Archive for category 映画

Date: 5月 19th, 2024
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その10)

電車の降り口のドア上部には液晶ディスプレイがあって、
広告が流されていたりする。

そんな広告を眺めていると、オーディオ機器がインテリアとして扱われているのが、
すこしばかり気になる。

ブックシェルフ型スピーカーを床に直置きにしている広告もあった。
またプリメインアンプなのに、その上に管球式パワーアンプを置いている広告もある。
他にもいくつかあるけれど、どの広告にも共通していえるのは、
オーディオのことが多少なりともわかっている人が制作スタッフのなかに一人でもいたら、
そんなことをやったりはしないだろうに……、そんな使われ方である。

単なる小道具、インテリアの一部としてのオーディオの扱いなのだと思うしかない。
そして、そういう広告にはCDではなくLPが使われていたりする。
このことも、なんだかぁ〜、と思う。

LP(アナログディスク)といえば、
アナログディスク・ブームとかで、壁一面のレコードラックの部屋が、
雑誌やソーシャルメディアにも登場してくるのをよく見かけるようになった。

これらすべてがそうだというわけではないが、
ここでも気になることがある。

けっこうな割合で、ディスクが斜めに収納されている。
壁一面のラックのマスのいくつかで斜めになっているのをみかけると、
なぜ、この部屋の主は、こんなひどい置き方をしているのか、と思う。

レコードの枚数からいえば、かなりのマニアのはずだ。
けれどレコードの保存に関してはなにも考えていないのか。

昔のオーディオの入門書には、斜めにしてはいけない、と書いてあったものだ。

Date: 5月 25th, 2023
Cate: 映画

TÁR(その2)

「TÁR」は、公開初日(5月12日)に観た。
(その1)で書いているように、TOHOシネマズ日比谷のスクリーン1で観たかったからだ。

スクリーン1での上映は、やはり18日までだった。
早めに観に行ってよかった、と観終ったから、よけいにそう思う。

大きなスクリーンと上質な音で観たい映画である。
単に音楽を扱っている映画だからということからではなく、
「TÁR」を観た人(注意深くきいた人)ならば、そのことをわかってもらえるはず。

「TÁR」をおもしろかったという人もいれば、期待外れ、残念だったという人もいる。
「TÁR」はおもしろい映画だった。
観終って、もう一度観たい、と思っていた。
いくつか確認したいシーンがあったからでもある。
それもTOHOシネマズ日比谷のスクリーン1で、と思っていた。

できればDolby Atmosで上映してほしい。
エンドクレジットには、Dolby Atmosのロゴが表示される。

話題作がけっこう公開されているし、公開予定でもあるから、
「TÁR」のDolby Atmosでの上映は望めない。

個人的にもう一度観たい(確認したい)シーンは、終盤での、
あるビデオを見ている時の主人公の顔のアップのシーンだ。

えっ、とおもってしまった。
どういう意味(こと)? と思うほどの表情だったけれど、
そのシーンはほんとうに短い。

Date: 5月 11th, 2023
Cate: 映画

TÁR(その1)

明日(5月12日)、ようやく映画「TÁR」が公開になる。
今年公開予定の映画のなかで、最も観たいとおもっている一本だ。

予告編を観るたびに、一日でも早く観たい、とおもう。
「TÁR」はアクションものやSFものではないから、
上映は通常の2Dのみである。

ドルビー・アトモスの上映もない。
それでもいい音の映画館で観たい、となると、
東京だとTOHOシネマズ日比谷のスクリーン1で観たい。

初日はスクリーン1での上映があるが、土曜、日曜は他の映画が上映されるため、
スクリーン1での「TÁR」の上映はない。
月曜日以降はスクリーン1での上映が再開されるが、
いつまでスクリーン1での上映なのかは、いまのところ18日までは行われるようだ。

それ以降になると、他の映画になってしまう可能性もある。
スクリーン1で観たい方はお早めに。

Date: 5月 7th, 2023
Cate: 映画

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

ゴールデンウィーク中に、
映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観てきた。

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」についての説明は必要ないだろう。
大ヒットしているし、関心のない人でもどういう映画なのかは、おおよそ想像がつくし、
その想像通りの内容の映画でもあった。

そんな映画まで観るのか、といわれるかもしれないが、
最初は観るつもりはほとんどなかった。

映画館で流れていた最初の予告編は短いもので、
観たい、という気持にはさせてくれなかった。

それが3月に入ってからの予告編は長くなり、
これはぜひとも映画館で観たい、と一転してしまった。

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観たからといって、
ゲーム「スーパーマリオ」シリーズをやっていたわけではない。

