフォンが水平にセッティングされていなかったのかもしれない、と書いた。
(その11)へのコメントが、facebookにあった。
奇妙なピアノの録音も、
その人の判断でマイクロフォンをセッティングしたのだろうから、
その人が「そこで聴いた音」を録音したのであろう、と。

そういう見方もできるが、それだけとは思わない。
奇妙なピアノの録音をした人が、マイクロフォンを水平にしていたのかどうかはわからないが、
生録の現場で水平ではなく、無頓着に斜めにしていた人は、
そこでの音を聴いていない人のはずだ。

つまり機械にまかせっきりにしていた人であり、
そういう録音である。

奇妙なワンポイント録音をした人も、
ワンポイント録音だから、いい音でとれる、という思い込み、
それに使っている器材が優秀なモノだから、という思い込み、
つまりまかせっきりの録音の可能性が高い。

録音の場にいて、録音をしているのに、
聴いていないなんてことはありえない、と思う人もいるだろうが、
たとえば写真や動画でも、撮るのに夢中で見ていなかった、という例はある。

撮っているのだから、見ているはず。
そうであるはずなのに、撮るのに夢中で……という人は、
ほんとうに記憶していない。

記録はしていても記憶はしていない。
奇妙なワンポイント録音をした人も、そうではないのか。
録音という記憶はしていても、記憶していない。
記憶していない、ということは、聴いていない。

そして「そこで鳴っている音」には、
もっと突っ込んだ意味も含まれている。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その11)

菅野先生は何を録ってられたのか。
これもステレオサウンド 47号からの引用だ。
     *
菅野 最近考えていることの一つなんですが、録音というのは、そこで鳴っているのをとるのと、そこで聴いた音をとるのとあるんですね。
保柳 なるほど。
菅野 非常にオーバーラップしてもいますが、これは違う姿勢である。自分の場合を考えてみると、「そこで聴いた音」をとるわけです。
保柳 ははあ。
菅野 というより、録音する人間は、所詮「そこで聴いた音」しかとれないんだという考えなんですね。「そこで鳴っている音」をとるというのは、非常に物理的でありまして、つまり一時いわれたように、機械が進歩すれば、生の音が再現できるという考え方から生まれてくるのではないかと思います。
保柳 うん。
菅野 録音場と再生音場の差ということがよくいわれるでしょう。まあ、これはコンサートホールにしても、スタジオにしても家庭の部屋とは非常に違う。レコード音楽というものは、原則として過程で聴くものであって、そのような二つの音場を考えたときに、すでにそこには動かし難い録音再生の特質が存在するという事実がありますよね。その点から考えてみても、二つの音場の差をよく知った耳で、技術的には、そこで聴いた音をとると、こういうように考えるわけです。
     *
「そこで聴いた音」と「そこで鳴っている音」。
オーディオマニアには、ワンポイント録音こそ最高の録音手法である、
そう思い込んでいる人がいる。

数年前、あるところで、そういう人が録音したピアノを聴いた。
なんとも奇妙な音がした。

聴かせてくれた人(録音した人ではない)によると、
ワンポイント録音だそうだ。
しかもオーディオマニアによる録音だったし、
録音の結果にも満足している、とのこと。

録音した人のことを知っているわけではない。
だけど、録音されたピアノの奇妙な音を聴いていると、
「そこで鳴っている音」をとろうとしての失敗だったように思うのだ。

Date: 2月 1st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その10)

