Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 10th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その4)

《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》

黒田先生が、ずっと以前に書かれていたことだ。

ポール・モーリアの音楽も、たぶんにそうだ。
私にも、そういうところが全くないと言わない。

それでも私は黒田先生のことばに、23歳のころに出合っている。
そうでなかったなら、もしくはずっと後だったりしたら──、
音楽への接し方はずいぶん、いまとは違っていたはずだ。

ここでポール・モーリアについて書いてたりはしなかっただろう。

くり返そう。
《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》
音楽だけではない、オーディオも、またそうである。

Date: 4月 6th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その3)

イージーリスニングとかムード音楽、そんなふうにポール・モーリアの音楽は受け止められ、聴かれていた。

ポール・モーリアは、ポピュラー音楽とクラシック音楽の中間に位置すると、
自身の曲について、そう語っていたそうであるにも関わらず、
世間の受け止め方は、他の音楽よりも低き位置にあるものだったと感じる。
BGM、聞き流しのための音楽、邪魔にならない音楽──、
そんな感じだろう。

それでも一度きちんと向かい合って聴いてみれば、
そんな音楽ではないことは、ほとんどの人の耳に明らかなはず。

聴かずにいてもいいし、それじゃ一度聴いてみるか、となるのも、どちらでもいい。

聴いた方がいいとは言わないが、
ポール・モーリアの曲をかけて楽しめないシステム(音)は、
どこか未熟なところや不具合がある、と言っていいだろうぐらいに、
いまは、思っている。

そして今年はポール・モーリア生誕百年。
だからといってレコード会社が、何かやるわけでもないし、
音楽雑誌が特集を企画するわけでもない。
ひっそりと過ぎていくだけだろう。

私も、今年が生誕百年とは気づいていなかった。

今年のaudio wednesdayから、よく来られる、私よりもひと世代上の女性の方から教えてもらった。
ポール・モーリアの曲をかけたから、知ることができた。

Date: 4月 4th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その2)

フランコ・セルブリンのKtêmaはイタリア、
エラックの4PIPLUS.2はドイツ。
なのにポール・モーリア・オーケストラはフランスだということを、
今回初めて意識した。

それに上手い、とも思っていた。
こんなに細かい指揮をしていたのかと感心もしていた。

もうひとつ、フィリップスによる録音だからこそのポール・モーリアだな、とも思っていた。

フィリップス以前、別のレーベルで録音していたようだが、
私がポール・モーリアの名を聞いて頭に浮かべる曲は、
すべてフィリップス時代のものばかり。

もし、これらの曲が、ドイツ・グラモフォンだったり、
デッカだったりしたら、どうだっただろか──、そんなことも想像していた。

それでもヒットはしていただろうが、やはりフィリップスによる録音だったからこその要素もあると感じている。

Date: 4月 3rd, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その1)

Paul Mauriat(ポール・モーリア)。
どんな人なのか知らなくても、どこかでポール・モーリアの曲は耳にしているはず。

先月のaudio wednesdayで、ポール・モーリアのMQA-CDをかけた。
私は持っていないけれど、メリディアンの輸入元のハイレスミュージックの鈴木さんが持ってきてくれた中にあった。

私の世代は、けっこういろんなところで、ポール・モーリアの曲は聴いている。
テレビからもよく流れていた。
それでもLPやCDを買って聴いていたわけではない。

私もきちんと聴いたのは、3月のaudio wendnesdayが初めてだった。

昨晩のaudio wednesdayでもかけた。
先月とラインナップは同じ。ケーブルも同じで、スピーカーの位置もほぼ同じ。
違うのは、昨晩はフランコ・セルブリンの上に、エラックの4PI PLUS.2をのせていたことだ。

リボン型、水平方向無指向性のスーパートゥイーターを足すことで、どんなふうに変るのか。
そのことを聴いてもらいたいので、
かける曲も先月から大きく離れることはしなかった。

ポール・モーリアも、だからかけた。
良かった、予想以上に良かった。

Date: 3月 31st, 2025
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その15)

1982年からステレオサウンドで働くようになったので、
五味先生と会えることはかなわなかった。

この項では私にとっての宿題としての一枚について書いているのだが、
五味先生からの「宿題としての一枚」は、どれだろうか、と考える時がある。

とても難しく悩む問いである。

明日(4月1日)は、五味先生の命日だ。

Date: 2月 23rd, 2025
Cate: ディスク/ブック, バッハ
1 msg

バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その10)

ヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンは愛聴盤といえるほどに聴いている。
ベートーヴェン以外でもケンプの演奏は割と聴いているけれど、
自分でも不思議に思うほど、バッハは聴いてこなかった。

まったく聴いてこなかったわけではないが、ケンプの平均律クラヴィーア曲集は、三十年ほど前に聴いて以来、
つい最近まで聴いていなかった。

三十年前の印象が悪かったわけではないのだが、
特にこれといった理由もなく、
ずっと聴かずに年月が経っていただけだ。

そのケンプの平均律クラヴィーア曲集を聴いている。
三十年ほど聴いてこなかったことを後悔はしていない。

いいバッハだ、素晴らしい平均律クラヴィーア曲集だ。
三十年前は、そうは感じられなかった。

Date: 1月 20th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その3)

