Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 23rd, 2024
Cate: ディスク/ブック

Codex Glúteo

Codex Glúteo。
日本盤には、
「臀上の音楽 〜 スペイン・ルネッサンス時代のシリアスな尻作春歌集」というタイトルがつけられていた。
帯には、黒田先生の「このスペインの音楽家たちの悪戯は女の人にはきかせられない。」
というコピーがあった。

これだけで、おおよその想像がつくと思う。

1978年ごろのアルバムである。
ちょっと聴いてみたい、と思っても、高校生にとって、
ちょっと聴いてみたいアルバムにこづかいを使えはしなかった。

他にも聴きたい(買いたい)レコードが数多くあったからだ。
いつか聴ける日が来るだろう──、と思いつつも、
この手のレコードは積極的に聴こうとしない限り、
いつかそうなるということはほとんどない、といまでは思っている。

どこかで偶然耳にすることはあったとしても、
それが「臀上の音楽」とは知らずに通りすぎてしまうだけだ。

「臀上の音楽」のことはすっかり忘れていた。
それをたまたまTIDALで見つけた。
MQAで聴ける。

TIDALがなかったら、おそらく一生聴く機会はなかっただろう。

Date: 4月 7th, 2024
Cate: ディスク/ブック

マーラーの交響曲第一番(一楽章のみ・その2)

4月3日にかけた音楽で、どの曲がいちばん心に響いたかは、
人によって違って当然である。

この日、アバドとシカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第一番をかけた。
1981年の録音。

私が、このマーラーの一番を聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室だったことは、
その1)で書いている。

試聴では冒頭の三分くらいを聴く。
だから、音量の設定は低くない。

けれど4月3日は、一楽章を最後まで鳴らすつもりだったので、
鳴り始めた音を聴いて、あれっ、音量が低め、と思われただろう。

アバド/シカゴ交響楽団による第一番の第一楽章を最後まで聴いている人ならば、
クライマックスでどれほど音量が増すのかはわかっているはずだ。

このくらいの音量でも、後半はかなりの音量となる。
といってクライマックスで音量をあわせてしまうと、出だしはかなり小さくなってしまう。

当日の音量ぐらいがぴったりだと思っている。
それゆえに出だしのピーンとはりつめた弦の音は、よりいっそう緊張感を増していた。

マーラーの一番の一楽章を聴いて、何をおもい浮べるか。
私はヨーロッパの森、それも夜明け少し前の風景が浮ぶ。

その朝の空気がどんな感じなのか。
カラカラに乾いた空気なのか、澱んでいるのか、
曇っているのか、晴れているのか、雨なのか、
その森は人里離れたところに位置するのか、まわりに人がいるのかいないのか、
気温はどうなのか、暖かいのか、すこしひんやりしているのか、などなど。

そんなことが再生する装置によっても、鳴らし方によっても、違ってくる。
どれが正解なのかは、人それぞれなのかもしれない。

アバド/シカゴ交響楽団による演奏(録音)をどれだけ聴いてきたか、
どんな音で聴いてきたかによっても影響を受け、違うことだろう。

Date: 3月 28th, 2024
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その14・補足)

ステレオサウンド 84号に
「シェフィールドの生みの親 ダグラス・サックスと語る」が載っている。
岡先生による記事だ。
     *
 時間がのこりすくなくなったので、最後に「ステレオサウンド」の読者代表として、レコードとオーディオソフトウェアのありかたについてきいてみた。以下は彼の意見の要約である。
サックス レコードのすべてをきくことは不可能ですが、それぞれのレコード会社には音楽媒体としてのフィロソフィをもっています。DGGは、ダイナミックレンジがせまい傾向があり、私の好みではない。デッカ/ロンドンはイギリス人らしい大胆さが見られ、幅の広いレンジをもっているが、出来不出来がある。フィリップスはホールのえらび方から音楽の暖かさの表現、マイクをあまり数多くつかわず、一番好ましくきけます。
     *
ステレオサウンド 84号は1987年秋に出ている。
その14)で引用している瀬川先生が書かれていることもいっしょに読んでほしい。

Date: 3月 25th, 2024
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その14)

(その12)と(その13)で触れた二枚。
キリル・コンドラシンの「シェエラザード」とコリン・デイヴィスのストラヴィンスキー。
どちらもフィリップス・レーベルで、コンセルトヘボウ管弦楽団である。

このころのフィリップスの録音は、瀬川先生が書かれていたように、音が良かった。
     *
 けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、もう数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
     *
ステレオサウンド 56号のトーレンスのリファレンスの紹介記事で、そう書かれていたのを、
また引用しておく。
この文章を読んでからというもの、フィリップスの録音こそ、と思い込もうとしていた。
熊本のオーディオ店にも、もちろんフィリップスのレコードをもってこられていた。

