Archive for category 井上卓也

Date: 7月 6th, 2023
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(アンペックス MR70)

アンペックスのオープンリールデッキとオーディオ評論家といえば、
個人的には瀬川先生とAG440Bのことが、最初に浮ぶ。

ステレオサウンド 38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
そこで見た瀬川先生のリスニングルーム、
JBLとKEF、二つのスピーカーのあいだに、AG440B-2があった。

このAG440B-2は、49号の巻末のUsed Component Market(売買欄)に出ていた。
実働250時間、完全オーバーホール、オプションの4トラック再生用ヘッドなどがついている。
希望価格は125万円で、連絡先はステレオサウンド編集部気付になっていた。

38号では、山中先生のリスニングルームにModel 300があった。

井上先生の、当時のリスニングルームにはなかった。
先日、ある方と話していて、井上先生のことが話題になった。

井上先生のところで聴いたアンペックスのデッキの音はすごかった。
そんなことを話された。
AG440Bではないとのこと。

型番を忘れてしまったけれど、もっと大型で、
1/4インチから1インチまでのテープ幅に対応できたモデル──、
となると、MR70である。

井上先生はMR70をお持ちだったのか。
ステレオサウンド 44号、「クラフツマンシップの粋」はアンペックスで、
MR70のカラー写真も掲載されている。

このMR70は井上先生の私物だったのだろう。

Date: 11月 26th, 2021
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その4)

マランツは、Model 7、8B、9をキット化した。
それからModel 7と9は復刻版も出した。

けれどModel 10Bはキットも復刻版もない。
10Bの復刻は、そうとうに困難だろうからやらなかったのだろう。

マランツがキットを出したころ、
中古相場はModel 7よりも10Bのほうが高かった。
内部をみれば、Model 10Bが高かったのはわかる。

それから四十年ほど経ったいま、
Model 7の程度のよいものは、おそろしいほどに価格が上昇している。
それでも買う人がいるからなのだろう。

けれどModel 10Bは、それほどではない。
Model 7が逆転してしまっているどころか、
四十年前の中古の価格を知っている者からすれば、
ほとんど変っていない──、となってしまう。

あのころよりもFM局の数は増えた。
けれど、オーディオマニアにとって、FMに接する時間はずっと、というか、
もうほとんどない、という人が大半だろう。

私もFMチューナーは一台持っている。
岩崎先生が使われていたパイオニアのExclusive F3だ。
ときどき電源を入れて、動作しているのを確認するぐらいだ。

プログラムソースとしてのFMの重要性は、昔からすればずっと低くなっている。
中古製品の価格は、需要次第だ。

誰も欲しがらなければ、昔は高価だったModel 10Bも、
いまではお買い得といえる価格で購入できる。

10Bを手に入れても、きちんとメンテナンスするのは、
Model 7以上の手間と時間とお金がかかる。

Date: 2月 12th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その3)

吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、まだ売れていないようである。

問合せはある、らしい。
問い合せてくる人のどのくらいなのかはわからないが、
未開封ゆえに、中の状態が気になり、購入に踏み切れないようである。

開封して中の状態を確認して購入したい、という気持はわからないわけではない。
でも、こういうモノは、未開封の状態で買うモノ、買われていくモノと思う。

未開封の箱を、自分の手で開ける。
ダメになっている部品はあるはずだ。
それが多いのか少ないのかはわからないけれども。

そんなもろもろのことをひっくるめての「未開封品」ではないのか。
開ける時のどきどき、わくわくした気持。

これを一人で味わえる。
これもオーディオのロマンのはずだ。

そこにロマンのかけらも感じない人は、手を出さない方がいい。

Date: 1月 24th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その2)

吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、私のなかでは井上先生のモノと確信している。

とはいってもなんら確証はない。
それでも吉祥寺のハードオフには、これも井上先生が使われていたモノのはず、
そう思えるモノが複数ある。

単なる偶然の可能性もあるのはわかっていても、
これとあれ、それにあれもある。他にもある。

そのうちの一つは、めったに中古が出てこない機種である。
それがある。

私がそう思い込もうとして、ハードオフの店内を見てこじつけているだけかもしれない。
傍からみれば、きっとそうであろう。

それでも私には、これは絶対井上先生のモノ!、
そう確信できるモノが並んでいる。

店員に訊いたところで教えてくれるわけではない。
訊くつもりも毛頭ない。

ここを読まれている方のなかで、井上先生のモノという確証があれば買う、という人がいるかもしれない。
でも確証なんて、何もない。
確信があるだけだ。

それも私だけの確信があるだけだ。

Date: 1月 20th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その1)

ステレオサウンド 49号の巻末に近いページに、
「マランツ♯7K/9Kキットの意味あいをこう考える」という記事が載っていた。

マランツから、Model 7とModel 9のキットが発売になった。
1978年のことだ。
好評だったようで、しばらくしてからModel 8Kも発売になった。

キットといっても、ダイナコやラックスキットとは難易度が違う。
ラックスキットも真空管アンプは初心者にはちょっと無理なモノもあったが、
マランツのこれらのキットはさらに難しい、
おそらくこれまで発売されたオーディオのキットのなかで、最も大変なキットといえる。

高校生だったけれど、欲しい、と思った。
とはいえ手が出ない価格だった。
仮に買えたとしても、きちんと完成させられるかといえば、まず無理だった。

それでも欲しい、と思ったのは、
いいかげんなメインテナンスがなされた中古のマランツを買うよりも、
じっくりと時間をかけて組み立て技術を磨いていけば、
いいコンディションのマランツのModel 7を自分のモノとすることができる──、
そう思ったからだ。

今日、吉祥寺のハードオフをのぞいてみたら、
なんとマランツのこれらのキット、それも未開封のモノがあった。

Model 7K、Model 8BK、Model 9K、
すべて揃っていた。
未開封なので、箱のままの展示である。

四十年ほど保管されていたモノだ。
中がどんな状態なのかは、買った人でなければ確かめられない。
ついていた価格は、ほぼ発売時の価格と同じだった。
お買い得ともいえるし、そうでない可能性もないわけではない。

こんなことをなぜ書いているか、というと、
このマランツのキットは、もしかすると井上先生が所有されていたモノかもしれない──、
そう思えたからだ。

ステレオサウンドにいたころ、何度かマランツの話を井上先生からきいている。
キットのこともきいている。

すべて持っている、と話されていた。
でも買ったままだ、ともきいている。

いつか暇になったら作ろう、と思っている──、
そんなこともきいている。

結局作られなかったのだろう。
そういえば昨年、井上先生所有のオーディオ機器が売りに出された、というウワサを耳にした。
ほんとうかどうかはわからない。

そんなことがあったから、ハードオフにあったマランツのキットを見て、
私がまず思ったのは、そういうことだった。

Date: 11月 4th, 2018
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その3)

