Archive for 3月, 2010

Date: 3月 31st, 2010
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その28)

1980年代のCDプレーヤーには、ほとんどの機種にヘッドフォン端子が、フロントパネルについていた。
海外製品では、その端子への配線もプリント基板のパターンを行っているのが多かったが、
国産機種の場合には、大半が、プリント基板から端子までリード線をひっぱっていた。
このリード線は、プリント基板側も端子側もコネクターによって接続されているので、
簡単に取り外せるし、すぐに元にもどすこともできる。

それで、このリード線を取り外してみると、当時のCDプレーヤーは、
やっていることからすると、驚くほど見通しのいい、すっきりした音場に変る。
リード線を外して、音が悪くなる方向に変わる機種は、私があれこれ試した範囲では、一台もない。

じつは、このリード線が悪さをしていることを指摘されたのは、井上先生である。
ある試聴のとき、「天板をとってみろ」と指示され、つぎに「この線を外してみろ」と言われた。
そして音を聴く。井上先生の指示だから、当然、その音の変化は確実なものであることは、
それまでの経験からわかっていても、やはり驚いたことを憶えている。

なぜなのかについて、「CDプレーヤーの中のLSIのひとつひとつは、小さな放送局であって、
それぞれが電波(不要輻射)を出していて、それをこれ(リード線)がアンテナとなって拾うから」と、
もったいぶることなく、さらりと説明される。

Date: 3月 30th, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー
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ユニバーサルウーファー考(その4)

ステレオサウンドから出版されていたHIGH-TECHNIC SERIESのVol.1は、
「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」だった。

このなかで、菅野先生が、次のことを書かれている。
     *
私はエンクロージュアに対してあるひとつの考え方をもっていて、しかも最近そのことについていろいろと実験しながらデータ的な裏づけが取れた暁にはオーディオ界に発表しようと思っていることがある。これはスピーカーシステム全体に対する問題といってよいのだが、特にウーファーに対しての、あたりまえのようだがいままで誰もはっきりと指摘したことのない問題点を、最近になってより一層はっきりと解明しつつある。それは何かというと、スピーカー、特にウーファーは忠実な変換器として動作していないのが実態であり、またこれを忠実な変換器として動作させると、オーディオ界全体を大改革しなければならなくなるのではないかということだ。
     *
HIGH-TECHNIC SERIESのVol.1は、1978年秋に出ている。
これを読んだ時、あれこれ空想した。とはいえ、オーディオに関心を持ってまだ2年目。
具体的に、それがどういうことを指しているのか、まったく見当がつかなかった。
これは、菅野先生が発表されるのを待つしかない、と思っていた。

Date: 3月 29th, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その3)

PT100はバッフル板にとりつけて使用するのが前提になっているように、
フレームのつくりを見ると思える。

バッフル板にとりつけるのではなく、独立したホーン型として、その外側の形状を考えていくと、
トーラスが、ひとつの答えとして、頭に浮かんでくる。

トーラス、いわゆるドーナツ状のことだ。

じつはこのことをTwitterでつぶやいた。3月7日のことだ。
このつぶやきに、川崎先生の返信があった。

「トーラス」という形態の持つ価値をまだ人類は見だしていません。
と書いてあった。
さらに、トーラス状とすることで、指向性・無指向性が制御できるユニットが考えられる、ともあった。

川崎先生は、トーラス状の食器洗いのスポンジ「RON」をデザインされている。

Date: 3月 28th, 2010
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェン(その2)

そう感じさせてくれた演奏は、おそらくカザルスのものだったような気もする。
それも第7番ではなく、第8番だったのではなかろうか。

人にすすめられて聴いたカザルスの7番で、うすうすながらも、そう感じていたのが、
カザルスの8番によって、はっきりと気づかされた、と曖昧の記憶はそう言っている気がする。

「音楽は、案出されたり構築されたりしたものではなく、成長したもの、
いわば直接に『自然の手』から生まれ出たものである。この点において、音楽は女性に似通っている。」

フルトヴェングラーのこの言葉も、
いま鳴っている音が、続く音を生み出していく、ということを語っているのだろうか。

そうだとしたら、ベートーヴェンの音楽は、「女性に似通っている」ということになるのだろうか。

Date: 3月 27th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(続余談)

ノイズは、音楽の「敵」のように受けとめられがちだし、そう語られてきているが、
音楽にとってもいちばんの「敵」は、ほかにいる。

「音楽通信」創刊号に、内田光子氏のインタビュー記事がある。
そこには、こうある。
「音楽のいちばんの敵は、本当言うと、家庭の中ではテレビかも知れませんね。おそらく、それは夫でも子どもでもない。無神経に出した音は、無神経に聴けるものなのです。だからテレビが氾濫するのは、無神経に出されている音があまりにあるので、鳴ってても鳴ってなくても神経を集中しないですむわけ。」

