Archive for category ディスク/ブック

Date: 6月 18th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Beethoven Für Elise

今朝、facebookを眺めていたら、アルフレッド・ブレンデルが亡くなったことを知った。

若いころ、ブレンデルは好きなピアニストではなかった。才能、実力はすごいと思っていたし、
コンサートにも行ったことはある。
でもブレンデルの新譜が出れば必ず買うわけではなかった。

どうしても好きなピアニスト、演奏家のディスクを買うほうを優先する。ブレンデルでは、後回しになってしまう存在だった。

ブレンデルを、そんな頃よりも少し好きになったのは、フィリップスから出た「エリーゼのために」を聴いたからだった。

このアルバムには「エロイカ変奏曲」も収められている。
こちらの方がメインだろう。
でも私の耳を捉えたのは、「エリーゼのために」だった。

Date: 5月 9th, 2025
Cate: ディスク/ブック

One Girl Best(その2)

「ムーミンのテーマ」を聴いたことがある人で、
テレビの音声以外で聴いたことがあるという人は、どのくらいいるのだろうか。

私は、子供の頃、テレビから流れてくる「ムーミンのテーマ」しか記憶にない。

今回聴いて感じたのは、丁寧に録音されている、ということ。
ムーミンはテレビアニメで、子供向けの作品だから──、といった甘えが感じられない。
むしろ子供たちが耳にして、口ずさむであろうから、きちんと作らなければ、というふうにも受け止めることができるほど、
そこには手抜きが一切感じられなかったからこそ、
きちんと再生することで、驚くことになったのかもしれない。

メリディアンのUltra DACの三種のフィルターで聴いていて、最も良かったLongフィルターの音は、
MQAです、と言われれば素直に信じてしまうほどの良さと好ましさだった。

Shortの音がひどかったのではない。
Shortの音だけ聴いても、きちんとした仕事による録音と感じることはできる。

それがMedium、そしてLongへと変えることで良くなり、
声の生々しさが増していき、同時に歌の表現の幅が広くなり、深みを増す。

あえてくり返すが、Longフィルターの音はMQAといってもいいほどだった。

テレビを通じてではあったものの、幼い頃に、
「ムーミンのテーマ」を毎週聴いていたことは、ふり返ると、
贅沢なことだったと思う。

Date: 5月 8th, 2025
Cate: ディスク/ブック

One Girl Best(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、リクエストの会だった。

四谷三丁目の喫茶茶会記でやっていた時、何度か来られた大阪のMさん。
今年になって毎月来られている。

Mさんが待ってこられたCDの一枚が、“One Girl Best”だった。
堀江美都子のベスト盤。

堀江美都子の名を見て、反応する人もいれば、無反応な人もいるけれど、
この二枚組のCDに収録されている曲のいくつかは、
私と同世代か近い世代の人であれば、どこかで、いつの時代かに耳にしているはず。

昨晩はメリディアンの、Ultra DACを使っていたので、
リクエストされたすべてのCDで、
Ultra DACならではの三種のフィルターを切り替えて聴いてもらった。

Mさんリクエストの曲の後に、個人的聴きたい曲があったので、かけた。
昨晩は、Short、Medium、Longの順で、冒頭一分弱を聴いてもらい、
どのフィルターにするかを決めてもらうようにしていた。

“One Girl Best”でも、私が聴きたい曲でもこの順番で聴く。

「ムーミンのテーマ」、私が聴きたい、この曲では、
音の変化がはっきりとしていた。
Short、Medium、Longの順に音が良くなる。
変化すると書いた方が誤解は少ないとはわかっているが、
昨晩の音の変化は、誰の耳にもはっきりと良くなっていった。

ディスクによっては、フィルターによる音の違いがわかりにくかったり、
違いは聴き取れても、どのフィルターにしようか、迷うこともないわけではない。

「ムーミンのテーマ」は、Ultra DACのフィルターの試聴にぴったりの曲でもあったし、
「ムーミンのテーマ」は、子供のころ、毎週テレビから流れてくるのを聴いていたわけだが、
こんなにもいい曲、魅力ある歌唱だったことを、今回初めて知った。

