Archive for category 井上卓也

Date: 10月 19th, 2017
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その2)

ボザークの音は聴いていない。
熊本にいたころは実物をみる機会もなかった。

東京で暮らすようになって、秋葉原のオーディオ店で展示されているのを見たことはある。
それは長いこと売れていないようで、展示品とはいえ、くすんだ印象を受けた。

いまなら聴かせてほしい、と店員にいえるが、
18、19ぐらいのころ、買えもしないオーディオ機器を聴かせてほしい、とは、とてもいえなかった。
いつか聴く機会はあるだろう、と当時は、そうも思っていた。

結局聴く機会は訪れなかった。
そういうものなのかもしれない。

ステレオサウンドのバックナンバーをみても、
ボザークについて書かれているのは、当然とはいえ井上先生が圧倒的に多い。
つぎに菅野先生が少し書かれているくらいだ。

ボザークのスピーカーも、そんなには登場していない。
新製品を次々と出してくるメーカーではなかったし、
ユニットも四種類のコーン型が用意されていて、その組合せでシステム構成がなされていた。

そういうメーカーであり、そういうスピーカーシステムなだけに、
目立つこと、スポットライトが当てられることは、
私がステレオサウンドを読みはじめてからは、なかった。

ボザークの音とは、どんな音だったのか。
     *
また、「理想の音は」との問にたいしてのR・T・ボザークは、ベルリンフィルのニューヨーク公演の音(たしか、リンカーンセンター)と断言した。あの小気味よさはいまも耳に残る貴重な経験である。
 ボザークのサウンド傾向は、重厚で、密度の高い音で、穏やかな、いわば、大人の風格を感じさせる米国東海岸、それも、ニューイングランドと呼ばれるボストン産ならではの音が特徴であった。このサウンドは、同じアメリカでもかつて日本で「カリフォルニアの青い空」と形容された、JBLやアルテックなどの、明るく、小気味よく、シャープで反応の速い音のウェスタン・エレクトリック系の音とは対照的なものであった。
     *
井上先生が、「音[オーディオ]の世紀」(ステレオサウンド別冊)に、そう書かれている。
「コンポーネントの世界」の巻頭鼎談では、瀬川先生が語られている。
     *
瀬川 このスピーカーを作ったボザークという男が来日した折り、ぼくはいろいろ話し合ったんですが、そのときに貴方の好きな音楽はなんですかと聞いてみた。そうしたら、シンフォニー、それもとくにマーラーとブルックナーとブラームスのだ、というんです。しかもそうした曲を、アメリカ人だけど、ドイツ・グラモフォンがカッティングとプレスした盤で聴くのが好きなんだ、といってた。
     *
理想の音、好きな音楽という問いに対してのボザークの答は明快だ。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: 井上卓也

井上卓也氏の言葉(その3)

井上先生はよくいわれていた。
「レコードは神様だ、疑うな」と。

このことは二度書いている。
何度か話したこともある。

そうすると反論みたいなものが返ってくる。
現実にはひどい録音があるじゃないか、と。

確かにそんな録音のものはある。
でもメジャーレーベルから出ていて、箸にも棒にもかからないほど、
どうしようもない録音はまずない、といえる。

たいていの場合、メジャーレーベルの録音がうまく鳴らない時は、
こちら側の問題であることが大半である。

井上先生は、同じように「スピーカーを疑うな」ともいわれた。
ここでも、ひどいスピーカーは確かにある。
けれど一般的に在る程度の評価を得ているスピーカーが、
まったくうまく鳴らないのであれば、鳴らし手の問題であることがほとんどだ。

スピーカーのせいにするな、とも続けていわれていた。

このふたつの井上先生の言葉を聞いて、
反論みたいなものを返してくる人の多くは、
オーディオの想像力が欠如している、といまでは思っている。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その1)

1981年春、東京で暮すようになった。
行きたいところがあった。
そのひとつが、日本楽器銀座店だった。
目的はAUDIO CYCLOPEDIA。

AUDIO CYCLOPEDIAのことは、池田圭氏のラジオ技術の記事で知っていた。
そこには日本楽器銀座店の書籍売場にある、とも書いてあった。
1700ページ超の分厚い本で、15800円した。

