Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

エッシェンバッハのブラームス 交響曲第四番(その2)

今回聴いたエッシェンバッハのブラームスは、
ヒューストン交響楽団を指揮しての四番ではなく、
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団との演奏である。

今回もTIDALで聴いている。
エッシェンバッハは、ヒューストン交響楽団と一番から四番まで録音しているが、
TIDALには一番と二番しかみあたらなかった(でもMQAだったのは嬉しい)。

四番は、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団とのものだけだった。
それで聴いみた次第。

聴いてすぐにライヴ録音だということはわかったぐらいだから、
どんな演奏なのかは、まったく知らずに聴いた。

TIDALにあったから聴いた、といういわば消極的な選曲での聴き方だ。
聴くきっかけがどうであろうと、このエッシェンバッハの四番が聴けてよかった。

しかも聴き終って調べてみたら、2005年、サントリーホールでのライヴ録音である。
こんな演奏が日本で行われていたのか──、という驚きと嬉しさと、
聴き逃していた後悔がないまぜになっていた。

もっともエッシェンバッハが2005年に来日していたことすら知らなかったのだから、
聴き逃していた、というよりも、まったく無関心だった自身を恥じるしかない。

それでも、いまこうやって聴くことがかなう。
おそらくTIDALを使っていなければ、
私はこのエッシェンバッハのブラームスに出逢うことはなかっただろう。

私の周りのクラシック好きの友人、知人のところで、
エッシェンバッハの演奏(ピアノ、指揮どちらも)を聴いたことはなかった。

それだけでなく、エッシェンバッハについて語ったことも記憶にないのだから、
どこかで偶然聴くということもない、と思う。

Date: 4月 15th, 2021
Cate: ディスク/ブック

エッシェンバッハのブラームス 交響曲第四番(その1)

ブラームスの四つの交響曲でよく聴くのは、一番と四番であり、
いちばん好きなのは四番である。

ブラームスの四番の、私の愛聴盤は、
カルロ・マリア・ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニーによる演奏(録音)である。

カルロス・クライバーもよく聴くし、
少し前に書いたトスカニーニ/フィルハーモニアのも、いい。

もちろんフルトヴェングラーの四番も好きだし、
ほかの指揮者でもけっこうな数を聴いてきた。

それでも比較的新しい演奏(録音)といえば、
リッカルド・シャイーの交響曲全集である。

2013年に発売、録音は2012年から2013年にかけて行われている。
シャイーよりもあとに録音された演奏は聴いていない。

ティーレマンは聴いてみたい、と思っているのだが、
手を出しそびれて、まだ聴いていない。

現役の指揮者でブラームスを積極的に聴いてみたい人は、いまのところいない。
これまで聴いてきた指揮者の演奏(録音)をこれからもくり返し聴いていけば、
充分ではないか、という気持がある。

ブラームスの四番を、聴き尽くした、聴き込んだと思っているわけではない。
いま持っているディスクをじっくり、
これからも聴いていくほうが実りあるのではないか──、そう思う気持が強い。

2月にクリストフ・エッシェンバッハの“Piano Lessons”のことを書いた。
エッシェンバッハの“Piano Lessons”をTIDALで聴いて、
エッシェンバッハのほかの演奏も聴くようになった。

エッシェンバッハのキャリアは長いから、
これまでもエッシェンバッハの演奏は、ピアノだけでなく指揮者としての演奏も聴いてきている。
とはいっても、エッシェンバッハの熱心な聴き手ではなかったから、
聴いていない演奏が、TIDALにはそこそこあった。

指揮者エッシェンバッハの演奏に、聴いてないのが多い。

Date: 4月 14th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Peter and the Wolf(その2)

(その1)を書いたあとで、
そういえば、黒田先生、「音楽への礼状」でプレヴィンについて書かれていたな、と思い出した。
書き出しも憶えていた。

ある高名な評論家のことから始まる。
     *
「こういうあつかいをされるのなら、これからは、きみのところとのつきあいを考えさせてもらうよ」
 受話器からは、そのようにいう、くぐもった声がきこえてきました。声の調子から判断して、声の主が感情をおしころしているのはあきらかでした。連載を依頼している、さる高名な、そして高齢でもある評論家に、そのようにいわれ、ヴェテランの編集者である彼は、大いにあわて、同時にびっくりもしました。なんでまた、そんなことを気にするのだろう、このひとは。彼がそう思ったのは当然でした。
 電話は、彼の雑誌の、その前日の新聞に掲載された広告に、件の高名な評論家の名前がのっていなかったことについての、厭味たっぷりな苦情でした。たまたま、その号の特集にスペースをとられ、そのために、連載をしている評論家の名前をのせられなかった、というだけのことでした。その程度のことは、わざわざ広告部に問い合わせるまでもなく、彼にも予測できました。
     *
この高名な評論家が誰なのかは、なんとなく知っている。
そんなことをする人だったのか、と思ったし、
黒田先生が書かれているように、その行いは《想像を絶すること》だ。

