Archive for 5月, 2013

Date: 5月 31st, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その2)

JBLのハークネス(Harkness)といえば、
横型のバックロードホーンエンクロージュアC40の愛称(通称)であり、
ユニット構成にはD130を一本おさめた使い方から、
D130をベースに高域の拡張をはかるか、
D130のウーファー版130Aをベースとした2ウェイでいくかで、
正式な型番は変ってくる。

JBLのSpeaker System Component Chartによれば、
130Aと175DLH(もしくはLE175DLH)の組合せ(ネットワークはN1200)は001、
D130と075の組合せ(ネットワークはN2400)は030であり、
C40のエンクロージュアにおさめた状態では、
130A + LE175DLHではD40001となり、D130 + 075ではD40030となる。

JBLのSpeaker System Component Chartには、D130 + LE175DLHという組合せはない。
私のところにもうじきやって来るHarknessには、
おそらく、というか、ほぼ間違いなくD130が入っている。
高域用は075ではなくLE175DLHだと思われる。

そして、このHarknessは、JBLの輸入元であった山水電気が日本に最初に輸入した「Harkness」である。
岩崎千明の「Harkness」である。

Date: 5月 31st, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その1)

人はいくつものスピーカーを鳴らすのか。

終のスピーカーがあれば、初のスピーカー(それとも始のスピーカーか)もある。
最初から、理想とするスピーカー、憧れのスピーカーを鳴らせる人もいることにいるだろう。
けれど、多くの人が、私もそうだったように、最初から理想や憧れのスピーカーという人はいない。

アンプやカートリッジを交換したり、使いこなしにあれこれ苦労しながら、
そのスピーカーを鳴らしていく。
ある時期がきたら、次のスピーカーに移ることもある。
長いつき合いのスピーカーもあれば短いつき合いのスピーカーもある。

スピーカーを手離す理由も、必ずしも次のステップとは限らない。
人にはいえぬ事情で手離すことだってある。

このスピーカーと添い遂げよう、とかたく決心していたとしても、
次の日に、スピーカーを買い替えることだってある。

終のスピーカーとは、だから言い切れないのがオーディオである。

にも関わらず、もうじき私のところにやって来るスピーカーは、終のスピーカーである。
いま住んでいるところから10kmも離れていないところに取りに行けば、
そのスピーカーは私のところにやって来る。

ほんとうはそのスピーカーが届いてから、これを書くつもりだった。
でも、はやる気持を、もう抑えられない。
だからこれを書いている。

「オーディオ彷徨」が復刊された日でもあるのだから。

Date: 5月 30th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(序・続き)

ほぼ1年前に書いた「終のスピーカー(序)」。
この1年間は待ち遠しかった。
夢に出てきたこともある。
私にとっての「終のスピーカー」が、もうじきやってくる。
「終のスピーカー」ついて書ける日がやってくる。

Date: 5月 30th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その8)

おそらくイギリスで復刻したとしても、LS3/5B的なことになってしまうだろう。

それはそれでいいことだとも思うのだが、私が欲しいのはLS3/5Aである。
だから、今回の中国による復刻を高く評価しているし、
ここまでできるか、という気持よりも、このことに関しては日本よりも上なのでは? と、
一時期はオーディオ大国といわれた日本なのに、翳りがみえているというだけでなく、
あきらかに中国、台湾といった後発の国に対して、
負けを認めなければならないことが出てこようとしている──、
そのことに対する「気持」のほうが強い。

たしかに日本はオーディオ大国だった。
オーディオ機器を、自社及び子会社・関連会社内だけで製造できるメーカーとなると、
その多くが日本のメーカーであった。

アンプであれば抵抗やコンデンサーといった受動素子、
トランジスター、FET、OPアンプなどの能動素子すべてをつくれるメーカーは、海外には少ない。

いま非常に高価なアンプやスピーカーを製造している海外のメーカーでも、
トランジスターを自社で開発することはできない。
日本のメーカーは、そういったことを当り前のようにやっていた。

このことが、優れたオーディオ機器をつくり出せることに直結しているかどうかは判断の難しい面もある。
それでも、いまふり返ってみて、日本人として生れ、
日本で育ち日本でオーディオをやっているひとりの人間として、
日本のオーディオ、日本のオーディオメーカーに対して、もっと誇りを持つべきだった──、
といまにしておもっている。

