Archive for category コントロールアンプ像

Date: 11月 20th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その4)

ステレオサウンドのバックナンバーを読み返していると、
いまになって気づくことがある。

ヤマハのコントロールアンプCX10000のことを、いま思い出している。
CX10000はヤマハ創業100周年記念モデルとして、1986年に登場した。

CX10000の他に、パワーアンプのMX10000、CDプレーヤーのCDX10000、
スピーカーシステムのNSX10000があった。

100周年を記念しての10000番シリーズの中で、いま注目したいのはCX10000である。
CX10000は、デジタル信号処理を採り入れたコントロールアンプである。

CX10000の登場からいまでは約30年が経過している。
デジタル信号処理の進化はすごいものがあった。
だからCX10000のデジタル信号処理の性能、それと音について語ろうとは思っていない。

ここでのテーマである「コントロールアンプと短歌」ということで、
CX10000を見直すことができないか、と思っている。

CX10000はブロックダイアグラムをみれば、アナログ系は実にシンプルになっている。
そこにデジタル信号処理が加わり、当時としてはかなり複雑(細かな)なことが可能になっていた。

1986年当時はiPadもiPhoneは、それこそ影も形もなかった。
つまりデジタル信号処理に関する操作は、すべてコントロールアンプだけで完結している必要があった。

タブレットのようなタッチディスプレイもなかった。
CX10000にはふたつのディスプレイがついているが、
どちらも数字と文字だけの表示である。表示領域も狭いし、モノクロ表示である。

CX10000はレベルコントロールだけがロータリー型で、
あとはすべてプッシュボタンである。
ただ正確にいえばバランスコントロールもロータリー型であるが、
フロントパネルにはなく、右前脚の隣にひっそりとつけられている。

ボタンを多用したコントロールアンプとしては、
CX10000の前にアキュフェーズの C240があった。
C240はレベルコントロール以外のすべてボタンにはしていなかった。

CX10000の写真をみながら、いまごろ思っているのは、
CX10000のデザインに関する苦労である。

いまならばiPadにインターフェースをすべてもっていって、
コントロールアンプ本体は、いわゆるブラックボックス化していくだろうが、
1986年はそういうわけにはいかない。

少ない情報量のディスプレイといくつものボタンとその操作だけで、
CX10000の多機能を、使い手に直感的に理解してもらう必要がある。

Date: 10月 28th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その3)

 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。
     *
アキュフェーズの創業者である春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」からの引用である。
「オーディオはバラスト」とつけられた短い文章だ。

短歌は日本語のバラスト(底荷)だ、という上田三四一氏のことばがある。

多機能コントロールアンプの代名詞といえるヤマハのCI、テクニクスのSU-A2のデザインに、
短歌的といえるなにかを見いだすことができるのであれば、
そのひとつは、バラストということかもしれない。

バラストは底荷だから、機能として目に見える存在ではない。
でもバラストがなければ船舶は転覆する。

コントロールアンプでは、それはどういうことなのか。

Date: 5月 13th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その2)

瀬川先生の文章を読んでヤマハのCIとテクニクスのSU-A2を、まっさきに思い浮べたのは、
そこに書かれていたことから遠い存在として、であった。

その後に、瀬川先生の文章のような存在といえるコントロールアンプいくつか思い浮べていた。
そしてこれらのコントロールアンプのデザインに 短歌的なものを見いだせるとしたら、
CIとSU-A2は、技術者がやりたいことをやったという性格のアンプだから、
文字数の制約のない小説ということになるのか。
そんなことを考えた。

そんなことを考えてながら思い出していたのは、
瀬川先生がステレオサウンド 52号の特集の巻頭に書かれた「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」だった。
マッキントッシュのC29とMC2205のことを書かれている。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
大河小説というキーワードで思い出したにすぎないのだが、
これがCIとSU-A2はほんとうに文字数の制約のない小説なのだろうか、と考え直すきっかけとなった。