高名な評論家といえど、いわゆる自由業である。
出版社から毎月決った額を受けとれるわけではない。

だからこそ、名を売っていかなければならない──、
そういう考えの人も多いのは経験上知っている。

十分な名声があったとしても、新しい人たちが参入してくるし、
将来が保証されているわけでもないから、名前が載ることは名によりも優先することなのだろう。

黒田先生も音楽評論家だったから、この高名な評論家と立場としては同じである。
《めだって、広く世間にその名を知られるようになる、というのは、たまたまの結果でしかなく、目的であってはならないでしょう》
とも書かれている。

黒田先生は、バーンスタインのマーラーを一人称の演奏の代表例とすれば、
プレヴィンの演奏は三人称の演奏である、と。

つづけて、こう書かれている。
     *
 奇麗だけど、それ以上ではない。それがあなたの演奏をきいた多くのひとのいうことばです。ぼくも、半分は、その意見に賛成です。しかし、あなたの演奏の、一歩ひいたところで語ろうとする慎ましさが、ぼくは大好きです。あなたは、なりふりかまわずふるまうことを、潔しとしない。そのために、あなたの演奏は、めだちにくい、地味なものになりがちです。
 俺が、俺が、とわめきたてる声が、所を選ばずまきあがっているのが、この時代のようです。バーンスタインの演奏は一人称の演奏の素晴らしい例ですが、そうではない、めだつことだけをねらったあざとい演奏も、こういう時代ですから、たくさんあります。そのような騒がしい状況にあって、あなたの真摯で慎ましい演奏は、いかにもめだたない。ききての耳が粗くなっているためもあるかもしれません。しかし、このことは、なにごとによらず、この時代のすべてについていえるようです。
     *
《奇麗だけど、それ以上ではない》、
20代のころの私は、そう感じていた。

バーンスタインのマーラーに夢中になっていたころだから、
そのころもいまも変らないが、一人称の優れた演奏をとにかく聴きたい、と思っている。

Date: 4月 11th, 2021
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クルレンツィスのベートーヴェン(その2)

カザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団のベートーヴェンでは、
四楽章の途中で、指揮棒が譜面台に当る音がする。

クルレンツィスのベートーヴェンがそこのところにきたとき、
その音がしない、とおもってしまった。

するはずがないのに、そうおもってしまった。
これまでかなりの数のベートーヴェンの七番を聴いてきている。

一度も、そんなことをおもったことはなかった。
思うはずがないのに、今回はそうおもっていた。

カザルスとクルレンツィスは、ずいぶん対照的でもある。
まず年齢が大きく違うし、二人の体形もずいぶん違う。
オーケストラの成り立ちも違う。

カザルスのベートーヴェンとクルレンツィスのベートーヴェンは、
二人の体形の違いのようなところがある。

にもかかわらず、四楽章の途中でそんなことを感じていた。
なぜ、そんなふうに感じたのかはいまのところなんともいえないのだが、
ひとついえそうなことは、二人のベートーヴェンは自由である。

ここでの自由は、好き勝手やっているという意味では当然ない。
自分自身にとても率直である、という意味での自由である。

Date: 4月 10th, 2021
Cate: ディスク/ブック

クルレンツィスのベートーヴェン(その1)

数年前、あるところでクルレンツィス指揮のチャイコフスキーを聴いた。
チャイコフスキーはあまり聴かない。

クルレンツィスのチャイコフスキーが話題になっていたことは知っていたけれど、
積極的に聴こうとはしていなかった。
そこに聴く機会がおとずれた。

おもわずCDを買って帰ろうか、とした。
けれどハイレゾリューションで録音されているわけだから、
CDではなく、もっと優れた媒体で聴きたい、とおもったことがひとつと、
やっぱりチャイコフスキーだったこともある。

