Archive for category ディスク/ブック

Date: 1月 18th, 2020
Cate: ディスク/ブック

倍賞千恵子 全曲集2020

今日、東京は雪だった。
でかける用事がない日の雪は眺めているだけでいいから、好きである。

雪が降っている情景をうたった曲はいくつもある。
ここでも私はグラシェラ・スサーナの「雪が降る」を真っ先に思い浮べるのだけれど、
「雪の降る街を」も、こんな日は、ひとりでいると口ずさむ。

「雪の降る街を」は四十二年前、中学三年の音楽の教科書に載っていた。
ちょうどいまごろの季節、音楽の授業で歌っていた。
音楽の実技の試験も「雪の降る街を」だった。

小学校、中学校の音楽の授業でいろんな歌を習ってきたけれど、
いまも口ずさむことがあるのは、「雪の降る街を」ぐらいである。

いい曲だから、ということもあるけれど、ほかの人にはどうでもいい他愛ないことが、
「雪の降る街を」と絡んでの個人的感傷のようなものからである。

降る雪を眺めながら、「雪の降る街を」を検索してみた。
いろんな人が歌っているのが、いまでは簡単に聴ける。

インターネットがなかったなら、
レコード店に足を運び、自力で探すしかない。
しかも誰が歌っているのかも見当がつかない場合は、手当たりしだいか、
店員に尋ねるか。

それでも小さなレコード店では見つからないこともある。
そうなると何軒ものレコード店をまわる。
それで見つけた「雪の降る街を」が、
求めていた「雪の降る街を」に添うかどうかは聴くまでわからない。

求める「雪の降る街を」にであえない可能性もある。
いまは、ほんとうに便利になった。

倍賞千恵子の「雪の降る街を」を聴いていた。
収録されているCDを探した。注文した。
一歩も外に出ることなく済む。

Date: 1月 4th, 2020
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その6)

1月1日のaudio wednesdayでも、ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”はかけた。
その5)で、11月のaudio wednesdayでの“FAIRYTALES”は、
それまでとは大きく違った鳴り方をした、と書いた。

今回もよかった。
ラドラ・トネフの声の表情は、より濃やかになっている。
これがほんとうに初期のデジタル録音なのか、と疑いたくなるほどのみずみずしさで鳴る。

それ以上に、今回はピアノの音の繊細さに耳がいく。
メリディアンの218が、version 6から7に変ったことによって得られた音である。

こういう変化が得られるから、
面倒だな、と思いつつも、218に手を加える。

Date: 12月 23rd, 2019
Cate: ディスク/ブック

ノイズ対策を波動・振動の基礎から理解する!

波動という言葉が使われると、
いまでは眉に唾をつけて疑いたくなるものがあふれている。

今日見つけた本のタイトルにも波動が使われている。
ノイズ対策を波動・振動の基礎から理解する!」(鈴木茂夫・著 日刊工業新聞社)だ。

でも、この本は、眉に唾をつけなくともいい、と感じた。
とにかく興味深い。

ページをめくると、いたるところに数式が出てくる。
それらの数式を、私はすべて理解しているわけではない。
多くは理解していない。

それでも、この「ノイズ対策を波動・振動の基礎から理解する!」はおもしろい。
リンク先に、目次が紹介されているから、そこだけでも目を通してほしい。

別項で書いているが、SPDIF用とライン用ケーブルとでは、
前者ではデジタル、後者ではアナログ信号が通るわけだが、
おもしろいもので、音の変化においては共通するところがある。

なぜだろう、と考えていくと、結局は振動なのか、と最近では思っている。
振動だとすれば、共振があるはずだし、そこには定在波も存在しているはずだ。

これも別項で書いたことだが、電源回路はまさしく電気的共振回路である。
だからこそ、電源インピーダンスをむやみに低くすることは弊害も大きいと考えられる。

それから電子回路のループについても別項で触れている。
電子回路には大小さまざまなループが存在する。
しかも、それぞれのループに電気的共振が発生しているとしたら……。