そのころの私には、かなり高価な買物だったけれど、ためらわず買った。
全文英語である。
読破したとはいわないけれど、この本から学べたことは多い。
AUDIO CYCLOPEDIAがなかったら、いまの私のオーディオの知識はどう違っていただろうか。

AUDIO CYCLOPEDIAを入手した約半年後にステレオサウンド 60号が出ている。
マッキントッシュのXRT20が誌面に登場した号である。

24個のトゥイーターコラムが、ウーファー・エンクロージュアから独立した恰好は、
それまでのスピーカーにはなかった形態であった。

けれど同時に既視感もあった。
AUDIO CYCLOPEDIAに載っていたボザークのP4000Pというスピーカーの写真を見ていたからだ。
P4000Pは、日本に輸入されていたモデルでいえば、B4000A Moorishにあたるはずだ。

ボザークのことは知っていたとはいえ、
井上先生がステレオサウンドに書かれたもので知っていたくらいである。

ステレオサウンドに載っていたボザークの写真は、常にネット付きのままだった。
ユニット構成がどうなっているのかは知っていたけれど、
写真で見るのと文章だけで想像するのとでは、やはり違う。

AUDIO CYCLOPEDIAで、P4000Pのユニット配置の写真を見ていた私は、
XRT20のユニット配置に、近いものを感じていた。

P4000Pは30cmウーファーを縦に二発、その上に少しオフセットして16cmのスコーカー、
その横にコーン型トゥイーターが縦に八発並ぶ。

XRT20はトゥイーターコラムとして独立しているとはいえ、よく似ている。
エンクロージュアは、どちらも東海岸のスピーカーらしく密閉型である。

それからボザークはネットワークは一貫して6dB/octスロープを採用していた。
XRT20の初期型も、基本的には6dBスロープだと聞いている。

他にもいくつかの共通項を、このふたつのスピーカーからは見出せる。
そして思うことがある。

XRT20を、井上先生だったらどう鳴らされただろうか。

XRT20は菅野先生が高く評価、というより惚れ込まれて自宅に導入された。
上杉先生も導入されているけれど、やはりXRTといえば菅野先生のイメージが強く濃い。

こんなことありえないのだが、もし菅野先生がXRT20に惚れ込まれなかったとしたら……、
意外と思われるかもしれないが、井上先生が高く評価されていた可能性を、どうしても考えてしまう。

井上先生はボザークを愛用されていた。
そのボザークに通じるところがあり、より進歩したともいえるところのあるXRT20を、
井上先生はどう鳴らされたのか、どうしても想像してしまう。

ヴォイシングも一から井上先生が手がけられたXRT20の音は、
どこが菅野先生の鳴らし方と同じで、どこが違ってくるのか。

おおまかな音をイメージしながらも、細部についてあれこれ想像し積み重ねていく。

Date: 3月 21st, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(続々・井上卓也 著作集)

井上先生の著作集がもうすぐ発売になる。
ステレオサウンドのサイトに、目次が公開されている。

あの記事が載って、あの記事は載らなかったのか、とは誰もがそれぞれに思っていることだろう。
私が、あの記事は載らなかったのか、ちょっと残念だな、と思ったのは、
私が担当した記事ではなく、組合せの記事である。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」での組合せの記事が載っていなかったのが、
井上先生のことを知らない読者に、どういう人だったのかを伝えるには、どうしても残念に感じてしまう。

井上先生の耳のよさは私がここでいうまでもないことで、
使いこなしに関しても、ここでくり返す必要はないだろう。
それだけに、井上先生といえば、ここに挙げたことを印象として思い浮べる人は少なくないはず。

けれど「コンポーネントステレオの世界 ’77」で井上先生を知った私には、
次の年にでた「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せを見て、
井上卓也という人の想像力の広さに驚いていた。

