Archive for category 人

Date: 8月 9th, 2017
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その6)

音楽に在る死」は二万字をこえている。

ブラームスについてのところだけでも長い。
ブラームスについてのところだけでも引用したいと思っても、長い。
     *
 こうした、一八九二年以降の相尋ぐ女性たちの死は、むろん作品一一五の『クラリネット五重奏曲』が作られた後のことだ。私の聴き方が正しいなら、自ら遺書をしたためてから、当然、生き残ってくれるはずのかけがえない友人たちを、遺書を書いた本人が生きて次々見送らねばならなかった。文を草した遺書なら破り棄てれば済む。作品一一五はすでに発表されているのである。残酷な話である。クララやエリーザベトやシュピースの死んでゆくのを見送るブラームスを想いながら此の『クラリネット五重奏曲』を聴いてみ給え。遺書として聴き給え。作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう。前にふれた太宰治の死も、同じことだ。三島由紀夫だって結局は、同じところで死んでいる。『クラリネット五重奏曲』がそう私に告げてくる。聴いてくれ、太宰治と太宰を嫌悪した三島由紀夫と、どちらも本当はどんなに誠実な作家だったかを、この曲の第二楽章アダージョから聴き給え。二人の肉声がきこえるだろう? くるしい、生きるのは苦しかったなあ苦しかったなあ、そう言っているのが、きこえるだろう?……ブラームスは私にそう囁いている。涙がこぼれる。
 死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。
     *
五味先生の文章は、このあとシューマンについて語られている。

いまの世の中、クリエーターを自称する人は大勢いる。
けれど、
《作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう》
そういう人はどれだけいるだろうか。

死馬。
五味先生は、クリエーターを自称する人のこと、
己れの才能に復讐されたことのない人のことを、
死馬──死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。そいつは初めから死馬である──であると。

私の中にあるシューマン像は、「音楽に在る死」ででき上がったところがある。
だから、それはあまりいいものとはいえない。
いまもシューマンはあまり聴くことがない。

五味氏の文章を読みすぎた弊害だろう──、
そういわれるのはわかっていても、もうそれでいい、と思っている。

いまから三十年以上前に、あるオーディオマニアと知りあった。
彼をシューマン的であった。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 瀬川冬樹

たおやか(あらためてそうおもう)

2008年9月から、このブログを書き始めた。
書き始めのころ「たおやか」というタイトルで書いている。

そこから約九年、
七千本ちょっと書いてきて、やはり「たおやか」だとおもっている。
私がイメージする瀬川先生の音を、簡潔な言葉でいいあらわすとなると、
いまも「たおやか」である。

Date: 7月 16th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その15)

我にかえる、という。
瀬川先生にとって、AXIOM 80をもう一度は、我にかえる行為だったのか。

この場合の「我にかえる」は、
不明瞭だった意識がはっきりした状態になることではなく、
一時的な自失状態から回復することであるのは、いうまでもない。

オーディオマニアの場合、一時的な自失状態の「一時的」とは、
意外にも長いこともある。

大型のマルチウェイスピーカーを、マルチアンプでドライヴしてきた人が、
あるとき、フルレンジの音を聴いて、我にかえる、ということがある。

やはり大がかりなシステムで聴いていた人が、
B&Oのシステム、ピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステム、
そういったシステムに触れて、我にかえることだってある。

ある種極端な情熱をオーディオに注いできた人たちに、
ふっと我にかえる瞬間をもたらすオーディオ(音)がある。

我にかえる、は、我に返る、と書く。
かえるは、返るの他に、帰る、還るがあり、孵るも「我にかえる」である。

Date: 7月 10th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その14)

瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている。
45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか。
そんな気はする。

コントロールアンプはどうされるつもりだったのか。
これが気になっている。
音質だけでなく、機能、デザインにおいても満足するコントロールアンプを自作するとなると、
瀬川先生の場合だけにかぎらず、そうとうに時間も手間もかかることになる。

おそらくパワーアンプだけは自作で、
コントロールアンプは既製品を使われた、とおもう。

何を使われたのだろうか。
以前、AXIOM 80をステレオで鳴らされたときは、たしQUADの22だった。
1980年代にQUADの22を、瀬川先生が使われるとは考えにくい。

