Archive for category 人

Date: 11月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー)

19日にステレオ、20日にレコード芸術、
今日(21日)、オーディオアクセサリーの最新号が発売になっている。

それぞれに菅野先生の追悼記事が載っている。
オーディオアクセサリー 171号の追悼記事は、多くの人に読んでほしい、とおもう。

Date: 11月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(味も人なり、か・その1)

1987年ごろだったか、試聴のあいまに、
菅野先生がチャーハンの話をされたことがある。

昔、有楽町のガード下に、ミルクワンタンという店があって……、から話は始まった。
菅野先生によると、そこで食べたチャーハンが、
これまで食べたなかでいちばんおいしかった、ということだった。

けれど、その店もなくなって、
なかなかおいしいチャーハンに出合わない、と。

最近食べたなかでは、荻窪にある徳大のチャーハンがよかった。
それでもミルクワンタンのチャーハンと較べてしまうと……、ともいわれた。

ちょうどそのころ吉祥寺にある中華屋で、おいしいチャーハンに出合っていた。
汚い店である。
雑居ビルの上の階にあった。

店の名前とビルの名前が同じだったから、店主はビルのオーナーでもあったのか。
そのへんはわからないし、いまその店はない。

チャーハンといっても、高級中華料理店に行けば、
豪華な食材を使った、高価なチャーハンはある。
それはそれでおいしいけれど、ここでのチャーハンは、そういう類のチャーハンではない。

それこそ具材はチャーシュー、卵……といった、ごくシンプルなチャーハンのことだ。

なので、その吉祥寺の中華屋のことを話した。
かなり興味をもたれたようで、次の試聴のときに、その中華屋のことが話題になった。

開口一番「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれながらも、
「あのチャーハンは絶品だよ、でも、あの店主はひどいね」と続けられた。

Date: 11月 13th, 2018
Cate: 菅野沖彦

としつき

今日(2018年11月13日)は、ロッシーニの没後150周年。
二日前の11日は、第一次世界大戦の終結から100年。

ロッシーニの生きた時代(音楽)と第一次世界大戦が、
私がなんとなく思っていた以上に近かったことに、少し驚いていた。

それぞれの年代を数字で示されて、並べてみるとすぐに気づくことなのに、
単独でみていると、気づかないことがあったりする。

そういえばステレオサウンドにいたころお世話になった編集顧問のKさんは、
音楽のことを含めて、さまざまなことがらをまとめた年表をつくられていた。
そうやって並べてみることで気づくことがあるのに、気づいておられたからなのだろう。

いまならインターネットで、そういったことがらを調べやすくなっているが、
Kさんが独自の年表をつくっていたのは1980年代である。

つくった者とつくらなかった者とが気づくことには、大きな隔たりがある。
そんなことをおもいながら、今日は菅野先生が亡くなられて一ヵ月が経ったのか、という、
その事実を、ただ感じている。

Date: 11月 6th, 2018
Cate: 五味康祐

avant-garde(その4)

コンクリートホーンをハンマーで敲き毀す。
同じことができるだろうか──、というのは、以前書いているように、
ステレオサウンド 55号を読んで以来ずっと私の中にある自問だ。

コンクリートホーンは家ごと、である。
改築なり新築でこそ可能になる。
それだけに1970年代では、究極の再生システムとしても紹介されていた。

オーディオ雑誌には、コンクリートホーンを実現したオーディオマニアの方たちが、
よく登場していた。

既製品の、どんなに高価なスピーカーシステムにも求められない何かが、
コンクリートホーンにある、といえよう。

「五味オーディオ教室」に出逢わず、
五味先生の文章とも無縁でオーディオに取り組んでいたら、
コンクリートホーンを私も目指したかもしれない。

実家暮らしを続けていたら、実現できなかったわけでもない。
仮にコンクリートホーンで、音楽を聴いていた、としよう。
オルガンは、確かによく鳴ってくれるであろう。

けれど、五味先生が指摘されているように、正体不明の音が鳴ってきたとも思う。

いまではデジタル信号処理で、コンクリートホーンのもつ欠点もずいぶんカバーできるはず。
それでも低音までカバーするためのホーンの長さは、あまりにも音源が遠すぎはしないだろうか。
そういうところまでデジタル信号処理が補えるとは、いまのところ思えない。