’77年度版では女性ヴォーカルをしんみりと聴くための組合せだった。
’78年度版では180度違う音楽を聴くための組合せだった。
このふたつの組合せのダイナミックレンジの広さに驚いた。

オーディオに関心をもちはじめてまだ一年ちょっと私には、
このふたつの組合せを同じ人がつくっていることが、すごいと思っていた。
このときは、まだ井上先生が使いこなしにおいて卓抜なものをもっておられたことは知らなかった。
だから、より素直に組合せに驚けたのかもしれない。

このふたつの組合せだけではない、
’79年度版では平面バッフルにアルテックの604-8Gを取り付けた組合せもあった。

瀬川先生の組合せとは、ひと味ちがうおもしろさが、井上先生の組合せにあった。
組合せはオーディオの想像力の現れだと思っている私は、
だから井上卓也 著作集に、組合せ記事がなかったのが残念でならない。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(続・井上卓也 著作集)

世の中にオーディオの使いこなしの腕を自慢する人は少なくない。
それでお金を稼いでいる人もいる。
ほんとうに的確な使いこなしの腕をもっているのであればいいのだが、
どうもそうではない人が少なからずいるようだ。

そういう人の中に、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ人がいる。
井上卓也を縮めての「いのたく」。
井上先生と親しい間柄で、本人をそう呼んでいたのであれば何も言わないが、
その人は一度も井上先生とは会ったことがない、という。

そして、見たことも聴いたこともない、井上先生の使いこなしのことを批判している。
自分はオーディオのすべてをわかっているといいながら、である。

そんな人が、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ。
年上の井上先生のことを、彼はなぜそんなふうに呼ぶのだろうか。
オーディオに関する知識も、使いこなしのことに関しても、ずっと上の人のことをそう呼ぶ。

井上先生は、きっと、「そんなやつのことはほっておけ」といわれるはず。
だから、もうこれ以上書かないし、
彼の心の中は、私には知りようがない。ただ私はこの人のことを信用しない。

だけど、こんな人のいうことを信用してオーディオをやっている人が、
井上先生の著作集も買う、という。
まがいものとほんものの見分けもつかずに、である。

つい「おいおい、それはないだろう」といってしまいたくなる。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(井上卓也 著作集)

3月25日にステレオサウンドから「井上卓也 著作集」が出る、とのこと。

私がまだ読者だったころ、井上先生のすごさはよくわかっていなかった。
黒田先生が井上先生のすごさを誌面で語られていても、
それを疑っていたわけではないものの、井上先生の文章から、そのことは伝わり難いことでもあった。

ステレオサウンドで働くようになって、井上先生の新製品の試聴があった。
このときも編集部の先輩から、井上先生のすごさについて聞かされた。
具体的なことではなかったけれど、すごいことは、黒田先生の文章で知っている、と心の中では思っていた。

実際に試聴に立ち会ってみると、そのすごさに驚く。
なぜ、この人は、こんなわずかな音の違いまではっきりと聴き分けられるのか、とも思ったし、
それだけでなく、とにかく驚きの連続だった。

それに井上先生はタフだった。

文字だけの世界では井上先生のすごさ、魅力は伝えるのがほんとうに難しい。
オーディオフェアやショウで、ときどき講演をやられたこともある。
けれど井上先生のすごさを知らない人は、途中で席を立つこともあった。

明瞭にわかりやすく話される人ではなかった。
不特定多数の人を相手に話すのを特異とされていたわけでもなかった。
だから席を立つ人がいるのもわからないわけではない。

でもあとほんのすこし辛抱していれば……、と、そういう場にいると思ってしまう。
オーディオには辛抱も必要である。
その辛抱ができずに出ていってしまう。
そういう人には、井上先生のすごさはわからないのではないか。

「井上卓也 著作集」に、どの記事がおさめられるのかはわからない。
もちろん編集者は、いい記事を選んでいるはずだ。
それでも井上先生と一度も会ったことのない世代に対しては、
井上先生が書かれたものだけでなく、補うものが必要だと思う。

そしてもうひとつ思うのは、私も井上先生の書かれたものをaudio sharingで公開している。
けれどステレオサウンドが一冊の本としてまとめて出すのは、意味合いにおいて違うところがある。