テレビを持っていないのだから、「スーパーマリオ」をやったことは一度もない。
なのに1993年のアメリカの実写映画「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」も、
映画館で観ている。

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」の長めの予告編をみて思い出していたのは、
2008年の映画「スピード・レーサー」だった。

「マッハGoGoGo」を原作とする映画で、興行成績も評論家による評価はひどかった。
けれど、映画館で観て楽しかった一本だった。

このことがあったから、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」は、
通常の上映ではなく、できればMX4Dで観たかったのだが、どこも満員で席がとれなかった。
IMAXレーザー・3Dで観てきた。

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」は「スピード・レーサー」とは違い、
興行成績は大成功といっていいほどヒットしている。

ゴールデンウィーク中ということもあってなのだろうが、映画館は満席だった。
ここ数年映画館で観るようにしているが、ここまで満員だった映画はなかった。

けれど、アメリカでの評論家による評価は、かなり低い、らしい。
でも、いいじゃないか、観て楽しかった、と思えれば、それでいい。
そういう映画があってもいいのが、映画のよさのはずだ。

Date: 5月 7th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その3)

エンニオ・モリコーネの音楽ときいてまっさきに頭のなかでながれてくるのは、
「続・夕陽のガンマン」の、あの口笛のフレーズである。

有名すぎるといっていいぐらいだから、かなりの人が一度は耳にしているだろうが、
同時に、どこか別の機会で聴いているような気が、
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観たあとにわいてきた。

とはいっても記憶はひどく曖昧だ。
なんだったのか、記憶を辿る糸は口笛ぐらいしかない。

子供のころに見ていたヒーローもののテレビ番組で口笛といえば、
キカイダーに登場するサブロー(ハカイダー)だ。

確かめたくてもNetflixやPrime Video、どちらも配信していない。
Prime Videoの有料チャンネル、マイ★ヒーローで配信している。
確認してみた。

サブローの口笛は、はっきりとモリコーネの影響を強く受けたものだった。

こんなことをどうでもいいことだといわれれば、そのとおりだと答える。
それでもちょっとでもひっかかっていることで、確認できる手段があるのならば、
やはり確認しておきたい。

確認できたからといって、すっきりするだけで、それ以上ではないけれど、
ウルトラセブン最終回のシューマンのピアノ協奏曲と同じで、
子供のころ、意識することなく聴いていた音楽と、十年後、二十年後に出逢う。

Date: 3月 14th, 2023
Cate: 映画

オットーという男

オットーという男(A Man Called Otto)」を昨日、観てきた。

回想シーンがときおり挿まれながら物語は進行する。
半ばほどでの回想シーン。

このシーンで流れてきたのが、ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”だった。
不意打ちだった。

このシーンで、“THIS WOMAN’S WORK”を使うのか──、
そんなふうにも感じながらも、胸にずしんと響いてきた。

ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”が使われていることを事前に知っていたならば、
そのシーンがきたところで、ここで使われるんだろうな、と予測できたことだろう。

でも知らなかった。
それゆえの不意打ちでもあった。

Date: 2月 2nd, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その2)

映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た。

エンニオ・モリコーネの熱心な聴き手ではないのは自覚しているけれど、
モリコーネの音楽をまったく聴いていないわけでもない。
時にはモリコーネの音楽とは知らずに耳にしていることがある。

映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観れば、
モリコーネについて書かれた文章を読むよりも、こんなにも多作なのか、と驚く。