それでもクルレンツィスのチャイコフスキーは気になっていた。
とはいえ、このころはまだメリディアンの218は導入していなかったし、
SACDプレーヤーも持っていなかった。

そのクルレンツィスが、ベートーヴェンを録音しはじめた。
ベートーヴェン生誕250年の昨年、交響曲第五番が出た。
七番も秋に発売予定だったのが、コロナ禍の影響で発売延期。

つい先日、発売になった。
五番ももちろん聴いている。
正直なところ、五番にはちょっとがっかりしていた。

高く評価されていることは知っているが、
チャイコフスキーを聴いて、こちらが勝手に期待していたのと違っていただけのことであって、
悪い演奏というわけではない。

昨晩、ブログを書き終ってからクルレンツィスの七番を聴いた。
五番のときと違い、こちらの勝手な期待はもうなかった。

それがよかったのかどうかはなんともいえないが、
出だしから、ぐいっとクルレンツィスのベートーヴェンの世界に引き込まれてしまった。
この衝撃は、クルレンツィスのチャイコフスキー以上だった。

と同時に、なにか近いというふうにも感じ始めていた。
四楽章を聴いていて、カザルスに近い、と気づいた。

Date: 4月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック
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アレクシス・ワイセンベルク(その2)

今回初めて知ったといえば、
ワイセンベルクと黒柳徹子の関係である。

まったく知らなかった。
(その1)へのコメントがfacebookにあり、
そんなことがあった? とGoogleで検索。

けっこうな数が表示されたということは、割と知られたことだったのか、とまた驚き。

ワイセンベルクと黒柳徹子の関係について書いている人のなかには、
クラシックにそう詳しくない人もいるように感じた。
そういう人でも知っていたことを、私はまったく知らなかった。

つまり、そのくらいワイセンベルクに、ついこのあいだまでほとんど関心をもっていなかった。

ワイセンベルクの録音で、まず浮ぶのはカラヤンとの協演、
それからアンネ=ゾフィー・ムターとの協演である。

ワイセンベルクのソロの録音が浮ぶことは、つい先日までなかった。
それがいまやTIDALで、おもにワイセンベルクのソロの録音を集中的に聴いている。

私のなかにあるワイセンベルクのイメージは、
カラヤンとの協演によってつくられている、といっていい。

だから、よけいにソロを聴いて驚いている。
ハイドン、バッハを、今回初めて聴いて驚いている。

こんなストイックな表現をする人だったのか、と驚いている。

Date: 4月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

アレクシス・ワイセンベルク(その1)

ここ数日、TIDALで集中的に聴いているのが、アレクシス・ワイセンベルクである。
これまでワイセンベルクの録音は、ほとんど聴いてこなかった、といっていい。

もちろんゼロではない。
それでも好きな演奏家の録音を聴いてきた回数からすれば、ゼロに近いといっていい。
なぜ聴かなかったかというと、カラヤンと協演しているピアニスト、
その印象が強かったからだ。

「五味オーディオ教室」の影響が大きすぎる私にとって、
カラヤンの評価も、五味先生の影響が大きい。

アンチ・カラヤンというわけではないが、
カラヤンの録音で積極的に聴いているのは、
五味先生も絶賛されていた初期のころと、
それから五味先生が聴かれていない最晩年のころの演奏(録音)である。

ワイセンベルクは、私があまり聴いてこなかった時代のカラヤンとの協演が多い。
それに、なんとなくだが、正確に演奏する人というイメージが、
決していい方向ではなく、どちらかといえばネガティヴなほうに働いてもいた。

嫌いでもない(それほど聴いていないのだから)。
好きでもない。

なのに、ここ数日は聴いている。
TIDALがあるから、聴いている。

聴くきっかけは、グレン・グールドの言葉をふと思い出したからだった。
グールドは、ワイセンベルクは、どんな曲でも聴く気にさせる、
そんなことをいっていたからだ。

それもずいぶん前に読んでいた。
そのときに、ちょっとだけワイセンベルクを聴いてみようかな、と思いもした。
けれど、他に聴きたいディスクを優先しすぎて、
誰かとの協演して録音で聴くぐらいだった。

いまは違う。
TIDALで、かなりの録音を聴ける。
ワイセンベルクのソロも聴ける。

聴いて、グールドのいっているとおりだ、と思っていた。

今回はじめて知ったのだが、
ワイセンベルクはパーキンソン病を患っていた。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ホロヴィッツのトロイメライ

