夜の質感(桜の季節)
まだ咲いていない地域もあるけれど、
私が住む地域ではすでに桜は満開をすぎて花弁が舞い始めている。
駅までの道のり、桜並木を歩いていく。
朝、明るい時間にも歩き、帰りは日によって、まだ夕方の明るい時間のときもあれば、
暗くなって、それでもまだ人通りが多い時間のときもあるし、
もう深夜になって、人通りもほとんどなくなった時間に、桜並木を歩く。
夜おそい時間ともなれば、この道も暗くなる。
その暗さの中に、桜の淡い色が目に入ってくるけれど、
それよりも強い印象を与えてくれるのは、幹・枝である。
暗いから、明るい時間では幹・枝の表皮の質感がはっきりとわかるのが、
この時間ともなれば幹はそういうところまではもちろん見えず、
だからこそ幹の形(枝ぶり)が明るいとき見ているよりも、
そのシルエットが花明りによってはっきりと浮び上っている。
同じ桜の木を、朝と夜とでは反対方向から眺めているわけだが、同じ桜の木を見ていることには変りはない。
なのに明るい時間と深夜遅い、ほんとうに暗くなってからとでは、
桜の木のシルエットの印象がまるで違ってくる。
ひとりで歩いていると、それも誰も歩いていなかったりすると、
桜の木のシルエットに、どきっとする。
明るい時間では感じられなかった、異形さを感じとっているからだ。
というより、異形として私が感じとっている、と書くべきだろう。
明るい時間ではまったく感じなかった怖さがあり、
これもまた「夜の質感」なのだとおもう。