Archive for category アンチテーゼ

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その11)

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と考えるようになってきた私は、
いま期待していることがある。

年末までは登場予定のApple Silicon搭載のMacである。
先日のWWDCで、ウワサになっていたARMベースのMacが登場することが明らかになった。

iPhone、iPadに搭載されいてるCPUがMacにも搭載される。

Macに搭載されてきたCPUは、現在はIntel製である。
その前はApple、IBM、Motorola連合によるRISCチップのPowerPCだった。
さらにその前はMotorolaの68000シリーズだった。

Intelも68000シリーズもCISCである。
もっともCPUの専門家によれば、現在のCPUは、
PowerPCが登場したころのように、はっきりとCISC、RISCと分けられるわけではないようである。
CISCであっても、RISCの技術が導入されている、という話を読んだことがある。

とはいえ、大きく分ければCISCとRISCとがある。
iPhone、iPad搭載のARMは、RISCである。

つまりMacは、RISCへと戻る。

パソコンを使って音楽再生に熱心に取り組んでいる人は増えている。
そういう人たちは、再生用アプリケーションは、どれがいいとか、
あれこれ細かいことは実験している。

それでもCPUの違いによって、どれだけ音が変化するのかについては、
IntelとAMDの違いについて書かれたものは読んだことがあるが、
それ以上のことは、CISCとRISCによる音の違いについては、まだ読んでことがない。

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、その根拠の一つとして、
RISCだから、というのが関係しているのどうかがはっきりしてくるかもしれない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その10)

そんなふうにしてiPhoneでも音楽を聴く時間が増えていった最初の頃は、
「iPhoneなのに、音がいい」というふうに思っていた。

そのうちに「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、そんなふうに思うようになっていった。

「iPhoneなのに、音がいい」と思っていたころは、
iPhoneでもこれだけの音がするのだから、
オーディオ専用プレーヤーで、デジタル出力をもっているモノならば、
もっといい音がするのではないか、と、
どんな製品があるのかを調べてもいた。

D/Aコンバーターはメリディアンの218を使うことは決っているのだから、
アナログ出力はなくてもいい、デジタル出力だけの専用プレーヤーも探していた。

けれど「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と思うようになってきたから、探すのはやめた。

iPhoneはスマートフォンだから、さまざまな機能をもっている。
オーディオ再生には不能な機能のために、不要な部品を搭載している。

それらを悪さをしていて、iPhone内部はノイズだらけなのではないか──、
最初はそんなふうに考えてもいた。

けれと実際に音を聴いていると、
むしろiPhoneはノイズ対策がきちんとなされているのではないのか、そう考えるようになった。

あの小さいボディのなかに、あれだけの機能と性能をおさめている、ということは、
それだけ完成度が高くなければ、さまざまなトラブルが発生するはずだ。

使ってみれば、そんなことはない。
安定した動作をしている。
なまはんかオーディオ専用プレーヤーよりも、良かったりするのではないだろうか。

市販されているオーディオ専用プレーヤーの中には、iPhoneよりも音のよいのがあるだろう。
けれど、デジタル信号を取り出して、218で聴くのであれば、
その差は意外と小さいのではないだろうか。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その9)

そういった儀式がなくなければいい、とは考えていない。
それでも、なぜ、そこまで儀式にこだわるのかを自問してほしい、ということだ。

それでも儀式にこだわる人はいるわけで、
そういう人のなかには、iPhoneなんかで音楽が聴けるか! と主張する人もいる。

iPhoneは持ち運べるモノであり、しかもオーディオ専用プレーヤーではない。
スマートフォンの機能として音楽を再生できる。

専用プレーヤーとしての据置型のオーディオ機器で再生することこそ、
オーディオの本来のあり方だ、とこだわっている人からすれば、
外付けのD/Aコンバーターをもってこようと、
iPhoneなんかで音楽が聴けるか! となって当然なのかもしれない。

最初iPhoneを218に接続したとき、
それほど大きな期待をもっていたわけではなかった。

iPhoneと218を接続するには、Lightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターが必要になる。
すでに書いているように、iPhoneで使えるD/Dコンバーターは少ない。