それでもコンクリートホーンを実現していたら、
もろもろのコンクリートホーンゆえの欠点に気づきながらも、
自分を騙して聴きつづけていくのか──。

LS3/5Aのようなスピーカーを買って、それで聴く時間が長くなっていく──。
そんなふうになるような気がする。

それでもコンクリートホーンをハンマーで敲き毀すか。
私は、ハンマーで敲き毀すことこそ正直なのだと考える。

Date: 11月 5th, 2018
Cate: 川崎和男

「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人(その2)

昨晩の「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人・対談のあとに、
質疑応答の時間があった。

最初は、主催者特権ということでAXISのスタッフが、
今年のグッドデザイン大賞について、二人に質問された。

今年の大賞は、おてらおやつクラブである。

モノではない。
しかも、AXISのスタッフによると、デザイナーが介在していない、とのこと。
そういうおてらおやつクラブが、2018年度のグッドデザイン大賞に選ばれたことについて、
川崎先生と深澤直人氏にたずねられていた。

AXISのスタッフ、川崎先生、深澤直人氏の話をきいていて、
思い出していたのは、別項「フルトヴェングラーのことば(その1)」で引用したことである。
     *
もう二十年以上も前になりますが、あらゆる世界の国々の全音楽文献をあさって、最も偉大な作品は何かという問合せが音楽会全般に発せられたことがありました。この質問は国際協会(グレミウム)によって丹念に調査されたうえ、回答されました。人々の一致した答えは、──『マタイ受難曲』でもなければ、『第九シンフォニー』でも、『マイスタージンガー』でもなく、オペラ『カルメン』ということに決定されました。こういう結果が出たのも決して偶然ではありません。もう小粋(エレガンス)だとか、「申し分のない出来」とか、たとえば「よくまとまっている」とかいうことが第一級の問題として取り上げられるときは、『カルメン』は例外的な高い地位を要求するに値するからです。しかしそこにはまた我々ドイツ人にとってもっとふさわしい、もっとぴったりする基準もあるはずです。
(新潮文庫・芳賀檀 訳「アントン・ブルックナーについて」より)
     *
「アントン・ブルックナーについて」は1939年だから、20年以上前というと1919年以前。
ほぼ百年前のことだ。

「カルメン」が、最も偉大な作品に選ばれたのと、
グッドデザイン大賞におてらおやつクラブが選ばれたのは、
賞を選ぶにあたっての、共通する何かが、いまも百年前もあるということなのだろうか。

人の身体は新陳代謝が行われていても、老化していく。
昨晩、感じた社会そのものも歳をとっていく、ということも、
新陳代謝が行われていても、老化していっているように思うからだ。

Date: 11月 4th, 2018
Cate: 川崎和男

「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人(その1)

夜の六本木は、ひさしく行っていない。
今日はAXISギャラリーで、「プロダクトデザインと未来」のテーマで、
川崎和男×深澤直人・対談があった。

日曜だったからなのか、かまびすしい夜ではなく、
歩いている人も少なく、閑散としていた。

対談の会場は満員だった。
深澤直人氏は、川崎先生がAXISの表紙を飾る二号前に登場されている。
その写真の印象があったため、深澤直人氏を見て少々驚いた。

二人とも2002年のAXISに登場されているのだから、十六年が経っている。
その歳月を考えれば当然なのだが、
川崎先生が年上なのに、深澤直人氏が年上のようにも感じられて、
思わず深澤直人氏の誕生日を確認した。

川崎先生はAXISの表紙のとき、ストライプのシャツだった。
今日もそうだった。
ストライプの太さは違っていたけれど。

川崎先生は、本調子ではなかったように感じた。
声をきいていて、そう感じた。

誰一人として歳をとらないものはいない。
皆、等しく歳をとっていっている。
人だけではない、社会そのものもそうだ、ということを二人の対談をきいていて思っていた。

Date: 11月 4th, 2018
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その3)