反省を込めて書いているわけだが、
私がいたころのステレオサウンド(1980年代のステレオサウンド)は、
日本のオーディオに対して厳しかった面がある。
それは期待ゆえの厳しさも含まれていたし、納得できるところもあったにしても、
バランスを欠いていた、といえなくもない。

それに、あの頃は、いまの状況はまったく予測できなかった……。

Date: 5月 30th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その7)

LS3/5Aは欠点を少なからずもつスピーカーシステムであり、
その欠点をうまく補うように鳴らすことで、
このスピーカーでしか味わえない世界をつくり出してくれる、ともいえる。

LS3/5A以降、小型で優秀なスピーカーはいくつか登場してきた。
ここにスピーカーの進歩を感じるとともに、
スピーカーの面白さと難しさも同時に感じてしまう。
LS3/5Aは、好きな人にとっては、これほどハマるスピーカーは、他にあまりない。
だから、いまでも中古市場で人気があるのだろう。

ときどきLS3/5Aをそのままスケールアップしたスピーカーが出ないものか、と思うことだってある。
あのサイズだからこその魅力、ということも重々わかっていても、
それでも求めてしまうのは、ないものねだりでしかないのだが……。

LS3/5Aは日本市場にけっこうな数が入ってきているから、
中古を探すのはさほど大変なことではないものの、
誰が使ったのか(鳴らしたのか)が、不明なスピーカーは個人的には手に入れたいとは思わない。
できるかぎりスピーカーシステムは新品か、
すでに手に入らなくなったスピーカーシステムであれば、
誰が鳴らしていたのかがはっきりしていてほしい。

そんな私だから、LS3/5Aの復刻のニュースは嬉しかった。
中国製だから、というネガティヴな感情はなかった。

B110のベクストレン製のコーンの表面に塗布されたダンプ材にしても、
T27の周囲に貼られている厚手のフェルトにしても、
サランネット固定用のベルクロテープ(マジックテープ)にしても、
当時のLS3/5Aの質感そのものと思わせる。

どうして、ここまでコピーできるか、と思うとともに、
日本も以前はコピーの国だといわれていたけれど、
果して、これだけ見事なコピーをつくれるのだろうか、ともおもう。

もし日本で復刻することになったら、LS3/5B的なモノになったかもしれない。

Date: 5月 29th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その6)

SMEのトーンアームのラテラルバランスの調整がうまく行われていない例が、
意外にも多いことはずっと以前からいわれていたことである。

瀬川先生はSMEのラテラルバランスの調整について、何度か書かれている。
SMEにしても、1980年に復活させた3012-R Specialでラテラルバランスの調整機構を見直し、
オリジナルの3012のラテラルバランス調整とは異り、スムーズで精度の高い調整が行なえるようになっている。

私が最初に自分のモノとしたSMEのトーンアームは、その3012-R Specialだったから、
特にラテラルバランスの調整を面倒なものとは感じなかった。
その後、オリジナルの3012のラテラルバランスをみて、
これだと調整は面倒かも、と思ったものの、
型番の末尾にRが付くようになっからのモデルでは、
ラテラルバランスの調整は、一度身体感覚として身につけてしまえば、面倒なことではなくなっている。

3012-R Specialは復刻モデルではなく、はっきりとした改良モデルであり、
このラテラルバランスの調整機構の他にも、ゼロバランスをとるためのメインウェイとの移動も、
後端のノブを回すヘリコイド式にするなど、使い勝手がよくなっている(調整がやりやすくなっている)。

こういった改良点は、どういうい意味をもつのか、
そしてユニバーサル・トーンアームの代名詞のように語られるSMEのトーンアーム、
そしてオーディオ機器の「調整」のことについて、もう少し考えていきたい。

Date: 5月 29th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その5)

SMEのトーンアームのラテラルバランスの調整にしても、
プレーヤーの水平が出ていれば音にさほど影響はない、という人がいるわけだから、
マッキントッシュのMC275の出力管KT88の差し替えによる音の違いなんて、
KT88の製造メーカーが同じならば、そんなものは気のせい、と片づけてしまう人もいておかしくない。

結局、こういう「調整」は、音の違いがわからない人には、やる意味のないことになる。
けれど、そこには微妙な差異がある。
そこに気づくか気づかないのか、そこに違いがある。