アルゲリッチのシューマンのアルバムが出たころだった、と記憶している。
ラジオ技術で、西条卓夫氏が、「子供の情景」のトロイメライはホロヴィッツに限る、
それも1965年、カーネギーホールでの演奏ということを書かれていた。

アルゲリッチの「子供の情景」はよく聴いた。
ステレオサウンドでの試聴ディスクとしても聴いていた。

サウンドボーイ編集長のOさんは、「ハスキルもいいぞ」ということだった。
ハスキルもよかった。
それもあって、なんとなくだが、
「子供情景」、「クライスレリアーナ」は閨秀ピアニストがいい、というふうになっていた。

ホロヴィッツがいい──、
それはわかる。
でもこちらの感覚的には避けていたところがあった。

ホロヴィッツのほかのディスクは買って聴いていた。
でも、1965年のカーネギーホールのディスクだけは避けてしまっていた。

1986年のモスクワでのコンサート。
ドイツ・グラモフォン盤は聴いた。
ここでもトロイメライは聴ける。

トロイメライという曲は、
コンサートホールという、大勢の人を相手に聴かせる曲なのだろうか。
そんなふうに思うところが私にはあるから、
トロイメライのような曲は、スタジオ録音がいい。

アルゲリッチのシューマンのころは、頻繁に聴いていたけれど、
ぷっつりと聴かなくなった。

ホロヴィッツのモスクワのライヴ録音のように、収録曲として含まれていたら聴いていたけれど、
あえて「子供の情景」、「トロイメライ」を聴きたい、とは思わなくなっていたので、
どこかで耳にする以外は、これまでずっと聴いてこなかった。

もしかすると、もう聴くことはなかったかもしれない。
けれど、TIDALで、ふと興味半分で検索してみたら、やっぱりあった。
ホロヴィッツの1965年のトロイメライを、初めて聴いた。

西条卓夫氏が、1965年の演奏を推されるのか。
聴けば、直感的に理解できる。

会場のざわめきはある。
けれど、静まりかえっている。
へんないいかただが、公開スタジオ録音のようにも感じられる。

今回も、落穂拾い的な聴き方といえはそうなのだが、
拾っていかなければならない落穂が、私にはまだまだあることを感じていた。

Date: 4月 2nd, 2021
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Hallelujah(その2)

“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”は、2017年に公開された映画だが、
最初の監督、ザック・スナイダーが降板したため、別の監督に途中で交代している。

そのため、ザック・スナイダー版“JUSTICE LEAGUE”の公開を求めて、
アメリカで署名運動が起き、今年HBO Maxで配信公開されている。

サウンドトラックも、2017年版があり、
今回のザック・スナイダー版とがある。

CDはまだ発売になっていないようだが、
というよりもCDが出るのかどうかも、ちょっとあやしい。

TIDALで最近聴けるようになったのだけれども、
収録曲数54で、トータル4時間と表示される。

なのでCDの発売はないのかもしれない。

ザック・スナイダー版サウンドトラックには、“Hallelujah”がある。
レナード・コーエンのHallelujahである。
歌っているのは、Alison Crowe(アリソン・クロウ)。
ピアノの弾き語りだ。

この“Hallelujah”も、いい。

Date: 4月 1st, 2021
Cate: ディスク/ブック

LA PASSIONE(その1)

ジャクリーヌ・デュ=プレが多発性硬化症におかされることなく、
演奏活動を続けていたら──と想像することがある。

チェロを弾くだけでなく、指揮活動もやっていたのではないだろうか、とふとおもってしまう。
いまでは女性の指揮者も珍しくなくなったけれど、
以前はそうではなかった。

私が女性の指揮する演奏(録音)を聴いたのは、
アルゲリッチの弾き振り(ベートーヴェンとハイドンの協奏曲)が最初だった。

アナログディスクだった。日本盤ということもあってか、
期待したにもかかわらず、これがアルゲリッチ? と残念に感じたものだった。

それからけっこう経ってCDも出てきた。
このときは期待していなかったけれど、まったく印象が違って聴こえた。
まさか再録音したのか、とつい思ってしまうほどに、活き活きとした演奏だった。

単に日本盤の音が悪すぎたのだろう。

内田光子もモーツァルトの協奏曲を弾き振りしている。
こういう演奏を聴くと、よけいにデュ=プレは? とあれこれおもってしまう。

バーバラ・ハンニガン(Barbara Hannigan)という、カナダのソプラノ歌手がいる。
タワーレコードの店頭で、ハンニガンのディスクをけっこう前にみかけてから、
ぽつぽつと聴いている。

