Archive for category ディスク/ブック

Date: 5月 8th, 2018
Cate: ディスク/ブック

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE。
手塚治虫の「雨のコンダクター」で描かれている二人の指揮者のひとり、
バーンスタインによるハイドンの「戦時のミサ」。

1973年1月19日、ワシントン大聖堂でのベトナム反戦コンサートで、
バーンスタインは「戦時のミサ」を振っている。

数年前に出ているバーンスタインのハイドン集(12枚組)に、
「戦時のミサ」が収められているのは知っていた。

1月19日の演奏ではなく、翌20日に同じ場所での録音である。
12枚で、当時の売価は2000円くらいだった。
なぜか買わなかった。

安すぎると思ったことも関係している。
それだけが理由ではないのだろうが、なぜか買う気になれなかった。

いつか聴きたい、と思いながらも、なぜか買わない。
バーンスタインはフィリップスにも「戦時のミサ」を残している。
フィリップス盤もながらく廃盤だったはずだ。

先週末、新宿のタワーレコードをなんとはなしに見ていたら、
SACDのコーナーに、バーンスタインの「戦時のミサ」が置いてあった。
DUTTONから、2017年11月に出ていた、ようだ。

この登場を、待っていたのだろうか──、と自分でも思ってしまった。

Date: 5月 4th, 2018
Cate: ディスク/ブック

FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その1)

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”。
タイトルをいわれてもピンとこない人でも、
スーパーギタートリオのライヴ盤といえば、通じる。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いたときのことは、
別項で何度か書いている。
とにかく驚いた。

その驚きは、いまも続いている。
これまでに何度聴いたのかわからぬほど聴いているにも関らず、
聴けば、やはり凄い、と驚く。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は通して聴くこともあれば、
冒頭の「地中海の舞踏/広い河」だけを聴くことも多い。

「地中海の舞踏/広い河」に関しては、細部まで憶えている、といっていい。
なのに、聴けば必ず凄い、と感じ、驚く。

audio wednesdayで音を鳴らすようになって、一度このディスクを鳴らしている。
5月2日のaudio wednesdayでも、鳴らした。

2016年に鳴らしたときはCDだった。
今回はSACDである。

2016年のときは、スピーカーが少し違っていた。
ドライバーはJBLの2441にホーンは2397だった。
今回はアルテックのドライバーにホーンの組合せ。

2397は木製、アルテックの811Bは金属製。
ホーンの形状も違うけれど、今回はホーンの材質の違いを、
それからJBLとアルテックのドライバーの構造上の違いを、
はっきりと聴いて感じられたような結果となったのは、
SACDだから、ということも関係しているように思われる。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: ディスク/ブック

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その16)

ステレオサウンド 55号の特集2の「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」、
瀬川先生と山中先生が試聴を担当されている。
記事には、試聴中の写真が各機種毎に載っている。