ヤマハのCIは実際に触ったことはある。
とはいえ自分のモノとしてしばらく使ったわけではないし、触ったという程度に留まる。
SU-A2は実物を見た記憶がはっきりとない。
もしかすると学生時代に、どこかでちらっと見たような気もしないではないが、もうおぼろげだ。

これだけ多機能のコントロールアンプは短い期間でも自分の使ってみるしかない。
そのうえでないと、きちんと評価することはできない、といっていいだろう。

なのでCIとSU-A2に関しては、あくまでも写真を見ただけの判断になってしまうのだが、
このふたつのコントロールアンプに未消化と感じるところは、私にはない。

Date: 5月 11th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その1)

それは日本古来の短歌という形式にも似ている。三十一文字の中ですべての意味が完了しているという、そのような、ある形の中で最大限の力を発揮するという作業は、まことに日本人に向いているのだ、と思う。
     *
これは瀬川先生がラジオ技術 1961年1月号に書かれた文章である。
瀬川先生は1935年1月生れで、1961年1月号は1960年12月に出ているし、
原稿はその前に書かれているのだから、瀬川先生25歳の時の文章となる。

この文章はコントロールアンプのデザインについて書かれたもの。
短歌は、五・七・五・七・七の五句体からなる和歌であるから、
31文字であれば、六・六・五・五・九や四・五・六・八・八でいいわけではなく、
あくまでも31文字という制約と五・七・五・七・七の五句体という制約の中で、すべての意味が完了する。

正しく、これはコントロールアンプのデザインに求められることといえる。
これだけがコントロールアンプのデザインのあるべき姿とはいわないが、
瀬川先生がこれを書かれてから50年以上経ついま、きちんと考えてみる必要はある。

瀬川先生の、この文章を読んで、まず私が頭に思い浮べたのは、
ヤマハのCIとテクニクスのSU-A2だった。
どちらも非常に多機能なコントロールアンプである。
コントロールアンプの機能として、これ以上何が必要なのか、と考えても、
すぐには答が出ないくらいに充実した機能を備えているだけに、
それまでのコントロールアンプを見馴れた目には、
コントロールアンプという枠からはみ出しているかのようにもうつる。

ツマミの数も多いし、メーターも装備している。
そうなるとフロントパネルの面積は広くなり、それだけの機能を装備するということは、
回路もそれだけのものが必要となり、消費電力も増える。
電源はそれだけ余裕のある設計となり、筐体も大きくなり、
CIは重量17kg、消費電力55W、
SU-A2は重量38.5kg、消費電力は240Wとなっている。

このふたつのコントロールアンプは、だから短歌的デザインとはいえない、といえるだろうか。
私の知る限り、CI、SU-A2に匹敵する多機能のコントロールアンプは他にあっただろうか、
日本以外のメーカーから登場していない。

このふたつのコントロールアンプは、日本だから登場したモノといえる。
ということは、これらふたつのデザインに、短歌的といえるなにかを見いだすことができるのか。
そう考えた。

Date: 2月 4th, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その4)

別項「アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その15)」で、
アナログディス再生の、デジタルディスク再生に対しての強みは、
聴き手の感覚に合せられることのできる柔軟性にある、と書いた。
このことは聴き手の感覚を調整していくこと、とも書いた。

つまりデジタルディスク再生の弱みは、この柔軟性に欠ける点ともいえる。

そんな柔軟性は必要ない、という聴き手にとっては、
私が書いていこうとしているコントロールアンプの必要性はどうでもいいことだろう。

だが日本には四季があり、毎日の天候もまったく同じなわけではない。
乾いた日もあればじっとりした日もある。
気持ちいいと思える日もあれば、どんよりした日もある。

エアコンで空調が完全にコントロールされた部屋から一歩も外に出ずにすむ人ならば、
季節の変化に影響されることはないのかもしれない。
けれど、そんなわけにはいかない。
さまざまな事情で外に出ていく。そして実感している。

