Archive for category 四季

Date: 8月 18th, 2024
Cate: 四季
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オーディオと四季(と電源)

四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていたとき、
プリメインアンプのマッキントッシュ MA7900の電源が、何度となく勝手に落ちることがあった。
2019年と2020年の寒い時期に起こっている。

なんの前触れもなく突然落ちる。
再び電源を入れれば、音はきちんと出るし、
その音に異常は感じられなかったから、アンプ本体の不具合とは思えなかった。

再現性がほとんどない現象なので、はっきりとした原因は掴めなかった。
でも、どちらも寒い時期で夜遅くなり、冷え込みがきつくなると頻繁に発生することから、
おそらくなんらかの暖房器具からノイズが電源を介して回り込んでのことだろう。

MA7900の電源スイッチが機械式であったなら起こらなかったはずだが、
電子スイッチのため、電源が落ちたのだろう。

今年2月のaudio wednesdayでも、同じようなことが起きた。
アキュフェーズのDP100とDC330間のロックが外れることが起こった。

その日、夕方から音を出し始めて、なんら問題はなかったのが、
夜8時ごろにロックが一瞬外れた。すぐにまたロックして、その時はアレっ、と思う程度だったのが、
しばらくすると頻繁にロックが外れるようになった。

その日は寒かった。
MA7900での例があったから、電源からのノイズによってロックが外れると思ったものの、
それをはっきり確認することはできなかったし、
対策もできなくてDC330の使用をやめた。

そういうことがあったため、それ以降はDC330はaudio wednesdayでは使わなかった。
半年が過ぎ、いまは夏。
8月の会では、たぶん大丈夫だろうと判断してDC330を使い、
SACDの再生をメインとした。

もし2月の会と同じ症状が出た時のために、メリディアン の218も用意していた。

結果は、なんの不安もなく最後までDC330が使えた。

このことからいえるのは2月の会での不調は、電源からのノイズが原因のはずだ。
とはいえ、この不調(症状)は、メーカーでも再現できない可能性が高い。

Date: 4月 21st, 2024
Cate: 四季

オーディオと四季

四季豊かな日本といわれていたのは、いつまでなのだろうか。
まだまだそうなのだろうと思うながらも、
四季が二季になりつつある意見も、目にするようになってきて、
そういえるけれど──、といったところもある。

今年も4月に夏日を記録している。
今夏もかなりの猛暑になるのだろうし、その夏が長いのだろう。
冬が短くなり、夏が長くなる。そんなふうになっていくのか。

そしてそれが加速していくのか、それともどこかで転換する時がくるのか。
しばらくは加速していきそうな感じなのだが、そうなったときにオーディオと四季、
音と四季について考えることも消えていってしまうのか。

別項で何度か書いているように、井上先生は四季の変化によって、
聴きたい音も変化していくことを、よくいわれていた。

真夏に、A級アンプや真空管アンプの音はあまり聴きたいと思わないし、
寒くなれば、そういう音を求めるようになるとも。

このことに同意する人もいれば、そんなこと関係ないという人もいる。
これには人それぞれということもあるけれど、
仕事柄ということも関係していたのかもしれない。

井上先生の仕事、オーディオ評論家として、
メーカーの試聴室やオーディオ雑誌の試聴室に行っては、
さまざまな音を聴く。

それは仕事であり、そこに季節感というものはなかったのかもしれない。
だからこそ、よけいにプライベートな音に、四季を感じさせる、
四季と連動していく音を求められていたのかもしれない。

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その6)」で書いたことも、
このことには関係してくるのかも──、とも思うようになってきた。
「味わい」と四季についてである。

Date: 8月 2nd, 2022
Cate: 四季, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(と四季)

瀬川先生が、「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭で、
こんなことを書かれている。
     *
 秋が深まって風が肌に染みる季節になった。暖房を入れるにはまだ少し時季が早い。灯りの暖かさが恋しくなる。そんな夜はどことなく佗びしい。底冷えのする部屋で鳴るに似つかわしい音は、やはり、何となく暖かさを感じさせる音、だろう。
 そんなある夜聴いたためによけい印象深いのかもしれないが、たった昨晩聴いたばかりの、イギリスのミカエルソン&オースチンの、管球式の200ワットアンプの音が、まだわたくしの身体を暖かく包み込んでいる。
     *
今日は8月2日。真夏の真っ只中。
瀬川先生がこの文章を書かれた時よりも、ずっとずっと暑い夏をわれわれは体験している。

