Archive for category Friedrich Gulda

Date: 12月 9th, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その5)

2006年、金沢に向う電車の車内広告に、目的地であった21世紀美術館の広告があった。
そこには、artificial heartの文字があった。
artificialのart、heartのartのところにはアンダーラインがあった。

artificial heartは、artで始まりartで終ることを、この時の広告は提示していた。
この時の目的地であった21世紀美術館では川崎先生の個展が開かれようとしていた。

artificial heartにartが最初と最後に含まれているのは、単なる偶然なのかもしれない。
でも、そう思えないところがあるから、「eとhのあいだにあるもの」を書いているわけだ。

artificial heartのずっと以前、
五味先生の「シュワンのカタログ」を読んでいた。
新潮社の「西方の音」の最初に「シュワンのカタログ」は出てくる。
冒頭に、こう書かれてあった。
     *
 シュワン(Schwan)のカタログというのは大変よくできていて、音楽は、常にバッハにはじまることを私達に示す。ベートーヴェンがバッハに先んずることはけっしてなく、そのベートーヴェンをブラームスは越え得ない。シュワンのカタログを繙けば分るが、ベートーヴェンとヘンデル、ハイドンの間にショパンと、しいて言えばドビュッシー、フォーレがあり、しばらくして群小音楽に超越したモーツァルトにめぐり会う。ほぼこれが(モーツァルトが)カタログの中央に位置するピークであり、モーツァルトのあとは、シューベルト、チャイコフスキーからビバルディを経てワグナーでとどめを刺す。音楽史一巻はおわるのである。
 こういう見方は大へん大雑把で自分勝手なようだが、私にはそう思えてならぬ。今少し細分について言えば、ラフマニノフはプロコフィエフを越え得ないし、シューマンはひっきょうシューベルトの後塵を拝すべきだとシュワンはきめているように私には思える。
 ことわるまでもないが、シュワンのカタログは単にアルファベット順に作曲家をならべてあるにすぎない。しかしバッハにはじまりワグナーで終るこの配列は、偶然にしてもできすぎだと私は思うのだ。いつもそうだ。月々、レコードの新譜で何が出たかをしらべるとき、まずバッハのそれを見ることをカタログは要求する。バッハに目を通してから、ベートーヴェンの欄に入るのである。これは何者の知恵なのか。アイウエオ順で言えば、さしずめ、日本は天照大神で始まるようなものなのか。高見順氏だったと思うが、人生でも常に辞書は「アイ」(愛)に始まり「ヲンナ」でおわると冗談を言われていたことがある。うまくできすぎているので、冗談にせざるをえないのが詩人のはにかみというものだろうが、そういう巧みを人生上の知恵と受け取れば、羞恥の余地はあるまい。バッハではじまりワグナーでおわることを、音楽愛好家はカタログをひもとくたびに繰り返し教えられる。
     *
だから、私はartificial heartも《何者の知恵》なのかと思う。
《偶然にしてもできすぎだと》と私も思う。

artificial heartだけではない、heartにしてもearthにしても、そこにear(耳)が含まれているのは、
できすぎた偶然とは思えない。

Date: 12月 8th, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その4)

その1)で、
音楽を感じるのは心(heart)なのは、art(芸術)が含まれているから
モーツァルト(Mozart)にも、artが含まれている
始まり(start)は、artから
地球(earth)の中心には、artがある
──と書いた。

heartは心であり心臓である。
heartの中心、つまりhとtのあいだにあるものは、earである。
耳である。
心の中心は耳ということなのか、と思ったりもするし、
心臓の鼓動と耳ということなのか、とも思う。

地球(earth)はearから始まっている。
聴くことから始まったのか、
つまりは音がはじめにあったのか、とも思う。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その3)

バッハの平均律クラヴィーア曲集。
よく聴いてきた、つまりつきあいの長いレコードとなるとグレン・グールドの平均律ということになる。
他のピアニストの平均律クラヴィーア曲集は持っている。

それらの中で、40代後半ごろから頻繁に聴くようになってきたのがグルダの平均律だ。
私がもっているのはフィリップス・レーベルから出たCD。
ジャケットをみればわかるけれど、廉価盤扱いのCDである。

そこで聴ける音に大きな不満はないけれど、
もう少しいい音なのでは? と思わないわけではない。
それでも、ずっと聴いてきていた。

今日、グルダの平均律クラヴィーア曲集を録音したMPSから、
新たにCDとLPが発売になるというニュースが、
タワーレコードHMVのサイトで公開された。

どれだけの音の違いがあるのかはわからない。
さほど良くならないのかもしれないし、かなり期待していいものかもしれない。
予感としては、かなり良くなっているのでは、と思っている。

Date: 12月 31st, 2009
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その2)

the GULDA MOZART tapes のI集とII集、あわせて5枚をこの二日で聴いていた。
少し大きめの音量で、この時季に聴いていて確信したのは、グルダのモーツァルトが鳴っていると、
部屋が暖かく感じられるようになる、ということ。

エアコンをつけていても部屋は暖かくなるが、それとは種類の違う温かさで、
陽当りのいい部屋にいると、陽射しによって直接からだがあたたまっていくのと、
あきらかに同じ感じのものということ。

そんな聴き方をしているのか、と怒られそうだが、スピーカーに背をむけて、
グルダのモーツァルトを背中に浴びていると、つよく実感できる。
グルダのモーツァルトには「光がある」と。

Date: 4月 11th, 2009
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その1)

音楽を感じるのは心(heart)なのは、art(芸術)が含まれているから。

モーツァルト(Mozart)にも、artが含まれている。

始まり(start)は、artから。

地球(earth)の中心には、artがある。
eとhのあいだにartがある。
eとhのあいだは、アルファベット順だと、fg(FG) 。
つまりは、fg = art。

FGといえば、Fridrich Gulda(フリードリヒ・グルダ)。
だからグルダの音楽は素晴らしい、とは言わないけれども、
ここ数年、グルダのCDを、頻繁に聴くようになった。

バッハの平均律クラヴィーア曲集も、以前は、グールドを聴く機会がもっとも多かったのが、
いまではグルダのディスクに手が伸びることが多くなってきた。

1993年のモンペリエのライヴ録音も、大好きなCDだし、
the GULDA MOZART tapes もひどい録音状態だけど、もう何度聴いたことだろうか。

グルダの音楽は、いい。