Archive for category BBCモニター

Date: 3月 16th, 2026
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その33)

そういえば──と思い出すのは、五年前、大滝詠一の“A LONG VACATION”の金蒸着CDが三十万円を超える値がついてヤフオク!で落札されたことだ。

1980年代の終りごろから金蒸着CDがいくつかのレコード会社から出た。通常のアルミ蒸着CDよりも少し高かったけれど、
むちゃくちゃ高価だったわけではない。
五千円しなかったと記憶しているが、そのぐらいだったはず。

それが未開封とはいえ三十万円以上で落札。

ロジャースのLS3/5Aが登場したとき、ペアで十五万円だった。その後、少しずつ値が上がり、1980年代半ば頃には、ペアで十六万円を超えていた。
それが六十万円を超えて取り引きされるようになった。

新品未開封のCDか中古のスピーカーという違いはある。
当時の価格を知る者からすると、適正価格とはいったいどういうことなのか、と考える。

特に製造中止になったモノの適正価格は──と考えながらも、インターネットオークションがここまで普及してしまうと、
考えるのは無駄なことのようにも思える。

そんなことをぼんやり考えながら、ステレオサウンド 237号のベストバイのページを開く。
ペアで40万円以上80万円未満のスピーカーシステムのところを見る。

グッドマンのLS3/5Aの落札価格と同じ価格帯であるわけだが、
ベストバイに選ばれているスピーカーのどれらを買うことになったら、私ならどれを選ぶだろうか。

どれだろう──、と他人事みたいにページを眺めていて、世の中に、これだけのスピーカーシステムとグッドマンのLS3/5Aしか存在してないのであれば、
LS3/5Aを選ぶかもしれない──と思ったりした。

これは極端な設問であって、まったく現実的ではないし、
個人的にLS3/5Aの現在の相場は少しおかしいと感じていても、
魅力的なスピーカーシステムということでは、選択肢に加わってくる。

そこでまた適正価格とは──を考えてみるのだが、はっきりとしたことは何も浮かばない。

Date: 3月 13th, 2026
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その32)

LS3/5Aが、いまも高い評価で、中古市場でもなかなかの値段がついているのは知っている。
11Ω仕様のモデルよりも15Ω仕様のモデルは、さらに高く取り引きされている。

ヤフオク!に、グッドマンのLS3/5Aが出品されていた。
15Ω仕様である。
グッドマンのLS3/5Aがある、ということは知っていた。とはいえなんとなく知っていた、という程度で、
実物を目にしたことはなかった。

今回、ヤフオク!に出品されているのを見て、やっぱりあったのか、と思ったし、
スピーカー端子を見て、相当に古いモノだな、とも思っていた。

どんな音がするのか、聴いてみたいと、LS3/5Aに興味がある人ならば、そう思うだろう。

私が出品されているのに気づいた時点で、すでに30万円を超えていた。
どこまで値が上がるのか。50万円を突破するのか、と思っていたら、66万円を超えていた。

欲しい人が複数いれば、オークションだから値は上がっていく。
なんとしてでも手に入れたい人が二人以上いれば、思わぬ値がつくのはわかっていても、66万円という落札価格を見ると、
どういう人が落札したのかを、勝手に想像してしまう。

LS3/5Aマニアが世の中にはいる。各ブランドから出たLS3/5Aを全て蒐集したい人はいる。
そういう人が落札したのかもしれないし、グッドマンのLS3/5Aは珍しいから、投資目的もあって落札した人なのかもしれない。

どんな人なのかは想像するしかないのだが、落札した人と最後まで応札した人がいるわけで、その二人によって66万円までになってしまったのだが、
ただすごいですね、と感心するだけではおさまらぬ何かを感じている。

グッドマンのLS3/5Aに、66万円の価値があるのか。それを判断するのは誰か。

グッドマンのLS3/5Aに、それだけの価値はない──、と言いたいわけではない。聴いたことがないグッドマンのLS3/5Aだし、
もしかすると、その音を聴くと、それだけのお金を払っても手に入れたいという気持はわかる──、となるかもしれない。

でも、私はグッドマンのLS3/5Aを聴いたことがない。これ以上のことは言えないのだが、落札した人はグッドマンのLS3/5Aを聴いたことがあるのかは、気になる。

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その11)

ロジャースのLS3/5Aは、私にとってどういう存在、位置づけかというと、
非常に私的なスピーカーシステムということだ。

オーディオを介して音楽を聴くという行為は、私にとってはひとりで音楽を聴く行為である。

ひとりで好きな音楽を聴く。
それは、その姿を誰かに見られたら気恥ずかしいと思える音楽を、その音楽にふさわしい音で聴く、ともいえる。

LS3/5Aで、好きな女性ヴォーカル、それも歌い上げる歌手ではなく、
そっとささやくように歌う歌手を聴いているところを想像してみてほしい。

私は、その時の姿を誰かに見られたくないと思うし、
そんなこと一度も想像したことがない、という人の鳴らすLS3/5Aの音は、
私が思い描いているLS3/5Aの音とは、まったく別ものでしかない。

何人かのオーディオマニアのお宅で鳴っていたLS3/5Aは、そうではなかった。
オーディオショウで聴いた、いくつかのLS3/5Aの音もそうではなかった。
だからといって、ひどい音で鳴っていた、というつもりではない。

LS3/5Aというスピーカーの捉え方がまるで違うだけのことだ。

Date: 5月 29th, 2023
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その31)

LS3/5Aをダブルスタックで鳴らすのは、いまもやっている人はいるようだ。
LS3/5Aをダブルスタック(つまり計四本)で聴くのは、邪道だ──、
そういいたくなる人のほうがきっと多いだろうし、
同じ気持をもっていないわけでもない。