黒田先生は「音楽への礼状」で、モリコーネについて書かれている。
     *
 この時代は、大食漢より美食家がもてはやされ、四の五のいわずにいい仕事をする職人よりまことしやかな能書きをたれるもったいぶった手合いのほうが尊重されるという、困った時代です。そのような時代ですからなおのこと、映画のために仕事をする作曲家には微妙なところがあります。映画では、音楽がのさばりすぎてはいけないし、しかしながら、同時に、そこでも音楽は音楽としてなにかを語ることが求められています。靴職人に求められている最低の条件は、客の足にあう靴をつくることです。デザインがいいのわるいのといったようなことは、その後のことです。客の足にマメをつくっても恥じないどころか、足を靴にあわせようとさえする靴屋のいる本末転倒が、大手をふってまかりとおる時代というのは、やはりどこかおかしい。
 あなたが、イタリアで、作曲家としてどのような地位においでなのかは知りません。しかし、イタリアの、ちょっとした音楽事典でも、ルチアーノ・ベリオについての記述は半頁以上にもおよんでいるにもかかわらず、あなたについての記述はほんの十行ほどしかないことから推測しますと、たとえ、イタリアに日本の文化勲章のようなものがあったとしても、あなたは、きっと、その類のものをもらえないのであろうな、と悲しくなります。通俗におもねりもせず、芸術至上をふりかざしもせず、テレビのルーヴル美術館を紹介する番組のためであろうと、パゾリーニのような映画作家のためであろうと、その時、その場で求められる靴を、他のいかなる靴職人もなしえないような方法でつくってしまうあなたの才能、というより、あなたの仕事のしかた、ひいては、あなたの生き方に、ぼくはとてもひかれます。
 一九二八年十一月十日生まれのあなたは、つい先頃、還暦をむかえられたわけですが、どうぞ、これからも、わたしはほんとうはシンフォニーを書きたかったんだ、などとおっしゃることなく、これまでどおり無節操で無頓着な仕事ぶりをつづけて下さい。意識過剰なひとの仕事などというものはいずれにしても考えすぎた恋文のようなもので、相手を刺せるはずもなく、面白くも可笑しくもありません。モーツァルトやシューベルトの音楽がいつまでたっても凄いのは、彼らの作品のことごとくが書きなぐりの恋文であったからだと思います。
     *
黒田先生の文章は1988年のものだ。
いまは2023年。
時代は、どう変化しているのだろうか、変化していないのだろうか。

《四の五のいわずにいい仕事をする職人よりまことしやかな能書きをたれるもったいぶった手合いのほうが尊重されるという、困った時代》、
そこから変化しているのだろうか。

《モーツァルトやシューベルトの音楽がいつまでたっても凄いのは、彼らの作品のことごとくが書きなぐりの恋文であったからだと思います》、
映画を観れば、このことを実感できるはずだ。

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た後は、当然ながら、
モリコーネの音楽を聴きたくなる。たっぷりと聴きたくなっていた。

ここでもTIDALのありがたさを感じていた。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その1)

1月13日から、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が上映される。

エンニオ・モリコーネの映画が公開になるのは数ヵ月前から知っていた。
とはいうものの、さほど大きな関心をもっていたわけではなかった。
昨年暮に映画を観に行った際に、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の予告編が流れた。

予告編の出来がいいだけなのかもしれないが、
おもしろそうな予感がした。

公開が楽しみな一本である。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その9)

2022年、最後に観た映画は
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」だった。

ホイットニー・ヒューストンのファンではないし、
ホイットニー・ヒューストンの歌をきちんと聴いたのは、
彼女が主演した映画「ボディガード」が最初だった、という程度なのだから、
そのくらいの聴き手でしかないのだけれど、
映画を観る(観ない)は、予告編の出来も関わってくることもあって、
年末、時間もあったから観ていた。

映画のなかで、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスの部屋が登場する。
そこでのオーディオ機器は、アンプはマッキントッシュだった。

ほんとうにクライヴ・デイヴィスの社長室にマッキントッシュがあったのかどうかは、
私にはわからないけれど、マッキントッシュが使われていてもおかしくはない。
カセットデッキはヤマハだった。

マッキントッシュが登場する映画やドラマはけっこうある。
私が観たなかでは、1986年の「ナインハーフ」で、
マッキントッシュはかなり大きくスクリーンに映し出されていた。

そのころは、おっ、マッキントッシュだ、とストレートに受け止めていた。
映画のなかでオーディオ機器が大映しされることを、素直に喜んでいた。

そのころよりも、マッキントッシュはアメリカの映画、ドラマによく登場するようになった。
頻繁に,といいかえてもいいぐらいに、
私が興味をもつ映画、ドラマには登場しているのは、偶然ではなく、
マッキントッシュの積極的な広告手段としてのことなのだろう。

別項で、マッキントッシュは自社製品のパチモン的新製品を出している、と書いている。
それだけではない、最近のマッキントッシュのデザインを美しいとはいえないどころか、
終っている──、そういいたくなる製品も出てきている。

アナログプレーヤーはまさにそうである。
MT10を見た時の衝撃は大きすぎた。

もちろん、いい意味ではない。
あきからにおかしくなっている(すべての製品ではないけれども)。

このおかしくなっていることと、
アメリカの映画、ドラマによく登場するようになったこととは無関係とは思えない。

Date: 12月 30th, 2022
Cate: 1年の終りに……, 映画

2022年をふりかえって(その16)