(その9)での引用の続きを書き写しおく。
     *
保柳 実をいうと、菅野氏録音をですね、最近ちょっとやってみたのですけれど自分の音じゃないと思うんです。
菅野 そうでしょう。だからそこを聞きたい。
保柳 オーケストラを、LPで13枚作らされたわけです。オーケストラは変る、ホールは変る。ところが、シリーズとして出すんだから、一つの統一された音色がなければならない。私のやり方だと普通はそうじゃないわけです。そのホールとオーケストラのムードを出さなければならないわけです。たとえば、その使ったホールが、聴いた人にイメージアップするようなホールを使っていこうとするわけです。この13枚が一つのシリーズとなって出てくるんですね。再生される音は同じじゃなきゃ困るわけです。そのため、全部オンマイクになっているわけです。気分的に落ち着かないですよ。名古屋、東京、埼玉でとったのですが、それを同じ音にしていく。自分でいつも使っている反対の手法でいくわけです。非常に落ち着かなかった。しようがないので、実をいうと、最後の整音段階で、自分のイメージの中にある、一番きれいなホールをイメージアップする。好きな席に坐って聴いたその音を頭の中に入れておいて、全部その音に統一していくというやり方をするわけです。
菅野 私には、そのホールの響きを計るなど、そんな考えは頭からないんです。今思い出したのですが、私は盛んに青山タワーホールを使う。あれまでは、誰も使いませんでした。使うことを決めたときも、ずいぶんと反対意見が出ました。マイクロフォンのためには、あのホールを利用できるのです。ホールの響きをとったわけじゃない。つまり利用して、ある程度、自分の意図通りに成功したわけです。それから、あのホールがやたらと使われはじめた。そして、中には、実に変な録音があるんです。つまり、あのホールの音をとろうとして、アプローチしたのは全部失敗しているのですよ。
保柳 そうでしょうね。あのホールは、決していい音のホールではない。そこなんだな。あるホールでは、リサイタルを仕方がなくとったことはあるが、決して録音のために使おうという気はしないですね。
菅野 だから、あのホールでとったものは、中には非常に成功したものもありますが、失敗したものも多いですね。もし私と同じようなアプローチでいけば、あのホールも使えますよ。
     *
40年前に読んだときも、上に引用した箇所は強く印象に残っている。
40年前はまだ高一だった。
音楽の録音をやったことはなかった。
録音の基礎的な知識を、文字だけで知っていたころであっても、
この箇所は大事なところだな、と思っていた。

菅野先生の《ホールの響きをとったわけじゃない》と、
ピアノ録音におけるマイクロフォンの向きとが、
同じことを語っているように感じられる。

Date: 1月 31st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その9)

江崎友淑氏の話は、曲と曲とのあいだだけだったから、
トータルしてもそれほど長くはなかった。
正直もっと話を聞きたいと思うほど、興味深い内容だった。

ピアノ録音についての話があった。
これは初めて聞くことだった。

どんな人でも、アマチュアであろうとプロフェッショナルであろうと、
ピアノを録音しようとした際、マイクロフォンの正面をピアノに向ける。

マイクロフォンの高さや角度、ピアノとの距離などは人によって違ってきても、
ピアノに向けずに、という人はいないだろう。

江崎友淑氏が菅野先生とピアノ録音をやったとき、
マイクロフォンのセッティングは江崎友淑氏がやられた。
その時、菅野先生が「こういうセッティングはどうだろう」とやられたのは、
マイクロフォンの正面をピアノではなく床に向けてのセッティングだった。

ピアノ録音については、ステレオサウンド 47号「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」で、
保柳健氏と対談をされている中でも語られている。
     *
保柳 あなたのピアノのとり方を見ていると、確かに私なんかより、ずっとピアノに接近しているのですね。いつだったか、それこそ、深町純のピアノをいろいろな形でとってもらった。全体に私より、イメージがアップなんてす。あの場合スタジオでしたから、まわりの雰囲気というのは全くないわけです。
菅野 雰囲気でしょ、あなたは。そこが違うんです。私は雰囲気ではないんです。響きのよいホールでは、スタジオよりマイクロフォンを遠くへ置きます。それは雰囲気をとるためじゃないのです。それは、そういう音をとるためなのです。良いソノリティを持った複雑な成分、間接の成分を持ったホールの場合には、雰囲気ではなくて、そのようなホールで鳴っているピアノの音を、そうした方が良い音になるから、そうする。決して雰囲気のためではない。あなたをホールへ導きますよとか、こういうホールで鳴っているんですよと伝えるために、やっているのではないのです。だからスタジオへ行くと、全然楽器の響きを助けないわけです。無駄ですからね。むしろ、楽器そのものの音をとろうと、アップになります。
     *
この対談は47号だけでなく、48号、49号の三回連載であり、濃い内容だ。
40年前、ステレオサウンドは、こういう記事をつくっていたのだ。

この対談からは、もう少しばかり引用していく。

Date: 1月 28th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その8)

オーディオラボでの録音で菅野先生が使われていたテープデッキは、
スカリーの280Bである。

オーディオラボのレコードジャケット裏には、使用録音器材についての記載があった。
そこにもスカリーは書いてあったし、
ステレオサウンド 41号の特集「世界の一流品」で、菅野先生は280Bについて書かれている。

