Archive for 8月, 2014

Date: 8月 31st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その10)

テクニクスはブランド名、ナショナルもブランド名、松下電器産業が会社名だったころ、
松下電器産業のことを「マネした電器産業」と揶揄した人が少なからずいた。

そういう人たちがそんなふうに口さがないのも、ある面しかたなかった。
オーディオ製品に関しても、いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれていた普及クラスの製品に関しては、
そういった面も少なからずあった。

それでもテクニクス・ブランドで出していたオーディオ機器に関しては、
「マネした電器産業」といってしまうのは失礼であるし、どこを見ているのだろうか、といいたくなる。

マネした電器産業が、ダイレクトドライヴ方式のターンテーブルを世界ではじめてつくり出すだろうか。
SP10だけではない。
他にもいくつも挙げられる。

リニアフェイズ方式のスピーカーシステムもそうだ。
カートリッジにしても、テクニクスならではのモノをつくってきていた。
特にEPC100CはMM型カートリッジとしてのSP10的存在、つまり標準原器を目指した製品といえる。

テクニクスの製品の歴史をふり返っていくと、決して「マネした電器産業」ではないことははっきりとしてくる。
その中でも、強く印象に残っている、テクニクスらしい製品といえば、オープンリールデッキのRS1500Uがある。

RS1500Uはリニアフェイズのスピーカーシステムと視覚的に同じところがる。
ひと目で、そこに投入されている技術が確認できるし、
テクニクスの製品であることがわかるからだ。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: 書く

毎日書くということ(実感しているのは……)

毎日書いている。
ステレオサウンドについても、あれこれ書いている。
書いていて実感しているのは、あのころは未熟だったな……、ということ。

すべてが未熟だったとは思っていない。よくつくったな、といまでも思う記事も手がけている。
それでも、オーディオ雑誌の編集者として未熟な点はあった。
それに気づくのは、ステレオサウンドを離れてからだった。

距離をおくことで見えてくるのがあるのは、ほんとうのことだ。

そしてステレオサウンドが属しているオーディオ業界は、
他の業界からみれば、狭く小さな業界ともいえる。

そのことが全面的に悪いことだとは思っていないが、
それでも気をつけなければならないのは、
プロフェッショナルの編集者になる前にオーディオの業界人になってしまうことである。

Date: 8月 30th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その6)

JBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーの大きさは、なかなか見慣れるということがない。
毎日眺めているのだから、いつのまにか、大きいと感じられないようになるのかと思っていたけれど、
ふとしたことで、やはり大きいな、といまも感じることがある。

ただ大きいな、とおもうのではなく、その大きさに少しばかりの異様さも感じることがある。
この大きさのドライバーが、JBLのスタジオモニターのフラッグシップであった4350、4355の中に入っている。

エンクロージュアの中におさまっているから、ふだんは目にすることのない2440、2441。
だがこのコンプレッションドライバーをエンクロージュアから取り外してみると、
なぜ、このユニットだけ、これほどの物量を投入しているか、と思い、
オーディオマニア(モノマニア)としては嬉しくもなるし、
これだけのユニットとエネルギーとしてバランスを得るには、
ウーファーは15インチ口径で、しかも二発使いたくなる。

だからといって15インチ口径ウーファーをシングルで鳴らして、うまくバランスしない、といいたいのでなはい。
菅野先生のリスニングルームでは、375と2205Bが見事にバランスしている。
2205Bは一本で鳴らされている。

それはわかっている。
けれども視覚的に捉えてしまうと、2インチ・スロートのコンプレッションドライバーには、
ダブルウーファーがよく似合う。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その3)