シルヴィア・シャシュのLPは、あのころ、
いくつかのシステム(けっこういろんな音)で聴いているが、
いまも強く印象に残っているのは、
ステレオサウンドの試聴室で、
サウンドコニサーの取材でのアクースタットのコンデンサー型スピーカー、
Model 3で聴いたのが、まず挙げられる。

この時のこと、音は別項で書いているし、
別冊サウンドコニサーを読んでもらえればわかる。

もうひとつは、スーパーマニアの取材で、
先輩編集者のNさんに連れて行ってもらったオーディオマニアのお宅での音。

その方は、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーユニットを、
国産エンクロージュアに収められていた。

その時も、いま思い出しても、そのウェストレックス・ロンドンが十全に鳴っていたとは思っていない。
それでもシルヴィア・シャシュのLPをかけられた時、
シャシュの声(歌)が鳴ってきた時、その実体感に驚かされた。

Model 3でのシャシュとウェストレックス・ロンドンでのシャシュ。
どちらがいい音とか、そういうことではなく、
左右のスピーカーの中央に定位するシャシュのボディが、厚い。

音像が肥大しているのではなく、シャシュのボディが前後に厚いのだ。
厚みのあるボディから声が発せられている感じが、見事だった。

日本人とは骨格からして違うのか、と思わせるほどの胸の厚み。
この厚みを、鳴ってくる音から感じとることができるかどうか。
他の人にとっては、どうでもいいことなのかもしれないが、
私はそうではない。

Date: 1月 16th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その2)

シルヴィア・シャシュのLPは、新品と言っていいほどのコンディションだった。
というよりも一度も針を通していないようにも感じられる。

手元にある、このディスクを眺めていると、
audio wednesdayで、一度かけてみたいと思う。

2024年のaudio wednesdayは、すべてデジタルだった。
TIDAL、Qobuz、Apple Musicといったストリーミング、
それからアキュフェーズのDP100+DC330によるCD、SACDだった。

四谷三丁目の喫茶茶会記でもアナログを音源としたのは二回だけ。
LPとカセットテープの回だけと少ない。

今年のaudio wednesdayでLPの再生をやろうかな、
ぐらいには思っていたのが、シルヴィア・シャシュのLPが届いてからは、
絶対やろう、に変った。

アナログプレーヤーには、ウィルソン・ベネッシュのCircleを持ち込もうか、と考えている。
カートリッジは、シルヴィア・シャシュのLPがきっかけとなったわけだから、
デッカのMark Vにする。

LPもデッカ、カートリッジもデッカ、
デッカもウィルソン・ベネッシュ、どちらもイギリス。

シルヴィア・シャシュのLPは、ステレオサウンド試聴室で、
けっこうな数のカートリッジで聴いているけど、
デッカのカートリッジでは聴いていない。

Date: 1月 12th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Barbara Lea

バーバラ・リーの名前を聞いたのは、昨年の12月だった。
Googleで「バーバラ・リー」を検索すると、
アメリカの政治家ばかりヒットする。

「バーバラ・リー ジャズ」で検索すると目的の情報が表示されるが、それほど多いわけではない。

ジャズを体系的に聴いてこなかった私が知らなくても不思議ではないのかもしれない。
日本ではそれほど名が知られているわけではないようだ。

昨年末からやっていたトーレンスのTD124の整備は、
バーバラ・リーのSP盤を再生、デジタル録音するためだった。

今日は、その本番の日。
バーバラ・リーがリバーサイドからデビューするより前の録音、
直後の録音をおさめたSP盤。

時代はすでにLPになっていたし、テープ録音も普及していた。
なのにSP盤で、これらのディスクは一度も復刻されていない、とのこと。

11時ごろから始まって、途中昼食をはさんで終了は17時ごろ。
ずっとバーバラ・リーばかりを聴いていた。

それも録音順に聴いていった。
面白いもので、リバーサイド・デビュー以前の方が音がいい。
後半になると、盤質も悪くなっていっているように感じたし、
スクラッチノイズの量も増えてきて、質も悪くなっていく。

思うに、最初のころの盤は、まだSP盤に必要な技術が、世の中に残っていたのだろう。
それが数年のうちに失われていったのかもしれない。

このあたりのSP盤の事情については、ほとんど知らないといっていい。
本当のところがどうなのか。

楽しい一日だったし、興味深い時間でもあった。

Date: 1月 4th, 2025
Cate: ディスク/ブック

アストル・ピアソラ 闘うタンゴ 完全版

斎藤充正氏の「アストル・ピアソラ 闘うタンゴ 完全版」が、
青土社から、ようやく出版される。

改訂版ではなく、完全版。待ちに待った一冊。

Date: 1月 2nd, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その1)

「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
最初に聴いたのはマリア・カラスではなく、シルヴィア・シャシュだった。