ステレオサウンド別冊「音の世紀」の巻頭記事、
「至高のヴィンテージサウンドを聴くで、AR3aが登場している。
     *
柳沢 いずれにしても、それまでは豊かな低音は大きなスピーカーでなくては出ないとされていたのに、その意識を変えたのだから大改革ですね。
菅野 ボストンにはそういう伝統があるのかな。ボーズのスピーカーもあそこで始まっているんですよね。
柳沢 ボーズも小さいけど重厚な低音を出す。
朝沼 ボストンは古い街で、ヨーロッパへの憧れも強いでしょうし……。
菅原 街並みもヨーロッパが引っ越してきたような感じですかね。
朝沼 ですから音も何となくヨーロッパの音を感じさせますね。
菅野 ニューイングランドそのままですよ。
朝沼 当時ARの広告で憶えているんですけど、これをカラヤンとマイルスが使っているっていうのを。
菅原 そうそう、カラヤンとマイルスがAR3aを使っていたんだって。だから僕にとっては、カラヤン、マイルス、野口久光というイメージだった。
朝沼 そんなしゃかりきてではなく、音楽をさりげなく楽しむといったイメージですね。
菅野 それでいて、コンパクトでありながら当時としては凄いワイドレンジでもあって。
朝沼 マイルスが家に帰って、JBLでしゃかりきにやってたら、ちょっと可笑しいですからね。カラヤンだって同じだけど(笑)。
菅野 そう、それは可笑しいよ(笑)。
菅原 何かほっとするサウンドがこれにはあって、それが広告のイメージにも合ってた。
菅野 僕は、個人的にはこの延長線上の低音は、マッキントッシュのXRTなんですよ。
朝沼 やはりボトムが下がってますよね。
菅野 そうなんです。それでやはり完全密閉型でしょう。
柳沢 それはボザークの音にも言えましたね。
菅野 そうそう。だからAR、ボザーク、マッキントッシュという、だいたいの流れだね。イーストコースとの音の。
     *
AR3aについて語られている座談会であっても、
ボザークとマッキントッシュのXRT20とのこと、
井上先生と菅野先生のことを考えながら読みなおすと、興味深いし、
この試聴に井上先生が加われていたら……、と想像すると、また楽しい。

Date: 10月 23rd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(紅茶、それにコーヒー)

2002年7月4日、14年ぶりに菅野先生のリスニングルームを訪れて、
戻ってきた、と感じたのは、部屋に入ったときでせなく、音を鳴ったときでもない。

菅野先生の奥さまがだされる紅茶の香りと味で、
私は、菅野先生のリスニングルームに戻ってきたんだ、と感じていた。

ステレオサウンド時代に伺っていたとき、
いつも出してくださった紅茶と同じだった。

当り前のことなのに、「同じだなぁ」と感慨深いものがあった。

菅野先生といえば、紅茶だった。
試聴でステレオサウンドの試聴室に来られるとき、
当時ステレオサウンドの真向いにあった水コーヒー どんパからコーヒーをとっていた。

菅野先生だけが紅茶だった。
コーヒー嫌いなのか、と、ずっと思っていた。

いつだったのか、はっきりと憶えていないが、ある時、
奥さまがコーヒーを出してくだッた。
私にだけコーヒーではなく、菅野先生もコーヒーだった。

意外だったので、つい「コーヒー、飲まれるんですか」と訊いた。
もともとコーヒー好きで、水だしコーヒーに、すごくハマった時期があった、とのこと。

どうすれば美味しい、菅野先生にとっての理想の水だしコーヒーを淹れられるか、
あらゆる要素を少しずつ変えては淹れて飲み、比較。
それを果してなくくり返されたそうだ。

そんなことを続けていたら、ある日、コーヒーを体が拒否してしまった、とのこと。
濃いコーヒーの飲みすぎであろう。

それから紅茶にされた、そうだ。
だから「最近、少しコーヒーが飲めるようになったんだよ」と話してくださった。

オーディオとまったく関係がない、と思われるかもしれないが、
これこそが、ある意味、菅野先生的バランスのとりかたである。

Date: 10月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その12)

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”はスタジオ録音である。
そこにステージがあった、とは考えにくい。

録音で歌っているホセ・カレーラスの足は、ほんとうの足はスタジオの床に立っていた。
ステージはなかった(はず)。

ならば、再生されるホセ・カレーラスの足が、
菅野先生のリスニングルームの床に立っていると感じたのは、当然といえるし、
それだけのレベルにあった音ともいえる。

五味先生も、”AROUND THE WORLD”を聴かれたら、
スタジオ録音だから、録音の現場にステージがないことは承知されて、
それでもステージが、そこに再現されていないから、肉体がない、といわれるのか。