いまステレオサウンドは岩崎先生、瀬川先生、岩崎先生の著作集を出している。
このことをいまステレオサウンドに書いているオーディオ評論家を名乗っている人たちは、
どう感じているのだろうか。何も感じていないのだろうか。

Date: 11月 5th, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その37)

ボリュウムのツマミや入力セレクターのツマミを廻したときの感触なんて、どうでもいい。
大事なのは音であって、音がよければ感触がざらざらしていようと、ガタついていようと関係ない。

こんなことをいう人もいる。
音さえ良ければ、それでいい、という考えであれば、そうなるのかもしれない。
けれど、私のこれまでの経験からいえば、ボリュウムのツマミを廻したときの感触に、
いやなものを感じたとき、そういうものは必ず音となって現れてくる。

もっといえば、コントロールアンプ、プリメインアンプのボリュウムの感触はひじょうに重要な要素であって、
おおまかにはボリュウムの感触と音の感触は、ほぼ一致する。
井上先生も、このことは指摘されていた。

滑らかな感触がツマミを通して感じられるアンプの音は、滑らかである。
ざらついた感触があるアンプの音は、どこかにそういうところが感じられる。
滑らかな感触のものでもツマミによって、その感触、質感は変化していくように、
ツマミの存在も、この感触には大きな要素となっている。

試しにツマミを外して音を聴いてみると、いい。

こんなことを書いていくと、ここでも、そんなことで音は変らない、
そんなことで音が変ると感じるのはプラシーボだとか、オカルトだとか、いいだす人がいる。

そういう人たちに、私はききたい。
水を飲むとき、同じ蛇口から汲んできた水であるならば、
紙カップで飲もうと、プラスチックのコップで飲もうと、
陶器のグラスで飲もうと、ガラスの素敵なコップで飲もうと、
どれも同じ味だと感じるのか、ということだ。

それぞれのコップ、グラスにはいっている水は同じ水、水温もまったく同じ。
異るのは容器だけである。

私は容器によって、水の味は変って感じられる、そういう人間である。

どんな容器で飲もうと、中にはいっている水が同じならば、水の味は同じである。
そういう人には、音の微妙な違いは、一生わからない。
わからない人にとって、わかる人が聴き取っている世界は理解できないものだ。

自分に理解できない世界のことを、プラシーボとかオカルトとか、と否定していてなんになろう。
なぜ、より精進して、自分の聴く能力を鍛えようとしないのか、と思う。

結局、どうでもいい理屈をひっぱり出して、そんなことでは音は変らない、というのは、
精進することを拒否している、あきらめている自分を認めたくないからではないだろうか。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その36)

井上先生が、目の前にあるアンプ、
この場合はコントロールアンプかプリメインアンプのことが多いのだが、
それらのツマミを必ず触られるのには、もちろん理由がある。

ひとつは例えばクロストークを確かめられるためでもある。
一般にクロストークといえば、左右チャンネル間での信号のもれとなるが、
井上先生がツマミをいじって確認されているのは、各インプット間のクロストークである。

つまりアナログディスクに入力セレクターを合せている状態で、CDを再生する。
CDプレーヤーとコントロールアンプもしくはプリメインアンプ間はケーブルでつながっていて、
アナログディスクは何もしていない。音楽は鳴らしていない。

そのままボリュウムをあげていくとフォノイコライザーのノイズが徐々に大きくなっていくとともに、
クロストークの多いアンプでは、本来ノイズ以外は聴こえてこないはずなのに、
CDの音がもれ聴こえてくる。反対の場合もありうるし、ほかの入力端子間でも起きることだ。
そのクロストークの音の量と質をチェックされていた。

これらのチェックの時、各種ツマミの感触も同時に確認されている。
特にボリュウムの感触は、じっくりと。

ボリュウムの感触は、レベルコントロールに使われている部品によっても異ってくるし、
同じ部品を使っていてもツマミの形状、重さ、材質によっても変化してくる。
そして、おもしろいことにボリュウムの感触は音の印象と一致することが多い。