山中先生はダストカバー付きだったり外した状態だったりしているが、
瀬川先生は少なくとも写真をみるかぎりではすべて外した状態での試聴である。

そこで思い出すのが、下に引用する文章だ。
     *
プレーヤーを選択するのに、しかし、必ずしも厳格な意味での音質本位で選ぶとはかぎらない。これはすでに岡俊雄氏が「レコードと音楽とオーディオと」(ステレオサウンド社刊)の中で紹介された話だが、音楽評論家の黒田恭一氏は、かつて西独デュアルのオートマチックのプレーヤーを愛用しておられた。このプレーヤーは、レコードを載せてスタートのボタンを押すだけで、あとは一切を自動的に演奏し終了するが、ボタンを押してから最初の音が出るまでに、約14秒の時間がかかる。この14秒のあいだに、黒田氏は、ゆっくりと自分の椅子に身を沈めて、音楽の始まるのを待つ。黒田氏がそれを「黄金の14秒」と名づけたことからもわかるように、レコードを載せてから音が聴こえはじめるまでの、黒田氏にとっては「快適」なタイムラグ(時間ズレ)なのである。
 ところが私(瀬川)はこれと反対だ。ボタンを押してから14秒はおろか、5秒でももう長すぎてイライラする。というよりも、自分には自分の感覚のリズムがあって、オートプレーヤーはその感覚のリズムに全く乗ってくれない。それよりは、自動(オート)でない手がけ(マニュアル)のプレーヤーで、トーンアームを自分手でレコードに載せたい。針をレコードの好きな部分にたちどころに下ろし、その瞬間に、空いているほうの手でサッとボリュウムを上げる。岡俊雄氏はそれを「この間約1/2秒かそれ以下……」といささか過大に書いてくださったが、レコードプレーヤーの操作にいくぶんの自信のある私でも、常に1/2秒以下というわけにはゆかない。であるにしても、ともかく私は、オートプレーヤーの「勝手なタイムラグ」が我慢できないほどせっかちだ。
(「続コンポーネントステレオのすすめ」より)
     *
「5秒でももう長すぎてイライラする」瀬川先生にとって、
レコードのかけかえのために閉じたり開けたりするする必要が生じるダストカバーは、
自分の感覚のリズムをを乱す邪魔な存在でしかなかったのだろう。

そのためか、55号の瀬川先生の試聴記には「デザイン・操作性」という項目があるが、
そこでダストカバーについては一切触れられていない。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(余談)

シンガーズ・アンリミテッドの録音は、MPSだった。
ポリグラム、そしてユニバーサルミュージックから発売されていた。
最近ではビクターが、2015年から24ビット、88.2kHzのフォーマットで配信を行っていた。

けれどそのラインナップにはシンガーズ・アンリミテッドは含まれてなかった。
さきほど検索してみたら、ビクターのサイトにはMPSのページはなかった。
e-onkyo musicでは購入できるようだ。

CDはタワーレコード限定で、二年ほど前に発売になっていた。
K2リマスターだったから、ビクターが手がけたのだろう。

MPSは、ドイツのEdel Germany GmbHが所有している。
ある人の話では、日本でのDSD配信を計画している、らしい。

権利関係がどうなっているのか、そのへんを確認・整理してのことになるし、
いつ開始されるのは知らないし、まだ決っていないようだ。

それでも始まってくれれば、
シンガーズ・アンリミテッドの録音もそこに含まれるかもしれない。
グルダの平均律クラヴィーア曲集も期待したい。

Date: 4月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その3)

ビューアーがどういうのかはステレオサウンド 47号を読んた時点でも知ってはいた。
けれど実際にビューアーでポジフィルムを見たことはなかった。

テレビや映画で、そういうシーンを見ていて、なんとなく知っている──、
その程度だった。
ビューアーでポジを見たのは、ステレオサウンドで働くようになってからである。

たしかにそれはスクリーンに映すのとは、はっきりと違う。
LS3/5Aの音は、たしかにビューアーでみる音の世界である。

このブログで、LS3/5Aと、
それ以降(たとえばセレッションのSL6以降)の小型スピーカーとの違いについて、
幾度か書いてきた。

スクリーンかビューアーか。
その違いもある。

SL6(SL600)は、もうビューアーの世界ではない。
ルーペで拡大して、細部を見ていくような世界ではない。
スクリーンに映す世界であり、どちらが優れている、そういうことではなく、
小型スピーカーの、ある時期からはっきりと変化してきたわけだ。

野上眞宏さんがそれまで鳴らされていたスピーカー(修理待ち)もまた、
小型スピーカーであり、私はLS3/5Aと同じ世界(領域)の小型スピーカーと認識している。

野上眞宏さんが、別のスピーカー、
同じ小型でもスクリーンに映すタイプであったり、大型のスピーカーであったりしたら、
そして自作スピーカーが、まるでタイプの違うものであったりしたら、
そして私がシンガーズ・アンリミテッドを、LS3/5Aで最初に聴いていなければ、
野上眞宏さんにシンガーズ・アンリミテッドのディスクをすすめることはなかったかもしれない。