けれど同時に、スタックにしてでも鳴らしたい──、という気持もわかる。
LS3/5Aの音(その世界)に惚れ込んだ人ならば、
このままあとすこしスケールアップしてくれたなら──、
そんなことは一度も思ったことはない、と言い切れる人はどのぐらいいるだろうか。

LS/3/5A用のウーファーはいくつか出ていた。
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
JBLの15インチ・ウーファー136A、
エンクロージュアにはサンスイとJBLが共同開発したECシリーズの中からEC10とを組み合わせ、
LS3/5A用のサブウーファーとする組合せをつくられている。

これらすべての音を聴いているわけではないが、聴いている音もある。
けれど、LS3/5Aの魅力そのままに、スケールアップに成功した音とは思えなかった。

そういう耳の私にとって、メリディアンのM20はまさしくLS3/5Aの音をスケールアップした音が、
いまここで鳴っている──、と感じたし、
その事実に、とにかく嬉しくなったものだ。

M20はLS3/5Aの延長線上にある音であり、スピーカーシステムである。
M20を聴いた、いまから四十年近く前から、そう感じていた。

けれど、そんなふうに感じる人はいなかった──、と感じていた。
誰もそんなことを書いたりしていない。

昨日、別項で書いている野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会に行ってきた。
そこで、Mさんという初対面の方から声をかけられた。

このブログで、以前、書いている。
LS3/5Aの延長線上にあるM20だ、と。
MさんはLS3/5Aを計五回買ってしまうほど、惚れ込んでいる人だ。

そのMさんは、私の書いたものを読んでM20を買った。
その音を聴いて、ほんとうにLS3/5Aの延長線上の音だった、と話してくださった。

そうだろう、そうだろう、と思いながら聞いていた。

Date: 1月 7th, 2020
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その9)

大辞林には、教養とは次のように記してある。
(1)おしえそだてること。「父は其子を—するの勤労を免かれ/民約論(徳)」
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「—を身につける」
(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕
単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

教養ある音の「教養」とは、三番目か。
単なる知識ではなく、とある。
スピーカーの音にあてはめれば、単なる情報量ではなく、ということになろうか。

情報量ということでは、
1970年代から1980年代にかけてのBBCモニターよりも、
同クラスの現代のスピーカーシステムのほうが、上であるモノが多い、といえよう。
それに情報量の多さだけでなく、精度の高さでも、上といえよう。

古いスピーカー(に限らず古いオーディオ)をまったく認めない人たちからすれば、
私が教養ある音といっている音を出してくれるスピーカーは、
情報量の少なさを、
教養ある音、という、ひじょうに曖昧な、正体不明の音でごまかしているだけではないか──、
そんな声が挙ってもこよう。

現代の優れたスピーカーの視点からすれば、
足りないところもあったといえるのは、事実である。

1970年代に登場したBBCモニターとその系列のイギリスのスピーカーシステムは、
現在のスピーカーからすれば、制約もいくつかあった。

四十年間に、スピーカーの技術は進歩している。
けれど、音、それも音の品位ということではどうだろうか。

《人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる》音といえるだろうか。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その8)

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その7)

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。

Date: 6月 4th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その6)

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないずだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。

Date: 6月 2nd, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その5)

(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。

Date: 7月 29th, 2017
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その19)

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。

Date: 1月 14th, 2017
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その18)

その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。

Date: 6月 21st, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。

Date: 6月 21st, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その4)

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。

Date: 6月 14th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その3)

音の品位に関して、菅野先生と瀬川先生で違っているところは、どういうところで、どういうことなのか。
このことについての大きなヒントは、ステレオサウンド 60号の特集にある。

60号の特集は「サウンド・オブ・アメリカ」。
1920年代に建てられたという、90㎡の広さの旧宮邸を試聴室として、
当時のステレオサウンドの試聴室にはおさまっても、
サイズ的に大きすぎるスピーカーシステムを集めての試聴となっている。

この特集にはアルテックのA5、MANTARAY HORN SYSTEMのほかに、A4も含まれている。
他にはJBLのパラゴン、4345、4676-1、インフィニティのIRS、クリプシュのKLIPSCHHORN II K-B-WO、
ウェストレイクのTM3、ESSのTRANSAR III、エレクトロボイスのパトリシアン800などがあり、
マッキントッシュのXRT20もそうである。

このXRT20のページにおける菅野先生と瀬川先生のやりとりこそ、
ふたりの音の品位についての違っているところが、はっきりとあらわれている。

瀬川先生はXRT20の音について、こう語られている。
     *
 ただ、ぼくは今聴いているとちょっと不思議な感じを抱いたのだけれど、鳴っている音のディテールを論じたら違うんですが、全体的なエネルギーバランスでいうと、いまぼくがうちで鳴らしているJBL4345のバランスに近いんです。非常におもしろいことだと思う。もちろん細かいところは違います。けれども、トータルなごく大づかみな意味ではずいぶんバランス的に似通っている。ですから、やはり現在ぼくが鳴らしたい音の範疇に飛び込んできているわけです。飛び込んできているからこそ、あえて気になる点を言ってみると、菅野さんのところで鳴っている極上の音を聴いても、マッキントッシュのサウンドって、ぼくには、何かが足りないんですね。かなりよい音だから、そしてぼくの抱いている音のイメージの幅の中に入ってきているから、よけいに気になるのだけれども……。何が足りないのか? ぼくはマッキントッシュのアンプについてかなり具体的に自分にとって足りない部分を言えるつもりなんですけれども、スピーカーの音だとまだよくわからないです。
     *
瀬川先生が「何かが足りない」といわれているものとは、いったいなんなのか。