そういう暮しの中で、一年中同じ感覚を保つということは、終生変らぬ感覚のままということでもある。
そんなことがあるだろうか。

だから私はデジタルディスク再生における柔軟性を、コントロールアンプに求める。
別項「ミキサーはコントロールアンプたり得るのか」で、そのことについて書いていく。
これも、いま私が考えているコントロールアンプ像であり、
ここで書いていくことも、別のコントロールアンプ像である。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その3)

CDプレーヤーの出力は2Vrmsで、それまでのチューナーやテープデッキよりも出力電圧が高い。
ラインアンプのゲインが、CD登場以前のままではボリュウムをかなり絞り気味になる。
コントロールアンプのライン入力の感度も従来と同じというわけにはいかなくなってきた。

2Vあれば、ゲイン的にラインアンプは必要としない。
パワーアンプに直接接続すればいい。
レベルコントロールがパワーアンプ側にあれば、多少使いにくさはあるが、
パッシヴのフェーダーすらいらない。

デジタル信号処理が進歩したことでデジタルボリュウムも進歩している。
そうなってくるとパワーアンプ側のレベルコントロールもいらなくなる。
リモコンでレベルコントロールができる。使いにくさはなくなる。

しかもCD登場直前のコントロールアンプは、音質向上を謳い機能を省いたモノが多かった。
入力セレクターとレベルコントロールくらいの機能しかないモノもあった。
ならばいっそのことラインアンプは、もういらないんじゃないか、という発想が起るのが自然ともいえる。

そんなときに、いいタイミングでゼネラル通称がP&Gのフェーダーを使ったフェーダーボックスを製品化した。
けっこうヒットしたように思う。
しばらくしてより筐体をしっかりとつくったモデルも登場した。
こちらはしばらくステレオサウンド試聴室でもよく使っていた。

コントロールアンプの必要性を再考すべき時期が来ていた。
ステレオサウンドにいたとき、しっかりとこのことを再考していた、とはいえない。
反省がある。

離れてずいぶん経ち、こうやってブログを書くようになって考えている。
むしろCD(デジタル)だからこそ、コントロールアンプが必要だと、いまはいえる。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その2)

コントロールアンプは不要と考える人が出て来た(もしくは増えてきた)のは、
やはりCD登場以降である。

長島先生。
ステレオサウンド 61号を読まれた方ならば、
長島先生もまたコントロールアンプ不要の人ではないか、ということになる。

マランツのModel 7を長島先生は使われていた。
Model 7は管球式コントロールアンプを代表するモデルでもあり、
コントロールアンプとしての機能は過不足なく備えている。

けれど長島先生はModel 7のフォノイコライザーのみを使われていた。
トーンコントロールやフィルター機能をもつラインアンプは使われていない。

そしてレベルコントロールはDAVENのアッテネーターで行なわれていた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」。
ここでの瀬川先生の120万円の組合せ。
スピーカーはロジャースのLS3/5A、パワーアンプはルボックスのA740、
アナログプレーヤーはEMTの928。
コントロールアンプはない。

928にはイコライザーアンプが内蔵されている。
A740にはレベルコントロールがフロントパネルについている。
コントロールアンプがなくても最低限の機能は備えている。

もちろん予算が120万円と制約されていなければ、なんらかのコントロールアンプを選択されていたはず。
けれど制約の中とはいえ、ここで瀬川先生はコントロールアンプなしの組合せをつくられている。

とはいえ、CD登場以前はコントロールアンプを省こうとする人はそうはいなかったと思う。
それがCDの登場後、オーディオ雑誌でも取り上げられるし、実際の製品も登場するほど、
コントロールアンプの存在が稀薄になっていった。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その1)

NTi AUDIOFLEXUS FX100に強い関心をもっている。

この関心の強さは、
パノプティコンとしてのコントロールアンプ像を考えていくうえで深く関係してくると考えているからだ。

コントロールアンプは不要という人はいる。
アナログディスクを聴くにしても単体のフォノイコライザーアンプとパッシヴのフェーダーがあればいい、
CDも同様にCDプレーヤーとパッシヴのフェーダーがあれば、そのままパワーアンプに接続できる。