あのころ、シルヴィア・シャシュは「マリア・カラスの再来」と言われていた。
デッカから二枚、アルバムが出ていた。

バックが青のアルバムと赤のアルバムだったので、
勝手にシャシュの赤盤、青盤と呼んでいた。

青盤のほうは、TIDALやQobuzで聴くことができるのに、
どうしてだか赤盤の方は、どちらにもない。

しかも赤盤の方に、「清らかな女神よ」がおさめられている。

あのころはシルヴィア・シャシュを、マリア・カラスよりもよく聴いていた。
コンサートにも行ったし、そのコンサートがNHK FMで放送されたのを、
ステレオサウンドの試聴室で、
ケンウッドのチューナーとナカミチのカセットデッキでエアチェックもした。

なのにいつしかあまり聴かなくなってしまった。

ここ、二年ほど、TIDALで、いろんな人の「清らかな女神よ」を聴いた。
聴けば聴くほど、マリア・カラスなのか、という想いは強くなくばかり。
そして、シャシュの「清らかな女神よ」を、もう一度聴きたくなった。

CDでは二枚組の廉価盤で出ていたはずだが、買いそびれた──、
というよりも、その頃はシャシュから遠ざかっていた。

聴きたいおもいはつのる一方で、
先程、ヤフオク!で、イギリス盤(もちろんLP)を落札した。

Date: 1月 1st, 2025
Cate: ディスク/ブック

愛と孤独のフォルクローレ

愛と孤独のフォルクローレ」が、世界思想社から出ているのを、
昨晩知った。

内容説明のところに、こうある。
《個人の物語を愛し、他者の音を聴かず、堂々と嘘を楽しむ…。》

オーディオも、全くそうだと思った。

Date: 12月 8th, 2024
Cate: ディスク/ブック

能×現代音楽 Noh×Contemporary Music(その4)

BOSEの901 Series Vが鳴らす「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」は、
スリリングであっただけでなく、それ以上に美しい。

というよりも美しいからこそ、よりスリリングだったのだろう。

BOSEのスピーカーから、そういう美しい音が鳴るものか──、
そう思っている人が多いと思うが、それも仕方ないこととも思っている。

901シリーズの音を、
きちんと鳴らされている901の音を聴いたことのある人の方が少ないのだから。

現代音楽とは、
作曲家の湯浅譲二氏によると「未聴の音楽」とのこと。
ならば現代音楽を聴くオーディオとは、「未聴の音」ともいえる。

未聴の音で鳴らす(聴く)未聴の音楽。
12月4日の音は、確かにそうだった、と自負している。

Date: 12月 7th, 2024
Cate: ディスク/ブック

能×現代音楽 Noh×Contemporary Music(その3)

12月4日のaudio wednesdayで、選曲者のHさんが最後にかけられて曲が、
青木涼子の「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」。

ちなみに4343を宇都宮から運んできてくれたHさんと、
今回の選曲者のHさんは別人。
二人とも喫茶茶会記からの常連。

「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」を最初に聴いたのは、
2017年1月のaudio wednesdayだった。

1月ということもあって、この時、来てくれたのは東京のHさんだけだった。
私と二人だけだから、「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」の七曲目を何度もかけては、
喫茶茶会記のスピーカーの調整をやっていた。

そして、けっこう詰めていった段階でかけたのが、
エトヴェシュ作曲の「Harakiri」だ。

これは、相当にスリリングだった。
このことがあったから、現代音楽をテーマにするならば、
Hさんに選曲を任せそうと思ったともいえる。

Hさんは、「Harakiri」のコンサートも体験されている。
その上で、「こちらの方(喫茶茶会記での音)が、音がいい」と言われた。

今回のBOSE 901 Series Vでの音は、
私の耳にもHさんの耳にも、さらにいい音であった。

本当に、いい音で鳴った。
青木涼子氏本人に聴いてもらいたい、とも思うほどに鳴っていた。

喫茶茶会記ではCDだった。
今回はTIDALだった。

Date: 11月 27th, 2024
Cate: ディスク/ブック

The CONCERTGEBOUW Legacy(その後)

10月25日に、”The CONCERTGEBOUW Legacy”が発売になった。
いままでの例だと、その日に配信も始まる。
リマスタリングされたアルバムだと、96kHz、24ビットであることが多い。

今回の”The CONCERTGEBOUW Legacy”もそうだと、勝手に思っていた。

10月25日に配信も始まれば、
11月のaudio wednesdayに間に合う、鳴らすことができると期待していた。

いくつのアルバムは配信された。
ストラヴィンスキーは、「火の鳥」だけだった。
「春の祭典」はなぜかなかった。

「火の鳥」も96kHzではなく、44.1kHzだった。それでも音は良くなっている。

「春の祭典」は、いつになるのか待っていたけれど、
私が検索したかぎりでは、しばらくなかった。

先日、思い出してみたら、「春の祭典」もあった。
以前からあるストラヴィンスキーのバレエ音楽三部作をすべてまとめたものではなく、
「春の祭典」と「ペトルーシュカ」とのカップリングの方だ。

これもよく仕上がっている。
11月のaudio wednesdayでは「春の祭典」をかけた。
機会をみて、リマスターの「春の祭典」をかける。