たとえばマークレビンソンのアンプでいえばLNP2とML7では、
ボリュウムのメーカーが前者はスペクトロール、後者はP&Gであり、
廻したときの感触は正反対である。

LNP2ではツマミの後に、ほんとうにレベルコントロールがついているのか、と思うほど、
軽く、キュッキュッという感じがある。
ML7ではツマミの径がやや大きくなっているものの、基本的な形状はほぼ同じ材質も同じだが、
感触は重く、粘るような感じが、指先に伝わってくる。

どちらのボリュウムの感触を、さわっていて心地よいと感じるのかは人それぞれだろうし、
とちらのマークレビンソンのコントロールアンプの音が気に入っているかによっても違うだろう。

私が好きなのはキュッキュッとした感触のスペクトロールであり、
この感触こそがLNP2の音(個性)と一致しているように、私は受けとめているから、
もしLNP2にP&Gの部品がついていたら、LNP2への印象も変化していたのではなかろうか。

Date: 4月 17th, 2012
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その35)

アンプやCDプレーヤーなどの天板の振動をうまく抑えたいときがある。
そういうときにアセテートテープをつかったり、
ときにはアナログプレーヤー用のスタビライザーを乗せたりすることもあるわけだが、
あれこれ試してみて、
いちばんいい方法はアセテートテープを貼ることでもなくスタビライザーを乗せることでもなく、
自分の手を乗せることだった。

このことも井上先生に言ったことがある。
「手がいちばんいいですよね」と。「うん、そうなんだよ」という返事だった。

あくまでもこれは試聴だから使う方法であり、
自分の部屋で聴くときに常にアンプ、CDプレーヤーの天板の上に手を乗せてたりはしない。
だいたい聴取位置から手の届くところにアンプやCDプレーヤーは置いていないから無理なのだが。

ステレオサウンドでの試聴は椅子の前にヤマハのラックGTR1Bが4つあり、
そこにアンプやCDプレーヤーを置くわけだから、手を伸ばせばすぐに天板に手は届く。

自分の手だから振動を指先や手のひらから感じとれるし、耳では音を聴いている。
それに天板との接触面積もかなり大幅に変えられるし、
同じ面積でもぐっと力を加えれば重量を増すのと同じことになる。

しかも手の内部には骨がある。
いわば硬い芯があるわけで、このことも、
ただ硬いものを置いたり柔らかいものでダンプしたり、とは違う意味をもつ。

実際、井上先生は試聴中に天板の上に手を置かれていたし、
その置き方も置く位置も音の変化に応じて変えられていた。

そして井上先生はアンプの試聴の時、必ずボリュウムだけでなく、あらゆるツマミの感触を確かめられていた。

Date: 9月 19th, 2011
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その34)

試聴とは、
目の前にあるオーディオ機器(アンプなりプレーヤーなりスピーカーシステムなり)の素性をさぐることであり、
実力を正しく把握することでもある。
そのためのひとつの手法としてアセテートテープやその他のアクセサリーを使うことがある。
つまり使う目的が、個人が自分の部屋でいい音を得ようとして、ということとすこし意味あいが違うところもある。

アンプやCDプレーヤーの天板にアセテートテープを貼ることもある。
試聴の過程で、貼った方がよくなると思われるものに貼ることが多いため、
たいていの場合、アセテートテープによっていい結果が得られる。
とはいうものの天板の上にアセテートテープが貼ってあるのは、美しいとはいえない。
でも貼る前の音と貼ったときの音を比較すると、なんとか見た目を変えずに、貼ったときの音を得たい、と思う。

天板の表側ではなく裏側に貼れば、見た目は変らずに……と考える。
実際に自分のオーディオ機器で試したことがある。
これは不思議なことに、貼り方をあれこれ工夫してみても、表側に貼った方がいい結果なのだ。
裏側に貼っても改善される。けれど改善の度合いが、表側に貼ったときとあらかに異る。