38号、60号で菅野先生のリスニングルームが載っている。
そのどちらにも280Bはある。

スカリーのテープデッキについては、菅野先生から聞いていることがあった。
スカリーのデッキで録音したテープは、
スカリーのデッキで再生しないと冴えない音になってしまうそうだ。

他社製のテープデッキでも、多少そういうところはあるが、
スカリーは特に顕著で、他社のテープデッキで再生したら、がっかりする、らしい。

そのことを江崎友淑氏も、オーディオラボの復刻にあたっての苦労話のひとつとして話された。
まずマスターテープを探すことから始まった。
保管場所は判明したものの、
今度はそこに辿りつくまでがほんとうに苦労した、とのこと。

そのへんの詳細は、3月発売のステレオサウンドの記事でも紹介されるのではないだろうか。
やっと手にしたマスターテープであったものの、聴いてみると、冴えない音で、
これでは復刻は無理だ、と思わざるをえなかった、と。

そのことを菅野先生に話したところ、
「それはそうだよ、スカリーのデッキで録音したのだから、スカリーで再生しないと」
といわれ、それからスカリーのテープデッキ探しが始まる。

日本のレコード会社ではスチューダーやアンペックスの方がよく使われていた。
スカリーは、この二社ほどは有名な存在ではない。
最終的にはキングレコードの倉庫に眠っていた、とのこと。

長らく使われていなかったスカリーの整備に数ヵ月。
そうやって再生できたマスターテープの音は、
先週録音したばかり、といわれても、そう信じてしまうくらいに、新鮮な音が鳴ってきた、と。

Date: 1月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その7)

そこでの音はともかくとして、江崎友淑氏の話はほんとうにおもしろかった。
そのひとつを、別項「オーディオの楽しみ方(つくる・その17)」で書いた。

江崎友淑氏は菅野録音のことを「かっこいい録音」と表現されていた。
菅野録音はかっこいい音である。
そうである。

バランスがとれていて、洗練されていて──、
その「かっこいい音」を具体的に説明していくとなると、意外に難しい。

私が思うに菅野録音のかっこいいは、野性味にあるように感じている。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
スレッショルドのStasis 3の音について《もうちょっと野性味みたいなものがほしい》といわれている。
「THE DIALOGUE」を鳴らしての発言である。

野性味があからさまに出てきてしまっては、それはもうかっこいい音とはいえない。
けれど野性味の感じられない音で鳴ってしまった菅野録音からは、かっこいいは感じとりにくくなる。

この野性味も、結局はバランスなのだろう。
バランスではあっても、野性味は本質に関ってくることである。

そういう本質を持っていない人が鳴らせば、菅野録音からは野性味は消えてしまう。
そういう本質を持っていない人が、オーディオラボの菅野録音をマスタリングしていたら、
つまらない音のディスクになっていたはずだ。

現在オクタヴィアレコードから発売されているCD/SACDは、そうではない。

「菅野録音の神髄」が開場する前に、
菅野先生が江崎友淑氏の手をとって、
「君と出逢えてほんとうによかった」といわれたときいている。

Date: 1月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その6)

その4)、(その5)で引用したMC2500、Stasis 1での「THE DIALOGUE」の音の印象は、
ポジティヴな評価であり、「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」にはそうではない音の印象もある。

100機種ほどのアンプの総テストだけに、そうではない音の印象のほうが多い。
それらをここで引用はしないが、よく鳴ったときの音の印象、そうでないときの音のい印象、
自分「THE DIALOGUE」を真剣に鳴らしてみると、
どちらの意見も「たしかにそうだ」と感じられる。

それは「THE DIALOGUE」のCD/SACDのハイブリッド盤でも、まったく変らない。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」ではアナログディスク。
つまりは江崎友淑氏によるマスタリングは、
オーディオラボ時代の音の印象そのままが継承されている、ということでもある。

菅野録音の本質を理解されているからこその、出来であることは、
「THE DIALOGUE」の一枚を聴いただけでもはっきりとわかることだ。

今回の「菅野録音の神髄」での音は、その意味で江崎友淑氏の音ではない、といえる。
アキュフェーズのプレーヤーとコントロールアンプとクリーン電源、
B&Oのスピーカーシステム、
それにそれぞれのスタッフ。
杉並区の中央図書館のスタッフ。

今回の音は、誰による音なのか、とおもう。
そういえばステレオサウンドの編集長の染谷氏も来られていた。

染谷氏による今回の音だったのか。
そのへんははっきりとしないが、「THE DIALOGUE」にかぎらず、
他のディスクでも、音に関してはあきらかに足りないものがあった。