私が使っているのはFX-AUDIOのFX-D03J+である。
数千円で購入できるモノで、バスパワーで動作する。

Lightning-USBカメラアダプタもオーディオ専用アクセサリーとは、とてもいえない。
D/Dコンバーターも高品質なモノとはいえない。

これらを介してのiPhoneでの音楽再生である。
大きな期待をするほうがおかしいといえるし、
どれだけの実力と、可能性があるのかを自分の耳で確認したかったから、やってみた。

やってみて、侮れない、と感じた。
そう感じたから、FX-D03J+にも手を加えた。

ますます侮れない、と感じるようになった。
iPhoneを機内モードにしてみる。
これだけでも音は良くなる。小さくない音の変化で、
機内モードにするかしないの音の違いは、audio wednesdayでも聴いてもらっている。

さらにaudio wednesdayでは、それまで使っていたアプリをすべて終了させたうえで、
一度電源をオフにして起動しなおして、音楽再生に必要なアプリのみを起動させている。

こうやって聴いてもらうiPhone+218の音に、
「MCD350に戻してくれ」の声があがったことは一度もない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その8)

今年のaudio wednesdayは、
前半の二時間はマッキントッシュのMCD350とメリディアンの218での音出し、
後半の二時間はiPhoneと218の組合せでの音出しをすることが多い。

こんなことを書くと、iPhoneなんかで音楽を聴くなんて……、と思う人はどれくらいいるのだろうか。
アナログディスク全盛時代からオーディオをやっている人ほど、゛
いわゆる儀式を音楽を聴く前に求める傾向にあるのではないだろうか。

私だってアナログディスク全盛時代からオーディオをやっている。
オーディオで音楽を聴く、といえば、
ほぼ100%、アナログディスクをかけて、ということでもあった。

それからCDが登場した。
そのCDでも、最初のうちは、二度かけをやったものだ。
トレイにディスクをセットしてTOCを読み込ませる。
そして一度トレイを開けてもう一度TOCを読み込ませてからの再生。

あるオーディオ評論家(商売屋)は、
この二度かけを言い出したは自分が最初だ、といっている。
けれど、そんなオーディオ評論家(商売屋)が言い出す以前から、
井上先生が指摘されていたことだ。

音楽を聴くのに、儀式は必要なのか。
若いころであれば、必要だった、といえる。
でも、そのころから何十年、オーディオで音楽を聴いてきたことだろう。

儀式がなければ音楽に集中できない──、
なんてのは、オーディオの介しての音楽の聴き手として、まったく成長していない。
儀式、儀式とうるさい人に向っては、そんなことさえいいたくなる。

求めているのは音楽を聴いての感動である。
儀式に酔いしれたいわけではない。

Date: 5月 8th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(アンチ「自己」)

アンチテーゼとしての「音」には、
アンチ「自己」としての音もある。

Date: 2月 14th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その7)

(その5)へのコメントがfacebookであった。
デザイナーの坂野さんからのコメントで、
《コンパクトさを好ましいと思いながらも、仕事で使う道具は何よりも安定性を求めたくなります。そうすると、物理的な余裕が必要となり、重量級の機器になります》
とあった。

これから書こうとしていたことを、ほぼコメントしてもらったかたちになった。
EMTのアナログプレーヤーは、プロフェッショナル機器であるから、
まさに道具である。
930st、927stは放送局、927Dstは原盤検聴用としてレコード会社での道具である。

そこには抜群の安定性が求められ、
927Dstのモーターだけでなく、930stのモーターにしても、
いまのアナログプレーヤー、当時のコンシューマー用プレーヤーのモーターの平均からすれば、
かなり大型である。

ターンテーブルプラッターのシャフトも同じである。
太く長いし、プラッターとの嵌合もしっかりとしている。

現場で要求される安定性のための大きさと重量である。
その視点で、大きすぎると感じるオーディオ機器を眺めてみる。

たとえばテクダスのAir Force ZERO。
このアナログプレーヤーの大きさと重量を、どう捉えるか。

私は、非常に大きすぎる、と感じている。
そう感じていない人もいることだろう。

Air Force ZEROの大きさ、重量(投入された物理量)は、安定性のためなのだろうか。
おそらく、音のため、という答が返ってくるであろう。

それはそれでいいのだが、大きすぎると感じてしまうのは、
Air Force ZEROに投入された物理量が、安定性に直結していないのではないか、
いきすぎた物理量の投入は、むしろ、安定性を損ねているところも生じているのでは──、
そんな疑問があるからだ。