ここで忘れはならないのは、
五味先生のスピーカーはタンノイのオートグラフである、ということ。
つまり、五味先生のいわれるステージは、
録音の場におけるステージという意味よりも、
むしろオートグラフが創り出す再生の場におけるステージのほうが、色濃いのではないのか。

こう考えると、少なくとも私は納得がいく。
菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)」でも書いているように、
どちらかを否定すれば、楽だ。
こんなにながいこと考えなくても済む。

それでも、私はどちらも正しい、ということで考え続けてきた。
考えてきたことで、1970年東志の菅野先生の音と瀬川先生の音、
どちらの音を聴かれながら、五味先生が菅野先生の音だけに、
肉体のない音(感じられない音)といわれた理由も、私のなかでは説明がつく。

それがリアリティ(菅野先生の音)とプレゼンス(瀬川先生の音)である。

Date: 10月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その11)

2002年7月4日、菅野先生の音を聴いた。
ステレオサウンド時代、最後に菅野先生の音を聴いたのは1988年だから、
14年ぶりの菅野先生の音だった。

マッキントッシュのXRTのシステムでクラシックを、
JBLのシステムでジャズを聴いたあとに、
私がもってきたCDをかけてもらった。

少し考えられて、マッキントッシュのシステムにされたように感じた。
この時の音は、まさしく肉体の復活が感じられる音だった。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”から「川の流れのように」をかけてもらっていた。
目をつぶれば、目の前に(といっても私は部屋の隅にいたけれど)、
手を伸ばせば届きそうな感じさえする気配を感じる鳴り方だった。

ホセ・カレーラスの肉体が、そこに復活していた。
そのカレーラスには、足もあるように感じた。
上半身だけの幽霊のような音像ではなかった。

この音を聴かれた五味先生でも、肉体のない音とはいわれないはず──、
そう思う一方で、それでももしかすると、いわれるかもしれない──、
そんなことを帰宅してから考えていた。

こんなことを考えた理由は、ホセ・カレーラスの足がどこにあるのか、だった。
それは菅野先生のリスニングルームの床に立っていた。
あたりまえだろう、そんなことは、と言われるだろうし、
それでこそリアリティというものだろう、と私も思うけれど、
五味先生にとっての肉体の復活を感じさせる音には、
ステージの存在が不可欠である。

私はホセ・カレーラスの肉体の復活を感じていた。
私だけではなかったはずだ。
川崎先生もそう感じておられた、と思う。

あの音を聴いて、肉体の復活を感じない人はいないのではないか──、
そうおもいながらも、それでも……、と考えてしまうのは、
「五味オーディオ教室」が私のオーディオの出発点であるだけでなく、
私がアマノジャクなためだろう。

そうわかっていても、仮定のことを考える。
少なくとも、私はホセ・カレーラスの肉体の復活を感じていても、
ステージの復活は感じていなかったのは事実だ。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その10)

ステージ。
さほど深く考える必要はないように感じる、この「ステージ」を、
それを再現するのに必要なのは音場とか音場感ということで捉えてしまっては、
ここでの「ステージ」の理解は不十分のままだ。

肉体のある音と肉体のない音。
このあいだにある音について、屁理屈みたいなこともを考える。

肉体のなさを感じさせない音は、どうだろうか。
肉体があると感じるわけでもないが、肉体がないと感じさせるわけでもない。
肉体を意識させない音とでもいおうか。

つまり肉体のない音は、聴き手に肉体を意識させているからこそ、
そこに肉体がない、と感じさせている、ともいえる。

私が聴いた範囲でしかないが、実際のところ、
肉体を意識させない音は多い。
ないとも感じないし、あるとも感じない。

五味先生が聴かれた菅野先生の音とは、まだ次元の違うところで鳴っている。
おそらく五味先生は、そういう音を聴かれたとしたら、肉体がある、とか、ないとか、
そういうことはいわれなかっただろう。

菅野先生は肉体のある音を目指されていたからこそ、
五味先生は肉体がない、と感じられた──、
そういう解釈も可能である。

五味先生が求められている肉体のある音は、ステージに演奏者の足がついている、
そういう音のはずだ。

足のない、つまり幽霊のような音像では肉体はない、ということになるし、
足があったとしても、その足がステージの上になければ──、なのではないのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(「僕のオーディオ人生」)

