オーディオマニアとして(その9)
ずっと以前から、ワンポイント・マイクロフォンによる録音こそが、最良の録音方式である──、
特にクラシックに関心をもつ人のあいだでは信じられてきた(いる)。
ワンポイント・マイクロフォンによる録音は、クラシックではいつの時代でも試みられてきている。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は、
もっとも早い時期に行なわれたワンポイント・マイクロフォンによるステレオ録音だし、
プロプリウス・レーベルのカンターテ・ドミノは、もっとも有名なワンポイント・マイクロフォンによる録音である。
優れたワンポイント・マイクロフォンによる録音は、たしかに素晴らしい出来である。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」は50年以上前の録音とは俄に信じられないほどの出来だし、
カンターテ・ドミノは、ルボックスのオープンリールデッキA77で録られたとは思えない。
理屈で考えてもワンポイント・マイクロフォンでうまくいけば、理想的ともいいたくなる録音のやり方である。
優秀なマイクロフォンと優秀なテープデッキを揃えれば、
さらにマイクロフォン・ケーブルにも凝って、できるだけ短い長さのケーブルにして……、
そんないかにもオーディオマニア的なやり方をそこに加えれば、さらにいい音で録れるかというと、
まずそんなことは起りえない。
そう考えている人は、録音を、その場で鳴っている音をそのまま録ることだと思っているのだろう。
だか、どんなに優れたマイクロフォンとテープデッキを用意したところで、
これから先どんなにそれらの性能が向上したとしても、あくまでも録れるのは、
その場で鳴っている音ではなく、録音する人が聴いている音なのだ。
このことを勘違いしてしまった人が、
安易に(短絡的に)ワンポイント・マイクロフォンで録音したものを聴かされたのだった。
その録音を「いいでしょう」という人もいた。
私はそうは思えなかった。
ここで考えたいのは、録音にも「未来」と呼べるものとそうでないものがあるということだ。