Date: 2月 13th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その6)

2月5日のaudio wednesdayでは、
iPhone+218だけでなく、Raspberry Pi+218の音も聴いている。

Raspberry Piの音は、実は数年前に一度聴いている。
数年前の1月のaudio wednesdayに、Raspberry Piを持参された方がいた。

その時のRaspberry PiにはD/Aコンバーターがドーターボードとして加えられていた。
アナログ出力を持っているわけだから、そのままでいい。

その時は、喫茶茶会記のCDプレーヤーがラックスだった。
聴いた印象では、ラックスのほうが上だった。

それでもRaspberry Piの小ささだけでなく、
なにか面白そうだな、とは感じていた。

今回聴いたRaspberry Piは、D/Aコンバーターではなく、
SPDIF出力をもつドーターボードが加えられていた。

しかも、そのボードは私が目をつけてボードだった。
まさに、私がいま聴いてみたいRaspberry Piの仕様になっていた。

この状態で、外部電源を別にすれば、手に乗るサイズである。
肝心の音については、こまかなことについて触れるのはさけたい。

今回聴けたモノは、ケースに収まっていないし、
外部電源をどうするのかによっても、音はどんどんと変っていくのは明らかだ。

それに設定で音が、かなり変化するのも今回確認できた。
そういうモノなだけに、こまかなことについて書くのであれば、
自分で使ったうえ、ということになる。

一つ書いておくと、
今回聴いて、Raspberry Piへの関心はかなり高くなった、ということだ。

Date: 2月 13th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その5)

森永のエールチョコレレートのコマーシャルソングが、
幼いころ、テレビからよく流れていた。

山本直純氏が「大きいことはいいことだ」と歌っていた。
小学校に行けば、同級生の誰かがよく口ずさんでいた。

「大きいことはいいことだ」と洗脳されていたとはいわないけれど、
大きいことに、オーディオに関しては抵抗感をほとんど感じないのは事実だ。

だからアナログプレーヤーはEMTの927Dstまで手を出した。
この音を聴いてしまうと、「大きいことはいいことだ」と肯定的に歌いたくなる。

けれど大きすぎることは、どうなんだろう。
最近の一部のオーディオ機器を眺めていると、
「大きいことはいいことだ」と素直に思えなくなっているのは、
それらが、大きいを通り越して、大きすぎるからだ、と思う。

とはいえ、大きすぎる、と感じるのは、いったいどこからなのだろうか。
人によって違ってくるものなのか、それともあまり違わないものなのか。

同じ人であっても、生活環境が変れば、多少、そのへんの判断も変ってくるのか、
それともほとんど変らないものなのか。

音のため、ここまでやる必要があった、
ここまでのサイズ(大きすぎるサイズ)が必要だった、というセリフに、
オーディオマニアは弱いところがある。

大きいということは無知な証しだ、という人も一方でいる。
このことについて書いていくと、また逸れてしまうので、このへんにしておく。

とにかく「大きいことはいいことだ」と素直にいえなくなった(思えなくなった)、
つまり大きすぎるオーディオが、恥ずかしげもなく堂々としている、
そしてそれを使っている人も、そんなふうに見えてしまう。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その4)

MQAを開発したボブ・スチュアートによれば、
MQAをもっともよく再生するD/Aコンバーターは、
いうまでもなくメリディアンのULTRA DACである。

二番目はMSBテクノロジーの非常に高価な製品。
三番目は、というと、意外にもLG電子のLV30である。

LV30? どんなD/Aコンバーターなんだろう、と思われるだろうが、
LV30は、十万円以下で買えるスマートフォンである。

2019年のOTOTENでのMQAのイベントでのボブ・スチュアートが語ったことだ。

音を追求していった結果に、
大きくなってしまったオーディオ機器は、いくつもある。

けれど大きなオーディオ機器の場合、往々にして信号経路も長くなってしまう傾向にある。

一方で小型化をめざした製品の場合、信号経路はかなり短縮される。
その結果として、音質面での改善もある、と考えられる。

大きいから音がよい──、ということが成り立つと仮定したとして、
だからといって小さいから音が悪い、とはいえない。

D/Aコンバーターにかぎっても、CHORDのMojo、
メリディアンの218などを聴くと、小型ゆえ、といいたくなるところを感じないでもない。

LV30はまだ聴いていないが、
スマートフォンなんだろう……、そんなモノで音楽が聴けるか、
と切り捨てる人もいようが、
MQAに音の良さを感じている人ならば、
ボブ・スチュアートが、三番目にLV30を挙げているのだから、
そのことに素直に耳を傾けたい。