菅野先生の「僕のオーディオ人生」(音楽之友社刊)のあとがきだ。
     *
 長々と私の拙い履歴書めいた一文を通読していただき恐縮至極である。もともと、この文章は昭和五十六年にステレオサウンド社発行の『サウンドボーイ』誌、後に『ハイヴィ』と改題された月刊誌に連載を始めたものであった。当時同誌の編集長の小高根克彦氏の主旨は、こだわりと真剣さを失いつつある若い読者に対し、僕のような音一筋の男の生き様を知ってもらい、人生と趣味あるいは仕事の関り合いを通して、オーディオの本質や価値観の認識の一助にしたいというものであった。そんな大それた役をお引受け出来る気持ちにはなれなかったけれど、素直に僕の音に関わる人生について書けばよいから、という言葉に乗せられて分不相応な自伝めいたものを書くはめになったものである。
 書き出してみると、音と人間の関係を浮彫りにするためには、恥も外聞も捨てて、素直に自己をさらけ出すこと以外にはないことがわかってきた。「素直にありのままを書け」といった小高根氏をうらんでよいのか、感謝してよいのか、ついに八年もの長期間にわたって月刊誌に連載を果したものである。
 したがって、本来は私個人のこととしてではなく書いたほうがどれだけ楽であったかしれないし、この文章がどこか露出趣味のように受け取られるのではないかという心配が常に私の中にあって、正直なところ苦しい仕事であった。それも、子供の頃のことならまだしも、大人へのなりかかり、あるいはなってからの自分の内面など、そう易々と書けるものではなく、どうしても事実の羅列という無能なものになっていることを深く恥じ入るものである。また、ここには四十六歳までで、それ以後は書かれていないわけであるが、この文脈通りに現在までを生々しく書く気持にはどうしてもなれなかったからだ。本文の終りに書いたように、四十六歳にして初めて大人になれたことを自覚出来たような僕のことだから、人様に語れるようなものはなにもない。しかし、終始一貫音と音楽を愛し続けた男の人生である事だけは確かであって、すべてはここを支点としての生活である。こういう、いわば音馬鹿の姿を見ていただいて、音の世界がいかに魅力的なものかを感じていただくことも多少は意味のあることかも知れないと、またまた、これを一冊の本にまとめるという恥の上塗りをやってしまった次第。
     *
八年間の連載をまとめたのが「僕のオーディオ人生」であるだけに、
サウンドボーイ、HiViに掲載された文章すべてが読めるわけではない。
ページ数と物理的制約があるから、割愛されたところが少なくないのは仕方ない──、
とは頭では理解していても、「僕のオーディオ人生」を手によって、
やっぱり、ここは省かれていたのか……、と思った。

どれを載せて、どれを省くかは、編集者によって違う。
私だったら、と思うところが省かれていた。

それは、菅野先生の性的初体験のところである。
これを書くにあたって、かなり苦労されていたことを菅野先生からきいているだけに、
惜しいと思うし、音楽之友社の編集者の判断もわからないわけでもない。

菅野先生は何冊もの官能小説を購入して読んだ、と言われていた。
川上宗薫の作品について、高く評価されていたことを思い出す。

サウンドボーイ、HiViのバックナンバーはほとんど持っていない。
それが載っている号もない。
いつかは国会図書館に行き、すべてコピーしたいと思いながらも、実行にうつしていない。