かといってマランツのModel 7でもないような気がする。
結局、マークレビンソンをもってこられたのではないだろうか。

シルバーパネルのML6という選択もじゅうぶんある、
と思いながらも、ML6のボリュウム操作性の悪さから、やっぱりLNP2に落ちつかれるのではないか。

LNP2よりも音の良さを誇るコントロールアンプは、
その後、いくつか登場している。
それでもLNP2を選ばれる、としかおもえないのだ。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「浄」の書

五味先生のリスニングルームに壁にあった「浄」の書。
同じ「浄」を手に入れたい、と思ったことがある。
そう思いながらも、同じ「浄」を自分のリスニングルームの壁に……、
という情景がうまく想像できないまま、齢をとった。

「浄」の書を、書家に依頼した人を知っている。
気持はわからないではないが、その「浄」と五味先生のリスニングルームにあった「浄」は、
それぞれの持主をあらわしている、とも感じた。

書としているが、五味先生のところにあった「浄」は、
中国の石碑からの拓本、ということだ。

石碑に刻まれた「浄」と、紙に書かれた「浄」。
石碑に墨を塗り、紙にうつしとる。
このままでは反転しているから、もういちど紙にうつしとることで「浄」となる。

元の石碑は、カッティングされたラッカー盤だ、と思ったことがある。
そこからうつしとったのがいわゆるスタンパーにあたり、
もういちどうつしとることで、アナログディスクができるあがるのと同じところにも、
あの「浄」がリスニングルームにあった、ということと無縁ではない、とおもう。

そして何をみていたのか(何をみていないのか)がわかる。

Date: 6月 23rd, 2017
Cate: 五味康祐

avant-garde(その2)

オーディオのスタートが「五味オーディオ教室」との出逢いから、という私は、
コンクリートホーンに憧れたり、夢見たりすることはなかった。

もし「五味オーディオ教室」と出逢っていなければ……、
東京に出て来ずに実家暮らしをしていたら……、
コンクリートホーンに挑戦していたかもしれない。

1970年代後半は、まだコンクリートホーンの挑戦記といえる記事を、
何度か読むことがあった。

ホーン型スピーカーといえば、通常はコンプレッションドライバーを使う。
それでも低音ホーンに関しては、コーン型ウーファーが大半であった。
それでもYL音響から低音ホーン用のコンプレッションドライバーD1250の存在は気になっていた。

重量26kg、直径21.5cm、
ダイアフラムはチタン製で、ボイスコイル径は12.8cmだから5インチ、
再生周波数帯域は16〜500Hzと発表されていた。

1974年当時は180,000円だった、
1983年ごろは330,000円になっていた。

コンクリートホーンに無関心を装っていても、
このD1250だけは、どんな音がするのか、聴いてみたい、と思っていた。
正直、いまもD1250による低音ホーンは聴いてみたい。

そうだからこそ、環境がほんの少し違っていたら……、とおもう。
もうひとつのオーディオ人生があって、コンクリートホーンで聴いていたら……、
五味先生のように
《ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀し》ただろうか。

これはステレオサウンド 55号「スーパーマニア」を読んでからの自問である。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド編集後記より)

ステレオサウンド 8号の編集後記。
椋元さんという方が書かれている。
     *
実は今号の追い込み時期に、原稿締め切り日を大幅に遅れたS氏宅へ悲壮な決心で乗り込みました。S氏と向い合っている時までは確実に緊張していた自分を自覚していたのですが、壁に並んだJBL、タンノイ、アルテックのスピーカー、JBLのSG520、SE400S、その他のアンプ、それに販売店よりも数多く並んだカートリッジ、これらに目が向いた時には、すでにこの失敗はスタート。音が鳴りはじめた時には何んの目的で自分がここに居るのかということなどすっかり忘れ、気がついた時は訪問後八時間も過ぎたという次第。そればかりか、もう社へ電話する機会も失ない、言い訳けすら考えるゆとりのない私は、S氏の思いやりのある親切なお言葉をお受けし、真夜中の二時に帰宅する結果を招いてしまいました。帰国だしばらくして、事の重大さに気がつく始末。
     *
8号は1968年秋号。
S氏とはいうまでもなく瀬川先生のこと。

椋元さん、という編集者は、他の号の編集後記を読むと、
オーディオマニアではないよう気がする。

でも、そういう人が原稿取りに行ったにも関わらず、
しかも締切日を大幅に過ぎているにも関わらず、
瀬川先生の音を八時間聴いていた、ということ。

Date: 4月 2nd, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾が終って……

3月30日で、今年度のKK適塾は終った。
昨年度のKK塾の最後には、来年度はKK適塾をやる、という告知があった。

今回ははっきりとした告知はなかった。
たぶん、あると思っているし、
ぜひやってほしい。

今回のKK適塾は、一回目以外はすべてふたりの講師を招いて、だった。
次がどうやって行われるかはわからないから、
こんなことをやってくれたら……、と勝手におもっていることがある。

