Archive for category 映画

Date: 3月 14th, 2023
Cate: 映画

オットーという男

オットーという男(A Man Called Otto)」を昨日、観てきた。

回想シーンがときおり挿まれながら物語は進行する。
半ばほどでの回想シーン。

このシーンで流れてきたのが、ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”だった。
不意打ちだった。

このシーンで、“THIS WOMAN’S WORK”を使うのか──、
そんなふうにも感じながらも、胸にずしんと響いてきた。

ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”が使われていることを事前に知っていたならば、
そのシーンがきたところで、ここで使われるんだろうな、と予測できたことだろう。

でも知らなかった。
それゆえの不意打ちでもあった。

Date: 2月 2nd, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その2)

映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た。

エンニオ・モリコーネの熱心な聴き手ではないのは自覚しているけれど、
モリコーネの音楽をまったく聴いていないわけでもない。
時にはモリコーネの音楽とは知らずに耳にしていることがある。

映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観れば、
モリコーネについて書かれた文章を読むよりも、こんなにも多作なのか、と驚く。

黒田先生は「音楽への礼状」で、モリコーネについて書かれている。
     *
 この時代は、大食漢より美食家がもてはやされ、四の五のいわずにいい仕事をする職人よりまことしやかな能書きをたれるもったいぶった手合いのほうが尊重されるという、困った時代です。そのような時代ですからなおのこと、映画のために仕事をする作曲家には微妙なところがあります。映画では、音楽がのさばりすぎてはいけないし、しかしながら、同時に、そこでも音楽は音楽としてなにかを語ることが求められています。靴職人に求められている最低の条件は、客の足にあう靴をつくることです。デザインがいいのわるいのといったようなことは、その後のことです。客の足にマメをつくっても恥じないどころか、足を靴にあわせようとさえする靴屋のいる本末転倒が、大手をふってまかりとおる時代というのは、やはりどこかおかしい。
 あなたが、イタリアで、作曲家としてどのような地位においでなのかは知りません。しかし、イタリアの、ちょっとした音楽事典でも、ルチアーノ・ベリオについての記述は半頁以上にもおよんでいるにもかかわらず、あなたについての記述はほんの十行ほどしかないことから推測しますと、たとえ、イタリアに日本の文化勲章のようなものがあったとしても、あなたは、きっと、その類のものをもらえないのであろうな、と悲しくなります。通俗におもねりもせず、芸術至上をふりかざしもせず、テレビのルーヴル美術館を紹介する番組のためであろうと、パゾリーニのような映画作家のためであろうと、その時、その場で求められる靴を、他のいかなる靴職人もなしえないような方法でつくってしまうあなたの才能、というより、あなたの仕事のしかた、ひいては、あなたの生き方に、ぼくはとてもひかれます。
 一九二八年十一月十日生まれのあなたは、つい先頃、還暦をむかえられたわけですが、どうぞ、これからも、わたしはほんとうはシンフォニーを書きたかったんだ、などとおっしゃることなく、これまでどおり無節操で無頓着な仕事ぶりをつづけて下さい。意識過剰なひとの仕事などというものはいずれにしても考えすぎた恋文のようなもので、相手を刺せるはずもなく、面白くも可笑しくもありません。モーツァルトやシューベルトの音楽がいつまでたっても凄いのは、彼らの作品のことごとくが書きなぐりの恋文であったからだと思います。
     *
黒田先生の文章は1988年のものだ。
いまは2023年。
時代は、どう変化しているのだろうか、変化していないのだろうか。

《四の五のいわずにいい仕事をする職人よりまことしやかな能書きをたれるもったいぶった手合いのほうが尊重されるという、困った時代》、
そこから変化しているのだろうか。

《モーツァルトやシューベルトの音楽がいつまでたっても凄いのは、彼らの作品のことごとくが書きなぐりの恋文であったからだと思います》、
映画を観れば、このことを実感できるはずだ。

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た後は、当然ながら、
モリコーネの音楽を聴きたくなる。たっぷりと聴きたくなっていた。

ここでもTIDALのありがたさを感じていた。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その1)

1月13日から、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が上映される。

エンニオ・モリコーネの映画が公開になるのは数ヵ月前から知っていた。
とはいうものの、さほど大きな関心をもっていたわけではなかった。
昨年暮に映画を観に行った際に、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の予告編が流れた。