菅野先生の音(オーディオ)を語る上で忘れてはならないのことのひとつに、官能性がある。
「僕のオーディオ人生」から、ここたけは引用しておこう。

戦時中疎開されているときのことを書かれている。
     *
 旧盆の八月十五日は、村をあげての盆踊りであった。これは、僕にとって実に大きな、フレッシュな体験となった。先に書いたように、佐渡へ着いて、船のPAスピーカーで聴いた《佐渡おけさ》によって、生れて初めて日本民謡の洗礼を受けた僕だったが、この盆踊りで、決定的に日本情緒が体内に染み込むこととなったように思う。これは、後年の僕の音楽生活だけではなく、情緒全般にきわめて大きな影響力をもつことになった体験であった。
 それだけではない。僕はこの夜、生れてはじめて、リアルなセックス体験をすることになったのだから、ことはもっと大きい。今でもこの夜のことを思い出すと、そのショックが鮮烈に蘇ってくるほどだ。
 農業組合の前の広場にやぐらが組まれ、昼間から太鼓や笛が奏されていた。「ピョロ、ピョロ、ピョロのロンロン」と笛は《おけさ》のメロディを奏で、僕のハートを踊らせた。僕の中には、ベートーヴェンもシューベルトもいなくなっていた。もっと強烈に、直接的に、心底からこみあげてくる情感の虜になってしまったようだ。
 単純な二拍子のリズムは、素朴で強烈な生命の鼓動そのものだ。塩風にのって香る海の空気、編笠をかぶり、浴衣に白足袋の男女が妖しく腰をくねらせながら足を運ぶ4ビートのステップ。
 やがて、陽がとっぷりとくれる頃、踊りのムードはクライマックスにクレッシェンドしていく。大人達に混じって僕ら子供達も、見よう見真似で《おけさ》や《相川音頭》を踊りながら、一種の恍惚の世界へ入り込んでいく。
 今思うと、これこそ音楽と舞踊の原点だ。僕が今、よく口にするカントの言葉「芸術とは、悟性の秩序づけをもった感性の遊びである」という定義からすると、これは確かに芸術ではない。悟性の秩序づけなど、薬にしたくても無に等しい。これはまさに、官能的情感に満ち溢れた感性の遊びそのものである。しかし、これぞ、音楽や舞踊が芸術に昇華された次元においても、絶対に存在すべき要素の一つであることを痛感せずにはいられない。クラシック音楽にも、ジャズにも、ましてやロックやフュージョンに、これが欠けていたら、音楽という人間行為は、まことに空しい。洗練の極致などという音楽への評価は、必ずしも賞め言葉とはいえない。だから僕は、カントの芸術の定義を、感性と情緒の遊びというふうに訂正したい。
 それはともかく、この昭和十九年八月十五日の夜は、僕の成長期における記念すべき夜であった。踊りに疲れた僕は、友達と一緒に目の前の海岸へ出た。嵐のあとでもあったので、そこにはたくさんの小船が引き上げられ、石垣にそって並べられていた。小船といってもかなり大きなものもあり、岸に上げられると、子供の背丈より高いものもあった。
 月の光に照らされた岸辺は真暗ではなかった。突如、友達の一人が「シーッ」と口を指でふさいだ。何のことだかわからなったが、僕は本能的に身をすくめ、足を止めた。嵐のあとの静かな潮騒に交って、異様な物音が聞こえてきたのである。人の息である。ときどきうめき声にも似た響きも聞こえる。荒々しい吐息に交って、明らかに女性の甘い泣き声のような呻きが聞こえるのである。しかし、その時の僕には、それが何を意味するものなのかはわからなかった。一緒にいた友達はわかっていたらしく、「べべ、べべ」と小声で僕にささやいた。「べべ?」僕にはよくわからなかった。後でわかったことだが、それは男女の性行為を意味する土地の言葉である。
 そこここに並べられていた船の中から、その声はもれていた。しかも一組ではないのである。友達に促され、そのうちの一つの船に近づいてみた。ちょうど船に上る台のような木材があったので、それに静かに上って、僕達は船べりから中を覗き見たのである。凄かった。悩ましかった。きれいだった。刺激的だった。踊りの着物を着た男女がもつれあっていたのだ。月の光に、雪のように白い女性の足が、赤銅色の男の足に絡んでいた光景は、壮絶に僕の目を射た。
 僕は息をのんだまま、その木造船の船べりに釘づけになってしまった。心臓の鼓動が大きすぎて、相手に気取られるのではないかと心配であったが、僕はそこから離れようとは絶対に思わなかった。口の中がカラカラに乾き、つばも飲みこめない苦しさであった。一体、これは何なのだ? 魅力的だが、ひどく罪深いことのようにも感じられた。おそろしく恥ずかしいような気持でもあった。それにもかかわらず、僕は男女のその部分を見たいと思った。僕のいる角度からは、男の尻の動きが見えるだけで、その部分はどうしても見えなかった。
 僕は疲れ果て、見つかることのおそろしさも手伝って、ついにその場を離れ、まだ見たがっていた友達を引っぱって、再び踊りの群へ帰ってきてしまった。
「どっと笑うて、立つ波風の、荒き折節、義経公は」武張った《相川音頭》を唄う青年の声は、艶と輝きに満ちていて美しかった。大きな輪を描いて踊る粋な男女の着物姿と、凛々しい太鼓のリズムは、今も僕の目と耳に焼きついて離れない。そして、それはあの生れて初めて見た男女の赤裸々な性の姿との見事なダブル・エクスポージュアなのである。
     *
昭和19年(1944年)だから、菅野先生は11歳である。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その9)