レコード芸術の1981年5月号、瀬川先生が「音と風土、そして時の流れと」を書かれている。
それまでの約二年間、読者代表のふたりと試聴してきた連載の終りをむかえての、まとめ的な意味を含んでのものだ。
そこから、総テストに関係している部分を引用しておく。
     *
 メーカーを問わず国を問わず、多くのスピーカーを聴いてみる。はじめのうちは、そのひとつひとつの違いの大きさに驚かされる。が、数多く聴く体験を重ねてゆくうちに、同じメーカーの製品にはひとつの共通の鳴り方のあることに気づかされる。さらに、国によって、つまりその製品を生み育てた風土によって、大きな共通の傾向を示すことにも気づかされる。そのことは、料理の味にたとえてみるとわかりやすいかもしれい。
 同じ素材を使った料理でも、店の違い、料理人の違いによって、味は微妙にないしは大きく、違う。しかしそれを、大きく眺めれば、日本料理、中国料理、フランス料理……というように、国によって明らかに全く違う傾向を示す。細かくみれば、国、地域、店、料理人……とどこまでも細かな相違はあるが、大きくみれば、同じ国の料理は別の国と比較すれば間違いなくひとつの型を持っている。その〝型〟を育てたものが、その国の風土にほかならない。
 しかしまた、時代の流れによる嗜好の変化、そして国際間の交流によって影響を受け合うという点にもまた、料理と音に類似点が見出される。世界的に、酒が次第に甘口になり、交易の盛んになるにつれてその地域独特の地酒の個性が少しずつ薄められると同じことが、スピーカーの音色にも見出される。少し前までは、あれほど違いの大きかったアメリカの音とイギリスの音が、最近では、部分的によく似た味わいをさえ示すようになっている。その部分をみるかぎり、国によるスピーカーの違いなど、遠からず無くなってしまうのではないかとさえ思わせる。だが、風土の違いが無くならないのと同じように、仮に差が微妙になったとしてもその違いが無くなることはないと、私は思う。そして、オーディオを楽しみとするかぎり、こうした差の微妙さを味わい分けることは、むしろ本当の楽しみの部類に入る。ベルリン・フィルハーモニーの音が、いまやドイツ的と言えるかどうか、という説がある。たしかに、国際的に著名なオーケストラには、いまや国籍を問わず優秀な人材が送り込まれている。けれど、それならベルリン・フィルハーモニーの音が、シカゴの音になってしまうだろうか。ならないところが微妙におもしろい。逆にまた、ベルリンとウィーンの音の違いが無くなってしまったら、演奏を聴く楽しみは無くなってしまう。
 スピーカーの音はそれとは違う、と言われるかもしれない。スピーカーは、それ自体が性格や音色を持つべきではない。ベルリンとウィーンの違いを、スピーカーを通して聴き分けるには、スピーカー自体に音色があってはおかしいんじゃないか。スピーカーは、単に、入力の差をそのまま映し出す素直な鏡であるべきだ……。
 それは正論だが、そういう意見を本気で論じる人は、世界じゅうの数多くのスピーカーを、本気で比較したことのない人たちだ。ひとつひとつの音はたしかに大きく違う。が、一流のスピーカーであればどれをとっても、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの違いは歴然と聴き分けられる。
 スピーカーの音の違いと、オーケストラや楽器の音色の違いとは、全く性質の違うもので、それを言葉の上では、あるいは机の上の理屈では混同しやすいが、聴いてみればそれは全く違うということがわかる。こればかりは、体験のない人にどう説明してもなかなかわかって頂けないが、たとえば、どんな写真を通してみても、ある人のその人らしさが写らないことはない、と考えれば、いくらか説明がつくだろうか。そういう意味では、こんにちのカメラやレンズや感光材料(フィルムや印画紙)もまた、決して理想的な段階に至っていない。だがそれだからといって、二人の違った人間のそれぞれ、その人らしさが写らないなどとは、誰も思わない。しかもなお、写真の愛好家は、日本の違ったレンズのそれぞれの描写の味の違いを楽しむ。
 音楽とスピーカーの関係もこれに似ている。
 私自身のそうした考え方を、第三者に立ち合って確かめて頂く、という意味もあって、これまで、Aさん、Kさんという、互いにその性格も音楽や音の好みも全く違う、二人の愛好家といっしょにいま日本で入手できる世界じゅうのスピーカーの、大部分を聴いてきた。
 ご両人とも、最初のうちは、同じレコードがときとしてあまりにも違うニュアンスで鳴ることに驚き、大いに戸惑ったこともしばしばあった。しかもその音の違い、音楽表現の違いを、言葉で説明することの難しさに、頭をかかえたらしい。だが二年も続けていると、お二方とも、次第に聞き上手、語り上手になってきたことは、この連載の最初からずっとお読み下さった読者諸兄にはよくおわかりの筈だ。
 その意味では、むしろ一般読者代表の形でご登場頂いたお二人が、少しずつプロに近い聴き方をするようになってきたことが、果してよいことなのかどうか、私自身少々迷っていた。お二人には、連載開始当時の純朴な耳をそのまま持ち続けて頂いたほうがよかったのではないだろうか、などと勝手な考えを抱かせるほど、A、K、ご両者の聴き方は変化していった。
 しかし私がひとつの確信を抱いたのは、当初の素朴な耳の頃からすでに、お二人によって、スピーカーの鳴らす音の味わいの違いが、メーカーや型番の違いよりももっと、風土による影響こそ本質的な違いであることに、賛意が得られたことだった。ある月はイギリスの音ばかり聴く。ひとつひとつ、みな違う。だがそこに一台でもアメリカやフランスを混ぜると、明らかに、たった一台だけ、違った血の混じったことが、誰の耳にも聴き分けられる。そうして一台だけの別の血を混ぜてみると、それまでずいぶん違うと思っていた個々が、全くひとつの群(グループ)にみえてきて、そこに同じ血の流れていることがまた確認できる。何度も何度も、そういう体験をして、血の違いのいかに大きくまた本質的であるかを、確認した。
     *
レコード芸術での、この連載企画はステレオサウンドの総テストと比較すると小規模といえるけれど、
それだけにじっくりと時間をかけて、瀬川冬樹という最適のアドヴァイザーがいての試聴であり、
そういう試聴だから、総テストと同じように見えてくることが、はっきりとある。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その2)