あくまでもぽつぽつといったぐらいなので、
ハンニガンの活動にそれほど詳しいわけでもない。
それでも十年くらい前から指揮も始めたことぐらいは知っていた。

弾き振りならぬ、歌っての指揮なのだから、歌い振りとでもいうのだろうか。
指揮だけの録音があるとは思っていなかった。

facebookを眺めていたら、ハンニガンが指揮している動画が表示された。
ハイドンの交響曲第49番だった。

交響曲も指揮するのか、ハイドンの49番なのか。
それにハンニガンの指揮ぶりは、なかなかユニークだった。
さっそくTIDALで検索してみると、オーケストラは違うものの、あった。

“LA PASSIONE”である。
ジャケットには、ハンニガンとオーケストラの名称だけで、
作曲家の名前はない。

このディスクが出ていたのは知っていたけれど、
そこにハイドンの“La Passione”が含まれていることに気づいていなかった。

Date: 3月 25th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ARTURO TOSCANINI -PHILHARMONIA ORCHESTRA- BRAHMS(その2)

TIDALで聴くことができる“ARTURO TOSCANINI – PHILHARMONIA ORCHESTRA – BRAHMS”も、
おそらくはテスタメントのマスタリングが使われているのだろう。

今日、二十年分ぐらいに、トスカニーニとフィルハーモニアのブラームスを聴いた。
昔聴いた音が驚くほど鮮明になっているわけではないが、
特に不満はないぐらいによくなっていると感じた。

そのこともあってだろう、昔聴いた印象よりも、ずっといい。
福永陽一郎氏がいわれるように、素晴らしいブラームスである。

オーケストラがイギリスということもあるのだろう、
自発的なしなやかさが、NBC交響楽団とのブラームスに加わっているような感じがする。

そしてMQAのよさは、トスカニーニの指揮の特徴をうまく引き出しているのではないだろうか。
トスカニーニの指揮の特徴は、これまでに聴いた録音だけでなく、
トスカニーニについて書かれた文章からも、知識として得ているところがある。

確か、福永陽一郎氏は、トスカニーニ/フィルハーモニアのブラームスでは、
トスカニーニの最良のところが発揮されている、と書かれていた、と記憶している。

今日、MQAで聴いて、そうだそうだ、と首肯けた。
トスカニーニの最良のところを、今日、再発見したのではないだろうか。

TIDALにMQAで配信されていなかったら、
テスタメント盤かワーナーのボックスのどちらかを、いつかは買っただろう。

どちらであっても、昔私が聴いた盤よりはいい音なのだろう。
そう思いながらもMQAで、今日聴けて幸いだった。

Date: 3月 25th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ARTURO TOSCANINI -PHILHARMONIA ORCHESTRA- BRAHMS(その1)

福永陽一郎氏の「私のレコード棚から──世界の指揮者たち」(音楽之友社)。
トスカニーニを、これほど貶した文章は、他で読んだことがない。

福永陽一郎氏は、トスカニーニ/NBC交響楽団の録音をまったくといっていいくらいに、
全否定されていたけれど、
トスカニーニとフィルハーモニアによるブラームスの録音だけは、絶賛されていた。

1980年代のレコード芸術の特集、名曲・名盤でも、
福永陽一郎氏はブラームスの交響曲のところで、
トスカニーニ/フィルハーモニア盤を、高く評価されていた。

どちらも手元にないので正確な引用ではないが、
トスカニーニに関しては、フィルハーモニアとのブラームスだけを聴いていればいい──、
そんな感じのことを書かれていたはずだ。

ここまで書かれていると、興味がわく。
そのころアナログディスクで、トスカニーニ/フィルハーモニアのブラームスは出ていた。

買って聴いた。
演奏の前に、音が貧相だったのが気になった。

福永陽一郎氏のように断言できるほど、当時はトスカニーニの演奏を聴いていたわけではなかった。
でもトスカニーニが残した録音のなかでも、フィルハーモニアとのブラームスは、たしかにいい。

あとすこしだけ音が良好であったならば……、そう感じてもいた。

当時、トスカニーニはRCA専属だったため、
フィルハーモニアとの演奏の録音は発売できずに、
プロデューサーのウォルター・レッグがマスターテープを所有したままだった。