ステレオサウンド別冊「音の世紀」の巻頭記事、
「至高のヴィンテージサウンドを聴くで、AR3aが登場している。
     *
柳沢 いずれにしても、それまでは豊かな低音は大きなスピーカーでなくては出ないとされていたのに、その意識を変えたのだから大改革ですね。
菅野 ボストンにはそういう伝統があるのかな。ボーズのスピーカーもあそこで始まっているんですよね。
柳沢 ボーズも小さいけど重厚な低音を出す。
朝沼 ボストンは古い街で、ヨーロッパへの憧れも強いでしょうし……。
菅原 街並みもヨーロッパが引っ越してきたような感じですかね。
朝沼 ですから音も何となくヨーロッパの音を感じさせますね。
菅野 ニューイングランドそのままですよ。
朝沼 当時ARの広告で憶えているんですけど、これをカラヤンとマイルスが使っているっていうのを。
菅原 そうそう、カラヤンとマイルスがAR3aを使っていたんだって。だから僕にとっては、カラヤン、マイルス、野口久光というイメージだった。
朝沼 そんなしゃかりきてではなく、音楽をさりげなく楽しむといったイメージですね。
菅野 それでいて、コンパクトでありながら当時としては凄いワイドレンジでもあって。
朝沼 マイルスが家に帰って、JBLでしゃかりきにやってたら、ちょっと可笑しいですからね。カラヤンだって同じだけど(笑)。
菅野 そう、それは可笑しいよ(笑)。
菅原 何かほっとするサウンドがこれにはあって、それが広告のイメージにも合ってた。
菅野 僕は、個人的にはこの延長線上の低音は、マッキントッシュのXRTなんですよ。
朝沼 やはりボトムが下がってますよね。
菅野 そうなんです。それでやはり完全密閉型でしょう。
柳沢 それはボザークの音にも言えましたね。
菅野 そうそう。だからAR、ボザーク、マッキントッシュという、だいたいの流れだね。イーストコースとの音の。
     *
AR3aについて語られている座談会であっても、
ボザークとマッキントッシュのXRT20とのこと、
井上先生と菅野先生のことを考えながら読みなおすと、興味深いし、
この試聴に井上先生が加われていたら……、と想像すると、また楽しい。

Date: 10月 19th, 2017
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その2)

ボザークの音は聴いていない。
熊本にいたころは実物をみる機会もなかった。

東京で暮らすようになって、秋葉原のオーディオ店で展示されているのを見たことはある。
それは長いこと売れていないようで、展示品とはいえ、くすんだ印象を受けた。

いまなら聴かせてほしい、と店員にいえるが、
18、19ぐらいのころ、買えもしないオーディオ機器を聴かせてほしい、とは、とてもいえなかった。
いつか聴く機会はあるだろう、と当時は、そうも思っていた。

結局聴く機会は訪れなかった。
そういうものなのかもしれない。

ステレオサウンドのバックナンバーをみても、
ボザークについて書かれているのは、当然とはいえ井上先生が圧倒的に多い。
つぎに菅野先生が少し書かれているくらいだ。

ボザークのスピーカーも、そんなには登場していない。
新製品を次々と出してくるメーカーではなかったし、
ユニットも四種類のコーン型が用意されていて、その組合せでシステム構成がなされていた。

そういうメーカーであり、そういうスピーカーシステムなだけに、
目立つこと、スポットライトが当てられることは、
私がステレオサウンドを読みはじめてからは、なかった。

ボザークの音とは、どんな音だったのか。
     *
また、「理想の音は」との問にたいしてのR・T・ボザークは、ベルリンフィルのニューヨーク公演の音(たしか、リンカーンセンター)と断言した。あの小気味よさはいまも耳に残る貴重な経験である。
 ボザークのサウンド傾向は、重厚で、密度の高い音で、穏やかな、いわば、大人の風格を感じさせる米国東海岸、それも、ニューイングランドと呼ばれるボストン産ならではの音が特徴であった。このサウンドは、同じアメリカでもかつて日本で「カリフォルニアの青い空」と形容された、JBLやアルテックなどの、明るく、小気味よく、シャープで反応の速い音のウェスタン・エレクトリック系の音とは対照的なものであった。
     *
井上先生が、「音[オーディオ]の世紀」(ステレオサウンド別冊)に、そう書かれている。
「コンポーネントの世界」の巻頭鼎談では、瀬川先生が語られている。
     *
瀬川 このスピーカーを作ったボザークという男が来日した折り、ぼくはいろいろ話し合ったんですが、そのときに貴方の好きな音楽はなんですかと聞いてみた。そうしたら、シンフォニー、それもとくにマーラーとブルックナーとブラームスのだ、というんです。しかもそうした曲を、アメリカ人だけど、ドイツ・グラモフォンがカッティングとプレスした盤で聴くのが好きなんだ、といってた。
     *
理想の音、好きな音楽という問いに対してのボザークの答は明快だ。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: 井上卓也

井上卓也氏の言葉(その3)