曲と曲とのあいだの江崎友淑氏の話は、来てよかった、といえる内容だっただけに、
足りないものが、はっきりとしてくる感じでもあった。

江崎友淑氏は、菅野先生のことばを引用されて、こういわれた。
「録音は、再生に始まり再生に終る」

そうである。
けれど、このことばが、より重みを増すために必要な音、
つまり再生がなされていたとはいえなかった。

Date: 1月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その5)

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」では、
スレッショルドのパワーアンプは三機種取り上げられている。
Stasis 3、Stasis 2、Stasis 1である。

Stasis 3では、菅野先生はこういわれている。
     *
それから「ダイアローグ」も、全体に落ち着いた、力がないということではないんてずが、おとなしい雰囲気で鳴らしてくれます。
     *
この発言のあとに柳沢、上杉両氏の発言があり、最後のほうでは、こうもいわれている。
     *
 いや、ぼくももうちょっと野性味みたいなものがほしいと思います。「ダイアローグ」でちょっと不満をいったのは、実はその点なんですね。決して物足りないとか、弱々しいというんではないんですが、やはり音の鳴り方が端正なんでしょうね。
     *
Stasis 3は760,000円だった。その上のStasis 2(1,138,000円)となると、
「ダイアローグ」の鳴り方は
《明らかにステイシス3よりも力強くたくましく鳴ってくれました。スリリングという店ではこちらの方がグーッときましたね》
と変化している。

Stasis 1は、モノーラル仕様で3,580,000円していた。
Stasis 2の三倍である。
しかも出力はどちらも200Wである。

けれど菅野先生の「ダイアローグ」について印象は、
Stasis 3、Stasis 2とは別格であることを感じさせてくれた。
     *
「ダイアローグ」はソリッドな音で、ドラムスの音なんていうのはものすごく詰っていて、何かそこから飛び出してくるんではないかと思えるほど緻密な音が聴けました。ブラシでタンバリンを叩いた音が空間にサーッと抜ける情景などは、音が見えるような感じです。
     *
これを読んだときは《何かそこから飛び出してくるんではないかと思えるほど》の音で、
「THE DIALOGUE」を聴いていたわけではなかった。

その感じは、アナログディスクからCD、SACDとなっても、確実に残っている。
うまく鳴ったときは、何かが飛び出してくるような、
それゆえにスリリングな感じがいっそう増してくるところがある。

他にも「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」からは、
「THE DIALOGUE」についてまだまだ引用したいところはあるが、
このくらいにしておこう。

Date: 1月 19th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その4)

「THE DIALOGUE」を、菅野先生のリスニングルームで聴いた経験は、ない。
いちど聴きたい、と思ってきた。
でも聴くチャンスはなかった。

「THE DIALOGUE」を聴かせてほしい、とお願いしてれば聴かせてくれた、と思うけれど、
なんとなく言い出せなかった。

そんな私にとっての「THE DIALOGUE」の鳴り方のひとつのリファレンスは、
熊本のオーディオ店で瀬川先生が4343で鳴らされた音である。
「THE DIALOGUE」を初めて聴いたのが、そのままリファレンスとなっている。

そのうえで、1981年夏に出た「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」を読んだ。
この総テストで使われている試聴ディスクは、
シェリングとヘブラーによるベートーヴェンのヴァイオリンソナタ、
シルビア・シャシュのドラマティックオペラアリア集からベルリーニの「ノルマ」、
そして「THE DIALOGUE」の三枚である。

試聴メンバーは上杉佳郎、菅野沖彦、柳沢功力の三氏で、
試聴記は鼎談形式である。

試聴ディスクが三枚ということもあって、
具体的なことがけっこう述べられている。
「THE DIALOGUE」についても、特にそうだといえる。
菅野先生は、「THE DIALOGUE」の鳴り方について、ほとんどのアンプで語られている。

読みながら、こんなにもアンプによって鳴り方が変化するのか、と、
当時興味深く読むとともに、
「THE DIALOGUE」はどういう鳴り方をするものなのかを、
くり返し読むことで頭のなかで構築していった。