私は電子工学を専門的に学んでいるわけではないから、
これらの考えは、さまざまなオーディオ機器に触れて音を聴いての経験から、のものだ。

だからこそ、「ノイズ対策を波動・振動の基礎から理解する!」を手にして、
書店でパラパラとめくっていくと、
私のこれらの考えが間違っていなかった、と確信するとともに、
より発展した考え方が、そこにある、と感じた。

amazonのレヴューでは、なぜだか、この本の評価は低い。
でも、この本は、これまでの経験から導き出してきた考えを発展させてくれる、と予感している。

Date: 12月 18th, 2019
Cate: ディスク/ブック

百年の孤独

「百年の孤独」で検索してみたら、
上位に表示されるのは麦焼酎の「百年の孤独」ばかりだった。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」が最上位に表示されるものと思い込んでいただけに、
この結果は意外というよりも、時代を反映してのものなのか、と受け止めた。

こんなことを書いている私も、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」は知っているだけで、
読んではいない。

六年前、岩崎先生のお宅に伺った時に、そこの書棚に「百年の孤独」があった。
岩崎先生が読まれていた「百年の孤独」である。

その日から、読もう読もうと思いながら、つい遠ざけてきた。
ようやく今日、読みはじめた。

「百年の孤独」を読み終っても、
岩崎先生と同じ音楽の聴き方、音の聴き方ができるようになるわけではないし、
岩崎先生のような表現ができるようになるわけではないのはわかっていても、
そろそろ「百年の孤独」を読んでおかないと、
なにか手遅れになってしまいそうな気がした。

読み終ったら、少なくとも岩崎先生に関するなんらかの気づきはあるはず、と思っている。

Date: 12月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

音のかたち

昨日取り上げた「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」。
この本のデザイナーの有山達也氏の本が「音のかたち」である。

音のかたち」は書店でみかけて知ってはいた。
知っていただけで、それ以上のことに興味を抱くことはなかった。

「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」へfacebookでコメントがあった。
そのコメントで、
「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」と「音のかたち」に、
ある種の結びつきがあるのを知った。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ディスク/ブック

目であるく、かたちをきく、さわってみる。

目であるく、かたちをきく、さわってみる。」が、
近所の書店に平積みされていた。

八年ほど前に復刊された本なのに、なぜか、その書店のいちばんいいところに置かれていた。
マーシャ・ブラウンの名は知っていたが、
この本のことは知らなかった。

「かたちをきく」。
オーディオを介して音楽を聴くということは、
まさしく「かたちをきく」ことかもしれない。

Date: 11月 26th, 2019
Cate: ディスク/ブック

金魚撩乱

岡本かの子の「金魚撩乱」を、今日知った。

いつからなのか美魔女なる言葉を、頻繁に目にするようになった。
調べてみると、光文社の商標登録になっている。
才色兼備の35歳以上の女性を指し、魔法をかけたかのように美しい、という意味とある。

美・魔女なのか、美魔・女なのか。
美魔・女だとしたら、美魔という表現があるのかと思い、検索してみた。

そうやってたどりついたのが「金魚撩乱」だ。
この作品に、美魔(びま)が出てくる。
     *
マネキン人形さんにはお訣れするのだ。非人間的な、あの美魔にはもうおさらば。さらば!
     *
美魔女はここからヒントを得たのだろうか。
だとしたら、美魔・女ということになるが、美魔女について、もうどうでもいい。