それで試聴の時に、井上先生に訊いたことがある。
「(アセテートテープを)裏側に貼るより表側に貼った方が効果的なのは、なぜですか」と。
井上先生も、やっぱり同じことを試されていて「不思議だけど、表側の方が効くんだ」と返ってきた。

Date: 9月 19th, 2011
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その33)

アセテートテープは、布粘着テープよりは高価だけれど、それでも数百円で手に入る。
いまのアクセサリーの価格からすると、消費税分程度の価格ともいえよう(実際にはもっと安いといえる)。
そんな安価な、これもアクセサリーのひとつになるのだが、いわば急所をおさえた使い方(貼り方)をすれば、
「効果的」という表現は、こういうときに使うのだな、といいたくなるほど、見事に効果的な働きをしてくれる。

粘着テープをオーディオ機器に貼ることに抵抗感をもつ人は少ないはず。
私も抵抗感はある。
だがチューニングを詰めていく過程での実験のひとつの方法として、
アセテートテープを貼ってみることは有効で、勉強になることでもある。

それに井上先生も見た目を損なうようなところには、原則として貼られない。
あくまでも直接目につかないところに、しかもわずかな量を貼られるだけだ。

こういう粘着テープを使うと、音が死んでしまう、と即断言する人がいる。
使う量、使う場所を大きく間違えてしまえば、たしかにそういう結果になりやすい。
つまり、そうなってしまったら(音が死んでしまったら)、それはその人の使い方がまずいだけである。

貼った、音が死んだ、だからこの手のテープは使うべきではない──、
それでは、あまりにも短絡的すぎる、としかいいようがない。
音が死んでしまったと感じたら、貼る量を減らしてみたり、貼る場所を再検討してみたりしたうえで、
結論を出すのであれば、その人にとっては、この手のモノは向いていない、ということはいえることになるが、
それでもいえるのは、あくまでも、その人には向いていなかった、ということだけである。

ステレオサウンドの試聴室でアセテートテープをよく使っていた(貼っていた)箇所は、
じつはスピーカーケーブルである。ツボみたいなポイントがあり、そこに軽く一重に貼る。
わずかこれだけである。しかも、そのポイントは通常は目につかないところでもある。

しかし、わずかこれだけでも、ストレスフリーになった、といいたくなるほど、
音楽の表情にきつさを感じさせていたものがすっと抜けていく。
そういう感じに変化することが多かった。

Date: 3月 18th, 2011
Cate: オーディオ評論, 井上卓也

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(続・井上卓也氏のこと)

井上先生が「ステレオサウンドの一人勝ち」をよくないことと考えられていたのは、
いまにして思うと、オーディオ雑誌(オーディオ・ジャーナリズム)の「役目」と「役割」について、
言葉にしては出されなかったものの、井上先生の中にはなんらかの想いがあったのかもしれない。

いまオーディオ雑誌(オーディオ・ジャーナリズム)は、「役目」についてはっきりと認識しているのだろうか。
これは、ステレオサウンドが、とか、オーディオベーシックが、とか、その他のオーディオ雑誌を含めて、
ぞれぞれが個別に考えてゆくものでもあるし、全体としての共通認識としてもっていなければならないもの。
そのうえで、それぞれの「役割」を考えていくもの。

オーディオ雑誌の「役目」を共通認識としてもち、
それぞれのオーディオ雑誌が、それぞれの「役割」をになっていく。

井上先生は、こういうことを言われたかったのかもしれない。

Date: 3月 12th, 2011
Cate: オーディオ評論, 井上卓也

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(井上卓也氏のこと)

2000年12月10日に、井上先生が亡くなられた。
その数ヵ月前に電話で話す機会があった。

私が audio sharing をやっていることはご存知で、「いいことやっているじゃないか」と言ってくださった。

井上先生は、ステレオサウンドだけを執筆の場とされていたわけではない。
サウンドレコパル、それにリッスン・ビュー(のちのサウンドステージ)にもよく書かれていた。

「ステレオサウンドが一人勝ちすると、オーディオ界にとってはよくないことだ」
そういう主旨のことを話されていた。
それぞれのオーディオ雑誌がそれぞれの役割をもって成り立つことが、
オーディオ界のためになることだから、依頼があれば応じる、という姿勢を一貫してとおしてこられた。