いまではあまりいわれなくなっているが、
1970年代はアメリカの音、イギリスの音、日本の音……、といったことがよくいわれていたし、
ステレオサウンドでも創刊15周年記念の企画として、
60号でアメリカンサウンド、61号でヨーロピアンサウンド、62号で日本の音を特集のテーマとしている。
つまり三号にわたっての企画である。

アメリカの音は西海岸の音と東海岸の音というように、大きく分けられていたし、
ヨーロッパの音といっても、イギリスの音とドイツの音とでは大きく違う傾向だし、
フランスの音も、イギリス、ドイツの音ともまた違う。

国が違えば音は違う。つまり気候・風土の違いが音にあらわれている、ということだ。

だが、この国による音の違いがさかんにいわれていた時期でも、
そんなことはない、国による音の違いなどなく、あるのはメーカーの違いだけである、という意見もあった。
いまもそういうことを主張する人は少なくない。

なぜなのか、というと、総テストの経験があるかないか、といえる。
スピーカーシステムだけを数十機種集中して聴くことでみえてくることがあるからこそ、
総テストの意味がいまもあるわけだし、
ひとつのスピーカーシステムを時間をかけてじっくりと聴く試聴とは、また違う試聴であるのが総テストである。

総テストの経験の有無が、時として話が噛み合わない原因になることもある。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その1)

いろいろなところに出掛けては音を聴いている人は多い。
個人のリスニングルームを訪ねては、音を聴かせてもらう。
オーディオ販売店に出掛けては、気になる製品をいくつか聴かせてもらう。
オーディオショウに行き、それぞれのブースの音を聴いてくる。
ジャズ喫茶、名曲喫茶と呼ばれているところへも、音を聴きに足を運ぶ。

だが、そうやって数多くの音を聴くようにしていても、
なかなか体験できないのが、いわゆる総テストと呼ばれる試聴である。

総テストとは、例えばスピーカーの試聴なら、その時点で集められるスピーカーシステムをできるだけ集め、
ごく短期間で試聴する。
そこで集められるのは、少ない場合でも20機種ぐらい、多くなれば60機種をこえることもある。