4月3日のaudio wednesdayでは、どちらかをかけるつもりでいる。
宿題としての、私にとって一枚。
それがどう響くのか。

私にとっては宿題としての一枚であっても、
他の人にとっては、そんなことは関係ない。
それでも、聴いた人の裡にどう響くのか。

Date: 3月 15th, 2024
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録(達成後……)

「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングは達成して、
2月には手元に届くはずだったが、結局届かず。
なんでもCDのプレスの予定がずれ込んでいるのが理由とのメールが、少し前に届いた。

いつになるのか。3月中に届くとは思えなくなってきた。
X(旧twitter)に、ラジオ技術(組版担当のS)というアカウントがある。

この方の投稿を読むと、ラジオ技術誌の進行もストップしているようだ。
この方は「“盤鬼”西条卓夫随想録」には携われていない。
なので、この方の投稿からは「“盤鬼”西条卓夫随想録」についての情報は得られないが、
なんとなくではあってもラジオ技術編集部の事情は伝わってくる。

のんびり待つしかなさそうである。

Date: 2月 17th, 2024
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その5)

今日(2月17日)は、アリス・アデールの二日目の公演。
すべてフランスの作曲家によるプログラムだった。

このことについてあとで書く予定で、とにかくいま書きたいのは、
アンコールでのスカルラッティの素晴らしさだ。

TIDALでもアリス・アデールのスカルラッティは聴ける。
けれど今日まで聴いてこなかった。

あまりスカルラッティは聴かない、という、ただそれだけの理由だ。

今日、アリス・アデールのスカルラッティを聴いて、
こんなにも楽しい曲なのか、と驚いていた。

弾いているアリス・アデールも笑顔を浮かべていた。

Date: 2月 12th, 2024
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その4)

今日(2月12日)は、アリス・アデールのコンサートだった。
プログラムは、バッハの「フーガの技法」。

アリス・アデールの初来日が発表になってから今日まで、
ほんとうに待ち遠しかった。

アリス・アデールは今年79歳。
二時間弱の演奏を休憩無しだった。
途中、数回コップから水を一口含むだけ。

「フーガの技法」は未完なので、そこでぴたっと演奏は止った。
アリス・アデールの動きも止る。

だから拍手もすぐには起らなかった。
いい演奏会だった。

「フーガの技法」のあとだから、アンコールはない、と最初から思っていた。
なくていいと思っていたけれど、二曲のアンコール演奏。

バッハのゴールドベルグ変奏曲から第25変奏曲が聴けた。
アリス・アデールのバッハを、もっと聴きたい。
新たな録音は登場しないのか。

17日にも、また聴ける。
チケットはすべて売り切れている。

Date: 2月 2nd, 2024
Cate: ディスク/ブック

カザルスの無伴奏チェロ組曲(SACD)

カザルスによるバッハの無伴奏チェロ組曲は、
ずっと以前から名盤として知られている。

クラシック好きで、この演奏を聴いたことのない人は、
かなり人ならともかく、聴き手としてのキャリアがある程度ある人ならば、
おそらくいないはずだ。

けれど、その多くの人たちが、どれで聴いているかというと同じではないはずだ。
SP盤で聴いている人もいる。
SP盤で聴いている人のなかにも、アクースティック蓄音器、電気式蓄音器、
カートリッジをSP再生用にしたオーディオ・コンポーネントとわかれる。

復刻盤のアナログディスクで、という人、
CDで、という人。
どちらであっても、いつの復刻なのかによって、音が違う。

さらにSACDがあり、MQAでも、いまは聴くことができる。

どれで聴くのがいちばんなのかについて、語りたいとは思っていない。
自分のところにあるモノで聴ければいい、と考えている。

私は、いまMQAで聴いている。
アナログディスクで聴いてきた、CDでも聴いている。
そして、いまMQAだ。

けれど2月7日のaudio wednesday (next decade) – 第一夜を前にして、
SACDで聴いていないことに気づいた。

今回はTIDALではなくSACDを中心に鳴らしていくことに決めているから、
今日、カザルスの無伴奏チェロ組曲のSACDを買ってきた。

すでに書いているように、audio wednesday (next decade)での一年を通じてテーマは、
カザルスの無伴奏チェロ組曲をどう鳴らしていくか、だ。