気づいてしまうと、調整をすることになる。
最初は気がつきにくいことだってあるだろう。
それでも、多くの人が調整が必要といっていることには、それだけの意味がある。

気がつこうともせず、気がつかないままに、
ラテラルバランスをやる必要はない、と思い込んでしまうのも、その人次第であり、その人の自由でもある。

そういう人に対して、ラテラルバランスをとったほうがいいですよ、とはもういわないようにしている。
本人が気がつかないかぎり、すこしでも調整の必要性があるのか、と思わないかぎり、
他人の声は届かないのだから。

でも、そういう人にひとつだけいいたいのは、
だからといって、SMEのラテラルバランスはとる必要がない、などと、いわないでもらいたい。
それだけである。

Date: 5月 29th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏のこと・その3)

長岡鉄男氏の考え方の基本は(すくなくとも1978年の時点では)、
こうである。

スピーカーの振動板、カートリッジの振動系などの、
いわゆる動く部分に関しては丈夫で軽い方がいい。
これらの振動系を支える部分、
スピーカーではスピーカーユニットのフレーム、
カートリッジではカートリッジ本体のボディなどは丈夫で重い方がいい。

とはいってもカートリッジ自体はトーンアームの先端に取り付けられていて、
カートリッジ本体もまた、トーンアームからみれば動く部分であるから、
カートリッジをむやみに重くするわけにもいかない。
つまり、ここにトータルバランスの考え方が出てくる、というものである。

別冊FMfan 17号の記事はアナログプレーヤーに関することだから、
トーンアーム、プレーヤーのベース、ターンテーブルプラッターなどについても長岡鉄男氏は触れられているが、
そこでもトータルバランスということが出てくる。

そして、こうも書かれている。
     *
アームは動くものだが、これを支えるサポート回り、ベース、キャビネットは丈夫で重くなければならないし、理想的には無限大の重さがほしいが、ある程度の重さがあれば、それ以上は少々重くしても、トータルの音質に変化はないというところまでくる。
     *
長岡鉄男氏の求められいてる音の世界に賛同できるどうかは別として、
別冊FMfan 17号に書かれていることは、反論しようとは思わない。

だから、よけいに、その数年後の長岡鉄男氏の行動、
スピーカーユニットやアンプのツマミの重さを量られたことに対して、
トータルバランスは、どこにいってしまったのか、と思ってしまう。

そして「オーディオA級ライセンス」に「重量は、筆者の製品選びの最重要ポイント」と書かれていたということ、
これについても、どういう変化が長岡鉄男氏にあったのだろうか、
もしくはどういう考えがあってのことなのか、と思うわけだ。

Date: 5月 28th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏のこと・その2)

別冊FMfan 17号の記事を、長岡鉄男氏はこんな書き出しで始められている。
     *
プレイヤー・システムについての考え方も、プレイヤーそのものも、この十年間あまり変わってはいない。基本的には、動くものは丈夫で軽く、それを支えるものは丈夫で重く、そしてトータルバランスを重視するということである。
     *
これが1978年のことである。

facebookでのコメントには、こうあった。
     *
氏の著書『オーディオA級ライセンス』には「重量は、筆者の製品選びの最重要ポイント」と記述されていたことを申し添えます。
     *
「オーディオA級ライセンス」が出ていたことは私だって知っている。
読んだことはない。いつ出たのかは知らないけれど、1978年よりも後のことのはずだ。

読んでいないし持ってもいないから「重量は、筆者の製品選びの最重要ポイント」の前後の文章は不明である。
だから、この「重量は、筆者の製品選びの最重要ポイント」に絞って、書いていく。

1978年の時点でも、重量を重視されていたことはわかる。
けれど「トータルバランスを重視する」とつけ加えられている。
「オーディオA級ライセンス」では、この点についてはどう書かれているのであろうか。

1978年の長岡鉄男氏は、2ページ見開きの記事の中に「トータルバランス」を四回使われている。

Date: 5月 28th, 2013
Cate: 「オーディオ」考

「音は変らない」を考えてみる(その7)

音は一時たりとも静止しはしない。
つねに表情を変えている。
その表情の変化を、いいスピーカーならば敏感に音として感じさせてくれる。

ほんのわずかな表情の差に、はっとすることだってある。
案外、こういうところに音楽の美は隠れていることだってある。

結局、そういう音の表情の違い、差を明瞭に聴き分けようとしている人ならば、
明瞭に、そういう音の表彰の違い、差がスピーカーから出てくるようにシステム全体をチューニングしていく。