つまり60機種のスピーカーシステムなりアンプなりを、数日間で一気に聴き通す。
ステレオサウンドが3号で、アンプの総テストをしたのが、その始まりといえよう。

ステレオサウンド 3号で集められたアンプの数は35機種となっている。
1967年、こういう試聴テストを行っていたところはひとつもない、ときいている。

総テストはステレオサウンドの試聴のやり方、というイメージが私の中にはできあがっている。
他にもオーディオ雑誌はあるが、月刊誌では総テストと呼べるだけの機種数を集めての試聴は難しい。
総テストは三ヵ月に一冊という、季刊誌だからうまれてきた試聴のやり方でもある。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その9)

ずっと以前から、ワンポイント・マイクロフォンによる録音こそが、最良の録音方式である──、
特にクラシックに関心をもつ人のあいだでは信じられてきた(いる)。

ワンポイント・マイクロフォンによる録音は、クラシックではいつの時代でも試みられてきている。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は、
もっとも早い時期に行なわれたワンポイント・マイクロフォンによるステレオ録音だし、
プロプリウス・レーベルのカンターテ・ドミノは、もっとも有名なワンポイント・マイクロフォンによる録音である。

優れたワンポイント・マイクロフォンによる録音は、たしかに素晴らしい出来である。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は50年以上前の録音とは俄に信じられないほどの出来だし、
カンターテ・ドミノは、ルボックスのオープンリールデッキA77で録られたとは思えない。

理屈で考えてもワンポイント・マイクロフォンでうまくいけば、理想的ともいいたくなる録音のやり方である。
優秀なマイクロフォンと優秀なテープデッキを揃えれば、
さらにマイクロフォン・ケーブルにも凝って、できるだけ短い長さのケーブルにして……、
そんないかにもオーディオマニア的なやり方をそこに加えれば、さらにいい音で録れるかというと、
まずそんなことは起りえない。

そう考えている人は、録音を、その場で鳴っている音をそのまま録ることだと思っているのだろう。
だか、どんなに優れたマイクロフォンとテープデッキを用意したところで、
これから先どんなにそれらの性能が向上したとしても、あくまでも録れるのは、
その場で鳴っている音ではなく、録音する人が聴いている音なのだ。

このことを勘違いしてしまった人が、
安易に(短絡的に)ワンポイント・マイクロフォンで録音したものを聴かされたのだった。

その録音を「いいでしょう」という人もいた。
私はそうは思えなかった。

ここで考えたいのは、録音にも「未来」と呼べるものとそうでないものがあるということだ。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その8)

現在の録音方式、
つまりマイクロフォンがとらえた空気の疎密波を電気信号に変換して、
さらにテープレコーダーであれば磁気に変換して記録する。

この方式と、私が架空の話としての音のカンヅメの録音との大きな違いは、
どこにあるかというと、方式そのものの違いではなく、
われわれが耳にしている録音は、演奏が行なわれた場で鳴っていた音を録っているのではない。

あくまでも、われわれがLP、CDなどで聴いているのは、
演奏が行なわれた場で鳴っていた音を、録音する者が聴いた音である、ということである。

瀬川先生が書かれた、クヮェトロ氏が取り出したピカピカ光る箱のようなもの、
私が書いた音のカンヅメが記録しているのは、そこで鳴っていた音をそのまま記録する。

聴いた音、鳴っていた音。
いまのところ、鳴っていた音を録ることは不可能である。
だからこそ、録音エンジニアが聴いた音を録る、ということに意図的にも結果的にもそうなってしまう。

以前、あるオーディオマニアが録ったピアノのCDを聴いたことがある。
ワンポイント・マイクロフォンによる録音である。

はっきりいって、ひどい録音だった。
なぜ、ひどいのか。
その録音を手がけたオーディオマニアは、そこで鳴っていた音を録ろう、としていたからである。

Date: 8月 28th, 2014
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その1)