そんなことを三ヵ月ほど経っておもっている。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その2)

“A CAPELLA”が、私にとってシンガーズ・アンリミテッドの最初の一枚だったし、
それも自分のシステムではなく、友人のシステムで聴いている。

ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」で、
黒田先生が取り上げられているの、テクニクスのコンサイス・コンポである。

音質追求、性能追求のあまり、大型化してきていたアンプにおいて、
パイオニア、テクニクス、ダイヤトーン、それにオーレックスが、
コンパクト化を図ったアンプ、チューナーがほぼ同時期に登場したのが、ちょうどこの時期である。

黒田先生はテクニクスのコンサイス・コンポに、
ビクターのS-M3という、小型スピーカーを組み合わせてのシステムを、
キャスターつきの白い台にセッティングして聴かれた五時間について、書かれている。
そのなかに、こうある。
     *
 それぞれの装置の呼ぶレコードがある。カートリッジをとりかえた、さて、どのレコードにしようかと、そのカートリッジで最初にきくレコードは、おそらく、そのカートリッジを選んだ人の、そこで選ばれたカートリッジに対しての期待を、無言のうちにものがたっていると考えていいだろう。スピーカーについても、アンプについても、同じことがいえる。ともかく、あのカートリッジを買ってきたら、このレコードをきこうと、あらかじめ考えていることもあり、カートリッジを買ってきてしまって、後から、レコードを考える場合もある。いずれにしろ、最初のレコードをターンテーブルにのせるときは、実にスリリングだ。
     *
黒田先生にとってテクニクスのコンサイス・コンポとS-M3の組合せの呼ぶレコードが、
シンガーズ・アンリミテッドのレコードだったわけだ。

私がシンガーズ・アンリミテッドの“A CAPELLA”を最初に聴いたのは、
ロジャースのLS3/5Aで、だった。
偶然にも、小型スピーカーで聴いている。

黒田先生は最後に、こうも書かれている。
《オルネラ・ヴァノーニの歌を、スクリーンにうつすのではなく、ビューアーでみるように、キャスターのついた白い台の前で、きくことにしよう。》と。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その1)

“A CAPELLA”はシンガーズ・アンリミテッドのアルバムの一枚。
1971年に出ている。

オーディオマニアなら、シンガーズ・アンリミテッドを知らなくとも、
彼らの歌とは知らなくとも、
彼らの歌を一度くらいは聴いているのではないだろうか。

“A CAPELLA”を、というより、シンガーズ・アンリミテッドのCDを、
写真家の野上眞宏さんに、今年のはじめに奨めた。
ぽっ、と口から出たシンガーズ・アンリミテッドの名前だった。

SICAの10cm口径のフルレンジユニットで、スピーカーを作りはじめた時期と重なる。
すすめたときには特に気にしなかったけれど、いまごろになって、
なぜ、シンガーズ・アンリミテッドをすすめたのだろうか、と考えるようになってきた。

私がシンガーズ・アンリミテッドの名前を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の黒田先生の文章で、だった。
「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」に、
シンガーズ・アンリミテッドと、そのレコードのことが登場する。

