菅野沖彦氏のこと(ベートーヴェン観・その2)
6月4日のaudio wednesdayで、ジョージ・セル指揮ウィーン・フィルハーモニーによるベートーヴェンの「エグモント」をかけた。
長島先生が、よく試聴レコードとして鳴らされていたし、CDが登場して数年経ったころ、
音楽之友社が独自にCD化したこともある。
そのころ、名盤と言われていても、なかなかCDにならないアルバムがけっこうあった。
音楽之友社は、そういったアルバムを限定で復刻していた。
セルの「エグモント」の解説は、黒田先生が書かれていたと記憶している。
もちろん、この時、セルの「エグモント」のCDは買った。今回鳴らした「エグモント」は、タワーレコードが独自復刻したもの。
セルの「エグモント」ということは言わずにかけた。かけ終ってから、セルだ、と伝えたところ、
曲名検索アプリのShazamでは、モントゥーと表示される、と言われた。
Shazamも間違えることもあるんだ、ぐらいで受け止めていた。
audio wednesdayを終え帰宅したのは日付が変ったころ。
「エグモント」の件が気になって、モントゥーの演奏を検索する。
序曲だけだから、長いわけではないから、これ一曲、聴いてから寝よう。
そんなふうに書き始めた。
「エグモント」を聴き終って、ベートーヴェンの交響曲第三番も、冒頭だけ聴いてみよう、と思った。
最後まで聴いていた。
菅野先生は、コリン・デイヴィスのベートーヴェンの「序曲集」も高く評価されていた。
録音だけでなく、まさしくベートーヴェンだ、と、その演奏も高く評価されていたし、
児玉麻里/ケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲についてもそうだった。
モントゥーのベートーヴェンについて、菅野先生と話しておけばよかった……、とおもっても遅すぎる。