そういう過程でケーブルを変えてみたり、インシュレーターなどのアクセサリーを試してみたり、
そんなこまごまとしたことをやっては、その音の違いに気づいていく。

すべてはスピーカーから少しでも表情豊かな音を出したいがため、ともいえよう。

システムの「顔」といえる音を支配しているのは、スピーカーであり、
「顔」を変えるにはスピーカーを替えるしかないとも、いおうとおもえばいえなくもない。
だからといって、スピーカーを替えない限り、音は変らないわけではない。

くり返しになるけれど、音の表情の豊かさを求める人にとっては、音は変っている。
そのことに気づくわけであり、「顔」は変らないから……、と決めつけている人の耳には、
表情の違い、差は届いていないのか、届いていたとしても感知していないのかもしれない。

はじめのころは、そんな人のシステムも音の違いを出していたであろう。
けれど、そのシステムの持主は、表情に目(耳)を向けることなく、
単なる「顔」の美醜・容姿しか聴かないのであれば、いつしかそのシステムの音も表情の乏しい音になっていく……。

「音は人なり」であるのだから。
「顔」もまた一瞬たりとも静止しはしないのだから。

Date: 5月 27th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏のこと・その1)

「598のスピーカーという存在」で長岡鉄男氏がスピーカーユニットの重さを量られていたことについて書いた。
私は、長岡鉄男氏のこの行為を、長岡鉄男氏なりのアイロニーでありギャグである、と解釈している。
そのことも書いている。

ここであえてこんなことを書いているのは、
私が「アイロニーでありギャグであり」と解釈したのは、
あくまでもスピーカーユニットやアンプのツマミの重さを量ったことについて、であり、
長岡鉄男氏の、これ以外の活動についてのことではない、ということである。

私は重さを量ることをそう捉えたわけだが、
私以外の人は、そんなことはない、と思われる方もいるだろうと予想はしていた。
facebookグループの「audio sharing」で、そのことについてコメントをいくつかもらった。
(twitterでは間接的に意見をもらった。)

読み返事を書いた。それに対して、また書き込みがあった。
その方とは面識はないけれど、私よりも少し年上の方だと思う。
といっても世代が違うほどの歳の差ではなく、同年代といえなくもない(はず)。

その方は、熱心な長岡鉄男氏の読者であり、かなりの量を読まれているようである。
一方の私はというと、長岡鉄男氏の著書は一冊も持っていないし、
かなりの数の著書がでていることは知っていても、あくまでも知っているというところにとどまっている。

ここ数日、オーディオ雑誌の整理を集中して行っている。
別冊FMfanの17号が出てきた。
1978年3月に発行された17号の特集は長岡鉄男氏によるカートリッジのテスト。
これと連動する形で、巻頭記事には「マイ・プレイヤーを語る」というタイトルがつけられ、
江川三郎、大木恵嗣、高城重躬、山中敬三、瀬川冬樹、飯島徹、長岡鉄男、石田善之、
八氏の愛用されているアナログプレーヤーが紹介されている。

ここでの私の興味は、当然瀬川先生と山中先生にあったわけで、
他の方々の記事は読んでいなかった。
でも、今回のこともあったので、長岡鉄男氏の「マイ・プレイヤーを語る」を読んでみた。

「?」と思うことが出てきて、いまこれを書いている。

Date: 5月 27th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その3)

今日、一冊の本がゆうパックで届いた。
金曜日の夜おそく、日本の古本屋というサイトを通して注文した本である。

1975年に出た本で、「ヴァイオリン」という。著者は無量塔藏六(むらたぞうろく)氏。
岩波新書(青版)921である。
すでに絶版になっている。

この本を知ったのも、ソニーのSS-G7の広告である。
中島平太郎氏が椅子に腰かけている写真とともに中島氏による文章が載っている。
このパターンで、SS-G7の広告はいくつかある。
それだけこのころのソニーにとってSS-G7の存在は、自信作であり大きかったのだろう。
私が見た、そのうちのひとつに「ヴァイオリン」のことが書かれてあった。

そういえば、この広告、読んだ記憶がある。
本が紹介されていたことだけはなんとなく憶えていて、
当時、読もうと思っていたのに、いつしか忘れてしまっていた。

もうずいぶん忘れていたわけだ。
それを金曜日に、ある作業をしていて、偶然、SS-G7の、その広告を見つけ注文した次第である。

あの頃の広告には、ときどきではあったけれど、こんなふうに本やレコードについて書かれていることもあった。
例えばパイオニアのExclusiveの広告で、
ガーシュインの自演ピアノロールによるラプソディ・イン・ブルーのレコードのこともを知った。