川崎先生の趣味の分野の専門家を講師に招いてほしい。
万年筆、文房具の専門家、
車の専門家、書の専門家……、
もちろんオーディオの専門家もだ。

Date: 3月 30th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾(五回目)

KK適塾五回目の講師は、濱口秀司氏と石黒浩氏。
濱口氏は昨年度のKK塾一回目、石黒氏は三回目の講師をやられている。

このふたりが揃い、川崎先生が加わっての今回のKK適塾だった。
つまらなくなるわけがない。

司会の方がいわれていたように、負けず嫌いの三人である。
濱口氏が刺客といわれた。

教育、特に大学での教育について語られていた時だった。
自ら刺客をつくりだして、その刺客に負けないようにする、と。

きいていて思っていたのは、五味先生の「喪神」である。
何をおもっていたのかまでは書かないが、
もう一度「喪神」を読み返そう、と思っていた。

Date: 3月 26th, 2017
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その13)

アンプ(amplifier)は増幅器。
入力された信号を増幅して出力する電子機器である。

ふだん何気なく増幅という言葉を使っているけれど、
増幅とは、幅を増す、と書く。

何の幅なのか、といえば周波数レンジ、ダイナミックレンジ、
このふたつの幅ということになろう。

けれどどんな高性能なアンプであっても、
入力された信号の周波数レンジを拡大するようなことはしない。
ダイナミックレンジに関しても同じだ。

ダイナミックレンジが60dBの信号が入力されたとして、
出力には70dB、もしくは80dBのダイナミックレンジの信号が現れるわけではない。

60dBのダイナミックレンジの信号は、そのままダイナミックレンジ60dBのまま、
電圧、もしくは電力が増えて出力される。

その意味で考えれば、増幅という言葉は、
正確にアンプの動作を言い表しているとはいえないところがある。

だがこれは理屈であって、アンプの中には、
特にパワーアンプにおいては、明らかにダイナミックレンジが増したように、
スピーカーを鳴らしてくれるモノがある。

これも正確にいえば、
他の多くのアンプがダイナミックレンジを狭めたようにスピーカーを鳴らすから、
対比として、いくつかのアンプはダイナミックレンジがそのまま再現されているであろうに、
ダイナミックレンジが増したように、
つまり幅が増した(増す)、という意味での増幅器がある。

なにもダイナミックレンジだけではない。
周波数レンジをも狭めたように聴かせるアンプがある。
そういうアンプからすれば、そのままの周波数レンジで鳴らすアンプは、
周波数レンジも幅を増したかのように思えないわけではない。

私がジェームズ・ボンジョルノのアンプに惚れている理由のひとつである。

Date: 3月 21st, 2017
Cate: 川崎和男

KK塾(続々DNPのこと)

その昔、東日本にある米軍基地では60Hzで動かす必要のある機器のために、
モーターで発電機をまわしていた、という話をきいたことがある。

同じ理屈の電源を、1980年代後半に製品化したメーカーもあった。
商用電源でモーターをまわす。
そのモーターが60Hzの発電機をまわす。

ACをいったん回転エネルギーに変換したうえで発電する、というものだ。
パワーアンプにまで使えるようにするために、
かなり大型で重量も100kg前後あった。

パワーアンプまで、と考えなければ、もっと小容量でいいわけで、
小型・軽量にできる。
そう考えて発電機を、当時探してみたければ、インターネットもなかった時代、
ちょうどいい発電機とモーターを探すことはできなかった。

いまは、というと、なかなかぴったりくる発電機を見つけられずにいる。
探し方がまずいのだろうか。

ACをいったん別のエネルギーに変換して、
AC電源の悪さを排除するという考えは、
たとえばデンセンのフォノイコライザーアンプにもみることができる。

輸入元の今井商事のサイトをみると、取り扱い中止になっているDP4 Driveがそうである。
MCカートリッジ用ヘッドアンプの電源が、
青色LEDと太陽電池との組合せで、ACをいったん光エネルギーに変換して発電するという考え。
おもしろいアイディアである。

