Archive for 12月, 2016

Date: 12月 31st, 2016
Cate: デザイン, 書く

2016年の最後に

2015年の最後に書いたのは「2015年の最後に」だった。
「2015年の最後に」が6000本目だった。

ちょうど一年が経ち、「2016年の最後に」を書いている。
7004本目である。
7000本目はベートーヴェンの「第九」について書いたものである。

どうにか一年で1000本を書くことができた。
書いている過程で、「2015年の最後に」で書いたことを何度か思い出していた。

どれだけ書けただろうか、とふり返りたくなるが、
明日になれば7005本目を書く。

Date: 12月 31st, 2016
Cate: ラック

ラックのこと(その14)

20年ほど前に、増永眼鏡からanti gravityのメガネが登場した。
川崎先生のデザインである。

anti gravityを見た時から、ずっと考えていた。
この発想はオーディオに応用できるはずだ、と。

ただ漠然と考えていた。
どこに応用できるのかも、最初は思いつかなかった。
四六時中考えていたわけではないが、
ときおり思い出して考えていた。

数年経ったころ、あっ、そうだ、と思いついた。
ラックに使えることに気づいた。

それから10数年が経っているが、
どこからもanti gravityといえる構造のラックは登場していない。

実際にどういう構造にしていくのかを考えていくと、
汎用性をどう実現するかという点で難しい面がある。

とはいえ解決できないわけでもない。
(実際に思索してみないとはっきりとはいえないけれども)

anti gravityといえるラック。
そろそろどこかから登場するのか、
それとも自分でつくるしかないのか。

Date: 12月 31st, 2016
Cate: 型番

ヤマハの型番(続々・Cの意味)

もうひとつのブログ用に、
レタッチ作業をしていて気づいた。

ヤマハの1972年当時の広告の左上には、YAMAHAのロゴがある。
その右横に、NATURAL SOUND COMPONENTとある。
プリメインアンプCA700の広告である。

やはりプリメインアンプのCA、チューナーのCT、レシーバーのCRのCは、
コンポーネント(component)のCなのだろう。

Date: 12月 31st, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その18)

オーディオの想像力の欠如から生れる浅陋、
浅陋のままつくられる商業誌は、誌面を彩っても賎陋でしかない。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その18)

《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》

ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルとしたといわれている「ジャン・クリストフ」に出てくる。

「歓喜の歌」の歓喜とは、そういうことなのか、とも思う。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: よもやま

2016年をふりかえって(その7)

今日は12月30日。
今年もあとわずかだというのに、今日一日何をしていたかというと、
3月のライオン」を一話から見ていた。
11話すべて見た。

さらに前半総集編も見ていた。

音楽はくり返し聴いても、映画やドラマはあまりくり返しはしない。
短期間でのくり返しはほとんどない。
にも関わらず「3月のライオン」は短期間でのくり返しで見た。

一本あたり約25分。
総集編をふくめて12本だから約六時間費やした。

オープニングもエンディングも飛ばさずに見た。
無駄な見方であり、無駄な時間の過ごし方ということになる。

この六時間をブログ書きに費やせば、けっこう本数書ける。
でも見ていた。
ほぼ続けて見ていた。

誰とも話すことなく独りで見た。
寂しい年末の過ごし方といえば、そうだ。

そんなことはわかったうえで見たのだ。
2016年の終りに、この作品と出あえて良かった、と思っている。

50もすぎれば時間が過ぎ去っていくのを早く感じるものとはいえ、
短いようでいて一年はやはり長い。

あれこれあるものだ。
そして感じることがある。
オーディオに限っても、いろいろあった。

だから「3月のライオン」をもう一度一気に見た。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: よもやま

2016年をふりかえって(その6)

聴く機会はないが、
サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーのダイレクトカッティング盤の登場は、
私にとっては、今年イチバンのニュースである。

アナログディスクのブームにのっかって、安易な製造をしているところもある。
アナログディスクの売行きが伸びているのはニュースで知ってはいる。
だからといって、アナログディスク・ブームとは捉えていない。

そういうところに、ベルリン・フィルハーモニーのダイレクトカッティング盤である。
どこか気概のあるレーベルが、ダイレクトカッティングに挑戦してくれないか、
と思っていた。でもそれは音楽のジャンルに関係なく小編成のものであって、
この時代にオーケストラものが、ダイレクトカッティングされるとは、まったく予想していなかった。

ダイレクトカッティング盤だから、当然限定である。
日本の割当は500セット(六枚組である)。
価格は89,000円(税抜き)。

すぐに売りきれるものだと思っていた。
欲しい、と思う人だけでなく、転売目的で買う人もいるからだ。

エソテリックが出しているSACDも、転売目的で買う人が少なくないと聞いている。
そういう時代だから、予約だけで売切れだと思っていたら、
意外にもまだ在庫が残っている。

ベルリン・フィルハーモニーのfacdbookでも、まだ買えることを伝えている。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その17)

オーディオの想像力の欠如のままで、有機的な体系化をつくり出せるだろうか。
ゆえに浅陋なのか。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その3)