Date: 4月 10th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その4)

《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》

黒田先生が、ずっと以前に書かれていたことだ。

ポール・モーリアの音楽も、たぶんにそうだ。
私にも、そういうところが全くないと言わない。

それでも私は黒田先生のことばに、23歳のころに出合っている。
そうでなかったなら、もしくはずっと後だったりしたら──、
音楽への接し方はずいぶん、いまとは違っていたはずだ。

ここでポール・モーリアについて書いてたりはしなかっただろう。

くり返そう。
《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》
音楽だけではない、オーディオも、またそうである。

Date: 4月 6th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その3)

イージーリスニングとかムード音楽、そんなふうにポール・モーリアの音楽は受け止められ、聴かれていた。

ポール・モーリアは、ポピュラー音楽とクラシック音楽の中間に位置すると、
自身の曲について、そう語っていたそうであるにも関わらず、
世間の受け止め方は、他の音楽よりも低き位置にあるものだったと感じる。
BGM、聞き流しのための音楽、邪魔にならない音楽──、
そんな感じだろう。

それでも一度きちんと向かい合って聴いてみれば、
そんな音楽ではないことは、ほとんどの人の耳に明らかなはず。

聴かずにいてもいいし、それじゃ一度聴いてみるか、となるのも、どちらでもいい。

聴いた方がいいとは言わないが、
ポール・モーリアの曲をかけて楽しめないシステム(音)は、
どこか未熟なところや不具合がある、と言っていいだろうぐらいに、
いまは、思っている。

そして今年はポール・モーリア生誕百年。
だからといってレコード会社が、何かやるわけでもないし、
音楽雑誌が特集を企画するわけでもない。
ひっそりと過ぎていくだけだろう。

私も、今年が生誕百年とは気づいていなかった。

今年のaudio wednesdayから、よく来られる、私よりもひと世代上の女性の方から教えてもらった。
ポール・モーリアの曲をかけたから、知ることができた。

Date: 4月 4th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その2)

フランコ・セルブリンのKtêmaはイタリア、
エラックの4PIPLUS.2はドイツ。
なのにポール・モーリア・オーケストラはフランスだということを、
今回初めて意識した。

それに上手い、とも思っていた。
こんなに細かい指揮をしていたのかと感心もしていた。

もうひとつ、フィリップスによる録音だからこそのポール・モーリアだな、とも思っていた。

フィリップス以前、別のレーベルで録音していたようだが、
私がポール・モーリアの名を聞いて頭に浮かべる曲は、
すべてフィリップス時代のものばかり。

もし、これらの曲が、ドイツ・グラモフォンだったり、
デッカだったりしたら、どうだっただろか──、そんなことも想像していた。

それでもヒットはしていただろうが、やはりフィリップスによる録音だったからこその要素もあると感じている。

Date: 4月 3rd, 2025
Cate: ディスク/ブック

Mauriat 100(その1)

Paul Mauriat(ポール・モーリア)。
どんな人なのか知らなくても、どこかでポール・モーリアの曲は耳にしているはず。

先月のaudio wednesdayで、ポール・モーリアのMQA-CDをかけた。
私は持っていないけれど、メリディアンの輸入元のハイレスミュージックの鈴木さんが持ってきてくれた中にあった。

私の世代は、けっこういろんなところで、ポール・モーリアの曲は聴いている。
テレビからもよく流れていた。
それでもLPやCDを買って聴いていたわけではない。

私もきちんと聴いたのは、3月のaudio wendnesdayが初めてだった。

昨晩のaudio wednesdayでもかけた。
先月とラインナップは同じ。ケーブルも同じで、スピーカーの位置もほぼ同じ。
違うのは、昨晩はフランコ・セルブリンの上に、エラックの4PI PLUS.2をのせていたことだ。