瀬川先生は、ステレオサウンド 52号の特集の巻頭で、こうも書かれている。
     *
せめてC240+TVA1なら、けっこう満足するかもしれない。ただ、TVA1のあの発熱の大きさは、聴いたのが真夏の暑さの中であっただけに、自家用として四季を通じてこれ一台で聴き通せるかどうか──。
     *
TVA1はKT88のプッシュプルで、出力管は四本。
M200はEL34の4パラレル・プッシュプルで、出力管はステレオで十六本。

発熱量はそうとうに違う。
M200をTVA1と同じ真夏の暑さの中だったら、どうであったろうか。

井上先生は、
季節によって聴きたい音楽、聴きたい音が変ってくることについて、よく口にされていた。
真空管アンプの音が聴きたくなるのは涼しくなってきてから、ともよく言われていた。

こんなことを思い出して書いているのは、
いまヤフオク!に、ジャディスのJA200が出品されているからだ。

今日の22時すぎに終了を迎えるが、いくらで落札されるのだろうか──、
そのことよりも、JA200を落札した人は、この暑い暑い真夏の真っ只中、
JA200で鳴らすのだろうか──、ということに関心がある。

JA200はステレオサウンド時代に聴いている。
どのくらいの落札価格が適切とか、そんなことは書かないが、
JA200の発熱量は半端ではない。

KT88の5パラレル・プッシュプルだから、両チャンネルで二十本である。
TVA1の五倍の規模であるし、厳密ではないものの、約五倍の発熱量である。

入札、応札している人たちが東京の人とはかぎらない。
もっと涼しいところに住んでいる人かもしれない。

それにしても、あの発熱量をわかったうえで、JA200を欲しがっているのだろうか。

Date: 2月 23rd, 2022
Cate: 四季

さくら餅(その7)

人形町の三はし堂が二度目の閉店をしてから、もう五年以上経つ。
この季節になると、ふとした拍子に、
三はし堂のさくら餅の香りが一瞬よみがえってくることがある。

もう食べられないことがわかっているから、
だからといって、もう一度食べたい──、とは思わない。

けれど、三はし堂の閉店後に出逢った親しい人たちに、
三はし堂のさくら餅を食べてもらいたかったなぁ……、とはそのたびに思う。

Date: 11月 15th, 2021
Cate: 四季

さくら餅(その6)

すやの栗きんとんのことを書いている。
ひとつだけ補足しておきたい。

私がよく買っていたころは、毎年9月2日に発売が開始されていた。
おそらくこれはいまも同じだろう。

以前の記憶では、11月になると味が落ちる。
9月、10月の栗きんとんの色と11月の栗きんとんの色は違う。
ほのかな感じの色が、そうでなくなってくる。

旬のものだから、その変化は仕方ないわけで、
早い時期に食べるのがおすすめである。

おそらく、このこともいまも変っていないはずだ。

Date: 11月 1st, 2021
Cate: 四季

さくら餅(その5)

三週間ほど前に、ひさしぶりにすやの栗きんとんを食べた。
その3)で触れているすやの栗きんとんである。

すやの栗きんとんを最初に食べたのはハタチのころだった。
20代のころは、よく買っていた。
日本橋の高島屋、銀座の松屋の全国銘菓コーナーで行けば、すんなり買えていた。
夕方遅くだと売り切れていることもあったけれど、買うのに苦労したことはまずなかった。

それがいつのころからか、よく似た栗きんとんが出回るようになった。
すやの栗きんとんよりも安かったり、高かったりしていた。
そのいくつかを試しに買ってみたけれど、すやのがいちばんだった。