小学生高学年から中学にかけてのころ、スーパーカーブームがあった。
スーパーカーという言葉は、そのころから登場したのだろうか。

いまもスーパーカーと呼ばれている。

一方オーディオは、というと、スーパーオーディオとはあまり使われない。
SACDはSuper Audio Compact Discだから、
ここにはスーパーオーディオがある。

けれどスーパーカーと同じように使われるのは、
オーディオではハイエンドオーディオである。

ハイエンドカーというのだろうかと検索してみると、
上位に表示されるのはハイエンドカーオーディオである。

ハイエンドはオーディオにかかってくる言葉なのだろうか、と苦笑いしてしまった。

私がクルマに詳しくないためだろうか、
ハイエンドカーという言葉が一般に使われているとは感じられない。

価格の高さでいえば、スーパーカーもハイエンドである。
クルマの方が、よりハイエンドであっても、
やはりスーパーカーなのだ。

なぜオーディオはスーパーオーディオではなく、
ハイエンドオーディオなのだろうか。

このことが「オーディオがオーディオになくなるとき」にも、
そして岩崎先生のリスニングルームに憧れても、
どれだけの資産があれば、これだけのリスニングルームとオーディオ機器を揃えられるのか、
と考えてしまうリスニングルームには、憧れを抱くことがないことが多いのにも、
(その1)で書いた、その人はオーディオマニアだろうか、
ということにもつながっていく直感である。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: 書く

毎日書くということ(キーボードで書くということ)

このブログは、インターネットに接続して書くわけだから、
キーボードで入力している。
私の場合、親指シフトキーボードだから、
JISキーボードでのカナ入力、ローマ字入力とは違うタイプミスがある。

読み返すことをせずに公開しているから、
後で気づいて、こっそりタイプミスや変換ミスを直している。
それでもすべてを見直しているわけではないから、
まだまだ残っているはずだ。

昨夜公開した「オプティマムレンジ考(その11)」では変換ミスがあった。
音量が音良になっていたのを、facebookでの指摘があった。

そのコメントには、指摘だけでなく、
音良量、音良幅(レンジ)、というコメントもあった。

音量が音良になった変換ミスは偶然なのだが、
音良は、確かにオプティマムレンジにつながっていくところがあるのを、
コメントを読んで感じていた。

手書きでは起らない変換ミスには、
時々ではあるが、どきっとして、考えさせられることがある。

先日も変換ミスをしたわけではないが、
音場(おんじょうと読むかおんばと読むかについては以前書いている)について、
おんじょうの音場は、音の乗算、つまり音乗といえるかもしれない、と思っていた。

Date: 12月 29th, 2016
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その11)

ダイナミックレンジのひろい録音を家庭で鳴らすことの難しさは、
40年ほど前から指摘されていることである。

周波数レンジもダイナミックレンジも広い方がいいに決っている。
生の演奏そのままを録音できるようになるのは、確かに技術の進歩である。

けれど、それは録音系の話であって、
再生系となると、必ずしもそうとはいえない。

再生系では音量設定の自由がある。
人に迷惑をかけないのであれば、どんな音量にも設定できる。

ダイナミックレンジが広すぎる録音に文句をいうのは、
満足な音量が出せないリスニングルームしかもてない者の言い分でしかない──、
という人もいるかもしれない。

でも、音量設定の自由があるから、家庭で人は音楽を聴く。
実際の演奏そのままの音量で聴ける環境であったとしても、
ひっそりとした音量で聴きたい人もいる。

広く響きの豊かな部屋で、ひっそりとした音量で鳴らすのもオーディオである。
実際の演奏よりもずっと大きな音で鳴らすのも、オーディオではあり、である。

ダイナミックレンジの広すぎる録音は、
その音量設定の自由を聴き手から奪ってしまうことにつながっていく。

その意味で、現在のプログラムソースは、バベルの塔に喩えられる。
ただし、録音と再生はわけて考える必要がある。

Date: 12月 29th, 2016
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その12)

インサイドフォースキャンセラーがついているトーンアームでは、
取り扱い説明書にゼロバランスを取る時は、
キャンセル量をゼロにすること、と書かれている。

SMEのように重りを吊り下げているモデルでは、
重りを外してゼロバランスをとるように、と書かれている。

にも関わらず、ゼロバランスをとる際に、
インサイドフォースキャンセラーの重りをそのままにしている人を見かけたことがある。

ステレオサウンドで働いていたころは、
実は私もインサイドフォースキャンセラーの重りは、いちいち外してはいなかった。

試聴という環境で、カートリッジを頻繁に交換する場合、
インサイドフォースキャンセラーの重りを外して、またつける手間は、
塵も積もれば……で、けっこうな量になる。

だから重りを指で下から持ち上げてインサイドフォースキャンセラーがかからないようにして、
ゼロバランスを調整していた。

慣れれば、これできちんとゼロバランスはとれる。
念のため、この方法でゼロバランスをとって、針圧ウェイトを調整して印可した針圧を、
針圧計で確認したことがあるが、問題なかった。

でも私が見た例は、そうではなかった。
重りをそのまま吊り下げたままだった。
ということは、他のタイプのインサイドフォースキャンセラーでも、
目盛をゼロにすることなく、ゼロバランスをとっている人がいるとみていいだろう。