無神経な音、そうでない音、それから神経を集中させる音があれば、
無神経なノイズ、そうでないノイズ、それから神経を集中させるノイズもあるはずだ。

Date: 3月 26th, 2010
Cate: ベートーヴェン
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ベートーヴェン(その1)

ベートーヴェンの音楽は、とくに交響曲で顕著であるが、いま鳴り響いている音が、
あとにつづく音を生み出している。

そう感じたのは、20代のなかばごろのことだった。
誰の演奏を聴いて、そう感じたのかはいまとなっては思い出せないけれど、
20代よりも30代、30代よりも40代になって、ますますベートーヴェンの音楽が好きになってきているいまも、
やはりそう感じている。

いま鳴っている音はひとつではない。だからそこから生み出される音も、ひとつではない。
それらの音が生み出されるときに、なにがしかの「熱」が生じているような気も、最近してきた。

そして、モーツァルトの曲の終りかたの見事さが、ベートーヴェンの曲にあまり感じられないのは、
ここに、その理由のひとつがあるのではないか。

いま鳴っている音が次の音を生み出し、その音が、また次になる音を生み出していく、
それらが有機的に絡んでいき、音の構築物をつくりあげる。

その連鎖は、どこかで打ち切れなければ、ベートーヴェンの才能があれば、
延々と続いていくのかもしれない、と、ふと想うときがある。

Date: 3月 25th, 2010
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その11)

ごまかしがないということ──、
これこそ、じつはモニタースピーカーシステムに求められていることでもある。

Date: 3月 24th, 2010
Cate: 電源
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電源に関する疑問(その20)

電源に関しては、インピーダンスをできるかぎり下げること、
レギュレーションをできるかぎりよくしていくことが、音を良くしてことだと言われていたし、
何の疑問ももたずに、それを信じていた。

実際の製品(とくにパワーアンプ)では、大容量の平滑用のコンデンサー、
厚みのある銅版による配線などが採用されている。
この方向からすると、電源回路に直列に1kΩの高抵抗を挿入するのは、理屈に合わないことになる。
けれど、あのウェストレックスが、あえて、こんなことをやっているのに、なんらかの意味があってのことだろう。

しかもA10はチョークインプットだから、電圧降下は大きい。さらに1kΩの抵抗で電圧を下げる。
電圧に関しては、かなりの無駄の出る回路でもある。
さらに不要と思われる抵抗を使うわけだから、その部品の選定も重要になるし、
発熱も大きいから、伊藤先生のアンプではホーロー抵抗が使われていた。

ワッテージの低い抵抗にくらべて、ホーロー抵抗の音のイメージは、あまりよくない。
できれば使いたくない、とも思っていた。
それでも、1kΩの抵抗は要らない、と短絡的な結論を出すでなく、まず、なぜなのか、を、いちど考えてみた。

Date: 3月 23rd, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その2)

以前からときおり考えていたことだが、ホーンの形状について、その外側はどうすればいいのか。

ホーンの内側の形状については、ホーンのノドの部分から開口部までカーブを描かないストレート、
カーブを描くものには、エクスポネンシャル、コニカル、ハイパボリックなどがあり、
開口部の形状も円もあれば四角もある。また非対称型もあるが、
意外にホーンの外側までデザインされているモノは、ほとんどない。

私の記憶のなかにあるモノで、外側まで配慮されているのはパイオニアのPT100ぐらいだ。
10分割のマルチセルラホーンを半球状の中央に配置したかっこうで、ホーンが半球を二分割している。

前面から見たシルエットは円となる。

ホーン型スピーカーの理想は、無限に続くホーンだろうが、実際にはどこかでホーンを切らなければならない。
ホーンが終ったところで、どんな現象が起こっているかを考えれば、
ホーンの形状は内側だけの問題ではなく、外側まで及ぶことは容易に想像できる。

Date: 3月 22nd, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その1)

今年昨年末に、アルテックの604-8Gが届き、じつはこれと一緒にKEFのiQ7も、いま手もとにある。
どちらも同軸型ユニットで、「素朴な音、素朴な組合せ」の項で書いているように、
アルテックの409-8Hもある。これも同軸型ユニットで、計3組がそろった。

同軸型といっても、それぞれの構造は異る。
409-8Hは20cmのフルレンジユニットに、コーン型トゥイーターを後付けしたような構造だし、
604-8Gはコーン型とホーン型を組み合わせている。
KEFのUni-Qユニットは、コーン型とドーム型の組合せで、しかもボイスコイル位置を揃える工夫がなされている。

これらがそろったので、「今年は同軸年(イヤー)だな」といっていた。
そんなことをいいながらも、まだ具体的な行動にはうつれていないが、
ある事柄から、「やはり今年は同軸年だな」と実感しつつある。