井上先生はよくいわれていた。
「レコードは神様だ、疑うな」と。

このことは二度書いている。
何度か話したこともある。

そうすると反論みたいなものが返ってくる。
現実にはひどい録音があるじゃないか、と。

確かにそんな録音のものはある。
でもメジャーレーベルから出ていて、箸にも棒にもかからないほど、
どうしようもない録音はまずない、といえる。

たいていの場合、メジャーレーベルの録音がうまく鳴らない時は、
こちら側の問題であることが大半である。

井上先生は、同じように「スピーカーを疑うな」ともいわれた。
ここでも、ひどいスピーカーは確かにある。
けれど一般的に在る程度の評価を得ているスピーカーが、
まったくうまく鳴らないのであれば、鳴らし手の問題であることがほとんどだ。

スピーカーのせいにするな、とも続けていわれていた。

このふたつの井上先生の言葉を聞いて、
反論みたいなものを返してくる人の多くは、
オーディオの想像力が欠如している、といまでは思っている。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その1)

1981年春、東京で暮すようになった。
行きたいところがあった。
そのひとつが、日本楽器銀座店だった。
目的はAUDIO CYCLOPEDIA。

AUDIO CYCLOPEDIAのことは、池田圭氏のラジオ技術の記事で知っていた。
そこには日本楽器銀座店の書籍売場にある、とも書いてあった。
1700ページ超の分厚い本で、15800円した。

そのころの私には、かなり高価な買物だったけれど、ためらわず買った。
全文英語である。
読破したとはいわないけれど、この本から学べたことは多い。
AUDIO CYCLOPEDIAがなかったら、いまの私のオーディオの知識はどう違っていただろうか。

AUDIO CYCLOPEDIAを入手した約半年後にステレオサウンド 60号が出ている。
マッキントッシュのXRT20が誌面に登場した号である。

24個のトゥイーターコラムが、ウーファー・エンクロージュアから独立した恰好は、
それまでのスピーカーにはなかった形態であった。

けれど同時に既視感もあった。
AUDIO CYCLOPEDIAに載っていたボザークのP4000Pというスピーカーの写真を見ていたからだ。
P4000Pは、日本に輸入されていたモデルでいえば、B4000A Moorishにあたるはずだ。

ボザークのことは知っていたとはいえ、
井上先生がステレオサウンドに書かれたもので知っていたくらいである。

ステレオサウンドに載っていたボザークの写真は、常にネット付きのままだった。
ユニット構成がどうなっているのかは知っていたけれど、
写真で見るのと文章だけで想像するのとでは、やはり違う。

AUDIO CYCLOPEDIAで、P4000Pのユニット配置の写真を見ていた私は、
XRT20のユニット配置に、近いものを感じていた。

P4000Pは30cmウーファーを縦に二発、その上に少しオフセットして16cmのスコーカー、
その横にコーン型トゥイーターが縦に八発並ぶ。

XRT20はトゥイーターコラムとして独立しているとはいえ、よく似ている。
エンクロージュアは、どちらも東海岸のスピーカーらしく密閉型である。

それからボザークはネットワークは一貫して6dB/octスロープを採用していた。
XRT20の初期型も、基本的には6dBスロープだと聞いている。

他にもいくつかの共通項を、このふたつのスピーカーからは見出せる。
そして思うことがある。

XRT20を、井上先生だったらどう鳴らされただろうか。

XRT20は菅野先生が高く評価、というより惚れ込まれて自宅に導入された。
上杉先生も導入されているけれど、やはりXRTといえば菅野先生のイメージが強く濃い。

こんなことありえないのだが、もし菅野先生がXRT20に惚れ込まれなかったとしたら……、
意外と思われるかもしれないが、井上先生が高く評価されていた可能性を、どうしても考えてしまう。

井上先生はボザークを愛用されていた。
そのボザークに通じるところがあり、より進歩したともいえるところのあるXRT20を、
井上先生はどう鳴らされたのか、どうしても想像してしまう。