CDプレーヤーは、そんなことはない。
きちんとした設置をすれば、最低レベルの底上げを果していた。

それにCDプレーヤーは安価なモノであっても、非常に高価なモノであっても、
物理特性的にもほとんど差がない。
16ビットで44.1kHzという枠が決っているからである。

音はもちろん違うが、アナログプレーヤーと比較すれば差の違いは狭い。
つまり録音された音楽の共通体験という点だけでみれば、
アナログディスク、アナログプレーヤーよりも、
CD、CDプレーヤーのほうが優れている、ということになる。

このことをさらに一歩も二歩も押し進めたのが、iPodの登場であり、
デジタルの利点をCDプレーヤー以上に、この点で活かしたともいえる。

Date: 12月 29th, 2016
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その11)

アナログディスク再生が、プログラムソースのメインであった時代は、
アナログプレーヤーに関する調整によっても、
アナログプレーヤー関連のオーディオ機器によっても、
同じレコードから得られる音は、大きく違っていた。

同じアナログプレーヤーであっても、
設置、調整する人が違えば、音はそうとうに変化する。

ベテランと自称する人ほど多いように感じるのは、
トーンアームのゼロバランスをうまくとれない人である。

私だけがそう感じているのではなく、
SNSを見ていると、同じように感じている人がいることがわかる。

カートリッジをトーンアームに装着して、まず何をするかといえば、
ゼロバランスの調整である。
ゼロバランスがきちんととれていなければ、そこから先は進めない、といえる。

にも関わらすゼロバランスがうまくとれない人が少なからずいるのは事実である。
ゼロバランスがうまくとれないことを自覚しているのであれば、
誰か確実な人に代りにとってもらえるが、
とれない人に限って、とれていると思っている節がある。

ゼロバランスが狂っていては、針圧が目盛通りには印可されない。
そういう人は針圧計を使っては、このトーンアームは針圧の目盛がおかしい、
うまく針圧がかからない、などと責任転嫁しがちである。

アナログプレーヤーに関する設置、調整については、ここではこれ以上細々したことは書かないが、
そのくらい使う人(設置、調整する人)によって、レベルが大きく違っている。

それにハードウェアも、性能に違いがある。
価格の安いモノ、高いモノ、新しいモノ、古いモノなど、実にさまざまであり、
それらが混在した状態のプレーヤーシステムもある。

そういうアナログディスク再生では、ひとりひとりが鳴らしている音の違いは、
千差万別であり、大きく違っていた。

それがデジタル(CD)の登場により、
ある最低ラインは保証されるようになった。

Date: 12月 29th, 2016
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その3)

2017年は、iPhone登場10周年にあたる。
日本でiPhoneが売られる(使える)ようになったのは、iPhone 3Gからである。

すぐにでもiPhoneにしたかったけれど、しなかったのは、
扱っていたのがソフトバンクだったからだ。

それでも何度か乗り換えようか、と考えた。
iPhone 4が出たときは、かなり心が動いたけれど、それでもしなかった。
ソフトバンクが嫌だった、という気持が、
iPhoneを使いたい、という気持よりも強かったからだ。

2011年秋登場のiPhone 4Sから、auも扱うようになった。
やっとiPhoneに機種変更できる、いままで我慢してきてよかった、と思った。

それまでの携帯電話(いわゆるガラケー)とは、まるで異っていた。
同じiOSのiPadは2010年から使っていたが、これともiPhoneは違う。

もっと早くiPhoneにしておけば……、という気持を、
その時まったく感じなかったわけではないが、我慢してきてよかった、とも思っていた。

iPhone 4Sを手に入れた日(発売初日に買った)は、
ブログを書くことも忘れて触っていた。
何時間触っていただろうか、ブログを書かなければ……、ということで触るのをやめたほどだ。

初めてiPhoneを手にしたときの感じたものに比べれば、
その後登場した新しいiPhoneに触れたときに感じたものは、小さいし少ない、といえる。

それまでのガラケーからiPhoneへの変化と、
古いiPhoneから新しいiPhoneへの変化は同じには、当然だが感じるわけではない。

だからといってiPhoneの旬が終っている、とは私は思っていない。
10年iPhone登場のころといまとでは、
iPhoneをとりまく環境も大きく変化している。

この変化が、iPhoneの在り方を変化させていてもいるわけで、
2007年のiPhoneが、iPhone単体の環境であったのに対し、
いまのiPhoneは、iPhoneをハブとする環境へ変化している。

iPhone単体だけを見て、あれこれいう時代は終っているのだ。

Date: 12月 28th, 2016
Cate: 正しいもの

正しい聴き方と自由自在な聴き方(self reliance)

マルチアンプのすすめ(その27)」で書いたことを、
もういちどここでも書いておこう。
     *
仏教学者の鈴木大拙氏は、「自由」の英訳を、
辞書に載っているfreedomやlibertyではなく、self relianceとした、ときいている。
     *
ここでいっている聴き方にかかってくる自由とは、freedomではない。
self relianceであるからこそ、そのためにも正しい聴き方を身につけたいのだ。