いま、それらはどうなったのだろうか。
すやの栗きんとんは残っている。

けれど、人気なために、いまでは予約しない買えないようになってしまっている。
そのためずいぶんながいこと食べていなかった。

先日食べたのは、二十年ぶりぐらいである。
変らぬ美味しさだった。

食べ終って、すやの栗きんとんには装飾がいっさいないことに気づいた。
装飾がない、というよりも、装飾を求めていない。
拒否している、ともいってだろう。

伊藤先生の真贋物語、
ステレオサウンド 43号掲載の真贋物語に、プリンのことが出てくる。
     *
 カスタード・プッディングはキャラメル・ソースがかかっているだけのが本来なのに、当節何処の喫茶店へ行っても、真面(まとも)なものがない。アラモードなどという形容詞がついて生クリームが被せてあって、その上に罐詰のみかんやチェリーが載っていたりして、いや賑やかなことである。何のことはないプッディングは土台につかっての基礎工事なのである。味は混然一体となって何の味であるかわからないように作ってある。幼児はそれを目にして喜ぶかも知れないが成人がこれを得得として食べている。
 カスタード・プッディングは繊細な味を尊ぶ菓子であるだけに悪い材料といい加減な調理では、それが簡単なだけにごまかしが効かない。一見生クリーム風の脂くさい白い泡とまぜて、ブリキの臭いのする果物のかけらと食えば折角のキャラメル・ソースの香りは消え失せて何を食っているのか理解に苦しむ。しかしこうした使い方をされるプッディングは概ね単体でもまずいものであろう。
 価格は単体でなく擬装をして手間をかけてまずくしてあるから単体よりも倍も高い。長く席を占領されて一品一回のサーヴ料金を上げなければならないから止むを得ぬ商策であろうが、困った現象である。
     *
カスタード・プッディングは装飾されがちである。
装飾されていないカスタード・プッディングも、もちろんある。

すやの栗きんとんは、おそらくこれから先、何十年経っても、
装飾されることはないはずだ。

Date: 3月 29th, 2021
Cate: 四季

さくら餅(その4)

人形町の三はし堂が二度目の閉店から久しく経つ。
もう十年ほどか。

その十年で、新しく知りあった親しい人たちに、
三はし堂のさくら餅を食べてほしかったな、と思うのだけれど、
それはもうかなわないことだから、「こういうさくら餅があってね……」という話もしない。

三はし堂のさくら餅が食べられているころは、ほとんど意識しなかったことがある。
若いころ見ていたドラマで、死期が迫っている人に「桜の季節までがんばりましょう」、
そんなことをいって励ますシーンがあった。
わりとあったように記憶している。

そのころは、そんなものか、というぐらいの感情しかなかった。
桜が咲く日まで──、
そういうことで生きる気力が多少なりとも湧いてくるのか。
まるで実感がなく、そんなドラマ(セリフ)を見て(聞いて)いた。

東京は、桜が少し散り始めているが、
私が住んでいるところは都心から離れていることもあって、
まだまだ見頃(多少散ってはいるけれど)。

毎日、駅までの往復、桜並木のところを歩く。
三はし堂のさくら餅はもう食べることはできないけれど、
桜が咲く日まで──、ここにこめられたおもいが、少しは実感できるようになってきた。

Date: 10月 10th, 2019
Cate: 四季

さくら餅(その3)

鼻孔をくすぐる──、という。
三はし堂のさくら餅の香りは、まさしくそうだった。

三はし堂のさくら餅によって、
鼻孔をくすぐる、とはこういうことなのか、と実感したほどだった。

三はし堂の和菓子のほとんどは一度は食べている。
でも、さくら餅の香りは格別だった。

三はし堂はすでにない店だ。
もう一度食べたい、というよりも、
もう一度、三はし堂のさくら餅の香りをかぎたい、と思ってしまう日がある。

私は甘いもの好きである。
和菓子も洋菓子も、どちらも好きだ。

でも、こと香りに関するかぎりは、
鼻孔をくすぐるという経験をしたのは、和菓子だけといっていいかもしれない。

洋菓子でも、もちろんいい香りだな、と思ったことは幾度もある。
それでも鼻孔をくすぐる、とまで表現したい経験は、いますぐには思い出せないのだから、
おそらくない、といっていいだろう。

