Archive for category ちいさな結論

Date: 11月 2nd, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(才能とは)

オーディオの才能とは、いったいどういうことなのか。
オーディオの才能の正体とは、なんなのか。

こんなことを、二十年ほど前から、ときおり考えていた。

別にオーディオの才能だけに限ったことではない。
たとえばスポーツ。
野球の才能とかサッカーの才能。

とにかく世の中には、さまざまな才能がある、ということになる。

あの人は野球の才能がある、とか、絵の才能がある、とか、
そんなことをいわれたりするけれど、
その才能そのもの正体については、ほとんど語られることはない。

それでも、○○の才能がある、という使われ方は、世の中に溢れている。

才能とは、多岐にわたるさまざまな能力(一つ一つはそう大きくはない)を、
ある目的のために統合化できる、ということだろう。

能力のネットワーク(システム)によって生み出されるものが、
才能の正体であり、
才能をのばす、ということは、そのネットワークを拡張していくということであり、
ハタチすぎればタダの人になってしまうということは、
ネットワークを維持するだけでせいいっぱいか、もしくは維持できなくなる、ということ。

オーディオの才能とは、その人が持っているいくつもの能力を、
どれだけオーディオのためにシステムとして構築できるかであり、
さまざまな変化に対応するということは、システムの再構築のはすだ。

こう考えていくと、スランプとは、再構築がうまくいっていない状態なのだろう。

Date: 10月 26th, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(44年を経て)

いまぐらいの季節になると、思い出すのは44年前のことだ。
「五味オーディオ教室」と出逢ったときのことだ。

書店で出逢ったわけではなかった。
田舎町のスーパーのなかに、小さな書籍コーナーがあった。
そこに「五味オーディオ教室」があった。

一冊だけあった。
手にして、パラパラとページをめくって、買っていた。
これだ! とおもった日のことだから、いまもはっきりと憶えている。

その日の記憶が鮮明のままだから、
44年が、つい最近のように感じられることもある。

けれど、44年は確実に経っている。
傍からみれば、道を踏み外したヤツ、ということになる。

そうだろうな、と自分でもおもうことはある。
母は、教師になってほしかった、といっていた。
父が中学で英語を教えていたから、
それまでは中学の理解の先生になりたい、とおもっていた。

「五味オーディオ教室」と出逢って、道を踏み外したのだろうか、
それとも、やっと途を見つけたのだろうか。
どちらなのかはわからないものだろう。

「五味オーディオ教室」からの44年。
いろいろあった。

「五味オーディオ教室」から得たものは、
オーディオの力を信じることだ。

オーディオの力を信じているから出せる音がある。

Date: 7月 28th, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その3)

美しく聴く、ということは、
自分と和する心をもつことなのだろう。

Date: 7月 5th, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その2)

美しい音を聴くためには、美しく聴く、ということが求められている。
その1)に、そう書いた。

コーネッタを鳴らして、そのことをあらためて実感するだけでなく、
私が五味先生の残されたものから学んだ最大のことは、このことだ。

Date: 11月 9th, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(オーディオとは?)

オーディオを説明する。
誰かに説明する。オーディオに関心のない人に対して説明する場合、
どんなふうにオーディオを説明するのか。

録音から再生までを説明し、トータルの系をオーディオとするのか。
録音された音楽を聴くシステムとして、オーディオを説明するのか。
そのためのさまざまな機器の集合体としてのオーディオとするのか。

説明する人によっても、説明をきく人がどういう人によっても、
そこでのオーディオについての説明は、おおまかなところでもこまかなところでも違ってこよう。

オーディオとは、いったいなんなのか。

私のちいさな結論としてのオーディオは、エネルギーである。
オーディオそのものが、
そしてオーディオにとりまくすべてをひっくるめて、ひとつのエネルギー体のように感じる。

だからオーディオマニアとは、そのエネルギーの一部になるということでもある。

Date: 5月 15th, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その1)

美しい音を聴きたい、とおもっている。
美しい音を聴くためには、美しく聴く、ということが求められている。

美しく聴く、とはどういうことなのか。
このことを自らに問いつづけなくてはならない。

Date: 5月 8th, 2019
Cate: ちいさな結論

評論(ちいさな結論)

いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(「音は人なり」の「音」とは)

これまでの人生で得たものによる「音」なのか、
失ってきたものによる「音」なのか、
得たものと失ってきたものとが均衡している「音」なのか。

Date: 9月 20th, 2018
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(「音は人なり」とは)

毒をもって毒を制す。

オーディオ機器ひとつひとつに、それぞれの毒がある。
聴き手にも、その人なり毒がある。

それ以外の毒もある。
いくつもの毒がある。

それらから目を背けるのもいい。
けれど、毒をもって毒を制す、
そうやって得られる美こそが、音は人なり、である。

Date: 6月 17th, 2017
Cate: ちいさな結論

理外の理(ちいさな結論)

ここにきて、オーディオとはとことん理外の理だ、と心底おもうようになってきた。

Date: 9月 19th, 2014
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(オーディオマニアとしての「美」)

美は結論である。
己の結論に節制をもつことが、オーディオマニアとしての「美」である。

40年近くオーディオマニアであり、50をすぎて得た私のちいさな結論である。

Date: 3月 28th, 2014
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その7)

いい音を求めるのは、オーディオマニアならば皆同じであっても、
そこに答を求めているのか、問いを求めているのかの違いがあるのではないか。

答だけを求めた方が、ずっと合理的なのかもしれない。
理論だけでオーディオを追求した方が、やはりずっと合理的である。

けれどオーディオの世界には、そういった合理主義だけではすくえない美があるはずだ。

すくえないは、掬えないでもあり、救えないでもある。

Date: 12月 11th, 2012
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その6)

なぜ、このブログを一万本書こう、などと思ったのか、
そのことを自問している。

もしかすると一万本書くことは、
辛(刃物)+口という形象てある「言」という漢字をあつめて、
鍛えなおすことで一本の刀にまとめていくことかもしれない。

そういう意味での「意識」なのだと、いまは思って書いている。

Date: 2月 10th, 2011
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その5)

「ブッダのことば」(岩波文庫)のなかに、
「人が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、その斧によって自分を断つのである」
とある。

「言」という字は、
辞典にあるように、川崎先生のブログを読まれた方ならすでにご存知のように、
辛(刃物)+口という形象である。

Date: 2月 10th, 2011
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その4)

批評と評論の違いは、「論」のいう字があるかないかにあり、
「論」という漢字に「言」がついているところに、はっきりとある。

評論には、「言」がふたつある。