今年劇場で観た映画は三十本弱。
20代のころは百数十本観ていたのだから、ずいぶん減っている。

もっと劇場で映画を、と思いながらも、
NetflixやPrime Videoをけっこうみているから、
つい、もう少し待てば──、そんなことを思ってしまう。

三十本弱という、多くない映画のなかで、
今年いちばん印象に残っているのは、「ミセス・パリス、パリへ行く」だ。

東京では、TOHOシネマズシャンテで、まだ上映している。
もう一度観たい、と思っているところ。

Date: 12月 13th, 2022
Cate: 映画

TÁR

10月に“TÁR (Music from and inspired by the motion picture)”について書いている。
映画「TÁR」のサウンドトラック盤だ。

とはいえ、映画「TÁR」は日本ではまだ公開されていない。
2023年公開予定で、いつになるのかは決っていなかった。

それがここ数日、海外の映画の賞でノミネートされたり選ばれたりしていることが続いたのか、
ようやく公開月が決った。

そのくらい海外での評価は高い。
予告編をみても期待がもてる。

サウンドトラックを聴くと、それはさらに大きくなっていく。
この作品だけは見逃せない。

ただ気になるのは邦題が決っていないためもあって、
「TÁR」を「ター」と表記している映画関係のサイトがいくつか目につく。
タールのはずなのに……。

Date: 12月 13th, 2022
Cate: ディスク/ブック, 映画

MEN 同じ顔の男たち

昨日、映画「MEN 同じ顔の男たち」を観てきた。

予告編をみたときから、ぜひ観たいと思っていた。
予告編以上に不気味というか不快な映画だから、
おもしろい映画だから、観てほしい、とすすめたりはしない。

よく、この内容でR15+で済んだな、と思うようなシーンが終盤にある。
この時代だからこそ可能な映像であるから、よけいに生々しい。

昨晩は帰宅してから、
TIDALで「MEN 同じ顔の男たち」のサウンドトラックをすぐさま検索した。
あった。

映画を観ていない人、観たくない人にも、こちらはおすすめしたい。
音もよい。

Date: 11月 28th, 2022
Cate: 映画

ミセス・パリス、パリへ行く

「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画を日比谷で観ていた。
20時25分に映画を観終った。
東京駅で電車に乗ったら、人身事故の発生でずっと東京駅に停車したまま。
そのため、帰宅が大幅に遅くなって、いまごろ書いている次第。

「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画の舞台は、1950年代。
戦争で夫を亡くした主人公が、働き先でクリスチャン・ディオールのドレスと出逢う。

彼女はお金を何とか工面して、ロンドンからパリのクリスチャン・ディオールに行く。
そこでいろいなことが起るわけだが、
家政婦の彼女にとって、クリスチャン・ディオールのオートクチュールは、
分不相応なドレスである。

買ったところで、どこに着て行くのか──。
物語は進んでいく。

いい映画だった。
こういう映画を、いまの時代に観られてよかった、とも思う。

同時に、別項『モノと「モノ」(世代の違い・その6)』で書いたこともおもう。

モノを買う、という体験は、実は能動的な体験なはずだ。
趣味に関係するモノ、感性と絡んでくるモノは、絶対的にそうである、と書いた。
ほんとうにそうなのだ。

Date: 11月 23rd, 2022
Cate: 映画

Where the Crawdads Sing

昨日、映画「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」を観た。
エンディングのクレジットのところでの歌。

テイラー・スウィフトの歌だとわかる。
テイラー・スウィフトぐらい有名な歌手だと、
クラシックをおもに聴いている私でも、すぐにわかる。

“Carolina”という歌だ。
いい歌だ。

“Carolina”を聴いていたら、パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を、
「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」の原作者、
ディーリア・オーウェンズは読んだことがあるんじゃないか、そう思った。

「ふくろうの叫び」の主人公は男、
「ザリガニの鳴くところ」の主人公は女。
結末も違う。

それでも世界観に共通するところはある。
“Carolina”は、そのことに気づかせてくれた。

Date: 8月 18th, 2022
Cate: 映画

MINAMATA

昨年9月にようやく公開された映画「MINAMATA」。
Netflixで、今日から配信が始まっている。

別項「いま、そしてこれから語るべきこと」で書いている。

映画「MINAMATA」の最後のシーン。
あの写真の撮影シーン。
あれもピエタである。