どう鳴るのか。
実を言うと、SACDは当日まで聴かずにおくことにした。
だからこそ、当日の音が、私自身も楽しみにしている。

Date: 1月 30th, 2024
Cate: ディスク/ブック

Bloom

おおたか静流の名前を知り、その歌を聴いたのは、
AXIAのカセットテープのコマーシャルだった。
「花」を歌っていた。

耳に残る歌であったし、耳に残る声でもあった。
CDを買った。
そのあと、別のCDも買って聴いていたけれど、
そこで止ってしまっていた。

「花」だけは、ふと聴きたくなることは何度かあったけれど、
聴くことはしなかった。
おおたか静流に関しては、「花」のままだった。

1月17日に、おおたか静流のアルバムを聴いた。
ある人がかけたのが、おおたか静流の「Bloom」だったからだ。

礼拝堂での録音とのこと。
聴いた印象では、プロプリウスのカンターテ・ドミノを連想した。
素直な録音である。

すぐさま注文した。
タワーレコードでは注文したけれど、取寄せで3日から7日と表示されていたけれど、
注文してから十日ほどして、まだ入荷しない、キャンセルも可能ということだったので、
amazonから購入することにした。

まだ手元には届いていないが、近日中に届く。
2月7日のaudio wednesday (next decade) – 第一夜でかける。

Date: 1月 16th, 2024
Cate: audio wednesday, ディスク/ブック

Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland](その2)

1月10日のaudio wednesdayでの一曲目は、
“Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”。

ピーター・ガブリエルの“Biko”は、いくつかの録音がある。
三枚目のアルバムに収められているスタジオ録音、そのドイツ語版、
リミックスもある。ライヴ録音もいくつかある。

今回かけたクリーヴランドでのライヴは、1987年7月27日のものだ。

この曲をにしたのかについて詳しくは書かないが、
ガザの惨状がなければ別の曲を選んでいた。

Date: 1月 11th, 2024
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録(その後・達成)

「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディング、残り一日で目標金額を達成している。

もしかすると……、と思ったこともあったけれど、来月には手元に届く。

Date: 12月 11th, 2023
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録(その後)

11月23日に、「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングのことを書いている。

その時点、支援者は私を含めて四人、達成率2%だった。
今日で、支援者は20人、達成率16%。
あと32日で、このクラウドファンディングは終了する。

いまのままだと成立せずに終ってしまいそうである。

Date: 12月 5th, 2023
Cate: ディスク/ブック

フィガロの結婚(クライバー・その2)

六年ほど前に、
タワーレコードからエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」がSACDで発売になった。

買おうかな、と思っていたけれど買わなかった。
そのころSACDが再生できるプレーヤーを持っていなかったことも関係している。

2019年からe-onkyoでMQAの音源を購入するようになった。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」もMQAであった。

購入予定にはしていた。
けれど、他のアルバムを優先してなかなか購入には踏み切れなかった。

踏み切れなかった、というほど高価なわけだったのではないが、
ついつい後回しにしてしまう。

2020年になるとTIDALで聴くことが増えてきた。
TIDALにもエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」はあるけれど、MQAではない。

いつかMQAで配信されるようになるだろうと期待していたけど、なかなかそうならない。
そうこうしているうちに、e-onkyoがQobuzの運営会社に買収され、
MQAの配信をやめるとアナウンスしたことで、
ようやくエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」のMQA版を購入・ダウンロードした。

なのにハードディスクに保存したままで、聴いていなかった。
アナログディスクでもCDでも、何度も聴いている。

いまのところエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」をMQAで聴こうとしても、
e-onkyoで購入した人以外は聴けない。
TIDALでMQAで配信されればいいのだけれど、どうなのだろうか。
ないような気もしている。

エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」を、MQAで、
つい一週間ほど前に久しぶりに全曲聴き通した。

聴いていて、なんて美しい音楽なのだろうか、
そしてなん美しい演奏なのか、そして音なのか──、と感じていた。

それからしばらくは他の指揮者による「フィガロの結婚」をいくつも聴いた。

Date: 11月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録

「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングが始まっている。

どういう内容になる本なのかは、タイトルが示している。
リンク先をクリックすれば、詳しいことがわかる。

このクラウドファンディングが成立するのかどうか。
いまのところ支援者は四人(私を含めて)、達成率2%。

私自身、読みたい本なので成立してほしい。

Date: 10月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その3)

2010年1月に買ったアリス・アデールの「フーガの技法」。
聴いてすぐに感じたのは、
グレン・グールドがピアノで「フーガの技法」を演奏していたら──、だった。
同じ感銘を受けただろう、である。

だからといって、グールドとアリス・アデールの演奏がまったく同じということではなく、
いいたいのは感銘が同じということだ。

ここでもグレン・グールドのことばを引用しておくが、
グールド、こう語っている。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
グールドが語る《芸術の目的》を、アリス・アデールの「フーガの技法」に感じていた。