こんなことを、この項で書いているのは、ついさっきペロブスカイト太陽電池のことを知ったからだ。
ペロブスカイトとは、チタン酸カルシウムのこと。
これまでのシリコンを使用した太陽電池の製造方法とは異り、
印刷技術によって製造が可能であり、発電効率も2016年には20%を超えている、とのこと。

デンセンのDP4 Driveのような、
青色LEDとペロブスカイト太陽電池を組み合わせた電源がDNPから登場してきても不思議ではない。
青色LEDのところも、別の発光体に置き換えられるであろう。

Date: 3月 15th, 2017
Cate: 五味康祐

続・無題(その8)

カザルスによるモーツァルトのト短調交響曲は素晴らしい。
キズの無い演奏ではないけれど、
なまぬるく感じられたト短調交響曲をきいたあとは、
カザルスの演奏を聴きたくなることが多い。

澱の溜まったようなト短調をきいたあとは、ブリテンのト短調を聴くことがある。

人によって、そんな時に聴くト短調は、私と同じ選択もあれば違う選択もある。
これまでにどれだけのト短調の録音がなされたのか知らない。
かなりの数なことは確かだ。

カラヤンの演奏も含まれる。
カラヤンといえば、五味先生はモノーラル時代のカラヤンは認められていても、
帝王と呼ばれはじめたあとのカラヤンについては、厳しいことを書かれている。

瀬川先生はカラヤンの演奏を好まれていた、と書かれたものから読みとれる。

五味先生はステレオサウンド 16号のオーディオ巡礼で瀬川先生のリスニングルームを訪問されている。
     *
 瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。いまの私は経済的にめぐまれているが、貧富は音楽の観照とは無関係だ。むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。貧乏人はジムランを聴くなというのではない。そんなアホウなことは言っていない。あくまで音楽の聴き方の上で、ジムランでは出せぬ音色というものがあり、たとえて言えばフュリートはフランス人でなければ吹けぬ音色があり、弦ではユダヤ人でなければどうしてもひき出せぬひびきがある、そういうい身でカルフォルニア製の、年数回しか雨の降らないような土地で生まれたJ・B・ランシングには、絶対、ひびかぬ音色がある。クラシックを聴くジムランを私にはそれが不満である。愛用する瀬川さんはだから、ジャズを好んで聴く人かと思っていた。
 ところが違った。彼のコレクションは一瞥すればわかる、彼はクラシックを聴いている。むかしの小生のように。
     *
瀬川先生はステレオサウンド 39号で「天の聲」の書評を書かれている。
その中に、こうある。
     *
 五味康祐氏とお会いしたのは数えるほどに少ない。ずっと以前、本誌11号(69年夏号)のチューナーの取材で、本誌の試聴室で同席させて預いたが、殆んど口を利かず、部屋の隅で憮然とひとりだけ坐っておられた姿が印象的で、次は同じく16号(70年秋号)で六畳住まいの拙宅にお越し頂いたとき、わずかに言素をかわした、その程度である。どこか気難しい、というより怖い人、という印象が強くて、こちらから気楽に話しかけられない雰囲気になってしまう。しかしそれでいて私自身は、個人的には非常な親近感を抱いている。それはおそらく「西方の音」の中のレコードや音楽の話の書かれてある時代(LP初期)に、偶然のことにS氏という音楽評論家を通じて、ここに書かれてあるレコードの中の大半を、私も同じように貧しい暮しをしながら一心に聴いていたという共通の音楽体験を持っているからだと思う。ちなみにこのS氏というのは、「西方の音」にしばしば登場するS氏とは別人だがしかし「西方の音」のS氏や五味氏はよくご存知の筈だ。この人から私は、ティボー、コルトオ、ランドフスカを教えられ、あるいはLP初期のガザドウシュやフランチェスカフティを、マルセル・メイエルやモーリス・エヴィットを、ローラ・ボベスコやジャック・ジャンティを教えられた。これ以外にも「西方の音」に出てくるレコードの大半を私は一応は耳にしているし、その何枚かは持っている。そういう共通の体験が、会えば怖い五味氏に親近感を抱かせる。
     *
けれどふたりのカラヤンに対する評価は違う。

Date: 3月 12th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その6)