いまは秋。
やっと秋らしい感じが漂ってきている。

春が三はし堂のさくら餅ならば、
秋は中津川すやの栗きんとんである。

三はし堂のさくら餅ほど香ってくるわけではないが、
すやの栗きんとんは、秋らしい香りである。

こう書きながら、秋らしい香りとは? と自分でも考えてしまうけれど、
やっぱりすやの栗きんとんは秋にかぎたい。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 四季

さくら餅(その2)

このブログを書き始めたのは、2008年9月。
書き始めたときから2月になるのを楽しみにしていた。

三はし堂のさくら餅について書きたかったからだ。
2009年2月に、だから「さくら餅」というタイトルで書いている。

三はし堂は一度閉店し、復活した。
けれど、いまはもうない。
今回は復活の期待もできそうにない。

毎年2月になると、ここのさくら餅を買いに行くのをほんとうに楽しみにしていた。
一つ200円ちょっとのさくら餅である。
高価な和菓子ではない。

けれど、三はし堂のさくら餅より高価な桜餅よりも、
上品で、ほんとうに美味しいと思える味だった。

三はし堂のさくら餅を食べるまでは、桜餅は好きではなかった。

それに香りもよかった。
買ってきて、箱を開けると、さくら餅の上品な香りがする。
もうこれだけで食べた気になれるほど、私にとって春の風物詩にもなっていた。

ここ数年、2月になるたびに、もう三はし堂はないのか……、と必ず思い出す。
ひっそりと営業していた店が、ひっそりと消えてしまった。

さがせば、三はし堂のさくら餅に近い味わいの桜餅がどこかにあるのかもしれない。
でも、もういいか、とおもっている。

すべてがそうである、
いつまでもあるわけではない(生きているわけではない)。

Date: 7月 24th, 2016
Cate: アクセサリー, 四季

夏の終りに(その4)

2016年のツール・ド・フランスも日曜日に最終ステージである。
今年のツール・ド・フランスに合せたかのように、映画「疑惑のチャンピオン」が上映されている。

癌から生還し、ツール・ド・フランスを七連覇しながらも、
ドーピングの発覚ですべての優勝が取り消されたランス・アームストロングの映画である。

薬物によるドーピングが絶対的悪だとは私は考えていない。
最近では自転車のフレームの中に電動モーターを内蔵した機材ドーピングもある。
こちらは、もう自転車競技ではなくなってしまうから、絶対に認められないドーピングではあるが、
薬物ドーピングに関しては、あれこれ考えさせられるところがある。

そのひとつにオーディオ関係のアクセサリーとドーピングは、
実のところ同じ性質を持っているとも思える。

全体的な傾向としてとして、日本のケーブルメーカーは、
ケーブルそのものが存在しないのを理想としてそこに近づけようとしている。
導体の純度の追求がまさにそうだし、ケーブルの存在(固有の音)をできるだけなくそうとしている。
もちろんそうでないケーブルもあるから、あくまでも全体的な傾向として、ではあるが。

海外の、特にアメリカのケーブルメーカーとなると、
ケーブルもオーディオコンポーネントのひとつとしての存在理由を、
その音づくりにこめているように思える。

日本のケーブルが主張しない方向とすれば、主張する方向とでもいおうか、
ケーブルの存在をなくすことはできないのだから、
ならば発想を転換して積極的に……、とでもいおうか、そういう傾向がある。

そういうケーブルは、どこか薬物ドーピングのように感じてしまう。
ケーブルに限らない、オーディオ・アクセサリーの中には、いわゆる主張するモノがけっこうある。
そして新しいとアピールするアクセサリーが、登場してくる。
そういうのを見ていると、どこが薬物ドーピングと違うのか、と思うのだ。

オーディオのアクセサリーではなく、装飾物としてのアクセサリーを、
これでもかと身に纏っている人もいる。
なぜ、そこまで……、と思うこともあるが、これもドーピングとして捉えれば、
そういうことなのかも……、と思えてくる。

Date: 9月 1st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その3)