予告編の出来がいいだけなのかもしれないが、
おもしろそうな予感がした。

公開が楽しみな一本である。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その9)

2022年、最後に観た映画は
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」だった。

ホイットニー・ヒューストンのファンではないし、
ホイットニー・ヒューストンの歌をきちんと聴いたのは、
彼女が主演した映画「ボディガード」が最初だった、という程度なのだから、
そのくらいの聴き手でしかないのだけれど、
映画を観る(観ない)は、予告編の出来も関わってくることもあって、
年末、時間もあったから観ていた。

映画のなかで、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスの部屋が登場する。
そこでのオーディオ機器は、アンプはマッキントッシュだった。

ほんとうにクライヴ・デイヴィスの社長室にマッキントッシュがあったのかどうかは、
私にはわからないけれど、マッキントッシュが使われていてもおかしくはない。
カセットデッキはヤマハだった。

マッキントッシュが登場する映画やドラマはけっこうある。
私が観たなかでは、1986年の「ナインハーフ」で、
マッキントッシュはかなり大きくスクリーンに映し出されていた。

そのころは、おっ、マッキントッシュだ、とストレートに受け止めていた。
映画のなかでオーディオ機器が大映しされることを、素直に喜んでいた。

そのころよりも、マッキントッシュはアメリカの映画、ドラマによく登場するようになった。
頻繁に,といいかえてもいいぐらいに、
私が興味をもつ映画、ドラマには登場しているのは、偶然ではなく、
マッキントッシュの積極的な広告手段としてのことなのだろう。

別項で、マッキントッシュは自社製品のパチモン的新製品を出している、と書いている。
それだけではない、最近のマッキントッシュのデザインを美しいとはいえないどころか、
終っている──、そういいたくなる製品も出てきている。

アナログプレーヤーはまさにそうである。
MT10を見た時の衝撃は大きすぎた。

もちろん、いい意味ではない。
あきからにおかしくなっている(すべての製品ではないけれども)。

このおかしくなっていることと、
アメリカの映画、ドラマによく登場するようになったこととは無関係とは思えない。

Date: 12月 30th, 2022
Cate: 1年の終りに……, 映画

2022年をふりかえって(その16)

今年劇場で観た映画は三十本弱。
20代のころは百数十本観ていたのだから、ずいぶん減っている。

もっと劇場で映画を、と思いながらも、
NetflixやPrime Videoをけっこうみているから、
つい、もう少し待てば──、そんなことを思ってしまう。

三十本弱という、多くない映画のなかで、
今年いちばん印象に残っているのは、「ミセス・パリス、パリへ行く」だ。

東京では、TOHOシネマズシャンテで、まだ上映している。
もう一度観たい、と思っているところ。

Date: 12月 13th, 2022
Cate: 映画

TÁR

10月に“TÁR (Music from and inspired by the motion picture)”について書いている。
映画「TÁR」のサウンドトラック盤だ。

とはいえ、映画「TÁR」は日本ではまだ公開されていない。
2023年公開予定で、いつになるのかは決っていなかった。

それがここ数日、海外の映画の賞でノミネートされたり選ばれたりしていることが続いたのか、
ようやく公開月が決った。

そのくらい海外での評価は高い。
予告編をみても期待がもてる。

サウンドトラックを聴くと、それはさらに大きくなっていく。
この作品だけは見逃せない。

ただ気になるのは邦題が決っていないためもあって、
「TÁR」を「ター」と表記している映画関係のサイトがいくつか目につく。
タールのはずなのに……。

Date: 12月 13th, 2022
Cate: ディスク/ブック, 映画

MEN 同じ顔の男たち

昨日、映画「MEN 同じ顔の男たち」を観てきた。

予告編をみたときから、ぜひ観たいと思っていた。
予告編以上に不気味というか不快な映画だから、
おもしろい映画だから、観てほしい、とすすめたりはしない。

よく、この内容でR15+で済んだな、と思うようなシーンが終盤にある。
この時代だからこそ可能な映像であるから、よけいに生々しい。

昨晩は帰宅してから、
TIDALで「MEN 同じ顔の男たち」のサウンドトラックをすぐさま検索した。
あった。

映画を観ていない人、観たくない人にも、こちらはおすすめしたい。
音もよい。

Date: 11月 28th, 2022
Cate: 映画

ミセス・パリス、パリへ行く

「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画を日比谷で観ていた。
20時25分に映画を観終った。
東京駅で電車に乗ったら、人身事故の発生でずっと東京駅に停車したまま。
そのため、帰宅が大幅に遅くなって、いまごろ書いている次第。