ヴォイシングも一から井上先生が手がけられたXRT20の音は、
どこが菅野先生の鳴らし方と同じで、どこが違ってくるのか。

おおまかな音をイメージしながらも、細部についてあれこれ想像し積み重ねていく。

Date: 3月 21st, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(続々・井上卓也 著作集)

井上先生の著作集がもうすぐ発売になる。
ステレオサウンドのサイトに、目次が公開されている。

あの記事が載って、あの記事は載らなかったのか、とは誰もがそれぞれに思っていることだろう。
私が、あの記事は載らなかったのか、ちょっと残念だな、と思ったのは、
私が担当した記事ではなく、組合せの記事である。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」での組合せの記事が載っていなかったのが、
井上先生のことを知らない読者に、どういう人だったのかを伝えるには、どうしても残念に感じてしまう。

井上先生の耳のよさは私がここでいうまでもないことで、
使いこなしに関しても、ここでくり返す必要はないだろう。
それだけに、井上先生といえば、ここに挙げたことを印象として思い浮べる人は少なくないはず。

けれど「コンポーネントステレオの世界 ’77」で井上先生を知った私には、
次の年にでた「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せを見て、
井上卓也という人の想像力の広さに驚いていた。

’77年度版では女性ヴォーカルをしんみりと聴くための組合せだった。
’78年度版では180度違う音楽を聴くための組合せだった。
このふたつの組合せのダイナミックレンジの広さに驚いた。

オーディオに関心をもちはじめてまだ一年ちょっと私には、
このふたつの組合せを同じ人がつくっていることが、すごいと思っていた。
このときは、まだ井上先生が使いこなしにおいて卓抜なものをもっておられたことは知らなかった。
だから、より素直に組合せに驚けたのかもしれない。

このふたつの組合せだけではない、
’79年度版では平面バッフルにアルテックの604-8Gを取り付けた組合せもあった。

瀬川先生の組合せとは、ひと味ちがうおもしろさが、井上先生の組合せにあった。
組合せはオーディオの想像力の現れだと思っている私は、
だから井上卓也 著作集に、組合せ記事がなかったのが残念でならない。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(続・井上卓也 著作集)

世の中にオーディオの使いこなしの腕を自慢する人は少なくない。
それでお金を稼いでいる人もいる。
ほんとうに的確な使いこなしの腕をもっているのであればいいのだが、
どうもそうではない人が少なからずいるようだ。

そういう人の中に、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ人がいる。
井上卓也を縮めての「いのたく」。
井上先生と親しい間柄で、本人をそう呼んでいたのであれば何も言わないが、
その人は一度も井上先生とは会ったことがない、という。

そして、見たことも聴いたこともない、井上先生の使いこなしのことを批判している。
自分はオーディオのすべてをわかっているといいながら、である。

そんな人が、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ。
年上の井上先生のことを、彼はなぜそんなふうに呼ぶのだろうか。
オーディオに関する知識も、使いこなしのことに関しても、ずっと上の人のことをそう呼ぶ。

井上先生は、きっと、「そんなやつのことはほっておけ」といわれるはず。
だから、もうこれ以上書かないし、
彼の心の中は、私には知りようがない。ただ私はこの人のことを信用しない。

だけど、こんな人のいうことを信用してオーディオをやっている人が、
井上先生の著作集も買う、という。
まがいものとほんものの見分けもつかずに、である。

つい「おいおい、それはないだろう」といってしまいたくなる。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(井上卓也 著作集)

3月25日にステレオサウンドから「井上卓也 著作集」が出る、とのこと。

私がまだ読者だったころ、井上先生のすごさはよくわかっていなかった。
黒田先生が井上先生のすごさを誌面で語られていても、
それを疑っていたわけではないものの、井上先生の文章から、そのことは伝わり難いことでもあった。

ステレオサウンドで働くようになって、井上先生の新製品の試聴があった。
このときも編集部の先輩から、井上先生のすごさについて聞かされた。
具体的なことではなかったけれど、すごいことは、黒田先生の文章で知っている、と心の中では思っていた。