ステレオサウンド 62号と63号の「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」。
そこに、ある。
     *
〝二カ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下ろしたのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖さの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、思わぬ発見がある。あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何かを発見をして、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いている人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうかな、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それ全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を展望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかしたら私個人の特性のひとつであるかもしれない。〟
 昨年の春、こういう書きだしではじまる先生のお原稿をいただいてきた。これはその6月に発刊された特別増刊号の巻頭にお願いしたものであった。実は、正直のところ、私たちは当惑した。編集部の意図は、最新の世界のセパレートアンプについての展望を書いていただこうというものであった。このことをよくご承知の先生が、あえて、ちがうトーンで、ご自身のオーディオ遍歴と、そのおりふしに出会われた感動について描かれたのだった。
 その夏のさかり、先生が入院され、その病状についてうかがった。そのころから、すこしずつ、この先生の文章が気になりはじめてきたのだった。
 担当編集者のMによる、先生は私たちのこの主題のために3本の原稿をほとんど書きあげられていて、そのうちの1本をMに度したあと、あとの2本はひきだしにしまってしまわれたという。
 先生はたしかに『ステレオサウンド』の読者をことさらに大切にしておられた。しかし先生のような、ながいキャリアのある筆者がひとつの依頼された主題のために3本のながい原稿を書かれるというのは異例のことである。
 先生は事実としてはご自分の病気についてはご存じではなかった、という。しかしなんらかの予感はあったのではないだろうか?
 そう考えなければ、この文章のなかにただよっている、ふしぎな諦感と焦燥、熱気と静寂、明快なものと曖昧なもの、その向う側から瀬川先生が、私たちに語り遺そうとしているもののおびただしさの謎をときぼくしいくことはできないだろう。
 思えばあれは先生の遺書だったのだ。
 それはあからさまにそういうかたちで書かれているものではないから、私たちは「謎」を解かなければならない。
 その謎は解くことができるかどうか? わからない。しかし努力してみよう。いや、そうしなければならないのではないだろうか?
     *
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」は、
約一万四千字の長さだ。
ひきだしにしまわれたのこり二本も、同じくらいの長さだったのか。

おそらくそのうちの一本は、
編集部からの依頼「最新の世界のセパレートアンプについての展望」を書かれたのだろう。
それは「コンポーネントステレオの世界」の’79年度販、’80年度販の巻頭の記事、
これに近いものだったはずだ。

しまわれてしまった、もう一本の内容は、わからない。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「三島由紀夫の死」(とんかつのこと)

夕方、友人のAさんから食事の誘いがあった。
水道橋辺りでとんかつを食べませんか、ということだった。

ふたりともとんかつは好物である。
水道橋辺りではあまり食事をしたことがないので、
そこがどんな店なのか興味もあるし出掛けていった。

水道橋東口から徒歩数分のところにあるかつ吉である。
古くからある店とのこと。

あれこれ楽しい話をして店を出ようとして気づいた。
レジのところに、この店が紹介された記事の切り抜きが貼ってあった。

文人が愛した店ということで紹介されていた。
そこには川端康成と三島由紀夫の写真があった。

Aさんに、このふたりが来てたんですね、といったら、
Aさんのお父さんが以前、この店に来たところ三島由紀夫も来ていた、とのこと。

これだけだったら、ここで書くことはないのだが、
それが「三島由紀夫の死」の二日前のことである。

その日に思い立っての切腹ではなかろう。
ならば最期の日を前にして、好きなものを食べに来ていたのだろうか。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: ディスク/ブック, 岩崎千明

Leroy Walks!(二度目の「20年」)

締めの一曲としてかけた「Leroy Walks!」を聴いていた喫茶茶会記の店主・福地さんがいった。
「(この音なら)岩崎千明さんも喜ぶはず」と。

福地さんは私よりも和解から、岩崎先生の文章にリアルタイムで触れてきたわけではない。
喫茶茶会記をジャズ喫茶だと思っていない人の方が多くとも、
喫茶茶会記はジャズ喫茶である。

私が鳴らした「Leroy Walks!」を、どういわれるか。
わからない、というのが本音だ。

私だって、岩崎先生の文章をリアルタイムで読んだのは、わずか数ヵ月。
岩崎先生に、私は会えなかった。

岩崎先生も「Leroy Walks!」も聴かれていたであろう。
どんなふうに鳴らされただろうか。

岩崎先生はLPで聴かれていた(はず)。
私はCDで「Leroy Walks!」を聴いた。
それだけ月日が経っている。
ずいぶんと経っている。

1977年3月に亡くなられた。
昨晩から3月である。

二度目の「20年」が、ここにもある。