美魔であり、マネキン人形さんとは、真佐子のことだ。
復一の心情である。

オーディオマニアも、美魔にとり憑かれているのかもしれない──、
そんなことを思いながら読んでいた。

「金魚撩乱」の最後を引用しておく。
     *
「これこそ自分が十余年間苦心惨憺して造ろうとして造り得なかった理想の至魚だ。自分が出来損いとして捨てて顧みなかった金魚のなかのどれとどれとが、いつどう交媒して孵化して出来たか」
 こう復一の意識は繰り返しながら、肉情はいよいよ超大な魅惑に圧倒され、吸い出され、放散され、やがて、ただ、しんと心の底まで浸み徹った一筋の充実感に身動きも出来なくなった。
「意識して求める方向に求めるものを得ず、思い捨てて放擲した過去や思わぬ岐路から、突兀として与えられる人生の不思議さ」が、復一の心の底を閃めいて通った時、一度沈みかけてまた水面に浮き出して来た美魚が、その房々とした尾鰭をまた完全に展いて見せると星を宿したようなつぶらな眼も球のような口許も、はっきり復一に真向った。
「ああ、真佐子にも、神魚華鬘之図にも似てない……それよりも……それよりも……もっと美しい金魚だ、金魚だ」
失望か、否、それ以上の喜びか、感極まった復一の体は池の畔の泥濘のなかにへたへたとへたばった。復一がいつまでもそのまま肩で息を吐き、眼を瞑っている前の水面に、今復一によって見出された新星のような美魚は多くのはした金魚を随えながら、悠揚と胸を張り、その豊麗な豪華な尾鰭を陽の光に輝かせながら撩乱として遊弋している。
     *
復一がめざしていた金魚造りは、そのままオーディオマニアの行為そのものの描写のようでもある。

Date: 11月 25th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その5)

薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の三番の歌詞、

 スーツケース いっぱいにつめこんだ
 希望という名の重い荷物を
 君は軽々と きっと持ちあげて
 笑顔見せるだろう

このところを聴きたくて、最初から聴いているところが私にはある。
だから「セーラー服と機関銃」を聴くときは、最後まで聴く。

ここのところの歌詞、
そういえば、と思い出した。

ステレオサウンド 38号で黒田先生が岩崎先生の音について書かれている。
《さびしさや人恋しさを知らん顔して背おった、大変に男らしい音》だと。

 だから憧れるのか。

Date: 11月 25th, 2019
Cate: ディスク/ブック

音楽を研究する愉しみ

風響社から「音楽を研究する愉しみ」が出ている。

さきほど知ったばかりの本だ。
リンク先には目次と内容説明がある。

これだけで面白そうだな、と思えてきた。
南米、タイ、韓国、中国、ミャンマーの音楽についての研究の本のようだ。
南米音楽は聴くけれど、タイ、韓国、中国、ミャンマーの音楽にはさほど興味がない、
韓国の音楽は好きだけれど……、
そういう人は私も含めて少なくはないように思う。

南米、タイ、韓国、中国、ミャンマーの音楽すべてをかなり聴きこんでいる人は、
どれぐらいいるのだろうか。

だからといって、この本には関心がない、といってしまうのは勿体ないように思う。
まだ読んでいない、手にとってすらいない本なのだが、
「音楽の愉しみ」ではなく、「音楽を研究する愉しみ」であり、著者は五人、
学問分野や方法論の違いが当然あるはずだ。

そのうえでの「音楽を研究する愉しみ」である。

Date: 11月 20th, 2019
Cate: ディスク/ブック

CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICS(その2)

2018年9月に出た“CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICS”。
この13枚組のCDボックスから、今年6月に、
パリ管弦楽団とのブラームスの交響曲第一番とベルリオーズの幻想交響曲が、MQA-CDで発売になった。

ほかの曲はどうなのだろう、とまたまたe-onkyoを検索してみると、
昨年のCDボックス発売にあわせて、四枚が配信されていることを、いまごろ知った。

ブラームスの一番は、先月のaudio wednesdayでかけた。
早い時間に第一楽章を、
終り近くで第四楽章をかけた。

ミュンシュのパリ管弦楽団を振ってのブラームスは、
宇野功芳氏と福永陽一郎の両氏は、
フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラー的である、
最上のフルトヴェングラーだ、
そういうふうに高く評価されている。

フルトヴェングラーのブラームスは、モノーラルしかない。
仕方ないといえばそれまでだが、ミュンシュ/パリ管弦楽団は1967年のステレオ録音である。

最上のフルトヴェングラーといいたくなる気持は、聴けば納得できる。
特に第四楽章は、圧倒的というか圧巻だ。

フランス人の指揮者で、フランスのオーケストラ。
そんなふうには誰も感じないはずだ。

奇蹟のような名演、と表現してしまうと、大袈裟な……、と感じてしまう人が必ず出てくる。
MQA-CDには、
《特に終楽章の高揚感と壮麗な表現は大きな感動を呼びます》とある。
決して誇張ではないし、
この演奏が聴けることこそ、オーディオの醍醐味とさえいえる。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: ディスク/ブック