そこで書かれているのは、1975年録音の“Feeling Free”である。
     *
 その数日前、輸入レコード店で買ってきた、シンガーズ・アンリミテッドのレコードだった。それには、「フィーリング・フリー」というタイトルがついていた。フィーリング・フリーという言葉も、この場合、マッチしているように思った。シンガーズ・アンリミテッドのレコードは、好きで、大半のものはきいているはずたったが、ジャケット裏の説明によると、一九七五年の春に録音されたという、その「フィーリング・フリー」は、それまできいたことがなかった。ベオグラム4000のターンテーブルにのせたのは、ドイツMPS68・103というレコード番号のレコードだった。
 A面の最初には、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」という、スティービー・ワンダーのすてきな歌が、入っていた。音楽がはじまると、パワーアンプの、星のまたたきを思わせるあかりは、それぞれのチャンネルに二つか三つずつついて、右方向への動きを示した。
 シンガーズ・アンリミテッドの声は、パット・ウィリアムス編曲・指揮によるビッグ・バンドのひびきと、よくとけあっていた。「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、アップ・テンポで、軽快に演奏されていた。しかし、そのレコードできける音楽がどのようなものかは、すでに、普段つかっている、より大型の装置できいていたので、しっていた。にもかかわらず、これがとても不思議だったのだが、JBL4343できいたときには、あのようにきこえたものが、ここではこうきこえるといったような、つまり両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった。だからといって、あれはあれ、これはこれとわりきっていたわけでもなかった。どうやらぼくは、あきらかに別の体験をしていると、最初から思いこんでいたようだった。
 もし敢て比較すれば、たしかに、クォリティの面で、JBL4343できいたときの方が、格段にすぐれていたというべきだろう。しかし、視点をかえて、JBL4343で、そのキャスターのついた白い台の上にのっていた装置できくようなきき方ができるかといえば、ノーといわざるをえない。
     *
1978年の夏に、読んでいる。
シンガーズ・アンリミテッドのことを知った。

Date: 4月 2nd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その5)

“Hotel California”だけではない、と(その4)で書いた。
ここでは“Hotel California”だけだ、と書く。

“Children of Sanchez”、「孤独のスケッチ」、「火の鳥」、
その他にも“THE DIALOGUE”、“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”もそうだ。

“THE DIALOGUE”は4343、さらには4350Aで聴いた音が、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は、
ステレオサウンドの試聴室でアクースタットのModel 3で聴いた音が、
リファレンス(基準)として残るほどに、印象深い音を聴かせてくれた。

そしてこれらのディスクは、LPやCD、SACDで買って聴いている。
けれど“Hotel California”だけは、LPもCDになってからも買うことはなかった。

ここに挙げたディスクのなかでは、“Hotel California”が圧倒的に売れているし、
音楽好きの人ならば、どんなジャンルの音楽を好きであっても、
“Hotel California”は聴いたことがあるだろうし、知られているということでは、
他のディスクの比ではない。

売れているから買わなかった──、
そんな理由ではない。
なぜ買わなかったのか、いまでは憶えていない。

買わなかったから、自分の音で聴いていない。
そうなると、あの時聴いた音(リファレンスとなる音)のイメージが、
他のディスクのように確固たるものではなくなっている。

最初に出たCDの音は、いま手に入るリマスター盤の音とはずいぶん違うようだ。
まずレベルが違う、らしい。

Date: 3月 29th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その4)

“Hotel California”だけではない。
チャック・マンジョーネの“Children of Sanchez”もそうだ。

私にとって“Children of Sanchez”も“Hotel California”も、
JBLの4343で聴いた音こそが、リファレンス(基準)となっている。

“Hotel California”はステレオサウンドの試聴室で聴いた音、
“Children of Sanchez”は、熊本のオーディオ店で瀬川先生が鳴らされた音が、
そうである。

これまで聴いてきたすべてのディスクがそうなのではない。
それほど数は多くはないが、そのディスクを最初に聴いた音が圧倒的であったり、
強烈であったりしたら、どうしてもその音がリファレンスとして焼きつけられる。

特に10代のころの、そういう体験は、いまもはっきりと残っている。
バルバラの「孤独のスケッチ」も、そういう一枚だ。

これも瀬川先生がセッティングされたKEFのModel 105の音を、
ピンポイントの位置で聴いた音が、いまも耳に残っている。

コリン・デイヴィスの「火の鳥」は、トーレンスのReference、マークレビンソンのLNP2、
SUMOのThe Gold、JBLの4343という組合せで聴いた、
文字通りの凄まじい音が、私にとってリファレンスであり、
この音が、瀬川先生が熊本で鳴らされた最後の音であり、
瀬川先生と会えたのも、この日が最後だった。