ランス・アームストロングは、ロードレーサーとしてはミゲール・インドュラインよりも上なのかもしれない。
速い選手というより、強い選手である。
癌から生還しツール・ド・フランスで7連覇できたのだろう。

たとえアームストロングがドーピングをしていたとしても、
(ドーピングは絶対に許せない、という人もいるけれど)その強さは、私は素直に認める。

アームストロングは強い。
けれど、強いからといって、インドュラインに感じていた「王者」といったものを、
アームストロングからは感じにくい。
ドーピング疑惑があるから、そう感じないわけではない。

1995年のアームストロングのウィニングポーズは、
1997年のマルコ・パンターニのラルプ・デュエズでのステージ優勝のときのウィニングポーズとともに、
私がこれまでみてきたツール・ド・フランスのレースのなかで、
最も強く印象に残っているものだ。

パンターニのウィニングポーズが動だとすれば、
アームストロングの1995年のウィニングポーズは静(せい、ゆえに生なのかもしれない)である。

1999年のツール・ド・フランスをテレビでみていて、
アームストロングの強さには熱いものを感じていた。

にもかかわらず、アームストロングが王者かと問われても、
そうは思えない、と答えざるをえない何かが、心のどこかにひっかかっている。

それはなんだろうか、と思っている。
まだ、はっりきとつかめていない。
ぼんやりとしたままだ。

インドュラインは1964年、アームストロングは1971年生れ。
インドュラインと私はほぼ同世代。
そういうことでもない、と思う。

それでも明らかにインドュラインとアームストロングは、違う。
人はひとりひとり違うから、このふたりが違って当り前──、そんな違いではない。

ツール・ド・フランス総合優勝5回のアンクティル、メルクス、イノー、そしてインドュライン。
私がリアルタイムでみてきた選手は、この中ではインドュラインだけ。
あとの3人についてのエピソードは本で知っているだけである。

この4人も、みな違う。
それでもインドュラインまでは、共通した王者としての「何か」があるようにも感じている。
その「何か」がなんなのかはまだ漠然としたままだけど、
インドュラインとアームストロングの違いにも似た「何か」を、
いまのオーディオ機器(特にスピーカーシステム)に対して感じることがある。

その「何か」がはっきりつかめていないのに、
なぜそんなことがいえる? といわれるだろう。
たしかにそうである。
でも、直感的としてそう感じて、その「何か」がはっきりしないもやもやもまた感じている。

私はインドュラインを王者と思っている。
でも人によってはアームストロングこそ真の王者と思うだろう。

そのことがスピーカー選びに関係している、と結ぶのは、
強引なこじつけでしかないのか……。

Date: 8月 31st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その2)

ヨハン・ブリュイネールは1999年にアメリカの自転車チーム、USポスタルの監督となる。
このチームには、癌から復帰したランス・アームストロングがいた。

アームストロングはこの年のツール・ド・フランスで初の総合優勝、
この後2005年まで総合優勝を続けている。7連覇である。

アームストロング以前、総合優勝は5回が最高であったし、
インドュラインですら6回目の総合優勝は無理だった。

1996年はオリンピック・イヤーということもあり、
ツール・ド・フランスは通常よりも早く開催された。
そのためもあってのことだろうが、例年にない悪天候が重なり山岳ステージでは積雪によるコース短縮があったほど。
暑くなればなるほど強さを増していく、と言われているインドュラインにとって、
予想外の寒さにより、6連覇確実といわれていたし、
インドュラインの故郷、スペインのバスク地方をとおるコースが、レースの後半に用意されていた。

それまでのインドュラインならば、バスクを通るステージまでに総合優勝を確実なものにしていたはず。
けれど結果は総合11位に終ってしまう。

2004年、やはりオリンピック・イヤーのこの年、
アームストロングは6連覇を達成した。
自転車競技が盛んではないアメリカの選手、ランス・アームストロングによる偉業ともいえる。

アームストロングがドーピングをやっている、というウワサは以前からあった。
これについての詳細は省くが、8月24日、USADA(全米アンチドーピング機関)が、
アームストロングの1998年8月1日以降の記録のすべて抹消する、という宣言を出した。