マゼールとクリーヴランド管弦楽団による、この録音は1976年に行われている。
ガーシュインは1937年に世を去っているから、残されたピアノロールとの共演による。

広告で自社製品の良さをアピールするのは当然であっても、
こんなふうに本やレコードもいっしょに紹介されていると、ずいぶん印象も変るし、
なにより記憶に残る。少なくとも私はそうだ。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その4)

マランツの管球式パワーアンプで出力管(EL34)を交換したら、
ACバランス、DCバランスとともに出力管それぞれのバイアスの調整が必要となる。

マッキントッシュの管球式パワーアンプで出力管(MC275ならばKT88)を交換しても、
ACバランス、DCバランス、出力管のバイアスの調整は不必要である。
なのだが、私は五味先生の、この文章をおもいだす。
     *
 もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
 挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
 思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
 だが違う。
 倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
     *
KT88を買ってきて差し替えれば、MC275は何の問題もなく動作する。
けれど音が、それまでとまったく同じかというと、そんなことはありえない。

音が変らなければ、五味先生だってKT88を必要な本数(四本)だけ購入すればすむ。
なのにその四倍の本数を買ってきて、差し替えては音を聴かれていたわけだ。

十六本のKT88の中から四本を選び音を聴くわけだが、
同じ四本でも、どのKT88をLチャンネルの上側にもってきて、どれをペアにするのか。
Rチャンネルの上側にはどれを選ぶのか。そしてペアにするのはどのKT88なのか。

十六本のKT88の組合せの数を計算してみたらいい。
その音を聴いて判断していく作業──、これも「調整」である。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その3)

マランツの管球式パワーアンプには、出力管のバイアス調整用の半固定抵抗があり、
そのためのメーターもつけられている。
Model 2では出力管のバイアスだけでなく、ACバランス、DCバランスの調整用にメーターの切替スイッチがあり、
メーターのまわりに三つの半固定抵抗用のシャフトが配置されている。
スイッチを切り替え、メーターの針の振れを見ながら、
マイナスドライバーで半固定抵抗をまわしていく。

この設計方針を親切という人もいれば、
なまじメーターで簡単にバイアス、ACバランス、DCバランスが確認できるだけに、
神経質になってしまい、常に調整したくなる……。
だから、ないほうが精神衛生上はいい、とおもう人もいる。

マッキントッシュの管球式パワーアンプは、というと、
別格的存在のMC3500の除けば、MC30、MC60、MC225、MC240、MC275のどれにもメーターはついていない。
MC30とMC60はハムバランサーがついているが、それ以降のモデルはハムバランサーも省かれている。

出力管のバイアス調整もACバランス、DCバランスの調整機構もない。
マランツの管球式パワーアンプ同様、固定バイアスのプッシュプルという回路構成にも関わらず、
マッキントッシュのアンプ(MC3500を除く)には、ユーザーに調整させることを要求していない。

これはマッキントッシュ独自のユニティカップルド回路ということも関係しているが、
それだけではなく、マッキントッシュとマランツというふたつの会社の、
アンプという製品にたいする考え方の違いによるものが大きいといえよう。

だからといって、いわゆる「調整」が、
マッキントッシュの管球式パワーアンプではまったくいらないといえるわけではない。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その2)

SMEのトーンアームをつかっている人すべてが、ラテラルバランスをしっかりとっているとは限らない。
ラテラルバランスなんて、プレーヤー自体の水平がとれていれば音には関係ない、という人がいる、
SMEのトーンアームはラテラルバランスをしっかりとらなければならない、という人もいる。

どちらが正しいことをいっているのだろうか、と思う人もいることだろう。

私は、SMEのトーンアーム(ナイフエッジのモノ)はラテラルバランスをとる必要がある、とする。

ラテラルバランスの調整の必要性に疑問を持っている人は、
あえてラテラルバランスを大きく崩した状態にして、その音を聴いてみればいい。

あまり音が変らない、ほとんど変らない、まったくといっていいほど音は変らない、
というのであれば、それはラテラルバランスの調整が不必要ということではなく、
その人にとって、ラテラルバランスの調整以前に調整しなければならないことがいくつもある、
ということである。

つまりほかの部分の調整不備、システム全体がうまく鳴っていないため、
ラテラルバランスによる音の差がはっきりと音として現れていないということである。
まず、このことを自覚すべきである。