Date: 3月 21st, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー

ユニバーサルウーファー考(その3・補足)

サブウーファーの高さを、組み合わせる小型スピーカーシステムとほぼ同じにまでもってきたときの音について、
すこしだけ、やっぱりふれておきたい。

グールドの1981年再録音のゴールドベルグ変奏曲。
ここでも、グールドはハミングしている。
このハミングが、サブウーファーの高さを持ち上げたことで、じつに自然に響いてくる。
もともと耳障りだとは感じてなかったが、そう感じている人が聴いても、
決して耳障りだとはいわないだろう。

理想的なワンポイントマイクロフォンセッティングで、ひじょうにうまく録れたかのように、
ハミングが明瞭にきこえながらも、別々のマイクロフォンで、
別々の場所(ブース)で録った(いわゆるマルチマイクロフォン録音)のような不自然さはない。

響きの方向性がそろった音だ。

Date: 3月 20th, 2010
Cate: 素朴
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素朴な音、素朴な組合せ(その9・余談)

755Eは、すでに手もとにないが、かわりに409-8Hがある。
これで、あのときの音を再現してみよう、と考えている。

といっても、あのときのアメリカ製の、乾いた感じのパチンという音がするダンボール紙は、ない。
もし同じダンボール紙が入手できたとしても、それを人に奨めることはできない。
同じものが入手できるとはかぎらない以上、再現性がないためだ。

となると、かわりの材料で、軽くてそこそこ硬いもの、しかも入手しやすく、
安価であること──、そういう条件にぴったりのものを見つけなくてはならない。

実際に試していないが、バルサ材にセラックニス(セラミック、ではない)を含浸させるのは、どうだろうか。
意外に良さそうな予感がする。

これで平面バッフルをつくる。大きければ大きいほど、低音再生は有利になるが、
メインシステムとしての製作ではないから、
使わない(聴かない)とき、存在が邪魔に感じるようでは困る。
1m×1mでも、大きく感じてしまうだろう。となると、折り畳み式という手もある。

Date: 3月 20th, 2010
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その10)

大事な帯域とは、中域、つまり、人の声の帯域のこと。

こう考えていって、ダイヤトーンの2S305とアルテックの755Eを、
素朴な音のスピーカーとして思い浮べたのが、なぜか、自分で納得がいく。

どちらも、大事な帯域において、ごまかしがないスピーカーといえるからだ。
人の声の帯域において、ごまかしがないから、どちらも信頼度の高さを有している。

これは重要なことではないだろうか。

Date: 3月 19th, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(その3)

「四季感覚」があれば「共時性」もあるだろう、オーディオの選択においては。

録音とともに、時代の音、というものが、やはりある。
技術の進歩によって、可能になってきた音の表情がある以上、
それに見合った、新しいスピーカーシステムで聴くことが最善の方法であると思いがちだが、
そうでないところに、オーディオの難しさ(面白さ)がひそんでいるし、
スピーカーシステムの選択において、柔軟性が求められるのも、そのためであろう。

誰しも古ぼけた音では、聴きたくないはずだ。
とくに永年聴き続けてきた愛聴盤であれば、つねに新鮮な気持で聴いていきたい。

そうなると古いスピーカーシステムは用無しとなるかといえば、
古いスピーカーシステムが、古ぼけた音を出す、とは、かならずしもいえない。

状態がすぐれていれば、古いスピーカーシステムのなかには、
新しいアンプや周辺機器との組合せによって、共時性を感じさせてくれるモノ、
いいかえれば古ぼけないスピーカーシステムがある。

そこに、共時性との共鳴がおこる。

Date: 3月 18th, 2010
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その9)

友人も、その友人もオーディオに特に関心はない人たちだった。
友人の友人は、ギターを演っているということだった。

そんなふたりが、「気持いい音!!」といいながら、喜んでくれた。

私も、思わぬ音に、すこし驚いていた。
屈託のない音、とは、こんな音なのか、と思うくらい、ストレスなく音が伸びてくる。
プリメインアンプで鳴らしていたしスピーカーケーブルも、適当なものを接いでいた。
とにかく、すこしでも早く音を出すために、そのへんにあったものを利用しただけの、
急拵えのシステムにもかかわらず、聴いているのが楽しくなってくる。

アルテックの755Eという、基本設計はかなりふるいフルレンジユニットのもつ素性のよさ、
ダンボールによる平面バッフル、それから人間支持機構が音に反映されたのだろうか。

ダンボールによる平面バッフルはそれほど大きなものではないから、
低域は低いところまでのびていたわけではない。
素直にすーっと高域までのびているわけでもない。レンジの狭さを感じさせる高域だ。

ナローレンジの音だ。
けれど、音楽を鳴らす上で、大事な帯域である中域において、
このときのシステムは、ごまかしが、ほとんどないといえるだろう。