アームストロングが本当にドーピングをやっていたのかは、はっきりとしない。
これから先もずっとグレーのままだと思う。

私はドーピングを完全悪だと捉えていない。
ドーピングは魔法ではない。
最新のドーピングをやったからといって、
すべての選手がツール・ド・フランスで何度も総合優勝できるわけではない。

ただ思うのは、
1995年の第7ステージで「ベルギーの恥」とまでいわれた卑怯な走りをしたブリュイネールのもとで、
アームストロングのドーピング疑惑は起っている。
アームストロングは、1995年のブリュイネールの走りを「クレバーな走り」だといっている。
所属するチーム監督のことをあからさまに批判する選手はいないだろうが、
それでもまったく否定せずに「クレバーな走り」といってしまうアームストロングに、
どこかなじめないものを、すこし感じていた。

アームストロングがチーム・モトローラ時代に乗っていた自転車のフレームはエディ・メルクス製だった。
メルクスが現役引退後はじめた会社によるフレームである。

アームストロングは、フレームの”Eddy Merckx”のロゴを指して、「誰なの?」と訊ねている。
アームストロングは1971年生れ、しかもアメリカ生れだし、
もともとはトライアスロンの選手だったから、
1978年に引退したメルクスのことは知らなくても当然といえば当然なのかもしれないが、
ヨーロッパの選手とは違うなにかが、そこにはあるように感じてしまう。

Date: 8月 31st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その1)

1995年のツール・ド・フランスでの、たしか第18ステージだったと記憶しているが、
この日のゴールでのランス・アームストロングのウィニングポーズは、いまも強く印象に残っている。

アームストロングがステージ優勝をとげた3日前のレースで、
チームメイトのファビオ・カサルテッリがピレネー・ステージでの下りコースで落車。
道路沿いの縁石で頭を強く打ち亡くなるという事故が発生した。

アームストロングは、左右の腕を高く上げ、さらに人さし指で天を指していた。
カサルテッリがステージ優勝をしたいといっていたコースでのウィニングポーズだった。

1995年のツール・ド・フランスは、いくつかのことがあった。
ミゲール・インドュラインが5度目の総合優勝、しかも91年からの5連覇。
過去、総合優勝5回を成し遂げた選手は、
ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノーだけで、
しかも5連覇はインドュラインだけの偉業であった。

初日のプロローグは雨。
イギリスのクリス・ボードマンが、ロータス製のカーボン・モノコック・フレームのバイクで、
ステージ優勝を狙っていたものの、スタート直後のカーヴでの落車による足首の骨折でリタイア。
前年94年の、やはりプロローグでの圧倒的なボードマンの速さに驚かされていたし、
彼の走りをみたいと思っていただけに、ボードマンのリタイアは残念だった。

他にもいくつか書きたいことはあるけれど、自転車についてのブログでもないので、もうひとつだけにしておく。
第7ステージのことだ。

このステージは、クラシックレースとされているリエージュ〜バストーニュ〜リエージュと同じコースで、
クラシックレースを軽視している、クラシックレースでは勝てない、という批判的な声を打ち消すためなのか、
単独でアタックをしかけて集団を引離してしまう。
このときインドュラインにひとりだけついてこれた選手がいた。
ヨハン・ブリュイネールで、彼はゴール直前までいちどもインドュラインの前を走ることなく、
インドュラインを風除けとして体力を温存するため、ずっと後についていた。

ブリュイネールの行為はルール違反ではない。
けれどロードレースにおいて、
小人数でアタックをしかけたときには交互に先頭交代をしながら、というのが暗黙の了解となっている。

空気抵抗がなければ自転車はずっと楽に走れる。
だから小人数でのアタックではひとりにだけ負担をかけないように先頭を交代しながら走っていく。
ブリュイネール以外にも、後につくだけの選手はいないわけではない。
でも先頭を走る選手が、前に出ろ、という手で合図するし、
そうなると渋々なのかもしれないが、そういう選手でも先頭に出る。

第7ステージのゴールはベルギー。ブリュイネールの母国である。
ゴールにはベルギー国王の姿もあった。
ブリュイネールは、だから、このステージでの優勝を狙っていたのだろう。