リボン型、水平方向無指向性のスーパートゥイーターを足すことで、どんなふうに変るのか。
そのことを聴いてもらいたいので、
かける曲も先月から大きく離れることはしなかった。

ポール・モーリアも、だからかけた。
良かった、予想以上に良かった。

Date: 3月 31st, 2025
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その15)

1982年からステレオサウンドで働くようになったので、
五味先生と会えることはかなわなかった。

この項では私にとっての宿題としての一枚について書いているのだが、
五味先生からの「宿題としての一枚」は、どれだろうか、と考える時がある。

とても難しく悩む問いである。

明日(4月1日)は、五味先生の命日だ。

Date: 2月 23rd, 2025
Cate: ディスク/ブック, バッハ
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バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その10)

ヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンは愛聴盤といえるほどに聴いている。
ベートーヴェン以外でもケンプの演奏は割と聴いているけれど、
自分でも不思議に思うほど、バッハは聴いてこなかった。

まったく聴いてこなかったわけではないが、ケンプの平均律クラヴィーア曲集は、三十年ほど前に聴いて以来、
つい最近まで聴いていなかった。

三十年前の印象が悪かったわけではないのだが、
特にこれといった理由もなく、
ずっと聴かずに年月が経っていただけだ。

そのケンプの平均律クラヴィーア曲集を聴いている。
三十年ほど聴いてこなかったことを後悔はしていない。

いいバッハだ、素晴らしい平均律クラヴィーア曲集だ。
三十年前は、そうは感じられなかった。

Date: 1月 20th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その3)

シルヴィア・シャシュのLPは、あのころ、
いくつかのシステム(けっこういろんな音)で聴いているが、
いまも強く印象に残っているのは、
ステレオサウンドの試聴室で、
サウンドコニサーの取材でのアクースタットのコンデンサー型スピーカー、
Model 3で聴いたのが、まず挙げられる。

この時のこと、音は別項で書いているし、
別冊サウンドコニサーを読んでもらえればわかる。

もうひとつは、スーパーマニアの取材で、
先輩編集者のNさんに連れて行ってもらったオーディオマニアのお宅での音。

その方は、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーユニットを、
国産エンクロージュアに収められていた。

その時も、いま思い出しても、そのウェストレックス・ロンドンが十全に鳴っていたとは思っていない。
それでもシルヴィア・シャシュのLPをかけられた時、
シャシュの声(歌)が鳴ってきた時、その実体感に驚かされた。

Model 3でのシャシュとウェストレックス・ロンドンでのシャシュ。
どちらがいい音とか、そういうことではなく、
左右のスピーカーの中央に定位するシャシュのボディが、厚い。

音像が肥大しているのではなく、シャシュのボディが前後に厚いのだ。
厚みのあるボディから声が発せられている感じが、見事だった。

日本人とは骨格からして違うのか、と思わせるほどの胸の厚み。
この厚みを、鳴ってくる音から感じとることができるかどうか。
他の人にとっては、どうでもいいことなのかもしれないが、
私はそうではない。

Date: 1月 16th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その2)

シルヴィア・シャシュのLPは、新品と言っていいほどのコンディションだった。
というよりも一度も針を通していないようにも感じられる。

手元にある、このディスクを眺めていると、
audio wednesdayで、一度かけてみたいと思う。

2024年のaudio wednesdayは、すべてデジタルだった。
TIDAL、Qobuz、Apple Musicといったストリーミング、
それからアキュフェーズのDP100+DC330によるCD、SACDだった。

四谷三丁目の喫茶茶会記でもアナログを音源としたのは二回だけ。
LPとカセットテープの回だけと少ない。

今年のaudio wednesdayでLPの再生をやろうかな、
ぐらいには思っていたのが、シルヴィア・シャシュのLPが届いてからは、
絶対やろう、に変った。

アナログプレーヤーには、ウィルソン・ベネッシュのCircleを持ち込もうか、と考えている。
カートリッジは、シルヴィア・シャシュのLPがきっかけとなったわけだから、
デッカのMark Vにする。