最初に聴いた音がリファレンスとなっているのは、
私の場合、いずれも自分のシステム以外での音である。

Date: 3月 26th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その3)

いまも“Hotel California”のディスクは持っていない。
そんな私にとっての、記憶の中にある“Hotel California”の音は、
つまりはJBLの4343で聴いた“Hotel California”である。

黒田先生の文章には、
《ハットシンバルの音が、乾いてきこえてほしい》、
それから《ドラムスが乾いた音でつっこんでくる》、
《声もまた乾いた声だ》とある。

それに《12弦ギターのハイ・コードが、少し固めに示されないと》とも書かれている。
音が重く引きずらずに、乾いて爽やかに鳴ってくれるのが、
私のなかにある“Hotel California”の音のイメージであり、
それは一般的な4343の音のイメージとも重なってくるだけに、
よけいに“Hotel California”の、そんなイメージを相乗効果で植え付けられた、ともいえる。

それに曲名が“Hotel California”である。
カリフォルニアに行ったことはないが、湿った空気のするところではない。

それがこの二年のあいだに聴いた“Hotel California”は、ずいぶんと印象が違ってくる。
もちろんスピーカーは、JBLの4343ではない。
けれど、そのことだけが、“Hotel California”の音の印象が違ってくる理由にはならない。

昔4343で聴いたことのある他のレコードを、
いま別のスピーカーで聴いても、音のイメージはそう大きくは変らない。
ところが“Hotel California”は、そうではない。

自分のCDではないので、こまかなところまで見ているわけではないが、
私が耳にした“Hotel California”は、2000年ごろにリマスタリングされたもののようだ。

Date: 3月 25th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その2)

それまで耳にしたことがなかったわけではないが、
“Hotel California”を聴いて、なるほど、たしかにそうだ、と感じたのは、
1982年になっていた。

録音が必ずしもモニタースピーカーの音と逆の傾向に仕上がるわけではないことは知っている。
モニタースピーカーの性格を熟知しているレコーディングエンジニアならば、
そのへんのことも自動的に補正しての録音を行う。

おそらくゲーリー・マルゴリスもそのへんのことはわかったうえでの、
ステレオサウンド 51号の発言なのだろうし、
確かにハイ上りといえばそうだし、
黒田先生が指摘されているように重低音を切りおとした、とも聴こえる。

重低音がそうだから、ハイ上りに聴こえるのかもしれない。
といって、いまとなっては確認のしようがない。
“Hotel California”は、何度か試聴室で聴いていたけれど、
自分でレコードを買うことはしなかった。

“Hotel California”を聴いたのは、もう36年ほど前であり、
“Hotel California”の音がどうだったのか、なんとなくの全体の印象は残っていても、
細部がどんなふうだったのか、そこまで記憶が残っているわけではない。

audio wednesdayで音を出すようになって、
“Hotel California”を聴く機会が、これまでに何度もあった。
別の場所で、ヘッドフォンでも聴いている。
つい先日もそうだった。

そこで疑問が湧いた。
こんな音だったかな? と。

私の中にかすかに残っている“Hotel California”の印象は、
当時のLPによるものである。
そのディスクが国内盤だったか、輸入盤だったかも、記憶は定かではない。

それでも聴いていると、かすかとはいえ記憶はよみがえってくる。

Date: 3月 25th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その1)

イーグルスの“Hotel California”のことを知ったのは、
ステレオサウンド 44号だった。

ロック小僧でなかった私は、イーグルスの名前は知っていても、
どのレコードもきいたことはなかった。

ステレオサウンド 44号の特集はスピーカーシステムの総テストで、
黒田先生が使われた十枚の試聴レコードの一枚が、“Hotel California”だった。

なので、当り前のように優れた録音のレコードだ、と思うようになっていた。
黒田先生は、こう書かれていた。
     *
 イーグルスの、レコードできける音は、重低音を切りおとした独特のものだ。そのために、ベース・ドラムなどにしても、決して重くはひびかない。そういう特徴のあるサウンドが、あいまいになっては、やはり困る。そして、ここでとりあげた2分の、前半の50秒は、インストルメンタルのみによっているが、その後、ヴォーカルが参加するが、そこで肝腎なのは、うたっている言葉が、どれだけ鮮明にききとれるかだ。なぜなら、「ホテル・カリフォルニア」はまぎれもない歌なのだから。
     *
さらに試聴ポイントして、五つあげられてもいた。