「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画の舞台は、1950年代。
戦争で夫を亡くした主人公が、働き先でクリスチャン・ディオールのドレスと出逢う。

彼女はお金を何とか工面して、ロンドンからパリのクリスチャン・ディオールに行く。
そこでいろいなことが起るわけだが、
家政婦の彼女にとって、クリスチャン・ディオールのオートクチュールは、
分不相応なドレスである。

買ったところで、どこに着て行くのか──。
物語は進んでいく。

いい映画だった。
こういう映画を、いまの時代に観られてよかった、とも思う。

同時に、別項『モノと「モノ」(世代の違い・その6)』で書いたこともおもう。

モノを買う、という体験は、実は能動的な体験なはずだ。
趣味に関係するモノ、感性と絡んでくるモノは、絶対的にそうである、と書いた。
ほんとうにそうなのだ。

Date: 11月 23rd, 2022
Cate: 映画

Where the Crawdads Sing

昨日、映画「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」を観た。
エンディングのクレジットのところでの歌。

テイラー・スウィフトの歌だとわかる。
テイラー・スウィフトぐらい有名な歌手だと、
クラシックをおもに聴いている私でも、すぐにわかる。

“Carolina”という歌だ。
いい歌だ。

“Carolina”を聴いていたら、パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を、
「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」の原作者、
ディーリア・オーウェンズは読んだことがあるんじゃないか、そう思った。

「ふくろうの叫び」の主人公は男、
「ザリガニの鳴くところ」の主人公は女。
結末も違う。

それでも世界観に共通するところはある。
“Carolina”は、そのことに気づかせてくれた。

Date: 8月 18th, 2022
Cate: 映画

MINAMATA

昨年9月にようやく公開された映画「MINAMATA」。
Netflixで、今日から配信が始まっている。

別項「いま、そしてこれから語るべきこと」で書いている。

映画「MINAMATA」の最後のシーン。
あの写真の撮影シーン。
あれもピエタである。

Date: 6月 4th, 2022
Cate: ワーグナー, 映画

ワグナーとオーディオ(とIMAX 3D)

6月1日に「トップガン マーヴェリック」を観てきた。
IMAXで観てきた。

今年観た映画のなかで、ダントツに楽しかった。
映画って、いいなぁ、と素直におもえるほどよかった。

映画館で観てよかった映画だ、とも思っていた。
この十年くらいか、映画館が輝きを取り戻したような感じを受けている。

私が、再び積極的に映画館で映画を観るようになったきっかけは、
ドルビー・アトモスの登場である。

別項「トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その1)」で書いているように、
2013年12月1日、船橋まででかけて観に行った。

その時観たのは「スタートレック イントゥ・ダークネス」で、
ドルビーアトモスと3Dによる上映だった(IMAX 3Dではない)。

船橋まででかけたのは、
Dolby Atoms(ドルビーアトモス)を日本で初めて導入した映画館で、
まだ船橋にしかなかったからだ。

船橋からの帰りの電車のなかでおもっていたことは、(その3)に書いている。

ジョン・カルショウがいま生きていたら、
3D映像とドルビーアトモスを与えられたら、
どんな「ニーベルングの指環」をわれわれに提示してくれるであろうか──。
そんなことをぼんやりとではあるが考えていた。

それから九年ほど経って、IMAX 3Dが登場した。
別項「Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その1)」で、
「Avatar: The Way of Water」の予告編を観た、と書いた。
この予告編もIMAX 3Dで、そのクォリティの高さは、また一つ時代が変った、
そう思わせるほどのものだ。

「ニーベルングの指環」。
最新のCGによる制作とIMAX 3Dでの上映。
観たい。

Date: 5月 17th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その5)