実際に試聴に立ち会ってみると、そのすごさに驚く。
なぜ、この人は、こんなわずかな音の違いまではっきりと聴き分けられるのか、とも思ったし、
それだけでなく、とにかく驚きの連続だった。

それに井上先生はタフだった。

文字だけの世界では井上先生のすごさ、魅力は伝えるのがほんとうに難しい。
オーディオフェアやショウで、ときどき講演をやられたこともある。
けれど井上先生のすごさを知らない人は、途中で席を立つこともあった。

明瞭にわかりやすく話される人ではなかった。
不特定多数の人を相手に話すのを得意とされていたわけでもなかった。
だから席を立つ人がいるのもわからないわけではない。

でもあとほんのすこし辛抱していれば……、と、そういう場にいると思ってしまう。
オーディオには辛抱も必要である。
その辛抱ができずに出ていってしまう。
そういう人には、井上先生のすごさはわからないのではないか。

「井上卓也 著作集」に、どの記事がおさめられるのかはわからない。
もちろん編集者は、いい記事を選んでいるはずだ。
それでも井上先生と一度も会ったことのない世代に対しては、
井上先生が書かれたものだけでなく、補うものが必要だと思う。

そしてもうひとつ思うのは、私も井上先生の書かれたものをaudio sharingで公開している。
けれどステレオサウンドが一冊の本としてまとめて出すのは、意味合いにおいて違うところがある。

いまステレオサウンドは岩崎先生、瀬川先生、岩崎先生の著作集を出している。
このことをいまステレオサウンドに書いているオーディオ評論家を名乗っている人たちは、
どう感じているのだろうか。何も感じていないのだろうか。

Date: 11月 5th, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その37)

ボリュウムのツマミや入力セレクターのツマミを廻したときの感触なんて、どうでもいい。
大事なのは音であって、音がよければ感触がざらざらしていようと、ガタついていようと関係ない。

こんなことをいう人もいる。
音さえ良ければ、それでいい、という考えであれば、そうなるのかもしれない。
けれど、私のこれまでの経験からいえば、ボリュウムのツマミを廻したときの感触に、
いやなものを感じたとき、そういうものは必ず音となって現れてくる。

もっといえば、コントロールアンプ、プリメインアンプのボリュウムの感触はひじょうに重要な要素であって、
おおまかにはボリュウムの感触と音の感触は、ほぼ一致する。
井上先生も、このことは指摘されていた。

滑らかな感触がツマミを通して感じられるアンプの音は、滑らかである。
ざらついた感触があるアンプの音は、どこかにそういうところが感じられる。
滑らかな感触のものでもツマミによって、その感触、質感は変化していくように、
ツマミの存在も、この感触には大きな要素となっている。

試しにツマミを外して音を聴いてみると、いい。

こんなことを書いていくと、ここでも、そんなことで音は変らない、
そんなことで音が変ると感じるのはプラシーボだとか、オカルトだとか、いいだす人がいる。

そういう人たちに、私はききたい。
水を飲むとき、同じ蛇口から汲んできた水であるならば、
紙カップで飲もうと、プラスチックのコップで飲もうと、
陶器のグラスで飲もうと、ガラスの素敵なコップで飲もうと、
どれも同じ味だと感じるのか、ということだ。

それぞれのコップ、グラスにはいっている水は同じ水、水温もまったく同じ。
異るのは容器だけである。

私は容器によって、水の味は変って感じられる、そういう人間である。

どんな容器で飲もうと、中にはいっている水が同じならば、水の味は同じである。
そういう人には、音の微妙な違いは、一生わからない。
わからない人にとって、わかる人が聴き取っている世界は理解できないものだ。

自分に理解できない世界のことを、プラシーボとかオカルトとか、と否定していてなんになろう。
なぜ、より精進して、自分の聴く能力を鍛えようとしないのか、と思う。

結局、どうでもいい理屈をひっぱり出して、そんなことでは音は変らない、というのは、
精進することを拒否している、あきらめている自分を認めたくないからではないだろうか。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その36)