陰翳礼讃

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」こそ、
いまどきのオーディオマニア(あえて、こんな表現にしている)が読むべき一冊である。

Date: 11月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958

フォーレのレクィエムの名盤といえば、以前はクリュイタンス盤だった。
いまはどうなのだろうか。

クリュイタンスのフォーレのレクィエムには、モノーラル録音とステレオ録音とがある。
名盤としてよく知られているのはステレオ盤であるし、
私が初めて買ったフォーレのレクィエムも、クリュイタンスのステレオ盤だった。

いま聴いてもいい演奏だ。
でもしばらくして、音楽之友社がCDを独自に復刻するようになった。

セルの「エグモント」が出たし、その後にクリュイタンスのモノーラル盤が出た。
モノーラル盤のことは、黒田先生のレコード評で知っていた。

黒田先生はステレオ録音よりも、モノーラル録音のレクィエムをより高く評価されていた。
そのころから聴きたい、と思っていた。

でも音楽之友社が復刻するまで廃盤だった、と記憶している。
それからしばらくして東芝EMIからもモノーラル盤が出た。
さらにテスタメントからも復刻CDが出た。

たしか、黒田先生は、ステレオ盤でのクリュイタンスの演奏は、
音楽の身振りが大きくなっている──、
そういう趣旨のことを書かれていた、と記憶している。

ステレオ盤だけを聴いているときは、そうかな、と感じていた。
けれどモノーラル盤を聴いたあとに、ステレオ盤を聴くと、そう感じられる。

音楽の身振りが大きくなったことがよい方向に働く音楽もあるだろうが、
フォーレのレクィエムにおいて、
それはフォーレのレクィエムならではの色調を損うよう働くようにも聴ける。

いまモノーラル盤は、
André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958”で聴ける。
数年前に出たボックスのことを、いまごろ書いているのは、
さきほどe-onkyoを検索してみたら、あったからだ。

ここまで書けば気づかれる方もいるだろう。
MQAで、96kHz、24ビットで配信されている。

Date: 11月 14th, 2019
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その2)

宿題としての一枚。
気づくといえば、若かった自分からの宿題といえる一枚もあるといえる。

あのころは、あんなふうに鳴らせていたのに……、
なぜか、いまはさほど魅力的に鳴らせないディスクがあるといえばある。

若かった自分からの宿題なのだろう。

Date: 11月 14th, 2019
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その1)

児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲を、
菅野先生からの宿題のような一枚だ、とおもっている。

宿題としての一枚は、これだけではない。
菅野先生からの宿題だけではなく、
瀬川先生からの宿題のように、こちらが勝手に受けとっている一枚もある。

数は多くはない。
愛聴盤とは、少し違う意味あいの、存在の大きなディスクでもある。

宿題としての一枚。
けれど、宿題として出してくれた人たちは、もういない。

宿題としての一枚。
持っているほうが幸せなのか、持っていない方がそうなのか。

宿題としての一枚。
持っていないのか、それともあることに気づいていないだけなのか。

Date: 11月 14th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その3)

ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、あまり聴かない。
それでも児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集は、
あと一ヵ月、入荷すれば買うに決っている。

audio wednesdayで、このディスクを鳴らせば、
そこそこの音では鳴ってくれる、と思っている。

聴いている人は、けっこういい音じゃないですか、といってくれるかもしれない。
そうであっても、私の耳に、菅野先生の鳴らされた音がはっきりといまも残っているから、
誰かが褒めてくれたとしても、埋められない何かを、強く感じとってしまうことになるはずだ。

菅野先生のところで聴いていなければ、
このディスクは、優秀録音盤で終っていたであろう。

でも、聴いているのだから、
聴かない(鳴らさない)わけにはいかないディスクでもある。

どこか、このディスクは、菅野先生からの宿題のようにもおもえてくる。