こういう人は、余分なものを通すと必ず音は悪くなる、という。
そしてシンプル・イズ・ベストだともいう。
だが、パッシヴのフェーダーを使い、コントロールアンプを省くことが、シンプルとなるのか。
それについては、別項でこれから書いていくとして、
実は私も一時期、パッシヴのフェーダーを使っていた。

定インピーダンスのアッテネーター、それもH型のバランス仕様のものを使いバランス伝送でやっていた。
もちろんインピーダンスマッチングもやっていた。

これはこれならではの音の良さはあった。
それでも、いまはコントロールアンプは必要とする考えである。

フェーダーだけのモノをパッシヴ型という、
一方、増幅回路をもつモノをアクティヴ型ともいう。

パッシヴとアクティヴ。
パッシヴでコントロール可能なのはレベルだけである。
アクティヴとなると、どうなるのか。
パッシヴとあまり変らないアクティヴも少なくない。

エレクトロニクスは進歩している。
特にデジタルの信号処理技術は驚くほどの進歩である。
だからFLEXUS FX100もあらわれてきた、といえよう。

ならばより積極的なアクティヴなコントロールアンプの出現を、私は望んでいる。
それがパノプティコンとしてのコントロールアンプである。

Date: 12月 12th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

ミキサーはコントロールアンプたり得るのか(その2)

マーク・レヴィンソンが送り出したコントロールアンプといえば、
まずマークレビンソン・ブランドのLNP2があり、それから機能を絞った薄型のJC2(ML1)、ML6、ML7が続き、
チェロ・ブランドのAudio Suitがある。

チェロ時代にはEncoreも出しているけれど、
機能的に捉えた場合、EncoreはML1、ML7的位置づけになるので割愛する。
その後のレッドローズ・ミュージック、現在のダニエル・ヘルツに関して、あえて取り上げない。

これら三つのコントロールアンプの形態で、
私がミキサー的なだなと感じるのは、LNP2よりもAudio Suitのほうである。

これら三つのコントロールアンプは、いずれもモジュール構成をとっているが、
そのモジュールの考え方は同じとはいえないところがある。

LNP2、JC2のころのモジュールは、いわばOPアンプ的モジュールである。
プラスチックの比較的小さなケースに回路基板をおさめ、ピッチで固めている。
ICタイプのOPアンプが、大きくなりディスクリート構成になったものといえる。

ML7、ML6A以降のモジュールはプラスチックのケースはなくなり、基板もかなり大型になっている。
モジュールといえばそうなのだが、視覚的にはメイン基板の上にサブ基板がコネクターを介して取り付けられている。

LNP2にはモジュールを追加することができた。JC2ではMCヘッドアンプを追加できた。
ML7以降になると、追加することはできなくなっている。
フォノイコライザー用の基板がMM型カートリッジ用とMC型カートリッジ用が用意されていたくらいだ。

これらとAudio Suitは、
モジュールの考え方・使い方が違っていて、その点がLNP2よりもミキサー的と感じるところへつながっている。

Date: 12月 10th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

ミキサーはコントロールアンプたり得るのか(その1)

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半には、ミキサーの一部がコントロールアンプとして存在していた。

岩崎先生が愛用されていたクワドエイト(QUADEIGHT)のLM6200Rがその筆頭だし、
イタリアのギャラクトロン(Galactron、輸入元:成川商会)のMK16、
ベルギーのロデック(Rodec、輸入元:今井商事)のMixmaster、
それにマークレビンソンのLNP2は、もともとミキサーとして開発されたLNP1がベースとなっているし、
LNP2をミキサーとして作りかえたモノが、当時のチック・コリアのコンサートでは使用されている。