LV30もいいとして、手元に218がある。
iPhoneもある。

まずこの組合せで聴いてみることにした。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その3)

音のためならば──、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がそうであろう。

多少大きくなろうが、多少使いにくくなろうが、
音がよくなるのであれば、そういったことは我慢もするし、
そもそも我慢とは思っていないところもある。

それでも……、と思うのは、
最近のCD再生に必要なシステムの大掛りなことである。

音をよくするためといえ、
なぜ、ここまで大掛りなシステムになってしまったのか、と思う。

dCSのフラッグシップモデルをみると、
その価格よりも、すべてをあわせた大きさに疑問を抱いてしまう。

音を聴けば、そんなこと問題ではなくなる、
気にならなくなる──といった問題だろうか。

dCS以外にも、なぜここまで大掛りになってしまったのか、と思う製品はある。
コンパクトディスクなのになぁ……、といったことをおもいだす。

買えない者の僻みと受けとられようとかまわない。
あれだけの大掛りな構成と大きさ、
そこになんの疑問も抱かずに聴いていられる神経の鈍感さ、
それこそは、もうお見事、というしかないのか。

メリディアンの218で音楽を聴くようになって数ヵ月。
物量を投入しなければ得られない音の世界があるのは実感しつつも、
なんなんだろうか、あの大きさと大掛りさは……という気持は深くなっていくばかりだ。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その2)

昨晩(2月5日)のaudio wednesdayは、
iPhoneとメリディアンの218を使っての音出しだった。

iPhoneには、e-onkyoで購入した曲を入れていた。
再生アプリは、オンキヨーのHF Player(有料)を使った。

いつもはCDプレーヤーのマッキントッシュのMCD350を置く位置に、
iPhoneと218と、D/DコンバーターのFX-AUDIOのFX-D03J+を置く。

三つあわせても、MCD350よりもコンパクトである。
オーディオマニアだから、コンパクトであるかどうかよりも、
問題は音である。

音がひどければ、コンパクトにまとまっていようが、
何の意味も持たない──、とまで言い切れる。

でも、CDはCompact Disk(コンパクトディスク)の略である。
フィリップス(マランツ)とソニーのCDプレーヤー一号機は、
他社製がいわゆるコンポサイズだったのに対し、コンパクトに仕上げられていた。

私が初めて聴いたCDの音は、以前何度か書いているように、
フィリップス(マランツ)のCD63である。

あとでわかったことだが量産機のCD63とはピックアップメカニズムが違っていた。
そのおかげだろうが、
そのころステレオサウンドのリファレンスプレーヤーであったExclusive P3が色褪た。

きいた編集部みなが驚いていた。
もちろんすべての面でLP再生を凌駕していた、とはいわないが、
プレーヤー自体のサイズの大きな違いが、いっそうCDのすごさを印象深いものにした。

その後、ソニーは二号機(CDP701ES)からはサイズが大きくなった。
そしてLo-Dと同時期にセパレート型を出してきた。

音のためにプレーヤーのサイズは大きくなっていく。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その1)

2月5日のaudio wednesdayは、
CDプレーヤーを使わずに、iPhoneとメリディアンの218を使う。

私はiPhoneを持っていくが、
ほかの方がandroidのスマートフォン、Raspberry Pi、
ノート型パソコンなど、CDプレーヤーを必要としない音出しが可能なモノの持ち込みは自由である。

iPhoneは音楽再生専用機ではない。
ポータブル型ということにこだわっても、専用再生機を選んだ方が、
音はよくなる可能性があるのはわかっている。

それでも、あえてiPhoneにこだわっているのは、
アンチテーゼとしての「音」なのかもしれない。

Date: 12月 21st, 2019
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その16)