テクニクスについて書いている。
書けば書くほど、おもしろい存在だということを実感している。

テクニクスときいて、どの製品を思い浮べるかは人によって違う。
若い世代だとテクニクス・イコール・SL1200ということになるらしい。
SP10の存在を知らない人も、いまでは少なくないようでもある。

意外な気もしないではないが、そうかもしれないなぁ、と納得してしまうところもある。
そのSP10、MK2、MK3と改良されロングセラーモデルでもある。

ダイレクトドライヴの標準原器ともいわれていた製品である。
ステレオサウンド 49号の第一回State of the Art賞に、MK2が選ばれている。
誰もが、SP10の性能の高さは認めるところである。
にも関わらず、ステレオサウンドが2000年がおわるころに出した別冊「音[オーディオ]の世紀」に、
SP10は、どのモデルも登場してこない。

この別冊では、17人の筆者、
朝沼予史宏、新忠篤、石原俊、井上卓也、上杉佳郎、倉持公一、小林貢、佐久間輝夫、櫻井卓、篠田寛一、
菅野沖彦、菅原正二、楢大樹、傅信幸、細谷信二、三浦孝仁、柳沢功力らが、
「心に残るオーディオコンポーネント」を10機種ずつ挙げている。

ダイレクトドライヴのアナログプレーヤーも登場している。
小林貢氏がデンオンのDP3000、細谷信二氏がデンオンのDP100を挙げている。
けれどテクニクスのSP10は、初代モデルも、MK2もMK3も出てこない。

ここでの選出は、State of the Art賞とは異り、
きわめて個人的な選出であることが、その理由なのかもしれない。

Date: 8月 27th, 2014
Cate: audio wednesday, Technics

第44回audio sharing例会のお知らせ(Technicsというブランド)

9月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

テーマはTechnics。
テクニクス・ブランドの復活のニュースをきいて、
日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活)」を書いた。
実はこれ一本で続きを書くつもりはなかった。
それがあれこれ書きつづけている。
あと数回書く予定である。

書き始めると、書きたいことが次々と出てくる。
にも関わらず、私が自分のモノとしたテクニクスのオーディオ機器はひとつだけである。
欲しいと思ったオーディオ機器はいくつかある。
けれど自分のモノとはしなかった。
高価だったから、という理由ではない。

それぞれに理由らしきものはある。
ここではそのことについては触れない。
例会では話すかもしれない。

テクニクスというブランドのオーディオ機器は、私を夢中にさせはしなかった。
このことはテクニクスというブランドのオーディオ機器の特徴でもある。
なぜ夢中になれなかったのか。

テクニクス・ブランドの復活のニュースを知って、いまになってあれこれ思い出しては考え、こうやって書いている。

もし今回の復活のニュースがテクニクスではなくLo-Dだったら、どうだったろうか。
おそらくこれほど書きはしなかったはず。
オーレックスだったら……。

オーレックスは思い入れがあるから、テクニクス以上に書くことになるはずだが、
そこで書くことは、テクニクスで書き方とは大きく異ってくる。

いま書きながらテクニクスというブランドが、
あのころの私にとってどういう位置づけだったのか、
それを面白く感じている。

おそらくとりとめもなくテクニクスについて語っていくことになるだろう。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その9)

SP10MK2の存在を私が知ったのは1976年。13歳のときで、ひどいとは感じなかった。
そう感じなかったひとつの理由としてSP10の専用キャビネットとしてSH10B3があったことが大きい。

SH10B3は天然黒曜石、木材、粘弾性材の三層構造で、四隅は丸く処理されていて、
黒い光沢のある、このキャビネットと組み合わされた雰囲気は、なかなかいいと感じていた。

もっともSP10に対する厳しいことは、おもに使い勝手にある。
こればかりは、当時は実物を見たこともなかったし、オーディオ機器に触れたこともわずかなのだから、
なんともいえなかったが、少なくともSH10B3の雰囲気には惹かれるものがあった。