ブリュイネールはゴール直前、ここではじめてインドュラインの前に出てステージ優勝をする。
こうなることはブリュイネールが一度も先頭にたたなかったことから予想できたことだった。

このステージでのブリュイネールの走りを、どう判断するのか。
ゴールにはベルギー国王だけでなく、
ベルギーが生んだ史上最強のロードレーサーと呼ばれるエディ・メルクスもいた。

メルクスはブリュイネールの走りに激怒した、と伝えられた。
「ベルギーの恥だ」とブリュイネールのことを呼び、
インドュラインこそ「真の王者」だと褒め称えた。

ブリュイネールがステージ優勝を狙っていること、
そのためぎりぎりまで後についているだけの走りをすることをいちばんわかっていたのは、
つねに先頭をひとりで走っていたインドュラインであり、
彼はいちどもブリュイネールに対して前に出るように促したことはなかった。
ただ黙々と先頭を走り続けていた。
ブリュイネールがゴール直前で彼を追い抜くこともわかっていたはず。

もしかするとインドュラインの実力からするとブリュイネールを最後まで抑えることもできたのかもしれない。
けれど、インドュラインは第7ステージの優勝を逃したことを悔しがってもいなかったし、
ブリュイネールに対し批判的な発言もしなかった。

メルクスが「真の王者」だと呼ぶのもわかる。
フランスのスポーツ・ジャーナリストらはインドュラインのことを「太陽王」と呼んでいた。

Date: 2月 14th, 2009
Cate: 四季

さくら餅(その1)

サウンドボーイ編集長だったOさんには、いくつもの、とっておきの店を教えてもらった。
そのひとつが、人形町にあった和菓子屋の「三はし堂」だ。

とにかく、だまされたと思って、いまの季節、店頭に並んでいるさくら餅を、ぜひ味わってほしいと思う。
ピンクの半透明の皮のほうがこしあん、白で、やはり半透明のほうがつぶあん。
餡の好みもあろうが、ぜひふたつとも食べたい。

さくらの葉がついたまま食べるのも好き好きだろうが、
私は葉の香りが残っているうちにいただく。

三はし堂は、実はいちどなくなっている。店じまいした。
理由はいくつかあったようだ。
料亭に和菓子を卸していたのが、バブル経済の破綻で、料亭の店じまいが相次いだためとも聞いているし、
地上げのせいだとも聞いてる。
元の場所には、巨大なオフィスビルが聳え立っている。

1997年ごろになくなった。
ちょうど、このころ人形町に出向き、三はし堂に向かったのに、
ラーメン店(それもチェーン店)に変わっていた。

「もう、あのさくら餅が食べられないのか……」と、喪失感が襲ってきた。
さくら餅ごときで、大袈裟な、と大半のひとは思われるだろうが、
一度でも、三はし堂のさくら餅を口にしたことのある人ならば、
このときの私の気持ちを、きっと理解してくるはずだ。

その年の暮れ、あれだけの店がなくなるのは、和菓子の世界だけでなく、
日本文化の損失であり、きっと同じように思っている人がいるはず。
その人たちの中には、三はし堂を支援してくれる人がきっといるはず。
復活するんじゃないか、と、なぜだか確信して、電話を掛けてみた。

つながらないはずの電話がつながった。
「ありがとうございます、三はし堂です」という声が聞こえてきた。
復活していたのだ。

新しい店の場所を聞き、すぐに向かった。
元の場所からすこし離れた、現在の、清洲橋の袂に移動していた。
製餡所の一角に間借りする形での営業再開だった。
つい最近再開したばかり、とのことだった。

話を聞いてわかったのは、三はし堂の餡は、自家製ではなく、
ここの製餡所のもので、いくつかの有名和菓子屋にも同じ餡を卸しているが、
不思議なことに、和菓子になったとき、三はし堂のがいちばん美味しい。
餡の味が美味しくなる。だから、この店をつぶしたままにしておくわけにはいかない。
自分のところの餡の宣伝にもなるということもあり、支援を決めたと言うことだった。

伊藤先生も、ここのさくら餅をたいへん気にいられていた、ときいている。