汚れることを、ひどく嫌う人がいる。
嫌う、というよりも、どこか怖れているのではないか、──、
時にはそう思えるほどに、汚れることを嫌う人がいる。

汚れたら洗えばいいではないか、と私は思ってしまうし、
むしろ汚れまい、とするればするほど、汚れたりするものだ、とも思っている。

それにしても、そこまで汚れることを嫌うのは、なぜなのだろうか。
おもしろいもので、そういう人がオーディオマニアだったりして、
清潔な音を望んでいる。

清潔な音を目指している、清潔な音を出したい(出している)と、
汚れることを極端に嫌う、その男はいっていたことを思い出す。

そういう男の音を、幾度となく聴いている。
清潔な音、わかったようでいて、よくわからないところがある。

どうも、彼の言う清潔な音は、温度感の低い、切れ味のよい音のようでもある。
どこかクールな印象のある音は、キリッとしたところを感じさせる。

それが、どうも清潔な音のようだった。
消毒用のアルコールをふくんだ脱脂綿が肌に触れたような感触が、
清潔ということに結びついての、清潔な音だったのか。

ほんとうのところはよくわからない。
彼自身、よくわかっていたのかどうかもあやしい。

ただ、彼は汚れた音をいっさい出したくなかったのかもしれない。
けれど、そんな音を出そうとすればするほど、
隠れたところが汚れてしまうのかもしれない、と彼は思わなかったようだ。

Date: 11月 19th, 2019
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その4)

平面バッフルの構造は、特に複雑ではない。
バッフル板と支える脚部があれば、平面バッフルとして機能する。

とはいえ脚部をどうするのかは、意外と難しい。
脚部というよりも、平面バッフル全体を、どう支えるかの問題である。

さらに平面バッフルの材質には、響きのよいものを、と昔からいわれている。
だから上質の木材が、平面バッフルにはよく使われる。

平面バッフルにおいて、バッフル板の響きは確かに重要であるが、
その響きを疎外する要因となっているのが、
スピーカーユニットのバッフル板への取り付けである。

重力のない世界ならば影響は抑えられるが、
地球上にはそういう場所はない。
バッフル板には、ユニットの重量が荷重となる。

2m×2mといった大きな平面バッフルに、10cm口径のユニットならば、
ユニットの荷重による影響は小さくなっても、
2m×2mの平面バッフルに、小口径のユニットを取り付ける人はまれだろう。

やはりこれだけの規模となれば、38cm口径のユニットを、私だったら迷わず選ぶ。
となるとユニットによくる荷重は、10cm口径のユニットとは比較にならないほど大きくなる。

そうするとバッフル板へのテンションが強くかかることになる。
このテンションの強さは、本来材質が持っている響きのよさを損ねる方向に働きがちだ。

ダンボールの平面バッフルは、不思議といい音だった。
ダンボールだから、叩いてみても、良質の木材のようないい感じの音がしてくるわけではない。

ダンボールの平面バッフルの音の良さは、
ユニットを人が手で支えていたから、ダンボールのバッフル板には、
ユニットによる荷重はまったくない。

Date: 10月 28th, 2019
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その3)

強化ダンボールとはいえ、スピーカーユニットを支えるだけの強度はない。
10cm口径程度のフルレンジユニットであれば、支えられるだろうが、
38cm口径の同軸型ユニットを想定しているだけに、
それだけの重量をバッフル板で支えようとは、最初から考えていない。

アルテックの755E+ダンボール平面バッフルの時もそうだったが、
ユニットはダンボール・バッフルには取り付けていない。

ユニットの後を友人に支えてもらって、
さらにダンボール・バッフル板も持ってもらっての音出しだった。

つまり左右スピーカーに一人ずつ、
聴く人一人、最低でも三人は必要となる音出しである。

そこでは精緻な音場感とは期待しないでほしい。
けれど気持のいい音がした。
鳴りっぷりのいい音、響きであった。

楽しい音がしていた。
だからこそ、いまでもたまには聴きたい、と思うことがある。

強化ダンボールを複数枚使っての大型平面バッフルは、
だからユニットは角材三本を使っての支持方法をとる。

あくまでもダンボール・バッフルは、
ユニットの前後の音を遮るための役割だけで、
ユニットフレームとは接触するかしないかぐらいにする。

同軸型ユニットは、通常のユニットよりも、奥行きがあるし、
その分後方に重心が移動することにある。

そういうユニットを、これまではフロントバッフルだけで支えていたわけだ。
自作マニアの中には、ユニットの磁気回路を何かで支えていたりするだろうが、
多くは、あれだけの重量をもつ構造体が、いわば片持ち状態となっている。