冒頭:左から12弦ギターが奏しはじめるが、この12弦ギターのハイ・コードが、少し固めに示されないと、イーグルスのサウンドが充分にたのしめないだろう。

冒頭から025秒:ツィン・ギターによって、サウンドに厚みをもたせているが、その効果がききとれるかどうか。イーグルスの音楽的工夫を実感できるかどうかが問題だ。

冒頭から37秒:ハットシンバルの音が、乾いてきこえてほしい。ギターによるひびきの中から、すっきりとハットシンバルの音がぬけでてきた時に、さわやかさが感じられる。

冒頭から51秒:ドラムスが乾いた音でつっこんでくる。重くひきずった音ではない。ドン・ヘンリーのヴォーカルがそれにつづく。声もまた、乾いた声だ。

冒頭から1分44秒:バック・コーラスが加わる。その効果がどれだけ示されるか。”Such a lovely place, such a lovely face” とうたう際の、言葉のたち方も問題になる。

“Hotel California”は、ステレオサウンド 51号にも登場している。
この号から始まった#4343研究で、
JBLプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリスとブルース・スクローガンが、
ステレオサウンド試聴室にて4343をセッティングしていく際に使ったレコードの一枚でもある。

“Hotel California”についてのマルゴリスの発言が載っている。
     *
イーグルスのホテル・カリフォルニアについては「このレコードはアルテックの604でモニターした音がしていますね。データは書いてありませんが、おそらくそうでしょう。」という。どうしてわかるのかと尋ねると「アルテックは帯域を少し狭めて、なおかつ中域が少し盛り上がり気味の周波数特性をしていますから、ミキシングのバランスとしては中域が引っ込みがちになることがあります。モニターの音と逆の傾向になることがあるのです。その分、高域が盛り上って聴こえます」と教えてくれた。そう思って聴くとたしかにハイ上りの音に思えてくる。
     *
私が“Hotel California”をきちんとしたかたちで聴くのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだった。

Date: 3月 17th, 2018
Cate: ディスク/ブック

ソング・オブ・サマー

ソング・オブ・サマー」が出ていたのを、
つい先日知った。

エリック・フェンビーによるディーリアスの本だ。
ディーリアスの名前だけは知っていた。
けれど、まだきいたことがなかった高校生のころ、
ケイト・ブッシュの三枚目のアルバムに「Delius」かあった。

その歌詞に、フェンビーの名が出てくる。
フェンビーの名前を初めて知ったのは、ケイト・ブッシュの「Delius」のおかげだ。

とはいえフェンビーのことについて、すぐに何かを知ることができたわけではない。
二、三年して、やっとフェンビーのとディーリアスの関係について知った。

それでもフェンビーによるディーリアスを聴けたわけではない。
そのころの日本では、ビーチャム、バルビローリによる演奏が、
ディーリアスの定番となっていた。

どちらも聴いた。
でも、私は、ビーチャム、バルビローリによるディーリアスの音楽を聴く前に、
ケイト・ブッシュの「Delius」を聴いている。
その影響があるのは自分でもわかっている。

もっと違うディーリアスがあっていいのではないか──、
そんなふうに感じるところがあった。
何かもどかしさを感じていたともいえる。

フェンビーによるディーリアスのCDが出たのはいつだった。
1985年、もう少し前だったか、
六本木のWAVEで見つけたときは、嬉しかった。
やっとフェンビーの演奏でディーリアスが聴ける。