井上先生が、目の前にあるアンプ、
この場合はコントロールアンプかプリメインアンプのことが多いのだが、
それらのツマミを必ず触られるのには、もちろん理由がある。

ひとつは例えばクロストークを確かめられるためでもある。
一般にクロストークといえば、左右チャンネル間での信号のもれとなるが、
井上先生がツマミをいじって確認されているのは、各インプット間のクロストークである。

つまりアナログディスクに入力セレクターを合せている状態で、CDを再生する。
CDプレーヤーとコントロールアンプもしくはプリメインアンプ間はケーブルでつながっていて、
アナログディスクは何もしていない。音楽は鳴らしていない。

そのままボリュウムをあげていくとフォノイコライザーのノイズが徐々に大きくなっていくとともに、
クロストークの多いアンプでは、本来ノイズ以外は聴こえてこないはずなのに、
CDの音がもれ聴こえてくる。反対の場合もありうるし、ほかの入力端子間でも起きることだ。
そのクロストークの音の量と質をチェックされていた。

これらのチェックの時、各種ツマミの感触も同時に確認されている。
特にボリュウムの感触は、じっくりと。

ボリュウムの感触は、レベルコントロールに使われている部品によっても異ってくるし、
同じ部品を使っていてもツマミの形状、重さ、材質によっても変化してくる。
そして、おもしろいことにボリュウムの感触は音の印象と一致することが多い。

たとえばマークレビンソンのアンプでいえばLNP2とML7では、
ボリュウムのメーカーが前者はスペクトロール、後者はP&Gであり、
廻したときの感触は正反対である。

LNP2ではツマミの後に、ほんとうにレベルコントロールがついているのか、と思うほど、
軽く、キュッキュッという感じがある。
ML7ではツマミの径がやや大きくなっているものの、基本的な形状はほぼ同じ材質も同じだが、
感触は重く、粘るような感じが、指先に伝わってくる。

どちらのボリュウムの感触を、さわっていて心地よいと感じるのかは人それぞれだろうし、
とちらのマークレビンソンのコントロールアンプの音が気に入っているかによっても違うだろう。

私が好きなのはキュッキュッとした感触のスペクトロールであり、
この感触こそがLNP2の音(個性)と一致しているように、私は受けとめているから、
もしLNP2にP&Gの部品がついていたら、LNP2への印象も変化していたのではなかろうか。

Date: 4月 17th, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その35)

アンプやCDプレーヤーなどの天板の振動をうまく抑えたいときがある。
そういうときにアセテートテープをつかったり、
ときにはアナログプレーヤー用のスタビライザーを乗せたりすることもあるわけだが、
あれこれ試してみて、
いちばんいい方法はアセテートテープを貼ることでもなくスタビライザーを乗せることでもなく、
自分の手を乗せることだった。

このことも井上先生に言ったことがある。
「手がいちばんいいですよね」と。「うん、そうなんだよ」という返事だった。

あくまでもこれは試聴だから使う方法であり、
自分の部屋で聴くときに常にアンプ、CDプレーヤーの天板の上に手を乗せてたりはしない。
だいたい聴取位置から手の届くところにアンプやCDプレーヤーは置いていないから無理なのだが。

ステレオサウンドでの試聴は椅子の前にヤマハのラックGTR1Bが4つあり、
そこにアンプやCDプレーヤーを置くわけだから、手を伸ばせばすぐに天板に手は届く。

自分の手だから振動を指先や手のひらから感じとれるし、耳では音を聴いている。
それに天板との接触面積もかなり大幅に変えられるし、
同じ面積でもぐっと力を加えれば重量を増すのと同じことになる。

しかも手の内部には骨がある。
いわば硬い芯があるわけで、このことも、
ただ硬いものを置いたり柔らかいものでダンプしたり、とは違う意味をもつ。

実際、井上先生は試聴中に天板の上に手を置かれていたし、
その置き方も置く位置も音の変化に応じて変えられていた。

そして井上先生はアンプの試聴の時、必ずボリュウムだけでなく、あらゆるツマミの感触を確かめられていた。