書かれていることはわからないはないけれど……、そんなふうにも思っていた。
それでも数年後、SL100W、SL1000の存在を知ると、厳しい意見が出て来たのも頷けなくもなかった。

SL100WはSP10を専用ウッドケースにおさめたもので、ダブルトーンアーム仕様。
SL1000はSP10とトーンアームEPA99をウッドケースにおさめたもの。
写真でしかみていないが、安易にウッドケースにおさめたことで、どちらもSP10の無機質なところが際立つ。

これでは、あれこれ厳しいことがいわれてきたのもわかる気がする。
ダイレクトドライヴという世界初のモノが、期待通りもしくは期待以上の性能を有して登場してきた。
にも関わらずプレーヤーシステムとしてのまとまり、雰囲気が、
オーディオマニアがレコードをかける心情をまったく理解していない──、そんな感じのものであれば、
改良モデルで、その点が手直しされることを期待しての発言でもあった、はずだ。

テクニクスもそのことは理解していたような気がする。
だからこそSH10B3を出してきたのだろう。
一方でSP10のスタイルはスイッチ類にわずかな変更はあったものの、まったく変更されることはなかった。

ここにテクニクスというブランドの面白さがあるように思っている。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その8)

テクニクスのSP10MK2は、ステレオサウンド 37号の新製品紹介に登場している。
ターンテーブルとしての高性能であることは、37号の記事でも語られている。
同時に、SP10のスタイルについては、かなり厳しいことが述べられている。
     *
山中 このスタイルというのは、人によって好き嫌いがはっきり分かれそうですね。
 僕個人としては、モーターボードの高さの制限を相当受ける点に、問題点を感じてしまうのですけれども、これは、実際にアームを取りつけて使ってみると、非常に使いにくいんです。
井上 モーターボードをもっと下げて、ターンテーブルが突き出たタイプの方が使いやすいと思われますね。
     *
SP10のスタイルについての発言はまだ続く。
記事の半分以上はスタイルについて語られている。

SP10のスタイルについては、菅野先生も以前から厳しいことを書かれている。
     *
 もちろん、いくらそうした血統のよさは備わっていても、実際の製品にいろいろな問題点があったり、その名にふさわしい風格を備えていないのならば、〝ステート・オブ・ジ・アート〟に選定されないわけである。その意味からいえば、私個人としては完璧な〝ステート・オブ・ジ・アート〟とはいいがたい部分があることも認めなければいけない。つまり、私はプレーヤーシステムやターンテーブルにはやはりレコードをかけるという心情にふさわしい雰囲気が必要であると思うからで、その意味でこのSP10MK2のデザインは、それを完全に満たしてくれるほど優雅ではなく、また暖かい雰囲気をもっているとはいえないのである。しかし、実際に製品としてみた場合、ここに投入されている素材や仕上げの精密さは、やはり第一級のものであると思う。このシンプルな形は、ある意味ではデザインレスともいえるほどだが、やはり内部機構と素材、仕上げというトータルな製品づくりの姿勢から必然的に生まれたものであろう。これはやはり、加工精度の高さと選ばれた材質のもっている質感の高さが、第一級の雰囲気を醸し出しているのである。
     *
これはステレオサウンド 49号のもの。
瀬川先生もステレオサウンド 41号で書かれている。
     *
 ただ、MKIIになってもダイキャストフレームの形をそのまま受け継いだことは、個人的には賛成しかねる。レコードというオーガニックな感じのする素材と、この角ばってメタリックなフレームの形状にも質感にも、心理的に、いや実際に手のひらで触れてみても、馴染みにくい。
     *
ここで引用した他にもSP10のスタイルについては、あれこれ書かれているのを読んでいる。
SP10のスタイルに肯定的な文章は読んだ記憶がない。

Date: 8月 26th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その7)

松下電器産業の無線研究所でダイレクトドライヴの開発が行なわれていた1960年代後半当時の測定用レコードは、
当時のアナログプレーヤーのS/N比を測定するのには問題のないレベルだったが、
世界初のダイレクトドライヴが目標とした60dBのS/N比の測定には役に立たないレベルでしかなかった。