1970年代のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEには、ミキサー/ノイズリダクションのページがあった。
当時は生録もブームだったこともあり、据置型だけでなく可搬型のミキサーもいくつかあった。
可搬型のモノはAC電源だけでなくDC電源パックが用意されていた。

この時代はまだCDは登場していなかったから、アナログディスクがプログラムソースの中心であり、
上記のモデルはすべてフォノイコライザーを搭載していた。
つまりフォノイコライザーがなければコントロールアンプとしてみなされなかった、ともいえる。

いまならば単体のフォノイコライザーアンプがいくつも登場してきているし、
アナログディスクを聴かない人もいるから、
フォノイコライザーを搭載していないミキサーでも、コントロールアンプとして使える、といえる。

ミキサーによってはパラメトリックイコライザーを搭載している機種もある。
ギャラクトロンのMK16は10バンドのグラフィックイコライザーを搭載していた。
クワドエイトのLM6200Rにはない。
ロデックのMixmasterには、いわゆるBASS・TREBLEのトーンコントロールがついていた。

コントロールアンプとミキサーとをわけるものといえば、ミキシング機能の有無なのだが、
それ以外にコントロールアンプとミキサーの共通するところ、そうでないところ、はっきりと違うところ、
これからのコントロールアンプ像を考えていく上で、ミキサーの存在は無視できないのではないか。

Date: 11月 23rd, 2014
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その18)

なぜ、プロフェッショナルではない、と私は言い切るのかといえば、
そういう手法を選択してしまった人たちは、
あれこれいうだろう、おまえが気づかないところまで細心の注意をはらってつくっているんだ、とか、
他にもいくつか、そういう人たちがいいそうなことは思い浮ぶが、
そんなことをではなく、プロフェッショナルであるならば問題解決を選ぶべきである。

にも関わらず問題回避を選んでいる。
だから、そういう人たちを私はプロフェッショナルではない、と言い切る。

Date: 11月 23rd, 2014
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その17)

コントロールアンプの入力端子のどれを使うかで音は変る。
以前のアンプ、フロントパネルの裏にロータリースイッチがあり、
リアパネルの入力端子からロータリースイッチまで配線を引き延している作りでは、
入力端子による違い、各入力間のクロストークは増える傾向にある。

ロータリースイッチではなくリレーを多用して、
入力端子からごく短い配線でメイン基板に接続し、そこでリレーによって切り替えを行うようにすれば、
各入力間のクロストークは大きく減少するし、入力端子による音の違いも減ってくる。

ゼロに近づけることができるけれど、決してゼロになることはない。
ならばいっそのこと入力端子を最少限にする。
つまりライン入力一系統にする。
そうすれば入力セレクターも省けるし、各入力間のクロストークも問題もなくなる。

そういうコントロールアンプはあったし、パッシヴフェーダーにもそういうものがある。
音質劣化の要素をなくすために、とか、音質最優先の設計を、そういう機種は謳う。

だがこの手の手法は、いかにもアマチュア的だ。
アマチュアが作るものであれば、これもありだが、
少なくとも製品化して一般市販するモノであれば、それはプロフェッショナルのつくるモノであってほしい。
もっといえば、プロフェッショナルのつくるモノでなければらない。

アマチュアでも思いつくことをプロフェッショナルと呼ばれている人がやる。
恥ずかしくないのか、と思う。

低価格でいい音という製品ならば、そういうアプローチもある。
そこまで否定する気はないが、非常に高価なコントロールアンプやパッシヴフェーダーでも、
そういう製品には、プロフェッショナルの矜恃はない。

以前、そういう製品に憧れ、そういうことをあれこれ夢想していたから、なおさらそうおもう。

Date: 11月 22nd, 2014
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その16)

コントロールアンプには入力端子がいくつかついている。
Phono入力があり、Line入力、Tape入力がある。
最近ではフォノイコライザーを搭載しないアンプの方が多くなってきたようだし、
テープ関係の入出力端子も省かれる傾向があるから、Line入力のみのモノもある。