菅野先生と黒田先生の発言のあとは、こう続いている。
     *
菅野 煮つめていって同じであることをはっきりさせようっていうんですか。
黒田 いやそうじゃなくて、本当にいっしょになっちゃうのか、それとも全然別のことをお考えになってるか。
菅野 なるほど。いやそりゃねえ、煮つめりゃ同じですよね。だけれどもこれはやっぱり登り道がちがうし、見る景色の見方がちがうでしょうね。だけどその、その奥を煮つめればね、これはやっぱり同じになりますね。
黒田 同じになっちゃう。
菅野 なりますね。まちがいなくね。
     *
五味先生が、菅野先生と瀬川先生の音を聴かれたのは、1970年のことだ。
菅野先生も瀬川先生も30代。
登り道の途中である。

そういう二人の登り道の違いを、五味先生は聴かれていたのか、とも思うし、
五味先生の登り道は瀬川先生側であること、
つまりプレゼンスであることは、「五味オーディオ教室」を読んでいても、はっきりとわかる。

五味先生は「五味オーディオ教室」に書かれている。
ステージの重要性を書かれている。
     *
 つまりいかなる場合も、ピアノはステージに置かれていなければならない。スピーカーは、そのピアノのどっしりした安定感をまず出さねばならない。いろいろな機種の比較試聴のすえにようやく、私はこのことを知った。いい再生装置ほどピアノではなくピアノから響き出た音を、聴かせてくれることを。パラゴンが拙宅のオートグラフに勝るのは、衝撃音の鮮明さだけのように思えた。つまり歯切れがいいだけであるように。
 レコードで音楽を聴く場合、音楽を流しているのはスピーカーではない。鳴っているのは、じつは部屋の空気そのものだ、ということにようやく私は気がついたのだ。つまりスピーカーそれ自体は単なる一機能にすぎない。エンクロージァ全体が、さらに優秀な場合は部屋の空気の隅々が、音楽を満たすようにできているものなので、専門家ならわかりきったことと言うにきまっている。
 がしかし、実際に、空気全体が(キャビネットや、ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを私はいまだかつて聴いたことがない。鳴っているのはスピーカーのコーンでありキャビネットであった。今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。これこそは真にレコード音楽というものであろうと、私は思うのである。

 さてわれらのタンノイである。たとえば『ジークフリート』(ショルティ盤)を聴いてみる。「剣の動機」のトランペットで前奏曲が「ニーベルングの動機」を奏しつつおわると、森の洞窟の『第一場』があらわれる。小人のミーメに扮したストルツのテナーが小槌で剣を鍛えている。鍛えながらブツクサ勝手なごたくをならべている。そこへジークフリートがやってくる。舞台上手の洞窟の入口からだ。ジークフリートは粗末な山男の服をまとい、大きな熊をつれているが、どんな粗雑な装置でかけても多分、ミーメとジークフリートのやりとりはきこえるだろう。ミーメを罵り、彼の鍛えた剣を叩き折るのが、ヴィントガッセン扮するジークフリートの声だともわかるはずだ。しかし、洞窟の仄暗い雰囲気や、舞台中央の溶鉱炉にもえている?、そういったステージ全体に漂う雰囲気は再生してくれない。
 私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人ひとりがマイクの前に現われて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出ては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にあるとおりを歌い、つぎの出番のものと交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
 わがオートグラフでは、絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも、彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
     *
おそらく、でしかないが、五味先生にとっての肉体の復活を感じさせる音に不可欠なことは、
ステージの再現だった(はずだ)。

そのことは、「五味オーディオ教室」の冒頭、
つまり菅野先生の音について書かれているところにも、ある。
《たとえて言えば、ステージがないのである》と。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その8)

