Archive for category 背景論

Date: 8月 4th, 2018
Cate: 再生音, 背景論

「背景」との曖昧な境界線(その2)

「ミッション:インポッシブル」のアクションシーンを、
どんなに説明してもCGだ、といいはる人が面白いのは、
ジャッキー・チェンは凄い、というところにもある。

ジャッキー・チェンはCGを使わずにアクションシーンをこなしている。
そういって褒める。

ならば「ミッション:インポッシブル」のトム・クルーズもそうであるのに、
こちらは何度もいうように、CGだ、と彼の頭の中ではそうなっていて、
例えCGではないシーンがあっても、それはスタントマンが演じている、とまでいう。

私も20代のころ(つまり1980年代)は、ジャッキー・チェンの映画はよく観ていた。
ジャッキー・チェンはよくやっている、と感心するのは、
エンディングでのNGシーンが映し出されるからでもある。

本編では一度でうまくやっているシーンでも、実際はそうではない。
何度も何度も同じシーンをくり返して、やっとうまくいくのを観ている。
おそらく、「ミッション:インポッシブル」をすべてCGといいはる人も、そうなのだろう。

1980年代は、いまのようなCGの技術はなかった。
生身のアクションシーンであった。
だから、みんな、凄いと素直に信じる。

ところがいまは違ってきている。
ジャッキー・チェンは、いまもアクションシーンをやっているようだが、
仮にCGでアクションシーンをつくっていたとしても、
「ミッション:インポッシブル」はCGといいはる人には、CGは使っていない、ということになる。

彼の判断基準は、ジャッキー・チェンのNGシーンと、
いくらなんでもそんなシーンは実際にはやっていないはず、という彼の思い込み、
それに想像力のそこまで及んでいないことによってつくられているといえそうだ。

Date: 8月 3rd, 2018
Cate: 再生音, 背景論

「背景」との曖昧な境界線(その1)

ミッション:インポッシブル」(Mission: Impossible)の最新作、
「フォールアウト」が今日から公開されている。

「ミッション:インポッシブル」は私ぐらいの世代、私より上の世代にとっては、
「スパイ大作戦」を思い出させる。

「スパイ大作戦」の好きな方のなかには、
「ミッション:インポッシブル」を認めていない人がいるのも知っているけれど、
「ミッション:インポッシブル」は「ミッション:インポッシブル」で楽しめばいい、と思う。

私も一作目からずっと観てきている。
今回の「フォールアウト」も、トム・クルーズのアクションが撮影時から話題になっていた。

先日、仕事関係の人と「ミッション:インポッシブル」のことが話題になった。
前作「ローグ・ネイション」の冒頭の離陸する飛行機に、
トム・クルーズ扮するイーサン・ハントがしがみつくシーンがある。

このシーンを、話していた人は、
「あれ、CGだよ。トム・クルーズが実際にやっているわけないでしょ」と断言していた。

メイキングビデオを見れば、実際にやっているのがわかる、といっても、
そのメイキングビデオすらも、CGで作った、と言い張る。
あんな危険なこと、やるわけないでしょ、がその人の主張するところだった。

そういえば数年前も同じことを経験している。
サントリーの燃焼系アミノ式というスポーツドリンクのCMがそうだった。
このとき話していたのは、私よりも若い人だった。

彼は、CMでやっている運動を、すべてCGによるものだ、といっていた。
私は、違う、といったけれど、これも平行線のまま。

「ミッション:インポッシブル」について話していた人は、もう60代なかばの人。
世代は関係ないのだろう。

難度の高いアクションシーンを実際にやっての撮影と、
ブルーバックを使っての撮影にCGによる映像を合成したもの、
すべてを見分けられるかといえば、まず無理である。

CG合成の例を見ていると、
ふだんの何気ないシーンがCGであったりして驚くことがある。

そういう時代の映画を、われわれはいま観ている。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: 背景論

オーディオ背景論(その3)

マンガの現場にもはやくからパソコンが導入されている。
そのこともあって、といっていいだろう。
背景の描き方が、手描きだったころとは変化している。
つまり緻密に、どこまでも緻密に描く人が登場している。

私と同世代までくらいだと、大友克洋の「AKIRA(アキラ)」は衝撃だった。
マンガの歴史の中に、劇画の登場がある。

私は劇画登場を同時代に知っているわけではない。
すでに劇画は存在していたから、「AKIRA」の登場は衝撃だった。
おそらく劇画登場を体験していた人でも「AKIRA」は衝撃であったはずだ。