Line入力が4系統あったとする。
Line1、Line2、Line3、Line4、
CDプレーヤーだけを接続するのであれば、どのLine入力にするか。

たいていはLine1になる。
私も最初の音出しはLine1を使う。
ただ細かなチェックな意味もかねて、他のLine入力端子にも接続して音を聴く。

アンプによってだが、必ずしもLine1が音がいいとは限らない。
Line4がよかったりすることもある。

これはなにもアナログ入力に限ったことではなく、
D/Aコンバーターや出だしる入力端子をもつコントロールアンプでも同じである。

入力端子が複数ついていれば、すべての端子でまったく音が同じということはますありえない。
これは入力端子だけではなく出力端子についてもいえることだ。

入力端子による音の違いが大きなアンプもあれば、気をつけなければあまり感じさせないアンプもある。
けれどすべての端子で全く同じ音がすることはない。

ソニーのTA-ER1は、この点でも見事だった。
どの端子に接ぎかえても音は変化はわずかであった。
こういう配慮がなされたコントロールアンプの先駆け的存在だった。

Date: 11月 21st, 2014
Cate: コントロールアンプ像

私がコントロールアンプに求めるもの(その15)

コントロールアンプの試聴では、試聴に必要な最低限の機器しか接続しないことが大半だ。
入力機器としてアナログプレーヤーとCDプレーヤーが、一機種ずつ程度である。

フォノイコライザーを持たないコントロールアンプであれば接続される入力機器は、
CDプレーヤー一台だけということになる。

だが現実にユーザーのリスニングルームではそういう例も少なくないけれど、
そうでないケースもまた多い。

CDプレーヤーにしても二台、三台持っている人もいるし、
チューナー、テープデッキを接続する人もいる。

アナログプレーヤーに関しても、一台のプレーヤーでもトーンアームをダブルにしている人もいるし、
一台のアナログプレーヤー、一本のトーンアームという場合でも、
カートリッジがMC型かMM型、MC型ならば昇圧手段はトランスなのかヘッドアンプなのか、
そういった違いがあり、それによってコントロールアンプは多少なりとも影響を受ける。

接続される機種の数、種類によって音は変化するし、
接続している機種の電源を入れるか入れないかでも音は影響を受ける。

だからコントロールアンプの理想としては入力端子すべてになんらかの機器が接続され、
すべての接続される機器の電源がオンの状態でも、まったく影響を受けないことが挙げられる。

実際にはこれは非常に困難なことであるし、
かなり高価なコントロールアンプでも、そういったことに配慮をはらっていないモデルも少なくない。
そういうモデルは、左右チャンネルのクロストークではなく、
各入力端子間のクロストークのチェックをすると、ボロを出すモノがある。

私がテストする機会があった範囲でいえば、ソニーのTA-ER1は十分な配慮がなされたコントロールアンプだった。

Date: 4月 5th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

モードセレクター(その2)

モードセレクターはほんとうに必要なのだろうか、とそのころの私は考えた。
ステレオ録音のLPを聴くのであればモードセレクターは必要としない。
モノーラル録音のLPを聴くのであれば、ステレオ用カートリッジではなくモノーラル専用カートリッジを用意する。
スピーカーも左右両チャンネル鳴らすのではなく、どちらか片方だけを鳴らす。

こう考えればモードセレクターが必要な機能とは思えなかった。

そのころの私はモノーラル専用カートリッジはまだ買えなかったし、
モノーラルLPの数も持ってはいたけれどいまよりもずっと少なかった。

将来はモノーラルはモノーラル専用カートリッジで、と考えていた私は、
モードセレクターはそういう機能だとしか認識できていなかった。

モノーラル録音をステレオ装置で聴くためのスイッチとして機能しかないように考えていたわけだ。
この考えはけっこう長かった。
20代になっても30代になってもモードセレクターの必要性は感じることがなかった。

モードセレクターに対する認識がはっきりと変ったのは40代になってからだ。
モードセレクターはチェックのために必要な機能だ、とやって気がつくことができた。