四日前の(その4)で、HiViが隔月刊か季刊になってしまうかもしれない──、
と書いたばかりだった。

今日、正式に告知されている。
6月17日発売の7月号が月刊HiViの最終号になり、
9月16日発売が季刊HiViの一号になる、とのこと。

こんなにも早く月刊誌ではなくなるとは……、と少々驚いている。
自分で書いていたものの、
早くて来年くらいかな、ぐらいに思っていたし、
月刊誌からいきなり季刊誌ではなく、隔月刊誌で様子見て──、
そんなふうにも思っていたからだった。

昨晩は「シン・ウルトラマン」を観に行っていた。
日比谷のTOHOシネマズで観ていた。

映画館に人が集まっている、と感じていた。
1980年代よりもにぎわっているという感じでもあった。

だからといってホームシアター雑誌が売れるわけでもないのか。
なんとなくだが、Mac雑誌に似たような状況のようにも思える。

私がMac雑誌を読みはじめた1992年ごろは、
Mac Japan、Mac Power、Mac Life、Mac Worldが月刊誌として出ていた。
それから数年後、Mac JapanがMac Japan ActiveとMac Japan Brosに分れた。
Mac Powerの姉妹誌としてMac Peopleが出て、
日経Mac、Mac User、Mac fanも創刊された。

これだけのMac雑誌があり、
コンビニエンスストアでもMac Powerが、
私鉄沿線の小さな駅の売店でもMac Peopleが売られているのを見ている。

それがいま残っているのは、Mac fan一誌のみである。

だからといってMacを含めてAppleの製品が売れていないのかといえば、
まったくそんなことはなく、その逆である。
なのにMac雑誌は寂しい限りである。

とにかくHiViが季刊誌になる。
一冊のボリュウムはステレオサウンドと同じくらいになるのだろうか。
それに年四冊のうち12月発売の号は、
HiViグランプリとベストバイの特集なのは変えないようである。

Date: 5月 13th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その4)

その3)に、コメントがあった。
ホームシアターを仕事にされていて、
audio wednesdayにも何度も来てくださった水岡さんのコメントである。

そこに、こうある。
《ホームシアターの良い所、それは好きなソフトを好きな時に見られる事ですね。
いくらIMAXが凄かろうと、それが自分の見たい物でなければ・・・ですよね?
映画には色々な物があって、私が好きな名画やアニメ作品はIMAXと相性が良いとは思えませんし(笑)
それにホームシアターはライブ物のソフトを楽しむが最高なんですよ!
自分が手塩にかけたスピーカーに映像を組み合わせる!》

水岡さんのいわれる通りである。
IMAX 3Dがどんなに凄かろうと、相性が良いとはいえないどころか、
悪い作品もある。

それはわかったうえで、IMAX 3Dで凄い作品を観てしまうと、
《自分の見たい物》でなくとも観たいと思う気持が私にはあったりする。

それはどこかオーディオマニアが、音楽的内容とはあまり関係ないところで、
音のよい録音を鳴らす気持と通じているのかもしれない。

水岡さんのコメントを読んでいて気づいたのは、
私はあまりライヴものの映像を観ないということである。

私はホームシアターはやっていない。
自宅でどんなシステムで映画を観ているかといえば、
iPadにイヤフォンを接続して観ることが多い。
これでけっこう楽しんでいて満足しているし、
映画館に行きIMAX 3Dで観るということとはまったくの別物だと割り切っているのだろう。

水岡さんのコメントには、こうも書いてある。
《若い人に私が手掛けたシアターを見せた時の反応は結構良いのですが、ネックはやはり経済的な事ですね。》
これもその通りだし、経済的なことがネックとなるわけだが、
ここで本格的なホームシアターを自分のモノとして実現しようと思う人もいれば、
私のようにすっぱり割り切って、程々の大きさのテレビでいいや、という人もいる。

どちらが多いのか私にはわからない。
前者が多ければ、これからもホームシアター業界は安泰だろうし、
後者が多くなってくれば……。

最後水岡さんは、ホームシアターファイルは季刊で残っています、と書かれているが、
音元出版のサイトには、
ホームシアターファイルは休刊誌のところにある。
定期刊行物のところにあるのは、季刊ホームシアターファイルPlusとなっている。