一方的な期待を持ちすぎて、初めてのディスクを聴いてしまうのは、おすすめしない。
フェンビーのディーリアスは、よかった。

ケイト・ブッシュの「Delius」で、私の中になにかが出来上っていたディーリアス像、
それにぴったりとはまるような感じを受けた。

正直にいおう、フェンビーのディーリアスを聴いて、
初めてディーリアスの音楽がいい、と思えた。

フェンビーの「ソング・オブ・サマー」は、評価も高いようだが、
残念なことにフェンビーによるディーリアスのCDはほとんどないのが現状だ。

CD-Rの七枚組を見つけた。
20代前半に聴いたフェンビーのディーリアス、
30年後に、もう一度聴けるだろうか、どう感じるのだろうか。

Date: 3月 14th, 2018
Cate: ディスク/ブック

針と溝 stylus&groove

本の雑誌社から齋藤圭吾氏の「針と溝 stylus&groove」が出ている。

写真集だ。
「カートリッジとアナログディスク」ではなく「針と溝」の書名があらわしているように、
カートリッジの針とアナログディスクの溝をマクロ撮影した写真がおさめられている。

Date: 3月 4th, 2018
Cate: ディスク/ブック

椿姫

私がステレオサウンド編集部にいたころは、
編集顧問をされていたYさん(Kさんでもある)がいた。

Yさんは、熱狂的なカルロス・クライバーのファン(聴き手)だった。
聴き手というだけでなく、カルロス・クライバーについての些細な情報についても、
すべてを知りたい、という人だった。

私よりずっと年上(父よりも上のはずだ)で、ほんとうに教養のある人だ。
そのYさんも「椿姫」といっていたな、と思い出したのは、
昨晩引用した黒田先生の文章を読み返したからだ。
     *
「椿姫」は、このオペラの原作であるデュマ・フィスの戯曲のタイトルであって、ヴェルディのオペラのタイトルではない。
 ヴェルディのオペラのタイトルは「ラ・トラヴィアータ」という。にもかかわらず、日本では昔から、慣習で、「ラ・トラヴィアータ」とよばれるべきオペラを「椿姫」とよんで、したしんできた。ことばの意味に即していえば、「ラ・トラヴィアータ」を「椿姫」とするのは、間違いである。
 デュマ・フィスの戯曲「椿姫」とヴェルディのオペラ「ラ・トラヴィアータ」とは、別ものであり、同一の作品とはみなしがたい、ということで、ヴェルディの作曲したオペラに対する「椿姫」という呼称をもちいない人がいる。その主張は正しい。オペラ「ラ・トラヴィアータ」は、正確に「ラ・トラヴィアータ」とよばれるべきであって、「椿姫」とよばれるべきではないとする考えは、正論である。
 正論であるから、つけいるすきがない。にもかかわらず、ここでは、正論より、慣例に準じる。「ラ・トラヴィアータ」という呼称より「椿姫」という呼称のほうが、より多くの方に馴染みがある、と考えられるからである。せっかく「椿姫」という呼び方でしたしんでいるのに、いまさら「ラ・トラヴィアータ」と、わざわざいいかえるまでもあるまい、というのがぼくの考えである。このオペラを、インテリ派オペラ・ファンの多くが正確に「ラ・トラヴィアータ」とよぶのに反し、素朴なオペラ好きたちは「椿姫」とよぶ傾向がある。ちなみに書きそえれば、ぼくは「椿姫」派である。
     *
「ラ・トラヴィアータ(La Traviata)」は、堕落した女、道を踏み外した女であり、
椿姫とするのは、確かに間違いということになる。

そんなことはYさんも知っていたはず。
それでもYさんは、「椿姫」派だった。

ずっと以前、ある人と話していた時に、「椿姫」と言ったことがある。
「あぁ、ラ・トラヴィアータね」とわざわざいいかえられた。

インテリ派オペラ・ファンが、ほんとうにいた、と思って聞いていた。