それでもなんらかのコピーがレコードとして発売になっていた。
2000年に、イギリスのテスタメントが、
ようやくレッグ所有のマスターテープを元にCD復刻をした。

2020年、フィルハーモニア創立75周年のCDボックスが、ワーナーから発売になった。
トスカニーニのブラームスも含まれていた。
このボックスでも、テスタメントによるマスタリングが使われている。

気にはなっていたが、どちらも買わないままだった。
さきほどTIDALで検索してみた。

あった。
トスカニーニ/フィルハーモニアによるブラームスが、MQA(44.1kHz)であった。

TIDALを使うようになってすぐに検索したときは、なかった(私の見落しかもしれないが)。
それが、いまはある。

Date: 3月 18th, 2021
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Alice Ader

2010年、最初に購入したCDの一枚が、
アリス・アデール(Alice Ader)による「フーガの技法」である。

このことは別項「AAとGGに通底するもの」にも書いている。
この「フーガの技法」で、アリス・アデールというフランスのピアニストを知った。

アデールの「フーガの技法」は、友人にもすすめた。
彼も、アデールの「フーガの技法」を聴いて、感動した、という連絡があった。

クラシックをメインに聴いていない友人に、
いつもお世話になっているから誕生日のプレゼントに贈ろう、と、
翌々年くらいに思い、注文しようとしたところ、入手できなかった。

いまはまた入手できるようになっている。
それにしてもアデールのディスクは、そう多くないという少ない。

2010年1月、「フーガの技法」を聴いてから、
ほかの演奏も聴いてみたいと思ったものの、
タワーレコードもHMVでも、見当たらなかった。

なので、ずっとアリス・アデールに関しては「フーガの技法」だけしか聴いてこなかった。

ここまで書けば、察しのいい方ならば、またTIDALか、と思われるだろう。
そうTIDALである。

昨晩、ふとアリス・アデールはあるのか、と検索したら、
「フーガの技法」だけでなく、モンボウ、モーツァルト、スカルラッティ、ラヴェル、
ムソルグスキー、フランクなどがある。

これらのCDは、日本でも現在入手できるのかと検索してみたら、
数枚は入手できるようだ。
でも半分にも満たなかった。

とにかくTIDALがあれば、アリス・アデールが聴ける。
昨晩は、だからアリス・アデールを二時間ほど聴いていた。

今日、早起きする必要がなかったなら、すべての録音を聴き通したいほどだった。

Date: 3月 17th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その6)

一年前に、
シゲティのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータのLPが出た。
そのときに、MQAで聴けないものか、と書いた。

昨秋、TIDALに入った。
シゲティのアルバムはTIDALにもある。
けれどMQAでは、いまのところ聴けない。
そんな日が早くきてほしい、とおもっているところに、
SACDが近々発売になる、というメールがタワーレコードの新譜案内のメールに載っていた。

案内には、Vanguard Classic提供のハイビット・ハイサンプリングのマスターをもとに、とある。
期待できそうだ。
と同時に、ならばそのままMQAでTIDALで配信を始めてくれれば、さらに嬉しい。

TIDALもあるから、聴けるバッハの無伴奏の数は多い。
それでもくり返し聴くのは、ここ十年以上そう変っていない。

シゲティをよく聴く。
だからSACDの登場は、待ってました! という心境だ。

Date: 3月 14th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Elgar: Cello Concerto, Op. 85 & Sea Pictures, Op. 37(その3)

e-onkyoは、つねになんらかのプライスオフをやっている。
いまもいくつかのプライスオフが行われている。

そのひとつに、「ワーナー・ミュージック音源から麻倉怜士が厳選!」がある。
そこにデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲がある。
通常3,145円が3月18日までは2,515円で購入できる。

けっこうなことのように一見おもえるが、
このデュ=プレのエルガーは44.1kHz、24ビットである。

(その2)で書いているように昨年11月に、
デュ=プレのエルガーは、192kHz、24ビットが配信が始まっている。

44.1kHz、24ビットのほうは、2011年リマスターで、
192kHz、24ビットのほうは、2020年リマスターである。
どちらもMQA Studioがある。

2020年リマスターは192kHzだから、価格も高いのでは? と思いがちだが、
こちらは通常価格が2,515円である。

それにしても、なぜ2020年リマスターではなく、2011年リマスターなのか。
麻倉怜士氏は、あえて2011年リマスターなのか。

そのへんのことは言及されていないので、なんともいえない。