「AKIRA」の登場がマンガの背景を変えた、と私は思っている。
「AKIRA」は1982年に連載が始まっている。まだMacintoshは誕生していない。
誕生していたとしても、マンガの現場ですぐに使われはしなかっただろう。

いつごろからだろうか、
デジタルカメラで撮影し、パソコンにデータとしてとりこんで背景を描く人が登場している。
これがマンガの背景をはっきりと変えた。

Date: 3月 1st, 2014
Cate: 背景論

オーディオ背景論(その2)

たとえば映画やテレビドラマの撮影では、
その場面にふさわしいロケーションを探して、そこに出かけて撮影することもあるし、
スタジオ内にセットを組んでの撮影もある。

どこかに出かけての撮影であれば、そのロケーションにあるものすべてが基本的には背景となる。
もちろんカメラのアングルを変えてみたり、
何かで隠したりして写り込まないよう工夫することも少ないないだろうが、
演じている役者の後に見える背景はそのまま、その場面の背景となっていく。

一方、スタジオ内のセットでの撮影では、たとえば部屋のセットの場合、
どういう広さの部屋で、どういうインテリアで、どういう人が住んでいるような部屋なのか。
そのためのスタッフがいて、細部・小物にいたるまでつくりあげていく。

マンガにおける背景は、このスタジオ内のセットに近いところがある。

セットの細部にどこまでこだわるのか。
適当なところですませてしまうのか。

マンガの背景も徹底的にこだわって描いていくのか、
それともこんな感じでいいや的な描き方なのか。

マンガにおいては、そのマンガを描いている漫画家が監督でもあり脚本家でもあり美術スタッフでもある。
部屋の中に、どういう家具や小物を描くのか、
窓から見える風景はどう処理するのか。

場面は部屋の中だけではない。
外に出かけての場面もあるし、現実とはまったく異る世界を描くマンガでは、
そういう背景を描かなければならない。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: audio wednesday, 背景論

第38回audio sharing例会のお知らせ(断片としてのオーディオ背景論)

3月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

テーマについて、オーディオ背景論です。

オーディオ背景論については、昨夜書いたように一年以上前から書こうと考えていたけれど、
その間ずっと考え続けてきたわけでもない。
ほんとうに書こう書こうと思いながら、ずるずる延ばしてきてしまった。

けれどいま書いているいくつかのテーマに、どうしても背景論が関係してくる。
背景論について項を立てて書いていかないと、
別のテーマの項の中で背景論について長々と書いていくことになるのがはっきりしてきたから、
とにかく書き始めようということで、新たに項を立てた次第だ。

オーディオにおける背景は、ひとつではない。
それについても「オーディオ背景論」で書いていく。
だからかなり長くなる気がしている。

3月の例会では、断片としてのオーディオ背景論。
つまりまだ「論」になっていない断片について、語っていこうと考えている。
とりとめのない話になる可能性もある。

でも、オーディオ背景論について断片ではあっても実際に言葉にすることではっきりしてくることがあるし、
来られた方の反応からも見えてくるものがあるから、
来週水曜日のaudio sharing例会のテーマは、オーディオ背景論にする予定である。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 24th, 2014
Cate: 背景論

オーディオ背景論(その1)

一年以上前からテーマとして思いつき、
いつか書き始めようと思いながらも、今日までずるずるとのばしてきたのが、オーディオ背景論である。

オーディオ背景論と表示したくて「おーでぃおはいけいろん」と入力すると、
「オーディオは異形論」と変換された。
これはこれでなかなか示唆に富むタイトルになるかもしれないと思うが、
ここではオーディオ背景論について書いていく。

もう40年ほど昔の話になるが、10歳ぐらいのころ、
手塚治虫に憧れていて、漫画家になりたいと思っていた。
ヘタながら途中までマンガを描いたこともあった。
でも早々とあきらめたのは、弟の絵の巧さを知ったからで、
こんなにも易々とこれだけの絵が描けるのか……、と落ち込んだ。

漫画家になろうとはもう思わなくなったけれど、
ずっと読みつづけてきて感じているのは、絵の緻密さの変化である。

マンガと小説、どちらにもストーリーがある。
けれど、小説では必要がなければ、その場面場面での背景について書かなくてもすむ。
マンガではそうもいかない。

その場面場面ごとにふさわしい背景を描いていかなければならない。