たとえばマッキントッシュのMC2500のところでは、こう語られている。
     *
 確かにいわれたように、コントロールアンプのボリュウム設定、つまりコンスタントなレベル設定をした場合に、パワーに余裕があるために他のアンプと桁違いにダイナミックレンジは広いですから、ピークが悠然と出てくるわけで、音楽の躍動感の次元が違ってきてしまうわけです。特に「ダイアローグ」を聴いたときの躍動感は、他のアンプと比べて1桁も2桁も違うという感じですね。
     *
これはどういうことかというと、柳沢氏が冒頭で語られている。
     *
 全体的な印象としては、まず圧倒的な音量感を特徴として挙げます。もちろんアンプはデカイ音を出せばデカイ音が出て、小さい音を出せば小さい音が出るのですけども、たとえば最初の「ヴァイオリン・ソナタ」で、ある音量を設定しておいて、それに見合う音量にして「ダイアローグ」をかけるわけです。ところが、その音量感が他のアンプと全然違うんですね。「ダイアローグ」のときは、今まで他のアンプで聴いていた「ヴァイオリン・ソナタ」との比率が比べものにならないくらい音量感が増してきて、ボリュウムを間違って上げすぎたかなという感じがするくらい、ダイナミックレンジの大きさを出してくれたんです。
     *
これは喫茶茶会記でのaudio wednesdayで鳴らしても感じていることだ。
audio wednesdayではアンプは固定だが、
チューニングをしていくと、あきらかにそう感じる。
音量感が増して聴こえるのだ。

Date: 1月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その3)

「5 Saxophones」、「SIDE by SIDE 2.」、「THE DIALOGUE」、
この三枚のディスクがかけられるであろうことは、
オーディオラボの録音を全部とはいわないまでも、
けっこうな枚数を聴いてきた人ならば、予想できていたはずだ。

「THE DIALOGUE」、
何が残念だったのかといえば、その音以前に、ボリュウム操作だった。
SACDプレーヤーのPLAYボタンを押してからの操作であった。

もう音が鳴り始めてからボリュウムを上げていては、
このディスクの一曲目の「ベースとの対話」においては、なおさらである。

なぜ、この曲だけ、そんな鳴らし方だったのか、といまも残念に思う。

今回の講演は「菅野録音の神髄」であって、
「菅野録音の神髄を聴く」ではない。
だから、それほど音に期待していたわけではない。

ただ、こうして書いているのは、音量設定も、その操作も含めての音であるからだ。

優に百回以上は聴いている「ベースとの対話」。
どういう音が鳴ってくるのか、熟知しているといえるにも関らず、
この「ベースとの対話」がうまく鳴った時の出だしの音のインパクトの強烈さ。

その音が鳴ってくるとわかっているにもかかわらず、ドキッとする。スリリングである。
なのに音が鳴り始めてからボリュウムを上げていては、
「THE DIALOGUE」を聴いていないのか、と問いたくなる。
(ボリュウムを含めての操作は江崎友淑氏がやられていたわけではない。)

かけなおしてもいいじゃないか、と思っていた。
ボリュウムをあげてからPLAYボタンを押すようにして、もう一度かければいいのに……。

でも残念なことに、そのまま最後まで鳴っていた。

江崎友淑氏の話の中に、曲を最後まで聴くことの大切さがあった。
最後まで聴く、ということは最初から聴く、ということである。

そこが忘れられた「THE DIALOGUE」だった。

Date: 1月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その2)

菅野先生は挨拶をされて、すぐに楽屋にひっこまれた。

それからアキュフェーズと B&Oのスタッフによる器材の説明があって、
「菅野録音の神髄」が始まる。

最初にかけられたのは「5 Saxophones」だった。
この曲だろうな、と思っていた。
菅野先生のリスニングルームでも、「5 Saxophones」だったからだ。
もちろんSACDである。

それから「SIDE by SIDE 2.」、
そして「THE DIALOGUE」、
最後にアナログディスクで、宮沢明子によるモーツァルトのピアノ協奏曲だった。

四枚のディスクのあいだに江崎友淑氏の話があった。

「5 Saxophones」は菅野先生のところで 何度も聴いている。
その音が、私のなかではリファレンスとなっている。
なにも、菅野先生のリスニングルームで鳴っていた音のままで、
「5 Saxophones」が鳴るとは思っていない。

けれど、そうとうに違う。
録音の優秀さは伝わってきても、「5 Saxophones」の楽しさは、残念ながら伝わってこなかった。
音量も低めだな、と思っていた。

菅野先生は、けっこうな音量で鳴らされていた。
その音量も、私にとっては基準のひとつになっている。

「SIDE by SIDE 2.」のピアノはよかった。
いちばん残念だったのが「THE DIALOGUE」だった。