Date: 3月 22nd, 2022
Cate: コントロールアンプ像
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パッシヴ型フェーダーについて(その4)

パッシヴ型フェーダーを用いることでコントロールアンプを使わない、
そんな選択の対極にあるのが、コントロールアンプを使うに留まらず、
コントロールアンプとパワーアンプ間に、
パラメトリックイコライザーやグラフィックイコライザーを挿入する、というのがある。

ここでのコントロールアンプはトーンコントロール付きと考えてもらってもいい。
周波数特性をいじる機能が、いくつもあるシステム構成は、
パッシヴ型フェーダーを使い、そういった機能を省略したシステム構成と比較すれば、
音の鮮度という点では、不利といえば不利なのだが、
ここで考えたいのは、そういった機能を使いこなした場合においてでも、
不利といえるのか、である。

瀬川先生はトーンコントロールがないコントロールアンプは、
使う気になれない、と公言されていた。

長島先生はトーンコントロールを否定されてはいなかったけれども、
トーンコントロールをどんなにうまく使おうとも、本質は変化しない──、
そういう考えをされていた。

菅野先生は、積極的にシステムにイコライザー類をとりいれられていたし、
その使いこなしに、そうとうな情熱と時間を費やされていた。

瀬川先生が、ステレオサウンド 53号でマークレビンソンのML6について書かれている。
ML6は音の純度を追求するために、コントロールアンプにも関わらずモノーラル構成で、
入力セレクターとレベルコントロールのみというつくりである。
     *
 だいたいこのML6というアンプは、音質を劣化させる要素をできるだけ取り除くという目的から、回路の簡素化を徹底させて、その結果、使いやすさをほとんど無視してまで、こんにちの技術水準の限界のところでの音質の追求をしている製品だけに、そういう事情を理解しない人にとっては、およそ使いにくい、全く偏屈きわまりないプリアンプだ。個人的なことを言えば、私はレコードを聴くとき、できればトーンコントロールが欲しいほうだから、本来、こんな何もないアンプなど、使う気になれないというのが本心だ。
 そうでありながら、このML6の鳴らす音を一度耳にした途端から、私はすっかり参ってしまった。なにしろおそろしく透明で、素直で、音の表情を素晴らしくナイーヴに、しなやかに、鳴らし分ける。どこか頼りないくらい柔らかな音のように初めのうちは感じられるが、聴いているうちに、じわっとその音のよさが理解されはじめ、ふわりと広がる音像の芯は本当にしっかりしていることがわかる。こういう音を鳴らすために、いまの時点でこういう使いにくさがあるとしても、こりゃもう仕方ないや、と、いまやもうあきらめの心境である。
     *
ML6の音は、
《おそろしく透明で、素直で、音の表情を素晴らしくナイーヴに、しなやかに、鳴らし分ける》、
これを読んで、ML6に憧れた時期が私にもある。

このころ10代だった人は、ML6に特別な感情をもつ人が少なくないように、
いまも感じている。

いま読み返して再確認したのは、ここには鮮度という単語がないことだ。

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