audio wednesday (next decade) – 第七夜を終えて(その5)
8月の会でやったことは、ごくごく基本的セッティングの実例のいくつかだ。
こんなことを、あえてやったのは、どんなことでもそうなのだが、
長年やってきて慣れてしまったことだと、
知らず知らずのうちに、やっていることの精度が微妙にズレてしまうことがあるからだ。
このことに本人は気づきにくい。
しっかりとふりかえらないと、微妙にズレた精度を元に戻すことはできない。
8月の会でやったことは、ごくごく基本的セッティングの実例のいくつかだ。
こんなことを、あえてやったのは、どんなことでもそうなのだが、
長年やってきて慣れてしまったことだと、
知らず知らずのうちに、やっていることの精度が微妙にズレてしまうことがあるからだ。
このことに本人は気づきにくい。
しっかりとふりかえらないと、微妙にズレた精度を元に戻すことはできない。
今日はインターナショナルオーディオショウに行けなかった。
明日も、無理っぽいので、昨日の五時間ほどの印象て書いている。
今年は、満員で入らなかったブースがいくつかあった。
ヤマハがそうだった。
ノアもそうだった。
その他にも入らないわけではなかったけど、
実質、入れなかったといえるブースもいくつかあった。
そのことに文句をつけたいわけではなく、
活況でいいことだと思っている。
例年通り、意気込みのまったく感じられないブースはいくつかあったけれど、
全体的には去年よりも雰囲気が良くなっているように感じた。
すべてのブースを回ったわけではなくない。
私がまわった中で好印象だったのは、ナスペックだ。
今年からaudio wednesdayで、音を鳴らしている。
ベートーヴェンの音楽を、わりとかけている。
四谷三丁目の喫茶茶会記でやっていた時も、
ベートーヴェンはかけていたけれど、回数としては少なかった。
だからこそ2020年12月、
喫茶茶会記での最後の会では、ベートーヴェンのみにした。
今年は、私としては割とベートーヴェンをかけている。
ベートーヴェンをきく、ということだけでなく、
ベートーヴェンを誰かときく、ということ、
ベートーヴェンを誰かと一緒にきく、ということ、
ベートーヴェンを誰かにきいてもらう、ということ、
このことが、私にとってどういう意味を持つようになるのか。
毎日ではないものの、月に数回連続して、
このブログに不正ログインしようとしている人が現れる。
以前も時々そんなことがあったけれど、それほど多くはなかった。
けれど昨年から、かなり増えてきている。
今年もけっこう多い。ここ数日続いている。
不正ログインしようとしている人の目的がなんのかはわからないが、
なんとなく想像はつく。
おそらく、こんなことを書いても、やる人はこれからもやるのだろう。
(一応書いておく、IPアドレスはすべて記録されている)
20代のころからずっと見続けている夢がある。年に数回見ている。
夢の中である場所に行こうとしている。
そこへはいくつかの道がある。けれどどの道を通っても、近くまでは行くことはできても、
その場所(目的地)へは一度もたどり着けなかった。
夢の中での話だが、その場所は、坂の下にある実際にある場所である。
今月の二日未明にも、そこへ行く夢を見ていた。
そこへ降りる階段、
それがなぜか鉄パイプの梯子であり、ひどく華奢で手摺をしっかりと握っても降りるのが困難だった。
なんという階段なんだろう……、と実感したことだけが記憶に残っている。
降りている途中で、なぜか違う場面に変ってしまった。
また今回もたどり着けなかった。
いつものことだから、くやしいとか残念という気持はない。
いつものことだと目が覚めて思っていた。
三日未明にも、そこへ行こうとしている夢をみた。
20代のころから見ている夢だから、もう30年近く見ているけれど、連続してみるのは初めてのことだった。
どの道を通ったのかは、不思議なことに憶えていない。
けれど、いままでそこへたどり着けなかったのがウソのようにすんなり行けた。
ただ着いただけでなく、予期せぬことも夢の中であった。
私が夢の中でずっと行こうとしていた場所とは、14歳のころと関係している。
きわめてプライヴェートなことだから、これ以上は書かないけれど、
ご想像におまかせするし、そういう場所である。
こんな夢をみて、その日なにをおもっていたのかというと、
結局のところ、私という人間は、13、14のころにであったもの・ことから離れずに生きていた、ということだった。
13の秋に「五味オーディオ教室」を読んだ。
14のときに……(想像におまかせします)。
起きているときはオーディオのことばかり、
夢のなかでは、その場所のこと。
13の秋から一年のあいだのことを忘れたくないのだろう、おそらく……。
オーディオをやっているかぎり、その場所のことも忘れない気がする。
9月1日は、防災の日と制定されている。
20数年前、いきつけだったラーメン店で隣にすわっていた人から、
当時のことをきいたことがある。
直下型の地震を体験したことがなかったから、
いきなり下から突き上げてくる強い衝撃に何が起っているのかすぐには理解できず、
驚き、何もできなかった、ということだった。
その記憶も薄れがちになりはじめた2011年に、
関東大震災のような直下型の衝撃とは違っていたものの、
それまで体験したことのなかった、想像もしていなかった強い衝撃を、東京でも受けていた。
身の危険は感じなかったこともあるけれど、
「地震だ! そうとうに強い地震だ……」と思うだけで何かができたわけではなかった。
ただ、揺れがおさまるのを待つしかできなかった。
揺れの後に、今度は視覚的な強い衝撃をうけることになった。
目が、次々と表示される映像に釘づけになってしまっていた。
思っていた──、何ができるんだろうか。
馬鹿げたことを……、と思われそうだが、
この日、この時間に、非常に大規模な地震が発生し、原発の事故も起ることを前以て知っていたとしても、
何かができただろうか。
非現実的なことだが、それこそタイムスリップできたとして、何ができるのだろうか。
その時間の一時間前に戻れたとして、なにができるか。
せいぜいtwitterやfacebookやブログなどで、地震が来る、と訴えることしかできない。
だが、それを誰が信じてくれるだろうか。
誰も信じない、ならば何もできなかったのと同じことである。
その日の一週間前に戻れたら、もう少し時間の余裕はある。
けれど、結果は同じことにいきつく。
一ヵ月前ならば……、一年前ならば……。
けれど結果は同じになったはず。
未来に何が起るか知っていても、何もできないことがある。
無力を実感するだけのこともある。
つまり何かをできるということは、何が起るのかまったくわからないからではないのだろうか。