LPもデッカ、カートリッジもデッカ、
デッカもウィルソン・ベネッシュ、どちらもイギリス。

シルヴィア・シャシュのLPは、ステレオサウンド試聴室で、
けっこうな数のカートリッジで聴いているけど、
デッカのカートリッジでは聴いていない。

Date: 1月 12th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Barbara Lea

バーバラ・リーの名前を聞いたのは、昨年の12月だった。
Googleで「バーバラ・リー」を検索すると、
アメリカの政治家ばかりヒットする。

「バーバラ・リー ジャズ」で検索すると目的の情報が表示されるが、それほど多いわけではない。

ジャズを体系的に聴いてこなかった私が知らなくても不思議ではないのかもしれない。
日本ではそれほど名が知られているわけではないようだ。

昨年末からやっていたトーレンスのTD124の整備は、
バーバラ・リーのSP盤を再生、デジタル録音するためだった。

今日は、その本番の日。
バーバラ・リーがリバーサイドからデビューするより前の録音、
直後の録音をおさめたSP盤。

時代はすでにLPになっていたし、テープ録音も普及していた。
なのにSP盤で、これらのディスクは一度も復刻されていない、とのこと。

11時ごろから始まって、途中昼食をはさんで終了は17時ごろ。
ずっとバーバラ・リーばかりを聴いていた。

それも録音順に聴いていった。
面白いもので、リバーサイド・デビュー以前の方が音がいい。
後半になると、盤質も悪くなっていっているように感じたし、
スクラッチノイズの量も増えてきて、質も悪くなっていく。

思うに、最初のころの盤は、まだSP盤に必要な技術が、世の中に残っていたのだろう。
それが数年のうちに失われていったのかもしれない。

このあたりのSP盤の事情については、ほとんど知らないといっていい。
本当のところがどうなのか。

楽しい一日だったし、興味深い時間でもあった。

Date: 1月 4th, 2025
Cate: ディスク/ブック

アストル・ピアソラ 闘うタンゴ 完全版

斎藤充正氏の「アストル・ピアソラ 闘うタンゴ 完全版」が、
青土社から、ようやく出版される。

改訂版ではなく、完全版。待ちに待った一冊。

Date: 1月 2nd, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その1)

「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)を、
最初に聴いたのはマリア・カラスではなく、シルヴィア・シャシュだった。

あのころ、シルヴィア・シャシュは「マリア・カラスの再来」と言われていた。
デッカから二枚、アルバムが出ていた。

バックが青のアルバムと赤のアルバムだったので、
勝手にシャシュの赤盤、青盤と呼んでいた。

青盤のほうは、TIDALやQobuzで聴くことができるのに、
どうしてだか赤盤の方は、どちらにもない。

しかも赤盤の方に、「清らかな女神よ」がおさめられている。

あのころはシルヴィア・シャシュを、マリア・カラスよりもよく聴いていた。
コンサートにも行ったし、そのコンサートがNHK FMで放送されたのを、
ステレオサウンドの試聴室で、
ケンウッドのチューナーとナカミチのカセットデッキでエアチェックもした。

なのにいつしかあまり聴かなくなってしまった。

ここ、二年ほど、TIDALで、いろんな人の「清らかな女神よ」を聴いた。
聴けば聴くほど、マリア・カラスなのか、という想いは強くなくばかり。
そして、シャシュの「清らかな女神よ」を、もう一度聴きたくなった。

CDでは二枚組の廉価盤で出ていたはずだが、買いそびれた──、
というよりも、その頃はシャシュから遠ざかっていた。

聴きたいおもいはつのる一方で、
先程、ヤフオク!で、イギリス盤(もちろんLP)を落札した。

Date: 1月 1st, 2025
Cate: ディスク/ブック

愛と孤独のフォルクローレ

愛と孤独のフォルクローレ」が、世界思想社から出ているのを、
昨晩知った。

内容説明のところに、こうある。
《個人の物語を愛し、他者の音を聴かず、堂々と嘘を楽しむ…。》

オーディオも、全くそうだと思った。