別項「確信していること(その26)」でも引用していることを、
もう一度書いておこう。

「ステレオのすべて ’77」の、
「リアリティまたはリアリスティックとプレゼンスの世界から いま音楽は装置に何を望むか」は、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による鼎談であり、
ひところ同じといえるJBLのシステムを鳴らしながらも、
菅野先生の音と背が保線性の音は、はっきりとした違いもあったはず。
二人の音について考える上でも読んでおきたい。

しかもこの年の春に出ているステレオサウンド 38号の、
いわば続きといえる内容だけに、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」とあわせて読みたい。
     *
菅野 僕は瀬川さんといつもよく話すことなんだけど、瀬川さんもJBLが好きで、僕もJBLが好きで、何年か前に瀬川さんのところへ行ってJBLを聴かせていただいた時にものすごくすばらしい音だと思った。だけどそこで聴いた音はね、僕からするとまったく今我々の申し上げたプレゼンスの傾向としてすはらしい音だと思ってしびれたわけです。それで僕が鳴らしているJBLというのは今度は今いったリアルの傾向で鳴らしているわけですね。それでよくお互いに同じスピーカーを使ってまあ鳴らし方がちがうなというふうに言っているわけで、つまりこれは鳴らし方にも今製品で言ったけどね、鳴らし方にもそういう差が出てくるというね、そこまで含められてくるでしょうね。
黒田 それで今回のこの企画のことを話された時に、菅野さんのそのリアリスティックで聴くっていう話しを聞いて、僕はやっぱり以前その聴かせていただいた音がピンときている。なるほどあれはリアリスティックという言葉を好んで使いそうな男の音だと、それで瀬川さんはプレゼンスだと。全くそうだと。それはその両者がそういう言葉を頻繁にお使いになるのは当然だと僕は思ったんです。で、ただその煮つめていけばどっかで同じになっちゃうことなんで、それを何かここではっきりさせようというのがどうもその編集部の意図らしいんです。
     *
鼎談のタイトルになっているリアリティ(リアリスティック)とプレゼンス。

このふたつは、
そして菅野先生と瀬川先生の音は、最終的には同じになってしまうであろうことは、
菅野先生のリスニングルームで、
ジャーマン・フィジックスのDDDドライバーを中心としたシステムの音を聴いていて、
感じていたし、そのことは菅野先生にも話している。

菅野先生も、瀬川先生が生きておられれば、
ジャーマン・フィジックスを鳴らされているだろう、ということに同意された。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ベートーヴェン観)

昨晩、そういえば──、と思い出した。
菅野先生は指揮者ピエール・モントゥーがお好きだった。

ピエール・モントゥーって、誰? という人も、いまではいるだろう。
モントゥーは、1964年に亡くなっている。

クラシックはさほど関心のない人でも、フルトヴェングラー、カラヤン、
ワルター、バーンスタインの名前は知っていようが、
モントゥーの名前を知っていて、録音を聴いたことがある、という人は、
いまやほんとうに少ない、と思う。

モントゥーはフランス人だった。
フランス人のクラシック演奏家といえば、イヴ・ナットもお好きだった。

イヴ・ナットのベートーヴェンのピアノソナタ全集は、菅野先生の愛聴盤でもある。
イヴ・ナットに師事していたフランスのピアニスト、ジャン=ベルナール・ポミエの全集も、
ナット以来の愛聴盤となった、とステレオサウンド別冊「音の世紀」で書かれていた。
     *
ドイツ系の演奏も嫌いではないが、ベートーヴェン音楽に共感するフランス系の演奏家とのケミカライズが好きなのだ。ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫りになり、重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力とでも言えばよいか?
     *
ポミエについて書かれていることは、そのままイヴ・ナットにも、
ピエール・モントゥーの演奏にもあてはまる。

「音の世紀」では、カルロス・クライバーのベートーヴェンの交響曲第五番と七番も、
21世紀に残したディスクの一枚として選ばれている。

クライバーはフランス系ではないが、クライバーのベートーヴェンも、
重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力を有している。

イヴ・ナットをお好きだったことは、かなり以前から知っていた。
それでも、ナットの素晴らしさをすんなり理解できるようになったのは、
私の場合、40になっていた。

後期のソナタも素晴らしかったけれど、それ以上に私の耳には初期のソナタが魅力的だった。

いまになって、菅野先生と、
ナットのこと、モントゥーのこと、ポミエのことを話しておけばよかった──、とおもうばかりだ。