一応、ホームシアターファイルと季刊ホームシアターファイルPlusは別扱いというところなのだろう。

このことは昨晩、(その3)を書く時点で確認していたことなのだが、
今日、これを書きながら、もしかするとHiViもいつの日か、
隔月刊か季刊になってしまうかもしれない──、
そんな日が来たとしたら、ホームシアター業界は斜陽産業といえるだろう。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 映画
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Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その3)

IMAX 3Dの凄さを味わった人、
それも若い人たちは、ホームシアターを趣味とするのだろうか。

趣味としてもらわないと困る──、
と言うのはホームシアター業界の人たちだろう。

メーカー、輸入元、雑誌関係の人たち、ホームシアター評論家。
これらの人たちは劇場でIMAX 3Dを体験して、どう思っているのだろうか。

脅威と感じているのどうか。
私だったら、そう感じる。
けれど私はホームシアター業界の者ではないし、
ホームシアター業界の内情についてもまったくといっていいほど知らない。

けれど音元出版は数年前にホームシアターファイルを休刊している。
HiViにしても、ひところはほとんどの書店で平積み扱いだったが、
最近はそうではなくなっている。

遠い将来か近い将来、どちらなのかはわからないが、
いつの日か、IMAX 3Dのクォリティをホームシアターでも実現できるようになるだろう。

でもそのころには劇場のクォリティ(次元)は、さらに先をいっていることだろう。
このこと自体はとてもいいことである。

劇場のクォリティ(次元)がきわめて高くなることに全面的に賛成だし、
いつまでもそういう場であってほしい、と、
老朽化した劇場で映画を観てきた世代の私は、そう思う。

けれど、そのことがホームシアターという趣味を広く定着させていくかは疑問である。

ホームシアター業界は、すでに斜陽産業なのかもしれない、
とIMAX 3Dで映画を観るたびに思うようになっている。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その2)

私がいちばん映画を観ていたのは、20代のころである。
1980年代である。

あのころは休日ともなれば映画館をはしごしていた。
主に新宿の映画館を、一日で三館はしごしていた。

紀伊國屋書店の裏にあった映画の前売り券のみを扱っていたチケット店で、
上映されている作品の開始時間と終了時間を確認して、観る映画を決めていた。

このころはシネマコンプレックス(シネコン)は、まだなかった。
さすがは映画館! といいたくなる劇場もあったけれど、
老朽化している劇場も、まだまだ残っていた時代だ。

とにかく、この時代、邦画は敬遠していた。
なぜかといえば、音の悪い劇場が少なくなく、
セリフ(日本語)がひどく聞き取りにくいことがままあったからだ。

そして1980年代はAV(オーディオ・ヴィジュアル)時代の幕開けでもあった。
ステレオサウンドの姉妹誌であったサウンドボーイはHiViへと変っていった。

このころのハイエンドのホームシアターの実力は、
老朽化した劇場のクォリティを上廻っていた。

AVは、いつのころからかホームシアターと呼ばれるようになって、
さらにクォリティは向上していっている。

それでも──、といまは思う。
シネコンでIMAX 3Dで、きっちりとつくりこまれた作品を観ていると、
このクォリティは、ホームシアターでは無理だろう、と思ってしまう。

20代のころは、とにかく一本でも多くの映画を観たい──、
ということで映画館に行っていた。それはそれで楽しかった。

いまは、というと、IMAX 3Dでの映画を観るのがとても楽しい、と感じている。
それは私だけでなく、多くの人がそう感じているようだ。

20代のころは、スマートフォンはなかった。
映画を観るためのチケット購入は、劇場窓口かチケット店しかなかった。
いまはスマートフォンから買えるし、座席指定でもある。

私もそうやって買っているわけだが、
話題の作品の購入状況を見ると、IMAX 3Dのほうが人気があるようだ。
IMAX 3Dは通常料金に800円か900円が追加になる。

高いと感じるか安いと感じるか。
私はけっこう安いと感じている。
もちろん作品の出来が優れているという条件つきではあるが、
IMAX 3Dは新しい体験であるからだ。

そして思うのは、
ホームシアターで劇場でのIMAX 3Dと同じクォリティで観られるようになるのだろうか。