快感か幸福か(ちいさな結論)
(その1)は、このブログを書き始めたころに書いている。
2008年9月に書いているわけだから、ずいぶん経つ。
ここまで書いてきて、ちいさな結論として書いてしまえば、
快感は耳に近い(遠い)か、
幸福は心に近い(遠い)か、だと思うようになった。
耳に近い音を、だからといって否定するつもりはまったくない。
耳に近い音を追い求めてこなかった人が、
すんなり心に近い音を見つけられるとは、私は思っていない。
貪欲に耳に近い音を追い求めて、
それが叶った時の快感を存分に味わっておくべきとも思っている。
けれど快感はいつしか刺戟へと変化していくことだってある。
より強い刺戟を求めるようになっていくかもしれない。
結局、ここでもグレン・グールドのことばを引用しておく。
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芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
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自分自身の神性の創造へとつながっていく音こそが、心に近い音なのだろう。