どんなにアナログプレーヤーのS/N比が向上しようとも、
測定に使うレコードのS/N比が60dB以上でなければ、
それはレコードのS/N比の限界を測定しているようなものである。

60dBのS/N比のためには、60dB以上のS/N比の測定用レコードを確保することが必要になる。
そこで市販されていた測定用レコードを使わずに、ラッカー盤をそのまま使った測定用レコードにする。
これだけで10dB向上する、とのこと。

それでもまだまだである。
次にラッカー盤の削り方の工夫。それからカッティングマシンの回転数を33 1/3回転から45回転にアップ。
これでラッカー盤測定用レコードのS/N比は50dB近くに。それでも足りない。

33 1/3回転から45回転にしたことで約10dBの向上がみられるのならば、
さらに高回転、つまりSPと同じ78回転にすることで目標の60dBのS/N比の測定用レコードを実現。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号で、この記事を読んで気がついた。
SP10は、初代モデルもMK2もMK3にも78回転があった。

私がSP10MK2の存在を知った1976年、
国産のダイレクトドライヴ型のアナログプレーヤーで、78回転に対応していたのは、他になかった。
そのときは、SP10はダイレクトドライヴのオリジネーターということ、
テクニクスを代表するモデルだから、78回転もあったのだと思っていた。

もちろんそれも理由としてあっただろうが、78回転に対応していなければ、
当時の技術では60dBレベルのS/N比を測定することができなかったから、も理由のひとつのはずだ。

Date: 8月 25th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その6)

松下電器産業には当時15ヵ所の研究所をもっていた。
これらの中で、オーディオと関係していたのは、
中央研究所、材料研究所、無線研究所、音響研究所、電子工業研究所、生産技術研究所の六つである。

ダイレクトドライヴを開発した無線研究所は、テクニクス号によれば、
テレビ、音響機器とそれらを支える電子部品の研究開発、電波伝送理論から高周波・低周波の回路系、
精密機械系や電子部品にいたるまで広範にわたる、とある。

その無線研究所が目標としたS/N比60dB。
これを実現するには、S/N比60dB以上を測定できる環境がまず必要となる。

開発がはじまり1967年には試作品一号機ができる。
無線研究所は線路の近くにあったため、測定は深夜に行なわれていた。

もちろん測定には防振台の上に置かれて行なわれるのだが、
電車の通過によって地面が振動してしまっては、防振台でも完全には遮断できないため、
電車の運行が終っての深夜、S/N比の測定は始まる。

試作機は一号機、二号機……となり、S/N比は向上しているはずだし実感できているのに、
測定値は30dBあたりで足踏みしていた。
原因は測定用レコードにあった。

Date: 8月 25th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その5)

1975年にMK2となったSP10。
それ以前に、Technicsのロゴの前からナショナルのマークは消えている。
いつごろ消えたのかははっきりとしない。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」テクニクス号でも、確認できる。
何枚かのSP10の写真が載っていて、Technicsのロゴだけになっているのがある。

SP10は1970年6月の発表だが、
ダイレクトドライヴの発表は一年前に行なわれている。

この本によると、ダイレクトドライヴの開発に松下電器産業が着手したのは昭和41年(1966年)頃となっている。
SP10登場まで四年間である。

ダイレクトドライヴの開発にあたったのは音響研究所では無線研究所である。
ダイレクトドライヴ登場以前、モーターゴロを発生するプレーヤーが当り前のようにあった。
当時のオーディオ雑誌のプレーヤーの評価記事をみても、モーターゴロという単語が登場する。
モーターゴロがあればターンテーブルのS/N比は十分な値が確保できない。

SP10の登場、つまりダイレクトドライヴの登場は、アナログプレーヤーのS/N比を確実に向上させている。
無線研究所では、それまでのアナログプレーヤーの一般的なS/N比25〜30dBに対し、
60dBを目標としていた。