「音は変らない」を考えてみる(その5)
スピーカーが音の「顔」だとすれば、
スピーカー以外では「音は変らない」も理解できないわけではない。
人の顔は、どんな表情をしていようと、その人の顔であり、
整形手術でもしないがぎり、決して別人の顔になることはない。
その意味で顔は変らない。
つまりスピーカーを替えないかぎり、「音は変らない」ということになる。
けれど人の顔には表情がある。
朝起きたばかり寝ぼけ眼の顔、すっきりと目覚めたときの顔、夜更けて睡魔に襲われている顔、
これだけでも同じ人の顔でもずいぶん印象は違う。
そして人には感情がある。
その感情がつくりだす表情も、またある。
喜怒哀楽──、
これだけでも同じ人の顔はずいぶん変って見えることがある。
笑っている顔でも、ほほ笑んでいるときの顔、大笑いしているときの顔、苦笑いの顔、つくり笑いのときの顔、
いろいろある。
同じような表情はあっても、ひとつとして同じといえる表情はない、ともいえよう。
顔は変る。変っていく。
けれど、あくまでもその人の顔であるという意味では、変りはない、ともいえる。
このことと同じ意味で、
アンプやケーブルによって「音は変る」という人と、
アンプやケーブルで「音は変らない」という人に分れるのではないのだろうか。