だからなのか、電話を切るときに「がんばれよ」とも言ってくださった。
私が聞いた井上先生の最後の言葉だ。

Date: 12月 30th, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー, 井上卓也

ユニバーサルウーファー考(その5・補足)

井上先生は、磁気回路がアルニコ磁石かフェライト磁石なのかによる音の違いは、
磁石としての性能の違いだけが影響してくるのではなく、アルニコとフェライトの製造方法の違いから生じる、
個体としての性質の違いも音に大きく関係してくることに注意しろ、とよく口にされていた。

アルニコとフェライトでは叩いた時の音がまったく異る。
しかも磁石の占める割合は、わりと大きい。磁気回路の強力なスピーカーユニットほど、
この固有音の違いもまた大きく音に関係してくるわけだ。

そして構造体としてスピーカーユニットを捉えた時に、
質量がどのように分布しているのかも重要だと言われていた。

ウーファーは基本的にコーン型かほとんどであるため、
構造体としてはほとんど同じだが、トゥイーターとなるとホーン型、ドーム型、コーン型などなど、
いろいろな種類があり、それによって構造が大きく異ってくる。
同じホーン型でもホーンの形状の違い、ユニット全体の構造の設計の違いなどによって、
ほぼ同じ重量のホーン型トゥイーターでも、質量が集中しているものもあれば、分散しているものもある。

同じ重量であれば、集中している方が全体の強度も高くなる。

それは手にした時の感覚的な重さの違いでもある。
同じ重量のトゥイーターでも、質量が集中して小型のモノと、わりと大きく質量が分散しているモノとでは、
前者の方がずしりとした感じを受けるだろう。

そういう要素は、かならず音に関係してくる。
というよりも、どんなことでも音には関係してくる。

Date: 12月 30th, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー, 井上卓也

ユニバーサルウーファー考(その5)

もう30年以上まえのことだが、
井上先生が、マクソニックのトゥイーター、T45EXのことを、パワートゥイーターと表現された。

T45EXは、ホーン型トゥイーターのT45の磁気回路の磁石を、励磁(フィールド)型に置き換えたもので、
ベースとなったT45は重量3.8kgなのに、T45EXは9kgと倍以上の重量になっている。

JBLの2405が2kg、エレクトロボイスのT350が3.2kg、
強力な磁気回路を背負っていたピラミッドのT1でも3.85kgだから、
T45EXの物量の投入具合が重さからも伝わってくる。

構造体として、これだけの重量差があると、たとえ磁気回路がT45と同じで永久磁石だったとしても、
出てくる音には、そうとうの違いが生じるものである。
そこにもってきて励磁型で、しかも電磁石への電圧をあげれば磁束密度は高くなる。

井上先生は、磁束密度をあげたときの音は、パワートゥイーターとしての性格をはっきりと感じる、と言われている。

パワートゥイーターという表現がふさわしいT45EXの音はどんなだったのだろうか。
井上先生の発言を拾ってみると、
トゥイーター単体の付属音、シャッとかシャラシャラといった音がまったくいっていいほど出てこない、
2トラック38cmのオープンリールデッキで生録をするときにモニター用としてつかうことのできる製品、
ということになる。
だから、
生演奏の音をマイクで拾ってそのまま録音器を通さずにスルーで聴けば、
付帯音がなくて十二分なエネルギーが出せるので、すごい魅力が引き出せるはず、と評価されている。

ただ、こういう性格の音の場合、アナログディスクの再生では、高域の伸びが不足しているように聴こえ、
高域の音の伸びがもっと欲しくなるようおもわれが、実は十分なエネルギーが再現されているため、
いわば演出された繊細さにつながる高域感は稀薄になる──、そう受けとれる。

井上先生の書かれたものをよく読んでいる人ならば、このアナログディスク再生とテープ再生の対比で、
音を表現されることを、わりと井上先生は使われることに気づかれているはず。